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『唄い屋』

2015年01月21日
『唄い屋サブ』

「№ 1」  
この公園に住み始めてどの位になるのだろう。
遠く沈み行く太陽を見つめぼんやりと考えた。
彼の名は柴田三郎。
ダンボールの小さな小屋に住み毎日食料を求めて街を徘徊する。
故郷では年老いた母親が居るにはいるが帰る訳にはゆかない。
毎年盆と正月には帰って元気な姿を見せて喜ばせていたが・・・
今年も帰りたくとも帰る訳にはゆかない。
猫の額ほどの畑を耕し俺の帰りを待ってるだろうけど・・・
故郷の山や川・・・皆待っているだろうけど。
暮れなずむ空を見つめてため息をついた。
人は俺達を『ホームレス、路上生活者』と呼ぶ。
だが最初からこんな生活をしていた訳ではない。
何がどう狂ったのか解らん。
全てはバブル崩壊から始まる。
かっては大手商社の営業マンとしてそこそこ活躍していたのだが。
だが会社の業績悪化と共に多くの仲間と一緒にリストラの嵐に巻き込まれた。
[業務再生の名の下]で部下の何名かの首切を命令されたのである。
辛い日々だった。
一緒に頑張った同士を会社の為とはいえその彼が肩叩きをしなければならないとは・・・
涙を呑んで、心を鬼にして一人ひとり説得に廻ったのである。
しかしその後に待っていたのは彼への解雇通知だった。
会社とはこんなに冷たいものなのか・・・・
腹も立ったが従わざるを得なかった。
彼には妻も子もいる いや居たと云うのが正しいだろう。
再就職の為にハローワークも行った。
友人を頼ってもみたが仕事にありつくのは難しいものだった。
まして多くの仲間の首を切った彼への風当たりは相当強いものだった。
企業戦士として夜昼無く働いて来たのだったが・・・・
失業と共に妻は離婚を切り出した。
「俺の稼いだ金、家を慰謝料として要求して」さっさと去って行ったのだ。
なけなしの金でアパートを借りて仕事を探す日々が続いたが全ては徒労に終わった。
電気、ガスも止められ家賃も支払う事が出来なくなりついに追い出される羽目になってしまった。
「俺が何か悪い事したか! 唯ひたすら会社の為に努力してきたのに」
「何故だ・・・? どう考えてもおかしい」
只 現在日本全国リストラの嵐が吹き荒れ失業者が溢れたのは確かだ。
ふらふらと上野公園に来てみた。


「№ 2」  
そこには人目を避ける様にダンボール、ビニールシートで作った掘っ立て小屋が其処かしこにあった。
話を聞いてみるとそれぞれ事情があり社会からはじき出された連中が 肩を寄せ合い暮らしていると云う。
程なくして彼もその仲間に入っていった。
本位では無いが無一文の彼にはそうするより道は無かった・・・と思う。
唯一の財産といえば若い頃から慣れ親しんだギターだけである。
公園の片隅でギターを爪弾く。
侘しさが余計募る。
だが、こうでもしなければやり切れない。
ホームレスの仲間たちが集まって聴いてくれる。
こうして一日一日が過ぎて行くのであった。

彼等の朝は早い。
暗いうちからコンビニに行くのだ。
賞味期限切れの食べ物をゴミ箱の中から探すのである。
最初は抵抗感があって近ずく事さえ出来なかった。
そうだろう、つい最近まで大手企業の課長までした男が・・・ゴミ箱の中に首を突っ込んで食い物を漁ろうとは。
しかし生きて行く為には全てのプライドを捨てなければならない。
涙が滲んで消えた。
何の為に頑張って生きてきたのか?
唯ささやかな幸せを、家族を守る為に一生懸命下げたくもない頭も下げ会社の無理難題も聞いてやってきただけなのに。
彼はこんな世の中を恨んだ。
だがこの怒りは何処にぶっつける事が出来るのか?それも解らない。
苛付く彼に隣の住人が声をかけてきた。
「腹は寝かせて置きな、この生活も慣れればまんざら悪いもんでも無いぞ」
その男は元大学で教鞭を取っていたと云う。
「何もかも嫌になってな・・・」彼には理解出来なかった。
必死に仕事に打ち込んできた彼(サブ)にはその男の神経を疑った。
「何故恵まれた生活を捨てホームレスになった?」「疲れたんだよ・・・唯それだけだ」
此処に住む人間にはいろんな人に言えない訳があるものだ。
元配管工、根っからのフーテン、山谷から流れて来た者もいる。
無気力になり終日ぼんやりしてる者も居る。

秋風の吹く季節になった。
ダンボールの小屋は寒い。
有り合わせの衣類の重ね着をする。
それでも寒くて堪らぬ時もある。
これから冬になったらどうやって過ごすのか・・・サブは不安になった。
仲間の一人がゴミの中から汚れたシャツ、セーター等を拾ってきた。
「季節の変わる時には衣類を捨てる者も結構いるんだ」「早く行かないと他の者に取られてしまうぞ」
人の捨てた物を拾う、屈辱感が増す、しかしこれも生きて行く為には仕方が無いだろう。
サブも早朝から毛布、布団等暖を取る為に必要な物を拾って小屋に集めた。
「何故この俺が・・・」悔しさが募る。
一度公園の片隅でギターを弾いてみた。
チャリン・・・見上げると聴いてくれていた人が硬貨を眼の前に投げてくれていた。
サブは閃いた。
「そうだ、これが役に立つかも・・・」


「№ 3」  
「駅前の一角でギターの弾き語りをしよう。
きっと儲かるんじゃないか・・・!」
唄もまんざら嫌いではない。
会社にいた頃よくカラオケに行った。
そこでも皆に「巧いと言われていたっけ・・・」
夕方 人々が家路に着くころから出かけて行く事にした。
そして駅員の眼の届かない所を選んで弦を弾き鳴らす。
彼は矢沢、長淵の曲が十八番であったが時にはウエスタンも弾いた。
外国人が多いこの地区ではこれも必要だと思ったのだ。
案の定この目論みは当たった。
眼の前の空き缶に次々と硬貨が投げ入れられてゆく。
最初の日には500円ばかり儲かった。
終わった時は午前3時・・・・声は枯れ疲労困憊した。
「やれやれ金儲けも楽じゃない」サブはそうつぶやきながら充実感で一杯になりながら小屋に戻った。

しかし世の中そんな甘いものではなかった。
翌日もその翌日も全く人は集まらない。
わずかに酔っ払いが10円硬貨を二三枚入れてくれただけであった。
早朝の飯の調達も思う様にゆかない。
公園の水道水だけで一日過ごす日もあった。
「これでは駄目だ、もっと人の集まる所でやらなきゃ」「俺の唄を聴いてくれる人の多い所で歌おう」サブは考えた。
新宿、銀座ホコテン、渋谷あたりまで足をのばそう。
隣の教授に相談した。
そこにフーテンの辰夫も加わった。
唄の好きな辰夫は非常に乗り気で「どうしても仲間に入れてくれ」と言ってきたのだった。
「アイデアは良いが交通費はどうする?」「空き缶でも集めるか」
空き缶はアルミとして結構高く売れるのだ。
それからは暇のある限り缶を集める事にした。
コンビニも人より早く行って弁当は勿論だが食べられる物なら何でも拾ってきたのである。
時にはコンビニのカンのゴミ箱からアルミだけ集める場合もあった。
その甲斐あって何とか週二回ほどは路上ライブを開けるようになった。
銀座ホコテンで弦を力一杯鳴らす。
そして『とんぼ、家に帰ろう』と続く・・・・・
爆風の『ランナー』に曲が変わった時、期せずして手拍子が起こった。
一緒に歌う者も現れた。
教授が手振り面白く踊りまくる、フリーターの若い辰夫がボーカルを担当する。
路上ライブは大成功に終わったのであった。
ボロ服をまとい50歳代の彼には久しぶりの心からの笑顔がこぼれた。
誰の眼からもホームレスの姿には見えなかっただろう。
貧乏な中年アーティストに映ったに違いない。
久しぶりに湯気の立つラーメンを堂々と金を払って食べた。


「№ 4」  
時々不気味な若い男達が鉄パイプ、金属バットを持ってうろつく様になった。
教授は「一人で歩いては危険だ、集団でいないと駄目だな」と言った。
サブは「襲ってくるのか?」と聞いた。
まだ彼にはその男達がどんな目的で公園に来るのか理解出来ていなかったのだ。
間もなくその不安が的中した。
夜中 少し離れて暮らしていた仲間が襲われたのである。
それは凄惨なリンチだった。
意味も無く殴る蹴るの暴行を受けたのだ。
サブは猛烈な怒りを覚えた。
「我々も鉄パイプ位持って応戦しよう」
だが教授は「絶対に手を出してはならぬ、我々は住んではいけない所に暮らしているんだ」「すぐ警察は我々の方が悪いと決め付けてくる」「兎に角逃げる事だ」と・・・
襲われた二人は瀕死の重傷を負った。
犯人は近くでブラブラしてる中学生達だった。
無力感がサブ達に漂った。
やり切れない思いをぶっつける様にギターをかき鳴らしたのだった。
赤い夕日が泣いていた。

木枯らしの吹く季節になった。
寒さは日を追って厳しくなる。
公園の中では焚き火をする事も出来ない。
夜はだるまの様に着込んで寝た。
辰夫が何処からか石油ストーブを調達してきたが・・・肝心の灯油が無い。
一生懸命空き缶を集めた。
ハローワークに行ってみたが住所不定では相手にされない。
「俺には営業の仕事なら自信があるのに・・・・かくもこの世の中は冷たいものか・・・」
サブは益々落ち込んだ。

街ではジングルベルが鳴り響く。
別れた妻には未練はないが子供の顔が見たくなった。
「今の俺にはプレゼントも何も出来ないが」無性に会いたくなってくる。
「故郷の母親はどうしているだろう・・・病気はしてないか?俺の事どう思ってるか・・・?」
さみしい・・・無性に淋しくなってくる。

辰夫が一升瓶に二本灯油を調達してきた。
ストーブの灯りがまぶしく映った。
皆無言でそれぞれの人生の何処でボタンの掛け違いをしたのか考えているのか・・・
あるいは暖を取りながら自分の人生の不幸を嘆いているのか・・・静かな夜だった。


「№ 5」  
淋しい正月だった。
雑煮も何も無いひもじい正月である。
「どうだ景気付けに街にでも繰り出すか」教授の一声でギターを担いで新宿に出かけた。
正月気分も手伝って見入りは良い。中には千円札を入れてくれる人もいた。
いよいよ佳境に入った時警官たちがやって来た。
「おい、こんな所で歌っては駄目だ、すぐ止めろ」

彼等は早々に片付けて渋谷に向かったのである。
ここでもやはり同じ事であったが合計五千円以上になった。
彼等は考えた。
「ひとつの場所で長くやっては駄目だ、ゲリラ的に少しずつ場所を移そう」
警官が来る前に場所を変えてギターをかき鳴らす。
そんな生活にも慣れてきた頃 公園では悲しい出来事も起きた。
仲間の一人が凍死したのだ。
彼は涙でギターをかき鳴らした。

一時的にホームレスを仮設住宅に収容すると云う。
都の職員が来て小屋を撤去すると言ってきたのだ。
サブ達は必死に抵抗した。
何とかその場は収まったが・・・・・
「いずれは壊される運命だろうな」教授は冷めた目をしてそう言った。
「なあに、駅の構内でも他の公園もあるさ」誰かがそう言って空元気を出したが重苦しい空気が流れていた。


「№ 6」  
やがて春がやってくる。
教授が言った。
「さあ 稼ぎ時が来るぞ」もうすぐ花見のシーズンだ。
公園の花見客が場所取りに前日からやって来る。
あらかじめ適当な場所を取って置いてやるのだ。
すると千円~二千円と手間賃を払ってくれる。
これは相当の収入になるのだった。
ホームレスの皆は公園の裏手に回って目立たぬ場所に小屋を移して花見客の邪魔にならない様にして息を凝らせているのである。

夜も更けてくると客達は家路に着く。
食べ残したご馳走が山ほど集まる。
皆 久しぶりに美味しい酒も飲めると云うものだ。
10日ばかりはそうしたおこぼれに預かる事になる。
それからの季節は少しばかり楽しい事が多い。
美術館での展覧会が始まる。
早朝から地方からの搬入者がやってくる。
所謂絵描きさん達だ。
彼等は開園までの時間を持て余している。
中には声を掛けてくる人も・・・彼等はよくドリンクを欲しがる。
そして「ちょっと買ってきてくれないか」と使いを頼まれる。
つりは大抵チップとなるのだ。
ある日いろんな話をしていると「これでコーヒーとホットドッグを買ってきてくれ」と万札を渡された。
サブは簡単に金を渡して もし持ち逃げされたらどうするのか?と思った。
しかし教授は「信用を裏切ったらここでは暮らせなくなるぞ」と皆を戒めていた。
教授を頭にして皆それに従っていたのだった。

新緑の頃ともなると水道の水も冷たさが苦にならなくなった。
人気の無くなった頃を見計らって身体を洗う。
半年振りの身体の洗濯である。
垢がボロボロと落ちる。
さっぱりしたと云う様なものではない。
まさに生き返ったと云う形容が正しいのである。
着古した衣類までも洗いさっぱりとする。
公園の係員に見つからない様に洗濯物を干す。
これからが観光シーズンである。
公園も人でごった返す。

サブは思いっきり歌った。
毎日声が潰れる程歌いまくった。
ある時外国人の団体が来た。
サブは途端に曲目を変え『テネシーワルツ』を爪弾いた。
それに合わせてその中の数人が一緒に歌い始めたのである。
彼は嬉しくなり『ジャニーギター、ラブミーテンダー』と続いた。
今までにないほどチップを弾んでくれた。
教授と辰夫、三人で数えると四万円ほどあった。
今までにない収入である。
彼等は来る冬に備えて教授の持ってる壷の中に隠したのだった。
サブはこんな生活も悪くないな、と思うようになっていた。


「№ 7」  
教授の様子がおかしい・・・
何か食べ物でも当たったのか?
暫く寝ていたが熱もある様子だ。
皆が交代で看病しているが良くなる気配もない。
ホームレスでは病院に連れて行く訳にもゆかない。
正露丸、風邪薬を飲ませても一向に良くならない。

