小説集 2 明子
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『明子』
『№ 1』 復讐(完治の場合)
「お父さんお父さん!ちょっと来て、あー持って行かれる、早く助けて!」
完治は笑いながら「どれどれ、おーっこれは大きいなー」と娘明子の手から竿を受け取り巧みに魚の動きに合わせてリールを巻き上げて行く。
「これはすごいなー、初めて大物が掛かったんじゃないか」明子の頭を撫でながら笑った。
「晩飯のおかずは鯛ずくしだな」
明子の肩に手をやり並んで帰った。
完治と明子は近所でも評判の仲の良い親子であった。
南房総の片田舎、完治はそこで役場の職員として働く傍ら農業をしていた。
又明子は近くの街で 看護士として一生懸命頑張っている。
完治にとって明子は掌中の玉、眼に入れても痛くない程可愛い娘である。
「お母さんにもあげような」完治はそう言って仏壇の方に眼をやった。
まだ彼の若い頃 同じ職場で知り合って趣味の釣りが縁で意気投合し結婚したのだが・・・
明子が生まれると間もなく他界してしまったのである。
【妊娠中毒症】
妻洋子は自分の娘の顔を見る事無く死んでしまったのだった。
彼は号泣した。
それから明子を洋子の生まれ変わりと思い今日まで生きてきたのである。
明子は初乳も飲む事が出来なかった。
「おぎゃー」と泣き声をあげた時にはもう母の身体は天国の階段を上って行ってしまっていたのだから。
だから抵抗力の無い身体の弱い子供だった。
それからの完治は病院と親戚の様な生活を強いられてきた。
が この娘の為なら、と何時も心にかけ仕事も頑張ってきたのだった。
再婚も薦められたが明子が後々辛い思いをするのではないか、と思い断ってきた。
小学校も高学年となった頃から、太陽の下で走ったり釣りをしたりしたせいか丈夫になり その名の如く明るく元気な娘に育ってきたのである。
そんな明子を見ながら何時も洋子に見せてやりたいと思い暮らしてきたのだった。
年頃になった彼女にプロポーズする男性が現れた。
県警本部に勤める靖男である。
実家が完治の家の近くの好青年である。
が 彼は許さなかった。
明子と離れるのが辛かったのである。
「誰がお前なんかに大事な娘をやれるか!」が返事だった。
だが心の中では許していた。
「いずれお嫁さんになってこの家を出て行くのだ、だったら靖男の様な頼り甲斐のある男がいい」と・・・
明子も少なからず好意を持ってる様子である。
しかしそれは近くに住む『お兄ちゃん』的な感覚であった。
幼少の時から可愛がって貰っていたから 恋人として考えてもいなかったのである。
明子の病院に怪我人が運ばれて来た。
テトラポットから落ちて肩を打ったと云うのだがどうも様子がおかしい。
肩口がザックリと切れており 岩場で起きた傷ではない。
医師は「これは喧嘩でもして出来た傷だな」と小声で言った。
しかし物腰は柔らかで言葉も丁寧だ。
一ヶ月ばかり入院したのだが特別そこまで入院する必要も無かったのである。
その間多くの見舞い客が訪れた。
皆 黒塗りの大きな車だったが 比較的紳士的な人が多かった。
靖男が言うにはその男は大手ゼネコンの千葉建設の社長の御曹司 『川上吾郎』
とかく暴力沙汰の多い男だそうだ。
だが明子に対しては紳士的で優しい男に映ったのだった。
怪我も癒えた吾郎は時々この田舎の病院を訪れ 彼女を誘いドライブをしたり一緒に釣りを楽しんでいた。
完治も又 世間の噂なんていい加減なものだな、と感じて彼の来訪を笑顔で迎えていたのである。
彼も又、若い頃大学のラクビー部に所属していてかなりの悪さをして歩いた。
その経験から吾郎の暴力的な噂も 若気のなせる業 と鷹揚に考えていたのだった。
だが不審に思ってたのは何故都会には しっかりした良い病院があるのに この片田舎の病院に来たのか?
完治に言わせれば「かすり傷程度で一ヶ月も入院したのか?」その疑問を院長であるチョビ禿医師に聞いてみた。
それは医師も同じ疑問点だと言う。
「きっと身を隠さなければならない何かがあったんだろう」と・・・
靖男も又同じ考えで何か胡散臭さを感じて彼の仕事、私生活を洗っている様子であった。
吾郎は日曜日になると必ず来る様になっていた。
そして半年も過ぎた頃、明子にヴィトンのバッグをプレゼントとして持ってきたのである。
分不相応のプレゼントに明子も完治も固辞したのであるが 「都会ではこんなもの普通に持って歩きますよ」との話に一応預かる事にしたのだった。
その後もいろいろブランド物のプレゼントを持って来たのである。
釣りをしてる時、時々見せる冷たい顔が気になった。
「我々庶民とは違って精神的にもきつい仕事をしてるんだろう、だから釣りをしてる時が一番幸せなんじゃないか」とも思ったのである。
一年も過ぎた頃、吾郎は母親を伴ってやって来た。
「ぜひお嬢さんを吾郎の嫁にください」と・・・
完治は「それは娘の気持ち次第でしょう」と答えたのである。
が 彼の心の中では「あの馬鹿野郎が、早く掻っ攫って行けばいいのに」「俺はお前が明子の亭主になる事を望んでいるのに」と 靖男に対して腹を立てていたのだった。
そんな完治の心を知ってか知らずか意外にも明子はその結婚を承諾してしまったのである。
完治は靖男に当り散らした。
靖男は「明ちゃんが幸せになれるならいいじゃありませんか、見守ってやりましょう」と答えたのである。
靖男に取っても辛い選択であったのだろう。
釈然としないまま認めざるを得なくなった完治は『結婚式は一年後』と条件を出した。
此処まで明子が育つのに彼は大きな犠牲を払ってきた。
元々彼は田舎の係長止まりの能力の男ではない。
昇級試験を受ける事を薦められた事も何度かあった。
しかし彼は少しでも明子の傍にいてやりたかったのだ。
家庭を犠牲にしてまで出世しようとは思っていなかった。
何時も心の中心は明子だった。
その為には自分の事は何一つ考えてはいなかったのである。
「出世して高給を取る事だけが人生じゃない、家族をしっかり守って淋しい思いをさせないことが大事なんだ」と・・・
田舎暮らしをしていても県の職員はおろか地方議員でさえ一目置く存在だったのだ。
『№ 2』
何時も明るく「行ってきまーす」と出勤する明子がある日を境に暗い表情に変わった。
声も元気がない。
「どうした?どこか悪いのか?」完治が尋ねると「お父ちゃん、結婚解消してもいいかな」と・・・
「何か有ったのか、何でも言ってごらん」
「あの人怖い、この間偶然聞いちゃったんだけど『あの野郎、海にでも沈めておけ』って電話で話していたんよ」「何か恐ろしい事やってるみたいなの」
完治の勘ではやはり只の男ではないなと思い当たる節があった。
裏の有る男ではないか・・・と感じていたのだったが、思い違いであって欲しいと願っていたのだった。
「いいよ、お父さんが断ってやろう」
「今度会った時私が直接話すから、お父ちゃんごめんね」
完治は靖男に一人で行かせる事に一抹の心配がある旨を伝えた。
何となく虫が知らせたのだった。
靖男は「昼間の千葉市内の喫茶店だから大丈夫でしょう」と言ったが・・・
翌 日曜日に明子は出掛けて行った。
その朝、勤めて元気に振舞って「すぐ帰ってくるからね」と 出掛けて行った。
それが今生の別れになるとは知る由もなく・・・
ものの一時間もした頃から完治は後悔していた。
何故付いて行ってやらなかったのか・・・
愛する娘の大事な事なのに・・・彼女一人では心許ない、と内心思っていたのに。
その夜 待てど暮らせど帰る事は無かった。
彼はすぐ靖男に電話を入れた。
靖男は県警本部の警部補をしている。
彼はすぐ『行方不明』として手配してくれた。
立ち回りそうな所を片っ端から捜べ始めたのである。
完治は「お前がぐずぐずしてるからこんな事になったんだ、何故もっと早く拐って行ってくれなかったんだ」と 八つ当たりをしたのであった。
筋違いとは解っていても言わずにいられなかったのだ。
「奴はどうした、明子に会ったんだろう、それからどうしたんだ!」
靖男は「それがねー前日(土曜日)の夜、成田で傷害事件を起こして今現在も取り調べ中なんだ」「会ってはいない と云うより物理的に会う事は不可能なんだ」と・・・
「ではどうして帰って来ない?!」完治の頭は混乱していた。
何か裏がある、明子は誰にも恨まれる娘ではない、半狂乱になった完治はすぐ吾郎の家に赴いたのだが・・・
何の手掛かりも無く悄然と帰ったのであった。
靖男の調べた所 待ち合わせの喫茶店で携帯電話があり 間もなく若い男が迎えに来て一緒に出て行ったと云う事だった。
それからの足取りがプツリと切れてしまっている と云う事だった。
まんじりとした夜を過ごした。
火曜日の昼過ぎ、横浜の埠頭に絞殺死体が浮かんだ。
「嘘だろう」「何故明子が・・・」変わり果てた姿に変わった娘を見るなり彼は慟哭した。
県警本部でも殺人事件として捜査を始めた。
間もなく吾郎は釈放されたのである。
被害者と示談が成立したと云う事で・・・
彼はいろいろ思い出していた。
明子の言葉の中に何か今度の事件に関係のあるヒントは無いか?
