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『幕末異聞』  ナンバー5

「№ 6」  
伊蔵は志穂に優しい言葉を掛けてやっていた。
「悲しい時にはうんと泣けばいい、そして忘れる事だよ」
そして「惚れるんなら新撰組も勤皇の志士も駄目だな、普通の男にしておけ」と・・・

この頃では商家の用心棒の仕事も舞い込む様になった。
それだけ治安も悪い、押し込み強盗も多くなっていたのだ。
食い扶持にありつけない浪人もたくさん居たのである。
お夕の所にも三日に一度帰れればよい程仕事はあった。
帰る度に小判が増える。

お夕はそれを縁の下の壷に入れながら伊蔵が何時も無事である事を祈ってた。
ある晩 伊蔵の雇われている店に押し込みが入った。
一早く眼を覚ました伊蔵は主人夫婦を奥の部屋に匿い押し込みの前に立ったのだった。
そして「岡田伊蔵だ!待ってたぞ!」と・・・
強盗団はそれだけで腰を抜かして何も取らず逃げて行ってしまった。
主人は大層喜び多くの金を差し出し労をねぎらったのである。
「強盗ももう来る事もあるまい」伊蔵は『切りもち(金)』ふたつを懐にその店を後にした。
ひとつはお葉に、もうひとつはお夕に持って帰ったのである。

お夕は「伊蔵さん、もう旦那様って呼んでいいかなー・・・?嫌?」って聞いた。
「もうお前の亭主だよ」お夕は喜んだ。
「やっとお母さんも姉さんも手が出せなくなる」と・・・
そして「一生使い切れない位お金あるよ、もう静かに暮らそうよ」と・・・・
伊蔵は「もう暫く好きにさせてくれ、まだやりたい事がある」と答えてごろりと横になった。
伊蔵は時代がどう動くか見届けたかったのだ。
時代の変革の波はヒタヒタと迫っていた。
しかしまだ動乱の都ではそれを感じる者は少なかったのである。
伊蔵は何となく感じていたが薩摩、長州、そして幕府の動き次第でどう転ぶか、嫌な匂いを嗅ぎ取り自分の活躍の場があるかどうか考えていたのだった。

「№ 7」  
元治元年も暮れの押し迫った頃、ある商家『萬勢屋(両替、海産物業)』の主人と初めて祇園を訪れた。
その頃伊蔵は萬勢屋の用心棒をしていたのである。
両替屋の蔵には何時も千両箱が積んであったのだ。
もし押し込み強盗にでも遭えば根こそぎ身代を失う事になる。
それを防ぐには腕に覚えのある剣客を雇う必要があったのだ。

偶然の事である。
座敷に志穂が現れた。
面やつれはしていても伊蔵の顔を見た途端明るい笑顔がこぼれた。
女将に聞くとまだ水揚げされてないとの事である。
萬勢屋主人喜助は「先生お好みの娘がいらっしゃる様で」と笑って言った。
「うん、ちょっと訳ありの娘でな」「いっそ先生が身請けなさったら如何ですか、金は私が用立てましょう」
喜助にとって身代、命を預かる伊蔵への出費は痛くも痒くも無かった。
まして芸姑の一人や二人位安い買い物なのだ。

こうして志穂をお葉のところへ連れて帰った。
「嫌ですよ、伊蔵さんの【いろ】なんか面倒見られませんよ」
「まあ 家が見つかるまでの間だ、置いてやってくれ」
「本当に助平なんだから」とぶつぶつ言いながら面倒を見る事になった。
10日ばかりで家は見つかったが、お葉は面白くない。
「うちに来る回数減らしたら駄目だからね、承知しないよ!」と・・・

新撰組もかなり規律が厳しくなった。
少し前、蛤御門での長州藩との激戦に勝利し、秋には伊東甲子太郎等が入隊し意気軒昂である。
が 又脱落して行く者も多く居た。
彼等に待っていたのは死であったのである。
伊蔵はその厳しさには付いて行けなかった。
つくずく新撰組隊員でなくて良かったと思ったものである。

