『寒椿』
「仇討ちの彼方に 1」 ー寒椿ー
木枯らしの吹く寒い夜であった。
「旦那様、あんな所に人が倒れてますよ」下男の佐吉が指を指した。
医師良庵は「行き倒れであろう、どれどれ」と道端の天水桶の陰で 息も絶え絶えの人影に近ずいて行った。
「佐吉、何処かで大八車を探して来なさい」「早く治療しないと仏さんになってしまう」
早速家に連れ帰り念入りに診た結果 寒さと栄養失調でそのまま置いておいたら死んでいただろう と思われる状態であった。
咳も酷い、肺もやられているかも知れない。
見たところ三十前後の女性の様である。
三日三晩 熱にうなされうわごとの様に何かを言ってるが 聞き取れる状態ではなかった。
佐吉は「助かりますかねー?」と心配したが良庵にもそれは判らぬ事であった。
「唯 助かりたいと思う気持ちがあれば助かるがその気が無ければ駄目だろう」と・・・
良庵はここ加賀百万石の城下町でも評判の名医ではあったが この行き倒れの女性を治す自信はなかった。
相当荒れた生活を送っていたのであろう、そしてここ数日は何も口に入れた事も無い程衰弱しきっている。
佐吉は夜昼なく必死に看病した。
おも湯を開かぬ口に流し込み、身体のあちこちの冷えた所をさすりながら 女房に身体が冷えない様にと添い寝をしてあげる様指示し 献身的に尽くしていた。
四日目にしてようやく肌に赤みが差してきた時 佐吉夫婦は手を取り合って喜んだ。
しかしまだ起き上がる事は出来ない。
時々乾いた咳をコンコンと吐き良庵を悩ました。
やがて松も取れ梅の花のほころぶ季節になった頃、やっと床の上に座る事が出来る様になったのである。
女性はほとんど口を利くことが無かったが 礼儀は正しく言葉は武家言葉であった。
佐吉は「これだけ世話になって何故いろんな話をしてくれないのか」と愚痴をこぼしたが 良庵は「人に言えない苦しい過去が有ったのであろう、そのうち心を開いてくれる日が来る」と佐吉を嗜めたのだった。
御殿医の仁斎がやって来た。
町医者と御殿医とはいわば商売仇、だが良庵の人柄の良さと医術の確かさでお互い認め合った仲、大の親友である。
「ほう、大分元気になった様じゃのう」「ところで名は何と申す?」「あやめと申します」「おう、武家の出か・・・で、国は何処かな?」
その女性、あやめは口をつぐんだままそれ以上は語ろうとしなかった。
良庵は「そのうち心の氷も溶けるだろう 性急に聞く事もなかろう」と笑って仁斎に答えたのである。
桜咲き蝉の鳴き声が騒がしくなる頃、やっと庭先に出て歩く事が出来る様になった。
そして佐吉夫婦とぼつりぼつりと話をする様になったのである。
だが相変わらず肝心のところは話をしたがらない。
不思議な女だな と佐吉は思った。
中秋の名月の頃 あやめの病気は全快した。
その頃には頬の肉もつき めっきり女らしく明るくもなったのであるが 何かを逡巡してる様子が見て取れたのである。
良庵が「もう大丈夫だ、路銀はあるのか?」「まだ旅は長いのであろう」と言っても「ええ・・・」と答えるだけで一向に旅立つ気配が無い。
もうすぐ年を越そうと云うある日、あやめは佐吉に相談した。
「此処に置いて欲しいんですけど先生はお許しくださるかしら?」と・・・
佐吉は「それは旦那様の気持ち次第だが あやめさんは何か目的が有っての旅をしているんでしょう、それを正直に話してお許しを得る事ですね」と答えたのであった。
あやめは良庵が許すかどうか不安な気持ちで 彼の前に座った。
そして努めて冷静に話を始めたのである。
ここ十年以上ある人物の消息を求めて 旅を続けていた事。
しかしもう 7~8年前からその力も失せ 全て路銀も使い果たし 乞食の様な生活をしながら、時には春をも売って身を汚し此処まで辿り着いたのだと・・・
倒れる10日前から水しか飲んでいなかったと・・・
もうここで死ぬのも運命だと諦め死を覚悟して倒れ込んだ と云う訳だ。
目的半ばで死ぬのも悔しいが 会ってみたところでどうにも成らない事だと。
全てを捨て新しい人生を歩けたらどんなにか幸せであろう・・・と
黙って良庵は聞いていたがおよその察しは付いていた。
「少し私にも時間をくれないか、悪い様にはしないから」
こうして大晦日を迎えたのである。
月明かりに照らされ 夜目にも鮮やかに寒椿が咲いていた。
良庵は仁斎に相談した。
巷では「あの良庵先生ともあろう方が『夜鷹』を拾って来て面倒を見てる」「ちょっと変だとは思わないか」口さがない連中の噂にもなっていたのである。
仁斎は「良さん、人の噂なんて気にする事はないが 素性が判らぬのが引っかかるのう」「人間は悪い女では無さそうだが、後は良さんの気持ち次第だな」と・・・
その夜、再び良庵はあやめを呼び「何故此処で働きたいのか、十年の長きに渡って捜し歩いた心を捨てて良いのか?」とたずねた。
彼女は言った「私は一年前に死にました、どうにもならない旅を続けて死んで行くより 先生のところで生まれ変わりとう御座います」
除夜の鐘の鳴る頃 皆の集まる席で良庵は言ったのである。
「あやめは今から此処の家族になる、皆もそのつもりで労わって教えてやってくれ」と・・・
あやめは良庵に「先生、出来たら名前を代えとう御座います、今までの私で居たくありません、新しい年から新しい名で出発しとう御座います、私に名前を付けてくださいませ」
「うん、それも良かろう」
暫く考えて「美雪・・・と云うのはどうじゃ、ほら美しい雪が振り出したであろう、除夜の鐘が鳴り終わったら皆 美雪を宜しくな」と・・・
皆、一様に驚き、又 歓声で沸き返った。
美雪も新しい晴れ着に袖を通し喜びに溢れていた。
事実 最初のやつれ果てた姿が嘘の様に 二十五歳の年齢の明るい笑顔がはじけて可愛かったのである。
皆で初詣に出掛け、今年の無事息災を祈り帰って来た時にはもう患者が待っていた。
医者の仕事には盆も正月も無い。
早速診察に取り掛かる。
美雪は良庵の指示に従って てきぱきと良く働く。
そんな姿に「これはよい拾い物をしたな」と良庵は眼を細めた。
佐吉夫婦も 日頃診療室以外の掃除がなおざりになっていたのが出来る事に喜んでいた。
庭の植え込みを刈り上げながら 綺麗になって行く姿に顎を撫でながら満足したのだった。
真っ赤な寒椿が雪の白に映え美しく輝いていた。
それから一年の後
町の人の信頼も得た美雪は 生き生きと師匠の代わりに簡単な治療を任せられ 診察室で治療を行っていた。
仁斎と碁を打ちながら良庵は「どうだ、良い娘だろう」
仁斎は「しかし不思議な縁じゃのう、でも俺の立場だったら雇う事は出来んからのう」「町医者なればこそ出来る芸当だな、羨ましい限りじゃ」と・・・
なるほど御殿医では身元の解らぬ者は雇い入れる事は出来ない。
町の医師なればこそ出来る事であった。
この一年美雪はめっきり明るくなった。
そして自分から冗談を言う様になったのである。
良庵に非常に懐いた。
佐吉が「美雪様の昔話を聞きたいなー」と言ったところ「全てはお先生にお話してからね」と笑って答えたのである。
そして「庭の椿が美しいわね」と、遠くを見る様な顔で静かに見ていた。
今の幸せが夢の様な気がする。
突然逃げて行きそうな不安も感じた。
再び椿の花を見つめ長い長い旅の終わりも感じていた。
「仇討ちの彼方に 2」 ー寒椿ー
今を去る事十八年・・・
さる西国の小藩での出来事から始まる。
その藩に木村左衛門なる人物が居た。
藩の重臣ながら非常に粗暴ですぐ刀を抜きたがる。
そして無頼の輩と組み 賭け事をして町人から金を巻き上げ『呑む、打つ、買う』の三拍子。
怖い者知らずの暴れ者、朋輩からも嫌われ誰も相手にはしなかった。
とは云え重役となればどうしても関わりを持たねばならぬ。
その男が一番好きな遊びと云えば将棋であった。
大して強くも無いが皆 後々の事を考えて負けてやる事にしていたのである。
だから自分が一番強いと思い込んでいたのだ、が・・・
だがしかし 彼にはどうしても目障りな存在の男が居たのである。
軽輩ながら藩内随一の剣の達人、そして学問も優れた男が・・・
彼は思慮分別をわきまえた人望も厚い男であった。
その名を藤堂新九郎・・・人呼んで『音無し新九郎』(相手と刃を交えずして一撃で倒す所からそう呼ばれた)と云った。
道場に於いても決して禄高で手加減はしない。
何時もの事ながら左衛門もしたたかに打ち据えられ 床に這いつくばって歯軋りを咬んでいたのであった。
左衛門は考えた。
「よし、将棋なら苦も無くひねってやれる、ひとつ将棋で勝負をしてやろう」
左衛門は新九郎に賭け将棋を申し込んだのである。
どちらかが負ければ禄高の半分を差し出す、と云う条件で・・・
立会人には同藩の朋輩を付けての勝負である。
最初は新九郎は丁重に断ってはいたが 町中に「受けて立たぬのは卑怯者のなせる技だ」と言いふらし 噂を流したのであった。
やむなく新九郎も受けざるを得なくなったのである。
いよいよその当日がやって来た。
新九郎の妻 香奈枝は「あのお方はどんな卑怯な事も平気でなさる方、くれぐれもご用心なさいますよう」と送り出したのである。
勝負は左衛門の「待った待った」の連続でなかなか進まない。
「こんな筈ではなかったが・・・」「俺は今まで負けた事がないのに」左衛門は焦った。
そして数回の「待った」の末、新九郎は「もう終わりましょう、この勝負引き分けでいかがで御座ろうか」
見る見る顔が高潮した左衛門は 侮辱されたと思い いきなり抜刀して新九郎に襲い掛かってきたのだ。
身を交わしながら「止められよ、たかが将棋であろう、引き分けで良いのでは」しかし逆上した左衛門には 余計恥をかいた思いがしたのである。
ついに部屋の隅に追い詰められた新九郎は 脇差を抜くなり横に祓ったのだった。
それが胴を深々と斬り裂いてしまった。
「しまった」新九郎は慙愧の思いで一杯になった、そして家で待つ妻を思った。
そして我が家に急ぎ戻り妻に事情を話すと共に『離縁状』を書いたのである。
親戚、縁者に類が及ぶのを避ける為 最愛の妻を里に戻したのであった。
そして旅支度も早々にその城下から姿を消した。
町中は大騒ぎとなった。
そして新九郎の行為に拍手喝采を送ったのである。
戦乱の世も終わり 太平を享受できる様になった頃の事である。
又 城中でも新九郎の心中を察し同情する者も多く居たが 脱藩する者に対する処分は死罪と決められている以上 口にする事は出来なかった。
唯、皆、無事に逃げてくれる事を祈るのみであった。
左衛門の息子(金之助)はまだ十二歳、そして娘(静香)は七歳であったが【仇討赦免状】が出て 新九郎を討つべく旅立つ事になった。
叔父甲子郎も同道する事になった、子供二人では到底返り討ちになるのは目に見えていたからである。
又 藩内からも脱藩者成敗の為の腕達者の者が三名、新九郎を追う事になった。
しかし藩命とは云え 三人の刺客は新九郎を殺す気持ちはさらさら無かったのである。
「あれは元々左衛門が悪いんだ、死んでくれてありがたいと藩も感謝しなきゃーな」
「そうだ町人たちも俺達もホッとしとるんじゃからのう」「あいつは藩の恥曝しだったからな」銘々声高に喋る。
それを金之助、静香は黙って聴いていた。
甲子郎は苦々しげに聞いてはいても 反論する事も出来なかった。
刺客達は何とかして新九郎に出会わなければ良い、と思ってわざとゆっくり歩く。
新九郎の強さはよく解っていたが それより彼の人望がそうさせていたのである。
甲子郎はそんな刺客達に苛立ちを見せた。
が 彼等は何処吹く風、気ままに旅を楽しんでいたのであった。
やがて一年が過ぎた。
「これ以上の探索無用」と藩からの使者が来たのである。
甲子郎は怒った。
「藩命に背いた者をそのままにして良いのか!」と・・・
だが彼等は「これが藩命、武士の掟よ」と冷たく言い放ち 去って行ったのである。
叔父と兄妹は呆然と見送るだけであった。
甲子郎は「いざ対決する時には用心棒を雇わねば」と考えていた。
「彼に勝つにはそれしか無い」と・・・
「仇討ちの彼方に 3」 ー寒椿ー
一方新九郎も過酷な旅を続けていた。
仇として追われる身、路銀も底を付き かと云って雇ってくれる所もなし・・・
頼るところと云えば無頼の輩 ヤクザの用心棒位しかない。
だが腕は立つ、何処の組でも喜んで迎えてくれた。
が 彼には其処まで落ちた自分に腹を立て、心だけは立派な侍でいたいと思っていたのだった。
が すさんで行く心は次第にそうなるまいと思う気持ちとは裏腹に、逆の方向に流されてゆく。
何度か愛する妻に手紙も書いた。
そして出す事もなく破り捨てた。
どうか幸せに生きて欲しいと願いながら最後の手紙をしたためた。
「私の事は忘れてくれ、良い伴侶を見つけて暮らしてくれる様に」と・・・
そして故郷の山河を思い出し、又自分を追って来る相手を思っていた。
「確か彼には元服前の息子と娘が居たはずだ、彼等も又辛い旅を続けているのであろう」「私が討たれてやれば国に帰る事が出来るはずだ、こちらから探し出して討たれてやろう」
新九郎はそう思った。
それからの旅は自分を討つ兄妹を探す旅に代わったのである。
仇を討つ叔父、兄妹も苦しい旅を続けていた。
国許からの仕送りも滞りがちになった。
そして二年後、叔父甲子郎が病に倒れたのである。
安い旅籠で少し療養していたが、医師を呼ぶ金も無くなり 二人の兄妹を枕元に「いいか、絶対に父上の仇は討つのだぞ、奴を討たねば家名断絶となってしまう、如何にしても首を取って故郷に錦を飾るのだ」【仇討赦免状】を兄金之助に渡し息を引取ったのであった。
故郷では甲子郎の遺体の引取り手も無く 一通の手紙とわずかの金子が送られてきただけであった。
「遺体はそちらで処分されたし、送金もこれが最後と思われよ」と・・・
事実上孤立無援となったのだ。
金之助十五歳、静香十歳の時の事である。
それからの旅はまさに辛酸をなめるが如き辛いものに変わった。
無人の祠に潜り込み寝起きして畑の大根、野菜等を盗み喰い 命を繋ぎ仇を探すのである。
もう武士の誇りも何も無い。
藤堂新九郎を討ち果たすまでは故郷には帰りたくとも帰れない。
が しかしこの兄妹には新九郎の顔さえ覚えていなかった。
名前だけしか解らない相手を探すのである。
吹雪の北陸道を凍える手足をさすりながら歩く・・・
霜焼け、皸は云うに及ばず頬にまで凍傷に掛かり 刀を杖に歩いては倒れ、倒れては歩く。
「お兄様 もう歩けません、私はもう駄目です 死なせてください」「頑張るんだ、必ず仇を取って故郷に錦を飾るんだ」だが金之助も又 意識も途切れそうになりながら必死の思いであったのだ。
と、ある番小屋が眼にとまった。
「しめた、あそこで少し休もう」
転がり込む様に小屋の中に入った、壁板をはがし暖を取る。
それからの金之助は高熱に犯され 意識も失い 乾いた咳が続いたのである。
そして静香に「もう私は駄目だ、お迎えが来た様だ、後は静香 お前に頼む」と・・・
その翌日息を引取ったのであった。
静香は涙枯れるまで泣いた。
それから三日後 嵐は嘘の様に晴れた。
漁師達が見回りに来た時には泣き疲れて眠っている静香と 既に冷たくなった金之助の二人が手を握り締め 重なり合っていたのであった。
彼等はそれを見て哀れんだが 金之助の墓を掘って埋めてやる事位しか出来なかったのである。
彼等も又 極貧の生活をしていた為 せいぜいそれが精一杯の思いやりであったのだ。
金之助二十歳、静香十五歳の二月の寒い朝の事である。
風に吹かれ椿の花びらが侘しく落ちる日であった。
少しばかりの食事を頂き 静香ひとり 新九郎を求め旅立って行ったのである。
辛く苦しい旅は続いた。
だが藤堂新九郎の名前は何処で聞いても判らない。
唯、名前だけで探すのは海辺の砂の中から宝石を探すのと一緒である。
しかし静香は家名の為、死んでいった兄の為、必死で探し歩いた。
野宿をし 祠で寝泊りしながら飢えをしのいで 一歩一歩前に進むより手立ては無かったのだ。
そうしたある晩、野宿をしている所を夜盗の群れに見つかってしまった。
「おい、お前 ここで何してる」と肩を掴まれた。
「無礼な、近付くと斬りますよ」と懐剣の鞘を祓った。
「何だ、まだ小娘じゃないか」「少し可愛がってやろう」
夜盗達は眼と眼で合図しあって いきなり襲いかかったのである。
必死の抵抗もむなしく彼等のおもちゃにされたのだ。
着ている物は全て剥がされ、陵辱の限りを尽くされ静香は失神したのだった。
そして持ち物を物色し始めた。
「何 仇討赦免状、こいつ仇討ちの相手を追っているのか」と笑って赦免状を引き裂いた。
何人の男が身体の上を通り過ぎたのか・・・
朦朧とした頭で考えたのは自害する事であった。
が、しかし仇にめぐり合う事も無く死ぬのは如何にも悔しい。
叔父、兄の無念さを思い、思い留まった静香は川の水で 皮が破れる程身体を洗ったのである。
破れた赦免状をかき集め籐の小箱に入れふらつく足で歩き始めたのであった。
月が冷たく照らしていた。
下腹部が痛い・・・無理やり大勢の男達に犯された静香には 今まで男の人と親しく話をした事も無かったのだ。
一ヶ月ばかりその傷は癒えなかった、出血も二週間ばかり続いた。
だがそれが彼女の人生を変える事になろうとは まだ気が付いていなかったのである。
十六歳の秋の事であった。
三ヶ月も過ぎた頃・・・
「お兄さん、遊んで行かない?」「楽しませてあげるわよ」
夜鷹の群れに混じって客を物色する静香の姿が其処にはあった。
「おう、名前は何て言うんだ」
川岸に狂い咲きの様に【あやめ】の花が一輪咲いていた。
それを横目で見て「あやめと云います、よろしくね」と流し目で答え男を誘う。
そうしてある程度金が貯まると 又新九郎を探す旅が始まる。
宿場宿場でそれを繰り返す。
そして客に藤堂新九郎と云う男の事を尋ねるのであった。
そんな生活が六年余り続いた。
だが何ひとつ得られる手掛かりは見つからない。
静香は「このまま歳を取って死んでゆくのではないか」と思い身震いしたのだった。
敦賀の宿場での出来事であった。
自分のねぐらを確保した後、木綿の手拭いを頭からかぶり 夜の川沿いで客を拾おうとしてた時、土地のヤクザに捕まったのである。
「ショバ代を払え」と・・・勝手に商売をする事を許されなかったのだった。
「まだ客が付いておりません」と答えると「ふてーアマだな、見せしめに木に吊るして置け」と親分らしき者がそう言った。
抵抗もむなしく両手を縛られ 町外れの大木の枝に吊るされたのである。
彼等は横のつながりで宿場宿場で稼いで消える女を捜していたのだ。
それは紛れもないあやめと名乗る女 つまり静香の事であった。
腕の皮は剥がれ抜ける様に痛い、そのうち痺れが走り気を失ってしまった。
「やーい、夜鷹 ざまーみろ」「気持ち悪い、早く死ね」口々に罵られ石を投げられ 棒で突付かれ気が付いた。
上半身裸にされ見るも無残な姿であった。
又 竿竹で胸のあたりを殴られ失神する。
全身傷だらけで五日目におろされた。
その間に雨にさらされ傷口から血が滴り落ち道を這いずる跡には赤い血の帯が続く。
隠した荷物の所まで辿り着いたが金は全て抜き取られていたのである。
彼女はこの旅からの十七年余りの出来事を回想してた。
まだ旅の始まりの頃 三人の藩内の人の言葉「そもそも左衛門が悪い」「死んでくれて皆助かった」「新九郎殿は哀れよのう」・・・
何故敵討ちなどしなければならないのか?
解らない事が一杯あった。
傷の癒えるまで祠の下でじっと隠れ ふらふらとこの宿場を後にしたのであった。
飲まず喰わずで辿り着いた町で 懐かしい故郷の名の看板を上げた店を見「仇討ちの彼方に 4」 ー寒椿ー
つけた。
吸い込まれる様に中に入って 番頭らしき人に「お頼みします、藤堂新九郎様を探している者ですがご存知ありませんか?」
最初、何処の乞食が入って来たのかと驚かれたが「藤堂様のゆかりの方ですか? ここでは何ですから奥へどうぞ」と居間に通された。
そこで聞いた話は 叔父から聞かされた話とは全然違うものであった。
この店は『西国屋』の支店であって 当時の出来事の真相が良く解ったのである。
今でも新九郎を悪く言う者は誰も居ないと云う事も・・・
そして、もっと驚かされた事は主君の不祥事により幕府により藩が取り潰された事であった。
「一体何の為に苦しい旅を続けなければならなかったのか」
自分は何の為に生きてきたのか・・・
呆然と店を後にした静香は 自分の中の心の支えがガラガラと崩れて行く音を聞いた。
習性とは恐ろしいものである。
目的を失った静香は尚も新九郎を求めて 歩き始めたのである。
只 当てもなく苦しい旅を続けるのであった。
もう夜鷹はやめた。
だが草を食み泥水をすすって前に前に進む。
糸の切れた凧のような放浪の旅であった。
そして加賀百万石の城下町で遂に力尽きたのであったのであった。
その時良庵に助けられたのだ。
「仇討ちの彼方に 5」 ー寒椿ー
美雪は遠い日の思い出に浸っていた。
そして【西国屋】の主人の話、又その主人の好意で当時の出来事を知る人達の所在を確かめ 何通もの手紙を書いた。
返って来た返事には 傍若無人な父親の事が事細やかに書いてあった。
賭け将棋の立会人 多田兵庫からの手紙には もし藤堂新九郎が居たならば藩のお取り潰しも避けられたであろう と書いてあったのである。
元々貧乏な藩の財政を救う為に 山の中腹まで果樹園を作り、又赤穂の塩田を見習い塩の生産に力を注ぎ 豊かな財政の藩に作り上げた功績は新九郎在って出来た事。
不正を嫌い藩主に『絹着せぬ物言い』が出来たのは 新九郎唯ひとりであった。
ゆくゆくは勘定奉行と剣術師範を兼任する話もあったそうだ。
美雪はその立派な方を仇と狙い十八年もの間探し歩いた事になる。
涙が頬をつたって流れて落ちた。
又 風花の様に雪が舞い降り 椿の花びらを紅色に染めて行く。
何時しか蝉時雨の鳴く季節となった。
美雪はこの医院の[アイドル]となっていた。
良庵が診察室にいると患者達は眼で美雪を探す。
中には「大先生より美雪先生がいい」と言う患者まで表れる始末だ。
無理もない、女性の患者は大抵男性に肌を見せるのに抵抗感はあるものだ。
それが例え名医、良庵と云えどもである。
良庵は苦笑して「美雪、お前が所望だそうだ」と奥へ引っ込むのであった。
そして仁斎と酒を酌み交わし囲碁を楽しんだ。
仁斎も又 城中で何事もなければ暇を持て余していたのである。
「お前は人使いが巧いよのう」「みんな美雪に任せてのんびり碁かよ」
家の中も見違える程綺麗に片付いて 庭の手入れも行き届いていた。
佐吉夫婦ものんびり楽しく仕事してる。
過去にこんな事があった。
藩主前田公が良庵を見込んで 他藩への仕官を勧めた事がある。
勿論その藩の御殿医としてである、が・・・
良庵は「碁仇と離れるのが辛ろうござる」と断ったのだ。
前田公は面目を失ったのであるが「うん、さもあろう」と笑って答えた。
加賀藩には名医が二人居る、それが又自慢の種でもあったのだ。
他藩からも良庵を頼って来る患者もいた。
そして城中への出入りも特別に許されていた。
その訳は仁斎一人では手の廻らぬ場合 良案が居てくれる事により多いに助かったからだ。
藩主前田公はその位 良庵を高く評価してたのである。
ある日仁斎が困った顔でやって来た。
そして「一時美雪を貸して欲しい」と言ったのである。
「実は側室のお蓮の方の事だが わしはどうもあの方が苦手でのう、美雪なら巧くやってくれると思って頼むんだが引き受けてくれんかのう。病は偏食と陽に当たらないところから来てるんだが、わしが言っても聞いてくれんのじゃ、美雪なら女同士、巧くやってくれると思って頼むんだがひとつ城中について来てくれんかのう」
良庵はこれも美雪の修行のひとつだと引き受けたのである。
側室お蓮はかなり我侭であった。
魚を食べる時には小骨まできれいに抜いてある。そして屋敷から一歩も出ようとしない。
そして仁斎が居ないと大騒ぎして「痛いの痒いの」と駄々をこねる。
遠くから眺めて仁斎は「ほら、あの方だが美雪・・・頼むぞ」と手を合わせて逃げる様に去っていった。
美雪が近付くと「誰じゃ!お前は」・・・涼しい顔して「はい、お方様専属の医者であります」「仁斎はどうした!仁斎は・・」「殿の所に参っております、今日から当分私で辛抱してくださいませ」
それから美雪のスパルタが始まった。
「お方様、外に出ましょう」まず陽の光を浴びる事から手を付けたのである。
「嫌じゃ、お前ひとりで歩いて参れ」
途端に美雪は「死にとう御座いますか!死にたくなければまず私に付いて来てくださいませ」と強い口調で言ったのであった。
今まで自分に命令した者は殿意外にいなかった。
それがこの若い医者が、それも女の医者が命令するとは・・・怒りが全身に走ったのである。
しかし死にたくはない、渋々庭の散歩をする羽目になったのだ。
最初は少し歩いて休み、休んでは歩く。
するとどうであろう、食事が美味しく戴ける。
しかしこの我侭な側室の食事には柔らかい物しか並んでいない。
それも美雪は取り上げてしまったのである。
例えば魚は小骨まできれいに抜き取ってある、根菜類は固いものはお膳の上には無い。
美雪は眼の前で骨の付いた魚をガブリと咬んで食べて見せた。
そして当分は一緒に食事を取ったのである。
其の上残った骨はもう一度油でカリカリになるまで揚げ、少し塩を振っておやつとして食べさせたのであった。
一日五~六時間の散歩、そして柔剣術の指導、これは若い藩士の教えを受けてだが、最初は根を上げていた側室も次第に元気を取り戻していった。
夜、家に帰っては良庵に逐一報告する。
