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『幕末異聞』

「№ 1」  
その男は深編み笠に着流しと云う奇妙な格好でぶらりとやって来た。
およそ旅人の風体ではない。
得体の知れない無口な男であった。
女将のお定は流行らないこの旅籠に客が来た事を不振に思ったが何はともあれ喜んだ。
「半年、いや一年か二年になるか・・・世話になるぞ」
何する訳でもなく娘お夕と竹薮でふざけたり近くの小川で釣りを楽しんだり、しかし金払いはいい。

時々江戸からの書簡が来た。
見るとも無く差出人の名を見て驚いたのである。
およそこの旅籠に泊まる様な方ではない「このお侍はきっと偉い人なんだ」と・・・
お定の勘違いからその武士への対応振りがガラリと変わった。
決して粗末には出来ない客だ、と・・・
何かと身の回りの世話まで甲斐甲斐しくする様になったのである。
お定に取って金払いが良く若くて いい男のこの客はたまらない上客であった。
何時かねんごろになり自分の男にしてみたい、と不埒な考えを持ったのである。
「うふふ・・・美味しそうな身体、男ぶりもいいし 何が何でも物にしてみせるわ」と・・・

お定には二人の娘がいた。
姉の方は祇園の芸者、妹の方もいずれ置屋に引き取って貰う腹で芸事だけは熱心に通わせていた。
そのどちらも父親の名も判らぬ娘であった。
要するにお定は尻軽女、泊り客とすぐねんごろになり出来てしまった子である。
だがそれが二人とも近所で評判の器量好しときてる。

子供の頃姉妹は近所の者達から「お前の母ちゃんすぐ転ぶ、擂粉木無ければ生きられぬ」と いじめれられ続けていた。
だが育って行くうちにあまりの器量の好さに誰もそんな事は言わなくなったのである。
「今度の客はきっと所司代に関係のある方に違いない、下の娘を差し出せばきっと良い事があるだろう」「しかしその前に私がたっぷり楽しんで味見をしてからだな」と、舌なめずりしてほくそ笑んだ。
案の定、お定の作戦は図に当たった。
風呂に入れば背中を流す、枕元には春画、四十八手の本を置いておく。
若い男にはこれは辛い・・・
さんざじらせて置いてある夜そっと布団の裾から身ったを滑らせて行ったのである。
「うん、これは娘にはもったいない、私が戴いてしまうか」
性悪女のお定には涼しげな目鼻立ちのその男を他の女に取られるのが惜しくなった。
勿論娘お夕にもだ。

そして娘を早く置屋に売り飛ばす事を考えた。
が 高値で売るにはもう少し芸事を仕込まなくてはならぬ。
そこでお夕に因果を含める様に「あのお侍は大事な仕事を抱えておいでの方なんだから邪魔になってはいけない」「あまり近ずくんじゃ無いよ」と言った。
しかしまだ十五歳のお夕にはそれが何を意味するものか解らなかったのだ。
毎日川遊びをしたり京の町を案内したり、竹林の中で追いかけっこをして楽しんでいた。

ある夜 江戸からの手紙を見た男は ある店の事を知りたくてお夕の部屋の障子戸を開けた。
お夕なら知ってると思ったのであるがそこで見てはならないものを見てしまった。
春画、色本を前にあられもない姿でマスターベーションをしていたのである。
無理も無い、年頃のそれもお定の血を引く娘である。
「あっ あら・・・恥ずかしい」とは言ったものの途中で止める訳にも行かず「ねえ、見てるだけではつまんないでしょう、ちょっと触ってみてよ」
十五歳と云えばもう大人なのだ。

その夜、男は一睡も出来なかった。
若いはちきれんばかりのお夕の身体を見て身体がうずいて仕方が無かったのである。

翌日釣り糸をたれながら男はお夕に聞いた。
「俺が嫌いか?」
お夕は黙って頬を染め男の背中にしがみ付いて来たのである。
裏の竹林の中で二人は結ばれた。
さすがお定の娘である、やる事が早い。
だが母親お定には黙っている事にした。
それからのお夕は人前もはばからず男にしだれ掛かり誰の眼にも二人の関係が判る様になってしまった。
知らぬはお定だけ・・・周囲の人間はお定の性格から何を仕出かすかを想像し黙っていたのだった。
「お定の奴 どうするかな?」「娘相手じゃ仕様が無かろう」「でも一喧嘩するんじゃないか・・・」
次第に家の中でも大胆になってゆく娘にお定が気が付かぬはずが無い。

「この恥知らず!誰のお陰でここまで育ったと思ってるんだっ」「あの人に近ずくなって言っただろう」
お夕は澄まして「だって母ちゃんの子だもん、血筋よ血筋・・・」「あの人は私のものよ、でも母ちゃんが可哀想だから10日に一晩だけ貸してあげるよ」と・・・
「ちっ!」と舌打ちしてお定も諦める事にした。
それからはお夕が男の世話をする様になったのである。
だが10日に一度の夜も次第に男は応じてくれない。
すっかりお夕に前の晩攻められ続け 男の一物が言う事を効いてくれないのだ。
お定は諦めざるを得なかった。

久しぶりに姉の芸者 お葉が帰って来た。
「いい男だねー・・あれがお夕の旦那かい?」
お定は恨めしげに「あの泥棒猫にやられた」と言ったが、お葉は「さすが母さんの娘だよ」と笑っていただけであった。
帰り際に「それにしてもいい男だよねー、あんな男に抱かれてみたいもんだよ」と・・・
お葉は祇園の芸者置屋に売られ見受けされたものの その旦那が一年持たずにあの世に行ったものだから三味線、小唄を教え気楽な生活をしていた。
時々習いに来る男をくわえ込んで気ままに生きてきたのであった。

それから二三日後 一通の封書が届いた。
男は何事か考えている様子でお夕に「街道から川に入る道はあるのか」と尋ねたのである。
お夕は「有るよ、もう少し先の所、家がなくなった辺りに」と・・・
男はニヤリと笑い「ちょっと細工をしてみるか」鋸と杭を持って何事か始めたのである。
『これより西へ三里』墨跡も黒々とそう書いて釜戸の煤を振りかけた。
街道の通行人が間違えて川の方に導かれる様に細工をしたのだった。

男の顔は何時もの優しい顔が一変して厳しいものになっていた。
そして旅籠の二階から少し障子を空け外を伺いながらチビリチビリと酒を飲み始めたのだ。
長期戦になるかもしれない。
だからこうして待つのが一番得策だ・・・と考えての事だった。
そして一日二日・・・・
「今日も空振りか」呻く様につぶやき壁にもたれて眼を瞑り何事か考えている様子だった。
「俺が見ていない時 お夕、お前が見張っててくれ、あの道しるべの先の大杉の所に侍が来たら知らせてくれ」そう言ってごろりと横になった。

男は遠く古里 土佐の地を思い出していた。
赤い夕日が沈むまで遊び回った幼い日々を・・・
時は文久元年、各地を放浪して歩いたが何も良い話は聞かぬ。
対馬にはロシアの軍団が上陸し戦っていると云うのに幕府にはもう対抗する力は無い。
長州、薩摩、土佐、肥後の若い連中が尊皇攘夷を唱えているが何処も一枚板ではない。
又、戦国の世が来るのか・・・
しかし今の各藩にも幕府に刃向かう力は無かろう。

「今は模様眺めの時か・・・どちらに組しても碌な事はなかろう」
トントントン・・・階段を上がる音がしてお夕が部屋に入ってきた。
「もうお酒が切れる頃だから持ってきたよ」
「まだ待ち人来たらず・・ですか?」
「うん まあな・・・」

男の名は『岡田伊蔵』 後年人斬り伊蔵と恐れられた男である。
現在は勝海舟の客分兼用心棒、いわばはぐれ犬であった。
彼はある男、松蔭門下の伊藤作佐右ヱ門を待っていたのだ。
海舟の依頼で「どうしても京に入れては都合が悪い、場合によっては切り捨ててよし」
と・・・・
彼はひたすら待ち続けた。
それから三日後ついにかの人物は現れたのである。

脱兎の如く階段を駆け下り竹林を抜け川岸に向かった。
お夕も後から付いて走った。
「きっと斬り合いになる、面白い 伊蔵さんどの位強いのかな?」と・・・
「おぬし、ここから先には行かせぬ」「黙って来た道を帰れ」
伊藤は共の二人に守られ「おぬしこそ何者なんだ、切り捨てても拙者は行くぞ」
「拙者か・・・はっはっは」「無事通り抜けられるかな」
「親、兄弟が居るのだろう、命を粗末にするな」
共の二人が刀の鞘を祓った。
待っていたかの様に伊蔵の剣が唸ったのである。
三名共一瞬のうちに絶命したのだった。

人だかりがしてきた が全ては終わった後の事である。
何事も無かった様に伊蔵は旅籠に消えていった。
「№ 2」  
この頃の京では人が殺されるのは日常茶飯事である。
お夕もそれを見てもさして驚く様子もなかった。
唯 あまりにも凄腕なのに舌を巻いたのだ。

同じ土佐藩で坂本竜馬と共に一緒に遊んだ仲ではあるが竜馬は倒幕の志、伊蔵は幕閣の犬・・・
何処でどう道が違ったのかいまだに謎である。
唯 云えるのは将来を見据えて行動する能力の有る無しの問題であろうか。
剣のみで生きる伊蔵には時代のうねりが判らなかったのであろうか・・・

伊蔵の塒はこの山科に決めていた。
後ろが竹薮で もし不意を突かれて闘う羽目になった時竹薮は非常に有利だからだ。
何より居心地が良い、お定はやきもち焼きではあるが気風が良い、そして肝が据わっている。
そして可愛いお夕が居る。毎晩腰が抜ける程楽しんでいたのである。

この頃には勤皇の志士達が次々と幕府方の人間を襲う事が多くなった。
江戸幕府は浪士隊を募り京に送り込んできた。
いよいよ京も風雲急を告げる様相を呈して来たのである。
「これは面白い事になりそうだぞ」
伊蔵は自分の活躍の場が出来る事ににんまりとしていた。
浪士隊にも腕に覚えの有る食い詰め浪人が全国から続々と入ってきた。
やがてそれが紆余曲折を経て新撰組となって行くのだが・・・

文久二年四月、薩摩藩主の父島津光候が勤皇急進派を千人引き連れて上京した。
一挙に関白九条尚忠と京都所司代を幽閉して倒幕の狼煙を挙げんとしたのだ。
薩摩藩主島津久光はその通報を公家方から受け その暴挙を止めんと使者を送ったのであるが・・・
説得に応じようとしない志士達を粛清の名の元に切り捨てたのである。
これが世に云う寺田屋騒動である。

その頃、伏見寺田屋は薩摩藩の定宿であった。
これで収まったかと見えた倒幕の狼煙は西国の武士達の心の怒りを買い 却って火に油を注ぐ結果になってしまったのである。
この事件は薩摩藩の内乱で片付けられたが日を追って京の都は不穏な空気に包まれていった。
伊蔵はよくお夕と京の町を散策して歩いた。
そしてこの宿は何々藩の定宿であるとか何処の廓に討幕派が多く集まる所か、又幕府側の連中は何処の廓に出入りしてるかとか調べていたのだ。
と 同時に京の町の隅々まで裏通りに至るまで知っておく必要が有ったからだ。

時々廓にも足を運んだ、が大して面白いとは思わなかった。
それよりお夕の方がはるかに好かったのである。
何より彼女は俗説に云う 数の子天井 と云う奴であった。
めったに出会える事のない名器なのだ。
そこに持って来て甘え上手である。伊蔵の手の届かぬ所まで気を利かせてくれる。

伊蔵は誰かの依頼を受ければ片っ端から切り捨てていった。
たとえそれが何の関係の無い人間でも・・・
10両盗めば首が飛ぶ(死罪)時代だ。
大店の主人が「あいつが目障りだ、殺してくれ」と依頼があれば簡単に引き受けた。
すると50両100両の金などすぐ手に入る。
志士を殺せば所司代から報奨金が出る、だがそれはお涙金程度だ。
誰かの依頼を受け仕事した方が金になる。
伊蔵はそうした仕事にも手を染めていたのである。

文久三年九月、正式に新撰組が発足した。
それまで浪士隊として京の治安を守ってはいたが食い詰め浪人の中には押し込み強盗、ゆすり等をする者も居て統制は全く取れていなかったのである。
新撰組 壬生の屯所にも出入りして屯所で出来ない やっかいな事は全て引き受け剛剣を振るった。
何時しか『壬生の狼』と呼ばれる様になって行ったのである。

だが岡田伊蔵の名は新撰組の記録には無い。
それは隊員には名を連ねていなかったからであろう。
新撰組では『局中御法度』なるものを発行して隊に離反する者を次々と死に追いやった。そして京の治安を守ろうとした訳だが 尊王攘夷論者は益々過激になり毎日が血で血を洗う抗争を起こす様になっていったのである。
今やどちらが善か悪か、各藩の力と幕府とどちらが強いか混沌とした中で新撰組は己の信ずる道を突き進んで行った。
京の治安を守る事で新撰組の評価は高まり町の人々に好意的に受け入れられる様になった。

又 伊蔵も刀の血糊の乾く間もなく勤皇の志士達を血祭りに上げていったのである。
そして帰るや否や井戸水で身体を洗いお夕を求めたのであった。
お夕もそれを待っていた。
仕事が終われば抱いて貰える、そして大層なお金が転がり込んでくる 嬉しくてたまらない。
身体を清めしがみ付いて行く。
あえぎ声が階下のお定に聞こえてくる。
お定は「糞っ」と舌打ちしてた。
今では海舟の下を離れ一匹狼となり依頼されれば誰彼なく切って捨てる。
飢える狼そのものであった。

一方竜馬はといえば薩長同盟を画策して薩摩の西郷と頻繁に会い長州を説得に奔走してたのである。
そうした世の動きを斜に見ながら伊蔵は迷っていた。
自分は何処に行けばいいのか?と・・・
一度竜馬に会おうか、これからこの国はどうなるのか?
それを知るには竜馬が一番である。
幼馴染の竜馬なら気を許して話が出来る。

一方竜馬は薩摩の公武合体論を唱える西郷達と尊王攘夷論者の長州藩との間に立ち苦慮していた。
どちらも倒幕の意思はある。
だがどちらも譲らぬ、兎に角頑固者同士だ。
竜馬は伊蔵に言った。
「幕府はこれまでよ、今のままでは西欧の列強にこの国を取られてしまう」「伊蔵、時代の足音が聞こえぬか」「もうすぐ刀の時代は終わる、これからはこれの時代よ、のう」
懐の拳銃を取り出し「土佐に帰れ、そして心も身体も清めて来い」と・・・

新撰組の活躍にも関わらずその頃 京の都は将に無法地帯であった。
昼と云わず夜と云わず抗争は続いたのである。
伊蔵は毎日その中を駆け回っていた。
どうやら倒幕派の方に分があるような気がする。
志士を応援し かくまう商家も多い・・・
あまりにも浪士隊の頃(新撰組発足前)恐れられ過ぎていたのだ。

伊蔵の逗留してる旅籠のお夕は「伊蔵さん、もう止めようよ」「お金なら充分稼いだわ、お夕と二人で田舎で静かに暮らそうよ」と言った。
土佐に戻ろうか・・・伊蔵は悩んでいた。
「どっち道何処かで野垂れ死にするんだろうなー」「二人で暮らすのも悪くはない」
後戻りするのは今しか無い・・・
だが戦乱の世になれば出世の糸口も開ける。
まだ伊蔵にはかっての関が原を夢見る心が何処かにあった。

元治元年、長州の武士が皇居、所司代に発砲した事から端を発し長州軍は倒幕の意思を持ち1250名の兵を進めた。
幕府は薩摩と手を組みそれを鎮圧したのである。
これで薩長同盟の芽は消えたかと思われた、が・・・竜馬は粘り強く同盟の重大さを説いて廻った。
しかしこの戦いは益々両藩の亀裂を大きく深めたのである。
伊蔵は独特の勘で「日本中 戦になるな」と読んだ。
だが勝敗はどちらになるか? それが判らぬ。
「俺はどうしても勝ち馬に乗らなくては駄目だ」と・・・
諸外国では虎視眈々と日本を植民地にしようと狙ってる。
それは伊蔵にも解ってきていた。