将来、身の立つ様にしてやらなければと思った伊蔵はお葉を説き伏せ、志穂の稽古事は続けさせてやる事にした。

お葉はまだ伊蔵が志穂に手を出していないのを知り承諾してくれた。
「しっかり監視してやるから」と、わざと手元に置く事にしたのだ。
お葉には「何時かお夕からも取り上げてやる」と、伊蔵への執着心は凄まじいものがあったが、それをおくびにも出さず引き受けたのである。
ま、この時代【浮気は男の甲斐性】妾の一人や二人居る方が男として尊敬される所もあったのだが・・・

「№ 8」  
元治から慶応に代わった。
松も明けぬ内から石倉屋事件が勃発した。
尊皇派の大利等数名が潜伏してるのを察知した新撰組、谷等はそれを惨殺したのだった。
それは凄惨なものであった。
四人一組で相手に襲い掛かる。
息絶えても尚斬り刻む。
残酷な谷流の殺し方であった。
さすがの伊蔵も戦慄を覚えたのであった。

後日それを聞いた近藤は苦りきった表情で「三十郎は斬らねばならぬな」と土方に言った。
それから数日の後 谷三十郎は廓から酩酊して出たところを同じ同士の新撰組隊員によって殺されたのである。
日頃から谷と仲の良かった山南敬介は身の危険を感じて脱走を試みたが 囚われの身となり屯所の中庭で切腹して果てたのであった。

伊蔵は志穂に月十両の手当てを与えたがめったに志穂の家に行く事は無かった。
それはお葉への遠慮もあったが「出来るだけ静かにして置いてやろう」と心の傷の癒えるのを待っていたのである。
志穂はその金で(おさんどん)を雇い 足しげくお葉の所で芸事の修行を積んでいた。
「きっといい芸者になれば伊蔵さんは私を認めてくれる、愛してもくれるだろう」「そしてお姉さん(お葉)も許してくれるに違いない」と・・・
そのいじらしい心根が解らぬお葉では無かったが 伊蔵が自分の所に来なくなる事を恐れたのである。

それは自分の年齢への嫉妬でもあった。
お夕はもうすぐ十九、志穂は十七歳、お葉に至っては二十六歳 セックスのテクニックでは負けない自信はあったが若さでは勝目はない。
しかし伊蔵への思いは誰にも負けない自信はあった。
やがてその事はお夕の耳にも入ってきた。
お夕は嫉妬に狂う女では無かったが一度志穂に会って見ようと思ったのである。
そして志穂の家を訪ねたのだった。
いろいろ話を聞くうちにお夕は出会った頃の伊蔵を思い出していた。

軒先で雀が死んでいた時涙を流しながら土に埋めていた事・・・
庭先が淋しかろうと花を植えていた事など・・・
無表情で人を斬る これは伊蔵の仕事である。
本当は優しい人なんだ・・・と・・・
だから志穂を身請けまでして助けたんだと、自分を納得させたのであった。

ある夜、伏見の川沿いで押し込みと出会った。
下っ引きの正二は「旦那、あの金をそっくり頂いちまいましょう」
強盗団は船に千両箱を五六個積んでいた。
船の上には三人、後は川岸に六人・・・
「正二船を漕げるか」「任せておいてくだせい」途端に行動は早かった。
船上の三人を瞬時に斬り倒すと同時に艀から見る見る船は離れて行く。 

正二の腕は確かであった。
夜の闇の中へ消えていったのである。
伊蔵は「泥棒の上前をはねるとはいい商売だな」と笑った。
暫く下流に下り それから上流へと進路を変え町外れの葦の茂みに船を隠した。
正二は大八車を何処からか持って来てそれに金を積み替え志穂の家へと向かったのである。
「ここなら見つかる心配も無かろう」と・・・・