どんな小さな事柄でもいい。
戻って来ない明子の為に犯人をこの手で殺してやりたい と・・・
靖男も又怒りに燃えていた。
その為に私情が入ってはいけないと捜査から外されたのである。
手掛かりは喫茶店から明子を連れ出した男だけである。
ウエイトレスにその男の特徴を聞いたが左耳に幾つもピアスをつけている といった事位である。
マスターは指の太さ、指輪からその辺りに勤めているホストではないか、とも言った。
完治は千葉周辺のホストクラブを片っ端から当たった。
が 彼らの口は堅く なかなか思う様な情報を得る事は出来なかった。
捜査から外された靖男も又自分の有給休暇を使い別のルートから調べていたのだ。
今まで休みらしい休みを取らなかった靖男には有給休暇が余る程有った。
彼は今でも明子を愛していたのであった。
そして耳寄りな情報を手に入れた。
吾郎には全く別の顔を持っていたのである。
『出資法違反』彼は法外な利息で金を貸していたのだ。
看板は【多重債務者救済センター】人の弱みを突いた巧みな商売、実態は闇の金融業として・・・
多くのたちの悪い連中を使い取り立ても厳しく・・・
その為に自殺者まで出していると云う・・・
「何故こんなのが法の網に掛からなかったんだろう」靖男は法の不備を嘆いた。
別件ではあるがそこから何か明子の死に繋がるものが出て来ないかと靖男は考えたのだが、上層部から「待った」がかかったのである。
これはもっと大きなヤマが隠されているな と靖男は思った。
調べて行くうちにおかしな話を聞いたのである。
その金融会社では多重債務者を多く扱っている。
そしてそのうちの何名かが行方不明になっているのだ。
夜逃げしたにしては不自然なところも有る。
その行方を眩ました債務者のほとんどが若い男女である事。
そして至って健康であった事など・・・
「何処へ消えたんだ??」靖男は彼の周辺の男達を調べる事にした。
あくまで休暇中 非番の捜査である。
職権で調べる訳には行かない、個人の捜査の難しさを痛感してた。
完治も又粘り強く聞き込みに廻っていた。
そしてある居酒屋で思わぬ情報を耳にしたのだった。
耳にピアスをした男達が、とあるクラブで働いている との事である。
そして闇金の追い込みを副業としていると云う。
靖男の追いかけている事柄と一致すれば必ず明子の死に繋がってくる。
完治と靖男はそのホストクラブで夜明け近くまで張り込んだのであった。
三日後の夜その男は現れた。
早速明子をどうやって連れ出したか、又依頼したのは誰か聞き出そうとしたのだが知らぬ存ぜんの一点張り。
業を煮やした完治はその男を車に乗せ明子が浮かんでた埠頭に走らせた。
そこで詳しい話を聞こうとしたのだが・・・一発の銃声と共にその男は倒れこんだのである。
黒い乗用車がライトも点けずに走り去った。
「裏切ったな」苦しい息の下から「全ては吾郎に聞け」と・・・
病院に搬送中にその男は息を引き取った。
完治は辞表を提出した。
もうこれ以上は休みながら捜索するのは無理だ、と感じたからである。
「明子在っての俺だ」「何としてでも仇は取ってやる」決意の表れであった。
『№ 3』
「完さん、今年も走るのかい?」「おう、走らんでかい」
「堪らんなーあの勢いで走られたんじゃ誰も付いて行けん」
皆が驚く程のスタミナとスピードである。
運動会で親子競争がある。
親子が手をつないで走るのであるが、負けそうになると決まって明子の身体をヒョイと肩に乗せ韋駄天の如く走るのであった。
何時もダントツの一番・・・それもそうである。
大学時代のあだ名が【ブルドーザー】
二人三人のタックルを引きずってもトライを決める。
全日本にも選ばれた。
将来を嘱望されながら何を思ったか、田舎の役場の職員になってしまった。
何より郷土が好きであったのだ、そして釣りが・・・
そして洋子に出会ったのである。
彼は妻を心から愛した。
が しかし今その生き甲斐の全てを失ってしまったのだ。
彼の怒りは尋常では無かった、復讐に人生の全てを賭けた。
必ずこの手で犯人を葬ってやる。
凄まじい執念であった。
だが捜査の方は遅々として進まずいくつかの秋を迎えた。
明子の事件も捜査本部が解散される事になった。
専従捜査をするのはベテラン刑事の『志村久雄』一人が当たるだけとなってしまった。
そして靖男は本部長に呼ばれた。
「君はこのヤマをやりたがっていたな、志村君と一緒に解決に当たってくれ、私情を入れないで出来るか?」
靖男は明子の弔い合戦の時が来たな と喜んだ。
続けて本部長は「どでかいヤマだぞ、どうも政治家も絡んでいる様だ 間違えば首が飛ぶかもしれないぞ、くれぐれも気を付けて当たってくれ」と・・・
「ところでブルさん元気でやってるかい?」「エッ?」靖男には一瞬何の事かよく飲み込めなかった。
「完さんだよ、知らないのか 俺達も随分泣かされた、あの突進を受けられる者は誰も居なかった」「天下のフォワードだよ、勿論お前たちの年代では知らないかもしれないだろうけどな」「学校が一緒ならもっと楽出来たのにな」と本部長は笑った。
志村刑事は捜査畑一本で来た男だ。
【落としのシムさん】と呼ばれている程取調べの上手な男だった。
彼とこれまでの捜査のすり合わせをする事になった。
そこで解った事は吾郎は本当の実権を持った社長ではない。
黒幕は他に居る。
そして千葉建設に出入りしている東南アジア系の男達 彼等は絶対堅気ではない。
観光ビザで入って来てるが10日ばかりで帰ってゆく。
別に観光する訳でも無く、その時には時々民自党の秘書も顔を出す場合もある。
明子は何かその秘密を知ってしまったのであろう と・・・
そして「完さんには絶対に言うなよ」「あの男なら直接乗り込んで行くだろう、そうしたら隠密に調べた事が全部無駄になる」と。
その頃 完治はあるホストと知り合った。
彼は多くの借金を背負って自分の彼女を吾郎に取り上げられた。
そして一年程して帰って来たのだが腹部に大きな傷跡が残っていたと云う。
今までと違い青白い顔をして過去を何も語ろうとしない。
何かが有る、彼は直感でそう感じたが心を閉ざした彼女に直接会う事を躊躇った。
そのホストも何かを知っている様子だが ふと漏らした愚痴が完治の耳に飛び込んで来たのである。
彼は靖男と志村に相談した。
ここまで来たらお互い知ってる事を話す必要があろう と判断した志村は独断で行動しない事を条件に完治に話し始めたのである。
このヤマは東南アジアの何処かが関係してる。
ボスは千葉建設の誰かでは無いだろう、きっと外国のマフィアが関係してる。
又、政治家の一部も咬んでるに違いない。
明子さんはその重要なところを知ってしまったんだろう] と・・・
完治は努めて冷静になろうと思ったが、何の罪もない娘への無念さを思えば余計怒りが込み上げてきたのであった。
『№ 4』
さて東南アジアと云っても広い。
何処かに手掛かりは無いか?
靖男はそのホストと彼女を任意で取り調べる事にした。
だが頑として口を割らない。
時間はどんどん経つばかりであった。
そして「お前ら俺たちの命を一生守ってくれるのか!」「ここへ来るのも命がけなんだぞ」と・・・
尚更この事件の裏には大きな力が働いている事を思い知らされた。
が しかし彼女が一年留守にして傷跡を作った事により借金がチャラになった事だけは確かだ。
手掛かりは東南アジアにある、必ず何か解るだろう。
志村は上司に出張させてくれる様頼み込んだ。
しかし許可は降りなかった。
「もし何も出なかったら公費の無駄使いだぞ」との理由で・・・
靖男は自費でも行く事を考えていた。
完治も同じだった。
だが闇雲に行ったところでどうにも成らない。
場所が特定出来なければ・・・
焦る気持ちを抑え吾郎の身辺を見張ったのである。
そんな時ホストの彼女が倒れた。
救急車で搬送されたのを知り志村が駆けつけた。
医師は「これは腎臓摘出の跡がありますねー」と・・・
やっと彼女は重い口を開いた。
「たまには海外旅行でもして来いや」吾郎の一言で中国人に引き渡され横浜から船に乗り中国に渡ったそうだ。
そこから又違う国籍不明の男とフィリピンへ・・・
着いた先は大きな病院であったそうだ。
そこには日本人も沢山居て非常に大切に扱われたと云う。
外出も自由だった様である。
いろんな検査を受けその後全身麻酔で眠らされ気が付いた時に腹部に激痛が走ったそうだ。
後は傷の癒えるまで病院の一角にあるコンドミディアムで療養して又コンテナ船に乗り帰国したと、話したのである。
自分がどういう状況下に置かれているのかも解っていなかったのだった。
「もう一度吾郎を引っ張るか」靖男は考えた。
志村もそれを考えていたがその難しさも又考えていたのである。
「シラを切られたらどうする、物的証拠がある訳じゃなし」
その晩、入院中のホストの彼女が死んだ。
屋上から飛び降り自殺と云う事だったが彼女のベッドからも彼女自身からも強いクロロフォルムの匂いがしたのである。
志村は「警察病院に移して置くべきだった」と悔やんだが後の祭りであった。
かのホストは「下手にちょっかいを出すからだ、俺まで殺す気か!だから警察は嫌いなんだ」と 怒りをあらわにしてもう口を閉ざして何も云おうとはしない。
ホストの彼女『鈴木京子』殺人捜査本部が設置されたが全ては明子の死から始まった事を警察内部では誰でも知っていた。
それだけに刑事達皆は力が入っていたが難しさも又解っていたのだ。
警察の威信を賭けた戦いが始まったのである。
その頃完治はフィリピン行きを決意していた。
明子の死に関わる何かを掴むまでは帰らない覚悟で。
今度は靖男も同道する事になった。
上司もここに来てその必要性を認識して許可を出したのである。
完治は先祖代々守り続けてきた田畑を売り払った。
退職金もまだ手を付けて無かったがどれだけ海外で金が掛かるか解らない。
それに田畑を続ける時間も余裕も無かったからである。
そんな時 昔のラガーメン達が集まってくれた。
皆「完さん、フィリピンも危険な所らしいぞ、生きて帰って来いよ」「絶対死ぬな」と・・・
皆 たくさんのカンパをしてくれた。
「おい、まるで出征兵士みたいだなー」と完治、嬉しかった、涙が止まらなかった。
そして靖男と共に旅立って行ったのである。
マニラに着いてまず気が付いたのは、治安の悪さに加えて貧富の差の大きい事であった。
日本では食べられないと云っても どんな仕事でも我慢して働く気になれば何とか食べて行ける。
しかしここでは一握りの財閥、そこで働く者たち以外は全く仕事に就く事が出来ない。
だから海外に働きに出るのも仕方が無い事である。
日本にも多くのフィリピーナーが来ている。
完治は納得しながらガイドの声に耳を傾けた。
ガイドは元日本で働いた経験がある【ア、チョン】と云う男だ。
人の良さそうな男だが 実は金の為なら何でもやる命知らずの男であった。
まず北部の病院の多い地区を見て歩いたのである。
まさに病院銀座といった所だ。
その中にコンドミディアムもある。
何でも諸外国ではドナーツアーなるものも有るそうだ。
観光を兼ねやって来てコンドミニアムで優雅な休暇を楽しみながらドナーを待って居るという。
そこに又、各国からドナーが来るのだ。
何でも日本人の臓器は特に高値で売られるそうな。
食糧事情の良い日本人達の臓器は至って健康でそれ自体の痛みが少ない。
フィリピンの現地法人、日本人の経営、資本の多くは中国系、日本企業もその中に有ると云う。
日本からは多重債務者の多くが送られて来るとの話である。
完治は慄然とした。
こんな社会があったのか・・・と・・・
又 中には自分から進んで就業ビザで入国し 臓器を提供し体調の戻るまで滞在し一儲けして帰る日本女性も居ると云う。
ケロリとして「需要と供給の社会よ、人助けをして金が稼げる、こんないい事無いよね」と・・・
日本では臓器売買は禁止されている。
しかし彼女達の言い分にも納得できる部分もある、法の盲点を突いたビジネスである。
完治と靖男はその夜ミーティングした。
何処から手を付けるか・・・
志村に電話で報告しながら「これは大変な作業だぞ」と思ったのである。
明子は何を何処まで知って殺されたのか この状況の何処まで知ったのか・・・
黒幕は誰だ・・・
そうした時靖男は「父親が肝臓を患っている、何とかならないかと下見に来たのだが」と 日本人経営の病院勤務の看護士に聞いた。
最初口は堅かったが彼女はFMホスピタルの看護士に連絡してアポを取り付けてくれたのである。
FMホスピタルは日本企業資本、医師も日本人が多く働いている所であった。
完治は何かが解る事を期待してその時を待ったのである。
意外にもその看護士は医師と一緒にやって来た。
そして「肝臓の場合は脳死状態のドナーが現れない事には出来ない事、しかしこちらに来て二三ヶ月も待てば可能である」と事も無げに話したのである。
欧米諸国では観光と移植手術とセットでのツアーがコーディネーターの手で公然と行われていると云う。
日本では禁止されている臓器売買が公然と行われているのだ。
医師は言った「大体日本はおかしいよ、需要と供給がある限りこの職業は無くならない」と・・・靖男も完治も言葉を失った。
それ以上は聞く事が出来なかったがひとつの収穫があった事は確かである。
そして日本資本の病院のひとつが千葉建設が関わっていると云う事も。
しかし一企業がそこまで考えられるか?