五月半ば・・・・
志士達に不穏な動きあり。
有る筋から情報を得た伊蔵はそれを新撰組局長近藤に告げるかどうか迷った。
このまま土佐に戻るとすれば胸に締まって旅立てばよい。
だ「№ 3」  
がまだ京に残るとするなら知らせるべきであろう。
貧乏な下級武士で終わるのか、この戦いの中で高禄で召抱えられる様な働きを見せるか・・・
お夕の温もりの中で考えの行方を想像してた。

人斬り家業も楽ではない。
『鏡新明智流』では誰にも負けた事はない。
又、他の流派にも引けはとらぬ。
戦ともなれば尚更占めたものだ。
「こうなれば占めたもの、俺の働きを存分に見せつけてやる、運が俺に廻って来るかも」・・・

日頃から使い走りさせてる下っ引きの正二がやってきた。
彼は唯の下っ引きではない。
時々商家の弱みを握りゆすりたかりをして小銭を稼ぐケチな野郎である。
だが伊蔵の前に出ると借りてきた猫の様に大人しく言う事を聞くのだ。
伊蔵の剣の凄さを知り「この人に付いて行けば商家をゆするより良い金儲けが出来る」と踏んで自分から子分に成った男である。
「だんな、判りましたぜ、六月半ば池田屋ともうひとつがはっきりしないんですけどね」
「志士たちが大勢集まるって事で」
伊蔵は「よし!乗ってみるか」と 近藤の下を訪れた。
これが世に言う『池田屋騒動』の始まりである。

近藤は配下の者数名を町人姿にしてあちらこちらから情報を集めた。
伊蔵は近藤から報奨金を受け取り、お夕への簪を買った。
日頃何もしてやってない男の不器用な感謝の気持ちだった。

元治元年六月五日
『誠』の旗をなびかせて一路池田屋へ・・・
もう一斑は情報にあるもう一軒の宿に向かったのである。
雨戸を蹴破り「新撰組だ、宿改めをするぞ!」近藤の一声で一斉になだれ込んだ。
最初は新撰組に分は無かった。
勢い良く乗り込んだものの二班に別れていた為 劣勢は免れなかったのだった。
階段の途中で阻止され近藤以下配下の者も苦戦を強いられた。
遅れて来た土方が乗り込むのがもう少し遅れていたら歴史は変わっていただろう。
勢い付いた新撰組の面々は一斉に雪崩れ込んだのであった。

将に地獄絵図だ、遅れて来た土方、沖田と共に志士達を斬り捲ったのである。
窓から逃げる者達は下で待ち受けていた伊蔵達が一掃したのであった。
この池田屋事件によって明治新政府が一年遅れたと言われている。
しかし主だった者数名を取り逃がした。
そしてこの事件を期に全国で倒幕の狼煙が上がった事は確かである。

又 近藤はなかなか人を信用しない。
かって郷士であった頃『天然理心流』の道場を開いていた頃の仲間だけは信じていた様子だ。
自分と意見が合わぬ者はことごとく排斥したのである。
だから伊蔵の様な使い手でも土佐の出身と云うだけで心から信じていなかった。
もし幕府軍が勝ったとしても取り立てて貰う事は出来なかったに違いない。

№ 4」  
しかし伊蔵は近藤を信じて疑わなかった。
近藤の出世はわが身の出世につながると・・・

ある夜、偶然にも尊皇派の一団に遭遇してしまった。
「伊蔵覚悟!」と斬りかかるのを応戦するも多勢に無勢、何名かは斬ったが肩に傷を負い必死の思いで逃げたのである。
やっとの思いで巻き、ほっとしたところ小さく灯りの点いた家が見えた。
商家の離れの様な粋な造りの家だった。
転がるように飛び込んだ家には玄関に三味線が立てかけてある・・・水商売の女の私邸のようである。
肩で息してうずくまっている男に蝋燭の明かりが近ずいた。
「もしかしたら敵の家かも知れぬ」 伊蔵は血糊の付いた刀を杖にして何時襲われても良い様に構えたのであった。
だが出て来たのは小粋な女だった。

「おやまあ怪我してるんじゃないかい、手当てしてあげるから上がりなよ」
怯える様子もない・・・そっと顔を上げた途端お互いが驚いた。
「もしか・・伊蔵さんではないかい」「あっお葉さん・・・」
そっと上がり縁の血を拭いて中へ招き入れたのだった。
「ご主人は?」「おや、嫌な事聞くねえ・・・いないよ」「と言えば嘘になるねえ、3人かな、6人かも・・・野暮な事聞くんじゃないよ、さあ傷口を見せて」と薬箱を持ち出してきた。
出血の割には傷は浅かった。
暫くの後「お夕に知らせてやってくれないか」お葉はくすりと笑って「もう知らせたよ、ゆっくり養生して帰ってきてね・・だって」「憎いねー 色男」と・・・・

10日ばかりで痛みは引いたが今度はお葉が熱を出しだ。
看護疲れだろうと伊蔵は思ったが その夜伊蔵の身体に乗っかって来たのである。
真っ赤な仮病であった。
逃れようとしたら傷口を掴んで離さない。
そして・・・ついにお葉のなすがままに身体を重ねたのであった。
「俺は地獄に落ちるな、決して極楽には行けないなー」そして山科で待つお夕の事を思ってた。
お葉はお葉で「このままお夕に渡すものか、絶対私のものにしてやる」と伊蔵を咥えて離そうとしない。
やっとの思いで逃げ出したのであった。

それから半月の後、お夕の待つ家に戻ったのである。
が お夕は何も知らなかった。
お葉からの連絡など無かったのである。
唯 生きていて欲しいと一日千秋の思いで待っていたのだった。
見事お葉に図られた。
それから後、お葉はしばしば山科の家に帰って来る様になった。
そして親しげに伊蔵に話しかける。
今度はお夕が面白くない。
「姉ちゃん、うちの人に手を出すんじゃないよ」「おやまあ、お前だって母さんから奪い取ったんじゃなかったの・・・用心しなよ、私が頂くかもね」「もう味見したかも、ね・・・」
お葉は勝ち誇った様にそう言った。

その夜 お夕は「伊蔵さん、姉ちゃんと寝たの?」と聞いた。
「すまん、そう云う事だ」何ともまあ正直な男である。
お夕は「良かった?悪かったでしょう?私の方が若いからいいに決まっているよね、でも男だから遊びならいいわよ」「本気は駄目よ」と・・・
実におおらかな親子姉妹の様に見える、が そこには虚虚実実の駆け引きが有ったのだ。
そして何時の間にか三人で共有しようと云う事になっていたのである。

こうした中で長州軍と幕府とが激突していた。
薩摩は「今幕府を敵に回すのは得策ではない」と判断して幕府軍側についたのだっ「№ 5」  

長州軍は惨敗した。
長州は裏切り者薩摩との同盟関係などあり得ないとの考えで一致したのである。
松蔭門下の高杉晋作はかってない奇策を考え付いた。
農民にも銃を持たせたらどうか、刀では幕府軍とは闘えない。
だが銃であれば誰でも訓練すればすぐ戦力になる。
その名も『奇兵隊』
最初は皆笑ったが「これからの時代は刀ではなく銃だ」との信念で説いて廻る晋作の熱意と奇兵隊の機動力に感心して長州藩独自で幕府を倒す可能性を模索しだした。

相変わらず京の都では殺戮の嵐が吹き荒れていた。
伊蔵も又その渦中にあり 命の保障は何処にも無かったのである。
唯 その中にも安らぐ所があるのが救いだった。
お葉の家に行けば何がしかの情報も得られたし行き場のないエネルギーを爆発させる事も出来た。
家では何時もお夕が待っている。
又 時にはお定が割り込んで来る。
だが少々煩わしくも感じていたのであるが、兎も角もてない男に取っては羨ましい話である。
その意味では非常に果報者で有るにはあったが・・・

近藤は西国大名のところによく行っていた。
幕府の立て直しには離反するものが居ては都合が悪い。
そして新撰組も大幅な改革を余儀なくされていた。
脱走する者も居た、全て処断した。
又 盗み、金銭着服、その罰は死を持って償わせたのである。
新しい組員も雇い入れた。
その教育は土方が主に受け持った。
大所帯になると何かと苦労がつき物の様である。

江戸では・・・すでに勝海舟は幕府の滅亡を予見してた。
どうやってこの戦いを終結させるか・・・
徳川家を存続させる為に密かに西郷、坂本と相談してた節がある。
知らぬは京で暗闘を繰り返している佐幕派、尊皇攘夷派達であったのだ。
近々近藤以下数名が幕臣に取り立てられるとの噂が流れていた。
新撰組の連中は又それで勢い付いているのだった。
功名争いの為に余計 斬らねばならぬ相手でも無い者まで斬る。
町の人々は今までと違う反応を見せ始めていた。
いつの間にか新撰組の羽織は恐怖の的となってしまっていたのだった。

ある夕方 ひょんな事から祇園の芸姑、志穂と知り合った。
桂川の畔で下駄の花緒を切らせて困っているところを助けてやったのである。
手ぬぐいを裂き挿げ替えてやった訳だが話を聞くとお葉のところで三味線を習っている様子だ。
「うちの店では『いちげん』のお客さんは取らないの」「ほう、では格式があるんだ」
二言三言話しただけであったが何か心に残る娘であった。

お葉の家で寛いで居る時 志穂がやってきた。
驚いた顔に喜びの表情が読み取れる。
伊蔵の眼を見て「あの娘は手を出しては駄目よ、後ろに真木さんが着いているのよ」と・・・
「あの真木和泉か・・・?」にやりと笑って伊蔵はうなずいた。
「あいつも好きだなーあんな若い娘にまで手を出すとは」
お葉は「一緒よ、お夕だって似たり寄ったりでしょう」と笑った。

稽古が終わって志穂が帰った後、例によってお葉はしがみ付いてくる。
「今日は返さないからね、ここ暫くは血生臭い事は無し、ゆっくりして行ってね」と・・・
そうして夕方 お葉は仕事に出掛けて行った。
天井の節の目を数えながら真木和泉の事を考えていた。
何時かは剣を交えて見たい相手だ、どんな剣を使うのか・・・と。
しかしその日はついに来る事無く終わった。
商家に強盗に入り新撰組を脱走したのである。
結果は新撰組の手によって天王山で捕らえられ自刃させられたのであった。
粛清の嵐も容赦なく吹き荒れた。

「№ 6」  
伊蔵は志穂に優しい言葉を掛けてやっていた。
「悲しい時にはうんと泣けばいい、そして忘れる事だよ」
そして「惚れるんなら新撰組も勤皇の志士も駄目だな、普通の男にしておけ」と・・・

この頃では商家の用心棒の仕事も舞い込む様になった。
それだけ治安も悪い、押し込み強盗も多くなっていたのだ。
食い扶持にありつけない浪人もたくさん居たのである。
お夕の所にも三日に一度帰れればよい程仕事はあった。
帰る度に小判が増える。

お夕はそれを縁の下の壷に入れながら伊蔵が何時も無事である事を祈ってた。
ある晩 伊蔵の雇われている店に押し込みが入った。
一早く眼を覚ました伊蔵は主人夫婦を奥の部屋に匿い押し込みの前に立ったのだった。
そして「岡田伊蔵だ!待ってたぞ!」と・・・
強盗団はそれだけで腰を抜かして何も取らず逃げて行ってしまった。
主人は大層喜び多くの金を差し出し労をねぎらったのである。
「強盗ももう来る事もあるまい」伊蔵は『切りもち(金)』ふたつを懐にその店を後にした。
ひとつはお葉に、もうひとつはお夕に持って帰ったのである。

お夕は「伊蔵さん、もう旦那様って呼んでいいかなー・・・?嫌?」って聞いた。
「もうお前の亭主だよ」お夕は喜んだ。
「やっとお母さんも姉さんも手が出せなくなる」と・・・
そして「一生使い切れない位お金あるよ、もう静かに暮らそうよ」と・・・・
伊蔵は「もう暫く好きにさせてくれ、まだやりたい事がある」と答えてごろりと横になった。
伊蔵は時代がどう動くか見届けたかったのだ。
時代の変革の波はヒタヒタと迫っていた。
しかしまだ動乱の都ではそれを感じる者は少なかったのである。
伊蔵は何となく感じていたが薩摩、長州、そして幕府の動き次第でどう転ぶか、嫌な匂いを嗅ぎ取り自分の活躍の場があるかどうか考えていたのだった。

「№ 7」  
元治元年も暮れの押し迫った頃、ある商家『萬勢屋(両替、海産物業)』の主人と初めて祇園を訪れた。
その頃伊蔵は萬勢屋の用心棒をしていたのである。
両替屋の蔵には何時も千両箱が積んであったのだ。
もし押し込み強盗にでも遭えば根こそぎ身代を失う事になる。
それを防ぐには腕に覚えのある剣客を雇う必要があったのだ。

偶然の事である。
座敷に志穂が現れた。
面やつれはしていても伊蔵の顔を見た途端明るい笑顔がこぼれた。
女将に聞くとまだ水揚げされてないとの事である。
萬勢屋主人喜助は「先生お好みの娘がいらっしゃる様で」と笑って言った。
「うん、ちょっと訳ありの娘でな」「いっそ先生が身請けなさったら如何ですか、金は私が用立てましょう」
喜助にとって身代、命を預かる伊蔵への出費は痛くも痒くも無かった。
まして芸姑の一人や二人位安い買い物なのだ。

こうして志穂をお葉のところへ連れて帰った。
「嫌ですよ、伊蔵さんの【いろ】なんか面倒見られませんよ」
「まあ 家が見つかるまでの間だ、置いてやってくれ」
「本当に助平なんだから」とぶつぶつ言いながら面倒を見る事になった。
10日ばかりで家は見つかったが、お葉は面白くない。
「うちに来る回数減らしたら駄目だからね、承知しないよ!」と・・・

新撰組もかなり規律が厳しくなった。
少し前、蛤御門での長州藩との激戦に勝利し、秋には伊東甲子太郎等が入隊し意気軒昂である。
が 又脱落して行く者も多く居た。
彼等に待っていたのは死であったのである。
伊蔵はその厳しさには付いて行けなかった。
つくずく新撰組隊員でなくて良かったと思ったものである。

将来、身の立つ様にしてやらなければと思った伊蔵はお葉を説き伏せ、志穂の稽古事は続けさせてやる事にした。

お葉はまだ伊蔵が志穂に手を出していないのを知り承諾してくれた。
「しっかり監視してやるから」と、わざと手元に置く事にしたのだ。
お葉には「何時かお夕からも取り上げてやる」と、伊蔵への執着心は凄まじいものがあったが、それをおくびにも出さず引き受けたのである。
ま、この時代【浮気は男の甲斐性】妾の一人や二人居る方が男として尊敬される所もあったのだが・・・

「№ 8」  
元治から慶応に代わった。
松も明けぬ内から石倉屋事件が勃発した。
尊皇派の大利等数名が潜伏してるのを察知した新撰組、谷等はそれを惨殺したのだった。
それは凄惨なものであった。
四人一組で相手に襲い掛かる。
息絶えても尚斬り刻む。
残酷な谷流の殺し方であった。
さすがの伊蔵も戦慄を覚えたのであった。

後日それを聞いた近藤は苦りきった表情で「三十郎は斬らねばならぬな」と土方に言った。
それから数日の後 谷三十郎は廓から酩酊して出たところを同じ同士の新撰組隊員によって殺されたのである。
日頃から谷と仲の良かった山南敬介は身の危険を感じて脱走を試みたが 囚われの身となり屯所の中庭で切腹して果てたのであった。

伊蔵は志穂に月十両の手当てを与えたがめったに志穂の家に行く事は無かった。
それはお葉への遠慮もあったが「出来るだけ静かにして置いてやろう」と心の傷の癒えるのを待っていたのである。
志穂はその金で(おさんどん)を雇い 足しげくお葉の所で芸事の修行を積んでいた。
「きっといい芸者になれば伊蔵さんは私を認めてくれる、愛してもくれるだろう」「そしてお姉さん(お葉)も許してくれるに違いない」と・・・
そのいじらしい心根が解らぬお葉では無かったが 伊蔵が自分の所に来なくなる事を恐れたのである。