「お城の中は大変ですね、庭は広いし何度も迷ってしまいました」「食事も私たちと違って固いものは食べないんですよ」と笑いながら話すのであった。
それでも十ヶ月もしたらお蓮の方は元気を取り戻したのだ。
藩公は非常に喜び「仁斎、いい弟子を持ってるのう」と・・・
「いえ、あの娘は良庵の弟子で御座います、これからは医師も女子が必要で御座いましょう」と答えたのであった。
藩公は頷きながら「良庵も偉い奴だのう、女子をあそこまで育てるとは大した奴だ」と・・・
美雪も又城内への出入りを許されたのであった。
又、こんな事もあった。
時代が落ち着いてきた今、武士も武術よりも算盤勘定ばかり考える者が多くなってきていた。
それを嘆いた藩公は 侍の魂を取り戻すべく多いに武道を奨励した。
そして城内で御前試合を度々行った。
ある時仁斎は「良庵を試合に出す様に」と進言したのである。
藩公は「仁斎、それは無理であろう、良庵は医者だぞ、剣術なんて出来る訳が無かろう」と・・・
すかさず仁斎は「だから面白う御座る、武士が医者に遅れを取っては恥、余計頑張ろうと思うのでは」
結局良庵は引っ張り出されてしまった。
そして良庵は決勝戦まで勝ち上がったのである。
決勝戦では、この藩の指南役と戦う羽目になってしまった。
良庵の竹刀は冴えた、セキレイの様に正眼の構えの切っ先が震える。
指南役は右へ左へと動き回るが 良庵の身体は静かに相手の動きに合わせ追い詰めてゆく。
最後は竹刀を置き「参りました」と頭を下げたのであった。
「いや、私こそ打ち込む隙がありませんでした、参りました」と良庵も答えたのである。
勝敗の行方は藩公には判っていた。
が 恥を欠かせない良庵の態度に感心したのだった。
藩公は頷いて「見事な試合であった」と両者を褒め称えた。
これほどの人物が市井に居る事は・・・何か仔細があっての事だろうが・・・
しかし藩公はそれを詮索する気はなかった。
だが良庵はもとより仁斎の株も上がった事は確かである。
その後、指南役も良庵宅によく訪れ 世間話をして行く様になったのである。
「仇討ちの彼方に 6」 ー寒椿ー
仁斎は言った「お前と初めて長崎で出会った頃を覚えているか」「悲壮感が漂って近付き難かったぞ」
良庵は「それはそうだろう、あの頃はわしも若かった」「医術を習得出来なかったら切腹する覚悟だったからなー」しみじみと懐かしむ様にそう言った。
お互い何でも言える仲なればこその会話であった。
良庵が「覚えているか、若君が死にかけた時のお前の慌てぶりは無かったぞ」
「うん、あの時は俺の首が飛ぶかと思った」「お前が居てくれなかったらあの治療は難しかった、助けられたよ」お互い助けたり助けられたり 今日まで過ごして来たのであった。
最初の出会いはすれ違いざまの鞘当だった。
普通ならお互い譲らず果し合いになるところだ。
だが互いが「失礼仕った」「いやいや拙者こそ」
それから身の上話を繰り返し 肝胆相照らす間柄となったのである。
医術の勉強も二人で足らざる所を補い合って切磋琢磨したのだった。
一方美雪は密かに良庵に思慕の情を持つようになっていた。
いつも優しく指導し、身を持って手本を示してくれる。
そして思慮深く誰にも分け隔てをしない。
金の無い患者にも親切に心を砕いた。
しかし美雪には言うのも恥ずかしい過去の生活がある。
それを言ったら嫌われるのではないか、との恐れを抱いて悶々としていたのであった。
そうした気持ちを知ってか知らずか 良庵は淡々と誰にも優しく接していた。
美雪の心など解っていないが如く。
美雪は淋しかった、悲しくもあった。
ついに佐吉夫婦に相談したのである。
「先生が大好きなのに察しても貰えない、どうしたら解って貰えるのかなー」
佐吉の女房は「思ってるだけでは駄目よ、旦那様は朴念仁だから言わなきゃ一生気が付かないよ」
又佐吉は「何か過去に辛い思いをなさったんだろう、美雪様が本当に旦那様に恋をしてなさるんなら思い切って言ってごらん、我々も応援してあげるから」・・・
紅葉の季節も過ぎ雪混じりの木枯らしが吹く頃になった。
美雪が此処に来て三年の月日が経っていた。
時の経過と共に美雪は益々若々しく美しくなってゆく。
それは本当に心の傷の癒えた証拠でもあった。
思い切って仁斎の屋敷を訪れた美雪は 雪吊りの続く庭先を歩いて玄関に向かっていた。
「おや、美雪さん、元気のない顔してるわねー、何かあったの?」仁斎の妻お涼が声を掛けた。
泣きそうな顔で「先生 いらっしゃいますか?」「ええ、座敷で鼻くそでも掘ってるでしょう、上がりなさいな」とお涼・・・・・
「おう、美雪 来たか、思い詰めた顔してどうした?」
「実は先生にお話したい事がありまして・・・教えてください」と・・・
そして自分の十八年間の仇討ちの旅の話、父親の犯した罪などを淡々と語ったのである。
「今の幸せを失いたくないのです、良庵先生をお慕いしてるのですがそれを言ったら嫌われるでしょうか?」
「うーん、難しい問題だな、さて良さんどう出るかな・・・」「しかし美雪が心から惚れたのなら当たって砕けろ だな」
その夜、良庵の前に座った彼女は全てを話し「女の私から言うのは はしたない事は解っているのですが先生が大好きです、愛しているんです」と 涙混じりで訴えたのである。
「少し時間をくれないか」良庵も困惑した表情でそう言ったのだった。
暫くは良庵も押し黙って考えていた。
そして五日後に仁斎の家に赴いたのである。
「おう、待ってたぞ色男」と仁斎・・・「お前まさか死ぬ気じゃないだろうな」
良庵は何故知ってるんだ、と訝ったが 図星を指され戸惑ったのであった。
「うん、俺のお陰であの娘に苦労かけたかと思うと居ても立っても居られなくてな」
「あの娘は思慮分別のある聡明な娘だ、お前の生きて来た道をきちっと話してやれよ」と仁斎。
「お前が首を差し出しても喜ばないぞ、美雪はもう何年も前から仇討ちなんて捨てておる」「いじらしい娘じゃのう、恋するとはそう云うものかな」と笑った。
そして「お内儀の事だが、今は大店の女将として旦那を尻の下の敷いて幸せに暮らしているそうじゃ、安心しろよ」
「しかし女は怖いのう、お前の話では貞淑な妻だったと聞いていたが 何でも今は完全な『かかあ殿下』だそうじゃ」
良庵は常日頃から妻の無事息災を祈っていた。
肩の力が抜けてゆくのを感じたのである。
「仇討ちの彼方に 1」 ー寒椿ー
木枯らしの吹く寒い夜であった。
「旦那様、あんな所に人が倒れてますよ」下男の佐吉が指を指した。
医師良庵は「行き倒れであろう、どれどれ」と道端の天水桶の陰で 息も絶え絶えの人影に近ずいて行った。
「佐吉、何処かで大八車を探して来なさい」「早く治療しないと仏さんになってしまう」
早速家に連れ帰り念入りに診た結果 寒さと栄養失調でそのまま置いておいたら死んでいただろう と思われる状態であった。
咳も酷い、肺もやられているかも知れない。
見たところ三十前後の女性の様である。
三日三晩 熱にうなされうわごとの様に何かを言ってるが 聞き取れる状態ではなかった。
佐吉は「助かりますかねー?」と心配したが良庵にもそれは判らぬ事であった。
「唯 助かりたいと思う気持ちがあれば助かるがその気が無ければ駄目だろう」と・・・
良庵はここ加賀百万石の城下町でも評判の名医ではあったが この行き倒れの女性を治す自信はなかった。
相当荒れた生活を送っていたのであろう、そしてここ数日は何も口に入れた事も無い程衰弱しきっている。
佐吉は夜昼なく必死に看病した。
おも湯を開かぬ口に流し込み、身体のあちこちの冷えた所をさすりながら 女房に身体が冷えない様にと添い寝をしてあげる様指示し 献身的に尽くしていた。
四日目にしてようやく肌に赤みが差してきた時 佐吉夫婦は手を取り合って喜んだ。
しかしまだ起き上がる事は出来ない。
時々乾いた咳をコンコンと吐き良庵を悩ました。
やがて松も取れ梅の花のほころぶ季節になった頃、やっと床の上に座る事が出来る様になったのである。
女性はほとんど口を利くことが無かったが 礼儀は正しく言葉は武家言葉であった。
佐吉は「これだけ世話になって何故いろんな話をしてくれないのか」と愚痴をこぼしたが 良庵は「人に言えない苦しい過去が有ったのであろう、そのうち心を開いてくれる日が来る」と佐吉を嗜めたのだった。
御殿医の仁斎がやって来た。
町医者と御殿医とはいわば商売仇、だが良庵の人柄の良さと医術の確かさでお互い認め合った仲、大の親友である。
「ほう、大分元気になった様じゃのう」「ところで名は何と申す?」「あやめと申します」「おう、武家の出か・・・で、国は何処かな?」
その女性、あやめは口をつぐんだままそれ以上は語ろうとしなかった。
良庵は「そのうち心の氷も溶けるだろう 性急に聞く事もなかろう」と笑って仁斎に答えたのである。
桜咲き蝉の鳴き声が騒がしくなる頃、やっと庭先に出て歩く事が出来る様になった。
そして佐吉夫婦とぼつりぼつりと話をする様になったのである。
だが相変わらず肝心のところは話をしたがらない。
不思議な女だな と佐吉は思った。
中秋の名月の頃 あやめの病気は全快した。
その頃には頬の肉もつき めっきり女らしく明るくもなったのであるが 何かを逡巡してる様子が見て取れたのである。
良庵が「もう大丈夫だ、路銀はあるのか?」「まだ旅は長いのであろう」と言っても「ええ・・・」と答えるだけで一向に旅立つ気配が無い。
もうすぐ年を越そうと云うある日、あやめは佐吉に相談した。
「此処に置いて欲しいんですけど先生はお許しくださるかしら?」と・・・
佐吉は「それは旦那様の気持ち次第だが あやめさんは何か目的が有っての旅をしているんでしょう、それを正直に話してお許しを得る事ですね」と答えたのであった。
あやめは良庵が許すかどうか不安な気持ちで 彼の前に座った。
そして努めて冷静に話を始めたのである。
ここ十年以上ある人物の消息を求めて 旅を続けていた事。
しかしもう 7~8年前からその力も失せ 全て路銀も使い果たし 乞食の様な生活をしながら、時には春をも売って身を汚し此処まで辿り着いたのだと・・・
倒れる10日前から水しか飲んでいなかったと・・・
もうここで死ぬのも運命だと諦め死を覚悟して倒れ込んだ と云う訳だ。
目的半ばで死ぬのも悔しいが 会ってみたところでどうにも成らない事だと。
全てを捨て新しい人生を歩けたらどんなにか幸せであろう・・・と
黙って良庵は聞いていたがおよその察しは付いていた。
「少し私にも時間をくれないか、悪い様にはしないから」
こうして大晦日を迎えたのである。
月明かりに照らされ 夜目にも鮮やかに寒椿が咲いていた。
良庵は仁斎に相談した。
巷では「あの良庵先生ともあろう方が『夜鷹』を拾って来て面倒を見てる」「ちょっと変だとは思わないか」口さがない連中の噂にもなっていたのである。
仁斎は「良さん、人の噂なんて気にする事はないが 素性が判らぬのが引っかかるのう」「人間は悪い女では無さそうだが、後は良さんの気持ち次第だな」と・・・
その夜、再び良庵はあやめを呼び「何故此処で働きたいのか、十年の長きに渡って捜し歩いた心を捨てて良いのか?」とたずねた。
彼女は言った「私は一年前に死にました、どうにもならない旅を続けて死んで行くより 先生のところで生まれ変わりとう御座います」
除夜の鐘の鳴る頃 皆の集まる席で良庵は言ったのである。
「あやめは今から此処の家族になる、皆もそのつもりで労わって教えてやってくれ」と・・・
あやめは良庵に「先生、出来たら名前を代えとう御座います、今までの私で居たくありません、新しい年から新しい名で出発しとう御座います、私に名前を付けてくださいませ」
「うん、それも良かろう」
暫く考えて「美雪・・・と云うのはどうじゃ、ほら美しい雪が振り出したであろう、除夜の鐘が鳴り終わったら皆 美雪を宜しくな」と・・・
皆、一様に驚き、又 歓声で沸き返った。
美雪も新しい晴れ着に袖を通し喜びに溢れていた。
事実 最初のやつれ果てた姿が嘘の様に 二十五歳の年齢の明るい笑顔がはじけて可愛かったのである。
皆で初詣に出掛け、今年の無事息災を祈り帰って来た時にはもう患者が待っていた。
医者の仕事には盆も正月も無い。
早速診察に取り掛かる。
美雪は良庵の指示に従って てきぱきと良く働く。
そんな姿に「これはよい拾い物をしたな」と良庵は眼を細めた。
佐吉夫婦も 日頃診療室以外の掃除がなおざりになっていたのが出来る事に喜んでいた。
庭の植え込みを刈り上げながら 綺麗になって行く姿に顎を撫でながら満足したのだった。
真っ赤な寒椿が雪の白に映え美しく輝いていた。
それから一年の後
町の人の信頼も得た美雪は 生き生きと師匠の代わりに簡単な治療を任せられ 診察室で治療を行っていた。
仁斎と碁を打ちながら良庵は「どうだ、良い娘だろう」
仁斎は「しかし不思議な縁じゃのう、でも俺の立場だったら雇う事は出来んからのう」「町医者なればこそ出来る芸当だな、羨ましい限りじゃ」と・・・
なるほど御殿医では身元の解らぬ者は雇い入れる事は出来ない。
町の医師なればこそ出来る事であった。
この一年美雪はめっきり明るくなった。
そして自分から冗談を言う様になったのである。
良庵に非常に懐いた。
佐吉が「美雪様の昔話を聞きたいなー」と言ったところ「全てはお先生にお話してからね」と笑って答えたのである。
そして「庭の椿が美しいわね」と、遠くを見る様な顔で静かに見ていた。
今の幸せが夢の様な気がする。
突然逃げて行きそうな不安も感じた。
再び椿の花を見つめ長い長い旅の終わりも感じていた。
「仇討ちの彼方に 2」 ー寒椿ー
今を去る事十八年・・・
さる西国の小藩での出来事から始まる。
その藩に木村左衛門なる人物が居た。
藩の重臣ながら非常に粗暴ですぐ刀を抜きたがる。
そして無頼の輩と組み 賭け事をして町人から金を巻き上げ『呑む、打つ、買う』の三拍子。
怖い者知らずの暴れ者、朋輩からも嫌われ誰も相手にはしなかった。
とは云え重役となればどうしても関わりを持たねばならぬ。
その男が一番好きな遊びと云えば将棋であった。
大して強くも無いが皆 後々の事を考えて負けてやる事にしていたのである。
だから自分が一番強いと思い込んでいたのだ、が・・・
だがしかし 彼にはどうしても目障りな存在の男が居たのである。
軽輩ながら藩内随一の剣の達人、そして学問も優れた男が・・・
彼は思慮分別をわきまえた人望も厚い男であった。
その名を藤堂新九郎・・・人呼んで『音無し新九郎』(相手と刃を交えずして一撃で倒す所からそう呼ばれた)と云った。
道場に於いても決して禄高で手加減はしない。
何時もの事ながら左衛門もしたたかに打ち据えられ 床に這いつくばって歯軋りを咬んでいたのであった。
左衛門は考えた。
「よし、将棋なら苦も無くひねってやれる、ひとつ将棋で勝負をしてやろう」
左衛門は新九郎に賭け将棋を申し込んだのである。
どちらかが負ければ禄高の半分を差し出す、と云う条件で・・・
立会人には同藩の朋輩を付けての勝負である。
最初は新九郎は丁重に断ってはいたが 町中に「受けて立たぬのは卑怯者のなせる技だ」と言いふらし 噂を流したのであった。
やむなく新九郎も受けざるを得なくなったのである。
いよいよその当日がやって来た。
新九郎の妻 香奈枝は「あのお方はどんな卑怯な事も平気でなさる方、くれぐれもご用心なさいますよう」と送り出したのである。
勝負は左衛門の「待った待った」の連続でなかなか進まない。
「こんな筈ではなかったが・・・」「俺は今まで負けた事がないのに」左衛門は焦った。
そして数回の「待った」の末、新九郎は「もう終わりましょう、この勝負引き分けでいかがで御座ろうか」
見る見る顔が高潮した左衛門は 侮辱されたと思い いきなり抜刀して新九郎に襲い掛かってきたのだ。
身を交わしながら「止められよ、たかが将棋であろう、引き分けで良いのでは」しかし逆上した左衛門には 余計恥をかいた思いがしたのである。
ついに部屋の隅に追い詰められた新九郎は 脇差を抜くなり横に祓ったのだった。
それが胴を深々と斬り裂いてしまった。
「しまった」新九郎は慙愧の思いで一杯になった、そして家で待つ妻を思った。
そして我が家に急ぎ戻り妻に事情を話すと共に『離縁状』を書いたのである。
親戚、縁者に類が及ぶのを避ける為 最愛の妻を里に戻したのであった。
そして旅支度も早々にその城下から姿を消した。
町中は大騒ぎとなった。
そして新九郎の行為に拍手喝采を送ったのである。
戦乱の世も終わり 太平を享受できる様になった頃の事である。
又 城中でも新九郎の心中を察し同情する者も多く居たが 脱藩する者に対する処分は死罪と決められている以上 口にする事は出来なかった。
唯、皆、無事に逃げてくれる事を祈るのみであった。
左衛門の息子(金之助)はまだ十二歳、そして娘(静香)は七歳であったが【仇討赦免状】が出て 新九郎を討つべく旅立つ事になった。
叔父甲子郎も同道する事になった、子供二人では到底返り討ちになるのは目に見えていたからである。
又 藩内からも脱藩者成敗の為の腕達者の者が三名、新九郎を追う事になった。
しかし藩命とは云え 三人の刺客は新九郎を殺す気持ちはさらさら無かったのである。
「あれは元々左衛門が悪いんだ、死んでくれてありがたいと藩も感謝しなきゃーな」
「そうだ町人たちも俺達もホッとしとるんじゃからのう」「あいつは藩の恥曝しだったからな」銘々声高に喋る。
それを金之助、静香は黙って聴いていた。
甲子郎は苦々しげに聞いてはいても 反論する事も出来なかった。
刺客達は何とかして新九郎に出会わなければ良い、と思ってわざとゆっくり歩く。
新九郎の強さはよく解っていたが それより彼の人望がそうさせていたのである。
甲子郎はそんな刺客達に苛立ちを見せた。
が 彼等は何処吹く風、気ままに旅を楽しんでいたのであった。
やがて一年が過ぎた。
「これ以上の探索無用」と藩からの使者が来たのである。
甲子郎は怒った。
「藩命に背いた者をそのままにして良いのか!」と・・・
だが彼等は「これが藩命、武士の掟よ」と冷たく言い放ち 去って行ったのである。
叔父と兄妹は呆然と見送るだけであった。
甲子郎は「いざ対決する時には用心棒を雇わねば」と考えていた。
「彼に勝つにはそれしか無い」と・・・
「仇討ちの彼方に 3」 ー寒椿ー
一方新九郎も過酷な旅を続けていた。
仇として追われる身、路銀も底を付き かと云って雇ってくれる所もなし・・・
頼るところと云えば無頼の輩 ヤクザの用心棒位しかない。
だが腕は立つ、何処の組でも喜んで迎えてくれた。
が 彼には其処まで落ちた自分に腹を立て、心だけは立派な侍でいたいと思っていたのだった。
が すさんで行く心は次第にそうなるまいと思う気持ちとは裏腹に、逆の方向に流されてゆく。
何度か愛する妻に手紙も書いた。
そして出す事もなく破り捨てた。
どうか幸せに生きて欲しいと願いながら最後の手紙をしたためた。
「私の事は忘れてくれ、良い伴侶を見つけて暮らしてくれる様に」と・・・
そして故郷の山河を思い出し、又自分を追って来る相手を思っていた。
「確か彼には元服前の息子と娘が居たはずだ、彼等も又辛い旅を続けているのであろう」「私が討たれてやれば国に帰る事が出来るはずだ、こちらから探し出して討たれてやろう」
新九郎はそう思った。
それからの旅は自分を討つ兄妹を探す旅に代わったのである。
仇を討つ叔父、兄妹も苦しい旅を続けていた。
国許からの仕送りも滞りがちになった。
そして二年後、叔父甲子郎が病に倒れたのである。
安い旅籠で少し療養していたが、医師を呼ぶ金も無くなり 二人の兄妹を枕元に「いいか、絶対に父上の仇は討つのだぞ、奴を討たねば家名断絶となってしまう、如何にしても首を取って故郷に錦を飾るのだ」【仇討赦免状】を兄金之助に渡し息を引取ったのであった。
故郷では甲子郎の遺体の引取り手も無く 一通の手紙とわずかの金子が送られてきただけであった。
「遺体はそちらで処分されたし、送金もこれが最後と思われよ」と・・・
事実上孤立無援となったのだ。
金之助十五歳、静香十歳の時の事である。
それからの旅はまさに辛酸をなめるが如き辛いものに変わった。
無人の祠に潜り込み寝起きして畑の大根、野菜等を盗み喰い 命を繋ぎ仇を探すのである。
もう武士の誇りも何も無い。
藤堂新九郎を討ち果たすまでは故郷には帰りたくとも帰れない。
が しかしこの兄妹には新九郎の顔さえ覚えていなかった。
名前だけしか解らない相手を探すのである。
吹雪の北陸道を凍える手足をさすりながら歩く・・・
霜焼け、皸は云うに及ばず頬にまで凍傷に掛かり 刀を杖に歩いては倒れ、倒れては歩く。
「お兄様 もう歩けません、私はもう駄目です 死なせてください」「頑張るんだ、必ず仇を取って故郷に錦を飾るんだ」だが金之助も又 意識も途切れそうになりながら必死の思いであったのだ。
と、ある番小屋が眼にとまった。
「しめた、あそこで少し休もう」
転がり込む様に小屋の中に入った、壁板をはがし暖を取る。
それからの金之助は高熱に犯され 意識も失い 乾いた咳が続いたのである。
そして静香に「もう私は駄目だ、お迎えが来た様だ、後は静香 お前に頼む」と・・・
その翌日息を引取ったのであった。
静香は涙枯れるまで泣いた。
それから三日後 嵐は嘘の様に晴れた。
漁師達が見回りに来た時には泣き疲れて眠っている静香と 既に冷たくなった金之助の二人が手を握り締め 重なり合っていたのであった。
彼等はそれを見て哀れんだが 金之助の墓を掘って埋めてやる事位しか出来なかったのである。
彼等も又 極貧の生活をしていた為 せいぜいそれが精一杯の思いやりであったのだ。
金之助二十歳、静香十五歳の二月の寒い朝の事である。
風に吹かれ椿の花びらが侘しく落ちる日であった。
少しばかりの食事を頂き 静香ひとり 新九郎を求め旅立って行ったのである。
辛く苦しい旅は続いた。
だが藤堂新九郎の名前は何処で聞いても判らない。
唯、名前だけで探すのは海辺の砂の中から宝石を探すのと一緒である。
しかし静香は家名の為、死んでいった兄の為、必死で探し歩いた。
野宿をし 祠で寝泊りしながら飢えをしのいで 一歩一歩前に進むより手立ては無かったのだ。
そうしたある晩、野宿をしている所を夜盗の群れに見つかってしまった。
「おい、お前 ここで何してる」と肩を掴まれた。
「無礼な、近付くと斬りますよ」と懐剣の鞘を祓った。
「何だ、まだ小娘じゃないか」「少し可愛がってやろう」
夜盗達は眼と眼で合図しあって いきなり襲いかかったのである。
必死の抵抗もむなしく彼等のおもちゃにされたのだ。
着ている物は全て剥がされ、陵辱の限りを尽くされ静香は失神したのだった。
そして持ち物を物色し始めた。
「何 仇討赦免状、こいつ仇討ちの相手を追っているのか」と笑って赦免状を引き裂いた。
何人の男が身体の上を通り過ぎたのか・・・
朦朧とした頭で考えたのは自害する事であった。
が、しかし仇にめぐり合う事も無く死ぬのは如何にも悔しい。
叔父、兄の無念さを思い、思い留まった静香は川の水で 皮が破れる程身体を洗ったのである。
破れた赦免状をかき集め籐の小箱に入れふらつく足で歩き始めたのであった。
月が冷たく照らしていた。
下腹部が痛い・・・無理やり大勢の男達に犯された静香には 今まで男の人と親しく話をした事も無かったのだ。
一ヶ月ばかりその傷は癒えなかった、出血も二週間ばかり続いた。
だがそれが彼女の人生を変える事になろうとは まだ気が付いていなかったのである。
十六歳の秋の事であった。
三ヶ月も過ぎた頃・・・
「お兄さん、遊んで行かない?」「楽しませてあげるわよ」
夜鷹の群れに混じって客を物色する静香の姿が其処にはあった。
「おう、名前は何て言うんだ」
川岸に狂い咲きの様に【あやめ】の花が一輪咲いていた。
それを横目で見て「あやめと云います、よろしくね」と流し目で答え男を誘う。
そうしてある程度金が貯まると 又新九郎を探す旅が始まる。
宿場宿場でそれを繰り返す。
そして客に藤堂新九郎と云う男の事を尋ねるのであった。
そんな生活が六年余り続いた。
だが何ひとつ得られる手掛かりは見つからない。
静香は「このまま歳を取って死んでゆくのではないか」と思い身震いしたのだった。
敦賀の宿場での出来事であった。
自分のねぐらを確保した後、木綿の手拭いを頭からかぶり 夜の川沿いで客を拾おうとしてた時、土地のヤクザに捕まったのである。
「ショバ代を払え」と・・・勝手に商売をする事を許されなかったのだった。
「まだ客が付いておりません」と答えると「ふてーアマだな、見せしめに木に吊るして置け」と親分らしき者がそう言った。
抵抗もむなしく両手を縛られ 町外れの大木の枝に吊るされたのである。
彼等は横のつながりで宿場宿場で稼いで消える女を捜していたのだ。
それは紛れもないあやめと名乗る女 つまり静香の事であった。
腕の皮は剥がれ抜ける様に痛い、そのうち痺れが走り気を失ってしまった。
「やーい、夜鷹 ざまーみろ」「気持ち悪い、早く死ね」口々に罵られ石を投げられ 棒で突付かれ気が付いた。
上半身裸にされ見るも無残な姿であった。
又 竿竹で胸のあたりを殴られ失神する。
全身傷だらけで五日目におろされた。
その間に雨にさらされ傷口から血が滴り落ち道を這いずる跡には赤い血の帯が続く。
隠した荷物の所まで辿り着いたが金は全て抜き取られていたのである。
彼女はこの旅からの十七年余りの出来事を回想してた。
まだ旅の始まりの頃 三人の藩内の人の言葉「そもそも左衛門が悪い」「死んでくれて皆助かった」「新九郎殿は哀れよのう」・・・
何故敵討ちなどしなければならないのか?