その陰で政治家の力が働いているのではないのか?
厚生省か、外務省か・・・そのどちらかに関係した議員の影がちらつく。
要するに吾郎達はその実働部隊なのだ。
明子は吾郎の何を見たのか、聞いたのか?
取り合えず日本に帰ってからだ。
完治はもう一度明子の持ち物から調べ直す事にした。
何か見落としてはいないか と・・・
明子の机の奥からキティちゃんの表紙の日記帳が出てきた。
幸せな結婚生活の夢が躍ってた。
胸が熱くなりながら活字をなどった。
ある日から空白のページが続いてた、それは明子が沈んだ表情をする様になった時期と一致している。
パラパラとページをめくる。
するとどうであろう。
「あの人があんな乱暴な人だったとは、悲しい 私はどうしたら良いのか?」で始まる文字が並んでる。
彼女の手記を要約すれば偶然彼が中年の男に暴行を加えていたのを見てしまった事から始まる。
その時「何日までに耳を揃えて持って来い、金が返せなければ自分の娘を連れて来い」と・・・
明子は尋ねた「どうしたの?あの人、血を流して謝っていたのに、何故あんな可哀想な事するの?」
「何でもない、お前が心配する様な事ではない ビジネスだよ、ビジネスだ」「こちらが親切にしてやってるのに約束を守らないから少しきつく言っただけだ」冷たい顔だったそうだ。
何時もあんなに優しいのに、この人はどう云う人なんだろう?
不信感が芽生えた。
そして電話で「あいつは捕まえて送れ」とか「徹底的に追い込みをかけろ」等と指示を出してる。
「それでは福山先生に申し訳が立たん、早くしろ!」と不快な顔で部下を叱り付ける。
明子は婚約解消を決意した時の手記であった。
一体福山とは何者なんだ?
完治は靖男と志村に日記帳を見せる事にした。
志村は「うーん」と言って眼を閉じた、そして「物証(物的証拠)が欲しいなー 状況は『真っ黒け』でも物証が無ければなー」と・・・靖男は徹底的に多重債務者を探せば必ずこの事件の解決は出来ると云う。
だが完治は明子を殺した相手だけが知りたかったのである。
が 全てがリンクしている。
友達とは嬉しいものだ。
ラガーメンの多くがいろんな所で聞き回ってくれている。
その中に金融会社に勤めている佐藤と云う男が居た。
彼はブラックリスト(多重債務者)を洗ってその書類を持って来てくれた。
さて、ここから吾郎の所から金を借りている人物を探し出さなければならない。
それを基に捜査本部が動いた。
そして検察も政治資金で不自然なものが有るかどうか調べ始めたのである。
千葉建設からの献金を受け取っている者が数名浮かんできたが 現金で受け取って居る者はまず帳簿に載せないであろう。
しかし頻繁に会って会食等してる秘書が数名浮かんできたのである。
検察はそれをマークして現金授受の事実があったかどうか調べ始めた。
完治達はブラリスの人物を追った。
そこで思い掛けない事実が浮かんできたのだ。
数名の行方不明者がいる。
考えられるのはコンテナ船で密航させられ フィリピンの何処かの病院でバラバラにされ臓器を取られ死んだのではないか・・・と云う事ではないか?
コンテナ船は何処の海運会社だ?
知ってて密航の手伝いをしたのか?
分らない事が一杯ある。
「これは縺れた糸を解す様に根気良くやらなきゃならないな」完治はそう思った。
『№ 5』
吾郎は敵の多い男だった。
普通は金融関係の者達は横の連絡もかなり有る。
が しかし彼にはそうした関係の者は皆無と言っていい程いない。
それはあまりにもあこぎなやり方で他の業者からも疎まれていたのである。
そして政治家との繋がりが特に強い様だ。
完治は自責の念に駆られたのだった。
自分がもう少し交際中から注意してやっていれば悲しい思いをさせないで済んだのに・・・
自分が明子を殺したんではないのか・・・
その晩、完治は船橋の酒場でしたたかに呑んだ。
そして表に出たところで若い男達に囲まれたのである。
「おっさん金貸してくれんか」「何故貸す理由がある、お前らに貸す金など一銭も持っておらん」「命が欲しくないのか?貸せよ おらー」とバタフライナイフをちらつかせた。
「腎臓ひとつ取れば何百万も手に入るんだぜ、ひとつくれや」途端に完治は切れた。
こいつら何か知ってるんではないか・・・
そう思った完治にはもうブレーキは利かなかった。
ナイフをちらつかせていた男を蹴り倒し、殴りかかる相手を次々と倒してゆく。
後の連中は蜘蛛の子を散らす様に逃げていった。
騒ぎを聞きつけた警官が飛んで来たのは間もなくであったが 完治も又同行させられたのである。
すぐ靖男が駆けつけた。
事の顛末を話し若い連中の取調べが始まった。
しかし吾郎に繋がる筋の事は何も出て来なかった、が吾郎の配下の者だと云う二三名の名前を上げ 「奴らなら知ってるだろう」と話したのである。
完治の被害も無かった事から恐喝未遂の書類送検、と言うことで彼等の身柄は身元引き受けに来たファイナンス会社の男が引取って行った。
その吾郎の配下の男 牟田は表向きは無職、クラブのママに食わせて貰ってる 何処かの暖簾をくぐった男であった。
舎弟には例の埠頭で殺されたピアスの男も居たと分ったのである。
「一応任意で引っ張ってみるか」志村は決断した。
だが肝心の牟田は三日前から行方を眩ましていたのだった。
心当たりの所の何処を当たっても手掛かりはない。
「又しても先を越されたか」歯軋りして志村は悔しがった。
しかし牟田の失踪は組員でも知らなかった。
「これは事件とは関係無い何かがある」志村の勘は鋭かったが・・・
ようとして行方は解らないまま時は過ぎていった。
一方検察では民自党の大物議員の公設秘書に 福山某なる人物が千葉建設とのつながりが有る事まで突き止めていたのである。
一歩先を越された感がある捜査本部も焦りを隠し切れないでいた。
完治も又あまりにも手の内を読まれ過ぎている様な錯覚に襲われ警察内部にスパイでも居る様な気持ちにさえなって来ていたのだった。
そんな時 牟田の死体が見つかった、千葉 大多喜山中の雑木林の中で・・・
又ひとつプツリと糸が切れた。
「あらっ、あの人逝っちゃったの ふーん、あの人がねー」煙草の煙をはきながらクラグにママ(紀美代)は人事の様にそう言ったのだった。
何かサバサバした感じに不思議な違和感を感じた靖男は『紀美代の周辺も洗ってみる必要があるな』と思った。
五日、十日、十五日・・・徒に時は流れてゆく・・・
紀美代は華やかな笑顔で何事も無かった様に仕事している。
女の強さ と云うかしたたかさを感じ靖男は恐ろしくもあった。
『№ 6』
完治は何度も日記を読み返した。
そして暮れてゆく夕日を眺め遠い日を思い出していた。
「チョビ禿先生、助けてくれ!」何度か真夜中に病院に駆け込んだ。
背中の小さな命の火が消えかけた時もあった。
「お父ちゃん、助けて!」「こらっこの悪ガキ共がっ!明子を苛める奴は承知しないぞ!」
近所に住む中学生 靖男に「俺の居ない時には守ってやってくれ」と頼んだ。
明子は靖男によくなついた。
靖男も明子が可愛くて堪らない様子だった。
やがて健康で活発になった明子は靖男を誘い完治と釣り糸をたれる様になったのだ。
靖男が大学に行く様になった時明子は「お兄ちゃん 休みになったらきっと帰ってくるよね」と、何度も繰り返して聞いていた。
「大きくなったらチョビ禿先生みたいにお医者さんになろうかな」「だって大勢の人の為になれるんだもん」「それにはもっと勉強しなきゃいけないな」と、完治・・・
そのうち希望は看護婦(士)に変わっていった。
「何故看護婦なんだ?」「だってチョビ禿先生は指示するだけで患者さんを直接手当てしてるのは看護婦さんでしょう」
そして高校卒業後に見習い看護士としてチョビ禿先生のところで働く様になったのである
そして准看護士となった後もチョビ禿先生のところに世話になってた。
だからチョビ禿も又我が娘の様に可愛がってくれてた。
地域の皆も「明ちゃん明ちゃん」と親しくしてくれていたのに・・・
「明子・・・」と小さく呼んでみる。
夕日が滲んで沈んでいった。
張り込んでから二十日、吾郎が店に入って行った。
客をよそわせて連れの刑事を店に入れた靖男は外でその刑事の出て来るのを待ったのであった。
靖男は面が割れてるので出て行く訳にはゆかなかったのである。
だがなかなか出て来ない。
ジリジリとして待った。
待つ事一時間 驚くべき情報が手に入ったのである。
水割り一杯注文してそれとなく紀美代を探しても何処にもいない。
「あれっママさんは?」気の良さそうなホステスが「知り合いなの?」と近ずいてきた。
「駄目よママには恋人が居るんだからちょっかい出すと怖いわよ」
ホステスの話によれば紀美代と吾郎は以前から一線を越えた間柄である事。
「何時殺るか」等と 人殺しの相談してたようである。
それ以上聞けば怪しまれると思い出て来たそうだ。
そのホステスとは何時でもアポが取れる様に携帯(勿論私物の方の)の番号交換してきたと言う。
店で聞けない何かが聞ける可能性がある。
海外出張の長い商社勤務のラガーメン村下がチャイニーズマフィアのボスと知り合ったと言ってきた。
それとなく聞いてみた結果「F代議士とは面識あるよ、福山も一緒ね」と言ったそうだ。
これでF議員、福山、千葉建設川上社長そして闇金融会社吾郎が一本の糸で繋がった事になる。
「物証が欲しい」志村は頭を抱え込んだ。
しかしマフィアの証言は日本の司法で取り上げられるのだろうか?
又、証言してくれる可能性はあるのか?