それは自分の年齢への嫉妬でもあった。
お夕はもうすぐ十九、志穂は十七歳、お葉に至っては二十六歳 セックスのテクニックでは負けない自信はあったが若さでは勝目はない。
しかし伊蔵への思いは誰にも負けない自信はあった。
やがてその事はお夕の耳にも入ってきた。
お夕は嫉妬に狂う女では無かったが一度志穂に会って見ようと思ったのである。
そして志穂の家を訪ねたのだった。
いろいろ話を聞くうちにお夕は出会った頃の伊蔵を思い出していた。

軒先で雀が死んでいた時涙を流しながら土に埋めていた事・・・
庭先が淋しかろうと花を植えていた事など・・・
無表情で人を斬る これは伊蔵の仕事である。
本当は優しい人なんだ・・・と・・・
だから志穂を身請けまでして助けたんだと、自分を納得させたのであった。

ある夜、伏見の川沿いで押し込みと出会った。
下っ引きの正二は「旦那、あの金をそっくり頂いちまいましょう」
強盗団は船に千両箱を五六個積んでいた。
船の上には三人、後は川岸に六人・・・
「正二船を漕げるか」「任せておいてくだせい」途端に行動は早かった。
船上の三人を瞬時に斬り倒すと同時に艀から見る見る船は離れて行く。 

正二の腕は確かであった。
夜の闇の中へ消えていったのである。
伊蔵は「泥棒の上前をはねるとはいい商売だな」と笑った。
暫く下流に下り それから上流へと進路を変え町外れの葦の茂みに船を隠した。
正二は大八車を何処からか持って来てそれに金を積み替え志穂の家へと向かったのである。
「ここなら見つかる心配も無かろう」と・・・・

「№ 9」  
翌日、呉服商桔梗屋が襲われ一家惨殺、一万両近くが盗まれたと云う噂が流れたが、仲間割れから三人の死体が伏見の川岸に浮いてたと云う。
「旦那と俺とは一心同体ですぜ」正二は笑って言った。
又 伊蔵は正二が居る事で何かと助かる、笑って「死ぬまでな」と答えたのだった。

萬勢屋喜助に「船を一艘手に入れたいのだが」と声を掛けてみた。
「何に使いなさるので?」と聞いたが「ちょっと堺港まで・・・」と言葉を濁した。
「いいでしょう、お貸ししましょう」「沈められるかも知れんぞ」
萬勢屋は少し考えて「ようがす、沈んだら沈んだ時、ボロ船で良かったらあの船を三百両でお譲りしましょう」と十数名は乗れる船を売ってくれたのである。
なるほど ボロ船である。
修理に百両程かかった。

伊蔵は正二を連れて堺の町に行ったのである がそこは勤皇の志士が席巻していた。
志士を装い鉄砲鍛冶の所に行き五丁の銃と多くの弾薬、そして火薬を買ったのである。
「あれだけ武器を手に入れているなら幕府はもう終わりかなー」と、彼は思った。

歴史はめまぐるしく動いていた。
新撰組は壬生の屯所を引き払い西本願寺に本部を移した。
伊東甲子太郎は御陵衛士を拝命して新撰組から脱退したのである。
慶応三年春の事であった。
ついに近藤の念願であった幕臣取り立てが決まった。
だがこれは伊蔵には沈み行く太陽の一瞬の光芒に思えたのである。
堺の町で見たものは次々と近代兵器を買い漁る志士達の姿だった・・・
依然新撰組、所司代では刀に頼る事で勝利を信じていたのであった。
伊蔵と正二は夜中、密かに今まで稼いだ金を船に積み込んでいた。
万が一の事を考えてのことだった。

その年 坂本竜馬他数名は近江屋にて暗殺された。
これは伊蔵が関係してるとも思われたが伊蔵には幼馴染を斬る様な真似は出来ない。
又新撰組が襲ったとも云われているがこれも何の証拠も無かった。
只、薩長同盟を竜馬の努力によって成し遂げられた事による反対派が襲ったとも云われるがこれも根拠の無い話である。
佐幕派の者は京の町人に酷く嫌われる様になった。

全てが尊皇攘夷派に流れは来ている。
この時節になると敵見方関係無く殺戮の嵐が吹き荒れた。
伊東甲子太郎も又新撰組に惨殺されたのだった。
又近藤も御陵衛士の残党に狙撃され実働部隊は土方の手によって指揮されていったのである。
池田屋事件以後沖田は喀血し郊外の某所で療養を余儀なくされその後の戦いには出動不能となっていた。
翌、慶応四年 鳥羽伏見の戦いが勃発するのであるが、その少し前から強盗団の中に岡田伊蔵と名乗る人物が幾人か現れる様になった。
伊蔵は怒りに燃えた。
「自分の名前だけが一人歩きしている」鬼と化した伊蔵はそうした者達を斬り捲った。 

ある日 ついに伊蔵の塒が志士達に探し当てられたのである。
夜更けに彼等は襲ってきた。
すぐさま押入れの天井裏にお夕を隠し志士たちと斬り結んだのである。
壬生の狼、鬼の伊蔵は竹薮の中に逃げ込み激しく応戦したのであった。
藪の中では相手はなかなか一度には斬り込めない。
一人二人と術中にはまり伊蔵の刃の前から消えてゆく。
が しかし「この女を殺されたくなかったら刀を捨てろ!」と・・・
お定の首には相手の刃が突きつけられていた。

「万事窮すか」伊蔵はひるんだ。
その時である。
「斬って!お母ちゃんを斬って」「あんた死んじゃ嫌!」後ろで声がした。
お定は「あんた 何言うの?親を見殺しにする気かい! 伊蔵さん助けて、後生だよ」と・・・
と同時にお夕の手から飛んだ脇差がお定の腹に投げつけられたのである。
お夕が複雑な顔で、涙で立っていた。
伊蔵は真っ向からから竹割りに斬り倒した。
お夕によって投げつけられた刀傷は以外に深く刺さり苦しむお定を見て 「もう助からないなら楽に死なせてやろう」と一突きしたのであった。
お夕は肉親の情よりも伊蔵を取った訳だが、「これで邪魔者が一人減った」との思いも有ったのである。

「№ 10」  
夜明け近く、正二を呼び金目の物だけ運び出し お夕を志穂の家に向かわせた。
そして家に火を放ち行方を眩ませたのであった。
正二だけに伊蔵の居場所を教えて・・・・

薩長率いる近代兵器の前では新撰組、そして幕府軍も刃が立たなかった、敗走に次ぐ敗走であった。
この戦いの創始者 高杉晋作は自ら作り上げた奇兵隊の活躍を見ながら喀血し長州に帰り勝利を見る事なく世を去った。
橋本の戦いにて完全に息の根を止められた新撰組はわずかの兵力で勝沼の戦いに臨んだのである。
そこには江戸からの甲陽鎮武隊が待っていた。
が ここでも敗れ江戸まで逃げ帰ったのであった。
惨敗に次ぐ惨敗である。
慶応四年四月 近藤勇は薩長同盟軍に投降したのである。
土方は江戸彰義隊に加わり尚も孤軍奮闘していた。

一方お夕達は正二の指図で密かに身の廻りの物を船に積み込み伊蔵の帰りを待っていた。
お葉も志穂も、そして正二の妻よねも ここでは仲良くせねばならない。
自然と連帯感が生まれてくるものだ。
ひっそりと静かに人に判らぬ様に暮らしていた。
その間の日常の物は正二が調達して来たのである。

ある日「近藤達の処刑があるぞ」と耳にした女たちは伊蔵の安否が気に掛かった。
そして鳥追いの姿に身を変えて処刑場へと向かったのである。
近藤は武士のしきたりではなく斬首と云う屈辱の刑であった。
「次は岡田伊蔵」の声を聞くなりお夕は失神しそうになったのである。
お葉も志穂の思いも一緒であった。

だが正二は「よく旦那の最後を見て置け」と言って腕組みをしている。
三人の女達は眼を凝らして刑場に引き連れられてくる男の姿を見守った。
お夕は「はっ」と気付いた、顔を白布で覆われていても何処かが違う。
「あの人ではない」
お葉と志穂は涙で見る事が出来なかったのだった。
生きながら何本もの槍で突かれて絶叫して果てた。
見るも無残な死に様であった。
と その時後ろで「南無阿弥陀仏」と声がした。

「№ 11」  
聞き覚えのある優しい声であった。
托鉢の僧が笠の中で笑っている。
女達の表情が驚きと歓喜の顔に変わったのである。
正二は唇に指を当て静かに女達を導いて刑場を後にしたのであった。

船に戻った彼女達は歓声を上げ喜んだ。
紛れも無く伊蔵だった、生きている事が不思議だった。
「正さん知ってたのね」「ハッハッハお前たちに話せば世間に知られる」「旦那は簡単には死にはしないよ」
伊蔵は「すぐ水夫を五六人雇って来い」と正二に指図した。
「ではあの時殺された伊蔵さんは誰なの?」「岡田伊蔵は何人もいるさ」と笑った。
戻ってきた正二は「松前まで行った事がある水夫だってよ」と・・・
伊蔵達はその日のうちに大海に向かって出航したのであった。

沖まで出た所で「さあどちらに向かうかな」と・・・
水夫の頭に「出来るだけ陸地が見える程度の距離を取ってゆっくりと行ってくれ」「こちらは物見湯算の長旅だからな」と指示をした。
頭は「何処まで行くので?」「松島でも見物しようと思ってな」と言って皆のところに戻った。

そしてお夕に「コテを焼いてくれ」と指図したのである。
「あいよ」衣類の皴でも伸ばすのかと簡単に考えた彼女は気軽に火の中にコテを入れたのだった。
「もう いいだろう」伊蔵は焼けて赤くなったコテを自分の頬に押し当てたのである。
ジュー・・・と音と共に煙が立ち上がり肉の焼ける匂いがした。
一斉に女達の間に悲鳴が起こった、「旦那!」正二は伊蔵からコテを取り上げ絶句した。
「岡田伊蔵は今死んだのよ、こらからは只の伊助だ!皆覚えて置け」そう行って失神したのであった。
正二も又『庄助』と名を変えた・・・

彼も幕軍の取り方、そして間者であった為捕まればどんな仕置きが待っているか判らぬ身。
全て過去を消す必要があったのである。

伊蔵改め伊助は三日三晩熱に魘された。左の頬から顎にかけて酷い火脹れが出来ている。
五日目の夕方 女達を集め「俺のこの顔が怖いか?嫌いか? 嫌いなら去っていいぞ」と・・・
女達は口をそろえて「何処にどんな傷があろうと伊蔵さんは伊蔵さんよ」「好きな事に変わりはないわ」・・・・
「おい、もう伊蔵じゃなく『伊助』だぞ」と笑った。
船はゆっくりと東に帆を上げ進んでいった。
時々食料を買出しに港に寄って今の世の中の情勢を聞きながら船に戻る生活が続いたのである。

「№ 12」  
その少し前 土方歳三は宇都宮の戦いで足を負傷したが、会津旧幕府軍と合流して官軍(薩長軍)に戦いを挑んだ。
が しかし善戦むなしく会津若松城は落城、若い兵士白虎隊も飯盛山で自刃して果てたのである。
伊助はそれを焼津港で聞いた。

土方は蝦夷の地に向かったそうだ。
蝦夷には榎本武揚が函館にて新政府樹立を考えていると云う。
「幕府も終わりだな」そうつぶやき、ふと竜馬の事を思い出していた。
この時代を志半ばで倒れた竜馬に見せてやりたかった。
慶応四年、明治元年の事であった。

榎本は仙台港を出港して蝦夷地に向かったのである。
既に旧幕府軍が蝦夷にて新政府樹立の足がかりを付けて榎本の到着を今や遅しと待っていたのであった。
函館五稜郭に入城した榎本はすぐさま蝦夷地平定を果たしたのである。
津軽海峡をはさんで官軍と榎本軍とが睨み合っている。
そこに土方は旧新撰組の面々と到着した。
と 同時に松前城を攻略した土方は阿修羅の如く次々と官軍を撃破して行ったのであった。
伊助はそれを蒲原の宿で聞き腕が鳴るのを抑える事が出来なかった。
だが、折角拾った命 何時かは負ける戦に付き合う事は出来ないと悟ったのである。

女達もそれぞれ名を変えた。
お夕はお涼、お葉はお竜、そして志穂はお志乃 京言葉も出来るだけ使わない様にしたのであった。
伊豆の小さな漁村沖に停泊し 少し近くを探索する事にした。
ここまでは官軍の手は伸びていない。
伊助はお涼を連れて近辺を調べ こじんまりとした家を一軒買い取った。
「此処なら静かに暮らせそうだな」と・・・

そして小船を調達して船の荷を全て降ろしたのである。
女達もまずそこに降ろし小船を曳航して沖へと向かった。
陸地が見えなくなった所で伊助と庄助は示し合わせていた行動に出たのである。
いきなり水夫達に斬りつけた。
伊助の剛剣は唸った、完全に昔の伊蔵の姿であった。
又庄助も銃で片っ端から撃ってゆく。
船から海に飛び込む者も銃の餌食なって果てたのである。

そして船底に穴を開け火薬の導火線に火を放ち小船に飛び乗った。
ものの数十条も行ったところで轟音が轟いた、そして船首部分を上にして海中に沈んで行ったのである。
全てを海中に葬り去ったのであった。
「№ 13」  
波は小船を木の葉の様に揺らせた。
だが土佐の荒海で育った伊助は苦も無く櫓を巧く操り岸に辿り着いたのだった。
「さて、これから家探しだな」伊助は各々の家を探す事にしていた。
庄助の家は簡単に見つかった、伊助と行動を共にするのであるから、ほんの隣の家を買い取ったのである。

お竜とお志乃の家は少し離れるが修善寺に見つけてやった。
ここなら芸者衆に芸事を教えながら暮らす事も出来る。
伊助が通うにも都合が良い。そしてお竜とお志乃の家もほどほどに離れている。
恋の鞘当も起こらないだろう。

「旦那、これからどうなさるんで?」庄助が聞いた。
「旦那じゃない これからは兄貴と呼べ」笑いながら「当分漁師でもやるか、猟師でもいいぞ」と・・・
暮らし向きに困る訳でもなし、自分たちの食い扶持は何とか稼げる。

後はお竜 お志乃の方である。
しかし案ずるより生むが易し、彼女たちの方がすぐその土地の水に慣れ弟子を取ってしっかりやっていた。
月々の手当てを持って行くと何時も弟子たちの笑い声がしていたのだった。

一ヶ月ほどして お志乃の家で二三日寛いだ。
お志乃はずっとこの日を待っていたのであった。
涙が糸を引いて流れて落ちた。
「待たせたな、許せ」伊助は思いっきり抱きしめながらそう言った。
それからの伊助は忙しかった。
女のところに行くのも楽ではない。

伊助と庄助とは漁師よりも猟師の方が向いていた。
何時しか山に入る方が多くなっていった。
山には幾らでも獲物がいる 猪、熊、野うさぎ・・・
特に猪の肉は高く売れる、そして皮もだ。
同じく熊も同様である。
修善寺の宿では結構な値段で買ってくれる。
使い切れない程の金を切り崩す事もなかったが金は置いておいても仕方が無い。
然るべき使い道を考えなくてはいけない。

又女達もしたたかに生きていた。
結構巧く弟子を取り手当ての必要もなかった程であったが伊助は几帳面に持って行った。
それが苦労を共にした仲のけじめであると思ってたのだった。
しかし お竜の所だけは手当てを持って行く以外あまり行く事が無くなっていった。
そのひとつの理由はあまりにも人の出入りが多かったので自分の身元がばれる恐れを感じたからではあるが・・・
伊助の顔には大きな火傷跡があり判るはずも無いのであった。が 用心に用心を重ねていたのである。

久しぶりにお竜の家の裏木戸を開けたが お竜は慌てて襟の崩れを直しながら出てきた。
「男が居るな」と感じた伊助は居間にすばやく入って行ったのである。
やっぱり居た、急いで逃げ出そうとする男を捕まえ「お前、何者なのだ」と聞いた。
男は呉服屋の主人、四十代の男、先年妻を亡くしたと云う。
「俺はお竜の兄貴だ、お前が本気だったら許す、遊びでこんな事をするのであればたたき殺すぞ」と凄んだ。

お竜は青くなった「この人を怒らせたら私も殺されるに違いない、どうしよう・・・」
伊助の剣幕に気圧されたのか それとも本気だったのか・・・
「は はい、祝言を挙げたいと思っております」
二人は結婚する事になった。
心の中で伊助は「やれやれこれで片付いた」とにんまりしてたのである。
伊助にはお竜は心の重荷だったのだ。