解らない事が一杯あった。
傷の癒えるまで祠の下でじっと隠れ ふらふらとこの宿場を後にしたのであった。
飲まず喰わずで辿り着いた町で 懐かしい故郷の名の看板を上げた店を見「仇討ちの彼方に 4」 ー寒椿ー
つけた。
吸い込まれる様に中に入って 番頭らしき人に「お頼みします、藤堂新九郎様を探している者ですがご存知ありませんか?」
最初、何処の乞食が入って来たのかと驚かれたが「藤堂様のゆかりの方ですか? ここでは何ですから奥へどうぞ」と居間に通された。
そこで聞いた話は 叔父から聞かされた話とは全然違うものであった。
この店は『西国屋』の支店であって 当時の出来事の真相が良く解ったのである。
今でも新九郎を悪く言う者は誰も居ないと云う事も・・・
そして、もっと驚かされた事は主君の不祥事により幕府により藩が取り潰された事であった。
「一体何の為に苦しい旅を続けなければならなかったのか」
自分は何の為に生きてきたのか・・・
呆然と店を後にした静香は 自分の中の心の支えがガラガラと崩れて行く音を聞いた。
習性とは恐ろしいものである。
目的を失った静香は尚も新九郎を求めて 歩き始めたのである。
只 当てもなく苦しい旅を続けるのであった。
もう夜鷹はやめた。
だが草を食み泥水をすすって前に前に進む。
糸の切れた凧のような放浪の旅であった。
そして加賀百万石の城下町で遂に力尽きたのであったのであった。
その時良庵に助けられたのだ。
「仇討ちの彼方に 5」 ー寒椿ー
美雪は遠い日の思い出に浸っていた。
そして【西国屋】の主人の話、又その主人の好意で当時の出来事を知る人達の所在を確かめ 何通もの手紙を書いた。
返って来た返事には 傍若無人な父親の事が事細やかに書いてあった。
賭け将棋の立会人 多田兵庫からの手紙には もし藤堂新九郎が居たならば藩のお取り潰しも避けられたであろう と書いてあったのである。
元々貧乏な藩の財政を救う為に 山の中腹まで果樹園を作り、又赤穂の塩田を見習い塩の生産に力を注ぎ 豊かな財政の藩に作り上げた功績は新九郎在って出来た事。
不正を嫌い藩主に『絹着せぬ物言い』が出来たのは 新九郎唯ひとりであった。
ゆくゆくは勘定奉行と剣術師範を兼任する話もあったそうだ。
美雪はその立派な方を仇と狙い十八年もの間探し歩いた事になる。
涙が頬をつたって流れて落ちた。
又 風花の様に雪が舞い降り 椿の花びらを紅色に染めて行く。
何時しか蝉時雨の鳴く季節となった。
美雪はこの医院の[アイドル]となっていた。
良庵が診察室にいると患者達は眼で美雪を探す。
中には「大先生より美雪先生がいい」と言う患者まで表れる始末だ。
無理もない、女性の患者は大抵男性に肌を見せるのに抵抗感はあるものだ。
それが例え名医、良庵と云えどもである。
良庵は苦笑して「美雪、お前が所望だそうだ」と奥へ引っ込むのであった。
そして仁斎と酒を酌み交わし囲碁を楽しんだ。
仁斎も又 城中で何事もなければ暇を持て余していたのである。
「お前は人使いが巧いよのう」「みんな美雪に任せてのんびり碁かよ」
家の中も見違える程綺麗に片付いて 庭の手入れも行き届いていた。
佐吉夫婦ものんびり楽しく仕事してる。
過去にこんな事があった。
藩主前田公が良庵を見込んで 他藩への仕官を勧めた事がある。
勿論その藩の御殿医としてである、が・・・
良庵は「碁仇と離れるのが辛ろうござる」と断ったのだ。
前田公は面目を失ったのであるが「うん、さもあろう」と笑って答えた。
加賀藩には名医が二人居る、それが又自慢の種でもあったのだ。
他藩からも良庵を頼って来る患者もいた。
そして城中への出入りも特別に許されていた。
その訳は仁斎一人では手の廻らぬ場合 良案が居てくれる事により多いに助かったからだ。
藩主前田公はその位 良庵を高く評価してたのである。
ある日仁斎が困った顔でやって来た。
そして「一時美雪を貸して欲しい」と言ったのである。
「実は側室のお蓮の方の事だが わしはどうもあの方が苦手でのう、美雪なら巧くやってくれると思って頼むんだが引き受けてくれんかのう。病は偏食と陽に当たらないところから来てるんだが、わしが言っても聞いてくれんのじゃ、美雪なら女同士、巧くやってくれると思って頼むんだがひとつ城中について来てくれんかのう」
良庵はこれも美雪の修行のひとつだと引き受けたのである。
側室お蓮はかなり我侭であった。
魚を食べる時には小骨まできれいに抜いてある。そして屋敷から一歩も出ようとしない。
そして仁斎が居ないと大騒ぎして「痛いの痒いの」と駄々をこねる。
遠くから眺めて仁斎は「ほら、あの方だが美雪・・・頼むぞ」と手を合わせて逃げる様に去っていった。
美雪が近付くと「誰じゃ!お前は」・・・涼しい顔して「はい、お方様専属の医者であります」「仁斎はどうした!仁斎は・・」「殿の所に参っております、今日から当分私で辛抱してくださいませ」
それから美雪のスパルタが始まった。
「お方様、外に出ましょう」まず陽の光を浴びる事から手を付けたのである。
「嫌じゃ、お前ひとりで歩いて参れ」
途端に美雪は「死にとう御座いますか!死にたくなければまず私に付いて来てくださいませ」と強い口調で言ったのであった。
今まで自分に命令した者は殿意外にいなかった。
それがこの若い医者が、それも女の医者が命令するとは・・・怒りが全身に走ったのである。
しかし死にたくはない、渋々庭の散歩をする羽目になったのだ。
最初は少し歩いて休み、休んでは歩く。
するとどうであろう、食事が美味しく戴ける。
しかしこの我侭な側室の食事には柔らかい物しか並んでいない。
それも美雪は取り上げてしまったのである。
例えば魚は小骨まできれいに抜き取ってある、根菜類は固いものはお膳の上には無い。
美雪は眼の前で骨の付いた魚をガブリと咬んで食べて見せた。
そして当分は一緒に食事を取ったのである。
其の上残った骨はもう一度油でカリカリになるまで揚げ、少し塩を振っておやつとして食べさせたのであった。
一日五~六時間の散歩、そして柔剣術の指導、これは若い藩士の教えを受けてだが、最初は根を上げていた側室も次第に元気を取り戻していった。
夜、家に帰っては良庵に逐一報告する。
「お城の中は大変ですね、庭は広いし何度も迷ってしまいました」「食事も私たちと違って固いものは食べないんですよ」と笑いながら話すのであった。
それでも十ヶ月もしたらお蓮の方は元気を取り戻したのだ。
藩公は非常に喜び「仁斎、いい弟子を持ってるのう」と・・・
「いえ、あの娘は良庵の弟子で御座います、これからは医師も女子が必要で御座いましょう」と答えたのであった。
藩公は頷きながら「良庵も偉い奴だのう、女子をあそこまで育てるとは大した奴だ」と・・・
美雪も又城内への出入りを許されたのであった。
又、こんな事もあった。
時代が落ち着いてきた今、武士も武術よりも算盤勘定ばかり考える者が多くなってきていた。
それを嘆いた藩公は 侍の魂を取り戻すべく多いに武道を奨励した。
そして城内で御前試合を度々行った。
ある時仁斎は「良庵を試合に出す様に」と進言したのである。
藩公は「仁斎、それは無理であろう、良庵は医者だぞ、剣術なんて出来る訳が無かろう」と・・・
すかさず仁斎は「だから面白う御座る、武士が医者に遅れを取っては恥、余計頑張ろうと思うのでは」
結局良庵は引っ張り出されてしまった。
そして良庵は決勝戦まで勝ち上がったのである。
決勝戦では、この藩の指南役と戦う羽目になってしまった。
良庵の竹刀は冴えた、セキレイの様に正眼の構えの切っ先が震える。
指南役は右へ左へと動き回るが 良庵の身体は静かに相手の動きに合わせ追い詰めてゆく。
最後は竹刀を置き「参りました」と頭を下げたのであった。
「いや、私こそ打ち込む隙がありませんでした、参りました」と良庵も答えたのである。
勝敗の行方は藩公には判っていた。
が 恥を欠かせない良庵の態度に感心したのだった。
藩公は頷いて「見事な試合であった」と両者を褒め称えた。
これほどの人物が市井に居る事は・・・何か仔細があっての事だろうが・・・
しかし藩公はそれを詮索する気はなかった。
だが良庵はもとより仁斎の株も上がった事は確かである。
その後、指南役も良庵宅によく訪れ 世間話をして行く様になったのである。
「仇討ちの彼方に 6」 ー寒椿ー
仁斎は言った「お前と初めて長崎で出会った頃を覚えているか」「悲壮感が漂って近付き難かったぞ」
良庵は「それはそうだろう、あの頃はわしも若かった」「医術を習得出来なかったら切腹する覚悟だったからなー」しみじみと懐かしむ様にそう言った。
お互い何でも言える仲なればこその会話であった。
良庵が「覚えているか、若君が死にかけた時のお前の慌てぶりは無かったぞ」
「うん、あの時は俺の首が飛ぶかと思った」「お前が居てくれなかったらあの治療は難しかった、助けられたよ」お互い助けたり助けられたり 今日まで過ごして来たのであった。
最初の出会いはすれ違いざまの鞘当だった。
普通ならお互い譲らず果し合いになるところだ。
だが互いが「失礼仕った」「いやいや拙者こそ」
それから身の上話を繰り返し 肝胆相照らす間柄となったのである。
医術の勉強も二人で足らざる所を補い合って切磋琢磨したのだった。
一方美雪は密かに良庵に思慕の情を持つようになっていた。
いつも優しく指導し、身を持って手本を示してくれる。
そして思慮深く誰にも分け隔てをしない。
金の無い患者にも親切に心を砕いた。
しかし美雪には言うのも恥ずかしい過去の生活がある。
それを言ったら嫌われるのではないか、との恐れを抱いて悶々としていたのであった。
そうした気持ちを知ってか知らずか 良庵は淡々と誰にも優しく接していた。
美雪の心など解っていないが如く。
美雪は淋しかった、悲しくもあった。
ついに佐吉夫婦に相談したのである。
「先生が大好きなのに察しても貰えない、どうしたら解って貰えるのかなー」
佐吉の女房は「思ってるだけでは駄目よ、旦那様は朴念仁だから言わなきゃ一生気が付かないよ」
又佐吉は「何か過去に辛い思いをなさったんだろう、美雪様が本当に旦那様に恋をしてなさるんなら思い切って言ってごらん、我々も応援してあげるから」・・・
紅葉の季節も過ぎ雪混じりの木枯らしが吹く頃になった。
美雪が此処に来て三年の月日が経っていた。
時の経過と共に美雪は益々若々しく美しくなってゆく。
それは本当に心の傷の癒えた証拠でもあった。
思い切って仁斎の屋敷を訪れた美雪は 雪吊りの続く庭先を歩いて玄関に向かっていた。
「おや、美雪さん、元気のない顔してるわねー、何かあったの?」仁斎の妻お涼が声を掛けた。
泣きそうな顔で「先生 いらっしゃいますか?」「ええ、座敷で鼻くそでも掘ってるでしょう、上がりなさいな」とお涼・・・・・
「おう、美雪 来たか、思い詰めた顔してどうした?」
「実は先生にお話したい事がありまして・・・教えてください」と・・・
そして自分の十八年間の仇討ちの旅の話、父親の犯した罪などを淡々と語ったのである。
「今の幸せを失いたくないのです、良庵先生をお慕いしてるのですがそれを言ったら嫌われるでしょうか?」
「うーん、難しい問題だな、さて良さんどう出るかな・・・」「しかし美雪が心から惚れたのなら当たって砕けろ だな」
その夜、良庵の前に座った彼女は全てを話し「女の私から言うのは はしたない事は解っているのですが先生が大好きです、愛しているんです」と 涙混じりで訴えたのである。
「少し時間をくれないか」良庵も困惑した表情でそう言ったのだった。
暫くは良庵も押し黙って考えていた。
そして五日後に仁斎の家に赴いたのである。
「おう、待ってたぞ色男」と仁斎・・・「お前まさか死ぬ気じゃないだろうな」
良庵は何故知ってるんだ、と訝ったが 図星を指され戸惑ったのであった。
「うん、俺のお陰であの娘に苦労かけたかと思うと居ても立っても居られなくてな」
「あの娘は思慮分別のある聡明な娘だ、お前の生きて来た道をきちっと話してやれよ」と仁斎。
「お前が首を差し出しても喜ばないぞ、美雪はもう何年も前から仇討ちなんて捨てておる」「いじらしい娘じゃのう、恋するとはそう云うものかな」と笑った。
そして「お内儀の事だが、今は大店の女将として旦那を尻の下の敷いて幸せに暮らしているそうじゃ、安心しろよ」
「しかし女は怖いのう、お前の話では貞淑な妻だったと聞いていたが 何でも今は完全な『かかあ殿下』だそうじゃ」
良庵は常日頃から妻の無事息災を祈っていた。
肩の力が抜けてゆくのを感じたのである。
『追憶』 「ある愛の歌」
№ 1
春まだ浅き日、男は山間の東北の無人駅に降り立った。
「昔とあまり変わっちゃいないな」小さく呟きゆっくりと歩き始めた。
そして大して流行っても居ない古ぼけた旅館の門をくぐった。
来客もそう多くない宿に 突然の予約なしの客である。
身なりも悪くない。
宿の主人は久しぶりの客に喜び 揉み手をして愛想を振りまいたのであった。
「『紅葉の間』は空いているかな」
「ええ、お客様は以前お見えになった事がおありで・・・?」
代替わりした主人はこの男の事を知る由もなかった。
「うん若い頃ちょっとな」
部屋に通された男は懐かしそうに辺りを見渡した。
部屋の調度品は 新しいものに変わってはいたが 窓の外には雪をかぶった栗駒山系が広がって昔の姿そのままであった。
暫くその風景を眺めて何か感慨にふけっている様子だった。
が コートを脱ぎ厚手のセーターに着替え 男は宿の下駄を借り まだ残雪の残る道を川下の方に歩いていった。
男の名は松井幸平、先日まで大手商社に勤め海外生活も長く なかなか来たいと思ってもその機会も無く今日に至ってしまっていたと云う訳だ。
「いやー 昔とちっとも変わっていませんなー」
宿の主人は「この辺は随分過疎化が進み町の人達も年寄りばかりになりましたからね」「若者は皆 東京方面に出て行きますからもう発展する事はありませんよ」
「ところでお客様は何時頃ここにいらっしゃったんで?」
「うん、学生時代にちょっとね」「ところでこの前に駄菓子屋があったはずだが・・・」
「ええ、もう二十年ばかりになりますか、火事を出しましてね 一家離散の憂き目になり何処へ行ったのか・・・」「お客さんは何かゆかりの方ですか・・・?」
男は無言のまま聞いていたが その返事をする事なく部屋に戻ったのである。
実は幸平には若い頃、この温泉町が辛くて甘い青春の地だったのだ。
終戦の混乱期も過ぎ世の中が落ち着きを取り戻した頃、大学生であった幸平は胸を患い転地療養を余儀なくされた。
その二年余りの滞在が彼の人生を大きく変えたのである。
それから四十年、自由の身となった今、どうしても会いたい人が居た。
彼の思い出と共に人生を左右した人に・・・・
だがその人は何処に行ったのか皆目見当がつかない。
幸平は昔の事を知ってる人から捜さなければならなかった。
何しろ半世紀近くも前の事である。
幸いに駅前の みやげ物売り場の老婆が その駄菓子屋の事を覚えていた。
が、火事の後 隣町に移り住んだところまでは判ったがその後の事は知らないと言う。
幸平はタクシーを拾い教えられた住所まで足を伸ばした。
そして町役場に行き現在何処に住んでるかを聞いたのである。
彼の捜している相手とは『和泉淳子』
青春時代燃える様な恋をし、療養中の彼を励まし続けてくれた そして彼が心ならずも裏切った女性であった。
№ 2
日本が高度成長期に入って暫くの後 一流大学に入学し前途洋々の彼を襲った病魔は当時にはまだ不治の病と言われていた結核だった。
彼の父親は手術を選ぶ事無く転地療養の道を選択したのである。
「空気の綺麗な所で長期の療養をすれば必ず治る」と信じて・・・
彼は絶望の淵に立たされていた。
父親の跡を継ぎ 世界に冠たる立派な会社に育てようと夢に描き 当時としては珍しく家庭教師もつけて貰い 幼少の頃から英才教育を受けてきた彼にはこの病気は全てを奪い取るものに感じたのである。
転地先の宿からは何時も栗駒の山々が見えた。
鬱々とした気持ちで外へ出たところ、前の駄菓子屋から勢い良く飛び出して来た少女とぶつかったのである。
「あっ、ごめんねお兄ちゃん」よろける彼にその少女は声を残し何処かへ走り去って行った。
彼は走る事さえ出来ない己に腹を立てたのだった。
それから数日の後、何と無くその駄菓子屋の暖簾をくぐった。
決して高級とはいえない だが珍しいこの土地の菓子が所狭しと雑然と並んでいる。
商売っ気の無さそうな不精髭を生やした親父が奥から出てきた。
と同時に表から「いらっしゃーい」「あっ、この前のお兄ちゃんだ」との声が響いた。
親父は何も言わずに奥に引っ込んでしまった。
「この前はごめんね、前の旅館に泊まっているんでしょう、随分長い様だけど ここ好きなの?」
屈託の無い声でそう聞いてきた。
「うん、特別好きでも無いがまあ悪い所でもないかな」彼は曖昧に答えたのである。
棒飴を二本新聞紙に包み「はい」と渡され「今度この町の綺麗なところ連れて行ってあげるよ」「何時も旅館の中だけではつまんないでしょう」と・・・
半ば強制的に約束させられた彼は「気分転換には丁度良いか・・・」と考えたのだった。
彼女は彼の病気の事などまるで知らない。
何時も明るく天真爛漫な まさに山国の少女だった。
中学を卒業したらその駄菓子屋を継ぐのだと屈託無く話す。
母親は毎日その土地で取れた野菜を背中に背負って 下の街まで行商に行っているのだと・・・
そんな生活の中に幸せを感じて生きているのが彼には不思議に思えたのだった。
彼は貧乏と云う言葉さえ無縁のブルジョアの御曹司であったから。
彼女の足は速い。
病身の彼には付いて行けなかった。
時々立ち止まって「ちょっと待ってくれ」と息を弾ませ言ったものだ。
しかし連れて行かれたところは 川沿いの小鳥が集まる所であったり 丘の上から栗駒の山々が一望に見渡せる所であったり 実に素晴しい自然の風景であった。
そうした自然の中でいろんな話をした。
幸平は治るか治らないか判らない自分の病気の事を話した。
そして「もしかしたら君にも移るかもしれないよ」と・・・
彼女はケラケラ笑ながら「いいよ、そうしたら病気も半分っこになるよ」「そしたら絶対に治るよ」と事も無げに言ったのだった。
なるほど、そうした外出が多くなってから少しずつ身体が楽になってゆく。
旅館の食事も綺麗に平らげる様になった。
そんな時幸平の父親がひょっこりやって来た。
元気になった幸平を見て満足そうに喜んだ。
彼は淳子の事を詳しく話したのである。
ここまで元気になれたのも淳子のお陰であると・・・
だが父親は不快感をあらわにしたのである。
そして「貧乏人と付き合うと自分も貧乏臭くなる、あの娘が例え良い子であってもお前にはふさわしく無いな」と切り捨てる様に言って帰ったのだった。
しかし幸平にはこの山里で心を開いて話せる相手は 淳子を於いて他にはいなかったのである。
そして春が来た。
淳子は卒業して例の駄菓子屋を継いだ。
幸平も又 病気も癒え一緒に歩き回るのに苦痛を感じなくなった。
その頃になると話題も変わってきていた。
お互いの将来を語り合い少しずつではあるが 相手を異性として感じる様になって行ったのである。
しかしまだ幼い恋心ではあったが・・・
確実にその愛は育っていった。
だが現実は残酷である。
「もう大丈夫だろう」
父親の一言で東京に戻る事になった幸平は「必ず迎えに来るから・・・卒業するまで待ってろよ」と何度も淳子に言い聞かせ列車の人となったのである。
学校に戻った幸平は 夏休み冬休みはおろか事あるごとにこの小さな駅に降り立った。
勿論淳子に会いにである。
唯 手をつないで歩くだけで幸平は幸せを感じていたのである。
この思いは淳子も同じであった。
が、町の人達はそんな二人の純愛を信じてはいなかった。
何時の間にか「あの二人は出来てる」「淳子は遊ばれているんだ」「それも知らないで親も親だ」と噂が勝手に一人歩きして好奇の眼で見られる様になってしまったのである。
両親もその噂に耐え切れずついに交際を禁じたのであった。
幸平も淳子も一生懸命疚しい関係でない事を説明したが無駄な事だった。
田舎の、それも小さな温泉町の事である。
判れと言う方が無理な話である。
そこで彼らは相談して密かに湯沢市で会う事にしたのだった。
彼は真新しいマークⅡに乗り温泉町のはずれで彼女を乗せいろんな所をドライブして廻った。
幸平は密かに彼女との結婚を夢見ていた。
そして淳子にこう言った。
「俺と一緒の道を歩いてくれるか?」
淳子は嬉しかった。
そっとギアーを握る幸平の手に自分の手を乗せ幸せを噛み締めていた。
そして秘密のデートをする様になって二年後の夏、初めてのキッスを交わしたのであった。
唇と唇を合わせるだけで幸せは倍増し天国にでも居る様な気がしたのであった。
それからの幸平はまるで人が代わった様に積極的になって行ったのである。
今までの消極的な性格は消え全てに積極的に行動する様になって行った。
大学での態度も自信に溢れアクティブに変わり同輩達もその変貌ぶりに驚いた位だった。
幼少の頃からひ弱な息子の変わり様に父親も喜んでいた。
が その原因が淳子の支え在ってこそとは知る由も無かったのだ。
「良い跡継ぎが出来たわい」
父親は自分の後継者に多いに満足していた。
それから暫くして二人は結ばれた。
ドライブの途中、ふとしたきっかけで国道筋から離れて走った先にモーテルの看板が眼に付いたのだった。
彼は了解を取るべきかどうか一瞬迷ったが 黙って微笑む彼女に聞くのも恥ずかしかったのである。
車は滑る様に暖簾をくぐって駐車場に入った。
彼も彼女も始めての経験だった。
二人は上気した顔で肩を寄せ合い恥ずかしそうに入って行ったのだった。
少しの間おずおずとしていた彼女は大きなベッドに驚きその上でトランボリンに乗る様に跳ね回ったのである。
幸平はテレビのスイッチをひねった。
すると思わぬ画面が飛び出してきたのだ。
話には聞いていたが【男女が絡み合っている】驚いてスイッチを切ったのである。
暫くはこの異次元の部屋の探検をした。
何しろ二人ともこんな場所は初めて入る全く知らない別世界である。
風呂は泡立ちお湯が踊っている、ベッドは回転し ライトが赤、ピンク、紫と代わる。
何もかも珍しい事ばかりであった。
そうした時、幸平は今まで感じた事の無い異常な興奮に見舞われていた。
№ 3
それはこの部屋に入った時から予感はしていたが、現実に彼女と一緒に居る事で理性は吹っ飛んでしまっていた。
ましてや若い雌鹿の様な野性的な彼女の肢体を見る事も始めての事・・・
しかし彼には大きな悩みがあった。
時々夜中にパンツを濡らす、それもヌルッとした気持ちの悪い液体(夢精)をであった。
彼は病気ではないかと悩み苦しんでいたのだ。
恥ずかしくて両親はおろか弟にも友人にも言えなかった。
病院で診て貰おうとも思ったがそれも出来なかったのである。
キャンバスでは友人達が「あの女はどう この子はどうかな」等と話をしていたが彼は決してそうした話の輪に入って行かなかった。
何時も経営学の本を読み横目でそれを見ているに過ぎなかったのである。
だからそれが健康な男の自然な事だとは解っていなかったのだった。
しかし一緒に風呂に入ろうとした時その病気が始まってしまったのである。
慌てて股間を洗い 見られる事無く湯船につかった訳であるが若い彼はすぐ正常に戻っていたのだった。
「優しくしてね」恥ずかしそうに言う彼女の言葉も上の空で聞き 夢中で彼女にしがみ付いていった。
そして幸平は『おとこ』になり淳子は『おんな』になったのである。
シーツに付いた血を見ながら彼女は うっすらと涙を浮かべていた。
しかしこのセックスは淳子にとって決して気持ちの良いものではなかった。
唯 痛さだけが先走り本当の喜びを知るのはまだ先の事ではあったが、結ばれたと云う喜こびと充実感は彼女の全身と心に満ち溢れ ふらつく足には羽が生えた様に思えたのであった。
胸から腰にかけて幾つものキッスマークに「恥ずかしい」と潤んだ瞳で答えたのだった。
それからのデートは二人にとって より深い愛をはぐくむものとなって行ったのである。
幸平は卒業と同時に父親の会社で働く様になった。
彼は何時父親に淳子の事を話そうか機会を伺っていたがなかなか切り出す事が出来ないでいた。
淳子も又彼を信じてその日を待っていたのである。
そうした時、淳子は妊娠した。
意を決して彼は父親に「どうしても彼女と一緒に暮らしたいんだ」と必死に説得した。
激怒した父親は密かに彼女の家を訪ね両親と話し合いを持ったのだった。
もう七ヶ月になっていた彼女は堕ろす機会を失って 生むより道は残されていなかったのである。
両親との会談は彼女には知らされていなかった。
幸平は結婚はおろか 子供の認知さえ許されなかったのである。
「きっと解って貰える日が来る、待っていてくれ」
そう手紙に認めて送った。
しかし幸平に待っていたのは同じ系列会社の社長の娘との縁談であった。
政略結婚である。
今の時代では考えられないがその時代 父親の権力は絶対のものであったのだ。
断る事は出来なかった。
幸平は密かに病院に行き婚約成立後『パイプカット』を行ったのである。
「自分の愛した女性は唯一人、淳子であり幸せを願い付けられた我が子『幸子』の為に もう子供は作るまい」
決意の表れであった。
そして淳子との交信も途絶えたのである。
一方淳子は「父親の判らぬ子を産んだ」と町で噂の種となり肩身の狭い生活を余儀なくされていた。
だが父も母も何も言わない。
母親は行商を止め比較的裕福な暮らしに変わっていた。
幸子が小学校に入学する頃 親友の父親から「お前の両親は松井商事の社長から幾ら貰ったんだ」と聞かれた。
愕然とした彼女は両親を問い詰めた。
案の定、この町でちょっとした豪邸が建つ程の金を受け取り彼女には何も知らされていなかったのである。
絶望のあまり家を飛び出しこの町を捨てたのであった。
そして岩手県久慈市の旅館で働きながら幸子と共にひっそりと暮らし始めたのである
№ 4
幸平は、愛の無い生活の中で 唯仕事のみに生き甲斐を見出そうとしてた。
だがしかし何時まで経っても子供が出来ない。
両親も妻の親たちも 顔を合わせるごとに子供が出来ない事を攻めた。
毎日が砂を噛む様な生活が続いたのである。
幸平はついに切れた。
「当たり前だ、私は愛した人の子しか作らない」「その子は今頃 もう中学生になっているだろう」
妻は怒りを露にして去っていった、可哀想だとは思ったが妻にも結婚前から好きな人が居た・・・と云うより現在も続いて付き合っている事を彼は知っていたのだ。
両親と会社への反逆でもあった。
そして大手の商事会社に就職したのである。
仕事に関しては非常に有能な彼は瞬く間に頭角を現し 海外の支店を次々と拡張していったのであった。
休む間も無く働き続けた・・・
これは余談ではあるがアフリカに企業開拓に行った時の事である。
社員が「ここでは何も売れませんよ、裸で歩き裸足で歩いている、靴もシャツも電化製品も縁の無い生活してるんですから」と・・・
幸平は一括した「だから市場は無限なんだ、彼らに靴を履かせシャツを着せ文化的な生活の便利さを教えてやれ!」と・・・・
どんな所でも無限の市場なんだと陣頭に立って市場開拓をした。
会社は大きく世界に羽ばたいて日本でも有数の優良企業にのし上がったのである。
彼も世界各地での支社長を歴任し、何れは東京本社の社長になる男と誰もが思っていた。
だが彼は全てを捨て退職したのである。
そして還暦を迎えたのである。
いろいろな会社からヘッドハンティングに来た。
又会社も彼の引き止めに必死だった・・・が・・・
「大きな落し物をしたんだよ、それをどうしても捜したいんだ」と断って退職したのだった。
どうしてあの時 今の勇気が出せなかったんだろう。
後悔と無力感が何時も付いて廻って彼を苛んだのであった。
そして淳子の歩いた道程を片っ端から調べて行ったのであった。
「すみません、此方に和泉さんと云う方はいらっしゃるでしょうか」
久慈の『琥珀店』で幸平は尋ねた。
「はい、私が和泉ですけど・・・何か?」
面差しが何処か似ている・・・
幸平は確信した。
「幸子・・・さんですか、お母さんの淳子さんにお会いしたいのですが」
「どなた様でしょうか、母の名をご存知の方とは・・・」
そして はっとした様な顔をして「母は今おりませんが何かご用で」と険しい顔で答えたのであった。
「あー やっぱり幸子か、立派な店をやってるじゃないか、で お母さんは?」
「何処のどなた様か知りませんが呼び捨てにされる謂れはありません」「お帰りください」
冷たく追い返されたのであった。
光るものが頬をつたって流れた。
幸子も店の戸を閉めるなり柱にもたれて嗚咽したのであった。
会いたかった、父がすぐ近くに居る。
が 今までほって置いた恨めしさ 憎さもある。
名刺と宿の名を書いた紙切れを見つめながら泣き続けた。
悄然と帰った幸平は 宿の便箋を借り淳子に宛て、今までの無礼を詫びると共に自分の歩んで来た道を詳しく書いたのである。
彼は一日中部屋の窓から見下ろす久慈の街を見詰めていた。
何としてでも淳子に会いたい。
そして幸子にも・・・
例え嫌われてもいい・・・一度でいいから「お父さん」と呼んで欲しかったのである。
夕方になり手荷物を整理して翌朝の出立を考えていた時 宿の女将が「和泉さんと言う方がいらっしゃっていますけどお会いになりますか」と・・・
階段を降りるのももどかしく駆け下り玄関のロビーに向かったのである。
そこには一昨日会った幸子が背中越しにソファーに身体を小さくして座っていた。
淳子では無かったのである。
失望した彼は「あなたでしたか、一昨日は失礼しました」と答えるに留まった。
「お父さん・・・」振り向いた彼女の眼には一杯涙を湛えていた。
「先日はごめんなさい、あまり突然の事で何を言っていいか判らなくて」「明日一緒にお母さんに会いに行ってくれますか?」
「いや、私こそ、いきなり驚かせて済まなかった」「お母さん いや淳子は病気なのか?」「それとも何か来られない訳でも有るの・・・?」
「明日来て頂ければ判ります」と一冊の分厚いファイルブックを手渡したのであった。
幸平も昨夜認めた手紙を「これを淳子に・・・」と手渡したのであったのだ。
その夜は興奮のあまり一睡も出来なかった。
ファイルを一枚一枚めくってゆく、そこには幸平が海外で活躍してた頃の新聞の切り抜き、経済界の雑誌に載った記事、写真などがびっしり貼ってあった。
