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少年時代3

岡崎さんは酒癖が悪い。
酔うとすぐ喧嘩をする。
私はなだめるのに必死だった。
良く殴られた。 相手は行き掛かりの住人である。
私は強くならねば・・・と思った。
そして講道館の門をくぐった。時の城主である『三船十蔵』先生に頭を下げた。
祖s手私の柔道人生は始まった。先生は私に「常盤台の家に遊びに来るように・・・」と言われた。私の直接の師匠は醍醐六段だった。
先生は師匠仕込みの立ちい振る舞いは厳しかった。
だがそこで食った ぜんざいの味は忘れられない。鏡開きのその日は忘れられない。私は13人抜きをして2段を取った。
もう恐れる者はいなかった。岡崎さんは相変わらず暴れまわっていた。
ある時は壁をぶち壊し、刃物を持って会社に殴り込みをかけたり・・・
その尻拭いは私の役目だった。
私はそんな私自身に腹がッ立った。
だが黒田さんの御婆ちゃんには良くして貰った事がそうした我慢を和ませた。
その年二月の夕方頃・・・
工場に一人の男が現れた。
それが私の生涯の恩師『山本寛』さんである。
社長黒田総ノ粂との寛さんは長い間話をしてた。
寛さんはわたしに言った「おい山口どこ等に
そして私が呼ばれたおい山口、どこかに借金をしてるんじゃないか?」「私はどこにも借金はしてないよ」黒田さんは「そんな男じゃない」と笑ってた。
寛さんは懐の財布を仕舞いながらそうかそんな男じゃないか?」
そして二人は駅前の旅館に行った。
私はトボトボと付いて行った。
旅館に着いた。
「ここでは本当の名前で書こうな」私は岡田先生の所では「山智舟一」と名乗っていたから・・・
寛さんは何も聞かなかった。
私は学校に戻った。
私の担任は瀬尾俊平・・・寛さんとさほど変わらぬ年頃だったと記憶してる。
私の同級生は三年・・・私は二年生・・・
私はよく問題を起こす生徒だった。
しょっちゅう喧嘩をする。相手は街の愚連隊・・・警察に寛さんが引き取りに来た。ある日真夜中の事だ。寛さんが警察の帰りに 夜泣きそばでも食べて帰ろう・・と言った。其処でボソッと「蛮勇と真の勇気は違う」と私に言った。
頭を撃ち抜かれた様な気がした。俊平は言った。職員会議で寛さんが「自分の首を掛けてもいい・・・私を「助けたい」と高長いに言って私の下に来たのだ。
私は「もう喧嘩は出来ないな・・・」と誓った。



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