意外にも大きな呉服屋だった。
主人宗兵衛はかねてから器量の好いお竜に惚れて三味線を習い やっとの思いで口説き落としたのであるが、お竜はほんの遊び心だったのだ。
だが伊助に見つかった以上嫌とは言えなかったのである。
伊助 つまり伊蔵の怖さを嫌と云う程知っていたから・・・
お竜は後悔した。
謝ろうとも思ったがそれも出来なかった。

「№ 14」  
盛大な祝言(結婚式)だった。
「お兄様も紋付袴を着てくださいな」宗兵衛はそう言ったが「俺にはこの姿が一番似合ってる」と猟師の格好で出席したのである。
万が一正装した事によって元侍と云うことがばれるのを恐れたからだ。
お涼、お志乃は手放しで喜んだ。
特にお涼には特別の思いがあった。
何時も姉貴面して見下され、虎視眈々と伊助を狙う眼が許せなかったのだ。
姉妹の確執は常にあったが、唯表面上伊助に見せない様にしていただけであった。

又 お志乃に対しては所詮買われた女、それほど気にはしていなかったのである。
お涼は勝ち誇った顔で「お姉ちゃん、本当におめでとう、いい人に出会えて良かったね」
お竜は悔しさを滲ませながら「ありがとう」と言うより仕方が無かったのである。

お竜には京に住んでいた頃から志穂(お志乃)に対してはそれ程気にはしていなかった。
厳しくすればそのうち根を上げるだろう、そう思って徹底的に鍛えたのである。
お陰でお志乃の腕は立派に師匠として自活出来るまでになっていた。
お竜は「妹に取られる位ならお志乃に譲った方がましだ」とも思っていたのだった。
祝言の後 お竜はお志乃を呼び「伊助さんはお夕よりあんたの方が好きなんだよ、絶対離しちゃ駄目だよ」「私の弟子は全部あんたにあげるからしっかりするんだよ」と・・・
それぞれの思惑が交錯する中で盛大な式典は終わった。
「淋しくなりましたなー」と庄助は言ったが伊助は「うん・・・」と答えただけであった。

「№ 15」  
明治も二年となった。
蝦夷地での新政府を夢見た旧幕臣、榎本武揚等の目論みも又失敗に終わった。
土方歳三も討ち死に、榎本も自刃して果てた。
いよいよ明治新政府が発足したのである。
官軍は旧幕臣の探索を徹底的に行った。
だがこの西伊豆にまでは手は伸びて来なかったのである。

伊助はいろんな事を思い出していた。
お夕と出会ってから八年、激動の京の生活、船の上の一年半のゆったりと過ごした日々・・・
走馬灯の様に廻っては消えた。
この時代は又どんな田舎に住もうと弾薬は手に入った。
それだけ全国に猟師が多かったのである。
又 獣も多かった。

江戸時代には日本人は肉を食べなかったが文久にはもう肉を食べるのは当たり前になっていたのである。
が しかしまだ肉は高級品であったのだ。
修善寺では美味しい肉を食わせる事で有名になっていった。
それだけ伊助達も忙しく 山を駆け回ったのである。

家事全般は庄助の妻よねが引き受けていた。
お涼は庭に花を植えたり三味線を弾いたり、時にはよねを連れ立って修善寺の町まで買い物をしたり優雅に暮らしていた。
お志乃との仲も良かった。
共に船の上で苦労を分け合い助け合った仲、まるで町の人には本当の姉妹の様に見えたであろう。
伊助達も又気ままに猟を楽しみ誰も居ない所では庄助に剣術指南をしたりして楽しんでいたのだった。
足繁くお志乃の家に行く余裕もあった。

宗兵衛とお竜の間にも二歳になる男の子が出来ていた。
そして二人目もお腹の中に・・・
「お兄さんは もしかしたら元お侍だったのじゃないかい?」お竜はとぼけて「ええ、貧乏旗本の三男坊でね、侍が嫌いで猟師になったんですよ」と・・・
「道理で、とても達筆でしらっしゃる、いっそ寺子屋でも開いたら?」「うちの帳簿も目を通して貰いたいものだね」
お竜は「しめた!これで又伊蔵さんが来てくれる」と思ったのだが・・・
しかし伊助は「縛られるのが嫌いでね」と断ったのである。

宗兵衛の店はお竜が来て以来余計に繁盛していた。
京仕込みの柔らかい立ち居振る舞い、口の巧さ、そしてその美貌・・・
町の人は「いい嫁さんを貰ったなー」と羨ましがった。
どうやら男癖の悪さも毎日宗兵衛に可愛がられているせいか直ったようだ。

お志乃も日に日に艶っぽくなっていった。
伊助が月のうち半分は来てくれる。
そして可愛い女の赤ちゃんが生まれた。
それが嬉しくて堪らない。
お涼も又 昔 帰るか帰らないのか判らない生活の事を思い出しながら幸せを感じていたのだった。

新政府は薩長が中心で組閣されていた。
その仲で異彩を放っていたのは勝海舟の入閣であったのだ。
江戸城を無血開城に導いた功績もあるが何より諸外国の状況をよく知っていたからに他ならない。

「№ 16」  
江戸の町も東京と名を改められ新貨幣が発行された。
それと同時に紙のお札(兌換紙幣)も発行されたのである。
伊助は密かに宗兵衛に相談して小判を少しずつ交換する事にした。
宗兵衛もあまりにも多い金に驚き自分の店の名義を使い新しく出来た銀行に預けたのであった。
と 同時に伊助の本当の姿が知りたくなったのである。

庄助は「上方で回船問屋をしてた時の蓄えだ」とその場を取り繕ったのだ。
「御家人から商売人・・・?」宗兵衛はそれ以上知ろうと思わなかった。
これ以上詮索するのは得策ではないと判断したのである。
さすが商売人である、身内に貧乏人を抱えるより金持ちがいい、と思ったのだった。

伊助の顔はなかなかの美形である。
もし火傷の跡さえ無かったらさぞかし持てるだろうと。
だからお涼の様な美しい女性と所帯を持っているのだろう、その妹お志乃も魅力的な女だ。
「私はお竜と結婚出来た」何と云う幸せ者なんだと宗兵衛は思っていた。
こうして何事もなく月日は過ぎていった。

ある晩、商家の付き合いで宗兵衛は「たまにはお兄さんもどうぞ」と温泉宿に誘ったのであった。
宴も終わり宿の廊下を歩いていた時 意外な人物に出会った。
皆が頭を下げる向こうに勝海舟が歩いてきたのである。
たまたま湯治に来ていた訳だが伊助と眼が合った。
海舟も驚いた、伊助も又「もはやこれまでか!」と覚悟を決めたのであった。
「おっ!生きていたのか」「今何してるんだい?」
「へい、猟師をしております」伊助は町人言葉で答えた。
海舟は「無事で良かったのう、息災で暮らせ」と言って通り過ぎて行った。
海舟は思慮のある男である、今更詮索する気など全くなかった。

宗兵衛は腰を抜かさんばかりに驚いていたのである。
天下の勝安房守様とお知り合いの方であったとは・・・
この方もきっと立派なお侍であったのだろうと・・・
何も言わず語らず 時は過ぎてゆくのであった。

「№ 17」  
伊助も庄助も老境に入っていた。
現在ならば四十代半ば過ぎはまだ働き盛りなのだがその頃ではもう老人の部類であったのである。
だが二人とも意気軒昂、山々を駆け回っていたのだ。
宗兵衛は「もう碁でも打ってゆっくりなさっては、うちの近くに家でも建てて自適に暮らされたら如何ですか」と言った。
伊助は笑って「まだまだ」と答えたがもう疲れは一日寝れば取れると云う訳にはゆかなかった。

明治十年 突然西郷が『征韓論』を唱えて野に下った。
そうして薩摩で軍を整えて反旗を翻した。
海舟は間者として歴戦のつわ


『寒椿』                    

「仇討ちの彼方に 1」  ー寒椿ー
木枯らしの吹く寒い夜であった。
「旦那様、あんな所に人が倒れてますよ」下男の佐吉が指を指した。
医師良庵は「行き倒れであろう、どれどれ」と道端の天水桶の陰で 息も絶え絶えの人影に近ずいて行った。

「佐吉、何処かで大八車を探して来なさい」「早く治療しないと仏さんになってしまう」
早速家に連れ帰り念入りに診た結果 寒さと栄養失調でそのまま置いておいたら死んでいただろう と思われる状態であった。
咳も酷い、肺もやられているかも知れない。
見たところ三十前後の女性の様である。

三日三晩 熱にうなされうわごとの様に何かを言ってるが 聞き取れる状態ではなかった。
佐吉は「助かりますかねー?」と心配したが良庵にもそれは判らぬ事であった。
「唯 助かりたいと思う気持ちがあれば助かるがその気が無ければ駄目だろう」と・・・

良庵はここ加賀百万石の城下町でも評判の名医ではあったが この行き倒れの女性を治す自信はなかった。
相当荒れた生活を送っていたのであろう、そしてここ数日は何も口に入れた事も無い程衰弱しきっている。

佐吉は夜昼なく必死に看病した。
おも湯を開かぬ口に流し込み、身体のあちこちの冷えた所をさすりながら 女房に身体が冷えない様にと添い寝をしてあげる様指示し 献身的に尽くしていた。
四日目にしてようやく肌に赤みが差してきた時 佐吉夫婦は手を取り合って喜んだ。

しかしまだ起き上がる事は出来ない。
時々乾いた咳をコンコンと吐き良庵を悩ました。
やがて松も取れ梅の花のほころぶ季節になった頃、やっと床の上に座る事が出来る様になったのである。
女性はほとんど口を利くことが無かったが 礼儀は正しく言葉は武家言葉であった。

佐吉は「これだけ世話になって何故いろんな話をしてくれないのか」と愚痴をこぼしたが 良庵は「人に言えない苦しい過去が有ったのであろう、そのうち心を開いてくれる日が来る」と佐吉を嗜めたのだった。

御殿医の仁斎がやって来た。
町医者と御殿医とはいわば商売仇、だが良庵の人柄の良さと医術の確かさでお互い認め合った仲、大の親友である。
「ほう、大分元気になった様じゃのう」「ところで名は何と申す?」「あやめと申します」「おう、武家の出か・・・で、国は何処かな?」
その女性、あやめは口をつぐんだままそれ以上は語ろうとしなかった。
良庵は「そのうち心の氷も溶けるだろう 性急に聞く事もなかろう」と笑って仁斎に答えたのである。

桜咲き蝉の鳴き声が騒がしくなる頃、やっと庭先に出て歩く事が出来る様になった。
そして佐吉夫婦とぼつりぼつりと話をする様になったのである。
だが相変わらず肝心のところは話をしたがらない。
不思議な女だな と佐吉は思った。

中秋の名月の頃 あやめの病気は全快した。
その頃には頬の肉もつき めっきり女らしく明るくもなったのであるが 何かを逡巡してる様子が見て取れたのである。
良庵が「もう大丈夫だ、路銀はあるのか?」「まだ旅は長いのであろう」と言っても「ええ・・・」と答えるだけで一向に旅立つ気配が無い。

もうすぐ年を越そうと云うある日、あやめは佐吉に相談した。
「此処に置いて欲しいんですけど先生はお許しくださるかしら?」と・・・
佐吉は「それは旦那様の気持ち次第だが あやめさんは何か目的が有っての旅をしているんでしょう、それを正直に話してお許しを得る事ですね」と答えたのであった。
あやめは良庵が許すかどうか不安な気持ちで 彼の前に座った。
そして努めて冷静に話を始めたのである。

ここ十年以上ある人物の消息を求めて 旅を続けていた事。
しかしもう 7~8年前からその力も失せ 全て路銀も使い果たし 乞食の様な生活をしながら、時には春をも売って身を汚し此処まで辿り着いたのだと・・・
倒れる10日前から水しか飲んでいなかったと・・・
もうここで死ぬのも運命だと諦め死を覚悟して倒れ込んだ と云う訳だ。
目的半ばで死ぬのも悔しいが 会ってみたところでどうにも成らない事だと。

全てを捨て新しい人生を歩けたらどんなにか幸せであろう・・・と
黙って良庵は聞いていたがおよその察しは付いていた。
「少し私にも時間をくれないか、悪い様にはしないから」
こうして大晦日を迎えたのである。
月明かりに照らされ 夜目にも鮮やかに寒椿が咲いていた。

良庵は仁斎に相談した。
巷では「あの良庵先生ともあろう方が『夜鷹』を拾って来て面倒を見てる」「ちょっと変だとは思わないか」口さがない連中の噂にもなっていたのである。
仁斎は「良さん、人の噂なんて気にする事はないが 素性が判らぬのが引っかかるのう」「人間は悪い女では無さそうだが、後は良さんの気持ち次第だな」と・・・

その夜、再び良庵はあやめを呼び「何故此処で働きたいのか、十年の長きに渡って捜し歩いた心を捨てて良いのか?」とたずねた。
彼女は言った「私は一年前に死にました、どうにもならない旅を続けて死んで行くより 先生のところで生まれ変わりとう御座います」

除夜の鐘の鳴る頃 皆の集まる席で良庵は言ったのである。
「あやめは今から此処の家族になる、皆もそのつもりで労わって教えてやってくれ」と・・・
あやめは良庵に「先生、出来たら名前を代えとう御座います、今までの私で居たくありません、新しい年から新しい名で出発しとう御座います、私に名前を付けてくださいませ」
「うん、それも良かろう」

暫く考えて「美雪・・・と云うのはどうじゃ、ほら美しい雪が振り出したであろう、除夜の鐘が鳴り終わったら皆 美雪を宜しくな」と・・・
皆、一様に驚き、又 歓声で沸き返った。
美雪も新しい晴れ着に袖を通し喜びに溢れていた。

事実 最初のやつれ果てた姿が嘘の様に 二十五歳の年齢の明るい笑顔がはじけて可愛かったのである。

皆で初詣に出掛け、今年の無事息災を祈り帰って来た時にはもう患者が待っていた。
医者の仕事には盆も正月も無い。
早速診察に取り掛かる。
美雪は良庵の指示に従って てきぱきと良く働く。
そんな姿に「これはよい拾い物をしたな」と良庵は眼を細めた。

佐吉夫婦も 日頃診療室以外の掃除がなおざりになっていたのが出来る事に喜んでいた。
庭の植え込みを刈り上げながら 綺麗になって行く姿に顎を撫でながら満足したのだった。
真っ赤な寒椿が雪の白に映え美しく輝いていた。

それから一年の後
町の人の信頼も得た美雪は 生き生きと師匠の代わりに簡単な治療を任せられ 診察室で治療を行っていた。
仁斎と碁を打ちながら良庵は「どうだ、良い娘だろう」
仁斎は「しかし不思議な縁じゃのう、でも俺の立場だったら雇う事は出来んからのう」「町医者なればこそ出来る芸当だな、羨ましい限りじゃ」と・・・
なるほど御殿医では身元の解らぬ者は雇い入れる事は出来ない。
町の医師なればこそ出来る事であった。

この一年美雪はめっきり明るくなった。
そして自分から冗談を言う様になったのである。
良庵に非常に懐いた。

佐吉が「美雪様の昔話を聞きたいなー」と言ったところ「全てはお先生にお話してからね」と笑って答えたのである。
そして「庭の椿が美しいわね」と、遠くを見る様な顔で静かに見ていた。
今の幸せが夢の様な気がする。
突然逃げて行きそうな不安も感じた。
再び椿の花を見つめ長い長い旅の終わりも感じていた。

「仇討ちの彼方に 2」  ー寒椿ー
今を去る事十八年・・・
さる西国の小藩での出来事から始まる。
その藩に木村左衛門なる人物が居た。
藩の重臣ながら非常に粗暴ですぐ刀を抜きたがる。
そして無頼の輩と組み 賭け事をして町人から金を巻き上げ『呑む、打つ、買う』の三拍子。
怖い者知らずの暴れ者、朋輩からも嫌われ誰も相手にはしなかった。
とは云え重役となればどうしても関わりを持たねばならぬ。

その男が一番好きな遊びと云えば将棋であった。
大して強くも無いが皆 後々の事を考えて負けてやる事にしていたのである。
だから自分が一番強いと思い込んでいたのだ、が・・・
だがしかし 彼にはどうしても目障りな存在の男が居たのである。
軽輩ながら藩内随一の剣の達人、そして学問も優れた男が・・・