所々に「愛するあなた、頑張ってね」「今何処で活躍してるのかなー」等と書かれていた。
そして終わりには「わたしの幸平、いついつまでも待ってるよ」と・・・・
彼は胸が熱くなりファイルに顔を埋めて泣き続けたのであった。
翌朝幸子はワゴン車で迎えに来た。
運転は幸子の夫の雅比呂が、その隣には幸平の孫の(久蔵)が そして幸子の膝の上には赤ちゃんの(翔子)が・・・
車は栗駒山系の麓に向かっていた。
紅葉の先に栗駒山系が新雪を頂いて美しく輝いていた。
幸子は「ほら、あなたたちのお爺ちゃんだよ」と先日までの硬い表情とは打って変わって笑顔を湛えてはしゃいでいたのである。
「やっと念願のお父さんに会えたな」運転席から雅比呂の声がした。
彼はこの街 久慈市で琥珀の加工職人をしていると云う。
それを幸子が駅の近くに店を構え 売っているのだそうだ。
山の麓で車を降り「積もる話もあるだろう、夕方迎えに来るからゆっくり話でもしておいで」と去って行った。
幸平は眼で淳子を捜したが何処にもいない。
「幸子、淳子は・・・?」
「もう少し上よ」少し歩くと墓地が見えてきた。
「まさか?」
「そう、お母さんは去年亡くなったの、最後まできっとお父さんの帰りを待ってたのよ」
幸平は絶句して何も言えなかった。
後から後から涙が出て止まらなかった。
「お父さんは本当に愛していたのね、悪いと思ったけどお母さんの代わりに読ませて頂いたわ」「だってお父さんの子供は私一人っきりだもんね、再婚の機会もあったんでしょう?」
「いや、全く無かったよ」涙の中で笑いながらそう言ったのである。
「お父さん、これから たまには東京に行ってもいいかなー」
「うんうん、大歓迎だよ、孫も連れてな」
そう幸平は喜んで答えたのだった。
ー追憶 完ー
№ 1
春まだ浅き日、男は山間の東北の無人駅に降り立った。
「昔とあまり変わっちゃいないな」小さく呟きゆっくりと歩き始めた。
そして大して流行っても居ない古ぼけた旅館の門をくぐった。
来客もそう多くない宿に 突然の予約なしの客である。
身なりも悪くない。
宿の主人は久しぶりの客に喜び 揉み手をして愛想を振りまいたのであった。
「『紅葉の間』は空いているかな」
「ええ、お客様は以前お見えになった事がおありで・・・?」
代替わりした主人はこの男の事を知る由もなかった。
「うん若い頃ちょっとな」
部屋に通された男は懐かしそうに辺りを見渡した。
部屋の調度品は 新しいものに変わってはいたが 窓の外には雪をかぶった栗駒山系が広がって昔の姿そのままであった。
暫くその風景を眺めて何か感慨にふけっている様子だった。
が コートを脱ぎ厚手のセーターに着替え 男は宿の下駄を借り まだ残雪の残る道を川下の方に歩いていった。
男の名は松井幸平、先日まで大手商社に勤め海外生活も長く なかなか来たいと思ってもその機会も無く今日に至ってしまっていたと云う訳だ。
「いやー 昔とちっとも変わっていませんなー」
宿の主人は「この辺は随分過疎化が進み町の人達も年寄りばかりになりましたからね」「若者は皆 東京方面に出て行きますからもう発展する事はありませんよ」
「ところでお客様は何時頃ここにいらっしゃったんで?」
「うん、学生時代にちょっとね」「ところでこの前に駄菓子屋があったはずだが・・・」
「ええ、もう二十年ばかりになりますか、火事を出しましてね 一家離散の憂き目になり何処へ行ったのか・・・」「お客さんは何かゆかりの方ですか・・・?」
男は無言のまま聞いていたが その返事をする事なく部屋に戻ったのである。
実は幸平には若い頃、この温泉町が辛くて甘い青春の地だったのだ。
終戦の混乱期も過ぎ世の中が落ち着きを取り戻した頃、大学生であった幸平は胸を患い転地療養を余儀なくされた。
その二年余りの滞在が彼の人生を大きく変えたのである。
それから四十年、自由の身となった今、どうしても会いたい人が居た。
彼の思い出と共に人生を左右した人に・・・・
だがその人は何処に行ったのか皆目見当がつかない。
幸平は昔の事を知ってる人から捜さなければならなかった。
何しろ半世紀近くも前の事である。
幸いに駅前の みやげ物売り場の老婆が その駄菓子屋の事を覚えていた。
が、火事の後 隣町に移り住んだところまでは判ったがその後の事は知らないと言う。
幸平はタクシーを拾い教えられた住所まで足を伸ばした。
そして町役場に行き現在何処に住んでるかを聞いたのである。
彼の捜している相手とは『和泉淳子』
青春時代燃える様な恋をし、療養中の彼を励まし続けてくれた そして彼が心ならずも裏切った女性であった。
№ 2
日本が高度成長期に入って暫くの後 一流大学に入学し前途洋々の彼を襲った病魔は当時にはまだ不治の病と言われていた結核だった。
彼の父親は手術を選ぶ事無く転地療養の道を選択したのである。
「空気の綺麗な所で長期の療養をすれば必ず治る」と信じて・・・
彼は絶望の淵に立たされていた。
父親の跡を継ぎ 世界に冠たる立派な会社に育てようと夢に描き 当時としては珍しく家庭教師もつけて貰い 幼少の頃から英才教育を受けてきた彼にはこの病気は全てを奪い取るものに感じたのである。
転地先の宿からは何時も栗駒の山々が見えた。
鬱々とした気持ちで外へ出たところ、前の駄菓子屋から勢い良く飛び出して来た少女とぶつかったのである。
「あっ、ごめんねお兄ちゃん」よろける彼にその少女は声を残し何処かへ走り去って行った。
彼は走る事さえ出来ない己に腹を立てたのだった。
それから数日の後、何と無くその駄菓子屋の暖簾をくぐった。
決して高級とはいえない だが珍しいこの土地の菓子が所狭しと雑然と並んでいる。
商売っ気の無さそうな不精髭を生やした親父が奥から出てきた。
と同時に表から「いらっしゃーい」「あっ、この前のお兄ちゃんだ」との声が響いた。
親父は何も言わずに奥に引っ込んでしまった。
「この前はごめんね、前の旅館に泊まっているんでしょう、随分長い様だけど ここ好きなの?」
屈託の無い声でそう聞いてきた。
「うん、特別好きでも無いがまあ悪い所でもないかな」彼は曖昧に答えたのである。
棒飴を二本新聞紙に包み「はい」と渡され「今度この町の綺麗なところ連れて行ってあげるよ」「何時も旅館の中だけではつまんないでしょう」と・・・
半ば強制的に約束させられた彼は「気分転換には丁度良いか・・・」と考えたのだった。
彼女は彼の病気の事などまるで知らない。
何時も明るく天真爛漫な まさに山国の少女だった。
中学を卒業したらその駄菓子屋を継ぐのだと屈託無く話す。
母親は毎日その土地で取れた野菜を背中に背負って 下の街まで行商に行っているのだと・・・
そんな生活の中に幸せを感じて生きているのが彼には不思議に思えたのだった。
彼は貧乏と云う言葉さえ無縁のブルジョアの御曹司であったから。
彼女の足は速い。
病身の彼には付いて行けなかった。
時々立ち止まって「ちょっと待ってくれ」と息を弾ませ言ったものだ。
しかし連れて行かれたところは 川沿いの小鳥が集まる所であったり 丘の上から栗駒の山々が一望に見渡せる所であったり 実に素晴しい自然の風景であった。
そうした自然の中でいろんな話をした。
幸平は治るか治らないか判らない自分の病気の事を話した。
そして「もしかしたら君にも移るかもしれないよ」と・・・
彼女はケラケラ笑ながら「いいよ、そうしたら病気も半分っこになるよ」「そしたら絶対に治るよ」と事も無げに言ったのだった。
なるほど、そうした外出が多くなってから少しずつ身体が楽になってゆく。
旅館の食事も綺麗に平らげる様になった。
そんな時幸平の父親がひょっこりやって来た。
元気になった幸平を見て満足そうに喜んだ。
彼は淳子の事を詳しく話したのである。
ここまで元気になれたのも淳子のお陰であると・・・
だが父親は不快感をあらわにしたのである。
そして「貧乏人と付き合うと自分も貧乏臭くなる、あの娘が例え良い子であってもお前にはふさわしく無いな」と切り捨てる様に言って帰ったのだった。
しかし幸平にはこの山里で心を開いて話せる相手は 淳子を於いて他にはいなかったのである。
そして春が来た。
淳子は卒業して例の駄菓子屋を継いだ。
幸平も又 病気も癒え一緒に歩き回るのに苦痛を感じなくなった。
その頃になると話題も変わってきていた。
お互いの将来を語り合い少しずつではあるが 相手を異性として感じる様になって行ったのである。
しかしまだ幼い恋心ではあったが・・・
確実にその愛は育っていった。
だが現実は残酷である。
「もう大丈夫だろう」
父親の一言で東京に戻る事になった幸平は「必ず迎えに来るから・・・卒業するまで待ってろよ」と何度も淳子に言い聞かせ列車の人となったのである。
学校に戻った幸平は 夏休み冬休みはおろか事あるごとにこの小さな駅に降り立った。
勿論淳子に会いにである。
唯 手をつないで歩くだけで幸平は幸せを感じていたのである。
この思いは淳子も同じであった。
が、町の人達はそんな二人の純愛を信じてはいなかった。
何時の間にか「あの二人は出来てる」「淳子は遊ばれているんだ」「それも知らないで親も親だ」と噂が勝手に一人歩きして好奇の眼で見られる様になってしまったのである。
両親もその噂に耐え切れずついに交際を禁じたのであった。
幸平も淳子も一生懸命疚しい関係でない事を説明したが無駄な事だった。
田舎の、それも小さな温泉町の事である。
判れと言う方が無理な話である。
そこで彼らは相談して密かに湯沢市で会う事にしたのだった。
彼は真新しいマークⅡに乗り温泉町のはずれで彼女を乗せいろんな所をドライブして廻った。
幸平は密かに彼女との結婚を夢見ていた。
そして淳子にこう言った。
「俺と一緒の道を歩いてくれるか?」
淳子は嬉しかった。
そっとギアーを握る幸平の手に自分の手を乗せ幸せを噛み締めていた。
そして秘密のデートをする様になって二年後の夏、初めてのキッスを交わしたのであった。
唇と唇を合わせるだけで幸せは倍増し天国にでも居る様な気がしたのであった。
それからの幸平はまるで人が代わった様に積極的になって行ったのである。
今までの消極的な性格は消え全てに積極的に行動する様になって行った。
大学での態度も自信に溢れアクティブに変わり同輩達もその変貌ぶりに驚いた位だった。
幼少の頃からひ弱な息子の変わり様に父親も喜んでいた。
が その原因が淳子の支え在ってこそとは知る由も無かったのだ。
「良い跡継ぎが出来たわい」
父親は自分の後継者に多いに満足していた。
それから暫くして二人は結ばれた。
ドライブの途中、ふとしたきっかけで国道筋から離れて走った先にモーテルの看板が眼に付いたのだった。
彼は了解を取るべきかどうか一瞬迷ったが 黙って微笑む彼女に聞くのも恥ずかしかったのである。
車は滑る様に暖簾をくぐって駐車場に入った。
彼も彼女も始めての経験だった。
二人は上気した顔で肩を寄せ合い恥ずかしそうに入って行ったのだった。
少しの間おずおずとしていた彼女は大きなベッドに驚きその上でトランボリンに乗る様に跳ね回ったのである。
幸平はテレビのスイッチをひねった。
すると思わぬ画面が飛び出してきたのだ。
話には聞いていたが【男女が絡み合っている】驚いてスイッチを切ったのである。
暫くはこの異次元の部屋の探検をした。
何しろ二人ともこんな場所は初めて入る全く知らない別世界である。
風呂は泡立ちお湯が踊っている、ベッドは回転し ライトが赤、ピンク、紫と代わる。
何もかも珍しい事ばかりであった。
そうした時、幸平は今まで感じた事の無い異常な興奮に見舞われていた。
№ 3
それはこの部屋に入った時から予感はしていたが、現実に彼女と一緒に居る事で理性は吹っ飛んでしまっていた。
ましてや若い雌鹿の様な野性的な彼女の肢体を見る事も始めての事・・・
しかし彼には大きな悩みがあった。
時々夜中にパンツを濡らす、それもヌルッとした気持ちの悪い液体(夢精)をであった。
彼は病気ではないかと悩み苦しんでいたのだ。
恥ずかしくて両親はおろか弟にも友人にも言えなかった。
病院で診て貰おうとも思ったがそれも出来なかったのである。
キャンバスでは友人達が「あの女はどう この子はどうかな」等と話をしていたが彼は決してそうした話の輪に入って行かなかった。
何時も経営学の本を読み横目でそれを見ているに過ぎなかったのである。
だからそれが健康な男の自然な事だとは解っていなかったのだった。
しかし一緒に風呂に入ろうとした時その病気が始まってしまったのである。
慌てて股間を洗い 見られる事無く湯船につかった訳であるが若い彼はすぐ正常に戻っていたのだった。
「優しくしてね」恥ずかしそうに言う彼女の言葉も上の空で聞き 夢中で彼女にしがみ付いていった。
そして幸平は『おとこ』になり淳子は『おんな』になったのである。
シーツに付いた血を見ながら彼女は うっすらと涙を浮かべていた。
しかしこのセックスは淳子にとって決して気持ちの良いものではなかった。
唯 痛さだけが先走り本当の喜びを知るのはまだ先の事ではあったが、結ばれたと云う喜こびと充実感は彼女の全身と心に満ち溢れ ふらつく足には羽が生えた様に思えたのであった。
胸から腰にかけて幾つものキッスマークに「恥ずかしい」と潤んだ瞳で答えたのだった。
それからのデートは二人にとって より深い愛をはぐくむものとなって行ったのである。
幸平は卒業と同時に父親の会社で働く様になった。
彼は何時父親に淳子の事を話そうか機会を伺っていたがなかなか切り出す事が出来ないでいた。
淳子も又彼を信じてその日を待っていたのである。
そうした時、淳子は妊娠した。
意を決して彼は父親に「どうしても彼女と一緒に暮らしたいんだ」と必死に説得した。
激怒した父親は密かに彼女の家を訪ね両親と話し合いを持ったのだった。
もう七ヶ月になっていた彼女は堕ろす機会を失って 生むより道は残されていなかったのである。
両親との会談は彼女には知らされていなかった。
幸平は結婚はおろか 子供の認知さえ許されなかったのである。
「きっと解って貰える日が来る、待っていてくれ」
そう手紙に認めて送った。
しかし幸平に待っていたのは同じ系列会社の社長の娘との縁談であった。
政略結婚である。
今の時代では考えられないがその時代 父親の権力は絶対のものであったのだ。
断る事は出来なかった。
幸平は密かに病院に行き婚約成立後『パイプカット』を行ったのである。
「自分の愛した女性は唯一人、淳子であり幸せを願い付けられた我が子『幸子』の為に もう子供は作るまい」
決意の表れであった。
そして淳子との交信も途絶えたのである。
一方淳子は「父親の判らぬ子を産んだ」と町で噂の種となり肩身の狭い生活を余儀なくされていた。
だが父も母も何も言わない。
母親は行商を止め比較的裕福な暮らしに変わっていた。
幸子が小学校に入学する頃 親友の父親から「お前の両親は松井商事の社長から幾ら貰ったんだ」と聞かれた。
愕然とした彼女は両親を問い詰めた。
案の定、この町でちょっとした豪邸が建つ程の金を受け取り彼女には何も知らされていなかったのである。
絶望のあまり家を飛び出しこの町を捨てたのであった。
そして岩手県久慈市の旅館で働きながら幸子と共にひっそりと暮らし始めたのである
№ 4
幸平は、愛の無い生活の中で 唯仕事のみに生き甲斐を見出そうとしてた。
だがしかし何時まで経っても子供が出来ない。
両親も妻の親たちも 顔を合わせるごとに子供が出来ない事を攻めた。
毎日が砂を噛む様な生活が続いたのである。
幸平はついに切れた。
「当たり前だ、私は愛した人の子しか作らない」「その子は今頃 もう中学生になっているだろう」
妻は怒りを露にして去っていった、可哀想だとは思ったが妻にも結婚前から好きな人が居た・・・と云うより現在も続いて付き合っている事を彼は知っていたのだ。
両親と会社への反逆でもあった。
そして大手の商事会社に就職したのである。
仕事に関しては非常に有能な彼は瞬く間に頭角を現し 海外の支店を次々と拡張していったのであった。
休む間も無く働き続けた・・・
これは余談ではあるがアフリカに企業開拓に行った時の事である。
社員が「ここでは何も売れませんよ、裸で歩き裸足で歩いている、靴もシャツも電化製品も縁の無い生活してるんですから」と・・・
幸平は一括した「だから市場は無限なんだ、彼らに靴を履かせシャツを着せ文化的な生活の便利さを教えてやれ!」と・・・・
どんな所でも無限の市場なんだと陣頭に立って市場開拓をした。
会社は大きく世界に羽ばたいて日本でも有数の優良企業にのし上がったのである。
彼も世界各地での支社長を歴任し、何れは東京本社の社長になる男と誰もが思っていた。
だが彼は全てを捨て退職したのである。
そして還暦を迎えたのである。
いろいろな会社からヘッドハンティングに来た。
又会社も彼の引き止めに必死だった・・・が・・・
「大きな落し物をしたんだよ、それをどうしても捜したいんだ」と断って退職したのだった。
どうしてあの時 今の勇気が出せなかったんだろう。
後悔と無力感が何時も付いて廻って彼を苛んだのであった。
そして淳子の歩いた道程を片っ端から調べて行ったのであった。
「すみません、此方に和泉さんと云う方はいらっしゃるでしょうか」
久慈の『琥珀店』で幸平は尋ねた。
「はい、私が和泉ですけど・・・何か?」
面差しが何処か似ている・・・
幸平は確信した。
「幸子・・・さんですか、お母さんの淳子さんにお会いしたいのですが」
「どなた様でしょうか、母の名をご存知の方とは・・・」
そして はっとした様な顔をして「母は今おりませんが何かご用で」と険しい顔で答えたのであった。
「あー やっぱり幸子か、立派な店をやってるじゃないか、で お母さんは?」
「何処のどなた様か知りませんが呼び捨てにされる謂れはありません」「お帰りください」
冷たく追い返されたのであった。
光るものが頬をつたって流れた。
幸子も店の戸を閉めるなり柱にもたれて嗚咽したのであった。
会いたかった、父がすぐ近くに居る。
が 今までほって置いた恨めしさ 憎さもある。
名刺と宿の名を書いた紙切れを見つめながら泣き続けた。
悄然と帰った幸平は 宿の便箋を借り淳子に宛て、今までの無礼を詫びると共に自分の歩んで来た道を詳しく書いたのである。
彼は一日中部屋の窓から見下ろす久慈の街を見詰めていた。
何としてでも淳子に会いたい。
そして幸子にも・・・
例え嫌われてもいい・・・一度でいいから「お父さん」と呼んで欲しかったのである。
夕方になり手荷物を整理して翌朝の出立を考えていた時 宿の女将が「和泉さんと言う方がいらっしゃっていますけどお会いになりますか」と・・・
階段を降りるのももどかしく駆け下り玄関のロビーに向かったのである。
そこには一昨日会った幸子が背中越しにソファーに身体を小さくして座っていた。
淳子では無かったのである。
失望した彼は「あなたでしたか、一昨日は失礼しました」と答えるに留まった。
「お父さん・・・」振り向いた彼女の眼には一杯涙を湛えていた。
「先日はごめんなさい、あまり突然の事で何を言っていいか判らなくて」「明日一緒にお母さんに会いに行ってくれますか?」
「いや、私こそ、いきなり驚かせて済まなかった」「お母さん いや淳子は病気なのか?」「それとも何か来られない訳でも有るの・・・?」
「明日来て頂ければ判ります」と一冊の分厚いファイルブックを手渡したのであった。
幸平も昨夜認めた手紙を「これを淳子に・・・」と手渡したのであったのだ。
その夜は興奮のあまり一睡も出来なかった。
ファイルを一枚一枚めくってゆく、そこには幸平が海外で活躍してた頃の新聞の切り抜き、経済界の雑誌に載った記事、写真などがびっしり貼ってあった。
所々に「愛するあなた、頑張ってね」「今何処で活躍してるのかなー」等と書かれていた。
そして終わりには「わたしの幸平、いついつまでも待ってるよ」と・・・・
彼は胸が熱くなりファイルに顔を埋めて泣き続けたのであった。
翌朝幸子はワゴン車で迎えに来た。
運転は幸子の夫の雅比呂が、その隣には幸平の孫の(久蔵)が そして幸子の膝の上には赤ちゃんの(翔子)が・・・
車は栗駒山系の麓に向かっていた。
紅葉の先に栗駒山系が新雪を頂いて美しく輝いていた。
幸子は「ほら、あなたたちのお爺ちゃんだよ」と先日までの硬い表情とは打って変わって笑顔を湛えてはしゃいでいたのである。
「やっと念願のお父さんに会えたな」運転席から雅比呂の声がした。
彼はこの街 久慈市で琥珀の加工職人をしていると云う。
それを幸子が駅の近くに店を構え 売っているのだそうだ。
山の麓で車を降り「積もる話もあるだろう、夕方迎えに来るからゆっくり話でもしておいで」と去って行った。
幸平は眼で淳子を捜したが何処にもいない。
「幸子、淳子は・・・?」
「もう少し上よ」少し歩くと墓地が見えてきた。
「まさか?」
「そう、お母さんは去年亡くなったの、最後まできっとお父さんの帰りを待ってたのよ」
幸平は絶句して何も言えなかった。
後から後から涙が出て止まらなかった。
「お父さんは本当に愛していたのね、悪いと思ったけどお母さんの代わりに読ませて頂いたわ」「だってお父さんの子供は私一人っきりだもんね、再婚の機会もあったんでしょう?」
「いや、全く無かったよ」涙の中で笑いながらそう言ったのである。
「お父さん、これから たまには東京に行ってもいいかなー」
「うんうん、大歓迎だよ、孫も連れてな」
そう幸平は喜んで答えたのだった。
ー追憶 完ー
『明子』
『№ 1』 復讐(完治の場合)
「お父さんお父さん!ちょっと来て、あー持って行かれる、早く助けて!」
完治は笑いながら「どれどれ、おーっこれは大きいなー」と娘明子の手から竿を受け取り巧みに魚の動きに合わせてリールを巻き上げて行く。
「これはすごいなー、初めて大物が掛かったんじゃないか」明子の頭を撫でながら笑った。
「晩飯のおかずは鯛ずくしだな」
明子の肩に手をやり並んで帰った。
完治と明子は近所でも評判の仲の良い親子であった。
南房総の片田舎、完治はそこで役場の職員として働く傍ら農業をしていた。
又明子は近くの街で 看護士として一生懸命頑張っている。
完治にとって明子は掌中の玉、眼に入れても痛くない程可愛い娘である。
「お母さんにもあげような」完治はそう言って仏壇の方に眼をやった。
まだ彼の若い頃 同じ職場で知り合って趣味の釣りが縁で意気投合し結婚したのだが・・・
明子が生まれると間もなく他界してしまったのである。
【妊娠中毒症】
妻洋子は自分の娘の顔を見る事無く死んでしまったのだった。
彼は号泣した。
それから明子を洋子の生まれ変わりと思い今日まで生きてきたのである。
明子は初乳も飲む事が出来なかった。
「おぎゃー」と泣き声をあげた時にはもう母の身体は天国の階段を上って行ってしまっていたのだから。
だから抵抗力の無い身体の弱い子供だった。
それからの完治は病院と親戚の様な生活を強いられてきた。
が この娘の為なら、と何時も心にかけ仕事も頑張ってきたのだった。
再婚も薦められたが明子が後々辛い思いをするのではないか、と思い断ってきた。
小学校も高学年となった頃から、太陽の下で走ったり釣りをしたりしたせいか丈夫になり その名の如く明るく元気な娘に育ってきたのである。
そんな明子を見ながら何時も洋子に見せてやりたいと思い暮らしてきたのだった。
年頃になった彼女にプロポーズする男性が現れた。
県警本部に勤める靖男である。
実家が完治の家の近くの好青年である。
が 彼は許さなかった。
明子と離れるのが辛かったのである。
「誰がお前なんかに大事な娘をやれるか!」が返事だった。
だが心の中では許していた。
「いずれお嫁さんになってこの家を出て行くのだ、だったら靖男の様な頼り甲斐のある男がいい」と・・・
明子も少なからず好意を持ってる様子である。
しかしそれは近くに住む『お兄ちゃん』的な感覚であった。
幼少の時から可愛がって貰っていたから 恋人として考えてもいなかったのである。
明子の病院に怪我人が運ばれて来た。
テトラポットから落ちて肩を打ったと云うのだがどうも様子がおかしい。
肩口がザックリと切れており 岩場で起きた傷ではない。
医師は「これは喧嘩でもして出来た傷だな」と小声で言った。
しかし物腰は柔らかで言葉も丁寧だ。
一ヶ月ばかり入院したのだが特別そこまで入院する必要も無かったのである。
その間多くの見舞い客が訪れた。
皆 黒塗りの大きな車だったが 比較的紳士的な人が多かった。
靖男が言うにはその男は大手ゼネコンの千葉建設の社長の御曹司 『川上吾郎』
とかく暴力沙汰の多い男だそうだ。
だが明子に対しては紳士的で優しい男に映ったのだった。
怪我も癒えた吾郎は時々この田舎の病院を訪れ 彼女を誘いドライブをしたり一緒に釣りを楽しんでいた。
完治も又 世間の噂なんていい加減なものだな、と感じて彼の来訪を笑顔で迎えていたのである。
彼も又、若い頃大学のラクビー部に所属していてかなりの悪さをして歩いた。
その経験から吾郎の暴力的な噂も 若気のなせる業 と鷹揚に考えていたのだった。
だが不審に思ってたのは何故都会には しっかりした良い病院があるのに この片田舎の病院に来たのか?
完治に言わせれば「かすり傷程度で一ヶ月も入院したのか?」その疑問を院長であるチョビ禿医師に聞いてみた。
それは医師も同じ疑問点だと言う。
「きっと身を隠さなければならない何かがあったんだろう」と・・・
靖男も又同じ考えで何か胡散臭さを感じて彼の仕事、私生活を洗っている様子であった。
吾郎は日曜日になると必ず来る様になっていた。
そして半年も過ぎた頃、明子にヴィトンのバッグをプレゼントとして持ってきたのである。
分不相応のプレゼントに明子も完治も固辞したのであるが 「都会ではこんなもの普通に持って歩きますよ」との話に一応預かる事にしたのだった。
その後もいろいろブランド物のプレゼントを持って来たのである。
釣りをしてる時、時々見せる冷たい顔が気になった。
「我々庶民とは違って精神的にもきつい仕事をしてるんだろう、だから釣りをしてる時が一番幸せなんじゃないか」とも思ったのである。
一年も過ぎた頃、吾郎は母親を伴ってやって来た。
「ぜひお嬢さんを吾郎の嫁にください」と・・・
完治は「それは娘の気持ち次第でしょう」と答えたのである。
が 彼の心の中では「あの馬鹿野郎が、早く掻っ攫って行けばいいのに」「俺はお前が明子の亭主になる事を望んでいるのに」と 靖男に対して腹を立てていたのだった。
そんな完治の心を知ってか知らずか意外にも明子はその結婚を承諾してしまったのである。
完治は靖男に当り散らした。
靖男は「明ちゃんが幸せになれるならいいじゃありませんか、見守ってやりましょう」と答えたのである。
靖男に取っても辛い選択であったのだろう。
釈然としないまま認めざるを得なくなった完治は『結婚式は一年後』と条件を出した。
此処まで明子が育つのに彼は大きな犠牲を払ってきた。
元々彼は田舎の係長止まりの能力の男ではない。
昇級試験を受ける事を薦められた事も何度かあった。
しかし彼は少しでも明子の傍にいてやりたかったのだ。
家庭を犠牲にしてまで出世しようとは思っていなかった。
何時も心の中心は明子だった。
その為には自分の事は何一つ考えてはいなかったのである。
「出世して高給を取る事だけが人生じゃない、家族をしっかり守って淋しい思いをさせないことが大事なんだ」と・・・
田舎暮らしをしていても県の職員はおろか地方議員でさえ一目置く存在だったのだ。
『№ 2』
何時も明るく「行ってきまーす」と出勤する明子がある日を境に暗い表情に変わった。
声も元気がない。
「どうした?どこか悪いのか?」完治が尋ねると「お父ちゃん、結婚解消してもいいかな」と・・・
「何か有ったのか、何でも言ってごらん」
「あの人怖い、この間偶然聞いちゃったんだけど『あの野郎、海にでも沈めておけ』って電話で話していたんよ」「何か恐ろしい事やってるみたいなの」
完治の勘ではやはり只の男ではないなと思い当たる節があった。
裏の有る男ではないか・・・と感じていたのだったが、思い違いであって欲しいと願っていたのだった。
「いいよ、お父さんが断ってやろう」
「今度会った時私が直接話すから、お父ちゃんごめんね」
完治は靖男に一人で行かせる事に一抹の心配がある旨を伝えた。
何となく虫が知らせたのだった。
靖男は「昼間の千葉市内の喫茶店だから大丈夫でしょう」と言ったが・・・
翌 日曜日に明子は出掛けて行った。
その朝、勤めて元気に振舞って「すぐ帰ってくるからね」と 出掛けて行った。
それが今生の別れになるとは知る由もなく・・・
ものの一時間もした頃から完治は後悔していた。
何故付いて行ってやらなかったのか・・・
愛する娘の大事な事なのに・・・彼女一人では心許ない、と内心思っていたのに。
その夜 待てど暮らせど帰る事は無かった。
彼はすぐ靖男に電話を入れた。
靖男は県警本部の警部補をしている。
彼はすぐ『行方不明』として手配してくれた。
立ち回りそうな所を片っ端から捜べ始めたのである。
完治は「お前がぐずぐずしてるからこんな事になったんだ、何故もっと早く拐って行ってくれなかったんだ」と 八つ当たりをしたのであった。
筋違いとは解っていても言わずにいられなかったのだ。
「奴はどうした、明子に会ったんだろう、それからどうしたんだ!」
靖男は「それがねー前日(土曜日)の夜、成田で傷害事件を起こして今現在も取り調べ中なんだ」「会ってはいない と云うより物理的に会う事は不可能なんだ」と・・・
「ではどうして帰って来ない?!」完治の頭は混乱していた。
何か裏がある、明子は誰にも恨まれる娘ではない、半狂乱になった完治はすぐ吾郎の家に赴いたのだが・・・
何の手掛かりも無く悄然と帰ったのであった。
靖男の調べた所 待ち合わせの喫茶店で携帯電話があり 間もなく若い男が迎えに来て一緒に出て行ったと云う事だった。
それからの足取りがプツリと切れてしまっている と云う事だった。
まんじりとした夜を過ごした。
火曜日の昼過ぎ、横浜の埠頭に絞殺死体が浮かんだ。
「嘘だろう」「何故明子が・・・」変わり果てた姿に変わった娘を見るなり彼は慟哭した。
県警本部でも殺人事件として捜査を始めた。
間もなく吾郎は釈放されたのである。
被害者と示談が成立したと云う事で・・・
彼はいろいろ思い出していた。
明子の言葉の中に何か今度の事件に関係のあるヒントは無いか?