「すまん、私が死んだら持ち物は皆で分けてくれ」と・・・・
「もうすぐ治るよ、梅雨が明ければきっと良くなるから弱気を起こすな」
皆根拠の無い慰めを言うしか方法はなかった。

暫くの後、教授が消えた。
皆で探し回ったが公園の何処にもいない。
救急車のサイレンが聞こえた。
皆一様にその方向に走った。
胸騒ぎは最悪の状態で当たってしまったのだ。
警官が取り囲み近寄る事も出来ない。
サブは壷の金を自分の懐に入れた。
間もなく警官が教授の小屋に来ていろいろ調べて行った。
辰夫が聞いた「教授は何処の病院に行ったのか?」「病気は何だ?」
警官は「肺炎と栄養失調だ、お前らもいずれそうなるぞ」冷たくそう言って帰った。

暫くして教授が死んだとの噂が広まった。
本当か嘘か確かめようが無かったが二度と帰って来る様子はなかった。
そして都の浄化運動とやらで公園の小屋も取り壊される事になった。
皆バリケードを張って抵抗を試みたが無駄な事であった。
仮設住宅に移された者、他の地区に移った者、それぞれ思うところに散って行ったのである。

サブは辰夫と教授の残した金を勘定した。
意外にも沢山あった。
教授はライブで得た金もこつこつと貯めていたのだった。
計9万3千円・・・・
「どうだ、この金を分けて別れるか」「いや、俺はあんたについて行くよ」
「ドサ廻りでもいいのか?」「決まりだな」と辰夫・・・
まずアメ横でバーゲンのジーンズとジャンパーを買った。
そして近くのコンビニでプリペードの電話、印刷屋で二人の名刺を作ったのである。
『S&T芸能プロダクション』 大層な名前だがこれも営業には必要な道具である。
サブは前から密かに考えている事があった。
それを現実のものとして実行に移そうとしたのだ。
計画の中には教授も入っていたが・・・


「№ 8」  
彼は企業戦士だった頃を思い出していた。
その頃着てた背広に身を包み温泉場で催しをやってる所を探した。
そして名刺を差し出し飛び入りのライブの交渉をするのだ。
交渉がまとまればそこで二三日唄う・・・
元々 自分の持ち歌が無い悲しさ、飽きられる前にその土地を去るのだ。
そうすれば一年置き位には又呼んで貰える。
サブは高音が苦手である、辰夫は高音がよく通る。
二人で一人前なのである。
普段辰夫はハーモニカを練習していた。
まだ人前で吹いた事は無いが一生懸命である。
これからの人生の為に・・・レパートリーも増やした。
温泉地では演歌が無くては駄目だ、どうしても必要である。
県庁所在地ではゲリラライブをして歩く。

兎に角必死であった。
しかし安宿ではあるが畳の上で寝られる。
食事も普通の食堂で食べられる。
辰夫も多いに満足していた。
ホームレスの時代より小さな舞台でも人前で多くの拍手をもらえる。
ちょっとしたスター気分だ。
また先の見えない旅であるが日本全国廻って歩くことが出来る。
さて、今日はどちらに行こうかな・・・・??
硬貨の裏表で行き先を決めるのだ。

もしかしたら明日 貴方達の街でひょっこり出会えるかも・・・・
乞うご期待を・・・・

   ー第一章 完ー

   -第二章ー

「№ 9」  
ある温泉町の舞台の事である。
舞台も佳境に入った時、突然紙に包んだ硬貨が投げ込まれたのだ。
今まで経験した事の無い出来事だった。
所謂『おひねり』と云う奴である。
すると次から次へと投げ込まれたのだった。
旅館の女将も喜んで「もう二三日やってくれないか」と言ったがサブは「次の予定が入っていますので」と丁寧に断ったのである。
辰夫は「何も予定なんか入っていないのに」と思ったが黙ってそれを聞いていた。
「そうかい、じゃあ又来年来てくださいな、もう少し長い興行で・・・」と・・・
サブは「かしこまりました、では来年宜しく」と答えたのであった。
やっと意味が解った辰夫は「すごい、この人は先の事まで考えているんだ」と感心したのであった。
おひねりは一万円近くあった。
それは二人の小使いとして分ける事にした。
辰夫のハーモニカも舞台で使える程になった。
そして時々サインを求められる様になってきたのだ。
地道に地方の温泉町に根付いてきた。
少しずつではあるが年間の計画も立てられる程になった。
「色物が欲しいなー」サブが言った。
「いい子がいるよ、ほら、この前の温泉で仲居をやっていたあの子よ」
辰夫にサインを求めサブに「歌を聴いて欲しい」と言ってたまだあどけなさが残る若い娘である。
「あの子は歌手になりたいって言ってたぞ」「辰夫、お前惚れたな、仲間で惚れたら駄目だぞ」
サブはもう一度その娘に会ってみようと思った。
次の興行地を終えてその町へ向かってまず女将と話をした。
女将はさっぱりとした性格で「まあ本人次第だねー、仲居の仕事振りはパッとしないが柴田さんがいいと思うならそれもいいでしょう」と・・・・
彼は二三曲聴いてみる事にした。
演歌歌手になりたいと言ってただけに小節の回るいい喉をしている。
只お世辞にも美人とはいえない、所謂ハニーフェイスと云う奴だ。
これはそれぞれの美意識の問題であってサブの美の範疇には入ってなかった。
「ま いいか」とサブは仲間に入れる事にした。
「唯唄えるだけでは駄目だぞ、何か楽器でも使えなくっちゃ」
彼女は「三味線では駄目でしょうか」と聞いてきた。
小さい時から津軽三味線を習っていたと云う。
「これはおかしなトリオになったぞ」サブは内心ほくそ笑んだ。
今度は俺が勉強しなくては駄目だな・・・と思いながら辰夫と合流した。
サブはギターで演歌を弾く練習を始めた。
元々古賀メロディーは若い頃よく弾いてはいたが今の曲には付いてゆけない。
レパートリーを増やすと云う事は大変な事だ。
持ち歌を藤圭子、都はるみ に絞りリハーサルを重ねた。


「№ 10」  
サブの営業に対する情熱と執念には凄まじいものがあった。
一度どん底まで落ちた男の強さは絶対に興行を成功させるんだ、との決意が漲っていた。
時にはその土地の親分の家まで挨拶に行ったのである。
辰夫は「何故そこまでやるのか?」と聞いた。
「保険だよ、興行を失敗させる訳にはゆかん」「俺たちは所詮どさ廻りの唄い屋だぞ」
メジャーな歌手なら何もしなくても安全に興行を打てる、だがサブ達には何の保障もない。
それをする事によって何処でもゲリラライブも出来るのだ。

さて彼女の芸名は何にするか?
三人で考えた末 現在活躍してる歌手から苗字を貰い『坂本』名は『圭子』とした。
衣装はミスマッチを狙いジーンズにちょっと派手なジャンパー・・・・
二ヶ月ばかり皆と練習してデビューとなった。
最初は何時もの如くサブの『乾杯の唄』で始まり二三曲辰夫とサブが歌った後『夢は夜ひらく』の伴奏と共に圭子の出番が来た。
中々度胸もいい、客の乗りも上々・・・・サブはホッと胸を撫で下ろした。
大成功であった。
「そろそろ給料制にしなければいけないな」サブは考えた。
三人で相談した結果興行収入と『おひねり』の半分は取り合えず貯金、その中から給料を出す。
彼等にとって画期的な出来事だった。
サブがリーダーとして4万円、辰夫が3万5千、そして圭子が3万円、少ないが旅費食事代は『T&S』から出す事に決まった。
旅館は興行先で用意してくれる。
だがその他の旅先での雑費、宿泊費についてはやはり『T&S』の経費として計上する事にした。
収入は月150万~180万、まだまだ開発しなければならない。
病気、不慮の事故の為の金もプールして置かなくてはならないのだ。
全てガラス張りである。
おひねりが多ければ皆の収入も増える。
辰夫も圭子も喜んだ。
舞台に余計力が入った。
圭子の出番の時には余計拍手と歓声が起きる、おひねりも多い。
辰夫も負けじと頑張る、相乗効果である。
マイナーの業界だが結構名も知られてきた。そんな中ひょうきんな女の子が追っかけで付いて来る様になった。


「№ 11」  
「さあ始まるよー! 天下のT&Sプロの柴田三郎のライブだよー、みんな聞かなきゃ損するよ」と呼び込みまで始める始末。
これにはまいった。
サブはその女の子を呼んで「少し黙っていてくれ」と言った。
が お構いなく合いの手を入れる。
一緒にハモるのはいいが出番の中継までする。
そのタイミングたるや絶妙なのである。
「これは使えるかもしれないな」サブはそう思った。
そこで二人に相談したのである。
辰夫も圭子も賛成した「雑用をする人が欲しいわよ」「買い物洗濯をさせたら楽になるよ」
福子と云った、それではゴロが悪いので『富士子』と呼ぶ事にした。
富士子はよく働いた。
今まで祭りのある所でタカマチ(夜店を出してどうしようもない物を売る)を張ってたと云う。
その後皆それぞれの身の上話を始めた。
富士子はショバ代を払えずに土地のヤクザに叩き出され商売が出来なくなったと言った。
出身は関西の田舎町・・・・
圭子の場合は少し複雑であった。
歌手を目指し青森の田舎から上京して小さなプロダクションに入ったものの高名な作曲家に新曲を餌に陵辱の限りを尽くされ、その後歌手のタマゴと同棲、金の為にソープランドで働く事を強要され、拒むと殴る蹴るの暴行を加えられたと云う。
彼から逃れる為に転々と職場を変え町から町へと流れ歩いたのだそうだ。
しかし歌への未練は断ち切れずどんな所でも歌える所なら・・・と思っていたのだと言った。
辰夫の場合は親が一流企業の会社員、過大な期待に押し潰され不登校、家出の末上野にたどり着いたと言う。
何時も『尾崎豊』の歌に涙してたそうだ。
「ところで親父はどうなんだ? 辰夫が聞いた。
「うん、俺はリストラに遭ってな、それで上野の住人になった訳だ、後はお前の知ってる通りだ」
皆それぞれ辛い思いを抱えてここまで辿り着いた訳だった。
この仲間の結束は益々固くなったのだ。


「№ 12」  
サブ達の興行はなかなか評判が良かった。
特に圭子の(唸り節)には情念がこもって客を酔わせた。
又 富士子はと云うとマラカスを鳴らし客と客の間を面白可笑しくジョークを交えながら踊り回る。
間の取り方が巧い、決して舞台の邪魔にはならない。
ある日富士子はサブに曲と曲の間 所謂トークタイムを「私にやらせて」と強請った。
「面白いかもしれないな、元々タカマチでおかしな物を口先八丁で売っていたんだから何かをやってくれるだろう」
しかし不安も又あった事も確かであった。
「舞台でどこまで通用するのか?」
だが危惧する必要は全くなかったのである。
「エー・・お客様は神様だと言った演歌の大先生がいましたが・・・そうですねー私にも弁天様や大黒様に見えますわ・・・あーそこのお客様、後光がさしてますねー・・・(笑)こんな親切な人達の前で歌えるなんて・・・幸せですわ」「そこのお客様、懐のお宝がこっちへ来たいこっちへ来たいと言ってますよ」大笑いであった。
そしておひねりが飛んでくる。
「ほら、後ろでボーッとギターを持って立ってるおじさん、うちの座長なんですけどね・・・優しい顔してるけどすごくケチなんですわ、この間もお給金もう少し上げて頂戴って言ったらお足は舞台で掴み取って来いだってさ、お足は二本持ってますよ、これ以上足があったら見世物じゃーありませんか・・・ウフフ」話はとどまる事がない。
「何が怖いかって聞いたら女だってさ・・・本当はスケベの癖してよく言うよ、全く」
「この間うちのスタッフで誰が一番恐ろしいって聞いたら ねー私が一番だって・・・嬉しいねー、私を女と思ってくれてるんですわ・・・」
大爆笑と共におひねりが乱れ飛んだ。
「さーて、準備ができました様で、皆様ごゆっくりとお楽しみくださいませ」
そう言ってニコリと会釈して舞台の袖に下がって行った。
サブは唸った。
これはとんでもない拾い物をしたな と・・・
「俺より巧い」
その後の演奏にも力が入った。
又圭子も負けじと熱唱する。
唄ってる途中で「お圭ちゃん!」と声がかかれば「あいよ」と返す余裕も生まれた。
最初の頃感じていた印象より違う、愛嬌が出てきた。
美人にもなった。
舞台で人に見られ続けているとこうも垢抜けてくるものか とサブは思った。
辰夫も又レパートリーも増え巧くなっている。
サブは「俺も頑張らないと若い奴等に追い越されるな」と危機感を強めたのである。
自前の歌が欲しいなー・・・そんな事を考えながら毎日悩んでいるのだった。

故郷の近くの街で興行を打つ事になった。
久しぶり、本当に何年ぶりで故郷の土を踏んだ。
母親に会いたくなったサブは皆と別れて少し話をして来ようと思った。
バブルの恩恵も崩壊後の惨めさも知らず山も川も何も変わってはいなかった。
「おふくろ・・・」と声を掛けると「三郎か・・・よく帰ってきたな」と喜びの顔で迎えてくれた。
積もる話も沢山あった。
そのうち母親は「お仲間のみんなも呼んだらどうだ」と・・・・
すぐ電話で呼びつけた。
夕方までわいわいがやがや、その夜の仕事を終え深夜に帰った時 心尽くしのご馳走が待っていた。
翌日皆で相談して住民票を此処に移しここを拠点にして全国の興行に廻ろうと話がまとまった。
幸い母親も元気かくしゃくとしている。
たいした事務処理がある訳でも無いが興行の依頼の電話の中継も母親にやって貰う事に決まったのである。
それぞれの給料も引き上げワンボックスの中古車も買った。
皆でペインテングしてハデハデの車に仕立てたのだ。
楽器器材、衣類を積み次の興行地まで出発したのである。