彼は思慮分別をわきまえた人望も厚い男であった。
その名を藤堂新九郎・・・人呼んで『音無し新九郎』(相手と刃を交えずして一撃で倒す所からそう呼ばれた)と云った。
道場に於いても決して禄高で手加減はしない。
何時もの事ながら左衛門もしたたかに打ち据えられ 床に這いつくばって歯軋りを咬んでいたのであった。

左衛門は考えた。
「よし、将棋なら苦も無くひねってやれる、ひとつ将棋で勝負をしてやろう」
左衛門は新九郎に賭け将棋を申し込んだのである。
どちらかが負ければ禄高の半分を差し出す、と云う条件で・・・
立会人には同藩の朋輩を付けての勝負である。

最初は新九郎は丁重に断ってはいたが 町中に「受けて立たぬのは卑怯者のなせる技だ」と言いふらし 噂を流したのであった。
やむなく新九郎も受けざるを得なくなったのである。
いよいよその当日がやって来た。
新九郎の妻 香奈枝は「あのお方はどんな卑怯な事も平気でなさる方、くれぐれもご用心なさいますよう」と送り出したのである。

勝負は左衛門の「待った待った」の連続でなかなか進まない。
「こんな筈ではなかったが・・・」「俺は今まで負けた事がないのに」左衛門は焦った。
そして数回の「待った」の末、新九郎は「もう終わりましょう、この勝負引き分けでいかがで御座ろうか」
見る見る顔が高潮した左衛門は 侮辱されたと思い いきなり抜刀して新九郎に襲い掛かってきたのだ。

身を交わしながら「止められよ、たかが将棋であろう、引き分けで良いのでは」しかし逆上した左衛門には 余計恥をかいた思いがしたのである。
ついに部屋の隅に追い詰められた新九郎は 脇差を抜くなり横に祓ったのだった。
それが胴を深々と斬り裂いてしまった。

「しまった」新九郎は慙愧の思いで一杯になった、そして家で待つ妻を思った。
そして我が家に急ぎ戻り妻に事情を話すと共に『離縁状』を書いたのである。
親戚、縁者に類が及ぶのを避ける為 最愛の妻を里に戻したのであった。
そして旅支度も早々にその城下から姿を消した。

町中は大騒ぎとなった。
そして新九郎の行為に拍手喝采を送ったのである。
戦乱の世も終わり 太平を享受できる様になった頃の事である。

又 城中でも新九郎の心中を察し同情する者も多く居たが 脱藩する者に対する処分は死罪と決められている以上 口にする事は出来なかった。
唯、皆、無事に逃げてくれる事を祈るのみであった。

左衛門の息子(金之助)はまだ十二歳、そして娘(静香)は七歳であったが【仇討赦免状】が出て 新九郎を討つべく旅立つ事になった。
叔父甲子郎も同道する事になった、子供二人では到底返り討ちになるのは目に見えていたからである。

又 藩内からも脱藩者成敗の為の腕達者の者が三名、新九郎を追う事になった。
しかし藩命とは云え 三人の刺客は新九郎を殺す気持ちはさらさら無かったのである。
「あれは元々左衛門が悪いんだ、死んでくれてありがたいと藩も感謝しなきゃーな」
「そうだ町人たちも俺達もホッとしとるんじゃからのう」「あいつは藩の恥曝しだったからな」銘々声高に喋る。

それを金之助、静香は黙って聴いていた。
甲子郎は苦々しげに聞いてはいても 反論する事も出来なかった。

刺客達は何とかして新九郎に出会わなければ良い、と思ってわざとゆっくり歩く。
新九郎の強さはよく解っていたが それより彼の人望がそうさせていたのである。
甲子郎はそんな刺客達に苛立ちを見せた。
が 彼等は何処吹く風、気ままに旅を楽しんでいたのであった。

やがて一年が過ぎた。
「これ以上の探索無用」と藩からの使者が来たのである。
甲子郎は怒った。
「藩命に背いた者をそのままにして良いのか!」と・・・

だが彼等は「これが藩命、武士の掟よ」と冷たく言い放ち 去って行ったのである。
叔父と兄妹は呆然と見送るだけであった。
甲子郎は「いざ対決する時には用心棒を雇わねば」と考えていた。
「彼に勝つにはそれしか無い」と・・・

「仇討ちの彼方に 3」  ー寒椿ー
一方新九郎も過酷な旅を続けていた。

仇として追われる身、路銀も底を付き かと云って雇ってくれる所もなし・・・
頼るところと云えば無頼の輩 ヤクザの用心棒位しかない。
だが腕は立つ、何処の組でも喜んで迎えてくれた。
が 彼には其処まで落ちた自分に腹を立て、心だけは立派な侍でいたいと思っていたのだった。
が すさんで行く心は次第にそうなるまいと思う気持ちとは裏腹に、逆の方向に流されてゆく。

何度か愛する妻に手紙も書いた。
そして出す事もなく破り捨てた。
どうか幸せに生きて欲しいと願いながら最後の手紙をしたためた。
「私の事は忘れてくれ、良い伴侶を見つけて暮らしてくれる様に」と・・・

そして故郷の山河を思い出し、又自分を追って来る相手を思っていた。
「確か彼には元服前の息子と娘が居たはずだ、彼等も又辛い旅を続けているのであろう」「私が討たれてやれば国に帰る事が出来るはずだ、こちらから探し出して討たれてやろう」
新九郎はそう思った。
それからの旅は自分を討つ兄妹を探す旅に代わったのである。

仇を討つ叔父、兄妹も苦しい旅を続けていた。
国許からの仕送りも滞りがちになった。

そして二年後、叔父甲子郎が病に倒れたのである。
安い旅籠で少し療養していたが、医師を呼ぶ金も無くなり 二人の兄妹を枕元に「いいか、絶対に父上の仇は討つのだぞ、奴を討たねば家名断絶となってしまう、如何にしても首を取って故郷に錦を飾るのだ」【仇討赦免状】を兄金之助に渡し息を引取ったのであった。

故郷では甲子郎の遺体の引取り手も無く 一通の手紙とわずかの金子が送られてきただけであった。
「遺体はそちらで処分されたし、送金もこれが最後と思われよ」と・・・
事実上孤立無援となったのだ。

金之助十五歳、静香十歳の時の事である。
それからの旅はまさに辛酸をなめるが如き辛いものに変わった。
無人の祠に潜り込み寝起きして畑の大根、野菜等を盗み喰い 命を繋ぎ仇を探すのである。
もう武士の誇りも何も無い。
藤堂新九郎を討ち果たすまでは故郷には帰りたくとも帰れない。

が しかしこの兄妹には新九郎の顔さえ覚えていなかった。
名前だけしか解らない相手を探すのである。
吹雪の北陸道を凍える手足をさすりながら歩く・・・
霜焼け、皸は云うに及ばず頬にまで凍傷に掛かり 刀を杖に歩いては倒れ、倒れては歩く。

「お兄様 もう歩けません、私はもう駄目です 死なせてください」「頑張るんだ、必ず仇を取って故郷に錦を飾るんだ」だが金之助も又 意識も途切れそうになりながら必死の思いであったのだ。
と、ある番小屋が眼にとまった。
「しめた、あそこで少し休もう」
転がり込む様に小屋の中に入った、壁板をはがし暖を取る。
それからの金之助は高熱に犯され 意識も失い 乾いた咳が続いたのである。

そして静香に「もう私は駄目だ、お迎えが来た様だ、後は静香 お前に頼む」と・・・
その翌日息を引取ったのであった。
静香は涙枯れるまで泣いた。

それから三日後 嵐は嘘の様に晴れた。
漁師達が見回りに来た時には泣き疲れて眠っている静香と 既に冷たくなった金之助の二人が手を握り締め 重なり合っていたのであった。
彼等はそれを見て哀れんだが 金之助の墓を掘って埋めてやる事位しか出来なかったのである。

彼等も又 極貧の生活をしていた為 せいぜいそれが精一杯の思いやりであったのだ。
金之助二十歳、静香十五歳の二月の寒い朝の事である。
風に吹かれ椿の花びらが侘しく落ちる日であった。

少しばかりの食事を頂き 静香ひとり 新九郎を求め旅立って行ったのである。
辛く苦しい旅は続いた。
だが藤堂新九郎の名前は何処で聞いても判らない。
唯、名前だけで探すのは海辺の砂の中から宝石を探すのと一緒である。
しかし静香は家名の為、死んでいった兄の為、必死で探し歩いた。
野宿をし 祠で寝泊りしながら飢えをしのいで 一歩一歩前に進むより手立ては無かったのだ。

そうしたある晩、野宿をしている所を夜盗の群れに見つかってしまった。
「おい、お前 ここで何してる」と肩を掴まれた。
「無礼な、近付くと斬りますよ」と懐剣の鞘を祓った。
「何だ、まだ小娘じゃないか」「少し可愛がってやろう」
夜盗達は眼と眼で合図しあって いきなり襲いかかったのである。
必死の抵抗もむなしく彼等のおもちゃにされたのだ。
着ている物は全て剥がされ、陵辱の限りを尽くされ静香は失神したのだった。
そして持ち物を物色し始めた。

「何 仇討赦免状、こいつ仇討ちの相手を追っているのか」と笑って赦免状を引き裂いた。
何人の男が身体の上を通り過ぎたのか・・・
朦朧とした頭で考えたのは自害する事であった。

が、しかし仇にめぐり合う事も無く死ぬのは如何にも悔しい。
叔父、兄の無念さを思い、思い留まった静香は川の水で 皮が破れる程身体を洗ったのである。
破れた赦免状をかき集め籐の小箱に入れふらつく足で歩き始めたのであった。
月が冷たく照らしていた。

下腹部が痛い・・・無理やり大勢の男達に犯された静香には 今まで男の人と親しく話をした事も無かったのだ。
一ヶ月ばかりその傷は癒えなかった、出血も二週間ばかり続いた。
だがそれが彼女の人生を変える事になろうとは まだ気が付いていなかったのである。
十六歳の秋の事であった。

三ヶ月も過ぎた頃・・・
「お兄さん、遊んで行かない?」「楽しませてあげるわよ」
夜鷹の群れに混じって客を物色する静香の姿が其処にはあった。
「おう、名前は何て言うんだ」
川岸に狂い咲きの様に【あやめ】の花が一輪咲いていた。
それを横目で見て「あやめと云います、よろしくね」と流し目で答え男を誘う。
そうしてある程度金が貯まると 又新九郎を探す旅が始まる。

宿場宿場でそれを繰り返す。
そして客に藤堂新九郎と云う男の事を尋ねるのであった。
そんな生活が六年余り続いた。
だが何ひとつ得られる手掛かりは見つからない。
静香は「このまま歳を取って死んでゆくのではないか」と思い身震いしたのだった。

敦賀の宿場での出来事であった。
自分のねぐらを確保した後、木綿の手拭いを頭からかぶり 夜の川沿いで客を拾おうとしてた時、土地のヤクザに捕まったのである。
「ショバ代を払え」と・・・勝手に商売をする事を許されなかったのだった。
「まだ客が付いておりません」と答えると「ふてーアマだな、見せしめに木に吊るして置け」と親分らしき者がそう言った。
 
抵抗もむなしく両手を縛られ 町外れの大木の枝に吊るされたのである。
彼等は横のつながりで宿場宿場で稼いで消える女を捜していたのだ。
それは紛れもないあやめと名乗る女 つまり静香の事であった。
腕の皮は剥がれ抜ける様に痛い、そのうち痺れが走り気を失ってしまった。

「やーい、夜鷹 ざまーみろ」「気持ち悪い、早く死ね」口々に罵られ石を投げられ 棒で突付かれ気が付いた。
上半身裸にされ見るも無残な姿であった。
又 竿竹で胸のあたりを殴られ失神する。
全身傷だらけで五日目におろされた。
その間に雨にさらされ傷口から血が滴り落ち道を這いずる跡には赤い血の帯が続く。
隠した荷物の所まで辿り着いたが金は全て抜き取られていたのである。

彼女はこの旅からの十七年余りの出来事を回想してた。
まだ旅の始まりの頃 三人の藩内の人の言葉「そもそも左衛門が悪い」「死んでくれて皆助かった」「新九郎殿は哀れよのう」・・・
何故敵討ちなどしなければならないのか?
解らない事が一杯あった。
傷の癒えるまで祠の下でじっと隠れ ふらふらとこの宿場を後にしたのであった。

「仇討ちの彼方に 4」  ー寒椿ー
飲まず喰わずで辿り着いた町で 懐かしい故郷の名の看板を上げた店を見つけた。
吸い込まれる様に中に入って 番頭らしき人に「お頼みします、藤堂新九郎様を探している者ですがご存知ありませんか?」

最初、何処の乞食が入って来たのかと驚かれたが「藤堂様のゆかりの方ですか? ここでは何ですから奥へどうぞ」と居間に通された。

そこで聞いた話は 叔父から聞かされた話とは全然違うものであった。
この店は『西国屋』の支店であって 当時の出来事の真相が良く解ったのである。
今でも新九郎を悪く言う者は誰も居ないと云う事も・・・
そして、もっと驚かされた事は主君の不祥事により幕府により藩が取り潰された事であった。

「一体何の為に苦しい旅を続けなければならなかったのか」
自分は何の為に生きてきたのか・・・
呆然と店を後にした静香は 自分の中の心の支えがガラガラと崩れて行く音を聞いた。
習性とは恐ろしいものである。
目的を失った静香は尚も新九郎を求めて 歩き始めたのである。
只 当てもなく苦しい旅を続けるのであった。

もう夜鷹はやめた。
だが草を食み泥水をすすって前に前に進む。
糸の切れた凧のような放浪の旅であった。
そして加賀百万石の城下町で遂に力尽きたのであったのであった。
その時良庵に助けられたのだ。

「仇討ちの彼方に 5」  ー寒椿ー
美雪は遠い日の思い出に浸っていた。
そして【西国屋】の主人の話、又その主人の好意で当時の出来事を知る人達の所在を確かめ 何通もの手紙を書いた。
返って来た返事には 傍若無人な父親の事が事細やかに書いてあった。

賭け将棋の立会人 多田兵庫からの手紙には もし藤堂新九郎が居たならば藩のお取り潰しも避けられたであろう と書いてあったのである。

元々貧乏な藩の財政を救う為に 山の中腹まで果樹園を作り、又赤穂の塩田を見習い塩の生産に力を注ぎ 豊かな財政の藩に作り上げた功績は新九郎在って出来た事。
不正を嫌い藩主に『絹着せぬ物言い』が出来たのは 新九郎唯ひとりであった。
ゆくゆくは勘定奉行と剣術師範を兼任する話もあったそうだ。
美雪はその立派な方を仇と狙い十八年もの間探し歩いた事になる。
涙が頬をつたって流れて落ちた。
又 風花の様に雪が舞い降り 椿の花びらを紅色に染めて行く。

何時しか蝉時雨の鳴く季節となった。
美雪はこの医院の[アイドル]となっていた。
良庵が診察室にいると患者達は眼で美雪を探す。
中には「大先生より美雪先生がいい」と言う患者まで表れる始末だ。
無理もない、女性の患者は大抵男性に肌を見せるのに抵抗感はあるものだ。
それが例え名医、良庵と云えどもである。

良庵は苦笑して「美雪、お前が所望だそうだ」と奥へ引っ込むのであった。
そして仁斎と酒を酌み交わし囲碁を楽しんだ。
仁斎も又 城中で何事もなければ暇を持て余していたのである。
「お前は人使いが巧いよのう」「みんな美雪に任せてのんびり碁かよ」
家の中も見違える程綺麗に片付いて 庭の手入れも行き届いていた。
佐吉夫婦ものんびり楽しく仕事してる。

過去にこんな事があった。
藩主前田公が良庵を見込んで 他藩への仕官を勧めた事がある。
勿論その藩の御殿医としてである、が・・・
良庵は「碁仇と離れるのが辛ろうござる」と断ったのだ。
前田公は面目を失ったのであるが「うん、さもあろう」と笑って答えた。
加賀藩には名医が二人居る、それが又自慢の種でもあったのだ。
他藩からも良庵を頼って来る患者もいた。 