どんな小さな事柄でもいい。
戻って来ない明子の為に犯人をこの手で殺してやりたい と・・・
靖男も又怒りに燃えていた。
その為に私情が入ってはいけないと捜査から外されたのである。
手掛かりは喫茶店から明子を連れ出した男だけである。
ウエイトレスにその男の特徴を聞いたが左耳に幾つもピアスをつけている といった事位である。
マスターは指の太さ、指輪からその辺りに勤めているホストではないか、とも言った。
完治は千葉周辺のホストクラブを片っ端から当たった。
が 彼らの口は堅く なかなか思う様な情報を得る事は出来なかった。
捜査から外された靖男も又自分の有給休暇を使い別のルートから調べていたのだ。
今まで休みらしい休みを取らなかった靖男には有給休暇が余る程有った。
彼は今でも明子を愛していたのであった。
そして耳寄りな情報を手に入れた。
吾郎には全く別の顔を持っていたのである。
『出資法違反』彼は法外な利息で金を貸していたのだ。
看板は【多重債務者救済センター】人の弱みを突いた巧みな商売、実態は闇の金融業として・・・
多くのたちの悪い連中を使い取り立ても厳しく・・・
その為に自殺者まで出していると云う・・・
「何故こんなのが法の網に掛からなかったんだろう」靖男は法の不備を嘆いた。
別件ではあるがそこから何か明子の死に繋がるものが出て来ないかと靖男は考えたのだが、上層部から「待った」がかかったのである。
これはもっと大きなヤマが隠されているな と靖男は思った。
調べて行くうちにおかしな話を聞いたのである。
その金融会社では多重債務者を多く扱っている。
そしてそのうちの何名かが行方不明になっているのだ。
夜逃げしたにしては不自然なところも有る。
その行方を眩ました債務者のほとんどが若い男女である事。
そして至って健康であった事など・・・
「何処へ消えたんだ??」靖男は彼の周辺の男達を調べる事にした。
あくまで休暇中 非番の捜査である。
職権で調べる訳には行かない、個人の捜査の難しさを痛感してた。
完治も又粘り強く聞き込みに廻っていた。
そしてある居酒屋で思わぬ情報を耳にしたのだった。
耳にピアスをした男達が、とあるクラブで働いている との事である。
そして闇金の追い込みを副業としていると云う。
靖男の追いかけている事柄と一致すれば必ず明子の死に繋がってくる。
完治と靖男はそのホストクラブで夜明け近くまで張り込んだのであった。
三日後の夜その男は現れた。
早速明子をどうやって連れ出したか、又依頼したのは誰か聞き出そうとしたのだが知らぬ存ぜんの一点張り。
業を煮やした完治はその男を車に乗せ明子が浮かんでた埠頭に走らせた。
そこで詳しい話を聞こうとしたのだが・・・一発の銃声と共にその男は倒れこんだのである。
黒い乗用車がライトも点けずに走り去った。
「裏切ったな」苦しい息の下から「全ては吾郎に聞け」と・・・
病院に搬送中にその男は息を引き取った。
完治は辞表を提出した。
もうこれ以上は休みながら捜索するのは無理だ、と感じたからである。
「明子在っての俺だ」「何としてでも仇は取ってやる」決意の表れであった。
『№ 3』
「完さん、今年も走るのかい?」「おう、走らんでかい」
「堪らんなーあの勢いで走られたんじゃ誰も付いて行けん」
皆が驚く程のスタミナとスピードである。
運動会で親子競争がある。
親子が手をつないで走るのであるが、負けそうになると決まって明子の身体をヒョイと肩に乗せ韋駄天の如く走るのであった。
何時もダントツの一番・・・それもそうである。
大学時代のあだ名が【ブルドーザー】
二人三人のタックルを引きずってもトライを決める。
全日本にも選ばれた。
将来を嘱望されながら何を思ったか、田舎の役場の職員になってしまった。
何より郷土が好きであったのだ、そして釣りが・・・
そして洋子に出会ったのである。
彼は妻を心から愛した。
が しかし今その生き甲斐の全てを失ってしまったのだ。
彼の怒りは尋常では無かった、復讐に人生の全てを賭けた。
必ずこの手で犯人を葬ってやる。
凄まじい執念であった。
だが捜査の方は遅々として進まずいくつかの秋を迎えた。
明子の事件も捜査本部が解散される事になった。
専従捜査をするのはベテラン刑事の『志村久雄』一人が当たるだけとなってしまった。
そして靖男は本部長に呼ばれた。
「君はこのヤマをやりたがっていたな、志村君と一緒に解決に当たってくれ、私情を入れないで出来るか?」
靖男は明子の弔い合戦の時が来たな と喜んだ。
続けて本部長は「どでかいヤマだぞ、どうも政治家も絡んでいる様だ 間違えば首が飛ぶかもしれないぞ、くれぐれも気を付けて当たってくれ」と・・・
「ところでブルさん元気でやってるかい?」「エッ?」靖男には一瞬何の事かよく飲み込めなかった。
「完さんだよ、知らないのか 俺達も随分泣かされた、あの突進を受けられる者は誰も居なかった」「天下のフォワードだよ、勿論お前たちの年代では知らないかもしれないだろうけどな」「学校が一緒ならもっと楽出来たのにな」と本部長は笑った。
志村刑事は捜査畑一本で来た男だ。
【落としのシムさん】と呼ばれている程取調べの上手な男だった。
彼とこれまでの捜査のすり合わせをする事になった。
そこで解った事は吾郎は本当の実権を持った社長ではない。
黒幕は他に居る。
そして千葉建設に出入りしている東南アジア系の男達 彼等は絶対堅気ではない。
観光ビザで入って来てるが10日ばかりで帰ってゆく。
別に観光する訳でも無く、その時には時々民自党の秘書も顔を出す場合もある。
明子は何かその秘密を知ってしまったのであろう と・・・
そして「完さんには絶対に言うなよ」「あの男なら直接乗り込んで行くだろう、そうしたら隠密に調べた事が全部無駄になる」と。
その頃 完治はあるホストと知り合った。
彼は多くの借金を背負って自分の彼女を吾郎に取り上げられた。
そして一年程して帰って来たのだが腹部に大きな傷跡が残っていたと云う。
今までと違い青白い顔をして過去を何も語ろうとしない。
何かが有る、彼は直感でそう感じたが心を閉ざした彼女に直接会う事を躊躇った。
そのホストも何かを知っている様子だが ふと漏らした愚痴が完治の耳に飛び込んで来たのである。
彼は靖男と志村に相談した。
ここまで来たらお互い知ってる事を話す必要があろう と判断した志村は独断で行動しない事を条件に完治に話し始めたのである。
このヤマは東南アジアの何処かが関係してる。
ボスは千葉建設の誰かでは無いだろう、きっと外国のマフィアが関係してる。
又、政治家の一部も咬んでるに違いない。
明子さんはその重要なところを知ってしまったんだろう] と・・・
完治は努めて冷静になろうと思ったが、何の罪もない娘への無念さを思えば余計怒りが込み上げてきたのであった。
『№ 4』
さて東南アジアと云っても広い。
何処かに手掛かりは無いか?
靖男はそのホストと彼女を任意で取り調べる事にした。
だが頑として口を割らない。
時間はどんどん経つばかりであった。
そして「お前ら俺たちの命を一生守ってくれるのか!」「ここへ来るのも命がけなんだぞ」と・・・
尚更この事件の裏には大きな力が働いている事を思い知らされた。
が しかし彼女が一年留守にして傷跡を作った事により借金がチャラになった事だけは確かだ。
手掛かりは東南アジアにある、必ず何か解るだろう。
志村は上司に出張させてくれる様頼み込んだ。
しかし許可は降りなかった。
「もし何も出なかったら公費の無駄使いだぞ」との理由で・・・
靖男は自費でも行く事を考えていた。
完治も同じだった。
だが闇雲に行ったところでどうにも成らない。
場所が特定出来なければ・・・
焦る気持ちを抑え吾郎の身辺を見張ったのである。
そんな時ホストの彼女が倒れた。
救急車で搬送されたのを知り志村が駆けつけた。
医師は「これは腎臓摘出の跡がありますねー」と・・・
やっと彼女は重い口を開いた。
「たまには海外旅行でもして来いや」吾郎の一言で中国人に引き渡され横浜から船に乗り中国に渡ったそうだ。
そこから又違う国籍不明の男とフィリピンへ・・・
着いた先は大きな病院であったそうだ。
そこには日本人も沢山居て非常に大切に扱われたと云う。
外出も自由だった様である。
いろんな検査を受けその後全身麻酔で眠らされ気が付いた時に腹部に激痛が走ったそうだ。
後は傷の癒えるまで病院の一角にあるコンドミディアムで療養して又コンテナ船に乗り帰国したと、話したのである。
自分がどういう状況下に置かれているのかも解っていなかったのだった。
「もう一度吾郎を引っ張るか」靖男は考えた。
志村もそれを考えていたがその難しさも又考えていたのである。
「シラを切られたらどうする、物的証拠がある訳じゃなし」
その晩、入院中のホストの彼女が死んだ。
屋上から飛び降り自殺と云う事だったが彼女のベッドからも彼女自身からも強いクロロフォルムの匂いがしたのである。
志村は「警察病院に移して置くべきだった」と悔やんだが後の祭りであった。
かのホストは「下手にちょっかいを出すからだ、俺まで殺す気か!だから警察は嫌いなんだ」と 怒りをあらわにしてもう口を閉ざして何も云おうとはしない。
ホストの彼女『鈴木京子』殺人捜査本部が設置されたが全ては明子の死から始まった事を警察内部では誰でも知っていた。
それだけに刑事達皆は力が入っていたが難しさも又解っていたのだ。
警察の威信を賭けた戦いが始まったのである。
その頃完治はフィリピン行きを決意していた。
明子の死に関わる何かを掴むまでは帰らない覚悟で。
今度は靖男も同道する事になった。
上司もここに来てその必要性を認識して許可を出したのである。
完治は先祖代々守り続けてきた田畑を売り払った。
退職金もまだ手を付けて無かったがどれだけ海外で金が掛かるか解らない。
それに田畑を続ける時間も余裕も無かったからである。
そんな時 昔のラガーメン達が集まってくれた。
皆「完さん、フィリピンも危険な所らしいぞ、生きて帰って来いよ」「絶対死ぬな」と・・・
皆 たくさんのカンパをしてくれた。
「おい、まるで出征兵士みたいだなー」と完治、嬉しかった、涙が止まらなかった。
そして靖男と共に旅立って行ったのである。
マニラに着いてまず気が付いたのは、治安の悪さに加えて貧富の差の大きい事であった。
日本では食べられないと云っても どんな仕事でも我慢して働く気になれば何とか食べて行ける。
しかしここでは一握りの財閥、そこで働く者たち以外は全く仕事に就く事が出来ない。
だから海外に働きに出るのも仕方が無い事である。
日本にも多くのフィリピーナーが来ている。
完治は納得しながらガイドの声に耳を傾けた。
ガイドは元日本で働いた経験がある【ア、チョン】と云う男だ。
人の良さそうな男だが 実は金の為なら何でもやる命知らずの男であった。
まず北部の病院の多い地区を見て歩いたのである。
まさに病院銀座といった所だ。
その中にコンドミディアムもある。
何でも諸外国ではドナーツアーなるものも有るそうだ。
観光を兼ねやって来てコンドミニアムで優雅な休暇を楽しみながらドナーを待って居るという。
そこに又、各国からドナーが来るのだ。
何でも日本人の臓器は特に高値で売られるそうな。
食糧事情の良い日本人達の臓器は至って健康でそれ自体の痛みが少ない。
フィリピンの現地法人、日本人の経営、資本の多くは中国系、日本企業もその中に有ると云う。
日本からは多重債務者の多くが送られて来るとの話である。
完治は慄然とした。
こんな社会があったのか・・・と・・・
又 中には自分から進んで就業ビザで入国し 臓器を提供し体調の戻るまで滞在し一儲けして帰る日本女性も居ると云う。
ケロリとして「需要と供給の社会よ、人助けをして金が稼げる、こんないい事無いよね」と・・・
日本では臓器売買は禁止されている。
しかし彼女達の言い分にも納得できる部分もある、法の盲点を突いたビジネスである。
完治と靖男はその夜ミーティングした。
何処から手を付けるか・・・
志村に電話で報告しながら「これは大変な作業だぞ」と思ったのである。
明子は何を何処まで知って殺されたのか この状況の何処まで知ったのか・・・
黒幕は誰だ・・・
そうした時靖男は「父親が肝臓を患っている、何とかならないかと下見に来たのだが」と 日本人経営の病院勤務の看護士に聞いた。
最初口は堅かったが彼女はFMホスピタルの看護士に連絡してアポを取り付けてくれたのである。
FMホスピタルは日本企業資本、医師も日本人が多く働いている所であった。
完治は何かが解る事を期待してその時を待ったのである。
意外にもその看護士は医師と一緒にやって来た。
そして「肝臓の場合は脳死状態のドナーが現れない事には出来ない事、しかしこちらに来て二三ヶ月も待てば可能である」と事も無げに話したのである。
欧米諸国では観光と移植手術とセットでのツアーがコーディネーターの手で公然と行われていると云う。
日本では禁止されている臓器売買が公然と行われているのだ。
医師は言った「大体日本はおかしいよ、需要と供給がある限りこの職業は無くならない」と・・・靖男も完治も言葉を失った。
それ以上は聞く事が出来なかったがひとつの収穫があった事は確かである。
そして日本資本の病院のひとつが千葉建設が関わっていると云う事も。
しかし一企業がそこまで考えられるか?
その陰で政治家の力が働いているのではないのか?
厚生省か、外務省か・・・そのどちらかに関係した議員の影がちらつく。
要するに吾郎達はその実働部隊なのだ。
明子は吾郎の何を見たのか、聞いたのか?
取り合えず日本に帰ってからだ。
完治はもう一度明子の持ち物から調べ直す事にした。
何か見落としてはいないか と・・・
明子の机の奥からキティちゃんの表紙の日記帳が出てきた。
幸せな結婚生活の夢が躍ってた。
胸が熱くなりながら活字をなどった。
ある日から空白のページが続いてた、それは明子が沈んだ表情をする様になった時期と一致している。
パラパラとページをめくる。
するとどうであろう。
「あの人があんな乱暴な人だったとは、悲しい 私はどうしたら良いのか?」で始まる文字が並んでる。
彼女の手記を要約すれば偶然彼が中年の男に暴行を加えていたのを見てしまった事から始まる。
その時「何日までに耳を揃えて持って来い、金が返せなければ自分の娘を連れて来い」と・・・
明子は尋ねた「どうしたの?あの人、血を流して謝っていたのに、何故あんな可哀想な事するの?」
「何でもない、お前が心配する様な事ではない ビジネスだよ、ビジネスだ」「こちらが親切にしてやってるのに約束を守らないから少しきつく言っただけだ」冷たい顔だったそうだ。
何時もあんなに優しいのに、この人はどう云う人なんだろう?
不信感が芽生えた。
そして電話で「あいつは捕まえて送れ」とか「徹底的に追い込みをかけろ」等と指示を出してる。
「それでは福山先生に申し訳が立たん、早くしろ!」と不快な顔で部下を叱り付ける。
明子は婚約解消を決意した時の手記であった。
一体福山とは何者なんだ?
完治は靖男と志村に日記帳を見せる事にした。
志村は「うーん」と言って眼を閉じた、そして「物証(物的証拠)が欲しいなー 状況は『真っ黒け』でも物証が無ければなー」と・・・靖男は徹底的に多重債務者を探せば必ずこの事件の解決は出来ると云う。
だが完治は明子を殺した相手だけが知りたかったのである。
が 全てがリンクしている。
友達とは嬉しいものだ。
ラガーメンの多くがいろんな所で聞き回ってくれている。
その中に金融会社に勤めている佐藤と云う男が居た。
彼はブラックリスト(多重債務者)を洗ってその書類を持って来てくれた。
さて、ここから吾郎の所から金を借りている人物を探し出さなければならない。
それを基に捜査本部が動いた。
そして検察も政治資金で不自然なものが有るかどうか調べ始めたのである。
千葉建設からの献金を受け取っている者が数名浮かんできたが 現金で受け取って居る者はまず帳簿に載せないであろう。
しかし頻繁に会って会食等してる秘書が数名浮かんできたのである。
検察はそれをマークして現金授受の事実があったかどうか調べ始めた。
完治達はブラリスの人物を追った。
そこで思い掛けない事実が浮かんできたのだ。
数名の行方不明者がいる。
考えられるのはコンテナ船で密航させられ フィリピンの何処かの病院でバラバラにされ臓器を取られ死んだのではないか・・・と云う事ではないか?
コンテナ船は何処の海運会社だ?
知ってて密航の手伝いをしたのか?
分らない事が一杯ある。
「これは縺れた糸を解す様に根気良くやらなきゃならないな」完治はそう思った。
『№ 5』
吾郎は敵の多い男だった。
普通は金融関係の者達は横の連絡もかなり有る。
が しかし彼にはそうした関係の者は皆無と言っていい程いない。
それはあまりにもあこぎなやり方で他の業者からも疎まれていたのである。
そして政治家との繋がりが特に強い様だ。
完治は自責の念に駆られたのだった。
自分がもう少し交際中から注意してやっていれば悲しい思いをさせないで済んだのに・・・
自分が明子を殺したんではないのか・・・
その晩、完治は船橋の酒場でしたたかに呑んだ。
そして表に出たところで若い男達に囲まれたのである。
「おっさん金貸してくれんか」「何故貸す理由がある、お前らに貸す金など一銭も持っておらん」「命が欲しくないのか?貸せよ おらー」とバタフライナイフをちらつかせた。
「腎臓ひとつ取れば何百万も手に入るんだぜ、ひとつくれや」途端に完治は切れた。
こいつら何か知ってるんではないか・・・
そう思った完治にはもうブレーキは利かなかった。
ナイフをちらつかせていた男を蹴り倒し、殴りかかる相手を次々と倒してゆく。
後の連中は蜘蛛の子を散らす様に逃げていった。
騒ぎを聞きつけた警官が飛んで来たのは間もなくであったが 完治も又同行させられたのである。
すぐ靖男が駆けつけた。
事の顛末を話し若い連中の取調べが始まった。
しかし吾郎に繋がる筋の事は何も出て来なかった、が吾郎の配下の者だと云う二三名の名前を上げ 「奴らなら知ってるだろう」と話したのである。
完治の被害も無かった事から恐喝未遂の書類送検、と言うことで彼等の身柄は身元引き受けに来たファイナンス会社の男が引取って行った。
その吾郎の配下の男 牟田は表向きは無職、クラブのママに食わせて貰ってる 何処かの暖簾をくぐった男であった。
舎弟には例の埠頭で殺されたピアスの男も居たと分ったのである。
「一応任意で引っ張ってみるか」志村は決断した。
だが肝心の牟田は三日前から行方を眩ましていたのだった。
心当たりの所の何処を当たっても手掛かりはない。
「又しても先を越されたか」歯軋りして志村は悔しがった。
しかし牟田の失踪は組員でも知らなかった。
「これは事件とは関係無い何かがある」志村の勘は鋭かったが・・・
ようとして行方は解らないまま時は過ぎていった。
一方検察では民自党の大物議員の公設秘書に 福山某なる人物が千葉建設とのつながりが有る事まで突き止めていたのである。
一歩先を越された感がある捜査本部も焦りを隠し切れないでいた。
完治も又あまりにも手の内を読まれ過ぎている様な錯覚に襲われ警察内部にスパイでも居る様な気持ちにさえなって来ていたのだった。
そんな時 牟田の死体が見つかった、千葉 大多喜山中の雑木林の中で・・・
又ひとつプツリと糸が切れた。
「あらっ、あの人逝っちゃったの ふーん、あの人がねー」煙草の煙をはきながらクラグにママ(紀美代)は人事の様にそう言ったのだった。
何かサバサバした感じに不思議な違和感を感じた靖男は『紀美代の周辺も洗ってみる必要があるな』と思った。
五日、十日、十五日・・・徒に時は流れてゆく・・・
紀美代は華やかな笑顔で何事も無かった様に仕事している。
女の強さ と云うかしたたかさを感じ靖男は恐ろしくもあった。
『№ 6』
完治は何度も日記を読み返した。
そして暮れてゆく夕日を眺め遠い日を思い出していた。
「チョビ禿先生、助けてくれ!」何度か真夜中に病院に駆け込んだ。
背中の小さな命の火が消えかけた時もあった。
「お父ちゃん、助けて!」「こらっこの悪ガキ共がっ!明子を苛める奴は承知しないぞ!」
近所に住む中学生 靖男に「俺の居ない時には守ってやってくれ」と頼んだ。
明子は靖男によくなついた。
靖男も明子が可愛くて堪らない様子だった。
やがて健康で活発になった明子は靖男を誘い完治と釣り糸をたれる様になったのだ。
靖男が大学に行く様になった時明子は「お兄ちゃん 休みになったらきっと帰ってくるよね」と、何度も繰り返して聞いていた。
「大きくなったらチョビ禿先生みたいにお医者さんになろうかな」「だって大勢の人の為になれるんだもん」「それにはもっと勉強しなきゃいけないな」と、完治・・・
そのうち希望は看護婦(士)に変わっていった。
「何故看護婦なんだ?」「だってチョビ禿先生は指示するだけで患者さんを直接手当てしてるのは看護婦さんでしょう」
そして高校卒業後に見習い看護士としてチョビ禿先生のところで働く様になったのである
そして准看護士となった後もチョビ禿先生のところに世話になってた。
だからチョビ禿も又我が娘の様に可愛がってくれてた。
地域の皆も「明ちゃん明ちゃん」と親しくしてくれていたのに・・・
「明子・・・」と小さく呼んでみる。
夕日が滲んで沈んでいった。
張り込んでから二十日、吾郎が店に入って行った。
客をよそわせて連れの刑事を店に入れた靖男は外でその刑事の出て来るのを待ったのであった。
靖男は面が割れてるので出て行く訳にはゆかなかったのである。
だがなかなか出て来ない。
ジリジリとして待った。
待つ事一時間 驚くべき情報が手に入ったのである。
水割り一杯注文してそれとなく紀美代を探しても何処にもいない。
「あれっママさんは?」気の良さそうなホステスが「知り合いなの?」と近ずいてきた。
「駄目よママには恋人が居るんだからちょっかい出すと怖いわよ」
ホステスの話によれば紀美代と吾郎は以前から一線を越えた間柄である事。
「何時殺るか」等と 人殺しの相談してたようである。
それ以上聞けば怪しまれると思い出て来たそうだ。
そのホステスとは何時でもアポが取れる様に携帯(勿論私物の方の)の番号交換してきたと言う。
店で聞けない何かが聞ける可能性がある。
海外出張の長い商社勤務のラガーメン村下がチャイニーズマフィアのボスと知り合ったと言ってきた。
それとなく聞いてみた結果「F代議士とは面識あるよ、福山も一緒ね」と言ったそうだ。
これでF議員、福山、千葉建設川上社長そして闇金融会社吾郎が一本の糸で繋がった事になる。
「物証が欲しい」志村は頭を抱え込んだ。
しかしマフィアの証言は日本の司法で取り上げられるのだろうか?
又、証言してくれる可能性はあるのか?
おそらくしないであろう。
ここまで判っていながらどうする事も出来ない、苛立ちが募る。
かのホステスはよく喋る、店ではなかなか用心深く口に鍵を掛けているが 他の町のレストランでは実によく観察していた様に話してくれた。
紀美代と吾郎との仲は遥か以前から関係があった様だ。
そして牟田と吾郎は仕事上のパートナーであり汚れた仕事は牟田が一手に引き受けていたと云う。
だが紀美代を巡って二人は対立していた。
紀美代は吾郎の方が好きである事等。
又、紀美代は肌身離さず持っている手帳が有るそうだ。
それが有る限り自分が一番優位に立てると思っていると云う。
それから暫くして紀美代と吾郎は同棲生活を送る様になったそうだ。
明子が亡くなってから12年が経った。
遂に完治は行動を起こしたのである。
靖男も捜査本部も、勿論検察も無視して・・・
店が閉まると同時に紀美代を襲ったのだ。
そして完治の姿も消えた。
紀美代は救急車で運ばれたが軽い腹部の打撲だった。
靖男も志村も「早まった事を・・・」と呟いたが完治の気持ちも良く解ってた。
時効が迫ってきている、焦る気持ちもよく解る。
紀美代は被害届けは出さなくてもいいと言う。
盗られた物も何も無い、と・・・
これも何か不自然である、何か一連の事件の核心部分を握り隠している様子である。
志村は「叩いてみる必要があるな」と靖男に言ったのである。
紀美代が襲われたと判ると吾郎も又姿を消したのである。
それから三日後新潟消印の封書が捜査本部宛に送られてきた。
セピア色の分厚い手帳だった。
差出人は完治だ。
本部で分析を始めたのだがそれには事件にまつわる全ての事が事細やかに書かれていたのである。
検察も強制捜査に乗り出した。
空港は勿論港と云う港には戒厳令が敷かれた様にチェックが厳しくなったのである。
福山秘書は勿論私設秘書数名も、千葉建設の社長川上弥三郎他幹部達にも出頭要請が出た。
家宅捜索も会社は当然私宅も議員宿舎も行われたのであった。
と 同時に完治と吾郎の行方も追われた。
全警察の威信を賭けた戦いである。
靖男は海外逃亡出来るところを地図を見ながらチェックしていたのである。
手帳には吾郎の事業を始めた時からの全貌が書かれていた。
慄然とする内容である。
700人を超える多重債務者の氏名年齢住所も記されている。
外国に密航させられたと思われる者は悠に50人を超えていた。
そして帰って来ない者が8人・・・
その手帳を見せられた紀美代は観念した様にボツリボツリと話し始めたのだ。
紀美代は吾郎が明子を知る前から関係があった。
自分が妻の座に納まるはずであったのが吾郎の母親との折り合いが悪く、母親の意向で明子との婚約が成立してしまった。
しかし明子は潔癖な娘である。
次々と吾郎の(社会的に)してはいけない事を知る度 疑問をぶっつけ注意を促したのである。
疎ましくなった吾郎は明子を殺す事を思いついた。
「生かして置けば必ず自分の身の破滅を齎す」と判断した結果である。
そこで一芝居を打ったと云う訳だ。
自分のアリバイ作りに暴力沙汰を起こし殺しは牟田に依頼したのであった。
又 紀美代は吾郎と一緒になる為には牟田は邪魔な存在である。
それを吾郎に引き受けさせた。
そこまでは筋書き通りだが思わぬ落とし穴があったのである。
それが臓器売買の裏事業まで表に出てしまった事だった。
「みんなあの女のせいだ」吾郎は舌打ちしながら呟いた。
海外に逃げる前に親父(完治)を血祭りにしてやる、と・・・
検察の押収物からは次々と裏の献金の実態が明るみに出てきた。
マスコミも連日そのニュースを喧伝したのである。
しかし秘書は何も語ろうとしない。
証拠を突きつけられても「記憶には無い」と・・・
又、川上もしたたかな男であった。
が 千葉建設の専務は、志村の「お前にも家族があるだろう、これから何年も後ろ指差されて暮らす事になるぞ」「お前の子供がドナーにされたらどうする?」
「まして海に沈められたらどうなるかな?」世間話をしながらしみじみと語って「早く楽になったらどうだ」と・・・
落ちた。
専務は全て自分の知ってる限りを話し始めたのである。
一方完治は敦賀、舞鶴、二本松から靖男に電話してきた。
「すぐ帰る様に」と説得したが無駄であった。
又、吾郎も時々完治を挑発する様な電話をかけて来る。
「今 何処何処に居る、待ってるぞ」と・・・
そして宿で拳銃の銃身を磨いていたのである。
完治がそこに向かうと もう他の場所に移動した後だった。
全国に指名手配されてても、それをあざ笑うように・・・
追う者 追われる者、どちらがどうなのか判らぬ様な追跡劇であった。
お互い何処に居るのか解らないがすぐ近くで見張られている様に完治は感じた。
又 吾郎も同じ気持ちで居場所を転々と変えたのである。
『№ 7』
その頃、田舎の駅で道を尋ねている初老の婦人がいた。
そして明子の墓に花を手向けさめざめと涙を流し「明子ちゃん、ごめんね」と・・・
吾郎の母であった。
母親智子は中堅の建築会社の長女として生まれた。
それ程不自由も無く成長し暮らしてきたのだが 父親の薦める縁談に何の抵抗もなく受け入れ、結婚したのである。
だが夫 弥三郎は家庭を返りみる事無く事業展開を見せ、ここまで大きな企業にのし上げたのである。
愛人も作った、その女性を市役所職員に差し出し役所工事の受注を勝ち取った。
そして政治家に近ずき大工事の入札工事にも進出して現在に至ったのである。
智子は表向きの事は何も知らなかった。
只家庭を守り趣味の踊り、観劇に明け暮れていたのであった。
吾郎が「好きな子がいる」と言った時自分の目で確かめたいと思って此処に来たのである。
何と素敵なお嬢さんだろう、明るくて素直な 若鮎の様に活発な、今時こんなお嬢さんが居ることは考えてもみなかった。
即座に吾郎の妻にと考えたのである。
しかし吾郎には水商売の女性(泥水を何の抵抗も無く飲める女)の方が合っていた。
自責の念が智子を襲った。
取り返しの無い事をしてしまったと・・・
自然に足が此処に導いてきたのである。
初めて家にやって来た時「素敵なお宅ですね、でもちょっと淋しそう」「そうだ、お母さん花を植えましょう」
土いじり等した事のない智子は明子に促され庭にたくさんの花を植えた。
そして塀に沿って雪柳をめぐらせた。
今年の春も白い小さな花が一面に咲いた。
もう背丈程に育った が 一緒に眺めるはずの明子はそこには居ない。
智子は辛くて堪らなかったのだ。
志村は全国警察本部と連携して吾郎の行方を追っていた。
日本地図を眺め山陰地方、特に海岸沿いの警察に激を飛ばした。
そして福岡県警、長崎を睨んで「ここまで来るかな」と靖男に言った。
そこまでが中国を目指す限界だろう・・・と。
皆生から完治の電話が入った。
「臭い、この辺りで向こうに見られている様な気がする」と・・・
「靖男、完さんに合流しろ!責任は俺が取る」
そして志村は福岡に飛んだ。
靖男は山口県須佐町で合流した。
一方検察の調べでは旧悪がボロボロ出てくる。
もう時間の問題だな と思われたその時建設のドン、代議士のFが倒れた。
脳卒中だと云う。
最初は三味線じゃないかと疑われたがどうも本当らしい。
それから一週間後Fの死が新聞紙面を賑わせたのである。
福山は「全ては先生の指示でやりました」と自白した。
何処まで本当か嘘なのか、死人に口無しで幕引きとなったのだが・・・
千葉建設川上弥三郎には多くの罪状と 殺されたと思われる多重債務者の家族から損害賠償訴訟が起こされたのである。
実質的に倒産の憂き目にあったのだ。
智子は一度に歳を取った。
新聞もテレビも見なくなった、大きな家はまさに空き家の様な状態になってしまったのだった。
完治は吾郎の電話に翻弄され続けていた、が 「必ず俺の前に姿を現す」と信じて追い続けていた。
吾郎も又 新聞、テレビでニュースを知り完治への怒りをあらわにし、殺しの執念を燃やし続けたのである。
逃亡はチャイニーズマフィアが必ず助けてくれると信じて。
「奴らにはそれだけの金も渡してある」「今までも随分儲けさせてきた」と・・・
佐世保まで行けば船が待ってるはずである。
突然完治の電話に下関から吾郎の声が届いた。
笑いながら「関門橋に来い」と・・・
急ぎ駆け付けたが彼はいない。
今度は指宿から・・・
靖男は「もっと捜査範囲を広げろ」と激を飛ばした。
「奴は必ず日本海の何処かから脱出する」完治もそう思ってた。
中国船籍とは限らない、どこだ・・・
何もコンテナ船でなくとも良い、小さな港からでも出航出来る。
「だが必ずその前に俺を狙って来るだろう」
彼は長崎で待つ事にした。
そして次の電話が掛かってきた時「長崎で待ってるぞ」と答えたのであった。
「本当に来るのかな?親父さん、甘いんとちがいますか」靖男はそう言ったが完治は「来る、必ず俺を狙ってくる」と・・・
『№ 8』
明子の事件の時効は10日を切った。
だが完治には時効など関係無かった。
あくまで仇を取ってやりたかったのだ。
ここで攻守は逆転したのである。
パトカーでは目立つ、民間車を借りられないか、長崎県警の若い男が自分の車を貸してくれた。
それで港港を見て廻った。
靖男は五島列島を見て廻ったが不審な男は見当たらなかった。
地元の駐在にも注意する様指示し漁師達にも協力を頼んだのである。
平戸にも足を伸ばした。
だが彼の足取りらしきものは無い。
「親父さん、出国するのは鳥取辺りじゃないですか」靖男は尋ねた。
「いや、この近辺だろう」「何か根拠はあるんですか?」「勘だよ、勘・・・」
「少し歩くよ、目立つ様にな」と完治は笑って言った。
西彼杵半島を廻り佐世保に戻る途中に西海橋がある。
もう陽もかたむきかけたその時、完治は「おい、停まってくれ」と言った。
そして静かに歩きだした。
その向こうに人影が見える。
「奴だ、間違いない」「どうして判るんですか?」「歩き方に特徴がある」
その男は左肩を少し下げ黒いコートで身を包んでいた。
「お前はここで残ってろ」そう言って尚も歩いて行く。
靖男は無線で緊急の応援を要請した。
男は振り向いてニヤリと笑い「ついに来たか」「今から地獄に送ってやるから親娘の対面でもするんだな」と・・・
完治は「何故殺した、何も罪のない明子を何故・・・」「邪魔だったんだよ、あれこれほじくり出してウザイんだよう」 「俺のやる事にチャチ入れやがって」「まあ後は地獄で聞くんだな」と・・・
轟音が鳴り響いた。
逆光の影の中から閃光が走った。
完治の胸が熱くなった、そして痛みが襲った。
「やめろっ撃つぞ」靖男が銃を構えて立っている。
だが二発目が発射された。
腹部を撃たれて完治は膝から崩れ落ちたのである。
そして三発目・・・同時に靖男の拳銃も火を噴いた。
右肩を撃たれ完治は「うおーぅっ」と彼に突進したのだ。
ブルドーザー完治の破壊力はこれだけの傷を負ってもまだ健在だった。
二人は組み合ったまま西海橋から落ちて行ったのだった。
その時微かではあるが「明子」と声が聞こえた様な気がした。
奇遇では有るがその日、明子の事件の時効成立の日であった。
間もなくパトカーがサイレンを鳴らし到着したのだった。
「ここで落ちたらもう助からんなー」
潮流の早いここ『西海橋』は自殺の名所でもある。
落ちたら最後、一年は浮かんで来ないと言われている。
翌朝から捜索が始まったがやはり駄目であった。
悄然と靖男は千葉に戻った。
それから九ヵ月後二人の死体が浮かんだ。
腐乱してはいても完治の手はしっかりと吾郎の首に巻きついていたと云う。
数ヵ月後。
靖男がひとり、釣りをしてる後ろを初老の婦人が会釈して通り過ぎていった。
夕方完治の墓に行った時、真新しい花が手向けてあった。
住職に聞いたところ「完治さんのゆかりの人かねー 川上さんと云うんだがよく参りに来て涙を流しておられるんだが・・・」との話だそうだった。
ー完ー
『№ 1』 復讐(完治の場合)
「お父さんお父さん!ちょっと来て、あー持って行かれる、早く助けて!」
完治は笑いながら「どれどれ、おーっこれは大きいなー」と娘明子の手から竿を受け取り巧みに魚の動きに合わせてリールを巻き上げて行く。
「これはすごいなー、初めて大物が掛かったんじゃないか」明子の頭を撫でながら笑った。
「晩飯のおかずは鯛ずくしだな」
明子の肩に手をやり並んで帰った。
完治と明子は近所でも評判の仲の良い親子であった。
南房総の片田舎、完治はそこで役場の職員として働く傍ら農業をしていた。
又明子は近くの街で 看護士として一生懸命頑張っている。
完治にとって明子は掌中の玉、眼に入れても痛くない程可愛い娘である。
「お母さんにもあげような」完治はそう言って仏壇の方に眼をやった。
まだ彼の若い頃 同じ職場で知り合って趣味の釣りが縁で意気投合し結婚したのだが・・・
明子が生まれると間もなく他界してしまったのである。
【妊娠中毒症】
妻洋子は自分の娘の顔を見る事無く死んでしまったのだった。
彼は号泣した。
それから明子を洋子の生まれ変わりと思い今日まで生きてきたのである。
明子は初乳も飲む事が出来なかった。
「おぎゃー」と泣き声をあげた時にはもう母の身体は天国の階段を上って行ってしまっていたのだから。
だから抵抗力の無い身体の弱い子供だった。
それからの完治は病院と親戚の様な生活を強いられてきた。
が この娘の為なら、と何時も心にかけ仕事も頑張ってきたのだった。
再婚も薦められたが明子が後々辛い思いをするのではないか、と思い断ってきた。
小学校も高学年となった頃から、太陽の下で走ったり釣りをしたりしたせいか丈夫になり その名の如く明るく元気な娘に育ってきたのである。
そんな明子を見ながら何時も洋子に見せてやりたいと思い暮らしてきたのだった。
年頃になった彼女にプロポーズする男性が現れた。
県警本部に勤める靖男である。
実家が完治の家の近くの好青年である。
が 彼は許さなかった。
明子と離れるのが辛かったのである。
「誰がお前なんかに大事な娘をやれるか!」が返事だった。
だが心の中では許していた。
「いずれお嫁さんになってこの家を出て行くのだ、だったら靖男の様な頼り甲斐のある男がいい」と・・・
明子も少なからず好意を持ってる様子である。
しかしそれは近くに住む『お兄ちゃん』的な感覚であった。
幼少の時から可愛がって貰っていたから 恋人として考えてもいなかったのである。
明子の病院に怪我人が運ばれて来た。
テトラポットから落ちて肩を打ったと云うのだがどうも様子がおかしい。
肩口がザックリと切れており 岩場で起きた傷ではない。
医師は「これは喧嘩でもして出来た傷だな」と小声で言った。
しかし物腰は柔らかで言葉も丁寧だ。
一ヶ月ばかり入院したのだが特別そこまで入院する必要も無かったのである。
その間多くの見舞い客が訪れた。
皆 黒塗りの大きな車だったが 比較的紳士的な人が多かった。
靖男が言うにはその男は大手ゼネコンの千葉建設の社長の御曹司 『川上吾郎』
とかく暴力沙汰の多い男だそうだ。
だが明子に対しては紳士的で優しい男に映ったのだった。
怪我も癒えた吾郎は時々この田舎の病院を訪れ 彼女を誘いドライブをしたり一緒に釣りを楽しんでいた。
完治も又 世間の噂なんていい加減なものだな、と感じて彼の来訪を笑顔で迎えていたのである。
彼も又、若い頃大学のラクビー部に所属していてかなりの悪さをして歩いた。
その経験から吾郎の暴力的な噂も 若気のなせる業 と鷹揚に考えていたのだった。
だが不審に思ってたのは何故都会には しっかりした良い病院があるのに この片田舎の病院に来たのか?