「№ 13」  
サブは幸せであった。
思えば会社を解雇されホームレスにまで落ちた自分が今、新しい道でこうして生きている。
誰が想像したであろうか。
唯がむしゃらに頑張り突っ走ってきた結果が現在を支えている。
少し感傷的にもなっていた。
車はひたすら南へと走る。
次の目的地は熱海である。
辰夫と交代でハンドルを取るのだ。
潮風を身体に受け快適なドライブだ。
その間、富士子は圭子にボイストレーニングを受けている。
「富士子も唄いたいんだろう」そう思いながら黙って新曲のネタを考えていた。
母親がご当地ソングを一曲でも入れたらどうだ、と言っていたっけ。
「皆が忘れている名曲もあるよ」とも・・・
「そう云えば子供の頃はやった唄を現代的にリメークしても良いかなー・・・
『北上夜曲、雨に咲く花、デュエット曲も入れよう、辰夫と圭子で『居酒屋』富士子を入れて『麦畑』そして俺と圭子で『銀恋』なんかどうだろう」
今度の会場は広い、客も沢山居るだろう。
「ここで実験してみるか」サブはいろいろなアイデアを皆に提案した。
皆乗り気である、早速車の中で練習に取り掛かったのである。
目的地に着く頃にはある程度出し物の目鼻がついた。
しかし一度に出すには問題だ。
「少しずつ小出しに出して行こう」
客は思ってた以上に多かった。
そこそこファンも付いてきたのである。
相変わらず富士子のトークは冴え渡る。
「そこのお客さん、いい男だねー・・・惚れ惚れしちゃうよ、うん、全く、この女殺し・・・憎いねー今度来た時には一緒に飲みましょうよ・・・ほら、そこで立ってるハモニカ持ってるのね、あれ辰夫って云うんですけどね、名前変えたらいいと思うんですけどよ・・・寝太郎ってね、真ん中の足、男のシンボルですよ・・・あれが立たないんですよ、可哀想に・・・いっそ三年寝太郎ってね」
あること無いことネタにしてしまう。
そして大きな笑いを取り袖に下がって行く。
そこは現代っ子である、歌の方もそこそこである。
適当に「はっ、ほっ」と掛け声を入れ場を盛り上げてゆく。
富士子のキャラクターと相まって客の心を掴んで離さない。


「№ 14」  
ある夜の事である。
圭子が自分の衣類を持ってサブのところにやって来た。
「お父ちゃん(圭子はサブをそう呼んでいた)一緒に寝てもいいかなー」
何でも辰夫と富士子が抱き合って寝てると云う。
声を澄ませて隣の部屋の物音を聞いてるとそれと判る声がする。
圭子は邪魔になってはいけないとサブの部屋に来たのである。
「あいつら、何時の間に・・・」「まあ仕方が無いか、どちらも子供ではないのだから」
仕方なく圭子を腕枕で寝かせてやった。
サブは仲間同士のそうした関係を恐れていたのだ。チームワークが壊れるのではないか、と・・・
しかし何事も無く興行は続いてゆく。
「俺の考え過ぎかな」と、見て見ぬ振りをしたのである。
ある夜圭子は突然「抱いて」と しがみ付いて来た。
サブはこうなる事は予測していたが戸惑った。
何年 女性に触れた事がなかったんだろう・・・
若い彼女を今後幸せに出来るのだろうか?
だが欲望はそうした心配を打ち消した。
翌日辰夫の顔が見られなかった。
辰夫はニヤニヤしながら「親父、女っていいもんだろう」・・・

母親から電話が入った。
石和温泉から依頼が来てると。
二ヵ月後に行くと伝えて次の興行地に向かった。
石和は圭子が仲居として働いていた所だ。
「まあまあ和ちゃん綺麗になって、いい女になったねー」と女将・・・
「いや、今では看板娘の坂本圭子だよ」とサブ。
地元出身の歌手が来た、と云う事で近隣の旅館からも客が集まった。
今度は五日間の公演だった。
大好評のうちに打ち上げたのであったのである。

そのうち地方のテレビ局からドサ廻りのエンタティナーとしてのドキュメントの依頼もあった。
特筆すべきは富士子のトークが脚光を浴びた事である。
そんな時二人の女性がサブの仲間に入りたいと言ってきたのだ。
グループでライブ活動をしていたが資金難で解散したのだと言う。
サブは迷った。
今までこれと言った借金もなくやってきたのに ここで彼女達を入れたらどうなるか・・・
皆の意見を聞いた。
一人はバイオリン、もう一人はキーボードを担当してたそうだ。
サブはシビアであった。
半年は見習いとして無給で働く事を条件に採用した。


「№ 15」  
腕は良い、なるほど演奏に幅が出来る。
だが私生活が気に入らない。
すぐ客と飲みに行く。
辰夫も新しく入った娘の一人に気がある様だ。
二人で辰夫にモーションかけてる様子である。
当然富士子が面白くない。
「これではチームワークが崩れる」
一ヶ月程して解雇したのであった。

石和の女将から「圭子をテレビの喉自慢に出したら」と話があった。
「仮にもプロですよ、素人の大会に出られますかね」「いや、温泉の社員と云う事で出したらいいのでは・・・」と・・・
迷った末 思い切って出してみる事にした。
予選、地方大会は難なくクリアした。
全国大会では『越冬つばめ』を津軽三味線をかき鳴らし熱唱したのだった。
特にサビの「ヒュールリーヒュルリーララ」の部分はバチも折れよと乱れ弾く。
何処にそんな力があるのかと弾きまくる。
サブは勝ったと確信した。
唄い終わった時場内は水を打った様に静かになった。
そして地鳴りのような歓声と拍手の嵐が巻き起こったのである。
当然日本一、優勝だ。
女将は「うちの子が優勝したのよ」と自慢して歩いた。
スカウトの眼にも留まったのだ。
プロの歌手としてデビューしないかとの話が来た。
圭子は過去の苦い経験から「お父ちゃんが傍に居てくれなきゃ嫌だ」と・・・
サブはそこの所の事情を話し少しの間付いていてやる事にした。

時を同じくして辰夫と富士子が独立した。
彼等は新しいメンバーを組み辰夫が座長として『お笑い』と唄で構成したライブ活動を始めたのである。
「これも時代の流れか・・・」と淋しく見送ったサブであった。
辰夫も資金難と戦いながら健闘している。
たまに富士子がテレビのバラエティー番組に出る様になった。
サブは何とか成功してくれる事を願った。

が 唄う事を止めたサブは淋しかった。
順調に圭子はスターへの階段を上り始めていた。
年末恒例の紅白にも出た、二曲三曲と続けてヒットを飛ばし将に恐ろしい程人気は沸騰したのだ。
プロダクションからのマネージャーが付いた。
もうサブの出番は無くなったのである。
彼は圭子に「故郷に帰るよ」と言い残し列車の人となったのである。
「人生、夢の中の夢か・・・」サブの心に熱いものがこみ上げてきた。
母親のちいさな背中が妙に懐かしかった。

それから三年の月日が経った。
突然テレビでは坂本圭子の失踪事件が報じられたのだ。
だがサブにはそのニュースさえ知らなかった。
毎日畑仕事に精を出し、時々ギターの弾き語りをして静かに暮らしていたのだった。
ある日畑仕事をしてる後ろから「お父ちゃん・・」との声が聞こえた。
彼は耳を疑った、空耳ではないか・・・?
紛れも無く圭子の声である。
振り向くと圭子が笑顔で立っている。
「お嫁さんになっていいかなー・・」「どうしたんだ、あれほど歌手になりたかったんだろう」「夢は叶ったんだろう?」
「うん、でもお父ちゃんの傍に居たいの」「貧乏するぞ、それでもいいのか?」
年老いた母親はすごく喜んだ。
暫くは週刊誌のネタにされた、テレビ局の格好の餌食にもされた。
村人はその騒ぎに驚いたのである。

それから又一年が過ぎた。
すっかり村人の一員となった圭子は秋の祭りでは無くてならない存在になっていた。
やぐらの上で自慢の喉を披露して皆を喜ばせた。
何処に行っても人気者だった。
非常に働き者で老いた母親を何かとよく気使った。
サブは畑仕事で荒れた手を見つめ「本当に後悔してないか?」
「♪馬鹿言ってんじゃないよー お前と俺ーはー・・・結ばれるためーに運命ずけられーて生まれてきたんだよー♪」
サブは苦笑いした。
真っ赤な夕日が山襞を染めてゆく。
静かな夕暮れ時であった。

   ー完ー


『寒椿』                    

「仇討ちの彼方に 1」  ー寒椿ー
木枯らしの吹く寒い夜であった。
「旦那様、あんな所に人が倒れてますよ」下男の佐吉が指を指した。
医師良庵は「行き倒れであろう、どれどれ」と道端の天水桶の陰で 息も絶え絶えの人影に近ずいて行った。

「佐吉、何処かで大八車を探して来なさい」「早く治療しないと仏さんになってしまう」
早速家に連れ帰り念入りに診た結果 寒さと栄養失調でそのまま置いておいたら死んでいただろう と思われる状態であった。
咳も酷い、肺もやられているかも知れない。
見たところ三十前後の女性の様である。

三日三晩 熱にうなされうわごとの様に何かを言ってるが 聞き取れる状態ではなかった。
佐吉は「助かりますかねー?」と心配したが良庵にもそれは判らぬ事であった。
「唯 助かりたいと思う気持ちがあれば助かるがその気が無ければ駄目だろう」と・・・

良庵はここ加賀百万石の城下町でも評判の名医ではあったが この行き倒れの女性を治す自信はなかった。
相当荒れた生活を送っていたのであろう、そしてここ数日は何も口に入れた事も無い程衰弱しきっている。

佐吉は夜昼なく必死に看病した。
おも湯を開かぬ口に流し込み、身体のあちこちの冷えた所をさすりながら 女房に身体が冷えない様にと添い寝をしてあげる様指示し 献身的に尽くしていた。
四日目にしてようやく肌に赤みが差してきた時 佐吉夫婦は手を取り合って喜んだ。

しかしまだ起き上がる事は出来ない。
時々乾いた咳をコンコンと吐き良庵を悩ました。
やがて松も取れ梅の花のほころぶ季節になった頃、やっと床の上に座る事が出来る様になったのである。
女性はほとんど口を利くことが無かったが 礼儀は正しく言葉は武家言葉であった。

佐吉は「これだけ世話になって何故いろんな話をしてくれないのか」と愚痴をこぼしたが 良庵は「人に言えない苦しい過去が有ったのであろう、そのうち心を開いてくれる日が来る」と佐吉を嗜めたのだった。

御殿医の仁斎がやって来た。
町医者と御殿医とはいわば商売仇、だが良庵の人柄の良さと医術の確かさでお互い認め合った仲、大の親友である。
「ほう、大分元気になった様じゃのう」「ところで名は何と申す?」「あやめと申します」「おう、武家の出か・・・で、国は何処かな?」
その女性、あやめは口をつぐんだままそれ以上は語ろうとしなかった。
良庵は「そのうち心の氷も溶けるだろう 性急に聞く事もなかろう」と笑って仁斎に答えたのである。

桜咲き蝉の鳴き声が騒がしくなる頃、やっと庭先に出て歩く事が出来る様になった。
そして佐吉夫婦とぼつりぼつりと話をする様になったのである。
だが相変わらず肝心のところは話をしたがらない。
不思議な女だな と佐吉は思った。

中秋の名月の頃 あやめの病気は全快した。
その頃には頬の肉もつき めっきり女らしく明るくもなったのであるが 何かを逡巡してる様子が見て取れたのである。
良庵が「もう大丈夫だ、路銀はあるのか?」「まだ旅は長いのであろう」と言っても「ええ・・・」と答えるだけで一向に旅立つ気配が無い。

もうすぐ年を越そうと云うある日、あやめは佐吉に相談した。
「此処に置いて欲しいんですけど先生はお許しくださるかしら?」と・・・
佐吉は「それは旦那様の気持ち次第だが あやめさんは何か目的が有っての旅をしているんでしょう、それを正直に話してお許しを得る事ですね」と答えたのであった。
あやめは良庵が許すかどうか不安な気持ちで 彼の前に座った。
そして努めて冷静に話を始めたのである。

ここ十年以上ある人物の消息を求めて 旅を続けていた事。
しかしもう 7~8年前からその力も失せ 全て路銀も使い果たし 乞食の様な生活をしながら、時には春をも売って身を汚し此処まで辿り着いたのだと・・・
倒れる10日前から水しか飲んでいなかったと・・・
もうここで死ぬのも運命だと諦め死を覚悟して倒れ込んだ と云う訳だ。
目的半ばで死ぬのも悔しいが 会ってみたところでどうにも成らない事だと。

全てを捨て新しい人生を歩けたらどんなにか幸せであろう・・・と
黙って良庵は聞いていたがおよその察しは付いていた。
「少し私にも時間をくれないか、悪い様にはしないから」
こうして大晦日を迎えたのである。
月明かりに照らされ 夜目にも鮮やかに寒椿が咲いていた。

良庵は仁斎に相談した。
巷では「あの良庵先生ともあろう方が『夜鷹』を拾って来て面倒を見てる」「ちょっと変だとは思わないか」口さがない連中の噂にもなっていたのである。
仁斎は「良さん、人の噂なんて気にする事はないが 素性が判らぬのが引っかかるのう」「人間は悪い女では無さそうだが、後は良さんの気持ち次第だな」と・・・

その夜、再び良庵はあやめを呼び「何故此処で働きたいのか、十年の長きに渡って捜し歩いた心を捨てて良いのか?」とたずねた。
彼女は言った「私は一年前に死にました、どうにもならない旅を続けて死んで行くより 先生のところで生まれ変わりとう御座います」

除夜の鐘の鳴る頃 皆の集まる席で良庵は言ったのである。
「あやめは今から此処の家族になる、皆もそのつもりで労わって教えてやってくれ」と・・・
あやめは良庵に「先生、出来たら名前を代えとう御座います、今までの私で居たくありません、新しい年から新しい名で出発しとう御座います、私に名前を付けてくださいませ」
「うん、それも良かろう」

暫く考えて「美雪・・・と云うのはどうじゃ、ほら美しい雪が振り出したであろう、除夜の鐘が鳴り終わったら皆 美雪を宜しくな」と・・・
皆、一様に驚き、又 歓声で沸き返った。
美雪も新しい晴れ着に袖を通し喜びに溢れていた。

事実 最初のやつれ果てた姿が嘘の様に 二十五歳の年齢の明るい笑顔がはじけて可愛かったのである。

皆で初詣に出掛け、今年の無事息災を祈り帰って来た時にはもう患者が待っていた。
医者の仕事には盆も正月も無い。
早速診察に取り掛かる。
美雪は良庵の指示に従って てきぱきと良く働く。
そんな姿に「これはよい拾い物をしたな」と良庵は眼を細めた。