そして城中への出入りも特別に許されていた。
その訳は仁斎一人では手の廻らぬ場合 良案が居てくれる事により多いに助かったからだ。
藩主前田公はその位 良庵を高く評価してたのである。

ある日仁斎が困った顔でやって来た。
そして「一時美雪を貸して欲しい」と言ったのである。
「実は側室のお蓮の方の事だが わしはどうもあの方が苦手でのう、美雪なら巧くやってくれると思って頼むんだが引き受けてくれんかのう。病は偏食と陽に当たらないところから来てるんだが、わしが言っても聞いてくれんのじゃ、美雪なら女同士、巧くやってくれると思って頼むんだがひとつ城中について来てくれんかのう」
良庵はこれも美雪の修行のひとつだと引き受けたのである。

側室お蓮はかなり我侭であった。
魚を食べる時には小骨まできれいに抜いてある。そして屋敷から一歩も出ようとしない。
そして仁斎が居ないと大騒ぎして「痛いの痒いの」と駄々をこねる。
遠くから眺めて仁斎は「ほら、あの方だが美雪・・・頼むぞ」と手を合わせて逃げる様に去っていった。

美雪が近付くと「誰じゃ!お前は」・・・涼しい顔して「はい、お方様専属の医者であります」「仁斎はどうした!仁斎は・・」「殿の所に参っております、今日から当分私で辛抱してくださいませ」

それから美雪のスパルタが始まった。
「お方様、外に出ましょう」まず陽の光を浴びる事から手を付けたのである。
「嫌じゃ、お前ひとりで歩いて参れ」

途端に美雪は「死にとう御座いますか!死にたくなければまず私に付いて来てくださいませ」と強い口調で言ったのであった。
今まで自分に命令した者は殿意外にいなかった。
それがこの若い医者が、それも女の医者が命令するとは・・・怒りが全身に走ったのである。

しかし死にたくはない、渋々庭の散歩をする羽目になったのだ。
最初は少し歩いて休み、休んでは歩く。
するとどうであろう、食事が美味しく戴ける。
しかしこの我侭な側室の食事には柔らかい物しか並んでいない。
それも美雪は取り上げてしまったのである。

例えば魚は小骨まできれいに抜き取ってある、根菜類は固いものはお膳の上には無い。
美雪は眼の前で骨の付いた魚をガブリと咬んで食べて見せた。
そして当分は一緒に食事を取ったのである。
其の上残った骨はもう一度油でカリカリになるまで揚げ、少し塩を振っておやつとして食べさせたのであった。

一日五~六時間の散歩、そして柔剣術の指導、これは若い藩士の教えを受けてだが、最初は根を上げていた側室も次第に元気を取り戻していった。

夜、家に帰っては良庵に逐一報告する。
「お城の中は大変ですね、庭は広いし何度も迷ってしまいました」「食事も私たちと違って固いものは食べないんですよ」と笑いながら話すのであった。

それでも十ヶ月もしたらお蓮の方は元気を取り戻したのだ。
藩公は非常に喜び「仁斎、いい弟子を持ってるのう」と・・・
「いえ、あの娘は良庵の弟子で御座います、これからは医師も女子が必要で御座いましょう」と答えたのであった。
藩公は頷きながら「良庵も偉い奴だのう、女子をあそこまで育てるとは大した奴だ」と・・・
美雪も又城内への出入りを許されたのであった。

又、こんな事もあった。
時代が落ち着いてきた今、武士も武術よりも算盤勘定ばかり考える者が多くなってきていた。
それを嘆いた藩公は 侍の魂を取り戻すべく多いに武道を奨励した。
そして城内で御前試合を度々行った。
ある時仁斎は「良庵を試合に出す様に」と進言したのである。
藩公は「仁斎、それは無理であろう、良庵は医者だぞ、剣術なんて出来る訳が無かろう」と・・・
すかさず仁斎は「だから面白う御座る、武士が医者に遅れを取っては恥、余計頑張ろうと思うのでは」

結局良庵は引っ張り出されてしまった。
そして良庵は決勝戦まで勝ち上がったのである。
決勝戦では、この藩の指南役と戦う羽目になってしまった。
良庵の竹刀は冴えた、セキレイの様に正眼の構えの切っ先が震える。
指南役は右へ左へと動き回るが 良庵の身体は静かに相手の動きに合わせ追い詰めてゆく。
最後は竹刀を置き「参りました」と頭を下げたのであった。
「いや、私こそ打ち込む隙がありませんでした、参りました」と良庵も答えたのである。

勝敗の行方は藩公には判っていた。
が 恥を欠かせない良庵の態度に感心したのだった。
藩公は頷いて「見事な試合であった」と両者を褒め称えた。
これほどの人物が市井に居る事は・・・何か仔細があっての事だろうが・・・
しかし藩公はそれを詮索する気はなかった。
だが良庵はもとより仁斎の株も上がった事は確かである。
その後、指南役も良庵宅によく訪れ 世間話をして行く様になったのである。

「仇討ちの彼方に 6」  ー寒椿ー
仁斎は言った「お前と初めて長崎で出会った頃を覚えているか」「悲壮感が漂って近付き難かったぞ」
良庵は「それはそうだろう、あの頃はわしも若かった」「医術を習得出来なかったら切腹する覚悟だったからなー」しみじみと懐かしむ様にそう言った。

お互い何でも言える仲なればこその会話であった。
良庵が「覚えているか、若君が死にかけた時のお前の慌てぶりは無かったぞ」
「うん、あの時は俺の首が飛ぶかと思った」「お前が居てくれなかったらあの治療は難しかった、助けられたよ」お互い助けたり助けられたり 今日まで過ごして来たのであった。

最初の出会いはすれ違いざまの鞘当だった。
普通ならお互い譲らず果し合いになるところだ。
だが互いが「失礼仕った」「いやいや拙者こそ」
それから身の上話を繰り返し 肝胆相照らす間柄となったのである。
医術の勉強も二人で足らざる所を補い合って切磋琢磨したのだった。

一方美雪は密かに良庵に思慕の情を持つようになっていた。
いつも優しく指導し、身を持って手本を示してくれる。
そして思慮深く誰にも分け隔てをしない。
金の無い患者にも親切に心を砕いた。

しかし美雪には言うのも恥ずかしい過去の生活がある。
それを言ったら嫌われるのではないか、との恐れを抱いて悶々としていたのであった。

そうした気持ちを知ってか知らずか 良庵は淡々と誰にも優しく接していた。
美雪の心など解っていないが如く。
美雪は淋しかった、悲しくもあった。

ついに佐吉夫婦に相談したのである。
「先生が大好きなのに察しても貰えない、どうしたら解って貰えるのかなー」
佐吉の女房は「思ってるだけでは駄目よ、旦那様は朴念仁だから言わなきゃ一生気が付かないよ」
又佐吉は「何か過去に辛い思いをなさったんだろう、美雪様が本当に旦那様に恋をしてなさるんなら思い切って言ってごらん、我々も応援してあげるから」・・・

紅葉の季節も過ぎ雪混じりの木枯らしが吹く頃になった。
美雪が此処に来て三年の月日が経っていた。
時の経過と共に美雪は益々若々しく美しくなってゆく。
それは本当に心の傷の癒えた証拠でもあった。

思い切って仁斎の屋敷を訪れた美雪は 雪吊りの続く庭先を歩いて玄関に向かっていた。
「おや、美雪さん、元気のない顔してるわねー、何かあったの?」仁斎の妻お涼が声を掛けた。
泣きそうな顔で「先生 いらっしゃいますか?」「ええ、座敷で鼻くそでも掘ってるでしょう、上がりなさいな」とお涼・・・・・
「おう、美雪 来たか、思い詰めた顔してどうした?」
「実は先生にお話したい事がありまして・・・教えてください」と・・・

そして自分の十八年間の仇討ちの旅の話、父親の犯した罪などを淡々と語ったのである。
「今の幸せを失いたくないのです、良庵先生をお慕いしてるのですがそれを言ったら嫌われるでしょうか?」
「うーん、難しい問題だな、さて良さんどう出るかな・・・」「しかし美雪が心から惚れたのなら当たって砕けろ だな」

その夜、良庵の前に座った彼女は全てを話し「女の私から言うのは はしたない事は解っているのですが先生が大好きです、愛しているんです」と 涙混じりで訴えたのである。
「少し時間をくれないか」良庵も困惑した表情でそう言ったのだった。
暫くは良庵も押し黙って考えていた。

そして五日後に仁斎の家に赴いたのである。

「おう、待ってたぞ色男」と仁斎・・・「お前まさか死ぬ気じゃないだろうな」
良庵は何故知ってるんだ、と訝ったが 図星を指され戸惑ったのであった。
「うん、俺のお陰であの娘に苦労かけたかと思うと居ても立っても居られなくてな」
「あの娘は思慮分別のある聡明な娘だ、お前の生きて来た道をきちっと話してやれよ」と仁斎。

「お前が首を差し出しても喜ばないぞ、美雪はもう何年も前から仇討ちなんて捨てておる」「いじらしい娘じゃのう、恋するとはそう云うものかな」と笑った。
そして「お内儀の事だが、今は大店の女将として旦那を尻の下の敷いて幸せに暮らしているそうじゃ、安心しろよ」
「しかし女は怖いのう、お前の話では貞淑な妻だったと聞いていたが 何でも今は完全な『かかあ殿下』だそうじゃ」
良庵は常日頃から妻の無事息災を祈っていた。

肩の力が抜けてゆくのを感じたのである。

「仇討ちの彼方に 7」  ー寒椿ー
仁斎は美雪に言った。
「なあ美雪、今此処にお前の仇 藤堂新九郎が現れたら何とする?」
「やっぱり憎いか?」
「いえ、その方の心中を考えますと どれだけお詫びをしても足りません」
「本当に苦しまれたのはその方でしょうから」と答えたのであった。
「うんうん、それで良いのじゃ、それでこそ良庵が救っただけの娘の 良い判断じゃて」「思い切って良庵の胸に飛び込んでゆけ」仁斎はそう付け加えたのである。

それから二日程して良庵は美雪を居間に呼んだ。
深々と頭を下げこう切り出した。

「今お前の前に居る私が藤堂新九郎だ、お前の憎い仇の新九郎なんだ」
思いもかけぬ言葉に美雪は戸惑い、驚いたのである。
そして床の間の開き戸を開け封印のしてある大小の刀を取り出した。
「さあ、斬りなさい、仇を討って故郷に帰ればお家再興が出来るではないか」「苦労のし甲斐があったと云うものだ」
新九郎は藩の取り潰しがあった事も故郷の事情も何も知る由もなかった。

美雪は嫌々をするように首を横に振り泣き崩れた。
それから良庵は静かに語り始めたのであった。

無頼の群れの用心棒をし 幾人かの人を殺め、すさんだ生活を送った日々。
その後、左衛門の子供達に討たれてやる方が一番良いのではないか、と考え探し歩いた事など。

たまたま立ち寄った寺で暫く滞在し 住職に「討たれるのはたやすい事、人の為に生きる事を考えられよ」「お前様は並みの方ではない、ひとかどの人物と判断した、唯死ぬ事は誰でも出来る」と諭され 医術を学ぶ為に長崎に向かったのであった。

そして村上伝八(後の仁斎)と知り合い、又伝八の勧めでこの地に診療所を建て今日に至ったこと等、詳しく話したのであった。
最初は金も無く伝八の好意で診療所の建築費も借り、伝八の父親の死後、伝八は仁斎を襲名し、その時仁斎の勧めで良庵と名乗る様になったのだ、と・・・

「私の命は美雪のものだ、お前の好きにすればいい」
「本当に済まない事をした」と又頭を下げるのだった。
黙って聞いていた美雪は胸が一杯になり全身を震わせ、良庵にしがみ付き こぼれ落ちる涙の海の中に居た。
それは哀しみと喜びが ない交ぜとなり滴り落ちたのである。
だがそれは本当の旅の終わりを告げる 寧ろ嬉しさが勝ったものだったに違いなかった。

それから二年の月日が経った。
良庵の腕の中には可愛い赤ちゃん(良一郎)が抱かれていた、そして傍らには笑顔を満面に湛えた美雪の姿が・・・
寒椿が一杯に咲き誇る七日正月の午後であった。

    ー第一部ー完ー

「№ 13」  
波は小船を木の葉の様に揺らせた。
だが土佐の荒海で育った伊助は苦も無く櫓を巧く操り岸に辿り着いたのだった。
「さて、これから家探しだな」伊助は各々の家を探す事にしていた。
庄助の家は簡単に見つかった、伊助と行動を共にするのであるから、ほんの隣の家を買い取ったのである。

お竜とお志乃の家は少し離れるが修善寺に見つけてやった。
ここなら芸者衆に芸事を教えながら暮らす事も出来る。
伊助が通うにも都合が良い。そしてお竜とお志乃の家もほどほどに離れている。
恋の鞘当も起こらないだろう。

「旦那、これからどうなさるんで?」庄助が聞いた。
「旦那じゃない これからは兄貴と呼べ」笑いながら「当分漁師でもやるか、猟師でもいいぞ」と・・・
暮らし向きに困る訳でもなし、自分たちの食い扶持は何とか稼げる。

後はお竜 お志乃の方である。
しかし案ずるより生むが易し、彼女たちの方がすぐその土地の水に慣れ弟子を取ってしっかりやっていた。
月々の手当てを持って行くと何時も弟子たちの笑い声がしていたのだった。

一ヶ月ほどして お志乃の家で二三日寛いだ。
お志乃はずっとこの日を待っていたのであった。
涙が糸を引いて流れて落ちた。
「待たせたな、許せ」伊助は思いっきり抱きしめながらそう言った。
それからの伊助は忙しかった。
女のところに行くのも楽ではない。

伊助と庄助とは漁師よりも猟師の方が向いていた。
何時しか山に入る方が多くなっていった。
山には幾らでも獲物がいる 猪、熊、野うさぎ・・・
特に猪の肉は高く売れる、そして皮もだ。
同じく熊も同様である。
修善寺の宿では結構な値段で買ってくれる。
使い切れない程の金を切り崩す事もなかったが金は置いておいても仕方が無い。
然るべき使い道を考えなくてはいけない。

又女達もしたたかに生きていた。
結構巧く弟子を取り手当ての必要もなかった程であったが伊助は几帳面に持って行った。
それが苦労を共にした仲のけじめであると思ってたのだった。
しかし お竜の所だけは手当てを持って行く以外あまり行く事が無くなっていった。
そのひとつの理由はあまりにも人の出入りが多かったので自分の身元がばれる恐れを感じたからではあるが・・・
伊助の顔には大きな火傷跡があり判るはずも無いのであった。が 用心に用心を重ねていたのである。

久しぶりにお竜の家の裏木戸を開けたが お竜は慌てて襟の崩れを直しながら出てきた。
「男が居るな」と感じた伊助は居間にすばやく入って行ったのである。
やっぱり居た、急いで逃げ出そうとする男を捕まえ「お前、何者なのだ」と聞いた。
男は呉服屋の主人、四十代の男、先年妻を亡くしたと云う。
「俺はお竜の兄貴だ、お前が本気だったら許す、遊びでこんな事をするのであればたたき殺すぞ」と凄んだ。

お竜は青くなった「この人を怒らせたら私も殺されるに違いない、どうしよう・・・」
伊助の剣幕に気圧されたのか それとも本気だったのか・・・
「は はい、祝言を挙げたいと思っております」
二人は結婚する事になった。
心の中で伊助は「やれやれこれで片付いた」とにんまりしてたのである。
伊助にはお竜は心の重荷だったのだ。

意外にも大きな呉服屋だった。
主人宗兵衛はかねてから器量の好いお竜に惚れて三味線を習い やっとの思いで口説き落としたのであるが、お竜はほんの遊び心だったのだ。
だが伊助に見つかった以上嫌とは言えなかったのである。
伊助 つまり伊蔵の怖さを嫌と云う程知っていたから・・・
お竜は後悔した。
謝ろうとも思ったがそれも出来なかった。

「№ 14」  
盛大な祝言(結婚式)だった。
「お兄様も紋付袴を着てくださいな」宗兵衛はそう言ったが「俺にはこの姿が一番似合ってる」と猟師の格好で出席したのである。
万が一正装した事によって元侍と云うことがばれるのを恐れたからだ。
お涼、お志乃は手放しで喜んだ。
特にお涼には特別の思いがあった。
何時も姉貴面して見下され、虎視眈々と伊助を狙う眼が許せなかったのだ。
姉妹の確執は常にあったが、唯表面上伊助に見せない様にしていただけであった。