「№ 9」  
翌日、呉服商桔梗屋が襲われ一家惨殺、一万両近くが盗まれたと云う噂が流れたが、仲間割れから三人の死体が伏見の川岸に浮いてたと云う。
「旦那と俺とは一心同体ですぜ」正二は笑って言った。
又 伊蔵は正二が居る事で何かと助かる、笑って「死ぬまでな」と答えたのだった。

萬勢屋喜助に「船を一艘手に入れたいのだが」と声を掛けてみた。
「何に使いなさるので?」と聞いたが「ちょっと堺港まで・・・」と言葉を濁した。
「いいでしょう、お貸ししましょう」「沈められるかも知れんぞ」
萬勢屋は少し考えて「ようがす、沈んだら沈んだ時、ボロ船で良かったらあの船を三百両でお譲りしましょう」と十数名は乗れる船を売ってくれたのである。
なるほど ボロ船である。
修理に百両程かかった。

伊蔵は正二を連れて堺の町に行ったのである がそこは勤皇の志士が席巻していた。
志士を装い鉄砲鍛冶の所に行き五丁の銃と多くの弾薬、そして火薬を買ったのである。
「あれだけ武器を手に入れているなら幕府はもう終わりかなー」と、彼は思った。

歴史はめまぐるしく動いていた。
新撰組は壬生の屯所を引き払い西本願寺に本部を移した。
伊東甲子太郎は御陵衛士を拝命して新撰組から脱退したのである。
慶応三年春の事であった。
ついに近藤の念願であった幕臣取り立てが決まった。
だがこれは伊蔵には沈み行く太陽の一瞬の光芒に思えたのである。
堺の町で見たものは次々と近代兵器を買い漁る志士達の姿だった・・・
依然新撰組、所司代では刀に頼る事で勝利を信じていたのであった。
伊蔵と正二は夜中、密かに今まで稼いだ金を船に積み込んでいた。
万が一の事を考えてのことだった。

その年 坂本竜馬他数名は近江屋にて暗殺された。
これは伊蔵が関係してるとも思われたが伊蔵には幼馴染を斬る様な真似は出来ない。
又新撰組が襲ったとも云われているがこれも何の証拠も無かった。
只、薩長同盟を竜馬の努力によって成し遂げられた事による反対派が襲ったとも云われるがこれも根拠の無い話である。
佐幕派の者は京の町人に酷く嫌われる様になった。

全てが尊皇攘夷派に流れは来ている。
この時節になると敵見方関係無く殺戮の嵐が吹き荒れた。
伊東甲子太郎も又新撰組に惨殺されたのだった。
又近藤も御陵衛士の残党に狙撃され実働部隊は土方の手によって指揮されていったのである。
池田屋事件以後沖田は喀血し郊外の某所で療養を余儀なくされその後の戦いには出動不能となっていた。
翌、慶応四年 鳥羽伏見の戦いが勃発するのであるが、その少し前から強盗団の中に岡田伊蔵と名乗る人物が幾人か現れる様になった。
伊蔵は怒りに燃えた。
「自分の名前だけが一人歩きしている」鬼と化した伊蔵はそうした者達を斬り捲った。 

ある日 ついに伊蔵の塒が志士達に探し当てられたのである。
夜更けに彼等は襲ってきた。
すぐさま押入れの天井裏にお夕を隠し志士たちと斬り結んだのである。
壬生の狼、鬼の伊蔵は竹薮の中に逃げ込み激しく応戦したのであった。
藪の中では相手はなかなか一度には斬り込めない。
一人二人と術中にはまり伊蔵の刃の前から消えてゆく。
が しかし「この女を殺されたくなかったら刀を捨てろ!」と・・・
お定の首には相手の刃が突きつけられていた。