完治に言わせれば「かすり傷程度で一ヶ月も入院したのか?」その疑問を院長であるチョビ禿医師に聞いてみた。
それは医師も同じ疑問点だと言う。
「きっと身を隠さなければならない何かがあったんだろう」と・・・
靖男も又同じ考えで何か胡散臭さを感じて彼の仕事、私生活を洗っている様子であった。
吾郎は日曜日になると必ず来る様になっていた。
そして半年も過ぎた頃、明子にヴィトンのバッグをプレゼントとして持ってきたのである。
分不相応のプレゼントに明子も完治も固辞したのであるが 「都会ではこんなもの普通に持って歩きますよ」との話に一応預かる事にしたのだった。
その後もいろいろブランド物のプレゼントを持って来たのである。
釣りをしてる時、時々見せる冷たい顔が気になった。
「我々庶民とは違って精神的にもきつい仕事をしてるんだろう、だから釣りをしてる時が一番幸せなんじゃないか」とも思ったのである。
一年も過ぎた頃、吾郎は母親を伴ってやって来た。
「ぜひお嬢さんを吾郎の嫁にください」と・・・
完治は「それは娘の気持ち次第でしょう」と答えたのである。
が 彼の心の中では「あの馬鹿野郎が、早く掻っ攫って行けばいいのに」「俺はお前が明子の亭主になる事を望んでいるのに」と 靖男に対して腹を立てていたのだった。
そんな完治の心を知ってか知らずか意外にも明子はその結婚を承諾してしまったのである。
完治は靖男に当り散らした。
靖男は「明ちゃんが幸せになれるならいいじゃありませんか、見守ってやりましょう」と答えたのである。
靖男に取っても辛い選択であったのだろう。
釈然としないまま認めざるを得なくなった完治は『結婚式は一年後』と条件を出した。
此処まで明子が育つのに彼は大きな犠牲を払ってきた。
元々彼は田舎の係長止まりの能力の男ではない。
昇級試験を受ける事を薦められた事も何度かあった。
しかし彼は少しでも明子の傍にいてやりたかったのだ。
家庭を犠牲にしてまで出世しようとは思っていなかった。
何時も心の中心は明子だった。
その為には自分の事は何一つ考えてはいなかったのである。
「出世して高給を取る事だけが人生じゃない、家族をしっかり守って淋しい思いをさせないことが大事なんだ」と・・・
田舎暮らしをしていても県の職員はおろか地方議員でさえ一目置く存在だったのだ。
『№ 2』
何時も明るく「行ってきまーす」と出勤する明子がある日を境に暗い表情に変わった。
声も元気がない。
「どうした?どこか悪いのか?」完治が尋ねると「お父ちゃん、結婚解消してもいいかな」と・・・
「何か有ったのか、何でも言ってごらん」
「あの人怖い、この間偶然聞いちゃったんだけど『あの野郎、海にでも沈めておけ』って電話で話していたんよ」「何か恐ろしい事やってるみたいなの」
完治の勘ではやはり只の男ではないなと思い当たる節があった。
裏の有る男ではないか・・・と感じていたのだったが、思い違いであって欲しいと願っていたのだった。
「いいよ、お父さんが断ってやろう」
「今度会った時私が直接話すから、お父ちゃんごめんね」
完治は靖男に一人で行かせる事に一抹の心配がある旨を伝えた。
何となく虫が知らせたのだった。
靖男は「昼間の千葉市内の喫茶店だから大丈夫でしょう」と言ったが・・・
翌 日曜日に明子は出掛けて行った。
その朝、勤めて元気に振舞って「すぐ帰ってくるからね」と 出掛けて行った。
それが今生の別れになるとは知る由もなく・・・
ものの一時間もした頃から完治は後悔していた。
何故付いて行ってやらなかったのか・・・
愛する娘の大事な事なのに・・・彼女一人では心許ない、と内心思っていたのに。
その夜 待てど暮らせど帰る事は無かった。
彼はすぐ靖男に電話を入れた。
靖男は県警本部の警部補をしている。
彼はすぐ『行方不明』として手配してくれた。
立ち回りそうな所を片っ端から捜べ始めたのである。
完治は「お前がぐずぐずしてるからこんな事になったんだ、何故もっと早く拐って行ってくれなかったんだ」と 八つ当たりをしたのであった。
筋違いとは解っていても言わずにいられなかったのだ。
「奴はどうした、明子に会ったんだろう、それからどうしたんだ!」
靖男は「それがねー前日(土曜日)の夜、成田で傷害事件を起こして今現在も取り調べ中なんだ」「会ってはいない と云うより物理的に会う事は不可能なんだ」と・・・
「ではどうして帰って来ない?!」完治の頭は混乱していた。
何か裏がある、明子は誰にも恨まれる娘ではない、半狂乱になった完治はすぐ吾郎の家に赴いたのだが・・・
何の手掛かりも無く悄然と帰ったのであった。
靖男の調べた所 待ち合わせの喫茶店で携帯電話があり 間もなく若い男が迎えに来て一緒に出て行ったと云う事だった。
それからの足取りがプツリと切れてしまっている と云う事だった。
まんじりとした夜を過ごした。
火曜日の昼過ぎ、横浜の埠頭に絞殺死体が浮かんだ。
「嘘だろう」「何故明子が・・・」変わり果てた姿に変わった娘を見るなり彼は慟哭した。
県警本部でも殺人事件として捜査を始めた。
間もなく吾郎は釈放されたのである。
被害者と示談が成立したと云う事で・・・
彼はいろいろ思い出していた。
明子の言葉の中に何か今度の事件に関係のあるヒントは無いか?
どんな小さな事柄でもいい。
戻って来ない明子の為に犯人をこの手で殺してやりたい と・・・
靖男も又怒りに燃えていた。
その為に私情が入ってはいけないと捜査から外されたのである。
手掛かりは喫茶店から明子を連れ出した男だけである。
ウエイトレスにその男の特徴を聞いたが左耳に幾つもピアスをつけている といった事位である。
マスターは指の太さ、指輪からその辺りに勤めているホストではないか、とも言った。
完治は千葉周辺のホストクラブを片っ端から当たった。
が 彼らの口は堅く なかなか思う様な情報を得る事は出来なかった。
捜査から外された靖男も又自分の有給休暇を使い別のルートから調べていたのだ。
今まで休みらしい休みを取らなかった靖男には有給休暇が余る程有った。
彼は今でも明子を愛していたのであった。
そして耳寄りな情報を手に入れた。
吾郎には全く別の顔を持っていたのである。
『出資法違反』彼は法外な利息で金を貸していたのだ。
看板は【多重債務者救済センター】人の弱みを突いた巧みな商売、実態は闇の金融業として・・・
多くのたちの悪い連中を使い取り立ても厳しく・・・
その為に自殺者まで出していると云う・・・
「何故こんなのが法の網に掛からなかったんだろう」靖男は法の不備を嘆いた。
別件ではあるがそこから何か明子の死に繋がるものが出て来ないかと靖男は考えたのだが、上層部から「待った」がかかったのである。
これはもっと大きなヤマが隠されているな と靖男は思った。
調べて行くうちにおかしな話を聞いたのである。
その金融会社では多重債務者を多く扱っている。
そしてそのうちの何名かが行方不明になっているのだ。
夜逃げしたにしては不自然なところも有る。
その行方を眩ました債務者のほとんどが若い男女である事。
そして至って健康であった事など・・・
「何処へ消えたんだ??」靖男は彼の周辺の男達を調べる事にした。
あくまで休暇中 非番の捜査である。
職権で調べる訳には行かない、個人の捜査の難しさを痛感してた。
完治も又粘り強く聞き込みに廻っていた。
そしてある居酒屋で思わぬ情報を耳にしたのだった。
耳にピアスをした男達が、とあるクラブで働いている との事である。
そして闇金の追い込みを副業としていると云う。
靖男の追いかけている事柄と一致すれば必ず明子の死に繋がってくる。
完治と靖男はそのホストクラブで夜明け近くまで張り込んだのであった。
三日後の夜その男は現れた。
早速明子をどうやって連れ出したか、又依頼したのは誰か聞き出そうとしたのだが知らぬ存ぜんの一点張り。
業を煮やした完治はその男を車に乗せ明子が浮かんでた埠頭に走らせた。
そこで詳しい話を聞こうとしたのだが・・・一発の銃声と共にその男は倒れこんだのである。
黒い乗用車がライトも点けずに走り去った。
「裏切ったな」苦しい息の下から「全ては吾郎に聞け」と・・・
病院に搬送中にその男は息を引き取った。
完治は辞表を提出した。
もうこれ以上は休みながら捜索するのは無理だ、と感じたからである。
「明子在っての俺だ」「何としてでも仇は取ってやる」決意の表れであった。
『№ 3』
「完さん、今年も走るのかい?」「おう、走らんでかい」
「堪らんなーあの勢いで走られたんじゃ誰も付いて行けん」
皆が驚く程のスタミナとスピードである。
運動会で親子競争がある。
親子が手をつないで走るのであるが、負けそうになると決まって明子の身体をヒョイと肩に乗せ韋駄天の如く走るのであった。
何時もダントツの一番・・・それもそうである。
大学時代のあだ名が【ブルドーザー】
二人三人のタックルを引きずってもトライを決める。
全日本にも選ばれた。
将来を嘱望されながら何を思ったか、田舎の役場の職員になってしまった。
何より郷土が好きであったのだ、そして釣りが・・・
そして洋子に出会ったのである。
彼は妻を心から愛した。
が しかし今その生き甲斐の全てを失ってしまったのだ。
彼の怒りは尋常では無かった、復讐に人生の全てを賭けた。
必ずこの手で犯人を葬ってやる。
凄まじい執念であった。
だが捜査の方は遅々として進まずいくつかの秋を迎えた。
明子の事件も捜査本部が解散される事になった。
専従捜査をするのはベテラン刑事の『志村久雄』一人が当たるだけとなってしまった。
そして靖男は本部長に呼ばれた。
「君はこのヤマをやりたがっていたな、志村君と一緒に解決に当たってくれ、私情を入れないで出来るか?」
靖男は明子の弔い合戦の時が来たな と喜んだ。
続けて本部長は「どでかいヤマだぞ、どうも政治家も絡んでいる様だ 間違えば首が飛ぶかもしれないぞ、くれぐれも気を付けて当たってくれ」と・・・
「ところでブルさん元気でやってるかい?」「エッ?」靖男には一瞬何の事かよく飲み込めなかった。
「完さんだよ、知らないのか 俺達も随分泣かされた、あの突進を受けられる者は誰も居なかった」「天下のフォワードだよ、勿論お前たちの年代では知らないかもしれないだろうけどな」「学校が一緒ならもっと楽出来たのにな」と本部長は笑った。
志村刑事は捜査畑一本で来た男だ。
【落としのシムさん】と呼ばれている程取調べの上手な男だった。
彼とこれまでの捜査のすり合わせをする事になった。
そこで解った事は吾郎は本当の実権を持った社長ではない。
黒幕は他に居る。
そして千葉建設に出入りしている東南アジア系の男達 彼等は絶対堅気ではない。
観光ビザで入って来てるが10日ばかりで帰ってゆく。
別に観光する訳でも無く、その時には時々民自党の秘書も顔を出す場合もある。
明子は何かその秘密を知ってしまったのであろう と・・・
そして「完さんには絶対に言うなよ」「あの男なら直接乗り込んで行くだろう、そうしたら隠密に調べた事が全部無駄になる」と。
その頃 完治はあるホストと知り合った。
彼は多くの借金を背負って自分の彼女を吾郎に取り上げられた。
そして一年程して帰って来たのだが腹部に大きな傷跡が残っていたと云う。
今までと違い青白い顔をして過去を何も語ろうとしない。
何かが有る、彼は直感でそう感じたが心を閉ざした彼女に直接会う事を躊躇った。
そのホストも何かを知っている様子だが ふと漏らした愚痴が完治の耳に飛び込んで来たのである。
彼は靖男と志村に相談した。
ここまで来たらお互い知ってる事を話す必要があろう と判断した志村は独断で行動しない事を条件に完治に話し始めたのである。
このヤマは東南アジアの何処かが関係してる。
ボスは千葉建設の誰かでは無いだろう、きっと外国のマフィアが関係してる。
又、政治家の一部も咬んでるに違いない。
明子さんはその重要なところを知ってしまったんだろう] と・・・
完治は努めて冷静になろうと思ったが、何の罪もない娘への無念さを思えば余計怒りが込み上げてきたのであった。
『№ 4』
さて東南アジアと云っても広い。
何処かに手掛かりは無いか?
靖男はそのホストと彼女を任意で取り調べる事にした。
だが頑として口を割らない。
時間はどんどん経つばかりであった。
そして「お前ら俺たちの命を一生守ってくれるのか!」「ここへ来るのも命がけなんだぞ」と・・・
尚更この事件の裏には大きな力が働いている事を思い知らされた。
が しかし彼女が一年留守にして傷跡を作った事により借金がチャラになった事だけは確かだ。
手掛かりは東南アジアにある、必ず何か解るだろう。
志村は上司に出張させてくれる様頼み込んだ。
しかし許可は降りなかった。
「もし何も出なかったら公費の無駄使いだぞ」との理由で・・・
靖男は自費でも行く事を考えていた。
完治も同じだった。
だが闇雲に行ったところでどうにも成らない。
場所が特定出来なければ・・・
焦る気持ちを抑え吾郎の身辺を見張ったのである。
そんな時ホストの彼女が倒れた。
救急車で搬送されたのを知り志村が駆けつけた。
医師は「これは腎臓摘出の跡がありますねー」と・・・
やっと彼女は重い口を開いた。
「たまには海外旅行でもして来いや」吾郎の一言で中国人に引き渡され横浜から船に乗り中国に渡ったそうだ。
そこから又違う国籍不明の男とフィリピンへ・・・
着いた先は大きな病院であったそうだ。
そこには日本人も沢山居て非常に大切に扱われたと云う。
外出も自由だった様である。
いろんな検査を受けその後全身麻酔で眠らされ気が付いた時に腹部に激痛が走ったそうだ。
後は傷の癒えるまで病院の一角にあるコンドミディアムで療養して又コンテナ船に乗り帰国したと、話したのである。
自分がどういう状況下に置かれているのかも解っていなかったのだった。
「もう一度吾郎を引っ張るか」靖男は考えた。
志村もそれを考えていたがその難しさも又考えていたのである。
「シラを切られたらどうする、物的証拠がある訳じゃなし」
その晩、入院中のホストの彼女が死んだ。
屋上から飛び降り自殺と云う事だったが彼女のベッドからも彼女自身からも強いクロロフォルムの匂いがしたのである。
志村は「警察病院に移して置くべきだった」と悔やんだが後の祭りであった。
かのホストは「下手にちょっかいを出すからだ、俺まで殺す気か!だから警察は嫌いなんだ」と 怒りをあらわにしてもう口を閉ざして何も云おうとはしない。
ホストの彼女『鈴木京子』殺人捜査本部が設置されたが全ては明子の死から始まった事を警察内部では誰でも知っていた。
それだけに刑事達皆は力が入っていたが難しさも又解っていたのだ。
警察の威信を賭けた戦いが始まったのである。
その頃完治はフィリピン行きを決意していた。
明子の死に関わる何かを掴むまでは帰らない覚悟で。
今度は靖男も同道する事になった。
上司もここに来てその必要性を認識して許可を出したのである。
完治は先祖代々守り続けてきた田畑を売り払った。
退職金もまだ手を付けて無かったがどれだけ海外で金が掛かるか解らない。
それに田畑を続ける時間も余裕も無かったからである。
そんな時 昔のラガーメン達が集まってくれた。
皆「完さん、フィリピンも危険な所らしいぞ、生きて帰って来いよ」「絶対死ぬな」と・・・
皆 たくさんのカンパをしてくれた。
「おい、まるで出征兵士みたいだなー」と完治、嬉しかった、涙が止まらなかった。
そして靖男と共に旅立って行ったのである。
マニラに着いてまず気が付いたのは、治安の悪さに加えて貧富の差の大きい事であった。
日本では食べられないと云っても どんな仕事でも我慢して働く気になれば何とか食べて行ける。
しかしここでは一握りの財閥、そこで働く者たち以外は全く仕事に就く事が出来ない。
だから海外に働きに出るのも仕方が無い事である。
日本にも多くのフィリピーナーが来ている。
完治は納得しながらガイドの声に耳を傾けた。
ガイドは元日本で働いた経験がある【ア、チョン】と云う男だ。
人の良さそうな男だが 実は金の為なら何でもやる命知らずの男であった。
まず北部の病院の多い地区を見て歩いたのである。
まさに病院銀座といった所だ。
その中にコンドミディアムもある。
何でも諸外国ではドナーツアーなるものも有るそうだ。
観光を兼ねやって来てコンドミニアムで優雅な休暇を楽しみながらドナーを待って居るという。
そこに又、各国からドナーが来るのだ。
何でも日本人の臓器は特に高値で売られるそうな。
食糧事情の良い日本人達の臓器は至って健康でそれ自体の痛みが少ない。
フィリピンの現地法人、日本人の経営、資本の多くは中国系、日本企業もその中に有ると云う。
日本からは多重債務者の多くが送られて来るとの話である。
完治は慄然とした。
こんな社会があったのか・・・と・・・
又 中には自分から進んで就業ビザで入国し 臓器を提供し体調の戻るまで滞在し一儲けして帰る日本女性も居ると云う。
ケロリとして「需要と供給の社会よ、人助けをして金が稼げる、こんないい事無いよね」と・・・
日本では臓器売買は禁止されている。
しかし彼女達の言い分にも納得できる部分もある、法の盲点を突いたビジネスである。
完治と靖男はその夜ミーティングした。
何処から手を付けるか・・・
志村に電話で報告しながら「これは大変な作業だぞ」と思ったのである。
明子は何を何処まで知って殺されたのか この状況の何処まで知ったのか・・・
黒幕は誰だ・・・
そうした時靖男は「父親が肝臓を患っている、何とかならないかと下見に来たのだが」と 日本人経営の病院勤務の看護士に聞いた。
最初口は堅かったが彼女はFMホスピタルの看護士に連絡してアポを取り付けてくれたのである。
FMホスピタルは日本企業資本、医師も日本人が多く働いている所であった。
完治は何かが解る事を期待してその時を待ったのである。
意外にもその看護士は医師と一緒にやって来た。
そして「肝臓の場合は脳死状態のドナーが現れない事には出来ない事、しかしこちらに来て二三ヶ月も待てば可能である」と事も無げに話したのである。
欧米諸国では観光と移植手術とセットでのツアーがコーディネーターの手で公然と行われていると云う。
日本では禁止されている臓器売買が公然と行われているのだ。
医師は言った「大体日本はおかしいよ、需要と供給がある限りこの職業は無くならない」と・・・靖男も完治も言葉を失った。
それ以上は聞く事が出来なかったがひとつの収穫があった事は確かである。
そして日本資本の病院のひとつが千葉建設が関わっていると云う事も。
しかし一企業がそこまで考えられるか?
その陰で政治家の力が働いているのではないのか?
厚生省か、外務省か・・・そのどちらかに関係した議員の影がちらつく。
要するに吾郎達はその実働部隊なのだ。
明子は吾郎の何を見たのか、聞いたのか?
取り合えず日本に帰ってからだ。
完治はもう一度明子の持ち物から調べ直す事にした。
何か見落としてはいないか と・・・
明子の机の奥からキティちゃんの表紙の日記帳が出てきた。
幸せな結婚生活の夢が躍ってた。
胸が熱くなりながら活字をなどった。
ある日から空白のページが続いてた、それは明子が沈んだ表情をする様になった時期と一致している。
パラパラとページをめくる。
するとどうであろう。
「あの人があんな乱暴な人だったとは、悲しい 私はどうしたら良いのか?」で始まる文字が並んでる。
彼女の手記を要約すれば偶然彼が中年の男に暴行を加えていたのを見てしまった事から始まる。
その時「何日までに耳を揃えて持って来い、金が返せなければ自分の娘を連れて来い」と・・・
明子は尋ねた「どうしたの?あの人、血を流して謝っていたのに、何故あんな可哀想な事するの?」
「何でもない、お前が心配する様な事ではない ビジネスだよ、ビジネスだ」「こちらが親切にしてやってるのに約束を守らないから少しきつく言っただけだ」冷たい顔だったそうだ。
何時もあんなに優しいのに、この人はどう云う人なんだろう?
不信感が芽生えた。
そして電話で「あいつは捕まえて送れ」とか「徹底的に追い込みをかけろ」等と指示を出してる。
「それでは福山先生に申し訳が立たん、早くしろ!」と不快な顔で部下を叱り付ける。
明子は婚約解消を決意した時の手記であった。
一体福山とは何者なんだ?
完治は靖男と志村に日記帳を見せる事にした。
志村は「うーん」と言って眼を閉じた、そして「物証(物的証拠)が欲しいなー 状況は『真っ黒け』でも物証が無ければなー」と・・・靖男は徹底的に多重債務者を探せば必ずこの事件の解決は出来ると云う。
だが完治は明子を殺した相手だけが知りたかったのである。
が 全てがリンクしている。
友達とは嬉しいものだ。
ラガーメンの多くがいろんな所で聞き回ってくれている。
その中に金融会社に勤めている佐藤と云う男が居た。
彼はブラックリスト(多重債務者)を洗ってその書類を持って来てくれた。
さて、ここから吾郎の所から金を借りている人物を探し出さなければならない。
それを基に捜査本部が動いた。
そして検察も政治資金で不自然なものが有るかどうか調べ始めたのである。
千葉建設からの献金を受け取っている者が数名浮かんできたが 現金で受け取って居る者はまず帳簿に載せないであろう。
しかし頻繁に会って会食等してる秘書が数名浮かんできたのである。
検察はそれをマークして現金授受の事実があったかどうか調べ始めた。
完治達はブラリスの人物を追った。
そこで思い掛けない事実が浮かんできたのだ。
数名の行方不明者がいる。
考えられるのはコンテナ船で密航させられ フィリピンの何処かの病院でバラバラにされ臓器を取られ死んだのではないか・・・と云う事ではないか?
コンテナ船は何処の海運会社だ?