又 お志乃に対しては所詮買われた女、それほど気にはしていなかったのである。
お涼は勝ち誇った顔で「お姉ちゃん、本当におめでとう、いい人に出会えて良かったね」
お竜は悔しさを滲ませながら「ありがとう」と言うより仕方が無かったのである。

お竜には京に住んでいた頃から志穂(お志乃)に対してはそれ程気にはしていなかった。
厳しくすればそのうち根を上げるだろう、そう思って徹底的に鍛えたのである。
お陰でお志乃の腕は立派に師匠として自活出来るまでになっていた。
お竜は「妹に取られる位ならお志乃に譲った方がましだ」とも思っていたのだった。
祝言の後 お竜はお志乃を呼び「伊助さんはお夕よりあんたの方が好きなんだよ、絶対離しちゃ駄目だよ」「私の弟子は全部あんたにあげるからしっかりするんだよ」と・・・
それぞれの思惑が交錯する中で盛大な式典は終わった。
「淋しくなりましたなー」と庄助は言ったが伊助は「うん・・・」と答えただけであった。

「№ 15」  
明治も二年となった。
蝦夷地での新政府を夢見た旧幕臣、榎本武揚等の目論みも又失敗に終わった。
土方歳三も討ち死に、榎本も自刃して果てた。
いよいよ明治新政府が発足したのである。
官軍は旧幕臣の探索を徹底的に行った。
だがこの西伊豆にまでは手は伸びて来なかったのである。

伊助はいろんな事を思い出していた。
お夕と出会ってから八年、激動の京の生活、船の上の一年半のゆったりと過ごした日々・・・
走馬灯の様に廻っては消えた。
この時代は又どんな田舎に住もうと弾薬は手に入った。
それだけ全国に猟師が多かったのである。
又 獣も多かった。

江戸時代には日本人は肉を食べなかったが文久にはもう肉を食べるのは当たり前になっていたのである。
が しかしまだ肉は高級品であったのだ。
修善寺では美味しい肉を食わせる事で有名になっていった。
それだけ伊助達も忙しく 山を駆け回ったのである。

家事全般は庄助の妻よねが引き受けていた。
お涼は庭に花を植えたり三味線を弾いたり、時にはよねを連れ立って修善寺の町まで買い物をしたり優雅に暮らしていた。
お志乃との仲も良かった。
共に船の上で苦労を分け合い助け合った仲、まるで町の人には本当の姉妹の様に見えたであろう。
伊助達も又気ままに猟を楽しみ誰も居ない所では庄助に剣術指南をしたりして楽しんでいたのだった。
足繁くお志乃の家に行く余裕もあった。

宗兵衛とお竜の間にも二歳になる男の子が出来ていた。
そして二人目もお腹の中に・・・
「お兄さんは もしかしたら元お侍だったのじゃないかい?」お竜はとぼけて「ええ、貧乏旗本の三男坊でね、侍が嫌いで猟師になったんですよ」と・・・
「道理で、とても達筆でしらっしゃる、いっそ寺子屋でも開いたら?」「うちの帳簿も目を通して貰いたいものだね」
お竜は「しめた!これで又伊蔵さんが来てくれる」と思ったのだが・・・
しかし伊助は「縛られるのが嫌いでね」と断ったのである。

宗兵衛の店はお竜が来て以来余計に繁盛していた。
京仕込みの柔らかい立ち居振る舞い、口の巧さ、そしてその美貌・・・
町の人は「いい嫁さんを貰ったなー」と羨ましがった。
どうやら男癖の悪さも毎日宗兵衛に可愛がられているせいか直ったようだ。

お志乃も日に日に艶っぽくなっていった。
伊助が月のうち半分は来てくれる。
そして可愛い女の赤ちゃんが生まれた。
それが嬉しくて堪らない。
お涼も又 昔 帰るか帰らないのか判らない生活の事を思い出しながら幸せを感じていたのだった。

新政府は薩長が中心で組閣されていた。
その仲で異彩を放っていたのは勝海舟の入閣であったのだ。
江戸城を無血開城に導いた功績もあるが何より諸外国の状況をよく知っていたからに他ならない。

「№ 16」  
江戸の町も東京と名を改められ新貨幣が発行された。
それと同時に紙のお札(兌換紙幣)も発行されたのである。
伊助は密かに宗兵衛に相談して小判を少しずつ交換する事にした。
宗兵衛もあまりにも多い金に驚き自分の店の名義を使い新しく出来た銀行に預けたのであった。
と 同時に伊助の本当の姿が知りたくなったのである。

庄助は「上方で回船問屋をしてた時の蓄えだ」とその場を取り繕ったのだ。
「御家人から商売人・・・?」宗兵衛はそれ以上知ろうと思わなかった。
これ以上詮索するのは得策ではないと判断したのである。
さすが商売人である、身内に貧乏人を抱えるより金持ちがいい、と思ったのだった。

伊助の顔はなかなかの美形である。
もし火傷の跡さえ無かったらさぞかし持てるだろうと。
だからお涼の様な美しい女性と所帯を持っているのだろう、その妹お志乃も魅力的な女だ。
「私はお竜と結婚出来た」何と云う幸せ者なんだと宗兵衛は思っていた。
こうして何事もなく月日は過ぎていった。

ある晩、商家の付き合いで宗兵衛は「たまにはお兄さんもどうぞ」と温泉宿に誘ったのであった。
宴も終わり宿の廊下を歩いていた時 意外な人物に出会った。
皆が頭を下げる向こうに勝海舟が歩いてきたのである。
たまたま湯治に来ていた訳だが伊助と眼が合った。
海舟も驚いた、伊助も又「もはやこれまでか!」と覚悟を決めたのであった。
「おっ!生きていたのか」「今何してるんだい?」
「へい、猟師をしております」伊助は町人言葉で答えた。
海舟は「無事で良かったのう、息災で暮らせ」と言って通り過ぎて行った。
海舟は思慮のある男である、今更詮索する気など全くなかった。

宗兵衛は腰を抜かさんばかりに驚いていたのである。
天下の勝安房守様とお知り合いの方であったとは・・・
この方もきっと立派なお侍であったのだろうと・・・
何も言わず語らず 時は過ぎてゆくのであった。

「№ 17」  
伊助も庄助も老境に入っていた。
現在ならば四十代半ば過ぎはまだ働き盛りなのだがその頃ではもう老人の部類であったのである。
だが二人とも意気軒昂、山々を駆け回っていたのだ。
宗兵衛は「もう碁でも打ってゆっくりなさっては、うちの近くに家でも建てて自適に暮らされたら如何ですか」と言った。
伊助は笑って「まだまだ」と答えたがもう疲れは一日寝れば取れると云う訳にはゆかなかった。

明治十年 突然西郷が『征韓論』を唱えて野に下った。
そうして薩摩で軍を整えて反旗を翻した。
海舟は間者として歴戦のつわもの伊蔵を送る事を考えたのである。
使者が呉服屋宗兵衛の家を訪れた。
「岡田伊蔵殿はご在宅で・・・」と。
宗兵衛は腰を抜かさんばかりに驚いた。
あの有名な人斬り伊蔵であったとは・・・

すぐさま「安房守様のお呼びですが」と伝えたのであるが伊助は「もう歳だから」と断ったのである。
それからの宗兵衛は何か恐ろしい事が起きるのではと震えたが 伊助は「あの方ははそんな了見の狭い方ではないぞ」と笑って取り合わなかった。
又何事も起きる様子も無かった。

伊助はこれまでの経緯を宗兵衛に話して聞かせた。
が お竜事お葉の事は伏せておいたのである。
伊助事伊蔵は今まで以上に親しく宗兵衛と酒を酌み交わし忌憚の無い話が出来る様になった。
時が全てを押し流してくれたのである。

西郷軍は一時は九州全土を席巻したが田原坂の戦いに敗れ自決したのだった。
それを伊豆の地で聞きながら祭りは終わったな と伊蔵は思った。

お夕も幸せな人生を噛み締めていた。
遅い子供であるが伊蔵との男の子も授かった。
名を誠一郎と名付けた。
お志乃も又大勢の弟子に囲まれ楽しく過ごしている。
宗兵衛が全てを知った今、仮の名を名乗る必要も無かったがお志乃の名が気に入ってその名を使い続けたのである。
それは伊蔵が付けてくれた名でお志乃に取っては愛の証でもあった。
激動の時代を駆け抜けた伊蔵は庄助と共に相変わらず野山を駆け回ってた。

それから十年後 お夕に伊蔵は身体の不調を訴えた。
宗兵衛を呼んだ伊蔵は自分の死後 女達の行く末を頼んだのであった。
その十日後、皆に見守られ静かに息を引き取ったのである。
庄助事正二は涙で「旦那、卑怯ですぜ、死ぬ時も一緒だと約束したじゃありませんか」と・・・ 

お志乃も眼を真っ赤に泣き腫らしていた。
気丈にもお夕は一粒種の誠一郎を抱きしめ「お父様は立派なお侍だったんだよ、よく見て置きなさい」と涙ひとつ流さなかった。
伊蔵は死に際、お夕 お志乃の手を握り「あの世でも又一緒に暮らそうな」と言ったのである。
実に見事な幕引きであった、その顔にはうっすらと笑顔をたたえて・・・
最後まで豪快に生きた人生だった。 

早速宗兵衛は勝海舟に伊蔵の死を知らせた。
海舟はその死を惜しんだ。
そして 息子誠一郎を福沢諭吉の義塾に入れる様【紹介状】を添えた手紙をくれたのである。
宗兵衛は幕末の快男子にふさわしい盛大な葬儀を行ったのであった。

    ー完ー

「№ 6」  
伊蔵は志穂に優しい言葉を掛けてやっていた。
「悲しい時にはうんと泣けばいい、そして忘れる事だよ」
そして「惚れるんなら新撰組も勤皇の志士も駄目だな、普通の男にしておけ」と・・・

この頃では商家の用心棒の仕事も舞い込む様になった。
それだけ治安も悪い、押し込み強盗も多くなっていたのだ。
食い扶持にありつけない浪人もたくさん居たのである。
お夕の所にも三日に一度帰れればよい程仕事はあった。
帰る度に小判が増える。

お夕はそれを縁の下の壷に入れながら伊蔵が何時も無事である事を祈ってた。
ある晩 伊蔵の雇われている店に押し込みが入った。
一早く眼を覚ました伊蔵は主人夫婦を奥の部屋に匿い押し込みの前に立ったのだった。
そして「岡田伊蔵だ!待ってたぞ!」と・・・
強盗団はそれだけで腰を抜かして何も取らず逃げて行ってしまった。
主人は大層喜び多くの金を差し出し労をねぎらったのである。
「強盗ももう来る事もあるまい」伊蔵は『切りもち(金)』ふたつを懐にその店を後にした。
ひとつはお葉に、もうひとつはお夕に持って帰ったのである。

お夕は「伊蔵さん、もう旦那様って呼んでいいかなー・・・?嫌?」って聞いた。
「もうお前の亭主だよ」お夕は喜んだ。
「やっとお母さんも姉さんも手が出せなくなる」と・・・
そして「一生使い切れない位お金あるよ、もう静かに暮らそうよ」と・・・・
伊蔵は「もう暫く好きにさせてくれ、まだやりたい事がある」と答えてごろりと横になった。
伊蔵は時代がどう動くか見届けたかったのだ。
時代の変革の波はヒタヒタと迫っていた。
しかしまだ動乱の都ではそれを感じる者は少なかったのである。
伊蔵は何となく感じていたが薩摩、長州、そして幕府の動き次第でどう転ぶか、嫌な匂いを嗅ぎ取り自分の活躍の場があるかどうか考えていたのだった。

「№ 7」  
元治元年も暮れの押し迫った頃、ある商家『萬勢屋(両替、海産物業)』の主人と初めて祇園を訪れた。
その頃伊蔵は萬勢屋の用心棒をしていたのである。
両替屋の蔵には何時も千両箱が積んであったのだ。
もし押し込み強盗にでも遭えば根こそぎ身代を失う事になる。
それを防ぐには腕に覚えのある剣客を雇う必要があったのだ。

偶然の事である。
座敷に志穂が現れた。
面やつれはしていても伊蔵の顔を見た途端明るい笑顔がこぼれた。
女将に聞くとまだ水揚げされてないとの事である。
萬勢屋主人喜助は「先生お好みの娘がいらっしゃる様で」と笑って言った。
「うん、ちょっと訳ありの娘でな」「いっそ先生が身請けなさったら如何ですか、金は私が用立てましょう」
喜助にとって身代、命を預かる伊蔵への出費は痛くも痒くも無かった。
まして芸姑の一人や二人位安い買い物なのだ。

こうして志穂をお葉のところへ連れて帰った。
「嫌ですよ、伊蔵さんの【いろ】なんか面倒見られませんよ」
「まあ 家が見つかるまでの間だ、置いてやってくれ」
「本当に助平なんだから」とぶつぶつ言いながら面倒を見る事になった。
10日ばかりで家は見つかったが、お葉は面白くない。
「うちに来る回数減らしたら駄目だからね、承知しないよ!」と・・・

新撰組もかなり規律が厳しくなった。
少し前、蛤御門での長州藩との激戦に勝利し、秋には伊東甲子太郎等が入隊し意気軒昂である。
が 又脱落して行く者も多く居た。
彼等に待っていたのは死であったのである。
伊蔵はその厳しさには付いて行けなかった。
つくずく新撰組隊員でなくて良かったと思ったものである。

将来、身の立つ様にしてやらなければと思った伊蔵はお葉を説き伏せ、志穂の稽古事は続けさせてやる事にした。

お葉はまだ伊蔵が志穂に手を出していないのを知り承諾してくれた。
「しっかり監視してやるから」と、わざと手元に置く事にしたのだ。
お葉には「何時かお夕からも取り上げてやる」と、伊蔵への執着心は凄まじいものがあったが、それをおくびにも出さず引き受けたのである。
ま、この時代【浮気は男の甲斐性】妾の一人や二人居る方が男として尊敬される所もあったのだが・・・

「№ 8」  
元治から慶応に代わった。
松も明けぬ内から石倉屋事件が勃発した。
尊皇派の大利等数名が潜伏してるのを察知した新撰組、谷等はそれを惨殺したのだった。
それは凄惨なものであった。
四人一組で相手に襲い掛かる。
息絶えても尚斬り刻む。
残酷な谷流の殺し方であった。
さすがの伊蔵も戦慄を覚えたのであった。

後日それを聞いた近藤は苦りきった表情で「三十郎は斬らねばならぬな」と土方に言った。
それから数日の後 谷三十郎は廓から酩酊して出たところを同じ同士の新撰組隊員によって殺されたのである。
日頃から谷と仲の良かった山南敬介は身の危険を感じて脱走を試みたが 囚われの身となり屯所の中庭で切腹して果てたのであった。

伊蔵は志穂に月十両の手当てを与えたがめったに志穂の家に行く事は無かった。
それはお葉への遠慮もあったが「出来るだけ静かにして置いてやろう」と心の傷の癒えるのを待っていたのである。
志穂はその金で(おさんどん)を雇い 足しげくお葉の所で芸事の修行を積んでいた。
「きっといい芸者になれば伊蔵さんは私を認めてくれる、愛してもくれるだろう」「そしてお姉さん(お葉)も許してくれるに違いない」と・・・
そのいじらしい心根が解らぬお葉では無かったが 伊蔵が自分の所に来なくなる事を恐れたのである。

それは自分の年齢への嫉妬でもあった。
お夕はもうすぐ十九、志穂は十七歳、お葉に至っては二十六歳 セックスのテクニックでは負けない自信はあったが若さでは勝目はない。
しかし伊蔵への思いは誰にも負けない自信はあった。
やがてその事はお夕の耳にも入ってきた。
お夕は嫉妬に狂う女では無かったが一度志穂に会って見ようと思ったのである。
そして志穂の家を訪ねたのだった。
いろいろ話を聞くうちにお夕は出会った頃の伊蔵を思い出していた。

軒先で雀が死んでいた時涙を流しながら土に埋めていた事・・・
庭先が淋しかろうと花を植えていた事など・・・
無表情で人を斬る これは伊蔵の仕事である。
本当は優しい人なんだ・・・と・・・
だから志穂を身請けまでして助けたんだと、自分を納得させたのであった。