佐吉夫婦も 日頃診療室以外の掃除がなおざりになっていたのが出来る事に喜んでいた。
庭の植え込みを刈り上げながら 綺麗になって行く姿に顎を撫でながら満足したのだった。
真っ赤な寒椿が雪の白に映え美しく輝いていた。

それから一年の後
町の人の信頼も得た美雪は 生き生きと師匠の代わりに簡単な治療を任せられ 診察室で治療を行っていた。
仁斎と碁を打ちながら良庵は「どうだ、良い娘だろう」
仁斎は「しかし不思議な縁じゃのう、でも俺の立場だったら雇う事は出来んからのう」「町医者なればこそ出来る芸当だな、羨ましい限りじゃ」と・・・
なるほど御殿医では身元の解らぬ者は雇い入れる事は出来ない。
町の医師なればこそ出来る事であった。

この一年美雪はめっきり明るくなった。
そして自分から冗談を言う様になったのである。
良庵に非常に懐いた。

佐吉が「美雪様の昔話を聞きたいなー」と言ったところ「全てはお先生にお話してからね」と笑って答えたのである。
そして「庭の椿が美しいわね」と、遠くを見る様な顔で静かに見ていた。
今の幸せが夢の様な気がする。
突然逃げて行きそうな不安も感じた。
再び椿の花を見つめ長い長い旅の終わりも感じていた。

「仇討ちの彼方に 2」  ー寒椿ー
今を去る事十八年・・・
さる西国の小藩での出来事から始まる。
その藩に木村左衛門なる人物が居た。
藩の重臣ながら非常に粗暴ですぐ刀を抜きたがる。
そして無頼の輩と組み 賭け事をして町人から金を巻き上げ『呑む、打つ、買う』の三拍子。
怖い者知らずの暴れ者、朋輩からも嫌われ誰も相手にはしなかった。
とは云え重役となればどうしても関わりを持たねばならぬ。

その男が一番好きな遊びと云えば将棋であった。
大して強くも無いが皆 後々の事を考えて負けてやる事にしていたのである。
だから自分が一番強いと思い込んでいたのだ、が・・・
だがしかし 彼にはどうしても目障りな存在の男が居たのである。
軽輩ながら藩内随一の剣の達人、そして学問も優れた男が・・・

彼は思慮分別をわきまえた人望も厚い男であった。
その名を藤堂新九郎・・・人呼んで『音無し新九郎』(相手と刃を交えずして一撃で倒す所からそう呼ばれた)と云った。
道場に於いても決して禄高で手加減はしない。
何時もの事ながら左衛門もしたたかに打ち据えられ 床に這いつくばって歯軋りを咬んでいたのであった。

左衛門は考えた。
「よし、将棋なら苦も無くひねってやれる、ひとつ将棋で勝負をしてやろう」
左衛門は新九郎に賭け将棋を申し込んだのである。
どちらかが負ければ禄高の半分を差し出す、と云う条件で・・・
立会人には同藩の朋輩を付けての勝負である。

最初は新九郎は丁重に断ってはいたが 町中に「受けて立たぬのは卑怯者のなせる技だ」と言いふらし 噂を流したのであった。
やむなく新九郎も受けざるを得なくなったのである。
いよいよその当日がやって来た。
新九郎の妻 香奈枝は「あのお方はどんな卑怯な事も平気でなさる方、くれぐれもご用心なさいますよう」と送り出したのである。

勝負は左衛門の「待った待った」の連続でなかなか進まない。
「こんな筈ではなかったが・・・」「俺は今まで負けた事がないのに」左衛門は焦った。
そして数回の「待った」の末、新九郎は「もう終わりましょう、この勝負引き分けでいかがで御座ろうか」
見る見る顔が高潮した左衛門は 侮辱されたと思い いきなり抜刀して新九郎に襲い掛かってきたのだ。

身を交わしながら「止められよ、たかが将棋であろう、引き分けで良いのでは」しかし逆上した左衛門には 余計恥をかいた思いがしたのである。
ついに部屋の隅に追い詰められた新九郎は 脇差を抜くなり横に祓ったのだった。
それが胴を深々と斬り裂いてしまった。

「しまった」新九郎は慙愧の思いで一杯になった、そして家で待つ妻を思った。
そして我が家に急ぎ戻り妻に事情を話すと共に『離縁状』を書いたのである。
親戚、縁者に類が及ぶのを避ける為 最愛の妻を里に戻したのであった。
そして旅支度も早々にその城下から姿を消した。

町中は大騒ぎとなった。
そして新九郎の行為に拍手喝采を送ったのである。
戦乱の世も終わり 太平を享受できる様になった頃の事である。

又 城中でも新九郎の心中を察し同情する者も多く居たが 脱藩する者に対する処分は死罪と決められている以上 口にする事は出来なかった。
唯、皆、無事に逃げてくれる事を祈るのみであった。

左衛門の息子(金之助)はまだ十二歳、そして娘(静香)は七歳であったが【仇討赦免状】が出て 新九郎を討つべく旅立つ事になった。
叔父甲子郎も同道する事になった、子供二人では到底返り討ちになるのは目に見えていたからである。

又 藩内からも脱藩者成敗の為の腕達者の者が三名、新九郎を追う事になった。
しかし藩命とは云え 三人の刺客は新九郎を殺す気持ちはさらさら無かったのである。
「あれは元々左衛門が悪いんだ、死んでくれてありがたいと藩も感謝しなきゃーな」
「そうだ町人たちも俺達もホッとしとるんじゃからのう」「あいつは藩の恥曝しだったからな」銘々声高に喋る。

それを金之助、静香は黙って聴いていた。
甲子郎は苦々しげに聞いてはいても 反論する事も出来なかった。

刺客達は何とかして新九郎に出会わなければ良い、と思ってわざとゆっくり歩く。
新九郎の強さはよく解っていたが それより彼の人望がそうさせていたのである。
甲子郎はそんな刺客達に苛立ちを見せた。
が 彼等は何処吹く風、気ままに旅を楽しんでいたのであった。

やがて一年が過ぎた。
「これ以上の探索無用」と藩からの使者が来たのである。
甲子郎は怒った。
「藩命に背いた者をそのままにして良いのか!」と・・・

だが彼等は「これが藩命、武士の掟よ」と冷たく言い放ち 去って行ったのである。
叔父と兄妹は呆然と見送るだけであった。
甲子郎は「いざ対決する時には用心棒を雇わねば」と考えていた。
「彼に勝つにはそれしか無い」と・・・

「仇討ちの彼方に 3」  ー寒椿ー
一方新九郎も過酷な旅を続けていた。

仇として追われる身、路銀も底を付き かと云って雇ってくれる所もなし・・・
頼るところと云えば無頼の輩 ヤクザの用心棒位しかない。
だが腕は立つ、何処の組でも喜んで迎えてくれた。
が 彼には其処まで落ちた自分に腹を立て、心だけは立派な侍でいたいと思っていたのだった。
が すさんで行く心は次第にそうなるまいと思う気持ちとは裏腹に、逆の方向に流されてゆく。

何度か愛する妻に手紙も書いた。
そして出す事もなく破り捨てた。
どうか幸せに生きて欲しいと願いながら最後の手紙をしたためた。
「私の事は忘れてくれ、良い伴侶を見つけて暮らしてくれる様に」と・・・

そして故郷の山河を思い出し、又自分を追って来る相手を思っていた。
「確か彼には元服前の息子と娘が居たはずだ、彼等も又辛い旅を続けているのであろう」「私が討たれてやれば国に帰る事が出来るはずだ、こちらから探し出して討たれてやろう」
新九郎はそう思った。
それからの旅は自分を討つ兄妹を探す旅に代わったのである。

仇を討つ叔父、兄妹も苦しい旅を続けていた。
国許からの仕送りも滞りがちになった。

そして二年後、叔父甲子郎が病に倒れたのである。
安い旅籠で少し療養していたが、医師を呼ぶ金も無くなり 二人の兄妹を枕元に「いいか、絶対に父上の仇は討つのだぞ、奴を討たねば家名断絶となってしまう、如何にしても首を取って故郷に錦を飾るのだ」【仇討赦免状】を兄金之助に渡し息を引取ったのであった。

故郷では甲子郎の遺体の引取り手も無く 一通の手紙とわずかの金子が送られてきただけであった。
「遺体はそちらで処分されたし、送金もこれが最後と思われよ」と・・・
事実上孤立無援となったのだ。

金之助十五歳、静香十歳の時の事である。
それからの旅はまさに辛酸をなめるが如き辛いものに変わった。
無人の祠に潜り込み寝起きして畑の大根、野菜等を盗み喰い 命を繋ぎ仇を探すのである。
もう武士の誇りも何も無い。
藤堂新九郎を討ち果たすまでは故郷には帰りたくとも帰れない。

が しかしこの兄妹には新九郎の顔さえ覚えていなかった。
名前だけしか解らない相手を探すのである。
吹雪の北陸道を凍える手足をさすりながら歩く・・・
霜焼け、皸は云うに及ばず頬にまで凍傷に掛かり 刀を杖に歩いては倒れ、倒れては歩く。

「お兄様 もう歩けません、私はもう駄目です 死なせてください」「頑張るんだ、必ず仇を取って故郷に錦を飾るんだ」だが金之助も又 意識も途切れそうになりながら必死の思いであったのだ。
と、ある番小屋が眼にとまった。
「しめた、あそこで少し休もう」
転がり込む様に小屋の中に入った、壁板をはがし暖を取る。
それからの金之助は高熱に犯され 意識も失い 乾いた咳が続いたのである。

そして静香に「もう私は駄目だ、お迎えが来た様だ、後は静香 お前に頼む」と・・・
その翌日息を引取ったのであった。
静香は涙枯れるまで泣いた。

それから三日後 嵐は嘘の様に晴れた。
漁師達が見回りに来た時には泣き疲れて眠っている静香と 既に冷たくなった金之助の二人が手を握り締め 重なり合っていたのであった。
彼等はそれを見て哀れんだが 金之助の墓を掘って埋めてやる事位しか出来なかったのである。

彼等も又 極貧の生活をしていた為 せいぜいそれが精一杯の思いやりであったのだ。
金之助二十歳、静香十五歳の二月の寒い朝の事である。
風に吹かれ椿の花びらが侘しく落ちる日であった。

少しばかりの食事を頂き 静香ひとり 新九郎を求め旅立って行ったのである。
辛く苦しい旅は続いた。
だが藤堂新九郎の名前は何処で聞いても判らない。
唯、名前だけで探すのは海辺の砂の中から宝石を探すのと一緒である。
しかし静香は家名の為、死んでいった兄の為、必死で探し歩いた。
野宿をし 祠で寝泊りしながら飢えをしのいで 一歩一歩前に進むより手立ては無かったのだ。

そうしたある晩、野宿をしている所を夜盗の群れに見つかってしまった。
「おい、お前 ここで何してる」と肩を掴まれた。
「無礼な、近付くと斬りますよ」と懐剣の鞘を祓った。
「何だ、まだ小娘じゃないか」「少し可愛がってやろう」
夜盗達は眼と眼で合図しあって いきなり襲いかかったのである。
必死の抵抗もむなしく彼等のおもちゃにされたのだ。
着ている物は全て剥がされ、陵辱の限りを尽くされ静香は失神したのだった。
そして持ち物を物色し始めた。

「何 仇討赦免状、こいつ仇討ちの相手を追っているのか」と笑って赦免状を引き裂いた。
何人の男が身体の上を通り過ぎたのか・・・
朦朧とした頭で考えたのは自害する事であった。

が、しかし仇にめぐり合う事も無く死ぬのは如何にも悔しい。
叔父、兄の無念さを思い、思い留まった静香は川の水で 皮が破れる程身体を洗ったのである。
破れた赦免状をかき集め籐の小箱に入れふらつく足で歩き始めたのであった。
月が冷たく照らしていた。

下腹部が痛い・・・無理やり大勢の男達に犯された静香には 今まで男の人と親しく話をした事も無かったのだ。
一ヶ月ばかりその傷は癒えなかった、出血も二週間ばかり続いた。
だがそれが彼女の人生を変える事になろうとは まだ気が付いていなかったのである。
十六歳の秋の事であった。

三ヶ月も過ぎた頃・・・
「お兄さん、遊んで行かない?」「楽しませてあげるわよ」
夜鷹の群れに混じって客を物色する静香の姿が其処にはあった。
「おう、名前は何て言うんだ」
川岸に狂い咲きの様に【あやめ】の花が一輪咲いていた。
それを横目で見て「あやめと云います、よろしくね」と流し目で答え男を誘う。
そうしてある程度金が貯まると 又新九郎を探す旅が始まる。

宿場宿場でそれを繰り返す。
そして客に藤堂新九郎と云う男の事を尋ねるのであった。
そんな生活が六年余り続いた。
だが何ひとつ得られる手掛かりは見つからない。
静香は「このまま歳を取って死んでゆくのではないか」と思い身震いしたのだった。

敦賀の宿場での出来事であった。
自分のねぐらを確保した後、木綿の手拭いを頭からかぶり 夜の川沿いで客を拾おうとしてた時、土地のヤクザに捕まったのである。
「ショバ代を払え」と・・・勝手に商売をする事を許されなかったのだった。
「まだ客が付いておりません」と答えると「ふてーアマだな、見せしめに木に吊るして置け」と親分らしき者がそう言った。
 
抵抗もむなしく両手を縛られ 町外れの大木の枝に吊るされたのである。
彼等は横のつながりで宿場宿場で稼いで消える女を捜していたのだ。
それは紛れもないあやめと名乗る女 つまり静香の事であった。
腕の皮は剥がれ抜ける様に痛い、そのうち痺れが走り気を失ってしまった。

「やーい、夜鷹 ざまーみろ」「気持ち悪い、早く死ね」口々に罵られ石を投げられ 棒で突付かれ気が付いた。
上半身裸にされ見るも無残な姿であった。
又 竿竹で胸のあたりを殴られ失神する。
全身傷だらけで五日目におろされた。
その間に雨にさらされ傷口から血が滴り落ち道を這いずる跡には赤い血の帯が続く。
隠した荷物の所まで辿り着いたが金は全て抜き取られていたのである。

彼女はこの旅からの十七年余りの出来事を回想してた。
まだ旅の始まりの頃 三人の藩内の人の言葉「そもそも左衛門が悪い」「死んでくれて皆助かった」「新九郎殿は哀れよのう」・・・
何故敵討ちなどしなければならないのか?
解らない事が一杯あった。
傷の癒えるまで祠の下でじっと隠れ ふらふらとこの宿場を後にしたのであった。