「万事窮すか」伊蔵はひるんだ。
その時である。
「斬って!お母ちゃんを斬って」「あんた死んじゃ嫌!」後ろで声がした。
お定は「あんた 何言うの?親を見殺しにする気かい! 伊蔵さん助けて、後生だよ」と・・・
と同時にお夕の手から飛んだ脇差がお定の腹に投げつけられたのである。
お夕が複雑な顔で、涙で立っていた。
伊蔵は真っ向からから竹割りに斬り倒した。
お夕によって投げつけられた刀傷は以外に深く刺さり苦しむお定を見て 「もう助からないなら楽に死なせてやろう」と一突きしたのであった。
お夕は肉親の情よりも伊蔵を取った訳だが、「これで邪魔者が一人減った」との思いも有ったのである。

「№ 10」  
夜明け近く、正二を呼び金目の物だけ運び出し お夕を志穂の家に向かわせた。
そして家に火を放ち行方を眩ませたのであった。
正二だけに伊蔵の居場所を教えて・・・・

薩長率いる近代兵器の前では新撰組、そして幕府軍も刃が立たなかった、敗走に次ぐ敗走であった。
この戦いの創始者 高杉晋作は自ら作り上げた奇兵隊の活躍を見ながら喀血し長州に帰り勝利を見る事なく世を去った。
橋本の戦いにて完全に息の根を止められた新撰組はわずかの兵力で勝沼の戦いに臨んだのである。
そこには江戸からの甲陽鎮武隊が待っていた。
が ここでも敗れ江戸まで逃げ帰ったのであった。
惨敗に次ぐ惨敗である。
慶応四年四月 近藤勇は薩長同盟軍に投降したのである。
土方は江戸彰義隊に加わり尚も孤軍奮闘していた。

一方お夕達は正二の指図で密かに身の廻りの物を船に積み込み伊蔵の帰りを待っていた。
お葉も志穂も、そして正二の妻よねも ここでは仲良くせねばならない。
自然と連帯感が生まれてくるものだ。
ひっそりと静かに人に判らぬ様に暮らしていた。
その間の日常の物は正二が調達して来たのである。

ある日「近藤達の処刑があるぞ」と耳にした女たちは伊蔵の安否が気に掛かった。
そして鳥追いの姿に身を変えて処刑場へと向かったのである。
近藤は武士のしきたりではなく斬首と云う屈辱の刑であった。
「次は岡田伊蔵」の声を聞くなりお夕は失神しそうになったのである。
お葉も志穂の思いも一緒であった。

だが正二は「よく旦那の最後を見て置け」と言って腕組みをしている。
三人の女達は眼を凝らして刑場に引き連れられてくる男の姿を見守った。
お夕は「はっ」と気付いた、顔を白布で覆われていても何処かが違う。
「あの人ではない」
お葉と志穂は涙で見る事が出来なかったのだった。
生きながら何本もの槍で突かれて絶叫して果てた。
見るも無残な死に様であった。
と その時後ろで「南無阿弥陀仏」と声がした。

「№ 11」  
聞き覚えのある優しい声であった。
托鉢の僧が笠の中で笑っている。
女達の表情が驚きと歓喜の顔に変わったのである。
正二は唇に指を当て静かに女達を導いて刑場を後にしたのであった。

船に戻った彼女達は歓声を上げ喜んだ。
紛れも無く伊蔵だった、生きている事が不思議だった。
「正さん知ってたのね」「ハッハッハお前たちに話せば世間に知られる」「旦那は簡単には死にはしないよ」
伊蔵は「すぐ水夫を五六人雇って来い」と正二に指図した。
「ではあの時殺された伊蔵さんは誰なの?」「岡田伊蔵は何人もいるさ」と笑った。
戻ってきた正二は「松前まで行った事がある水夫だってよ」と・・・
伊蔵達はその日のうちに大海に向かって出航したのであった。

沖まで出た所で「さあどちらに向かうかな」と・・・
水夫の頭に「出来るだけ陸地が見える程度の距離を取ってゆっくりと行ってくれ」「こちらは物見湯算の長旅だからな」と指示をした。
頭は「何処まで行くので?」「松島でも見物しようと思ってな」と言って皆のところに戻った。