おそらくしないであろう。
ここまで判っていながらどうする事も出来ない、苛立ちが募る。
かのホステスはよく喋る、店ではなかなか用心深く口に鍵を掛けているが 他の町のレストランでは実によく観察していた様に話してくれた。
紀美代と吾郎との仲は遥か以前から関係があった様だ。
そして牟田と吾郎は仕事上のパートナーであり汚れた仕事は牟田が一手に引き受けていたと云う。
だが紀美代を巡って二人は対立していた。
紀美代は吾郎の方が好きである事等。
又、紀美代は肌身離さず持っている手帳が有るそうだ。
それが有る限り自分が一番優位に立てると思っていると云う。
それから暫くして紀美代と吾郎は同棲生活を送る様になったそうだ。
明子が亡くなってから12年が経った。
遂に完治は行動を起こしたのである。
靖男も捜査本部も、勿論検察も無視して・・・
店が閉まると同時に紀美代を襲ったのだ。
そして完治の姿も消えた。
紀美代は救急車で運ばれたが軽い腹部の打撲だった。
靖男も志村も「早まった事を・・・」と呟いたが完治の気持ちも良く解ってた。
時効が迫ってきている、焦る気持ちもよく解る。
紀美代は被害届けは出さなくてもいいと言う。
盗られた物も何も無い、と・・・
これも何か不自然である、何か一連の事件の核心部分を握り隠している様子である。
志村は「叩いてみる必要があるな」と靖男に言ったのである。
紀美代が襲われたと判ると吾郎も又姿を消したのである。
それから三日後新潟消印の封書が捜査本部宛に送られてきた。
セピア色の分厚い手帳だった。
差出人は完治だ。
本部で分析を始めたのだがそれには事件にまつわる全ての事が事細やかに書かれていたのである。
検察も強制捜査に乗り出した。
空港は勿論港と云う港には戒厳令が敷かれた様にチェックが厳しくなったのである。
福山秘書は勿論私設秘書数名も、千葉建設の社長川上弥三郎他幹部達にも出頭要請が出た。
家宅捜索も会社は当然私宅も議員宿舎も行われたのであった。
と 同時に完治と吾郎の行方も追われた。
全警察の威信を賭けた戦いである。
靖男は海外逃亡出来るところを地図を見ながらチェックしていたのである。
手帳には吾郎の事業を始めた時からの全貌が書かれていた。
慄然とする内容である。
700人を超える多重債務者の氏名年齢住所も記されている。
外国に密航させられたと思われる者は悠に50人を超えていた。
そして帰って来ない者が8人・・・
その手帳を見せられた紀美代は観念した様にボツリボツリと話し始めたのだ。
紀美代は吾郎が明子を知る前から関係があった。
自分が妻の座に納まるはずであったのが吾郎の母親との折り合いが悪く、母親の意向で明子との婚約が成立してしまった。
しかし明子は潔癖な娘である。
次々と吾郎の(社会的に)してはいけない事を知る度 疑問をぶっつけ注意を促したのである。
疎ましくなった吾郎は明子を殺す事を思いついた。
「生かして置けば必ず自分の身の破滅を齎す」と判断した結果である。
そこで一芝居を打ったと云う訳だ。
自分のアリバイ作りに暴力沙汰を起こし殺しは牟田に依頼したのであった。
又 紀美代は吾郎と一緒になる為には牟田は邪魔な存在である。
それを吾郎に引き受けさせた。
そこまでは筋書き通りだが思わぬ落とし穴があったのである。
それが臓器売買の裏事業まで表に出てしまった事だった。
「みんなあの女のせいだ」吾郎は舌打ちしながら呟いた。
海外に逃げる前に親父(完治)を血祭りにしてやる、と・・・
検察の押収物からは次々と裏の献金の実態が明るみに出てきた。
マスコミも連日そのニュースを喧伝したのである。
しかし秘書は何も語ろうとしない。
証拠を突きつけられても「記憶には無い」と・・・
又、川上もしたたかな男であった。
が 千葉建設の専務は、志村の「お前にも家族があるだろう、これから何年も後ろ指差されて暮らす事になるぞ」「お前の子供がドナーにされたらどうする?」
「まして海に沈められたらどうなるかな?」世間話をしながらしみじみと語って「早く楽になったらどうだ」と・・・
落ちた。
専務は全て自分の知ってる限りを話し始めたのである。
一方完治は敦賀、舞鶴、二本松から靖男に電話してきた。
「すぐ帰る様に」と説得したが無駄であった。
又、吾郎も時々完治を挑発する様な電話をかけて来る。
「今 何処何処に居る、待ってるぞ」と・・・
そして宿で拳銃の銃身を磨いていたのである。
完治がそこに向かうと もう他の場所に移動した後だった。
全国に指名手配されてても、それをあざ笑うように・・・
追う者 追われる者、どちらがどうなのか判らぬ様な追跡劇であった。
お互い何処に居るのか解らないがすぐ近くで見張られている様に完治は感じた。
又 吾郎も同じ気持ちで居場所を転々と変えたのである。
『№ 7』
その頃、田舎の駅で道を尋ねている初老の婦人がいた。
そして明子の墓に花を手向けさめざめと涙を流し「明子ちゃん、ごめんね」と・・・
吾郎の母であった。
母親智子は中堅の建築会社の長女として生まれた。
それ程不自由も無く成長し暮らしてきたのだが 父親の薦める縁談に何の抵抗もなく受け入れ、結婚したのである。
だが夫 弥三郎は家庭を返りみる事無く事業展開を見せ、ここまで大きな企業にのし上げたのである。
愛人も作った、その女性を市役所職員に差し出し役所工事の受注を勝ち取った。
そして政治家に近ずき大工事の入札工事にも進出して現在に至ったのである。
智子は表向きの事は何も知らなかった。
只家庭を守り趣味の踊り、観劇に明け暮れていたのであった。
吾郎が「好きな子がいる」と言った時自分の目で確かめたいと思って此処に来たのである。
何と素敵なお嬢さんだろう、明るくて素直な 若鮎の様に活発な、今時こんなお嬢さんが居ることは考えてもみなかった。
即座に吾郎の妻にと考えたのである。
しかし吾郎には水商売の女性(泥水を何の抵抗も無く飲める女)の方が合っていた。
自責の念が智子を襲った。
取り返しの無い事をしてしまったと・・・
自然に足が此処に導いてきたのである。
初めて家にやって来た時「素敵なお宅ですね、でもちょっと淋しそう」「そうだ、お母さん花を植えましょう」
土いじり等した事のない智子は明子に促され庭にたくさんの花を植えた。
そして塀に沿って雪柳をめぐらせた。
今年の春も白い小さな花が一面に咲いた。
もう背丈程に育った が 一緒に眺めるはずの明子はそこには居ない。
智子は辛くて堪らなかったのだ。
志村は全国警察本部と連携して吾郎の行方を追っていた。
日本地図を眺め山陰地方、特に海岸沿いの警察に激を飛ばした。
そして福岡県警、長崎を睨んで「ここまで来るかな」と靖男に言った。
そこまでが中国を目指す限界だろう・・・と。
皆生から完治の電話が入った。
「臭い、この辺りで向こうに見られている様な気がする」と・・・
「靖男、完さんに合流しろ!責任は俺が取る」
そして志村は福岡に飛んだ。
靖男は山口県須佐町で合流した。
一方検察の調べでは旧悪がボロボロ出てくる。
もう時間の問題だな と思われたその時建設のドン、代議士のFが倒れた。
脳卒中だと云う。
最初は三味線じゃないかと疑われたがどうも本当らしい。
それから一週間後Fの死が新聞紙面を賑わせたのである。
福山は「全ては先生の指示でやりました」と自白した。
何処まで本当か嘘なのか、死人に口無しで幕引きとなったのだが・・・
千葉建設川上弥三郎には多くの罪状と 殺されたと思われる多重債務者の家族から損害賠償訴訟が起こされたのである。
実質的に倒産の憂き目にあったのだ。
智子は一度に歳を取った。
新聞もテレビも見なくなった、大きな家はまさに空き家の様な状態になってしまったのだった。
完治は吾郎の電話に翻弄され続けていた、が 「必ず俺の前に姿を現す」と信じて追い続けていた。
吾郎も又 新聞、テレビでニュースを知り完治への怒りをあらわにし、殺しの執念を燃やし続けたのである。
逃亡はチャイニーズマフィアが必ず助けてくれると信じて。
「奴らにはそれだけの金も渡してある」「今までも随分儲けさせてきた」と・・・
佐世保まで行けば船が待ってるはずである。
突然完治の電話に下関から吾郎の声が届いた。
笑いながら「関門橋に来い」と・・・
急ぎ駆け付けたが彼はいない。
今度は指宿から・・・
靖男は「もっと捜査範囲を広げろ」と激を飛ばした。
「奴は必ず日本海の何処かから脱出する」完治もそう思ってた。
中国船籍とは限らない、どこだ・・・
何もコンテナ船でなくとも良い、小さな港からでも出航出来る。
「だが必ずその前に俺を狙って来るだろう」
彼は長崎で待つ事にした。
そして次の電話が掛かってきた時「長崎で待ってるぞ」と答えたのであった。
「本当に来るのかな?親父さん、甘いんとちがいますか」靖男はそう言ったが完治は「来る、必ず俺を狙ってくる」と・・・
『№ 8』
明子の事件の時効は10日を切った。
だが完治には時効など関係無かった。
あくまで仇を取ってやりたかったのだ。
ここで攻守は逆転したのである。
パトカーでは目立つ、民間車を借りられないか、長崎県警の若い男が自分の車を貸してくれた。
それで港港を見て廻った。
靖男は五島列島を見て廻ったが不審な男は見当たらなかった。
地元の駐在にも注意する様指示し漁師達にも協力を頼んだのである。
平戸にも足を伸ばした。
だが彼の足取りらしきものは無い。
「親父さん、出国するのは鳥取辺りじゃないですか」靖男は尋ねた。
「いや、この近辺だろう」「何か根拠はあるんですか?」「勘だよ、勘・・・」
「少し歩くよ、目立つ様にな」と完治は笑って言った。
西彼杵半島を廻り佐世保に戻る途中に西海橋がある。
もう陽もかたむきかけたその時、完治は「おい、停まってくれ」と言った。
そして静かに歩きだした。
その向こうに人影が見える。
「奴だ、間違いない」「どうして判るんですか?」「歩き方に特徴がある」
その男は左肩を少し下げ黒いコートで身を包んでいた。
「お前はここで残ってろ」そう言って尚も歩いて行く。
靖男は無線で緊急の応援を要請した。
男は振り向いてニヤリと笑い「ついに来たか」「今から地獄に送ってやるから親娘の対面でもするんだな」と・・・
完治は「何故殺した、何も罪のない明子を何故・・・」「邪魔だったんだよ、あれこれほじくり出してウザイんだよう」 「俺のやる事にチャチ入れやがって」「まあ後は地獄で聞くんだな」と・・・
轟音が鳴り響いた。