『追憶』   「ある愛の歌」 

 № 1
春まだ浅き日、男は山間の東北の無人駅に降り立った。
「昔とあまり変わっちゃいないな」小さく呟きゆっくりと歩き始めた。
そして大して流行っても居ない古ぼけた旅館の門をくぐった。
来客もそう多くない宿に 突然の予約なしの客である。
身なりも悪くない。

宿の主人は久しぶりの客に喜び 揉み手をして愛想を振りまいたのであった。
「『紅葉の間』は空いているかな」
「ええ、お客様は以前お見えになった事がおありで・・・?」
代替わりした主人はこの男の事を知る由もなかった。
「うん若い頃ちょっとな」
部屋に通された男は懐かしそうに辺りを見渡した。
部屋の調度品は 新しいものに変わってはいたが 窓の外には雪をかぶった栗駒山系が広がって昔の姿そのままであった。
暫くその風景を眺めて何か感慨にふけっている様子だった。
が コートを脱ぎ厚手のセーターに着替え 男は宿の下駄を借り まだ残雪の残る道を川下の方に歩いていった。

男の名は松井幸平、先日まで大手商社に勤め海外生活も長く なかなか来たいと思ってもその機会も無く今日に至ってしまっていたと云う訳だ。
「いやー 昔とちっとも変わっていませんなー」
宿の主人は「この辺は随分過疎化が進み町の人達も年寄りばかりになりましたからね」「若者は皆 東京方面に出て行きますからもう発展する事はありませんよ」
「ところでお客様は何時頃ここにいらっしゃったんで?」
「うん、学生時代にちょっとね」「ところでこの前に駄菓子屋があったはずだが・・・」
「ええ、もう二十年ばかりになりますか、火事を出しましてね 一家離散の憂き目になり何処へ行ったのか・・・」「お客さんは何かゆかりの方ですか・・・?」
男は無言のまま聞いていたが その返事をする事なく部屋に戻ったのである。

実は幸平には若い頃、この温泉町が辛くて甘い青春の地だったのだ。
終戦の混乱期も過ぎ世の中が落ち着きを取り戻した頃、大学生であった幸平は胸を患い転地療養を余儀なくされた。
その二年余りの滞在が彼の人生を大きく変えたのである。
それから四十年、自由の身となった今、どうしても会いたい人が居た。
彼の思い出と共に人生を左右した人に・・・・

だがその人は何処に行ったのか皆目見当がつかない。
幸平は昔の事を知ってる人から捜さなければならなかった。
何しろ半世紀近くも前の事である。
幸いに駅前の みやげ物売り場の老婆が その駄菓子屋の事を覚えていた。
が、火事の後 隣町に移り住んだところまでは判ったがその後の事は知らないと言う。
幸平はタクシーを拾い教えられた住所まで足を伸ばした。
そして町役場に行き現在何処に住んでるかを聞いたのである。
彼の捜している相手とは『和泉淳子』
青春時代燃える様な恋をし、療養中の彼を励まし続けてくれた そして彼が心ならずも裏切った女性であった。


№ 2
日本が高度成長期に入って暫くの後 一流大学に入学し前途洋々の彼を襲った病魔は当時にはまだ不治の病と言われていた結核だった。
彼の父親は手術を選ぶ事無く転地療養の道を選択したのである。
「空気の綺麗な所で長期の療養をすれば必ず治る」と信じて・・・
彼は絶望の淵に立たされていた。
父親の跡を継ぎ 世界に冠たる立派な会社に育てようと夢に描き 当時としては珍しく家庭教師もつけて貰い 幼少の頃から英才教育を受けてきた彼にはこの病気は全てを奪い取るものに感じたのである。

転地先の宿からは何時も栗駒の山々が見えた。
鬱々とした気持ちで外へ出たところ、前の駄菓子屋から勢い良く飛び出して来た少女とぶつかったのである。
「あっ、ごめんねお兄ちゃん」よろける彼にその少女は声を残し何処かへ走り去って行った。
彼は走る事さえ出来ない己に腹を立てたのだった。
それから数日の後、何と無くその駄菓子屋の暖簾をくぐった。
決して高級とはいえない だが珍しいこの土地の菓子が所狭しと雑然と並んでいる。
商売っ気の無さそうな不精髭を生やした親父が奥から出てきた。
と同時に表から「いらっしゃーい」「あっ、この前のお兄ちゃんだ」との声が響いた。
親父は何も言わずに奥に引っ込んでしまった。

「この前はごめんね、前の旅館に泊まっているんでしょう、随分長い様だけど ここ好きなの?」
屈託の無い声でそう聞いてきた。
「うん、特別好きでも無いがまあ悪い所でもないかな」彼は曖昧に答えたのである。
棒飴を二本新聞紙に包み「はい」と渡され「今度この町の綺麗なところ連れて行ってあげるよ」「何時も旅館の中だけではつまんないでしょう」と・・・
半ば強制的に約束させられた彼は「気分転換には丁度良いか・・・」と考えたのだった。

彼女は彼の病気の事などまるで知らない。
何時も明るく天真爛漫な まさに山国の少女だった。
中学を卒業したらその駄菓子屋を継ぐのだと屈託無く話す。
母親は毎日その土地で取れた野菜を背中に背負って 下の街まで行商に行っているのだと・・・
そんな生活の中に幸せを感じて生きているのが彼には不思議に思えたのだった。
彼は貧乏と云う言葉さえ無縁のブルジョアの御曹司であったから。

彼女の足は速い。
病身の彼には付いて行けなかった。
時々立ち止まって「ちょっと待ってくれ」と息を弾ませ言ったものだ。
しかし連れて行かれたところは 川沿いの小鳥が集まる所であったり 丘の上から栗駒の山々が一望に見渡せる所であったり 実に素晴しい自然の風景であった。
そうした自然の中でいろんな話をした。

幸平は治るか治らないか判らない自分の病気の事を話した。
そして「もしかしたら君にも移るかもしれないよ」と・・・
彼女はケラケラ笑ながら「いいよ、そうしたら病気も半分っこになるよ」「そしたら絶対に治るよ」と事も無げに言ったのだった。

なるほど、そうした外出が多くなってから少しずつ身体が楽になってゆく。
旅館の食事も綺麗に平らげる様になった。
そんな時幸平の父親がひょっこりやって来た。
元気になった幸平を見て満足そうに喜んだ。
彼は淳子の事を詳しく話したのである。
ここまで元気になれたのも淳子のお陰であると・・・

だが父親は不快感をあらわにしたのである。
そして「貧乏人と付き合うと自分も貧乏臭くなる、あの娘が例え良い子であってもお前にはふさわしく無いな」と切り捨てる様に言って帰ったのだった。
しかし幸平にはこの山里で心を開いて話せる相手は 淳子を於いて他にはいなかったのである。

そして春が来た。
淳子は卒業して例の駄菓子屋を継いだ。
幸平も又 病気も癒え一緒に歩き回るのに苦痛を感じなくなった。
その頃になると話題も変わってきていた。
お互いの将来を語り合い少しずつではあるが 相手を異性として感じる様になって行ったのである。
しかしまだ幼い恋心ではあったが・・・
確実にその愛は育っていった。

だが現実は残酷である。
「もう大丈夫だろう」
父親の一言で東京に戻る事になった幸平は「必ず迎えに来るから・・・卒業するまで待ってろよ」と何度も淳子に言い聞かせ列車の人となったのである。
学校に戻った幸平は 夏休み冬休みはおろか事あるごとにこの小さな駅に降り立った。
勿論淳子に会いにである。

唯 手をつないで歩くだけで幸平は幸せを感じていたのである。
この思いは淳子も同じであった。
が、町の人達はそんな二人の純愛を信じてはいなかった。
何時の間にか「あの二人は出来てる」「淳子は遊ばれているんだ」「それも知らないで親も親だ」と噂が勝手に一人歩きして好奇の眼で見られる様になってしまったのである。
両親もその噂に耐え切れずついに交際を禁じたのであった。
幸平も淳子も一生懸命疚しい関係でない事を説明したが無駄な事だった。
田舎の、それも小さな温泉町の事である。
判れと言う方が無理な話である。
そこで彼らは相談して密かに湯沢市で会う事にしたのだった。
彼は真新しいマークⅡに乗り温泉町のはずれで彼女を乗せいろんな所をドライブして廻った。

幸平は密かに彼女との結婚を夢見ていた。
そして淳子にこう言った。
「俺と一緒の道を歩いてくれるか?」
淳子は嬉しかった。
そっとギアーを握る幸平の手に自分の手を乗せ幸せを噛み締めていた。
そして秘密のデートをする様になって二年後の夏、初めてのキッスを交わしたのであった。
唇と唇を合わせるだけで幸せは倍増し天国にでも居る様な気がしたのであった。

それからの幸平はまるで人が代わった様に積極的になって行ったのである。
今までの消極的な性格は消え全てに積極的に行動する様になって行った。
大学での態度も自信に溢れアクティブに変わり同輩達もその変貌ぶりに驚いた位だった。
幼少の頃からひ弱な息子の変わり様に父親も喜んでいた。
が その原因が淳子の支え在ってこそとは知る由も無かったのだ。
「良い跡継ぎが出来たわい」
父親は自分の後継者に多いに満足していた。

それから暫くして二人は結ばれた。
ドライブの途中、ふとしたきっかけで国道筋から離れて走った先にモーテルの看板が眼に付いたのだった。
彼は了解を取るべきかどうか一瞬迷ったが 黙って微笑む彼女に聞くのも恥ずかしかったのである。
車は滑る様に暖簾をくぐって駐車場に入った。
彼も彼女も始めての経験だった。
二人は上気した顔で肩を寄せ合い恥ずかしそうに入って行ったのだった。
少しの間おずおずとしていた彼女は大きなベッドに驚きその上でトランボリンに乗る様に跳ね回ったのである。
幸平はテレビのスイッチをひねった。
すると思わぬ画面が飛び出してきたのだ。
話には聞いていたが【男女が絡み合っている】驚いてスイッチを切ったのである。
暫くはこの異次元の部屋の探検をした。
何しろ二人ともこんな場所は初めて入る全く知らない別世界である。
風呂は泡立ちお湯が踊っている、ベッドは回転し ライトが赤、ピンク、紫と代わる。
何もかも珍しい事ばかりであった。
そうした時、幸平は今まで感じた事の無い異常な興奮に見舞われていた。


№ 3
それはこの部屋に入った時から予感はしていたが、現実に彼女と一緒に居る事で理性は吹っ飛んでしまっていた。
ましてや若い雌鹿の様な野性的な彼女の肢体を見る事も始めての事・・・

しかし彼には大きな悩みがあった。
時々夜中にパンツを濡らす、それもヌルッとした気持ちの悪い液体(夢精)をであった。
彼は病気ではないかと悩み苦しんでいたのだ。
恥ずかしくて両親はおろか弟にも友人にも言えなかった。
病院で診て貰おうとも思ったがそれも出来なかったのである。

キャンバスでは友人達が「あの女はどう この子はどうかな」等と話をしていたが彼は決してそうした話の輪に入って行かなかった。
何時も経営学の本を読み横目でそれを見ているに過ぎなかったのである。
だからそれが健康な男の自然な事だとは解っていなかったのだった。

しかし一緒に風呂に入ろうとした時その病気が始まってしまったのである。
慌てて股間を洗い 見られる事無く湯船につかった訳であるが若い彼はすぐ正常に戻っていたのだった。

「優しくしてね」恥ずかしそうに言う彼女の言葉も上の空で聞き 夢中で彼女にしがみ付いていった。
そして幸平は『おとこ』になり淳子は『おんな』になったのである。
シーツに付いた血を見ながら彼女は うっすらと涙を浮かべていた。
しかしこのセックスは淳子にとって決して気持ちの良いものではなかった。
唯 痛さだけが先走り本当の喜びを知るのはまだ先の事ではあったが、結ばれたと云う喜こびと充実感は彼女の全身と心に満ち溢れ ふらつく足には羽が生えた様に思えたのであった。
胸から腰にかけて幾つものキッスマークに「恥ずかしい」と潤んだ瞳で答えたのだった。
それからのデートは二人にとって より深い愛をはぐくむものとなって行ったのである。

幸平は卒業と同時に父親の会社で働く様になった。
彼は何時父親に淳子の事を話そうか機会を伺っていたがなかなか切り出す事が出来ないでいた。
淳子も又彼を信じてその日を待っていたのである。
そうした時、淳子は妊娠した。
意を決して彼は父親に「どうしても彼女と一緒に暮らしたいんだ」と必死に説得した。
激怒した父親は密かに彼女の家を訪ね両親と話し合いを持ったのだった。
もう七ヶ月になっていた彼女は堕ろす機会を失って 生むより道は残されていなかったのである。
両親との会談は彼女には知らされていなかった。
幸平は結婚はおろか 子供の認知さえ許されなかったのである。
「きっと解って貰える日が来る、待っていてくれ」
そう手紙に認めて送った。

しかし幸平に待っていたのは同じ系列会社の社長の娘との縁談であった。
政略結婚である。
今の時代では考えられないがその時代 父親の権力は絶対のものであったのだ。
断る事は出来なかった。
幸平は密かに病院に行き婚約成立後『パイプカット』を行ったのである。
「自分の愛した女性は唯一人、淳子であり幸せを願い付けられた我が子『幸子』の為に もう子供は作るまい」
決意の表れであった。

そして淳子との交信も途絶えたのである。

一方淳子は「父親の判らぬ子を産んだ」と町で噂の種となり肩身の狭い生活を余儀なくされていた。
だが父も母も何も言わない。
母親は行商を止め比較的裕福な暮らしに変わっていた。
幸子が小学校に入学する頃 親友の父親から「お前の両親は松井商事の社長から幾ら貰ったんだ」と聞かれた。
愕然とした彼女は両親を問い詰めた。
案の定、この町でちょっとした豪邸が建つ程の金を受け取り彼女には何も知らされていなかったのである。
絶望のあまり家を飛び出しこの町を捨てたのであった。
そして岩手県久慈市の旅館で働きながら幸子と共にひっそりと暮らし始めたのである