そしてお夕に「コテを焼いてくれ」と指図したのである。
「あいよ」衣類の皴でも伸ばすのかと簡単に考えた彼女は気軽に火の中にコテを入れたのだった。
「もう いいだろう」伊蔵は焼けて赤くなったコテを自分の頬に押し当てたのである。
ジュー・・・と音と共に煙が立ち上がり肉の焼ける匂いがした。
一斉に女達の間に悲鳴が起こった、「旦那!」正二は伊蔵からコテを取り上げ絶句した。
「岡田伊蔵は今死んだのよ、こらからは只の伊助だ!皆覚えて置け」そう行って失神したのであった。
正二も又『庄助』と名を変えた・・・

彼も幕軍の取り方、そして間者であった為捕まればどんな仕置きが待っているか判らぬ身。
全て過去を消す必要があったのである。

伊蔵改め伊助は三日三晩熱に魘された。左の頬から顎にかけて酷い火脹れが出来ている。
五日目の夕方 女達を集め「俺のこの顔が怖いか?嫌いか? 嫌いなら去っていいぞ」と・・・
女達は口をそろえて「何処にどんな傷があろうと伊蔵さんは伊蔵さんよ」「好きな事に変わりはないわ」・・・・
「おい、もう伊蔵じゃなく『伊助』だぞ」と笑った。
船はゆっくりと東に帆を上げ進んでいった。
時々食料を買出しに港に寄って今の世の中の情勢を聞きながら船に戻る生活が続いたのである。

「№ 12」  
その少し前 土方歳三は宇都宮の戦いで足を負傷したが、会津旧幕府軍と合流して官軍(薩長軍)に戦いを挑んだ。
が しかし善戦むなしく会津若松城は落城、若い兵士白虎隊も飯盛山で自刃して果てたのである。
伊助はそれを焼津港で聞いた。

土方は蝦夷の地に向かったそうだ。
蝦夷には榎本武揚が函館にて新政府樹立を考えていると云う。
「幕府も終わりだな」そうつぶやき、ふと竜馬の事を思い出していた。
この時代を志半ばで倒れた竜馬に見せてやりたかった。
慶応四年、明治元年の事であった。

榎本は仙台港を出港して蝦夷地に向かったのである。
既に旧幕府軍が蝦夷にて新政府樹立の足がかりを付けて榎本の到着を今や遅しと待っていたのであった。
函館五稜郭に入城した榎本はすぐさま蝦夷地平定を果たしたのである。
津軽海峡をはさんで官軍と榎本軍とが睨み合っている。
そこに土方は旧新撰組の面々と到着した。
と 同時に松前城を攻略した土方は阿修羅の如く次々と官軍を撃破して行ったのであった。
伊助はそれを蒲原の宿で聞き腕が鳴るのを抑える事が出来なかった。
だが、折角拾った命 何時かは負ける戦に付き合う事は出来ないと悟ったのである。

女達もそれぞれ名を変えた。
お夕はお涼、お葉はお竜、そして志穂はお志乃 京言葉も出来るだけ使わない様にしたのであった。
伊豆の小さな漁村沖に停泊し 少し近くを探索する事にした。
ここまでは官軍の手は伸びていない。
伊助はお涼を連れて近辺を調べ こじんまりとした家を一軒買い取った。
「此処なら静かに暮らせそうだな」と・・・

そして小船を調達して船の荷を全て降ろしたのである。
女達もまずそこに降ろし小船を曳航して沖へと向かった。
陸地が見えなくなった所で伊助と庄助は示し合わせていた行動に出たのである。
いきなり水夫達に斬りつけた。
伊助の剛剣は唸った、完全に昔の伊蔵の姿であった。
又庄助も銃で片っ端から撃ってゆく。
船から海に飛び込む者も銃の餌食なって果てたのである。

そして船底に穴を開け火薬の導火線に火を放ち小船に飛び乗った。
ものの数十条も行ったところで轟音が轟いた、そして船首部分を上にして海中に沈んで行ったのである。
全てを海中に葬り去ったのであった。