逆光の影の中から閃光が走った。
完治の胸が熱くなった、そして痛みが襲った。
「やめろっ撃つぞ」靖男が銃を構えて立っている。
だが二発目が発射された。
腹部を撃たれて完治は膝から崩れ落ちたのである。
そして三発目・・・同時に靖男の拳銃も火を噴いた。
右肩を撃たれ完治は「うおーぅっ」と彼に突進したのだ。
ブルドーザー完治の破壊力はこれだけの傷を負ってもまだ健在だった。
二人は組み合ったまま西海橋から落ちて行ったのだった。
その時微かではあるが「明子」と声が聞こえた様な気がした。
奇遇では有るがその日、明子の事件の時効成立の日であった。
間もなくパトカーがサイレンを鳴らし到着したのだった。
「ここで落ちたらもう助からんなー」
潮流の早いここ『西海橋』は自殺の名所でもある。
落ちたら最後、一年は浮かんで来ないと言われている。
翌朝から捜索が始まったがやはり駄目であった。
悄然と靖男は千葉に戻った。
それから九ヵ月後二人の死体が浮かんだ。
腐乱してはいても完治の手はしっかりと吾郎の首に巻きついていたと云う。
数ヵ月後。
靖男がひとり、釣りをしてる後ろを初老の婦人が会釈して通り過ぎていった。
夕方完治の墓に行った時、真新しい花が手向けてあった。
住職に聞いたところ「完治さんのゆかりの人かねー 川上さんと云うんだがよく参りに来て涙を流しておられるんだが・・・」との話だそうだった。
ー完ー
『№ 1』 復讐(完治の場合)
「お父さんお父さん!ちょっと来て、あー持って行かれる、早く助けて!」
完治は笑いながら「どれどれ、おーっこれは大きいなー」と娘明子の手から竿を受け取り巧みに魚の動きに合わせてリールを巻き上げて行く。
「これはすごいなー、初めて大物が掛かったんじゃないか」明子の頭を撫でながら笑った。
「晩飯のおかずは鯛ずくしだな」
明子の肩に手をやり並んで帰った。
完治と明子は近所でも評判の仲の良い親子であった。
南房総の片田舎、完治はそこで役場の職員として働く傍ら農業をしていた。
又明子は近くの街で 看護士として一生懸命頑張っている。
完治にとって明子は掌中の玉、眼に入れても痛くない程可愛い娘である。
「お母さんにもあげような」完治はそう言って仏壇の方に眼をやった。
まだ彼の若い頃 同じ職場で知り合って趣味の釣りが縁で意気投合し結婚したのだが・・・
明子が生まれると間もなく他界してしまったのである。
【妊娠中毒症】
妻洋子は自分の娘の顔を見る事無く死んでしまったのだった。
彼は号泣した。
それから明子を洋子の生まれ変わりと思い今日まで生きてきたのである。
明子は初乳も飲む事が出来なかった。
「おぎゃー」と泣き声をあげた時にはもう母の身体は天国の階段を上って行ってしまっていたのだから。
だから抵抗力の無い身体の弱い子供だった。
それからの完治は病院と親戚の様な生活を強いられてきた。
が この娘の為なら、と何時も心にかけ仕事も頑張ってきたのだった。
再婚も薦められたが明子が後々辛い思いをするのではないか、と思い断ってきた。
小学校も高学年となった頃から、太陽の下で走ったり釣りをしたりしたせいか丈夫になり その名の如く明るく元気な娘に育ってきたのである。
そんな明子を見ながら何時も洋子に見せてやりたいと思い暮らしてきたのだった。
年頃になった彼女にプロポーズする男性が現れた。
県警本部に勤める靖男である。
実家が完治の家の近くの好青年である。
が 彼は許さなかった。
明子と離れるのが辛かったのである。
「誰がお前なんかに大事な娘をやれるか!」が返事だった。
だが心の中では許していた。
「いずれお嫁さんになってこの家を出て行くのだ、だったら靖男の様な頼り甲斐のある男がいい」と・・・
明子も少なからず好意を持ってる様子である。
しかしそれは近くに住む『お兄ちゃん』的な感覚であった。
幼少の時から可愛がって貰っていたから 恋人として考えてもいなかったのである。
明子の病院に怪我人が運ばれて来た。
テトラポットから落ちて肩を打ったと云うのだがどうも様子がおかしい。
肩口がザックリと切れており 岩場で起きた傷ではない。
医師は「これは喧嘩でもして出来た傷だな」と小声で言った。
しかし物腰は柔らかで言葉も丁寧だ。
一ヶ月ばかり入院したのだが特別そこまで入院する必要も無かったのである。
その間多くの見舞い客が訪れた。
皆 黒塗りの大きな車だったが 比較的紳士的な人が多かった。
靖男が言うにはその男は大手ゼネコンの千葉建設の社長の御曹司 『川上吾郎』
とかく暴力沙汰の多い男だそうだ。
だが明子に対しては紳士的で優しい男に映ったのだった。
怪我も癒えた吾郎は時々この田舎の病院を訪れ 彼女を誘いドライブをしたり一緒に釣りを楽しんでいた。
完治も又 世間の噂なんていい加減なものだな、と感じて彼の来訪を笑顔で迎えていたのである。
彼も又、若い頃大学のラクビー部に所属していてかなりの悪さをして歩いた。
その経験から吾郎の暴力的な噂も 若気のなせる業 と鷹揚に考えていたのだった。
だが不審に思ってたのは何故都会には しっかりした良い病院があるのに この片田舎の病院に来たのか?
完治に言わせれば「かすり傷程度で一ヶ月も入院したのか?」その疑問を院長であるチョビ禿医師に聞いてみた。
それは医師も同じ疑問点だと言う。
「きっと身を隠さなければならない何かがあったんだろう」と・・・
靖男も又同じ考えで何か胡散臭さを感じて彼の仕事、私生活を洗っている様子であった。
吾郎は日曜日になると必ず来る様になっていた。
そして半年も過ぎた頃、明子にヴィトンのバッグをプレゼントとして持ってきたのである。
分不相応のプレゼントに明子も完治も固辞したのであるが 「都会ではこんなもの普通に持って歩きますよ」との話に一応預かる事にしたのだった。
その後もいろいろブランド物のプレゼントを持って来たのである。
釣りをしてる時、時々見せる冷たい顔が気になった。
「我々庶民とは違って精神的にもきつい仕事をしてるんだろう、だから釣りをしてる時が一番幸せなんじゃないか」とも思ったのである。
一年も過ぎた頃、吾郎は母親を伴ってやって来た。
「ぜひお嬢さんを吾郎の嫁にください」と・・・
完治は「それは娘の気持ち次第でしょう」と答えたのである。
が 彼の心の中では「あの馬鹿野郎が、早く掻っ攫って行けばいいのに」「俺はお前が明子の亭主になる事を望んでいるのに」と 靖男に対して腹を立てていたのだった。
そんな完治の心を知ってか知らずか意外にも明子はその結婚を承諾してしまったのである。
完治は靖男に当り散らした。
靖男は「明ちゃんが幸せになれるならいいじゃありませんか、見守ってやりましょう」と答えたのである。
靖男に取っても辛い選択であったのだろう。
釈然としないまま認めざるを得なくなった完治は『結婚式は一年後』と条件を出した。
此処まで明子が育つのに彼は大きな犠牲を払ってきた。
元々彼は田舎の係長止まりの能力の男ではない。
昇級試験を受ける事を薦められた事も何度かあった。
しかし彼は少しでも明子の傍にいてやりたかったのだ。
家庭を犠牲にしてまで出世しようとは思っていなかった。
何時も心の中心は明子だった。
その為には自分の事は何一つ考えてはいなかったのである。
「出世して高給を取る事だけが人生じゃない、家族をしっかり守って淋しい思いをさせないことが大事なんだ」と・・・
田舎暮らしをしていても県の職員はおろか地方議員でさえ一目置く存在だったのだ。
『№ 2』
何時も明るく「行ってきまーす」と出勤する明子がある日を境に暗い表情に変わった。
声も元気がない。
「どうした?どこか悪いのか?」完治が尋ねると「お父ちゃん、結婚解消してもいいかな」と・・・
「何か有ったのか、何でも言ってごらん」
「あの人怖い、この間偶然聞いちゃったんだけど『あの野郎、海にでも沈めておけ』って電話で話していたんよ」「何か恐ろしい事やってるみたいなの」
完治の勘ではやはり只の男ではないなと思い当たる節があった。
裏の有る男ではないか・・・と感じていたのだったが、思い違いであって欲しいと願っていたのだった。
「いいよ、お父さんが断ってやろう」
「今度会った時私が直接話すから、お父ちゃんごめんね」
完治は靖男に一人で行かせる事に一抹の心配がある旨を伝えた。
何となく虫が知らせたのだった。
靖男は「昼間の千葉市内の喫茶店だから大丈夫でしょう」と言ったが・・・
翌 日曜日に明子は出掛けて行った。
その朝、勤めて元気に振舞って「すぐ帰ってくるからね」と 出掛けて行った。
それが今生の別れになるとは知る由もなく・・・
ものの一時間もした頃から完治は後悔していた。
何故付いて行ってやらなかったのか・・・
愛する娘の大事な事なのに・・・彼女一人では心許ない、と内心思っていたのに。
その夜 待てど暮らせど帰る事は無かった。
彼はすぐ靖男に電話を入れた。
靖男は県警本部の警部補をしている。
彼はすぐ『行方不明』として手配してくれた。
立ち回りそうな所を片っ端から捜べ始めたのである。
完治は「お前がぐずぐずしてるからこんな事になったんだ、何故もっと早く拐って行ってくれなかったんだ」と 八つ当たりをしたのであった。
筋違いとは解っていても言わずにいられなかったのだ。
「奴はどうした、明子に会ったんだろう、それからどうしたんだ!」
靖男は「それがねー前日(土曜日)の夜、成田で傷害事件を起こして今現在も取り調べ中なんだ」「会ってはいない と云うより物理的に会う事は不可能なんだ」と・・・
「ではどうして帰って来ない?!」完治の頭は混乱していた。
何か裏がある、明子は誰にも恨まれる娘ではない、半狂乱になった完治はすぐ吾郎の家に赴いたのだが・・・
何の手掛かりも無く悄然と帰ったのであった。
靖男の調べた所 待ち合わせの喫茶店で携帯電話があり 間もなく若い男が迎えに来て一緒に出て行ったと云う事だった。
それからの足取りがプツリと切れてしまっている と云う事だった。
まんじりとした夜を過ごした。
火曜日の昼過ぎ、横浜の埠頭に絞殺死体が浮かんだ。
「嘘だろう」「何故明子が・・・」変わり果てた姿に変わった娘を見るなり彼は慟哭した。
県警本部でも殺人事件として捜査を始めた。
間もなく吾郎は釈放されたのである。
被害者と示談が成立したと云う事で・・・
彼はいろいろ思い出していた。
明子の言葉の中に何か今度の事件に関係のあるヒントは無いか?