知ってて密航の手伝いをしたのか?
分らない事が一杯ある。
「これは縺れた糸を解す様に根気良くやらなきゃならないな」完治はそう思った。
『№ 5』
吾郎は敵の多い男だった。
普通は金融関係の者達は横の連絡もかなり有る。
が しかし彼にはそうした関係の者は皆無と言っていい程いない。
それはあまりにもあこぎなやり方で他の業者からも疎まれていたのである。
そして政治家との繋がりが特に強い様だ。
完治は自責の念に駆られたのだった。
自分がもう少し交際中から注意してやっていれば悲しい思いをさせないで済んだのに・・・
自分が明子を殺したんではないのか・・・
その晩、完治は船橋の酒場でしたたかに呑んだ。
そして表に出たところで若い男達に囲まれたのである。
「おっさん金貸してくれんか」「何故貸す理由がある、お前らに貸す金など一銭も持っておらん」「命が欲しくないのか?貸せよ おらー」とバタフライナイフをちらつかせた。
「腎臓ひとつ取れば何百万も手に入るんだぜ、ひとつくれや」途端に完治は切れた。
こいつら何か知ってるんではないか・・・
そう思った完治にはもうブレーキは利かなかった。
ナイフをちらつかせていた男を蹴り倒し、殴りかかる相手を次々と倒してゆく。
後の連中は蜘蛛の子を散らす様に逃げていった。
騒ぎを聞きつけた警官が飛んで来たのは間もなくであったが 完治も又同行させられたのである。
すぐ靖男が駆けつけた。
事の顛末を話し若い連中の取調べが始まった。
しかし吾郎に繋がる筋の事は何も出て来なかった、が吾郎の配下の者だと云う二三名の名前を上げ 「奴らなら知ってるだろう」と話したのである。
完治の被害も無かった事から恐喝未遂の書類送検、と言うことで彼等の身柄は身元引き受けに来たファイナンス会社の男が引取って行った。
その吾郎の配下の男 牟田は表向きは無職、クラブのママに食わせて貰ってる 何処かの暖簾をくぐった男であった。
舎弟には例の埠頭で殺されたピアスの男も居たと分ったのである。
「一応任意で引っ張ってみるか」志村は決断した。
だが肝心の牟田は三日前から行方を眩ましていたのだった。
心当たりの所の何処を当たっても手掛かりはない。
「又しても先を越されたか」歯軋りして志村は悔しがった。
しかし牟田の失踪は組員でも知らなかった。
「これは事件とは関係無い何かがある」志村の勘は鋭かったが・・・
ようとして行方は解らないまま時は過ぎていった。
一方検察では民自党の大物議員の公設秘書に 福山某なる人物が千葉建設とのつながりが有る事まで突き止めていたのである。
一歩先を越された感がある捜査本部も焦りを隠し切れないでいた。
完治も又あまりにも手の内を読まれ過ぎている様な錯覚に襲われ警察内部にスパイでも居る様な気持ちにさえなって来ていたのだった。
そんな時 牟田の死体が見つかった、千葉 大多喜山中の雑木林の中で・・・
又ひとつプツリと糸が切れた。
「あらっ、あの人逝っちゃったの ふーん、あの人がねー」煙草の煙をはきながらクラグにママ(紀美代)は人事の様にそう言ったのだった。
何かサバサバした感じに不思議な違和感を感じた靖男は『紀美代の周辺も洗ってみる必要があるな』と思った。
五日、十日、十五日・・・徒に時は流れてゆく・・・
紀美代は華やかな笑顔で何事も無かった様に仕事している。
女の強さ と云うかしたたかさを感じ靖男は恐ろしくもあった。
『№ 6』
完治は何度も日記を読み返した。
そして暮れてゆく夕日を眺め遠い日を思い出していた。
「チョビ禿先生、助けてくれ!」何度か真夜中に病院に駆け込んだ。
背中の小さな命の火が消えかけた時もあった。
「お父ちゃん、助けて!」「こらっこの悪ガキ共がっ!明子を苛める奴は承知しないぞ!」
近所に住む中学生 靖男に「俺の居ない時には守ってやってくれ」と頼んだ。
明子は靖男によくなついた。
靖男も明子が可愛くて堪らない様子だった。
やがて健康で活発になった明子は靖男を誘い完治と釣り糸をたれる様になったのだ。
靖男が大学に行く様になった時明子は「お兄ちゃん 休みになったらきっと帰ってくるよね」と、何度も繰り返して聞いていた。
「大きくなったらチョビ禿先生みたいにお医者さんになろうかな」「だって大勢の人の為になれるんだもん」「それにはもっと勉強しなきゃいけないな」と、完治・・・
そのうち希望は看護婦(士)に変わっていった。
「何故看護婦なんだ?」「だってチョビ禿先生は指示するだけで患者さんを直接手当てしてるのは看護婦さんでしょう」
そして高校卒業後に見習い看護士としてチョビ禿先生のところで働く様になったのである
そして准看護士となった後もチョビ禿先生のところに世話になってた。
だからチョビ禿も又我が娘の様に可愛がってくれてた。
地域の皆も「明ちゃん明ちゃん」と親しくしてくれていたのに・・・
「明子・・・」と小さく呼んでみる。
夕日が滲んで沈んでいった。
張り込んでから二十日、吾郎が店に入って行った。
客をよそわせて連れの刑事を店に入れた靖男は外でその刑事の出て来るのを待ったのであった。
靖男は面が割れてるので出て行く訳にはゆかなかったのである。
だがなかなか出て来ない。
ジリジリとして待った。
待つ事一時間 驚くべき情報が手に入ったのである。
水割り一杯注文してそれとなく紀美代を探しても何処にもいない。
「あれっママさんは?」気の良さそうなホステスが「知り合いなの?」と近ずいてきた。
「駄目よママには恋人が居るんだからちょっかい出すと怖いわよ」
ホステスの話によれば紀美代と吾郎は以前から一線を越えた間柄である事。
「何時殺るか」等と 人殺しの相談してたようである。
それ以上聞けば怪しまれると思い出て来たそうだ。
そのホステスとは何時でもアポが取れる様に携帯(勿論私物の方の)の番号交換してきたと言う。
店で聞けない何かが聞ける可能性がある。
海外出張の長い商社勤務のラガーメン村下がチャイニーズマフィアのボスと知り合ったと言ってきた。
それとなく聞いてみた結果「F代議士とは面識あるよ、福山も一緒ね」と言ったそうだ。
これでF議員、福山、千葉建設川上社長そして闇金融会社吾郎が一本の糸で繋がった事になる。
「物証が欲しい」志村は頭を抱え込んだ。
しかしマフィアの証言は日本の司法で取り上げられるのだろうか?
又、証言してくれる可能性はあるのか?
おそらくしないであろう。
ここまで判っていながらどうする事も出来ない、苛立ちが募る。
かのホステスはよく喋る、店ではなかなか用心深く口に鍵を掛けているが 他の町のレストランでは実によく観察していた様に話してくれた。
紀美代と吾郎との仲は遥か以前から関係があった様だ。
そして牟田と吾郎は仕事上のパートナーであり汚れた仕事は牟田が一手に引き受けていたと云う。
だが紀美代を巡って二人は対立していた。
紀美代は吾郎の方が好きである事等。
又、紀美代は肌身離さず持っている手帳が有るそうだ。
それが有る限り自分が一番優位に立てると思っていると云う。
それから暫くして紀美代と吾郎は同棲生活を送る様になったそうだ。
明子が亡くなってから12年が経った。
遂に完治は行動を起こしたのである。
靖男も捜査本部も、勿論検察も無視して・・・
店が閉まると同時に紀美代を襲ったのだ。
そして完治の姿も消えた。
紀美代は救急車で運ばれたが軽い腹部の打撲だった。
靖男も志村も「早まった事を・・・」と呟いたが完治の気持ちも良く解ってた。
時効が迫ってきている、焦る気持ちもよく解る。
紀美代は被害届けは出さなくてもいいと言う。
盗られた物も何も無い、と・・・
これも何か不自然である、何か一連の事件の核心部分を握り隠している様子である。
志村は「叩いてみる必要があるな」と靖男に言ったのである。
紀美代が襲われたと判ると吾郎も又姿を消したのである。
それから三日後新潟消印の封書が捜査本部宛に送られてきた。
セピア色の分厚い手帳だった。
差出人は完治だ。
本部で分析を始めたのだがそれには事件にまつわる全ての事が事細やかに書かれていたのである。
検察も強制捜査に乗り出した。
空港は勿論港と云う港には戒厳令が敷かれた様にチェックが厳しくなったのである。
福山秘書は勿論私設秘書数名も、千葉建設の社長川上弥三郎他幹部達にも出頭要請が出た。
家宅捜索も会社は当然私宅も議員宿舎も行われたのであった。
と 同時に完治と吾郎の行方も追われた。
全警察の威信を賭けた戦いである。
靖男は海外逃亡出来るところを地図を見ながらチェックしていたのである。
手帳には吾郎の事業を始めた時からの全貌が書かれていた。
慄然とする内容である。
700人を超える多重債務者の氏名年齢住所も記されている。
外国に密航させられたと思われる者は悠に50人を超えていた。
そして帰って来ない者が8人・・・
その手帳を見せられた紀美代は観念した様にボツリボツリと話し始めたのだ。
紀美代は吾郎が明子を知る前から関係があった。
自分が妻の座に納まるはずであったのが吾郎の母親との折り合いが悪く、母親の意向で明子との婚約が成立してしまった。
しかし明子は潔癖な娘である。
次々と吾郎の(社会的に)してはいけない事を知る度 疑問をぶっつけ注意を促したのである。
疎ましくなった吾郎は明子を殺す事を思いついた。
「生かして置けば必ず自分の身の破滅を齎す」と判断した結果である。
そこで一芝居を打ったと云う訳だ。
自分のアリバイ作りに暴力沙汰を起こし殺しは牟田に依頼したのであった。
又 紀美代は吾郎と一緒になる為には牟田は邪魔な存在である。
それを吾郎に引き受けさせた。
そこまでは筋書き通りだが思わぬ落とし穴があったのである。
それが臓器売買の裏事業まで表に出てしまった事だった。
「みんなあの女のせいだ」吾郎は舌打ちしながら呟いた。
海外に逃げる前に親父(完治)を血祭りにしてやる、と・・・
検察の押収物からは次々と裏の献金の実態が明るみに出てきた。
マスコミも連日そのニュースを喧伝したのである。
しかし秘書は何も語ろうとしない。
証拠を突きつけられても「記憶には無い」と・・・
又、川上もしたたかな男であった。
が 千葉建設の専務は、志村の「お前にも家族があるだろう、これから何年も後ろ指差されて暮らす事になるぞ」「お前の子供がドナーにされたらどうする?」
「まして海に沈められたらどうなるかな?」世間話をしながらしみじみと語って「早く楽になったらどうだ」と・・・
落ちた。
専務は全て自分の知ってる限りを話し始めたのである。
一方完治は敦賀、舞鶴、二本松から靖男に電話してきた。
「すぐ帰る様に」と説得したが無駄であった。
又、吾郎も時々完治を挑発する様な電話をかけて来る。
「今 何処何処に居る、待ってるぞ」と・・・
そして宿で拳銃の銃身を磨いていたのである。
完治がそこに向かうと もう他の場所に移動した後だった。
全国に指名手配されてても、それをあざ笑うように・・・
追う者 追われる者、どちらがどうなのか判らぬ様な追跡劇であった。
お互い何処に居るのか解らないがすぐ近くで見張られている様に完治は感じた。
又 吾郎も同じ気持ちで居場所を転々と変えたのである。
『№ 7』
その頃、田舎の駅で道を尋ねている初老の婦人がいた。
そして明子の墓に花を手向けさめざめと涙を流し「明子ちゃん、ごめんね」と・・・
吾郎の母であった。
母親智子は中堅の建築会社の長女として生まれた。
それ程不自由も無く成長し暮らしてきたのだが 父親の薦める縁談に何の抵抗もなく受け入れ、結婚したのである。
だが夫 弥三郎は家庭を返りみる事無く事業展開を見せ、ここまで大きな企業にのし上げたのである。
愛人も作った、その女性を市役所職員に差し出し役所工事の受注を勝ち取った。
そして政治家に近ずき大工事の入札工事にも進出して現在に至ったのである。
智子は表向きの事は何も知らなかった。
只家庭を守り趣味の踊り、観劇に明け暮れていたのであった。
吾郎が「好きな子がいる」と言った時自分の目で確かめたいと思って此処に来たのである。
何と素敵なお嬢さんだろう、明るくて素直な 若鮎の様に活発な、今時こんなお嬢さんが居ることは考えてもみなかった。
即座に吾郎の妻にと考えたのである。
しかし吾郎には水商売の女性(泥水を何の抵抗も無く飲める女)の方が合っていた。
自責の念が智子を襲った。
取り返しの無い事をしてしまったと・・・
自然に足が此処に導いてきたのである。
初めて家にやって来た時「素敵なお宅ですね、でもちょっと淋しそう」「そうだ、お母さん花を植えましょう」
土いじり等した事のない智子は明子に促され庭にたくさんの花を植えた。
そして塀に沿って雪柳をめぐらせた。
今年の春も白い小さな花が一面に咲いた。
もう背丈程に育った が 一緒に眺めるはずの明子はそこには居ない。
智子は辛くて堪らなかったのだ。
志村は全国警察本部と連携して吾郎の行方を追っていた。
日本地図を眺め山陰地方、特に海岸沿いの警察に激を飛ばした。
そして福岡県警、長崎を睨んで「ここまで来るかな」と靖男に言った。
そこまでが中国を目指す限界だろう・・・と。
皆生から完治の電話が入った。
「臭い、この辺りで向こうに見られている様な気がする」と・・・
「靖男、完さんに合流しろ!責任は俺が取る」
そして志村は福岡に飛んだ。
靖男は山口県須佐町で合流した。
一方検察の調べでは旧悪がボロボロ出てくる。
もう時間の問題だな と思われたその時建設のドン、代議士のFが倒れた。
脳卒中だと云う。
最初は三味線じゃないかと疑われたがどうも本当らしい。
それから一週間後Fの死が新聞紙面を賑わせたのである。
福山は「全ては先生の指示でやりました」と自白した。
何処まで本当か嘘なのか、死人に口無しで幕引きとなったのだが・・・
千葉建設川上弥三郎には多くの罪状と 殺されたと思われる多重債務者の家族から損害賠償訴訟が起こされたのである。
実質的に倒産の憂き目にあったのだ。
智子は一度に歳を取った。
新聞もテレビも見なくなった、大きな家はまさに空き家の様な状態になってしまったのだった。
完治は吾郎の電話に翻弄され続けていた、が 「必ず俺の前に姿を現す」と信じて追い続けていた。
吾郎も又 新聞、テレビでニュースを知り完治への怒りをあらわにし、殺しの執念を燃やし続けたのである。
逃亡はチャイニーズマフィアが必ず助けてくれると信じて。
「奴らにはそれだけの金も渡してある」「今までも随分儲けさせてきた」と・・・
佐世保まで行けば船が待ってるはずである。
突然完治の電話に下関から吾郎の声が届いた。
笑いながら「関門橋に来い」と・・・
急ぎ駆け付けたが彼はいない。
今度は指宿から・・・
靖男は「もっと捜査範囲を広げろ」と激を飛ばした。
「奴は必ず日本海の何処かから脱出する」完治もそう思ってた。
中国船籍とは限らない、どこだ・・・
何もコンテナ船でなくとも良い、小さな港からでも出航出来る。
「だが必ずその前に俺を狙って来るだろう」
彼は長崎で待つ事にした。
そして次の電話が掛かってきた時「長崎で待ってるぞ」と答えたのであった。
「本当に来るのかな?親父さん、甘いんとちがいますか」靖男はそう言ったが完治は「来る、必ず俺を狙ってくる」と・・・
『№ 8』
明子の事件の時効は10日を切った。
だが完治には時効など関係無かった。
あくまで仇を取ってやりたかったのだ。
ここで攻守は逆転したのである。
パトカーでは目立つ、民間車を借りられないか、長崎県警の若い男が自分の車を貸してくれた。
それで港港を見て廻った。
靖男は五島列島を見て廻ったが不審な男は見当たらなかった。
地元の駐在にも注意する様指示し漁師達にも協力を頼んだのである。
平戸にも足を伸ばした。
だが彼の足取りらしきものは無い。
「親父さん、出国するのは鳥取辺りじゃないですか」靖男は尋ねた。
「いや、この近辺だろう」「何か根拠はあるんですか?」「勘だよ、勘・・・」
「少し歩くよ、目立つ様にな」と完治は笑って言った。
西彼杵半島を廻り佐世保に戻る途中に西海橋がある。
もう陽もかたむきかけたその時、完治は「おい、停まってくれ」と言った。
そして静かに歩きだした。
その向こうに人影が見える。
「奴だ、間違いない」「どうして判るんですか?」「歩き方に特徴がある」
その男は左肩を少し下げ黒いコートで身を包んでいた。
「お前はここで残ってろ」そう言って尚も歩いて行く。
靖男は無線で緊急の応援を要請した。
男は振り向いてニヤリと笑い「ついに来たか」「今から地獄に送ってやるから親娘の対面でもするんだな」と・・・
完治は「何故殺した、何も罪のない明子を何故・・・」「邪魔だったんだよ、あれこれほじくり出してウザイんだよう」 「俺のやる事にチャチ入れやがって」「まあ後は地獄で聞くんだな」と・・・
轟音が鳴り響いた。
逆光の影の中から閃光が走った。
完治の胸が熱くなった、そして痛みが襲った。
「やめろっ撃つぞ」靖男が銃を構えて立っている。
だが二発目が発射された。
腹部を撃たれて完治は膝から崩れ落ちたのである。
そして三発目・・・同時に靖男の拳銃も火を噴いた。
右肩を撃たれ完治は「うおーぅっ」と彼に突進したのだ。
ブルドーザー完治の破壊力はこれだけの傷を負ってもまだ健在だった。
二人は組み合ったまま西海橋から落ちて行ったのだった。
その時微かではあるが「明子」と声が聞こえた様な気がした。
奇遇では有るがその日、明子の事件の時効成立の日であった。
間もなくパトカーがサイレンを鳴らし到着したのだった。
「ここで落ちたらもう助からんなー」
潮流の早いここ『西海橋』は自殺の名所でもある。
落ちたら最後、一年は浮かんで来ないと言われている。
翌朝から捜索が始まったがやはり駄目であった。
悄然と靖男は千葉に戻った。
それから九ヵ月後二人の死体が浮かんだ。
腐乱してはいても完治の手はしっかりと吾郎の首に巻きついていたと云う。
数ヵ月後。
靖男がひとり、釣りをしてる後ろを初老の婦人が会釈して通り過ぎていった。
夕方完治の墓に行った時、真新しい花が手向けてあった。
住職に聞いたところ「完治さんのゆかりの人かねー 川上さんと云うんだがよく参りに来て涙を流しておられるんだが・・・」との話だそうだった。
ー完ー
『追憶』 「ある愛の歌」
№ 1
春まだ浅き日、男は山間の東北の無人駅に降り立った。
「昔とあまり変わっちゃいないな」小さく呟きゆっくりと歩き始めた。
そして大して流行っても居ない古ぼけた旅館の門をくぐった。
来客もそう多くない宿に 突然の予約なしの客である。
身なりも悪くない。
宿の主人は久しぶりの客に喜び 揉み手をして愛想を振りまいたのであった。
「『紅葉の間』は空いているかな」
「ええ、お客様は以前お見えになった事がおありで・・・?」
代替わりした主人はこの男の事を知る由もなかった。
「うん若い頃ちょっとな」
部屋に通された男は懐かしそうに辺りを見渡した。
部屋の調度品は 新しいものに変わってはいたが 窓の外には雪をかぶった栗駒山系が広がって昔の姿そのままであった。
暫くその風景を眺めて何か感慨にふけっている様子だった。
が コートを脱ぎ厚手のセーターに着替え 男は宿の下駄を借り まだ残雪の残る道を川下の方に歩いていった。
男の名は松井幸平、先日まで大手商社に勤め海外生活も長く なかなか来たいと思ってもその機会も無く今日に至ってしまっていたと云う訳だ。
「いやー 昔とちっとも変わっていませんなー」
宿の主人は「この辺は随分過疎化が進み町の人達も年寄りばかりになりましたからね」「若者は皆 東京方面に出て行きますからもう発展する事はありませんよ」
「ところでお客様は何時頃ここにいらっしゃったんで?」
「うん、学生時代にちょっとね」「ところでこの前に駄菓子屋があったはずだが・・・」
「ええ、もう二十年ばかりになりますか、火事を出しましてね 一家離散の憂き目になり何処へ行ったのか・・・」「お客さんは何かゆかりの方ですか・・・?」
男は無言のまま聞いていたが その返事をする事なく部屋に戻ったのである。
実は幸平には若い頃、この温泉町が辛くて甘い青春の地だったのだ。
終戦の混乱期も過ぎ世の中が落ち着きを取り戻した頃、大学生であった幸平は胸を患い転地療養を余儀なくされた。
その二年余りの滞在が彼の人生を大きく変えたのである。
それから四十年、自由の身となった今、どうしても会いたい人が居た。
彼の思い出と共に人生を左右した人に・・・・
だがその人は何処に行ったのか皆目見当がつかない。
幸平は昔の事を知ってる人から捜さなければならなかった。
何しろ半世紀近くも前の事である。
幸いに駅前の みやげ物売り場の老婆が その駄菓子屋の事を覚えていた。
が、火事の後 隣町に移り住んだところまでは判ったがその後の事は知らないと言う。
幸平はタクシーを拾い教えられた住所まで足を伸ばした。
そして町役場に行き現在何処に住んでるかを聞いたのである。
彼の捜している相手とは『和泉淳子』
青春時代燃える様な恋をし、療養中の彼を励まし続けてくれた そして彼が心ならずも裏切った女性であった。
№ 2
日本が高度成長期に入って暫くの後 一流大学に入学し前途洋々の彼を襲った病魔は当時にはまだ不治の病と言われていた結核だった。
彼の父親は手術を選ぶ事無く転地療養の道を選択したのである。
「空気の綺麗な所で長期の療養をすれば必ず治る」と信じて・・・
彼は絶望の淵に立たされていた。
父親の跡を継ぎ 世界に冠たる立派な会社に育てようと夢に描き 当時としては珍しく家庭教師もつけて貰い 幼少の頃から英才教育を受けてきた彼にはこの病気は全てを奪い取るものに感じたのである。
転地先の宿からは何時も栗駒の山々が見えた。
鬱々とした気持ちで外へ出たところ、前の駄菓子屋から勢い良く飛び出して来た少女とぶつかったのである。
「あっ、ごめんねお兄ちゃん」よろける彼にその少女は声を残し何処かへ走り去って行った。
彼は走る事さえ出来ない己に腹を立てたのだった。
それから数日の後、何と無くその駄菓子屋の暖簾をくぐった。
決して高級とはいえない だが珍しいこの土地の菓子が所狭しと雑然と並んでいる。
商売っ気の無さそうな不精髭を生やした親父が奥から出てきた。
と同時に表から「いらっしゃーい」「あっ、この前のお兄ちゃんだ」との声が響いた。
親父は何も言わずに奥に引っ込んでしまった。
「この前はごめんね、前の旅館に泊まっているんでしょう、随分長い様だけど ここ好きなの?」
屈託の無い声でそう聞いてきた。
「うん、特別好きでも無いがまあ悪い所でもないかな」彼は曖昧に答えたのである。
棒飴を二本新聞紙に包み「はい」と渡され「今度この町の綺麗なところ連れて行ってあげるよ」「何時も旅館の中だけではつまんないでしょう」と・・・
半ば強制的に約束させられた彼は「気分転換には丁度良いか・・・」と考えたのだった。
彼女は彼の病気の事などまるで知らない。
何時も明るく天真爛漫な まさに山国の少女だった。
中学を卒業したらその駄菓子屋を継ぐのだと屈託無く話す。
母親は毎日その土地で取れた野菜を背中に背負って 下の街まで行商に行っているのだと・・・
そんな生活の中に幸せを感じて生きているのが彼には不思議に思えたのだった。
彼は貧乏と云う言葉さえ無縁のブルジョアの御曹司であったから。
彼女の足は速い。
病身の彼には付いて行けなかった。
時々立ち止まって「ちょっと待ってくれ」と息を弾ませ言ったものだ。
しかし連れて行かれたところは 川沿いの小鳥が集まる所であったり 丘の上から栗駒の山々が一望に見渡せる所であったり 実に素晴しい自然の風景であった。
そうした自然の中でいろんな話をした。
幸平は治るか治らないか判らない自分の病気の事を話した。
そして「もしかしたら君にも移るかもしれないよ」と・・・
彼女はケラケラ笑ながら「いいよ、そうしたら病気も半分っこになるよ」「そしたら絶対に治るよ」と事も無げに言ったのだった。
なるほど、そうした外出が多くなってから少しずつ身体が楽になってゆく。
旅館の食事も綺麗に平らげる様になった。
そんな時幸平の父親がひょっこりやって来た。
元気になった幸平を見て満足そうに喜んだ。
彼は淳子の事を詳しく話したのである。
ここまで元気になれたのも淳子のお陰であると・・・
だが父親は不快感をあらわにしたのである。
そして「貧乏人と付き合うと自分も貧乏臭くなる、あの娘が例え良い子であってもお前にはふさわしく無いな」と切り捨てる様に言って帰ったのだった。
しかし幸平にはこの山里で心を開いて話せる相手は 淳子を於いて他にはいなかったのである。
そして春が来た。
淳子は卒業して例の駄菓子屋を継いだ。
幸平も又 病気も癒え一緒に歩き回るのに苦痛を感じなくなった。
その頃になると話題も変わってきていた。
お互いの将来を語り合い少しずつではあるが 相手を異性として感じる様になって行ったのである。
しかしまだ幼い恋心ではあったが・・・
確実にその愛は育っていった。
だが現実は残酷である。
「もう大丈夫だろう」
父親の一言で東京に戻る事になった幸平は「必ず迎えに来るから・・・卒業するまで待ってろよ」と何度も淳子に言い聞かせ列車の人となったのである。
学校に戻った幸平は 夏休み冬休みはおろか事あるごとにこの小さな駅に降り立った。
勿論淳子に会いにである。
唯 手をつないで歩くだけで幸平は幸せを感じていたのである。
この思いは淳子も同じであった。
が、町の人達はそんな二人の純愛を信じてはいなかった。
何時の間にか「あの二人は出来てる」「淳子は遊ばれているんだ」「それも知らないで親も親だ」と噂が勝手に一人歩きして好奇の眼で見られる様になってしまったのである。
両親もその噂に耐え切れずついに交際を禁じたのであった。
幸平も淳子も一生懸命疚しい関係でない事を説明したが無駄な事だった。
田舎の、それも小さな温泉町の事である。
判れと言う方が無理な話である。
そこで彼らは相談して密かに湯沢市で会う事にしたのだった。
彼は真新しいマークⅡに乗り温泉町のはずれで彼女を乗せいろんな所をドライブして廻った。
幸平は密かに彼女との結婚を夢見ていた。
そして淳子にこう言った。
「俺と一緒の道を歩いてくれるか?」
淳子は嬉しかった。
そっとギアーを握る幸平の手に自分の手を乗せ幸せを噛み締めていた。
そして秘密のデートをする様になって二年後の夏、初めてのキッスを交わしたのであった。
唇と唇を合わせるだけで幸せは倍増し天国にでも居る様な気がしたのであった。
それからの幸平はまるで人が代わった様に積極的になって行ったのである。
今までの消極的な性格は消え全てに積極的に行動する様になって行った。
大学での態度も自信に溢れアクティブに変わり同輩達もその変貌ぶりに驚いた位だった。
幼少の頃からひ弱な息子の変わり様に父親も喜んでいた。
が その原因が淳子の支え在ってこそとは知る由も無かったのだ。
「良い跡継ぎが出来たわい」
父親は自分の後継者に多いに満足していた。
それから暫くして二人は結ばれた。
ドライブの途中、ふとしたきっかけで国道筋から離れて走った先にモーテルの看板が眼に付いたのだった。
彼は了解を取るべきかどうか一瞬迷ったが 黙って微笑む彼女に聞くのも恥ずかしかったのである。
車は滑る様に暖簾をくぐって駐車場に入った。
彼も彼女も始めての経験だった。
二人は上気した顔で肩を寄せ合い恥ずかしそうに入って行ったのだった。
少しの間おずおずとしていた彼女は大きなベッドに驚きその上でトランボリンに乗る様に跳ね回ったのである。
幸平はテレビのスイッチをひねった。
すると思わぬ画面が飛び出してきたのだ。
話には聞いていたが【男女が絡み合っている】驚いてスイッチを切ったのである。
暫くはこの異次元の部屋の探検をした。
何しろ二人ともこんな場所は初めて入る全く知らない別世界である。
風呂は泡立ちお湯が踊っている、ベッドは回転し ライトが赤、ピンク、紫と代わる。
何もかも珍しい事ばかりであった。
そうした時、幸平は今まで感じた事の無い異常な興奮に見舞われていた。
№ 3
それはこの部屋に入った時から予感はしていたが、現実に彼女と一緒に居る事で理性は吹っ飛んでしまっていた。
ましてや若い雌鹿の様な野性的な彼女の肢体を見る事も始めての事・・・
しかし彼には大きな悩みがあった。
時々夜中にパンツを濡らす、それもヌルッとした気持ちの悪い液体(夢精)をであった。
彼は病気ではないかと悩み苦しんでいたのだ。
恥ずかしくて両親はおろか弟にも友人にも言えなかった。
病院で診て貰おうとも思ったがそれも出来なかったのである。
キャンバスでは友人達が「あの女はどう この子はどうかな」等と話をしていたが彼は決してそうした話の輪に入って行かなかった。
何時も経営学の本を読み横目でそれを見ているに過ぎなかったのである。
だからそれが健康な男の自然な事だとは解っていなかったのだった。