「№ 13」  
波は小船を木の葉の様に揺らせた。
だが土佐の荒海で育った伊助は苦も無く櫓を巧く操り岸に辿り着いたのだった。
「さて、これから家探しだな」伊助は各々の家を探す事にしていた。
庄助の家は簡単に見つかった、伊助と行動を共にするのであるから、ほんの隣の家を買い取ったのである。

お竜とお志乃の家は少し離れるが修善寺に見つけてやった。
ここなら芸者衆に芸事を教えながら暮らす事も出来る。
伊助が通うにも都合が良い。そしてお竜とお志乃の家もほどほどに離れている。
恋の鞘当も起こらないだろう。

「旦那、これからどうなさるんで?」庄助が聞いた。
「旦那じゃない これからは兄貴と呼べ」笑いながら「当分漁師でもやるか、猟師でもいいぞ」と・・・
暮らし向きに困る訳でもなし、自分たちの食い扶持は何とか稼げる。

後はお竜 お志乃の方である。
しかし案ずるより生むが易し、彼女たちの方がすぐその土地の水に慣れ弟子を取ってしっかりやっていた。
月々の手当てを持って行くと何時も弟子たちの笑い声がしていたのだった。

一ヶ月ほどして お志乃の家で二三日寛いだ。
お志乃はずっとこの日を待っていたのであった。
涙が糸を引いて流れて落ちた。
「待たせたな、許せ」伊助は思いっきり抱きしめながらそう言った。
それからの伊助は忙しかった。
女のところに行くのも楽ではない。

伊助と庄助とは漁師よりも猟師の方が向いていた。
何時しか山に入る方が多くなっていった。
山には幾らでも獲物がいる 猪、熊、野うさぎ・・・
特に猪の肉は高く売れる、そして皮もだ。
同じく熊も同様である。
修善寺の宿では結構な値段で買ってくれる。
使い切れない程の金を切り崩す事もなかったが金は置いておいても仕方が無い。
然るべき使い道を考えなくてはいけない。

又女達もしたたかに生きていた。
結構巧く弟子を取り手当ての必要もなかった程であったが伊助は几帳面に持って行った。
それが苦労を共にした仲のけじめであると思ってたのだった。
しかし お竜の所だけは手当てを持って行く以外あまり行く事が無くなっていった。
そのひとつの理由はあまりにも人の出入りが多かったので自分の身元がばれる恐れを感じたからではあるが・・・
伊助の顔には大きな火傷跡があり判るはずも無いのであった。が 用心に用心を重ねていたのである。

久しぶりにお竜の家の裏木戸を開けたが お竜は慌てて襟の崩れを直しながら出てきた。
「男が居るな」と感じた伊助は居間にすばやく入って行ったのである。
やっぱり居た、急いで逃げ出そうとする男を捕まえ「お前、何者なのだ」と聞いた。
男は呉服屋の主人、四十代の男、先年妻を亡くしたと云う。
「俺はお竜の兄貴だ、お前が本気だったら許す、遊びでこんな事をするのであればたたき殺すぞ」と凄んだ。

お竜は青くなった「この人を怒らせたら私も殺されるに違いない、どうしよう・・・」
伊助の剣幕に気圧されたのか それとも本気だったのか・・・
「は はい、祝言を挙げたいと思っております」
二人は結婚する事になった。
心の中で伊助は「やれやれこれで片付いた」とにんまりしてたのである。
伊助にはお竜は心の重荷だったのだ。

意外にも大きな呉服屋だった。
主人宗兵衛はかねてから器量の好いお竜に惚れて三味線を習い やっとの思いで口説き落としたのであるが、お竜はほんの遊び心だったのだ。
だが伊助に見つかった以上嫌とは言えなかったのである。
伊助 つまり伊蔵の怖さを嫌と云う程知っていたから・・・
お竜は後悔した。
謝ろうとも思ったがそれも出来なかった。



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