どんな小さな事柄でもいい。
戻って来ない明子の為に犯人をこの手で殺してやりたい と・・・
靖男も又怒りに燃えていた。
その為に私情が入ってはいけないと捜査から外されたのである。
手掛かりは喫茶店から明子を連れ出した男だけである。
ウエイトレスにその男の特徴を聞いたが左耳に幾つもピアスをつけている といった事位である。
マスターは指の太さ、指輪からその辺りに勤めているホストではないか、とも言った。
完治は千葉周辺のホストクラブを片っ端から当たった。
が 彼らの口は堅く なかなか思う様な情報を得る事は出来なかった。
捜査から外された靖男も又自分の有給休暇を使い別のルートから調べていたのだ。
今まで休みらしい休みを取らなかった靖男には有給休暇が余る程有った。
彼は今でも明子を愛していたのであった。
そして耳寄りな情報を手に入れた。
吾郎には全く別の顔を持っていたのである。
『出資法違反』彼は法外な利息で金を貸していたのだ。
看板は【多重債務者救済センター】人の弱みを突いた巧みな商売、実態は闇の金融業として・・・
多くのたちの悪い連中を使い取り立ても厳しく・・・
その為に自殺者まで出していると云う・・・
「何故こんなのが法の網に掛からなかったんだろう」靖男は法の不備を嘆いた。
別件ではあるがそこから何か明子の死に繋がるものが出て来ないかと靖男は考えたのだが、上層部から「待った」がかかったのである。
これはもっと大きなヤマが隠されているな と靖男は思った。
調べて行くうちにおかしな話を聞いたのである。
その金融会社では多重債務者を多く扱っている。
そしてそのうちの何名かが行方不明になっているのだ。
夜逃げしたにしては不自然なところも有る。
その行方を眩ました債務者のほとんどが若い男女である事。
そして至って健康であった事など・・・
「何処へ消えたんだ??」靖男は彼の周辺の男達を調べる事にした。
あくまで休暇中 非番の捜査である。
職権で調べる訳には行かない、個人の捜査の難しさを痛感してた。
完治も又粘り強く聞き込みに廻っていた。
そしてある居酒屋で思わぬ情報を耳にしたのだった。
耳にピアスをした男達が、とあるクラブで働いている との事である。
そして闇金の追い込みを副業としていると云う。
靖男の追いかけている事柄と一致すれば必ず明子の死に繋がってくる。
完治と靖男はそのホストクラブで夜明け近くまで張り込んだのであった。
三日後の夜その男は現れた。
早速明子をどうやって連れ出したか、又依頼したのは誰か聞き出そうとしたのだが知らぬ存ぜんの一点張り。
業を煮やした完治はその男を車に乗せ明子が浮かんでた埠頭に走らせた。
そこで詳しい話を聞こうとしたのだが・・・一発の銃声と共にその男は倒れこんだのである。
黒い乗用車がライトも点けずに走り去った。
「裏切ったな」苦しい息の下から「全ては吾郎に聞け」と・・・
病院に搬送中にその男は息を引き取った。
完治は辞表を提出した。
もうこれ以上は休みながら捜索するのは無理だ、と感じたからである。
「明子在っての俺だ」「何としてでも仇は取ってやる」決意の表れであった。
『№ 3』
「完さん、今年も走るのかい?」「おう、走らんでかい」
「堪らんなーあの勢いで走られたんじゃ誰も付いて行けん」
皆が驚く程のスタミナとスピードである。
運動会で親子競争がある。
親子が手をつないで走るのであるが、負けそうになると決まって明子の身体をヒョイと肩に乗せ韋駄天の如く走るのであった。
何時もダントツの一番・・・それもそうである。
大学時代のあだ名が【ブルドーザー】
二人三人のタックルを引きずってもトライを決める。
全日本にも選ばれた。
将来を嘱望されながら何を思ったか、田舎の役場の職員になってしまった。
何より郷土が好きであったのだ、そして釣りが・・・
そして洋子に出会ったのである。
彼は妻を心から愛した。
が しかし今その生き甲斐の全てを失ってしまったのだ。
彼の怒りは尋常では無かった、復讐に人生の全てを賭けた。
必ずこの手で犯人を葬ってやる。
凄まじい執念であった。
だが捜査の方は遅々として進まずいくつかの秋を迎えた。
明子の事件も捜査本部が解散される事になった。
専従捜査をするのはベテラン刑事の『志村久雄』一人が当たるだけとなってしまった。
そして靖男は本部長に呼ばれた。
「君はこのヤマをやりたがっていたな、志村君と一緒に解決に当たってくれ、私情を入れないで出来るか?」
靖男は明子の弔い合戦の時が来たな と喜んだ。
続けて本部長は「どでかいヤマだぞ、どうも政治家も絡んでいる様だ 間違えば首が飛ぶかもしれないぞ、くれぐれも気を付けて当たってくれ」と・・・
「ところでブルさん元気でやってるかい?」「エッ?」靖男には一瞬何の事かよく飲み込めなかった。
「完さんだよ、知らないのか 俺達も随分泣かされた、あの突進を受けられる者は誰も居なかった」「天下のフォワードだよ、勿論お前たちの年代では知らないかもしれないだろうけどな」「学校が一緒ならもっと楽出来たのにな」と本部長は笑った。
志村刑事は捜査畑一本で来た男だ。
【落としのシムさん】と呼ばれている程取調べの上手な男だった。
彼とこれまでの捜査のすり合わせをする事になった。
そこで解った事は吾郎は本当の実権を持った社長ではない。
黒幕は他に居る。
そして千葉建設に出入りしている東南アジア系の男達 彼等は絶対堅気ではない。
観光ビザで入って来てるが10日ばかりで帰ってゆく。
別に観光する訳でも無く、その時には時々民自党の秘書も顔を出す場合もある。
明子は何かその秘密を知ってしまったのであろう と・・・
そして「完さんには絶対に言うなよ」「あの男なら直接乗り込んで行くだろう、そうしたら隠密に調べた事が全部無駄になる」と。
その頃 完治はあるホストと知り合った。
彼は多くの借金を背負って自分の彼女を吾郎に取り上げられた。
そして一年程して帰って来たのだが腹部に大きな傷跡が残っていたと云う。
今までと違い青白い顔をして過去を何も語ろうとしない。
何かが有る、彼は直感でそう感じたが心を閉ざした彼女に直接会う事を躊躇った。
そのホストも何かを知っている様子だが ふと漏らした愚痴が完治の耳に飛び込んで来たのである。
彼は靖男と志村に相談した。
ここまで来たらお互い知ってる事を話す必要があろう と判断した志村は独断で行動しない事を条件に完治に話し始めたのである。
このヤマは東南アジアの何処かが関係してる。
ボスは千葉建設の誰かでは無いだろう、きっと外国のマフィアが関係してる。
又、政治家の一部も咬んでるに違いない。
明子さんはその重要なところを知ってしまったんだろう] と・・・
完治は努めて冷静になろうと思ったが、何の罪もない娘への無念さを思えば余計怒りが込み上げてきたのであった。
『№ 4』
さて東南アジアと云っても広い。
何処かに手掛かりは無いか?
靖男はそのホストと彼女を任意で取り調べる事にした。
だが頑として口を割らない。
時間はどんどん経つばかりであった。
そして「お前ら俺たちの命を一生守ってくれるのか!」「ここへ来るのも命がけなんだぞ」と・・・
尚更この事件の裏には大きな力が働いている事を思い知らされた。
が しかし彼女が一年留守にして傷跡を作った事により借金がチャラになった事だけは確かだ。
手掛かりは東南アジアにある、必ず何か解るだろう。
志村は上司に出張させてくれる様頼み込んだ。
しかし許可は降りなかった。
「もし何も出なかったら公費の無駄使いだぞ」との理由で・・・
靖男は自費でも行く事を考えていた。
完治も同じだった。
だが闇雲に行ったところでどうにも成らない。
場所が特定出来なければ・・・
焦る気持ちを抑え吾郎の身辺を見張ったのである。
そんな時ホストの彼女が倒れた。
救急車で搬送されたのを知り志村が駆けつけた。
医師は「これは腎臓摘出の跡がありますねー」と・・・
やっと彼女は重い口を開いた。
「たまには海外旅行でもして来いや」吾郎の一言で中国人に引き渡され横浜から船に乗り中国に渡ったそうだ。
そこから又違う国籍不明の男とフィリピンへ・・・
着いた先は大きな病院であったそうだ。
そこには日本人も沢山居て非常に大切に扱われたと云う。
外出も自由だった様である。
いろんな検査を受けその後全身麻酔で眠らされ気が付いた時に腹部に激痛が走ったそうだ。
後は傷の癒えるまで病院の一角にあるコンドミディアムで療養して又コンテナ船に乗り帰国したと、話したのである。
自分がどういう状況下に置かれているのかも解っていなかったのだった。
「もう一度吾郎を引っ張るか」靖男は考えた。
志村もそれを考えていたがその難しさも又考えていたのである。
「シラを切られたらどうする、物的証拠がある訳じゃなし」
その晩、入院中のホストの彼女が死んだ。
屋上から飛び降り自殺と云う事だったが彼女のベッドからも彼女自身からも強いクロロフォルムの匂いがしたのである。
志村は「警察病院に移して置くべきだった」と悔やんだが後の祭りであった。
かのホストは「下手にちょっかいを出すからだ、俺まで殺す気か!だから警察は嫌いなんだ」と 怒りをあらわにしてもう口を閉ざして何も云おうとはしない。
ホストの彼女『鈴木京子』殺人捜査本部が設置されたが全ては明子の死から始まった事を警察内部では誰でも知っていた。
それだけに刑事達皆は力が入っていたが難しさも又解っていたのだ。
警察の威信を賭けた戦いが始まったのである。
その頃完治はフィリピン行きを決意していた。
明子の死に関わる何かを掴むまでは帰らない覚悟で。
今度は靖男も同道する事になった。
上司もここに来てその必要性を認識して許可を出したのである。
完治は先祖代々守り続けてきた田畑を売り払った。
退職金もまだ手を付けて無かったがどれだけ海外で金が掛かるか解らない。
それに田畑を続ける時間も余裕も無かったからである。
そんな時 昔のラガーメン達が集まってくれた。
皆「完さん、フィリピンも危険な所らしいぞ、生きて帰って来いよ」「絶対死ぬな」と・・・
皆 たくさんのカンパをしてくれた。
「おい、まるで出征兵士みたいだなー」と完治、嬉しかった、涙が止まらなかった。
そして靖男と共に旅立って行ったのである。
マニラに着いてまず気が付いたのは、治安の悪さに加えて貧富の差の大きい事であった。
日本では食べられないと云っても どんな仕事でも我慢して働く気になれば何とか食べて行ける。
しかしここでは一握りの財閥、そこで働く者たち以外は全く仕事に就く事が出来ない。
だから海外に働きに出るのも仕方が無い事である。
日本にも多くのフィリピーナーが来ている。
完治は納得しながらガイドの声に耳を傾けた。
ガイドは元日本で働いた経験がある【ア、チョン】と云う男だ。
人の良さそうな男だが 実は金の為なら何でもやる命知らずの男であった。
まず北部の病院の多い地区を見て歩いたのである。
まさに病院銀座といった所だ。
その中にコンドミディアムもある。
何でも諸外国ではドナーツアーなるものも有るそうだ。
観光を兼ねやって来てコンドミニアムで優雅な休暇を楽しみながらドナーを待って居るという。
そこに又、各国からドナーが来るのだ。
何でも日本人の臓器は特に高値で売られるそうな。
食糧事情の良い日本人達の臓器は至って健康でそれ自体の痛みが少ない。
フィリピンの現地法人、日本人の経営、資本の多くは中国系、日本企業もその中に有ると云う。
日本からは多重債務者の多くが送られて来るとの話である。
完治は慄然とした。
こんな社会があったのか・・・と・・・
又 中には自分から進んで就業ビザで入国し 臓器を提供し体調の戻るまで滞在し一儲けして帰る日本女性も居ると云う。
ケロリとして「需要と供給の社会よ、人助けをして金が稼げる、こんないい事無いよね」と・・・
日本では臓器売買は禁止されている。
しかし彼女達の言い分にも納得できる部分もある、法の盲点を突いたビジネスである。
完治と靖男はその夜ミーティングした。
何処から手を付けるか・・・
志村に電話で報告しながら「これは大変な作業だぞ」と思ったのである。
明子は何を何処まで知って殺されたのか この状況の何処まで知ったのか・・・
黒幕は誰だ・・・
そうした時靖男は「父親が肝臓を患っている、何とかならないかと下見に来たのだが」と 日本人経営の病院勤務の看護士に聞いた。
最初口は堅かったが彼女はFMホスピタルの看護士に連絡してアポを取り付けてくれたのである。
FMホスピタルは日本企業資本、医師も日本人が多く働いている所であった。
完治は何かが解る事を期待してその時を待ったのである。
意外にもその看護士は医師と一緒にやって来た。
そして「肝臓の場合は脳死状態のドナーが現れない事には出来ない事、しかしこちらに来て二三ヶ月も待てば可能である」と事も無げに話したのである。
欧米諸国では観光と移植手術とセットでのツアーがコーディネーターの手で公然と行われていると云う。
日本では禁止されている臓器売買が公然と行われているのだ。
医師は言った「大体日本はおかしいよ、需要と供給がある限りこの職業は無くならない」と・・・靖男も完治も言葉を失った。
それ以上は聞く事が出来なかったがひとつの収穫があった事は確かである。
そして日本資本の病院のひとつが千葉建設が関わっていると云う事も。
しかし一企業がそこまで考えられるか?