しかし一緒に風呂に入ろうとした時その病気が始まってしまったのである。
慌てて股間を洗い 見られる事無く湯船につかった訳であるが若い彼はすぐ正常に戻っていたのだった。
「優しくしてね」恥ずかしそうに言う彼女の言葉も上の空で聞き 夢中で彼女にしがみ付いていった。
そして幸平は『おとこ』になり淳子は『おんな』になったのである。
シーツに付いた血を見ながら彼女は うっすらと涙を浮かべていた。
しかしこのセックスは淳子にとって決して気持ちの良いものではなかった。
唯 痛さだけが先走り本当の喜びを知るのはまだ先の事ではあったが、結ばれたと云う喜こびと充実感は彼女の全身と心に満ち溢れ ふらつく足には羽が生えた様に思えたのであった。
胸から腰にかけて幾つものキッスマークに「恥ずかしい」と潤んだ瞳で答えたのだった。
それからのデートは二人にとって より深い愛をはぐくむものとなって行ったのである。
幸平は卒業と同時に父親の会社で働く様になった。
彼は何時父親に淳子の事を話そうか機会を伺っていたがなかなか切り出す事が出来ないでいた。
淳子も又彼を信じてその日を待っていたのである。
そうした時、淳子は妊娠した。
意を決して彼は父親に「どうしても彼女と一緒に暮らしたいんだ」と必死に説得した。
激怒した父親は密かに彼女の家を訪ね両親と話し合いを持ったのだった。
もう七ヶ月になっていた彼女は堕ろす機会を失って 生むより道は残されていなかったのである。
両親との会談は彼女には知らされていなかった。
幸平は結婚はおろか 子供の認知さえ許されなかったのである。
「きっと解って貰える日が来る、待っていてくれ」
そう手紙に認めて送った。
しかし幸平に待っていたのは同じ系列会社の社長の娘との縁談であった。
政略結婚である。
今の時代では考えられないがその時代 父親の権力は絶対のものであったのだ。
断る事は出来なかった。
幸平は密かに病院に行き婚約成立後『パイプカット』を行ったのである。
「自分の愛した女性は唯一人、淳子であり幸せを願い付けられた我が子『幸子』の為に もう子供は作るまい」
決意の表れであった。
そして淳子との交信も途絶えたのである。
一方淳子は「父親の判らぬ子を産んだ」と町で噂の種となり肩身の狭い生活を余儀なくされていた。
だが父も母も何も言わない。
母親は行商を止め比較的裕福な暮らしに変わっていた。
幸子が小学校に入学する頃 親友の父親から「お前の両親は松井商事の社長から幾ら貰ったんだ」と聞かれた。
愕然とした彼女は両親を問い詰めた。
案の定、この町でちょっとした豪邸が建つ程の金を受け取り彼女には何も知らされていなかったのである。
絶望のあまり家を飛び出しこの町を捨てたのであった。
そして岩手県久慈市の旅館で働きながら幸子と共にひっそりと暮らし始めたのである
№ 4
幸平は、愛の無い生活の中で 唯仕事のみに生き甲斐を見出そうとしてた。
だがしかし何時まで経っても子供が出来ない。
両親も妻の親たちも 顔を合わせるごとに子供が出来ない事を攻めた。
毎日が砂を噛む様な生活が続いたのである。
幸平はついに切れた。
「当たり前だ、私は愛した人の子しか作らない」「その子は今頃 もう中学生になっているだろう」
妻は怒りを露にして去っていった、可哀想だとは思ったが妻にも結婚前から好きな人が居た・・・と云うより現在も続いて付き合っている事を彼は知っていたのだ。
両親と会社への反逆でもあった。
そして大手の商事会社に就職したのである。
仕事に関しては非常に有能な彼は瞬く間に頭角を現し 海外の支店を次々と拡張していったのであった。
休む間も無く働き続けた・・・
これは余談ではあるがアフリカに企業開拓に行った時の事である。
社員が「ここでは何も売れませんよ、裸で歩き裸足で歩いている、靴もシャツも電化製品も縁の無い生活してるんですから」と・・・
幸平は一括した「だから市場は無限なんだ、彼らに靴を履かせシャツを着せ文化的な生活の便利さを教えてやれ!」と・・・・
どんな所でも無限の市場なんだと陣頭に立って市場開拓をした。
会社は大きく世界に羽ばたいて日本でも有数の優良企業にのし上がったのである。
彼も世界各地での支社長を歴任し、何れは東京本社の社長になる男と誰もが思っていた。
だが彼は全てを捨て退職したのである。
そして還暦を迎えたのである。
いろいろな会社からヘッドハンティングに来た。
又会社も彼の引き止めに必死だった・・・が・・・
「大きな落し物をしたんだよ、それをどうしても捜したいんだ」と断って退職したのだった。
どうしてあの時 今の勇気が出せなかったんだろう。
後悔と無力感が何時も付いて廻って彼を苛んだのであった。
そして淳子の歩いた道程を片っ端から調べて行ったのであった。
「すみません、此方に和泉さんと云う方はいらっしゃるでしょうか」
久慈の『琥珀店』で幸平は尋ねた。
「はい、私が和泉ですけど・・・何か?」
面差しが何処か似ている・・・
幸平は確信した。
「幸子・・・さんですか、お母さんの淳子さんにお会いしたいのですが」
「どなた様でしょうか、母の名をご存知の方とは・・・」
そして はっとした様な顔をして「母は今おりませんが何かご用で」と険しい顔で答えたのであった。
「あー やっぱり幸子か、立派な店をやってるじゃないか、で お母さんは?」
「何処のどなた様か知りませんが呼び捨てにされる謂れはありません」「お帰りください」
冷たく追い返されたのであった。
光るものが頬をつたって流れた。
幸子も店の戸を閉めるなり柱にもたれて嗚咽したのであった。
会いたかった、父がすぐ近くに居る。
が 今までほって置いた恨めしさ 憎さもある。
名刺と宿の名を書いた紙切れを見つめながら泣き続けた。
悄然と帰った幸平は 宿の便箋を借り淳子に宛て、今までの無礼を詫びると共に自分の歩んで来た道を詳しく書いたのである。
彼は一日中部屋の窓から見下ろす久慈の街を見詰めていた。
何としてでも淳子に会いたい。
そして幸子にも・・・
例え嫌われてもいい・・・一度でいいから「お父さん」と呼んで欲しかったのである。
夕方になり手荷物を整理して翌朝の出立を考えていた時 宿の女将が「和泉さんと言う方がいらっしゃっていますけどお会いになりますか」と・・・
階段を降りるのももどかしく駆け下り玄関のロビーに向かったのである。
そこには一昨日会った幸子が背中越しにソファーに身体を小さくして座っていた。
淳子では無かったのである。
失望した彼は「あなたでしたか、一昨日は失礼しました」と答えるに留まった。
「お父さん・・・」振り向いた彼女の眼には一杯涙を湛えていた。
「先日はごめんなさい、あまり突然の事で何を言っていいか判らなくて」「明日一緒にお母さんに会いに行ってくれますか?」
「いや、私こそ、いきなり驚かせて済まなかった」「お母さん いや淳子は病気なのか?」「それとも何か来られない訳でも有るの・・・?」
「明日来て頂ければ判ります」と一冊の分厚いファイルブックを手渡したのであった。
幸平も昨夜認めた手紙を「これを淳子に・・・」と手渡したのであったのだ。
その夜は興奮のあまり一睡も出来なかった。
ファイルを一枚一枚めくってゆく、そこには幸平が海外で活躍してた頃の新聞の切り抜き、経済界の雑誌に載った記事、写真などがびっしり貼ってあった。
所々に「愛するあなた、頑張ってね」「今何処で活躍してるのかなー」等と書かれていた。
そして終わりには「わたしの幸平、いついつまでも待ってるよ」と・・・・
彼は胸が熱くなりファイルに顔を埋めて泣き続けたのであった。
翌朝幸子はワゴン車で迎えに来た。
運転は幸子の夫の雅比呂が、その隣には幸平の孫の(久蔵)が そして幸子の膝の上には赤ちゃんの(翔子)が・・・
車は栗駒山系の麓に向かっていた。
紅葉の先に栗駒山系が新雪を頂いて美しく輝いていた。
幸子は「ほら、あなたたちのお爺ちゃんだよ」と先日までの硬い表情とは打って変わって笑顔を湛えてはしゃいでいたのである。
「やっと念願のお父さんに会えたな」運転席から雅比呂の声がした。
彼はこの街 久慈市で琥珀の加工職人をしていると云う。
それを幸子が駅の近くに店を構え 売っているのだそうだ。
山の麓で車を降り「積もる話もあるだろう、夕方迎えに来るからゆっくり話でもしておいで」と去って行った。
幸平は眼で淳子を捜したが何処にもいない。
「幸子、淳子は・・・?」
「もう少し上よ」少し歩くと墓地が見えてきた。
「まさか?」
「そう、お母さんは去年亡くなったの、最後まできっとお父さんの帰りを待ってたのよ」
幸平は絶句して何も言えなかった。
後から後から涙が出て止まらなかった。
「お父さんは本当に愛していたのね、悪いと思ったけどお母さんの代わりに読ませて頂いたわ」「だってお父さんの子供は私一人っきりだもんね、再婚の機会もあったんでしょう?」
「いや、全く無かったよ」涙の中で笑いながらそう言ったのである。
「お父さん、これから たまには東京に行ってもいいかなー」
「うんうん、大歓迎だよ、孫も連れてな」
そう幸平は喜んで答えたのだった。
ー追憶 完ー
№ 1
春まだ浅き日、男は山間の東北の無人駅に降り立った。
「昔とあまり変わっちゃいないな」小さく呟きゆっくりと歩き始めた。
そして大して流行っても居ない古ぼけた旅館の門をくぐった。
来客もそう多くない宿に 突然の予約なしの客である。
身なりも悪くない。
宿の主人は久しぶりの客に喜び 揉み手をして愛想を振りまいたのであった。
「『紅葉の間』は空いているかな」
「ええ、お客様は以前お見えになった事がおありで・・・?」
代替わりした主人はこの男の事を知る由もなかった。
「うん若い頃ちょっとな」
部屋に通された男は懐かしそうに辺りを見渡した。
部屋の調度品は 新しいものに変わってはいたが 窓の外には雪をかぶった栗駒山系が広がって昔の姿そのままであった。
暫くその風景を眺めて何か感慨にふけっている様子だった。
が コートを脱ぎ厚手のセーターに着替え 男は宿の下駄を借り まだ残雪の残る道を川下の方に歩いていった。
男の名は松井幸平、先日まで大手商社に勤め海外生活も長く なかなか来たいと思ってもその機会も無く今日に至ってしまっていたと云う訳だ。
「いやー 昔とちっとも変わっていませんなー」
宿の主人は「この辺は随分過疎化が進み町の人達も年寄りばかりになりましたからね」「若者は皆 東京方面に出て行きますからもう発展する事はありませんよ」
「ところでお客様は何時頃ここにいらっしゃったんで?」
「うん、学生時代にちょっとね」「ところでこの前に駄菓子屋があったはずだが・・・」
「ええ、もう二十年ばかりになりますか、火事を出しましてね 一家離散の憂き目になり何処へ行ったのか・・・」「お客さんは何かゆかりの方ですか・・・?」
男は無言のまま聞いていたが その返事をする事なく部屋に戻ったのである。
実は幸平には若い頃、この温泉町が辛くて甘い青春の地だったのだ。
終戦の混乱期も過ぎ世の中が落ち着きを取り戻した頃、大学生であった幸平は胸を患い転地療養を余儀なくされた。
その二年余りの滞在が彼の人生を大きく変えたのである。
それから四十年、自由の身となった今、どうしても会いたい人が居た。
彼の思い出と共に人生を左右した人に・・・・
だがその人は何処に行ったのか皆目見当がつかない。
幸平は昔の事を知ってる人から捜さなければならなかった。
何しろ半世紀近くも前の事である。
幸いに駅前の みやげ物売り場の老婆が その駄菓子屋の事を覚えていた。
が、火事の後 隣町に移り住んだところまでは判ったがその後の事は知らないと言う。
幸平はタクシーを拾い教えられた住所まで足を伸ばした。
そして町役場に行き現在何処に住んでるかを聞いたのである。
彼の捜している相手とは『和泉淳子』
青春時代燃える様な恋をし、療養中の彼を励まし続けてくれた そして彼が心ならずも裏切った女性であった。
№ 2
日本が高度成長期に入って暫くの後 一流大学に入学し前途洋々の彼を襲った病魔は当時にはまだ不治の病と言われていた結核だった。
彼の父親は手術を選ぶ事無く転地療養の道を選択したのである。
「空気の綺麗な所で長期の療養をすれば必ず治る」と信じて・・・
彼は絶望の淵に立たされていた。
父親の跡を継ぎ 世界に冠たる立派な会社に育てようと夢に描き 当時としては珍しく家庭教師もつけて貰い 幼少の頃から英才教育を受けてきた彼にはこの病気は全てを奪い取るものに感じたのである。
転地先の宿からは何時も栗駒の山々が見えた。
鬱々とした気持ちで外へ出たところ、前の駄菓子屋から勢い良く飛び出して来た少女とぶつかったのである。
「あっ、ごめんねお兄ちゃん」よろける彼にその少女は声を残し何処かへ走り去って行った。
彼は走る事さえ出来ない己に腹を立てたのだった。
それから数日の後、何と無くその駄菓子屋の暖簾をくぐった。
決して高級とはいえない だが珍しいこの土地の菓子が所狭しと雑然と並んでいる。
商売っ気の無さそうな不精髭を生やした親父が奥から出てきた。
と同時に表から「いらっしゃーい」「あっ、この前のお兄ちゃんだ」との声が響いた。
親父は何も言わずに奥に引っ込んでしまった。
「この前はごめんね、前の旅館に泊まっているんでしょう、随分長い様だけど ここ好きなの?」
屈託の無い声でそう聞いてきた。
「うん、特別好きでも無いがまあ悪い所でもないかな」彼は曖昧に答えたのである。
棒飴を二本新聞紙に包み「はい」と渡され「今度この町の綺麗なところ連れて行ってあげるよ」「何時も旅館の中だけではつまんないでしょう」と・・・
半ば強制的に約束させられた彼は「気分転換には丁度良いか・・・」と考えたのだった。
彼女は彼の病気の事などまるで知らない。
何時も明るく天真爛漫な まさに山国の少女だった。
中学を卒業したらその駄菓子屋を継ぐのだと屈託無く話す。
母親は毎日その土地で取れた野菜を背中に背負って 下の街まで行商に行っているのだと・・・
そんな生活の中に幸せを感じて生きているのが彼には不思議に思えたのだった。
彼は貧乏と云う言葉さえ無縁のブルジョアの御曹司であったから。
彼女の足は速い。
病身の彼には付いて行けなかった。
時々立ち止まって「ちょっと待ってくれ」と息を弾ませ言ったものだ。
しかし連れて行かれたところは 川沿いの小鳥が集まる所であったり 丘の上から栗駒の山々が一望に見渡せる所であったり 実に素晴しい自然の風景であった。
そうした自然の中でいろんな話をした。
幸平は治るか治らないか判らない自分の病気の事を話した。
そして「もしかしたら君にも移るかもしれないよ」と・・・
彼女はケラケラ笑ながら「いいよ、そうしたら病気も半分っこになるよ」「そしたら絶対に治るよ」と事も無げに言ったのだった。
なるほど、そうした外出が多くなってから少しずつ身体が楽になってゆく。
旅館の食事も綺麗に平らげる様になった。
そんな時幸平の父親がひょっこりやって来た。
元気になった幸平を見て満足そうに喜んだ。
彼は淳子の事を詳しく話したのである。
ここまで元気になれたのも淳子のお陰であると・・・
だが父親は不快感をあらわにしたのである。
そして「貧乏人と付き合うと自分も貧乏臭くなる、あの娘が例え良い子であってもお前にはふさわしく無いな」と切り捨てる様に言って帰ったのだった。
しかし幸平にはこの山里で心を開いて話せる相手は 淳子を於いて他にはいなかったのである。
そして春が来た。
淳子は卒業して例の駄菓子屋を継いだ。
幸平も又 病気も癒え一緒に歩き回るのに苦痛を感じなくなった。
その頃になると話題も変わってきていた。
お互いの将来を語り合い少しずつではあるが 相手を異性として感じる様になって行ったのである。
しかしまだ幼い恋心ではあったが・・・
確実にその愛は育っていった。
だが現実は残酷である。
「もう大丈夫だろう」
父親の一言で東京に戻る事になった幸平は「必ず迎えに来るから・・・卒業するまで待ってろよ」と何度も淳子に言い聞かせ列車の人となったのである。
学校に戻った幸平は 夏休み冬休みはおろか事あるごとにこの小さな駅に降り立った。
勿論淳子に会いにである。
唯 手をつないで歩くだけで幸平は幸せを感じていたのである。
この思いは淳子も同じであった。
が、町の人達はそんな二人の純愛を信じてはいなかった。
何時の間にか「あの二人は出来てる」「淳子は遊ばれているんだ」「それも知らないで親も親だ」と噂が勝手に一人歩きして好奇の眼で見られる様になってしまったのである。
両親もその噂に耐え切れずついに交際を禁じたのであった。
幸平も淳子も一生懸命疚しい関係でない事を説明したが無駄な事だった。
田舎の、それも小さな温泉町の事である。
判れと言う方が無理な話である。
そこで彼らは相談して密かに湯沢市で会う事にしたのだった。
彼は真新しいマークⅡに乗り温泉町のはずれで彼女を乗せいろんな所をドライブして廻った。
幸平は密かに彼女との結婚を夢見ていた。
そして淳子にこう言った。
「俺と一緒の道を歩いてくれるか?」
淳子は嬉しかった。
そっとギアーを握る幸平の手に自分の手を乗せ幸せを噛み締めていた。
そして秘密のデートをする様になって二年後の夏、初めてのキッスを交わしたのであった。
唇と唇を合わせるだけで幸せは倍増し天国にでも居る様な気がしたのであった。
それからの幸平はまるで人が代わった様に積極的になって行ったのである。
今までの消極的な性格は消え全てに積極的に行動する様になって行った。
大学での態度も自信に溢れアクティブに変わり同輩達もその変貌ぶりに驚いた位だった。
幼少の頃からひ弱な息子の変わり様に父親も喜んでいた。
が その原因が淳子の支え在ってこそとは知る由も無かったのだ。
「良い跡継ぎが出来たわい」
父親は自分の後継者に多いに満足していた。
それから暫くして二人は結ばれた。
ドライブの途中、ふとしたきっかけで国道筋から離れて走った先にモーテルの看板が眼に付いたのだった。
彼は了解を取るべきかどうか一瞬迷ったが 黙って微笑む彼女に聞くのも恥ずかしかったのである。
車は滑る様に暖簾をくぐって駐車場に入った。
彼も彼女も始めての経験だった。
二人は上気した顔で肩を寄せ合い恥ずかしそうに入って行ったのだった。
少しの間おずおずとしていた彼女は大きなベッドに驚きその上でトランボリンに乗る様に跳ね回ったのである。
幸平はテレビのスイッチをひねった。
すると思わぬ画面が飛び出してきたのだ。
話には聞いていたが【男女が絡み合っている】驚いてスイッチを切ったのである。
暫くはこの異次元の部屋の探検をした。
何しろ二人ともこんな場所は初めて入る全く知らない別世界である。
風呂は泡立ちお湯が踊っている、ベッドは回転し ライトが赤、ピンク、紫と代わる。
何もかも珍しい事ばかりであった。
そうした時、幸平は今まで感じた事の無い異常な興奮に見舞われていた。
№ 3
それはこの部屋に入った時から予感はしていたが、現実に彼女と一緒に居る事で理性は吹っ飛んでしまっていた。
ましてや若い雌鹿の様な野性的な彼女の肢体を見る事も始めての事・・・
しかし彼には大きな悩みがあった。
時々夜中にパンツを濡らす、それもヌルッとした気持ちの悪い液体(夢精)をであった。
彼は病気ではないかと悩み苦しんでいたのだ。
恥ずかしくて両親はおろか弟にも友人にも言えなかった。
病院で診て貰おうとも思ったがそれも出来なかったのである。
キャンバスでは友人達が「あの女はどう この子はどうかな」等と話をしていたが彼は決してそうした話の輪に入って行かなかった。
何時も経営学の本を読み横目でそれを見ているに過ぎなかったのである。
だからそれが健康な男の自然な事だとは解っていなかったのだった。
しかし一緒に風呂に入ろうとした時その病気が始まってしまったのである。
慌てて股間を洗い 見られる事無く湯船につかった訳であるが若い彼はすぐ正常に戻っていたのだった。
「優しくしてね」恥ずかしそうに言う彼女の言葉も上の空で聞き 夢中で彼女にしがみ付いていった。
そして幸平は『おとこ』になり淳子は『おんな』になったのである。
シーツに付いた血を見ながら彼女は うっすらと涙を浮かべていた。
しかしこのセックスは淳子にとって決して気持ちの良いものではなかった。
唯 痛さだけが先走り本当の喜びを知るのはまだ先の事ではあったが、結ばれたと云う喜こびと充実感は彼女の全身と心に満ち溢れ ふらつく足には羽が生えた様に思えたのであった。
胸から腰にかけて幾つものキッスマークに「恥ずかしい」と潤んだ瞳で答えたのだった。
それからのデートは二人にとって より深い愛をはぐくむものとなって行ったのである。
幸平は卒業と同時に父親の会社で働く様になった。
彼は何時父親に淳子の事を話そうか機会を伺っていたがなかなか切り出す事が出来ないでいた。
淳子も又彼を信じてその日を待っていたのである。
そうした時、淳子は妊娠した。
意を決して彼は父親に「どうしても彼女と一緒に暮らしたいんだ」と必死に説得した。
激怒した父親は密かに彼女の家を訪ね両親と話し合いを持ったのだった。
もう七ヶ月になっていた彼女は堕ろす機会を失って 生むより道は残されていなかったのである。
両親との会談は彼女には知らされていなかった。
幸平は結婚はおろか 子供の認知さえ許されなかったのである。
「きっと解って貰える日が来る、待っていてくれ」
そう手紙に認めて送った。
しかし幸平に待っていたのは同じ系列会社の社長の娘との縁談であった。
政略結婚である。
今の時代では考えられないがその時代 父親の権力は絶対のものであったのだ。
断る事は出来なかった。
幸平は密かに病院に行き婚約成立後『パイプカット』を行ったのである。
「自分の愛した女性は唯一人、淳子であり幸せを願い付けられた我が子『幸子』の為に もう子供は作るまい」
決意の表れであった。
そして淳子との交信も途絶えたのである。
一方淳子は「父親の判らぬ子を産んだ」と町で噂の種となり肩身の狭い生活を余儀なくされていた。
だが父も母も何も言わない。
母親は行商を止め比較的裕福な暮らしに変わっていた。
幸子が小学校に入学する頃 親友の父親から「お前の両親は松井商事の社長から幾ら貰ったんだ」と聞かれた。
愕然とした彼女は両親を問い詰めた。
案の定、この町でちょっとした豪邸が建つ程の金を受け取り彼女には何も知らされていなかったのである。
絶望のあまり家を飛び出しこの町を捨てたのであった。
そして岩手県久慈市の旅館で働きながら幸子と共にひっそりと暮らし始めたのである
№ 4
幸平は、愛の無い生活の中で 唯仕事のみに生き甲斐を見出そうとしてた。
だがしかし何時まで経っても子供が出来ない。
両親も妻の親たちも 顔を合わせるごとに子供が出来ない事を攻めた。
毎日が砂を噛む様な生活が続いたのである。
幸平はついに切れた。
「当たり前だ、私は愛した人の子しか作らない」「その子は今頃 もう中学生になっているだろう」
妻は怒りを露にして去っていった、可哀想だとは思ったが妻にも結婚前から好きな人が居た・・・と云うより現在も続いて付き合っている事を彼は知っていたのだ。
両親と会社への反逆でもあった。
そして大手の商事会社に就職したのである。
仕事に関しては非常に有能な彼は瞬く間に頭角を現し 海外の支店を次々と拡張していったのであった。
休む間も無く働き続けた・・・
これは余談ではあるがアフリカに企業開拓に行った時の事である。
社員が「ここでは何も売れませんよ、裸で歩き裸足で歩いている、靴もシャツも電化製品も縁の無い生活してるんですから」と・・・
幸平は一括した「だから市場は無限なんだ、彼らに靴を履かせシャツを着せ文化的な生活の便利さを教えてやれ!」と・・・・
どんな所でも無限の市場なんだと陣頭に立って市場開拓をした。
会社は大きく世界に羽ばたいて日本でも有数の優良企業にのし上がったのである。
彼も世界各地での支社長を歴任し、何れは東京本社の社長になる男と誰もが思っていた。
だが彼は全てを捨て退職したのである。
そして還暦を迎えたのである。
いろいろな会社からヘッドハンティングに来た。
又会社も彼の引き止めに必死だった・・・が・・・
「大きな落し物をしたんだよ、それをどうしても捜したいんだ」と断って退職したのだった。
どうしてあの時 今の勇気が出せなかったんだろう。
後悔と無力感が何時も付いて廻って彼を苛んだのであった。
そして淳子の歩いた道程を片っ端から調べて行ったのであった。
「すみません、此方に和泉さんと云う方はいらっしゃるでしょうか」
久慈の『琥珀店』で幸平は尋ねた。
「はい、私が和泉ですけど・・・何か?」
面差しが何処か似ている・・・
幸平は確信した。
「幸子・・・さんですか、お母さんの淳子さんにお会いしたいのですが」
「どなた様でしょうか、母の名をご存知の方とは・・・」
そして はっとした様な顔をして「母は今おりませんが何かご用で」と険しい顔で答えたのであった。
「あー やっぱり幸子か、立派な店をやってるじゃないか、で お母さんは?」
「何処のどなた様か知りませんが呼び捨てにされる謂れはありません」「お帰りください」
冷たく追い返されたのであった。
光るものが頬をつたって流れた。
幸子も店の戸を閉めるなり柱にもたれて嗚咽したのであった。
会いたかった、父がすぐ近くに居る。
が 今までほって置いた恨めしさ 憎さもある。
名刺と宿の名を書いた紙切れを見つめながら泣き続けた。
悄然と帰った幸平は 宿の便箋を借り淳子に宛て、今までの無礼を詫びると共に自分の歩んで来た道を詳しく書いたのである。
彼は一日中部屋の窓から見下ろす久慈の街を見詰めていた。
何としてでも淳子に会いたい。
そして幸子にも・・・
例え嫌われてもいい・・・一度でいいから「お父さん」と呼んで欲しかったのである。
夕方になり手荷物を整理して翌朝の出立を考えていた時 宿の女将が「和泉さんと言う方がいらっしゃっていますけどお会いになりますか」と・・・
階段を降りるのももどかしく駆け下り玄関のロビーに向かったのである。
そこには一昨日会った幸子が背中越しにソファーに身体を小さくして座っていた。
淳子では無かったのである。
失望した彼は「あなたでしたか、一昨日は失礼しました」と答えるに留まった。
「お父さん・・・」振り向いた彼女の眼には一杯涙を湛えていた。
「先日はごめんなさい、あまり突然の事で何を言っていいか判らなくて」「明日一緒にお母さんに会いに行ってくれますか?」
「いや、私こそ、いきなり驚かせて済まなかった」「お母さん いや淳子は病気なのか?」「それとも何か来られない訳でも有るの・・・?」
「明日来て頂ければ判ります」と一冊の分厚いファイルブックを手渡したのであった。
幸平も昨夜認めた手紙を「これを淳子に・・・」と手渡したのであったのだ。
その夜は興奮のあまり一睡も出来なかった。
ファイルを一枚一枚めくってゆく、そこには幸平が海外で活躍してた頃の新聞の切り抜き、経済界の雑誌に載った記事、写真などがびっしり貼ってあった。
所々に「愛するあなた、頑張ってね」「今何処で活躍してるのかなー」等と書かれていた。
そして終わりには「わたしの幸平、いついつまでも待ってるよ」と・・・・
彼は胸が熱くなりファイルに顔を埋めて泣き続けたのであった。
翌朝幸子はワゴン車で迎えに来た。
運転は幸子の夫の雅比呂が、その隣には幸平の孫の(久蔵)が そして幸子の膝の上には赤ちゃんの(翔子)が・・・
車は栗駒山系の麓に向かっていた。
紅葉の先に栗駒山系が新雪を頂いて美しく輝いていた。
幸子は「ほら、あなたたちのお爺ちゃんだよ」と先日までの硬い表情とは打って変わって笑顔を湛えてはしゃいでいたのである。
「やっと念願のお父さんに会えたな」運転席から雅比呂の声がした。
彼はこの街 久慈市で琥珀の加工職人をしていると云う。
それを幸子が駅の近くに店を構え 売っているのだそうだ。
山の麓で車を降り「積もる話もあるだろう、夕方迎えに来るからゆっくり話でもしておいで」と去って行った。
幸平は眼で淳子を捜したが何処にもいない。
「幸子、淳子は・・・?」
「もう少し上よ」少し歩くと墓地が見えてきた。
「まさか?」
「そう、お母さんは去年亡くなったの、最後まできっとお父さんの帰りを待ってたのよ」
幸平は絶句して何も言えなかった。
後から後から涙が出て止まらなかった。
「お父さんは本当に愛していたのね、悪いと思ったけどお母さんの代わりに読ませて頂いたわ」「だってお父さんの子供は私一人っきりだもんね、再婚の機会もあったんでしょう?」
「いや、全く無かったよ」涙の中で笑いながらそう言ったのである。
「お父さん、これから たまには東京に行ってもいいかなー」
「うんうん、大歓迎だよ、孫も連れてな」
そう幸平は喜んで答えたのだった。
ー追憶 完ー