№ 4
幸平は、愛の無い生活の中で 唯仕事のみに生き甲斐を見出そうとしてた。
だがしかし何時まで経っても子供が出来ない。
両親も妻の親たちも 顔を合わせるごとに子供が出来ない事を攻めた。
毎日が砂を噛む様な生活が続いたのである。
幸平はついに切れた。
「当たり前だ、私は愛した人の子しか作らない」「その子は今頃 もう中学生になっているだろう」
妻は怒りを露にして去っていった、可哀想だとは思ったが妻にも結婚前から好きな人が居た・・・と云うより現在も続いて付き合っている事を彼は知っていたのだ。
両親と会社への反逆でもあった。

そして大手の商事会社に就職したのである。
仕事に関しては非常に有能な彼は瞬く間に頭角を現し 海外の支店を次々と拡張していったのであった。
休む間も無く働き続けた・・・

これは余談ではあるがアフリカに企業開拓に行った時の事である。
社員が「ここでは何も売れませんよ、裸で歩き裸足で歩いている、靴もシャツも電化製品も縁の無い生活してるんですから」と・・・
幸平は一括した「だから市場は無限なんだ、彼らに靴を履かせシャツを着せ文化的な生活の便利さを教えてやれ!」と・・・・

どんな所でも無限の市場なんだと陣頭に立って市場開拓をした。
会社は大きく世界に羽ばたいて日本でも有数の優良企業にのし上がったのである。
彼も世界各地での支社長を歴任し、何れは東京本社の社長になる男と誰もが思っていた。
だが彼は全てを捨て退職したのである。
そして還暦を迎えたのである。
いろいろな会社からヘッドハンティングに来た。
又会社も彼の引き止めに必死だった・・・が・・・

「大きな落し物をしたんだよ、それをどうしても捜したいんだ」と断って退職したのだった。

どうしてあの時 今の勇気が出せなかったんだろう。
後悔と無力感が何時も付いて廻って彼を苛んだのであった。

そして淳子の歩いた道程を片っ端から調べて行ったのであった。
「すみません、此方に和泉さんと云う方はいらっしゃるでしょうか」
久慈の『琥珀店』で幸平は尋ねた。
「はい、私が和泉ですけど・・・何か?」
面差しが何処か似ている・・・
幸平は確信した。

「幸子・・・さんですか、お母さんの淳子さんにお会いしたいのですが」
「どなた様でしょうか、母の名をご存知の方とは・・・」
そして はっとした様な顔をして「母は今おりませんが何かご用で」と険しい顔で答えたのであった。
「あー やっぱり幸子か、立派な店をやってるじゃないか、で お母さんは?」
「何処のどなた様か知りませんが呼び捨てにされる謂れはありません」「お帰りください」
冷たく追い返されたのであった。

光るものが頬をつたって流れた。
幸子も店の戸を閉めるなり柱にもたれて嗚咽したのであった。
会いたかった、父がすぐ近くに居る。
が 今までほって置いた恨めしさ 憎さもある。
名刺と宿の名を書いた紙切れを見つめながら泣き続けた。

悄然と帰った幸平は 宿の便箋を借り淳子に宛て、今までの無礼を詫びると共に自分の歩んで来た道を詳しく書いたのである。
彼は一日中部屋の窓から見下ろす久慈の街を見詰めていた。
何としてでも淳子に会いたい。
そして幸子にも・・・
例え嫌われてもいい・・・一度でいいから「お父さん」と呼んで欲しかったのである。

夕方になり手荷物を整理して翌朝の出立を考えていた時 宿の女将が「和泉さんと言う方がいらっしゃっていますけどお会いになりますか」と・・・
階段を降りるのももどかしく駆け下り玄関のロビーに向かったのである。
そこには一昨日会った幸子が背中越しにソファーに身体を小さくして座っていた。
淳子では無かったのである。
失望した彼は「あなたでしたか、一昨日は失礼しました」と答えるに留まった。

「お父さん・・・」振り向いた彼女の眼には一杯涙を湛えていた。
「先日はごめんなさい、あまり突然の事で何を言っていいか判らなくて」「明日一緒にお母さんに会いに行ってくれますか?」
「いや、私こそ、いきなり驚かせて済まなかった」「お母さん いや淳子は病気なのか?」「それとも何か来られない訳でも有るの・・・?」
「明日来て頂ければ判ります」と一冊の分厚いファイルブックを手渡したのであった。
幸平も昨夜認めた手紙を「これを淳子に・・・」と手渡したのであったのだ。

その夜は興奮のあまり一睡も出来なかった。
ファイルを一枚一枚めくってゆく、そこには幸平が海外で活躍してた頃の新聞の切り抜き、経済界の雑誌に載った記事、写真などがびっしり貼ってあった。
所々に「愛するあなた、頑張ってね」「今何処で活躍してるのかなー」等と書かれていた。
そして終わりには「わたしの幸平、いついつまでも待ってるよ」と・・・・
彼は胸が熱くなりファイルに顔を埋めて泣き続けたのであった。

翌朝幸子はワゴン車で迎えに来た。
運転は幸子の夫の雅比呂が、その隣には幸平の孫の(久蔵)が そして幸子の膝の上には赤ちゃんの(翔子)が・・・
車は栗駒山系の麓に向かっていた。
紅葉の先に栗駒山系が新雪を頂いて美しく輝いていた。

幸子は「ほら、あなたたちのお爺ちゃんだよ」と先日までの硬い表情とは打って変わって笑顔を湛えてはしゃいでいたのである。
「やっと念願のお父さんに会えたな」運転席から雅比呂の声がした。
彼はこの街 久慈市で琥珀の加工職人をしていると云う。
それを幸子が駅の近くに店を構え 売っているのだそうだ。

山の麓で車を降り「積もる話もあるだろう、夕方迎えに来るからゆっくり話でもしておいで」と去って行った。
幸平は眼で淳子を捜したが何処にもいない。
「幸子、淳子は・・・?」
「もう少し上よ」少し歩くと墓地が見えてきた。
「まさか?」
「そう、お母さんは去年亡くなったの、最後まできっとお父さんの帰りを待ってたのよ」
幸平は絶句して何も言えなかった。
後から後から涙が出て止まらなかった。

「お父さんは本当に愛していたのね、悪いと思ったけどお母さんの代わりに読ませて頂いたわ」「だってお父さんの子供は私一人っきりだもんね、再婚の機会もあったんでしょう?」
「いや、全く無かったよ」涙の中で笑いながらそう言ったのである。
「お父さん、これから たまには東京に行ってもいいかなー」
「うんうん、大歓迎だよ、孫も連れてな」
そう幸平は喜んで答えたのだった。

    ー追憶 完ー

「№ 8」  
元治から慶応に代わった。
松も明けぬ内から石倉屋事件が勃発した。
尊皇派の大利等数名が潜伏してるのを察知した新撰組、谷等はそれを惨殺したのだった。
それは凄惨なものであった。
四人一組で相手に襲い掛かる。
息絶えても尚斬り刻む。
残酷な谷流の殺し方であった。
さすがの伊蔵も戦慄を覚えたのであった。

後日それを聞いた近藤は苦りきった表情で「三十郎は斬らねばならぬな」と土方に言った。
それから数日の後 谷三十郎は廓から酩酊して出たところを同じ同士の新撰組隊員によって殺されたのである。
日頃から谷と仲の良かった山南敬介は身の危険を感じて脱走を試みたが 囚われの身となり屯所の中庭で切腹して果てたのであった。

伊蔵は志穂に月十両の手当てを与えたがめったに志穂の家に行く事は無かった。
それはお葉への遠慮もあったが「出来るだけ静かにして置いてやろう」と心の傷の癒えるのを待っていたのである。
志穂はその金で(おさんどん)を雇い 足しげくお葉の所で芸事の修行を積んでいた。
「きっといい芸者になれば伊蔵さんは私を認めてくれる、愛してもくれるだろう」「そしてお姉さん(お葉)も許してくれるに違いない」と・・・
そのいじらしい心根が解らぬお葉では無かったが 伊蔵が自分の所に来なくなる事を恐れたのである。

それは自分の年齢への嫉妬でもあった。
お夕はもうすぐ十九、志穂は十七歳、お葉に至っては二十六歳 セックスのテクニックでは負けない自信はあったが若さでは勝目はない。
しかし伊蔵への思いは誰にも負けない自信はあった。
やがてその事はお夕の耳にも入ってきた。
お夕は嫉妬に狂う女では無かったが一度志穂に会って見ようと思ったのである。
そして志穂の家を訪ねたのだった。
いろいろ話を聞くうちにお夕は出会った頃の伊蔵を思い出していた。

軒先で雀が死んでいた時涙を流しながら土に埋めていた事・・・
庭先が淋しかろうと花を植えていた事など・・・
無表情で人を斬る これは伊蔵の仕事である。
本当は優しい人なんだ・・・と・・・
だから志穂を身請けまでして助けたんだと、自分を納得させたのであった。

ある夜、伏見の川沿いで押し込みと出会った。
下っ引きの正二は「旦那、あの金をそっくり頂いちまいましょう」
強盗団は船に千両箱を五六個積んでいた。
船の上には三人、後は川岸に六人・・・
「正二船を漕げるか」「任せておいてくだせい」途端に行動は早かった。
船上の三人を瞬時に斬り倒すと同時に艀から見る見る船は離れて行く。 

正二の腕は確かであった。
夜の闇の中へ消えていったのである。
伊蔵は「泥棒の上前をはねるとはいい商売だな」と笑った。
暫く下流に下り それから上流へと進路を変え町外れの葦の茂みに船を隠した。
正二は大八車を何処からか持って来てそれに金を積み替え志穂の家へと向かったのである。
「ここなら見つかる心配も無かろう」と・・・・

「№ 9」  
翌日、呉服商桔梗屋が襲われ一家惨殺、一万両近くが盗まれたと云う噂が流れたが、仲間割れから三人の死体が伏見の川岸に浮いてたと云う。
「旦那と俺とは一心同体ですぜ」正二は笑って言った。
又 伊蔵は正二が居る事で何かと助かる、笑って「死ぬまでな」と答えたのだった。

萬勢屋喜助に「船を一艘手に入れたいのだが」と声を掛けてみた。
「何に使いなさるので?」と聞いたが「ちょっと堺港まで・・・」と言葉を濁した。
「いいでしょう、お貸ししましょう」「沈められるかも知れんぞ」
萬勢屋は少し考えて「ようがす、沈んだら沈んだ時、ボロ船で良かったらあの船を三百両でお譲りしましょう」と十数名は乗れる船を売ってくれたのである。
なるほど ボロ船である。
修理に百両程かかった。

伊蔵は正二を連れて堺の町に行ったのである がそこは勤皇の志士が席巻していた。
志士を装い鉄砲鍛冶の所に行き五丁の銃と多くの弾薬、そして火薬を買ったのである。
「あれだけ武器を手に入れているなら幕府はもう終わりかなー」と、彼は思った。

歴史はめまぐるしく動いていた。
新撰組は壬生の屯所を引き払い西本願寺に本部を移した。
伊東甲子太郎は御陵衛士を拝命して新撰組から脱退したのである。
慶応三年春の事であった。
ついに近藤の念願であった幕臣取り立てが決まった。
だがこれは伊蔵には沈み行く太陽の一瞬の光芒に思えたのである。
堺の町で見たものは次々と近代兵器を買い漁る志士達の姿だった・・・
依然新撰組、所司代では刀に頼る事で勝利を信じていたのであった。
伊蔵と正二は夜中、密かに今まで稼いだ金を船に積み込んでいた。
万が一の事を考えてのことだった。

その年 坂本竜馬他数名は近江屋にて暗殺された。
これは伊蔵が関係してるとも思われたが伊蔵には幼馴染を斬る様な真似は出来ない。
又新撰組が襲ったとも云われているがこれも何の証拠も無かった。
只、薩長同盟を竜馬の努力によって成し遂げられた事による反対派が襲ったとも云われるがこれも根拠の無い話である。
佐幕派の者は京の町人に酷く嫌われる様になった。

全てが尊皇攘夷派に流れは来ている。
この時節になると敵見方関係無く殺戮の嵐が吹き荒れた。
伊東甲子太郎も又新撰組に惨殺されたのだった。
又近藤も御陵衛士の残党に狙撃され実働部隊は土方の手によって指揮されていったのである。
池田屋事件以後沖田は喀血し郊外の某所で療養を余儀なくされその後の戦いには出動不能となっていた。
翌、慶応四年 鳥羽伏見の戦いが勃発するのであるが、その少し前から強盗団の中に岡田伊蔵と名乗る人物が幾人か現れる様になった。
伊蔵は怒りに燃えた。
「自分の名前だけが一人歩きしている」鬼と化した伊蔵はそうした者達を斬り捲った。 

ある日 ついに伊蔵の塒が志士達に探し当てられたのである。
夜更けに彼等は襲ってきた。
すぐさま押入れの天井裏にお夕を隠し志士たちと斬り結んだのである。
壬生の狼、鬼の伊蔵は竹薮の中に逃げ込み激しく応戦したのであった。
藪の中では相手はなかなか一度には斬り込めない。
一人二人と術中にはまり伊蔵の刃の前から消えてゆく。
が しかし「この女を殺されたくなかったら刀を捨てろ!」と・・・
お定の首には相手の刃が突きつけられていた。

「万事窮すか」伊蔵はひるんだ。
その時である。
「斬って!お母ちゃんを斬って」「あんた死んじゃ嫌!」後ろで声がした。
お定は「あんた 何言うの?親を見殺しにする気かい! 伊蔵さん助けて、後生だよ」と・・・
と同時にお夕の手から飛んだ脇差がお定の腹に投げつけられたのである。
お夕が複雑な顔で、涙で立っていた。
伊蔵は真っ向からから竹割りに斬り倒した。
お夕によって投げつけられた刀傷は以外に深く刺さり苦しむお定を見て 「もう助からないなら楽に死なせてやろう」と一突きしたのであった。
お夕は肉親の情よりも伊蔵を取った訳だが、「これで邪魔者が一人減った」との思いも有ったのである。

『幕末異聞』

2015年01月04日
「№ 5」  
こうした中で長州軍と幕府とが激突していた。
薩摩は「今幕府を敵に回すのは得策ではない」と判断して幕府軍側についたのだった。
長州軍は惨敗した。
長州は裏切り者薩摩との同盟関係などあり得ないとの考えで一致したのである。
松蔭門下の高杉晋作はかってない奇策を考え付いた。
農民にも銃を持たせたらどうか、刀では幕府軍とは闘えない。
だが銃であれば誰でも訓練すればすぐ戦力になる。
その名も『奇兵隊』
最初は皆笑ったが「これからの時代は刀ではなく銃だ」との信念で説いて廻る晋作の熱意と奇兵隊の機動力に感心して長州藩独自で幕府を倒す可能性を模索しだした。