その陰で政治家の力が働いているのではないのか?
厚生省か、外務省か・・・そのどちらかに関係した議員の影がちらつく。
要するに吾郎達はその実働部隊なのだ。
明子は吾郎の何を見たのか、聞いたのか?
取り合えず日本に帰ってからだ。
完治はもう一度明子の持ち物から調べ直す事にした。
何か見落としてはいないか と・・・
明子の机の奥からキティちゃんの表紙の日記帳が出てきた。
幸せな結婚生活の夢が躍ってた。
胸が熱くなりながら活字をなどった。
ある日から空白のページが続いてた、それは明子が沈んだ表情をする様になった時期と一致している。
パラパラとページをめくる。
するとどうであろう。
「あの人があんな乱暴な人だったとは、悲しい 私はどうしたら良いのか?」で始まる文字が並んでる。
彼女の手記を要約すれば偶然彼が中年の男に暴行を加えていたのを見てしまった事から始まる。
その時「何日までに耳を揃えて持って来い、金が返せなければ自分の娘を連れて来い」と・・・
明子は尋ねた「どうしたの?あの人、血を流して謝っていたのに、何故あんな可哀想な事するの?」
「何でもない、お前が心配する様な事ではない ビジネスだよ、ビジネスだ」「こちらが親切にしてやってるのに約束を守らないから少しきつく言っただけだ」冷たい顔だったそうだ。
何時もあんなに優しいのに、この人はどう云う人なんだろう?
不信感が芽生えた。
そして電話で「あいつは捕まえて送れ」とか「徹底的に追い込みをかけろ」等と指示を出してる。
「それでは福山先生に申し訳が立たん、早くしろ!」と不快な顔で部下を叱り付ける。
明子は婚約解消を決意した時の手記であった。
一体福山とは何者なんだ?
完治は靖男と志村に日記帳を見せる事にした。
志村は「うーん」と言って眼を閉じた、そして「物証(物的証拠)が欲しいなー 状況は『真っ黒け』でも物証が無ければなー」と・・・靖男は徹底的に多重債務者を探せば必ずこの事件の解決は出来ると云う。
だが完治は明子を殺した相手だけが知りたかったのである。
が 全てがリンクしている。
友達とは嬉しいものだ。
ラガーメンの多くがいろんな所で聞き回ってくれている。
その中に金融会社に勤めている佐藤と云う男が居た。
彼はブラックリスト(多重債務者)を洗ってその書類を持って来てくれた。
さて、ここから吾郎の所から金を借りている人物を探し出さなければならない。
それを基に捜査本部が動いた。
そして検察も政治資金で不自然なものが有るかどうか調べ始めたのである。
千葉建設からの献金を受け取っている者が数名浮かんできたが 現金で受け取って居る者はまず帳簿に載せないであろう。
しかし頻繁に会って会食等してる秘書が数名浮かんできたのである。
検察はそれをマークして現金授受の事実があったかどうか調べ始めた。
完治達はブラリスの人物を追った。
そこで思い掛けない事実が浮かんできたのだ。
数名の行方不明者がいる。
考えられるのはコンテナ船で密航させられ フィリピンの何処かの病院でバラバラにされ臓器を取られ死んだのではないか・・・と云う事ではないか?
コンテナ船は何処の海運会社だ?
知ってて密航の手伝いをしたのか?
分らない事が一杯ある。
「これは縺れた糸を解す様に根気良くやらなきゃならないな」完治はそう思った。
『№ 5』
吾郎は敵の多い男だった。
普通は金融関係の者達は横の連絡もかなり有る。
が しかし彼にはそうした関係の者は皆無と言っていい程いない。
それはあまりにもあこぎなやり方で他の業者からも疎まれていたのである。
そして政治家との繋がりが特に強い様だ。
完治は自責の念に駆られたのだった。
自分がもう少し交際中から注意してやっていれば悲しい思いをさせないで済んだのに・・・
自分が明子を殺したんではないのか・・・
その晩、完治は船橋の酒場でしたたかに呑んだ。
そして表に出たところで若い男達に囲まれたのである。
「おっさん金貸してくれんか」「何故貸す理由がある、お前らに貸す金など一銭も持っておらん」「命が欲しくないのか?貸せよ おらー」とバタフライナイフをちらつかせた。
「腎臓ひとつ取れば何百万も手に入るんだぜ、ひとつくれや」途端に完治は切れた。
こいつら何か知ってるんではないか・・・
そう思った完治にはもうブレーキは利かなかった。
ナイフをちらつかせていた男を蹴り倒し、殴りかかる相手を次々と倒してゆく。
後の連中は蜘蛛の子を散らす様に逃げていった。
騒ぎを聞きつけた警官が飛んで来たのは間もなくであったが 完治も又同行させられたのである。
すぐ靖男が駆けつけた。
事の顛末を話し若い連中の取調べが始まった。
しかし吾郎に繋がる筋の事は何も出て来なかった、が吾郎の配下の者だと云う二三名の名前を上げ 「奴らなら知ってるだろう」と話したのである。
完治の被害も無かった事から恐喝未遂の書類送検、と言うことで彼等の身柄は身元引き受けに来たファイナンス会社の男が引取って行った。
その吾郎の配下の男 牟田は表向きは無職、クラブのママに食わせて貰ってる 何処かの暖簾をくぐった男であった。
舎弟には例の埠頭で殺されたピアスの男も居たと分ったのである。
「一応任意で引っ張ってみるか」志村は決断した。
だが肝心の牟田は三日前から行方を眩ましていたのだった。
心当たりの所の何処を当たっても手掛かりはない。
「又しても先を越されたか」歯軋りして志村は悔しがった。
しかし牟田の失踪は組員でも知らなかった。
「これは事件とは関係無い何かがある」志村の勘は鋭かったが・・・
ようとして行方は解らないまま時は過ぎていった。
一方検察では民自党の大物議員の公設秘書に 福山某なる人物が千葉建設とのつながりが有る事まで突き止めていたのである。
一歩先を越された感がある捜査本部も焦りを隠し切れないでいた。
完治も又あまりにも手の内を読まれ過ぎている様な錯覚に襲われ警察内部にスパイでも居る様な気持ちにさえなって来ていたのだった。
そんな時 牟田の死体が見つかった、千葉 大多喜山中の雑木林の中で・・・
又ひとつプツリと糸が切れた。
「あらっ、あの人逝っちゃったの ふーん、あの人がねー」煙草の煙をはきながらクラグにママ(紀美代)は人事の様にそう言ったのだった。
何かサバサバした感じに不思議な違和感を感じた靖男は『紀美代の周辺も洗ってみる必要があるな』と思った。
五日、十日、十五日・・・徒に時は流れてゆく・・・
紀美代は華やかな笑顔で何事も無かった様に仕事している。
女の強さ と云うかしたたかさを感じ靖男は恐ろしくもあった。
『№ 6』
完治は何度も日記を読み返した。
そして暮れてゆく夕日を眺め遠い日を思い出していた。
「チョビ禿先生、助けてくれ!」何度か真夜中に病院に駆け込んだ。
背中の小さな命の火が消えかけた時もあった。
「お父ちゃん、助けて!」「こらっこの悪ガキ共がっ!明子を苛める奴は承知しないぞ!」
近所に住む中学生 靖男に「俺の居ない時には守ってやってくれ」と頼んだ。
明子は靖男によくなついた。
靖男も明子が可愛くて堪らない様子だった。
やがて健康で活発になった明子は靖男を誘い完治と釣り糸をたれる様になったのだ。
靖男が大学に行く様になった時明子は「お兄ちゃん 休みになったらきっと帰ってくるよね」と、何度も繰り返して聞いていた。
「大きくなったらチョビ禿先生みたいにお医者さんになろうかな」「だって大勢の人の為になれるんだもん」「それにはもっと勉強しなきゃいけないな」と、完治・・・
そのうち希望は看護婦(士)に変わっていった。
「何故看護婦なんだ?」「だってチョビ禿先生は指示するだけで患者さんを直接手当てしてるのは看護婦さんでしょう」
そして高校卒業後に見習い看護士としてチョビ禿先生のところで働く様になったのである
そして准看護士となった後もチョビ禿先生のところに世話になってた。
だからチョビ禿も又我が娘の様に可愛がってくれてた。
地域の皆も「明ちゃん明ちゃん」と親しくしてくれていたのに・・・
「明子・・・」と小さく呼んでみる。
夕日が滲んで沈んでいった。
張り込んでから二十日、吾郎が店に入って行った。
客をよそわせて連れの刑事を店に入れた靖男は外でその刑事の出て来るのを待ったのであった。
靖男は面が割れてるので出て行く訳にはゆかなかったのである。
だがなかなか出て来ない。
ジリジリとして待った。
待つ事一時間 驚くべき情報が手に入ったのである。
水割り一杯注文してそれとなく紀美代を探しても何処にもいない。
「あれっママさんは?」気の良さそうなホステスが「知り合いなの?」と近ずいてきた。
「駄目よママには恋人が居るんだからちょっかい出すと怖いわよ」
ホステスの話によれば紀美代と吾郎は以前から一線を越えた間柄である事。
「何時殺るか」等と 人殺しの相談してたようである。
それ以上聞けば怪しまれると思い出て来たそうだ。
そのホステスとは何時でもアポが取れる様に携帯(勿論私物の方の)の番号交換してきたと言う。
店で聞けない何かが聞ける可能性がある。
海外出張の長い商社勤務のラガーメン村下がチャイニーズマフィアのボスと知り合ったと言ってきた。
それとなく聞いてみた結果「F代議士とは面識あるよ、福山も一緒ね」と言ったそうだ。
これでF議員、福山、千葉建設川上社長そして闇金融会社吾郎が一本の糸で繋がった事になる。
「物証が欲しい」志村は頭を抱え込んだ。
しかしマフィアの証言は日本の司法で取り上げられるのだろうか?
又、証言してくれる可能性はあるのか?