ある夜、伏見の川沿いで押し込みと出会った。
下っ引きの正二は「旦那、あの金をそっくり頂いちまいましょう」
強盗団は船に千両箱を五六個積んでいた。
船の上には三人、後は川岸に六人・・・
「正二船を漕げるか」「任せておいてくだせい」途端に行動は早かった。
船上の三人を瞬時に斬り倒すと同時に艀から見る見る船は離れて行く。 

正二の腕は確かであった。
夜の闇の中へ消えていったのである。
伊蔵は「泥棒の上前をはねるとはいい商売だな」と笑った。
暫く下流に下り それから上流へと進路を変え町外れの葦の茂みに船を隠した。
正二は大八車を何処からか持って来てそれに金を積み替え志穂の家へと向かったのである。
「ここなら見つかる心配も無かろう」と・・・・

「№ 9」  
翌日、呉服商桔梗屋が襲われ一家惨殺、一万両近くが盗まれたと云う噂が流れたが、仲間割れから三人の死体が伏見の川岸に浮いてたと云う。
「旦那と俺とは一心同体ですぜ」正二は笑って言った。
又 伊蔵は正二が居る事で何かと助かる、笑って「死ぬまでな」と答えたのだった。

萬勢屋喜助に「船を一艘手に入れたいのだが」と声を掛けてみた。
「何に使いなさるので?」と聞いたが「ちょっと堺港まで・・・」と言葉を濁した。
「いいでしょう、お貸ししましょう」「沈められるかも知れんぞ」
萬勢屋は少し考えて「ようがす、沈んだら沈んだ時、ボロ船で良かったらあの船を三百両でお譲りしましょう」と十数名は乗れる船を売ってくれたのである。
なるほど ボロ船である。
修理に百両程かかった。

伊蔵は正二を連れて堺の町に行ったのである がそこは勤皇の志士が席巻していた。
志士を装い鉄砲鍛冶の所に行き五丁の銃と多くの弾薬、そして火薬を買ったのである。
「あれだけ武器を手に入れているなら幕府はもう終わりかなー」と、彼は思った。

歴史はめまぐるしく動いていた。
新撰組は壬生の屯所を引き払い西本願寺に本部を移した。
伊東甲子太郎は御陵衛士を拝命して新撰組から脱退したのである。
慶応三年春の事であった。
ついに近藤の念願であった幕臣取り立てが決まった。
だがこれは伊蔵には沈み行く太陽の一瞬の光芒に思えたのである。
堺の町で見たものは次々と近代兵器を買い漁る志士達の姿だった・・・
依然新撰組、所司代では刀に頼る事で勝利を信じていたのであった。
伊蔵と正二は夜中、密かに今まで稼いだ金を船に積み込んでいた。
万が一の事を考えてのことだった。

その年 坂本竜馬他数名は近江屋にて暗殺された。
これは伊蔵が関係してるとも思われたが伊蔵には幼馴染を斬る様な真似は出来ない。
又新撰組が襲ったとも云われているがこれも何の証拠も無かった。
只、薩長同盟を竜馬の努力によって成し遂げられた事による反対派が襲ったとも云われるがこれも根拠の無い話である。
佐幕派の者は京の町人に酷く嫌われる様になった。

全てが尊皇攘夷派に流れは来ている。
この時節になると敵見方関係無く殺戮の嵐が吹き荒れた。
伊東甲子太郎も又新撰組に惨殺されたのだった。
又近藤も御陵衛士の残党に狙撃され実働部隊は土方の手によって指揮されていったのである。
池田屋事件以後沖田は喀血し郊外の某所で療養を余儀なくされその後の戦いには出動不能となっていた。
翌、慶応四年 鳥羽伏見の戦いが勃発するのであるが、その少し前から強盗団の中に岡田伊蔵と名乗る人物が幾人か現れる様になった。
伊蔵は怒りに燃えた。
「自分の名前だけが一人歩きしている」鬼と化した伊蔵はそうした者達を斬り捲った。 

ある日 ついに伊蔵の塒が志士達に探し当てられたのである。
夜更けに彼等は襲ってきた。
すぐさま押入れの天井裏にお夕を隠し志士たちと斬り結んだのである。
壬生の狼、鬼の伊蔵は竹薮の中に逃げ込み激しく応戦したのであった。
藪の中では相手はなかなか一度には斬り込めない。
一人二人と術中にはまり伊蔵の刃の前から消えてゆく。
が しかし「この女を殺されたくなかったら刀を捨てろ!」と・・・
お定の首には相手の刃が突きつけられていた。

「万事窮すか」伊蔵はひるんだ。
その時である。
「斬って!お母ちゃんを斬って」「あんた死んじゃ嫌!」後ろで声がした。
お定は「あんた 何言うの?親を見殺しにする気かい! 伊蔵さん助けて、後生だよ」と・・・
と同時にお夕の手から飛んだ脇差がお定の腹に投げつけられたのである。
お夕が複雑な顔で、涙で立っていた。
伊蔵は真っ向からから竹割りに斬り倒した。
お夕によって投げつけられた刀傷は以外に深く刺さり苦しむお定を見て 「もう助からないなら楽に死なせてやろう」と一突きしたのであった。
お夕は肉親の情よりも伊蔵を取った訳だが、「これで邪魔者が一人減った」との思いも有ったのである。

「№ 10」  
夜明け近く、正二を呼び金目の物だけ運び出し お夕を志穂の家に向かわせた。
そして家に火を放ち行方を眩ませたのであった。
正二だけに伊蔵の居場所を教えて・・・・

薩長率いる近代兵器の前では新撰組、そして幕府軍も刃が立たなかった、敗走に次ぐ敗走であった。
この戦いの創始者 高杉晋作は自ら作り上げた奇兵隊の活躍を見ながら喀血し長州に帰り勝利を見る事なく世を去った。
橋本の戦いにて完全に息の根を止められた新撰組はわずかの兵力で勝沼の戦いに臨んだのである。
そこには江戸からの甲陽鎮武隊が待っていた。
が ここでも敗れ江戸まで逃げ帰ったのであった。
惨敗に次ぐ惨敗である。
慶応四年四月 近藤勇は薩長同盟軍に投降したのである。
土方は江戸彰義隊に加わり尚も孤軍奮闘していた。

一方お夕達は正二の指図で密かに身の廻りの物を船に積み込み伊蔵の帰りを待っていた。
お葉も志穂も、そして正二の妻よねも ここでは仲良くせねばならない。
自然と連帯感が生まれてくるものだ。
ひっそりと静かに人に判らぬ様に暮らしていた。
その間の日常の物は正二が調達して来たのである。

ある日「近藤達の処刑があるぞ」と耳にした女たちは伊蔵の安否が気に掛かった。
そして鳥追いの姿に身を変えて処刑場へと向かったのである。
近藤は武士のしきたりではなく斬首と云う屈辱の刑であった。
「次は岡田伊蔵」の声を聞くなりお夕は失神しそうになったのである。
お葉も志穂の思いも一緒であった。

だが正二は「よく旦那の最後を見て置け」と言って腕組みをしている。
三人の女達は眼を凝らして刑場に引き連れられてくる男の姿を見守った。
お夕は「はっ」と気付いた、顔を白布で覆われていても何処かが違う。
「あの人ではない」
お葉と志穂は涙で見る事が出来なかったのだった。
生きながら何本もの槍で突かれて絶叫して果てた。
見るも無残な死に様であった。
と その時後ろで「南無阿弥陀仏」と声がした。

「№ 11」  
聞き覚えのある優しい声であった。
托鉢の僧が笠の中で笑っている。
女達の表情が驚きと歓喜の顔に変わったのである。
正二は唇に指を当て静かに女達を導いて刑場を後にしたのであった。

船に戻った彼女達は歓声を上げ喜んだ。
紛れも無く伊蔵だった、生きている事が不思議だった。
「正さん知ってたのね」「ハッハッハお前たちに話せば世間に知られる」「旦那は簡単には死にはしないよ」
伊蔵は「すぐ水夫を五六人雇って来い」と正二に指図した。
「ではあの時殺された伊蔵さんは誰なの?」「岡田伊蔵は何人もいるさ」と笑った。
戻ってきた正二は「松前まで行った事がある水夫だってよ」と・・・
伊蔵達はその日のうちに大海に向かって出航したのであった。

沖まで出た所で「さあどちらに向かうかな」と・・・
水夫の頭に「出来るだけ陸地が見える程度の距離を取ってゆっくりと行ってくれ」「こちらは物見湯算の長旅だからな」と指示をした。
頭は「何処まで行くので?」「松島でも見物しようと思ってな」と言って皆のところに戻った。

そしてお夕に「コテを焼いてくれ」と指図したのである。
「あいよ」衣類の皴でも伸ばすのかと簡単に考えた彼女は気軽に火の中にコテを入れたのだった。
「もう いいだろう」伊蔵は焼けて赤くなったコテを自分の頬に押し当てたのである。
ジュー・・・と音と共に煙が立ち上がり肉の焼ける匂いがした。
一斉に女達の間に悲鳴が起こった、「旦那!」正二は伊蔵からコテを取り上げ絶句した。
「岡田伊蔵は今死んだのよ、こらからは只の伊助だ!皆覚えて置け」そう行って失神したのであった。
正二も又『庄助』と名を変えた・・・

彼も幕軍の取り方、そして間者であった為捕まればどんな仕置きが待っているか判らぬ身。
全て過去を消す必要があったのである。

伊蔵改め伊助は三日三晩熱に魘された。左の頬から顎にかけて酷い火脹れが出来ている。
五日目の夕方 女達を集め「俺のこの顔が怖いか?嫌いか? 嫌いなら去っていいぞ」と・・・
女達は口をそろえて「何処にどんな傷があろうと伊蔵さんは伊蔵さんよ」「好きな事に変わりはないわ」・・・・
「おい、もう伊蔵じゃなく『伊助』だぞ」と笑った。
船はゆっくりと東に帆を上げ進んでいった。
時々食料を買出しに港に寄って今の世の中の情勢を聞きながら船に戻る生活が続いたのである。

「№ 12」  
その少し前 土方歳三は宇都宮の戦いで足を負傷したが、会津旧幕府軍と合流して官軍(薩長軍)に戦いを挑んだ。
が しかし善戦むなしく会津若松城は落城、若い兵士白虎隊も飯盛山で自刃して果てたのである。
伊助はそれを焼津港で聞いた。

土方は蝦夷の地に向かったそうだ。
蝦夷には榎本武揚が函館にて新政府樹立を考えていると云う。
「幕府も終わりだな」そうつぶやき、ふと竜馬の事を思い出していた。
この時代を志半ばで倒れた竜馬に見せてやりたかった。
慶応四年、明治元年の事であった。

榎本は仙台港を出港して蝦夷地に向かったのである。
既に旧幕府軍が蝦夷にて新政府樹立の足がかりを付けて榎本の到着を今や遅しと待っていたのであった。
函館五稜郭に入城した榎本はすぐさま蝦夷地平定を果たしたのである。
津軽海峡をはさんで官軍と榎本軍とが睨み合っている。
そこに土方は旧新撰組の面々と到着した。
と 同時に松前城を攻略した土方は阿修羅の如く次々と官軍を撃破して行ったのであった。
伊助はそれを蒲原の宿で聞き腕が鳴るのを抑える事が出来なかった。
だが、折角拾った命 何時かは負ける戦に付き合う事は出来ないと悟ったのである。

女達もそれぞれ名を変えた。
お夕はお涼、お葉はお竜、そして志穂はお志乃 京言葉も出来るだけ使わない様にしたのであった。
伊豆の小さな漁村沖に停泊し 少し近くを探索する事にした。
ここまでは官軍の手は伸びていない。
伊助はお涼を連れて近辺を調べ こじんまりとした家を一軒買い取った。
「此処なら静かに暮らせそうだな」と・・・

そして小船を調達して船の荷を全て降ろしたのである。
女達もまずそこに降ろし小船を曳航して沖へと向かった。
陸地が見えなくなった所で伊助と庄助は示し合わせていた行動に出たのである。
いきなり水夫達に斬りつけた。
伊助の剛剣は唸った、完全に昔の伊蔵の姿であった。
又庄助も銃で片っ端から撃ってゆく。
船から海に飛び込む者も銃の餌食なって果てたのである。

そして船底に穴を開け火薬の導火線に火を放ち小船に飛び乗った。
ものの数十条も行ったところで轟音が轟いた、そして船首部分を上にして海中に沈んで行ったのである。
全てを海中に葬り去ったのであった。

「№ 13」  
波は小船を木の葉の様に揺らせた。
だが土佐の荒海で育った伊助は苦も無く櫓を巧く操り岸に辿り着いたのだった。
「さて、これから家探しだな」伊助は各々の家を探す事にしていた。
庄助の家は簡単に見つかった、伊助と行動を共にするのであるから、ほんの隣の家を買い取ったのである。

お竜とお志乃の家は少し離れるが修善寺に見つけてやった。
ここなら芸者衆に芸事を教えながら暮らす事も出来る。
伊助が通うにも都合が良い。そしてお竜とお志乃の家もほどほどに離れている。
恋の鞘当も起こらないだろう。

「旦那、これからどうなさるんで?」庄助が聞いた。
「旦那じゃない これからは兄貴と呼べ」笑いながら「当分漁師でもやるか、猟師でもいいぞ」と・・・
暮らし向きに困る訳でもなし、自分たちの食い扶持は何とか稼げる。

後はお竜 お志乃の方である。
しかし案ずるより生むが易し、彼女たちの方がすぐその土地の水に慣れ弟子を取ってしっかりやっていた。
月々の手当てを持って行くと何時も弟子たちの笑い声がしていたのだった。

一ヶ月ほどして お志乃の家で二三日寛いだ。
お志乃はずっとこの日を待っていたのであった。
涙が糸を引いて流れて落ちた。
「待たせたな、許せ」伊助は思いっきり抱きしめながらそう言った。
それからの伊助は忙しかった。
女のところに行くのも楽ではない。

伊助と庄助とは漁師よりも猟師の方が向いていた。
何時しか山に入る方が多くなっていった。
山には幾らでも獲物がいる 猪、熊、野うさぎ・・・
特に猪の肉は高く売れる、そして皮もだ。
同じく熊も同様である。
修善寺の宿では結構な値段で買ってくれる。
使い切れない程の金を切り崩す事もなかったが金は置いておいても仕方が無い。
然るべき使い道を考えなくてはいけない。

又女達もしたたかに生きていた。
結構巧く弟子を取り手当ての必要もなかった程であったが伊助は几帳面に持って行った。
それが苦労を共にした仲のけじめであると思ってたのだった。
しかし お竜の所だけは手当てを持って行く以外あまり行く事が無くなっていった。
そのひとつの理由はあまりにも人の出入りが多かったので自分の身元がばれる恐れを感じたからではあるが・・・
伊助の顔には大きな火傷跡があり判るはずも無いのであった。が 用心に用心を重ねていたのである。

久しぶりにお竜の家の裏木戸を開けたが お竜は慌てて襟の崩れを直しながら出てきた。
「男が居るな」と感じた伊助は居間にすばやく入って行ったのである。
やっぱり居た、急いで逃げ出そうとする男を捕まえ「お前、何者なのだ」と聞いた。
男は呉服屋の主人、四十代の男、先年妻を亡くしたと云う。
「俺はお竜の兄貴だ、お前が本気だったら許す、遊びでこんな事をするのであればたたき殺すぞ」と凄んだ。

お竜は青くなった「この人を怒らせたら私も殺されるに違いない、どうしよう・・・」
伊助の剣幕に気圧されたのか それとも本気だったのか・・・
「は はい、祝言を挙げたいと思っております」
二人は結婚する事になった。
心の中で伊助は「やれやれこれで片付いた」とにんまりしてたのである。
伊助にはお竜は心の重荷だったのだ。

意外にも大きな呉服屋だった。
主人宗兵衛はかねてから器量の好いお竜に惚れて三味線を習い やっとの思いで口説き落としたのであるが、お竜はほんの遊び心だったのだ。
だが伊助に見つかった以上嫌とは言えなかったのである。
伊助 つまり伊蔵の怖さを嫌と云う程知っていたから・・・
お竜は後悔した。
謝ろうとも思ったがそれも出来なかった。