相変わらず京の都では殺戮の嵐が吹き荒れていた。
伊蔵も又その渦中にあり 命の保障は何処にも無かったのである。
唯 その中にも安らぐ所があるのが救いだった。
お葉の家に行けば何がしかの情報も得られたし行き場のないエネルギーを爆発させる事も出来た。
家では何時もお夕が待っている。
又 時にはお定が割り込んで来る。
だが少々煩わしくも感じていたのであるが、兎も角もてない男に取っては羨ましい話である。
その意味では非常に果報者で有るにはあったが・・・

近藤は西国大名のところによく行っていた。
幕府の立て直しには離反するものが居ては都合が悪い。
そして新撰組も大幅な改革を余儀なくされていた。
脱走する者も居た、全て処断した。
又 盗み、金銭着服、その罰は死を持って償わせたのである。
新しい組員も雇い入れた。
その教育は土方が主に受け持った。
大所帯になると何かと苦労がつき物の様である。

江戸では・・・すでに勝海舟は幕府の滅亡を予見してた。
どうやってこの戦いを終結させるか・・・
徳川家を存続させる為に密かに西郷、坂本と相談してた節がある。
知らぬは京で暗闘を繰り返している佐幕派、尊皇攘夷派達であったのだ。
近々近藤以下数名が幕臣に取り立てられるとの噂が流れていた。
新撰組の連中は又それで勢い付いているのだった。
功名争いの為に余計 斬らねばならぬ相手でも無い者まで斬る。
町の人々は今までと違う反応を見せ始めていた。
いつの間にか新撰組の羽織は恐怖の的となってしまっていたのだった。

ある夕方 ひょんな事から祇園の芸姑、志穂と知り合った。
桂川の畔で下駄の花緒を切らせて困っているところを助けてやったのである。
手ぬぐいを裂き挿げ替えてやった訳だが話を聞くとお葉のところで三味線を習っている様子だ。
「うちの店では『いちげん』のお客さんは取らないの」「ほう、では格式があるんだ」
二言三言話しただけであったが何か心に残る娘であった。

お葉の家で寛いで居る時 志穂がやってきた。
驚いた顔に喜びの表情が読み取れる。
伊蔵の眼を見て「あの娘は手を出しては駄目よ、後ろに真木さんが着いているのよ」と・・・
「あの真木和泉か・・・?」にやりと笑って伊蔵はうなずいた。
「あいつも好きだなーあんな若い娘にまで手を出すとは」
お葉は「一緒よ、お夕だって似たり寄ったりでしょう」と笑った。

稽古が終わって志穂が帰った後、例によってお葉はしがみ付いてくる。
「今日は返さないからね、ここ暫くは血生臭い事は無し、ゆっくりして行ってね」と・・・
そうして夕方 お葉は仕事に出掛けて行った。
天井の節の目を数えながら真木和泉の事を考えていた。
何時かは剣を交えて見たい相手だ、どんな剣を使うのか・・・と。
しかしその日はついに来る事無く終わった。
商家に強盗に入り新撰組を脱走したのである。
結果は新撰組の手によって天王山で捕らえられ自刃させられたのであった。
粛清の嵐も容赦なく吹き荒れた。

「№ 6」  
伊蔵は志穂に優しい言葉を掛けてやっていた。
「悲しい時にはうんと泣けばいい、そして忘れる事だよ」
そして「惚れるんなら新撰組も勤皇の志士も駄目だな、普通の男にしておけ」と・・・

この頃では商家の用心棒の仕事も舞い込む様になった。
それだけ治安も悪い、押し込み強盗も多くなっていたのだ。
食い扶持にありつけない浪人もたくさん居たのである。
お夕の所にも三日に一度帰れればよい程仕事はあった。
帰る度に小判が増える。

お夕はそれを縁の下の壷に入れながら伊蔵が何時も無事である事を祈ってた。
ある晩 伊蔵の雇われている店に押し込みが入った。
一早く眼を覚ました伊蔵は主人夫婦を奥の部屋に匿い押し込みの前に立ったのだった。
そして「岡田伊蔵だ!待ってたぞ!」と・・・
強盗団はそれだけで腰を抜かして何も取らず逃げて行ってしまった。
主人は大層喜び多くの金を差し出し労をねぎらったのである。
「強盗ももう来る事もあるまい」伊蔵は『切りもち(金)』ふたつを懐にその店を後にした。
ひとつはお葉に、もうひとつはお夕に持って帰ったのである。

お夕は「伊蔵さん、もう旦那様って呼んでいいかなー・・・?嫌?」って聞いた。
「もうお前の亭主だよ」お夕は喜んだ。
「やっとお母さんも姉さんも手が出せなくなる」と・・・
そして「一生使い切れない位お金あるよ、もう静かに暮らそうよ」と・・・・
伊蔵は「もう暫く好きにさせてくれ、まだやりたい事がある」と答えてごろりと横になった。
伊蔵は時代がどう動くか見届けたかったのだ。
時代の変革の波はヒタヒタと迫っていた。
しかしまだ動乱の都ではそれを感じる者は少なかったのである。
伊蔵は何となく感じていたが薩摩、長州、そして幕府の動き次第でどう転ぶか、嫌な匂いを嗅ぎ取り自分の活躍の場があるかどうか考えていたのだった。

「№ 7」  
元治元年も暮れの押し迫った頃、ある商家『萬勢屋(両替、海産物業)』の主人と初めて祇園を訪れた。
その頃伊蔵は萬勢屋の用心棒をしていたのである。
両替屋の蔵には何時も千両箱が積んであったのだ。
もし押し込み強盗にでも遭えば根こそぎ身代を失う事になる。
それを防ぐには腕に覚えのある剣客を雇う必要があったのだ。

偶然の事である。
座敷に志穂が現れた。
面やつれはしていても伊蔵の顔を見た途端明るい笑顔がこぼれた。
女将に聞くとまだ水揚げされてないとの事である。
萬勢屋主人喜助は「先生お好みの娘がいらっしゃる様で」と笑って言った。
「うん、ちょっと訳ありの娘でな」「いっそ先生が身請けなさったら如何ですか、金は私が用立てましょう」
喜助にとって身代、命を預かる伊蔵への出費は痛くも痒くも無かった。
まして芸姑の一人や二人位安い買い物なのだ。

こうして志穂をお葉のところへ連れて帰った。
「嫌ですよ、伊蔵さんの【いろ】なんか面倒見られませんよ」
「まあ 家が見つかるまでの間だ、置いてやってくれ」
「本当に助平なんだから」とぶつぶつ言いながら面倒を見る事になった。
10日ばかりで家は見つかったが、お葉は面白くない。
「うちに来る回数減らしたら駄目だからね、承知しないよ!」と・・・

新撰組もかなり規律が厳しくなった。
少し前、蛤御門での長州藩との激戦に勝利し、秋には伊東甲子太郎等が入隊し意気軒昂である。
が 又脱落して行く者も多く居た。
彼等に待っていたのは死であったのである。
伊蔵はその厳しさには付いて行けなかった。
つくずく新撰組隊員でなくて良かったと思ったものである。

将来、身の立つ様にしてやらなければと思った伊蔵はお葉を説き伏せ、志穂の稽古事は続けさせてやる事にした。

お葉はまだ伊蔵が志穂に手を出していないのを知り承諾してくれた。
「しっかり監視してやるから」と、わざと手元に置く事にしたのだ。
お葉には「何時かお夕からも取り上げてやる」と、伊蔵への執着心は凄まじいものがあったが、それをおくびにも出さず引き受けたのである。
ま、この時代【浮気は男の甲斐性】妾の一人や二人居る方が男として尊敬される所もあったのだが・・・

「№ 5」  
こうした中で長州軍と幕府とが激突していた。
薩摩は「今幕府を敵に回すのは得策ではない」と判断して幕府軍側についたのだった。
長州軍は惨敗した。
長州は裏切り者薩摩との同盟関係などあり得ないとの考えで一致したのである。
松蔭門下の高杉晋作はかってない奇策を考え付いた。
農民にも銃を持たせたらどうか、刀では幕府軍とは闘えない。
だが銃であれば誰でも訓練すればすぐ戦力になる。
その名も『奇兵隊』
最初は皆笑ったが「これからの時代は刀ではなく銃だ」との信念で説いて廻る晋作の熱意と奇兵隊の機動力に感心して長州藩独自で幕府を倒す可能性を模索しだした。

相変わらず京の都では殺戮の嵐が吹き荒れていた。
伊蔵も又その渦中にあり 命の保障は何処にも無かったのである。
唯 その中にも安らぐ所があるのが救いだった。
お葉の家に行けば何がしかの情報も得られたし行き場のないエネルギーを爆発させる事も出来た。
家では何時もお夕が待っている。
又 時にはお定が割り込んで来る。
だが少々煩わしくも感じていたのであるが、兎も角もてない男に取っては羨ましい話である。
その意味では非常に果報者で有るにはあったが・・・

近藤は西国大名のところによく行っていた。
幕府の立て直しには離反するものが居ては都合が悪い。
そして新撰組も大幅な改革を余儀なくされていた。
脱走する者も居た、全て処断した。
又 盗み、金銭着服、その罰は死を持って償わせたのである。
新しい組員も雇い入れた。
その教育は土方が主に受け持った。
大所帯になると何かと苦労がつき物の様である。

江戸では・・・すでに勝海舟は幕府の滅亡を予見してた。
どうやってこの戦いを終結させるか・・・
徳川家を存続させる為に密かに西郷、坂本と相談してた節がある。
知らぬは京で暗闘を繰り返している佐幕派、尊皇攘夷派達であったのだ。
近々近藤以下数名が幕臣に取り立てられるとの噂が流れていた。
新撰組の連中は又それで勢い付いているのだった。
功名争いの為に余計 斬らねばならぬ相手でも無い者まで斬る。
町の人々は今までと違う反応を見せ始めていた。
いつの間にか新撰組の羽織は恐怖の的となってしまっていたのだった。

ある夕方 ひょんな事から祇園の芸姑、志穂と知り合った。
桂川の畔で下駄の花緒を切らせて困っているところを助けてやったのである。
手ぬぐいを裂き挿げ替えてやった訳だが話を聞くとお葉のところで三味線を習っている様子だ。
「うちの店では『いちげん』のお客さんは取らないの」「ほう、では格式があるんだ」
二言三言話しただけであったが何か心に残る娘であった。

お葉の家で寛いで居る時 志穂がやってきた。
驚いた顔に喜びの表情が読み取れる。
伊蔵の眼を見て「あの娘は手を出しては駄目よ、後ろに真木さんが着いているのよ」と・・・
「あの真木和泉か・・・?」にやりと笑って伊蔵はうなずいた。
「あいつも好きだなーあんな若い娘にまで手を出すとは」
お葉は「一緒よ、お夕だって似たり寄ったりでしょう」と笑った。

稽古が終わって志穂が帰った後、例によってお葉はしがみ付いてくる。
「今日は返さないからね、ここ暫くは血生臭い事は無し、ゆっくりして行ってね」と・・・
そうして夕方 お葉は仕事に出掛けて行った。
天井の節の目を数えながら真木和泉の事を考えていた。
何時かは剣を交えて見たい相手だ、どんな剣を使うのか・・・と。
しかしその日はついに来る事無く終わった。
商家に強盗に入り新撰組を脱走したのである。
結果は新撰組の手によって天王山で捕らえられ自刃させられたのであった。
粛清の嵐も容赦なく吹き荒れた。

「№ 8」  
元治から慶応に代わった。
松も明けぬ内から石倉屋事件が勃発した。
尊皇派の大利等数名が潜伏してるのを察知した新撰組、谷等はそれを惨殺したのだった。
それは凄惨なものであった。
四人一組で相手に襲い掛かる。
息絶えても尚斬り刻む。
残酷な谷流の殺し方であった。
さすがの伊蔵も戦慄を覚えたのであった。

後日それを聞いた近藤は苦りきった表情で「三十郎は斬らねばならぬな」と土方に言った。
それから数日の後 谷三十郎は廓から酩酊して出たところを同じ同士の新撰組隊員によって殺されたのである。
日頃から谷と仲の良かった山南敬介は身の危険を感じて脱走を試みたが 囚われの身となり屯所の中庭で切腹して果てたのであった。

伊蔵は志穂に月十両の手当てを与えたがめったに志穂の家に行く事は無かった。
それはお葉への遠慮もあったが「出来るだけ静かにして置いてやろう」と心の傷の癒えるのを待っていたのである。
志穂はその金で(おさんどん)を雇い 足しげくお葉の所で芸事の修行を積んでいた。
「きっといい芸者になれば伊蔵さんは私を認めてくれる、愛してもくれるだろう」「そしてお姉さん(お葉)も許してくれるに違いない」と・・・
そのいじらしい心根が解らぬお葉では無かったが 伊蔵が自分の所に来なくなる事を恐れたのである。

それは自分の年齢への嫉妬でもあった。
お夕はもうすぐ十九、志穂は十七歳、お葉に至っては二十六歳 セックスのテクニックでは負けない自信はあったが若さでは勝目はない。
しかし伊蔵への思いは誰にも負けない自信はあった。
やがてその事はお夕の耳にも入ってきた。
お夕は嫉妬に狂う女では無かったが一度志穂に会って見ようと思ったのである。
そして志穂の家を訪ねたのだった。
いろいろ話を聞くうちにお夕は出会った頃の伊蔵を思い出していた。

軒先で雀が死んでいた時涙を流しながら土に埋めていた事・・・
庭先が淋しかろうと花を植えていた事など・・・
無表情で人を斬る これは伊蔵の仕事である。
本当は優しい人なんだ・・・と・・・
だから志穂を身請けまでして助けたんだと、自分を納得させたのであった。

ある夜、伏見の川沿いで押し込みと出会った。
下っ引きの正二は「旦那、あの金をそっくり頂いちまいましょう」
強盗団は船に千両箱を五六個積んでいた。
船の上には三人、後は川岸に六人・・・
「正二船を漕げるか」「任せておいてくだせい」途端に行動は早かった。
船上の三人を瞬時に斬り倒すと同時に艀から見る見る船は離れて行く。 