おそらくしないであろう。
ここまで判っていながらどうする事も出来ない、苛立ちが募る。
かのホステスはよく喋る、店ではなかなか用心深く口に鍵を掛けているが 他の町のレストランでは実によく観察していた様に話してくれた。
紀美代と吾郎との仲は遥か以前から関係があった様だ。
そして牟田と吾郎は仕事上のパートナーであり汚れた仕事は牟田が一手に引き受けていたと云う。
だが紀美代を巡って二人は対立していた。
紀美代は吾郎の方が好きである事等。
又、紀美代は肌身離さず持っている手帳が有るそうだ。
それが有る限り自分が一番優位に立てると思っていると云う。
それから暫くして紀美代と吾郎は同棲生活を送る様になったそうだ。
明子が亡くなってから12年が経った。
遂に完治は行動を起こしたのである。
靖男も捜査本部も、勿論検察も無視して・・・
店が閉まると同時に紀美代を襲ったのだ。
そして完治の姿も消えた。
紀美代は救急車で運ばれたが軽い腹部の打撲だった。
靖男も志村も「早まった事を・・・」と呟いたが完治の気持ちも良く解ってた。
時効が迫ってきている、焦る気持ちもよく解る。
紀美代は被害届けは出さなくてもいいと言う。
盗られた物も何も無い、と・・・
これも何か不自然である、何か一連の事件の核心部分を握り隠している様子である。
志村は「叩いてみる必要があるな」と靖男に言ったのである。
紀美代が襲われたと判ると吾郎も又姿を消したのである。
それから三日後新潟消印の封書が捜査本部宛に送られてきた。
セピア色の分厚い手帳だった。
差出人は完治だ。
本部で分析を始めたのだがそれには事件にまつわる全ての事が事細やかに書かれていたのである。
検察も強制捜査に乗り出した。
空港は勿論港と云う港には戒厳令が敷かれた様にチェックが厳しくなったのである。
福山秘書は勿論私設秘書数名も、千葉建設の社長川上弥三郎他幹部達にも出頭要請が出た。
家宅捜索も会社は当然私宅も議員宿舎も行われたのであった。
と 同時に完治と吾郎の行方も追われた。
全警察の威信を賭けた戦いである。
靖男は海外逃亡出来るところを地図を見ながらチェックしていたのである。
手帳には吾郎の事業を始めた時からの全貌が書かれていた。
慄然とする内容である。
700人を超える多重債務者の氏名年齢住所も記されている。
外国に密航させられたと思われる者は悠に50人を超えていた。
そして帰って来ない者が8人・・・
その手帳を見せられた紀美代は観念した様にボツリボツリと話し始めたのだ。
紀美代は吾郎が明子を知る前から関係があった。
自分が妻の座に納まるはずであったのが吾郎の母親との折り合いが悪く、母親の意向で明子との婚約が成立してしまった。
しかし明子は潔癖な娘である。
次々と吾郎の(社会的に)してはいけない事を知る度 疑問をぶっつけ注意を促したのである。
疎ましくなった吾郎は明子を殺す事を思いついた。
「生かして置けば必ず自分の身の破滅を齎す」と判断した結果である。
そこで一芝居を打ったと云う訳だ。
自分のアリバイ作りに暴力沙汰を起こし殺しは牟田に依頼したのであった。
又 紀美代は吾郎と一緒になる為には牟田は邪魔な存在である。
それを吾郎に引き受けさせた。
そこまでは筋書き通りだが思わぬ落とし穴があったのである。
それが臓器売買の裏事業まで表に出てしまった事だった。
「みんなあの女のせいだ」吾郎は舌打ちしながら呟いた。
海外に逃げる前に親父(完治)を血祭りにしてやる、と・・・
検察の押収物からは次々と裏の献金の実態が明るみに出てきた。
マスコミも連日そのニュースを喧伝したのである。
しかし秘書は何も語ろうとしない。
証拠を突きつけられても「記憶には無い」と・・・
又、川上もしたたかな男であった。
が 千葉建設の専務は、志村の「お前にも家族があるだろう、これから何年も後ろ指差されて暮らす事になるぞ」「お前の子供がドナーにされたらどうする?」
「まして海に沈められたらどうなるかな?」世間話をしながらしみじみと語って「早く楽になったらどうだ」と・・・
落ちた。
専務は全て自分の知ってる限りを話し始めたのである。
一方完治は敦賀、舞鶴、二本松から靖男に電話してきた。
「すぐ帰る様に」と説得したが無駄であった。
又、吾郎も時々完治を挑発する様な電話をかけて来る。
「今 何処何処に居る、待ってるぞ」と・・・
そして宿で拳銃の銃身を磨いていたのである。
完治がそこに向かうと もう他の場所に移動した後だった。
全国に指名手配されてても、それをあざ笑うように・・・
追う者 追われる者、どちらがどうなのか判らぬ様な追跡劇であった。
お互い何処に居るのか解らないがすぐ近くで見張られている様に完治は感じた。
又 吾郎も同じ気持ちで居場所を転々と変えたのである。
『№ 7』
その頃、田舎の駅で道を尋ねている初老の婦人がいた。
そして明子の墓に花を手向けさめざめと涙を流し「明子ちゃん、ごめんね」と・・・
吾郎の母であった。
母親智子は中堅の建築会社の長女として生まれた。
それ程不自由も無く成長し暮らしてきたのだが 父親の薦める縁談に何の抵抗もなく受け入れ、結婚したのである。
だが夫 弥三郎は家庭を返りみる事無く事業展開を見せ、ここまで大きな企業にのし上げたのである。
愛人も作った、その女性を市役所職員に差し出し役所工事の受注を勝ち取った。
そして政治家に近ずき大工事の入札工事にも進出して現在に至ったのである。
智子は表向きの事は何も知らなかった。
只家庭を守り趣味の踊り、観劇に明け暮れていたのであった。
吾郎が「好きな子がいる」と言った時自分の目で確かめたいと思って此処に来たのである。
何と素敵なお嬢さんだろう、明るくて素直な 若鮎の様に活発な、今時こんなお嬢さんが居ることは考えてもみなかった。
即座に吾郎の妻にと考えたのである。
しかし吾郎には水商売の女性(泥水を何の抵抗も無く飲める女)の方が合っていた。
自責の念が智子を襲った。
取り返しの無い事をしてしまったと・・・
自然に足が此処に導いてきたのである。
初めて家にやって来た時「素敵なお宅ですね、でもちょっと淋しそう」「そうだ、お母さん花を植えましょう」
土いじり等した事のない智子は明子に促され庭にたくさんの花を植えた。
そして塀に沿って雪柳をめぐらせた。
今年の春も白い小さな花が一面に咲いた。
もう背丈程に育った が 一緒に眺めるはずの明子はそこには居ない。
智子は辛くて堪らなかったのだ。
志村は全国警察本部と連携して吾郎の行方を追っていた。
日本地図を眺め山陰地方、特に海岸沿いの警察に激を飛ばした。
そして福岡県警、長崎を睨んで「ここまで来るかな」と靖男に言った。
そこまでが中国を目指す限界だろう・・・と。
皆生から完治の電話が入った。
「臭い、この辺りで向こうに見られている様な気がする」と・・・
「靖男、完さんに合流しろ!責任は俺が取る」
そして志村は福岡に飛んだ。
靖男は山口県須佐町で合流した。
一方検察の調べでは旧悪がボロボロ出てくる。
もう時間の問題だな と思われたその時建設のドン、代議士のFが倒れた。
脳卒中だと云う。
最初は三味線じゃないかと疑われたがどうも本当らしい。
それから一週間後Fの死が新聞紙面を賑わせたのである。
福山は「全ては先生の指示でやりました」と自白した。
何処まで本当か嘘なのか、死人に口無しで幕引きとなったのだが・・・
千葉建設川上弥三郎には多くの罪状と 殺されたと思われる多重債務者の家族から損害賠償訴訟が起こされたのである。
実質的に倒産の憂き目にあったのだ。
智子は一度に歳を取った。
新聞もテレビも見なくなった、大きな家はまさに空き家の様な状態になってしまったのだった。
完治は吾郎の電話に翻弄され続けていた、が 「必ず俺の前に姿を現す」と信じて追い続けていた。
吾郎も又 新聞、テレビでニュースを知り完治への怒りをあらわにし、殺しの執念を燃やし続けたのである。
逃亡はチャイニーズマフィアが必ず助けてくれると信じて。
「奴らにはそれだけの金も渡してある」「今までも随分儲けさせてきた」と・・・
佐世保まで行けば船が待ってるはずである。
突然完治の電話に下関から吾郎の声が届いた。
笑いながら「関門橋に来い」と・・・
急ぎ駆け付けたが彼はいない。
今度は指宿から・・・
靖男は「もっと捜査範囲を広げろ」と激を飛ばした。
「奴は必ず日本海の何処かから脱出する」完治もそう思ってた。
中国船籍とは限らない、どこだ・・・
何もコンテナ船でなくとも良い、小さな港からでも出航出来る。
「だが必ずその前に俺を狙って来るだろう」
彼は長崎で待つ事にした。
そして次の電話が掛かってきた時「長崎で待ってるぞ」と答えたのであった。
「本当に来るのかな?親父さん、甘いんとちがいますか」靖男はそう言ったが完治は「来る、必ず俺を狙ってくる」と・・・
『№ 8』
明子の事件の時効は10日を切った。
だが完治には時効など関係無かった。
あくまで仇を取ってやりたかったのだ。
ここで攻守は逆転したのである。
パトカーでは目立つ、民間車を借りられないか、長崎県警の若い男が自分の車を貸してくれた。
それで港港を見て廻った。
靖男は五島列島を見て廻ったが不審な男は見当たらなかった。
地元の駐在にも注意する様指示し漁師達にも協力を頼んだのである。
平戸にも足を伸ばした。
だが彼の足取りらしきものは無い。
「親父さん、出国するのは鳥取辺りじゃないですか」靖男は尋ねた。
「いや、この近辺だろう」「何か根拠はあるんですか?」「勘だよ、勘・・・」
「少し歩くよ、目立つ様にな」と完治は笑って言った。
西彼杵半島を廻り佐世保に戻る途中に西海橋がある。
もう陽もかたむきかけたその時、完治は「おい、停まってくれ」と言った。
そして静かに歩きだした。
その向こうに人影が見える。
「奴だ、間違いない」「どうして判るんですか?」「歩き方に特徴がある」
その男は左肩を少し下げ黒いコートで身を包んでいた。
「お前はここで残ってろ」そう言って尚も歩いて行く。
靖男は無線で緊急の応援を要請した。
男は振り向いてニヤリと笑い「ついに来たか」「今から地獄に送ってやるから親娘の対面でもするんだな」と・・・
完治は「何故殺した、何も罪のない明子を何故・・・」「邪魔だったんだよ、あれこれほじくり出してウザイんだよう」 「俺のやる事にチャチ入れやがって」「まあ後は地獄で聞くんだな」と・・・
轟音が鳴り響いた。
逆光の影の中から閃光が走った。
完治の胸が熱くなった、そして痛みが襲った。
「やめろっ撃つぞ」靖男が銃を構えて立っている。
だが二発目が発射された。
腹部を撃たれて完治は膝から崩れ落ちたのである。
そして三発目・・・同時に靖男の拳銃も火を噴いた。
右肩を撃たれ完治は「うおーぅっ」と彼に突進したのだ。
ブルドーザー完治の破壊力はこれだけの傷を負ってもまだ健在だった。
二人は組み合ったまま西海橋から落ちて行ったのだった。
その時微かではあるが「明子」と声が聞こえた様な気がした。
奇遇では有るがその日、明子の事件の時効成立の日であった。
間もなくパトカーがサイレンを鳴らし到着したのだった。
「ここで落ちたらもう助からんなー」
潮流の早いここ『西海橋』は自殺の名所でもある。
落ちたら最後、一年は浮かんで来ないと言われている。
翌朝から捜索が始まったがやはり駄目であった。
悄然と靖男は千葉に戻った。
それから九ヵ月後二人の死体が浮かんだ。
腐乱してはいても完治の手はしっかりと吾郎の首に巻きついていたと云う。
数ヵ月後。
靖男がひとり、釣りをしてる後ろを初老の婦人が会釈して通り過ぎていった。
夕方完治の墓に行った時、真新しい花が手向けてあった。
住職に聞いたところ「完治さんのゆかりの人かねー 川上さんと云うんだがよく参りに来て涙を流しておられるんだが・・・」との話だそうだった。
ー完ー