正二の腕は確かであった。
夜の闇の中へ消えていったのである。
伊蔵は「泥棒の上前をはねるとはいい商売だな」と笑った。
暫く下流に下り それから上流へと進路を変え町外れの葦の茂みに船を隠した。
正二は大八車を何処からか持って来てそれに金を積み替え志穂の家へと向かったのである。
「ここなら見つかる心配も無かろう」と・・・・

「№ 9」  
翌日、呉服商桔梗屋が襲われ一家惨殺、一万両近くが盗まれたと云う噂が流れたが、仲間割れから三人の死体が伏見の川岸に浮いてたと云う。
「旦那と俺とは一心同体ですぜ」正二は笑って言った。
又 伊蔵は正二が居る事で何かと助かる、笑って「死ぬまでな」と答えたのだった。

萬勢屋喜助に「船を一艘手に入れたいのだが」と声を掛けてみた。
「何に使いなさるので?」と聞いたが「ちょっと堺港まで・・・」と言葉を濁した。
「いいでしょう、お貸ししましょう」「沈められるかも知れんぞ」
萬勢屋は少し考えて「ようがす、沈んだら沈んだ時、ボロ船で良かったらあの船を三百両でお譲りしましょう」と十数名は乗れる船を売ってくれたのである。
なるほど ボロ船である。
修理に百両程かかった。

伊蔵は正二を連れて堺の町に行ったのである がそこは勤皇の志士が席巻していた。
志士を装い鉄砲鍛冶の所に行き五丁の銃と多くの弾薬、そして火薬を買ったのである。
「あれだけ武器を手に入れているなら幕府はもう終わりかなー」と、彼は思った。

歴史はめまぐるしく動いていた。
新撰組は壬生の屯所を引き払い西本願寺に本部を移した。
伊東甲子太郎は御陵衛士を拝命して新撰組から脱退したのである。
慶応三年春の事であった。
ついに近藤の念願であった幕臣取り立てが決まった。
だがこれは伊蔵には沈み行く太陽の一瞬の光芒に思えたのである。
堺の町で見たものは次々と近代兵器を買い漁る志士達の姿だった・・・
依然新撰組、所司代では刀に頼る事で勝利を信じていたのであった。
伊蔵と正二は夜中、密かに今まで稼いだ金を船に積み込んでいた。
万が一の事を考えてのことだった。

その年 坂本竜馬他数名は近江屋にて暗殺された。
これは伊蔵が関係してるとも思われたが伊蔵には幼馴染を斬る様な真似は出来ない。
又新撰組が襲ったとも云われているがこれも何の証拠も無かった。
只、薩長同盟を竜馬の努力によって成し遂げられた事による反対派が襲ったとも云われるがこれも根拠の無い話である。
佐幕派の者は京の町人に酷く嫌われる様になった。

全てが尊皇攘夷派に流れは来ている。
この時節になると敵見方関係無く殺戮の嵐が吹き荒れた。
伊東甲子太郎も又新撰組に惨殺されたのだった。
又近藤も御陵衛士の残党に狙撃され実働部隊は土方の手によって指揮されていったのである。
池田屋事件以後沖田は喀血し郊外の某所で療養を余儀なくされその後の戦いには出動不能となっていた。
翌、慶応四年 鳥羽伏見の戦いが勃発するのであるが、その少し前から強盗団の中に岡田伊蔵と名乗る人物が幾人か現れる様になった。
伊蔵は怒りに燃えた。
「自分の名前だけが一人歩きしている」鬼と化した伊蔵はそうした者達を斬り捲った。 

ある日 ついに伊蔵の塒が志士達に探し当てられたのである。
夜更けに彼等は襲ってきた。
すぐさま押入れの天井裏にお夕を隠し志士たちと斬り結んだのである。
壬生の狼、鬼の伊蔵は竹薮の中に逃げ込み激しく応戦したのであった。
藪の中では相手はなかなか一度には斬り込めない。
一人二人と術中にはまり伊蔵の刃の前から消えてゆく。
が しかし「この女を殺されたくなかったら刀を捨てろ!」と・・・
お定の首には相手の刃が突きつけられていた。

「万事窮すか」伊蔵はひるんだ。
その時である。
「斬って!お母ちゃんを斬って」「あんた死んじゃ嫌!」後ろで声がした。
お定は「あんた 何言うの?親を見殺しにする気かい! 伊蔵さん助けて、後生だよ」と・・・
と同時にお夕の手から飛んだ脇差がお定の腹に投げつけられたのである。
お夕が複雑な顔で、涙で立っていた。
伊蔵は真っ向からから竹割りに斬り倒した。
お夕によって投げつけられた刀傷は以外に深く刺さり苦しむお定を見て 「もう助からないなら楽に死なせてやろう」と一突きしたのであった。
お夕は肉親の情よりも伊蔵を取った訳だが、「これで邪魔者が一人減った」との思いも有ったのである。

『幕末異聞』

2015年01月02日
「№ 2」  
この頃の京では人が殺されるのは日常茶飯事である。
お夕もそれを見てもさして驚く様子もなかった。
唯 あまりにも凄腕なのに舌を巻いたのだ。

同じ土佐藩で坂本竜馬と共に一緒に遊んだ仲ではあるが竜馬は倒幕の志、伊蔵は幕閣の犬・・・
何処でどう道が違ったのかいまだに謎である。
唯 云えるのは将来を見据えて行動する能力の有る無しの問題であろうか。
剣のみで生きる伊蔵には時代のうねりが判らなかったのであろうか・・・

伊蔵の塒はこの山科に決めていた。
後ろが竹薮で もし不意を突かれて闘う羽目になった時竹薮は非常に有利だからだ。
何より居心地が良い、お定はやきもち焼きではあるが気風が良い、そして肝が据わっている。
そして可愛いお夕が居る。毎晩腰が抜ける程楽しんでいたのである。

この頃には勤皇の志士達が次々と幕府方の人間を襲う事が多くなった。
江戸幕府は浪士隊を募り京に送り込んできた。
いよいよ京も風雲急を告げる様相を呈して来たのである。
「これは面白い事になりそうだぞ」
伊蔵は自分の活躍の場が出来る事ににんまりとしていた。
浪士隊にも腕に覚えの有る食い詰め浪人が全国から続々と入ってきた。
やがてそれが紆余曲折を経て新撰組となって行くのだが・・・

文久二年四月、薩摩藩主の父島津光候が勤皇急進派を千人引き連れて上京した。
一挙に関白九条尚忠と京都所司代を幽閉して倒幕の狼煙を挙げんとしたのだ。
薩摩藩主島津久光はその通報を公家方から受け その暴挙を止めんと使者を送ったのであるが・・・
説得に応じようとしない志士達を粛清の名の元に切り捨てたのである。
これが世に云う寺田屋騒動である。

その頃、伏見寺田屋は薩摩藩の定宿であった。
これで収まったかと見えた倒幕の狼煙は西国の武士達の心の怒りを買い 却って火に油を注ぐ結果になってしまったのである。
この事件は薩摩藩の内乱で片付けられたが日を追って京の都は不穏な空気に包まれていった。
伊蔵はよくお夕と京の町を散策して歩いた。
そしてこの宿は何々藩の定宿であるとか何処の廓に討幕派が多く集まる所か、又幕府側の連中は何処の廓に出入りしてるかとか調べていたのだ。
と 同時に京の町の隅々まで裏通りに至るまで知っておく必要が有ったからだ。

時々廓にも足を運んだ、が大して面白いとは思わなかった。
それよりお夕の方がはるかに好かったのである。
何より彼女は俗説に云う 数の子天井 と云う奴であった。
めったに出会える事のない名器なのだ。
そこに持って来て甘え上手である。伊蔵の手の届かぬ所まで気を利かせてくれる。

伊蔵は誰かの依頼を受ければ片っ端から切り捨てていった。
たとえそれが何の関係の無い人間でも・・・
10両盗めば首が飛ぶ(死罪)時代だ。
大店の主人が「あいつが目障りだ、殺してくれ」と依頼があれば簡単に引き受けた。
すると50両100両の金などすぐ手に入る。
志士を殺せば所司代から報奨金が出る、だがそれはお涙金程度だ。
誰かの依頼を受け仕事した方が金になる。
伊蔵はそうした仕事にも手を染めていたのである。

文久三年九月、正式に新撰組が発足した。
それまで浪士隊として京の治安を守ってはいたが食い詰め浪人の中には押し込み強盗、ゆすり等をする者も居て統制は全く取れていなかったのである。
新撰組 壬生の屯所にも出入りして屯所で出来ない やっかいな事は全て引き受け剛剣を振るった。
何時しか『壬生の狼』と呼ばれる様になって行ったのである。

だが岡田伊蔵の名は新撰組の記録には無い。
それは隊員には名を連ねていなかったからであろう。
新撰組では『局中御法度』なるものを発行して隊に離反する者を次々と死に追いやった。そして京の治安を守ろうとした訳だが 尊王攘夷論者は益々過激になり毎日が血で血を洗う抗争を起こす様になっていったのである。
今やどちらが善か悪か、各藩の力と幕府とどちらが強いか混沌とした中で新撰組は己の信ずる道を突き進んで行った。
京の治安を守る事で新撰組の評価は高まり町の人々に好意的に受け入れられる様になった。

又 伊蔵も刀の血糊の乾く間もなく勤皇の志士達を血祭りに上げていったのである。
そして帰るや否や井戸水で身体を洗いお夕を求めたのであった。
お夕もそれを待っていた。
仕事が終われば抱いて貰える、そして大層なお金が転がり込んでくる 嬉しくてたまらない。
身体を清めしがみ付いて行く。
あえぎ声が階下のお定に聞こえてくる。
お定は「糞っ」と舌打ちしてた。
今では海舟の下を離れ一匹狼となり依頼されれば誰彼なく切って捨てる。
飢える狼そのものであった。

一方竜馬はといえば薩長同盟を画策して薩摩の西郷と頻繁に会い長州を説得に奔走してたのである。
そうした世の動きを斜に見ながら伊蔵は迷っていた。
自分は何処に行けばいいのか?と・・・
一度竜馬に会おうか、これからこの国はどうなるのか?
それを知るには竜馬が一番である。
幼馴染の竜馬なら気を許して話が出来る。

一方竜馬は薩摩の公武合体論を唱える西郷達と尊王攘夷論者の長州藩との間に立ち苦慮していた。
どちらも倒幕の意思はある。
だがどちらも譲らぬ、兎に角頑固者同士だ。
竜馬は伊蔵に言った。
「幕府はこれまでよ、今のままでは西欧の列強にこの国を取られてしまう」「伊蔵、時代の足音が聞こえぬか」「もうすぐ刀の時代は終わる、これからはこれの時代よ、のう」
懐の拳銃を取り出し「土佐に帰れ、そして心も身体も清めて来い」と・・・

新撰組の活躍にも関わらずその頃 京の都は将に無法地帯であった。
昼と云わず夜と云わず抗争は続いたのである。
伊蔵は毎日その中を駆け回っていた。
どうやら倒幕派の方に分があるような気がする。
志士を応援し かくまう商家も多い・・・
あまりにも浪士隊の頃(新撰組発足前)恐れられ過ぎていたのだ。

伊蔵の逗留してる旅籠のお夕は「伊蔵さん、もう止めようよ」「お金なら充分稼いだわ、お夕と二人で田舎で静かに暮らそうよ」と言った。
土佐に戻ろうか・・・伊蔵は悩んでいた。
「どっち道何処かで野垂れ死にするんだろうなー」「二人で暮らすのも悪くはない」
後戻りするのは今しか無い・・・
だが戦乱の世になれば出世の糸口も開ける。
まだ伊蔵にはかっての関が原を夢見る心が何処かにあった。

元治元年、長州の武士が皇居、所司代に発砲した事から端を発し長州軍は倒幕の意思を持ち1250名の兵を進めた。
幕府は薩摩と手を組みそれを鎮圧したのである。
これで薩長同盟の芽は消えたかと思われた、が・・・竜馬は粘り強く同盟の重大さを説いて廻った。
しかしこの戦いは益々両藩の亀裂を大きく深めたのである。
伊蔵は独特の勘で「日本中 戦になるな」と読んだ。
だが勝敗はどちらになるか? それが判らぬ。
「俺はどうしても勝ち馬に乗らなくては駄目だ」と・・・
諸外国では虎視眈々と日本を植民地にしようと狙ってる。
それは伊蔵にも解ってきていた。

五月半ば・・・・
志士達に不穏な動きあり。
有る筋から情報を得た伊蔵はそれを新撰組局長近藤に告げるかどうか迷った。
このまま土佐に戻るとすれば胸に締まって旅立てばよい。
だ「№ 3」  
がまだ京に残るとするなら知らせるべきであろう。
貧乏な下級武士で終わるのか、この戦いの中で高禄で召抱えられる様な働きを見せるか・・・
お夕の温もりの中で考えの行方を想像してた。

人斬り家業も楽ではない。
『鏡新明智流』では誰にも負けた事はない。
又、他の流派にも引けはとらぬ。
戦ともなれば尚更占めたものだ。
「こうなれば占めたもの、俺の働きを存分に見せつけてやる、運が俺に廻って来るかも」・・・

日頃から使い走りさせてる下っ引きの正二がやってきた。
彼は唯の下っ引きではない。
時々商家の弱みを握りゆすりたかりをして小銭を稼ぐケチな野郎である。
だが伊蔵の前に出ると借りてきた猫の様に大人しく言う事を聞くのだ。
伊蔵の剣の凄さを知り「この人に付いて行けば商家をゆするより良い金儲けが出来る」と踏んで自分から子分に成った男である。
「だんな、判りましたぜ、六月半ば池田屋ともうひとつがはっきりしないんですけどね」
「志士たちが大勢集まるって事で」
伊蔵は「よし!乗ってみるか」と 近藤の下を訪れた。
これが世に言う『池田屋騒動』の始まりである。

近藤は配下の者数名を町人姿にしてあちらこちらから情報を集めた。
伊蔵は近藤から報奨金を受け取り、お夕への簪を買った。
日頃何もしてやってない男の不器用な感謝の気持ちだった。

元治元年六月五日
『誠』の旗をなびかせて一路池田屋へ・・・
もう一斑は情報にあるもう一軒の宿に向かったのである。
雨戸を蹴破り「新撰組だ、宿改めをするぞ!」近藤の一声で一斉になだれ込んだ。
最初は新撰組に分は無かった。
勢い良く乗り込んだものの二班に別れていた為 劣勢は免れなかったのだった。
階段の途中で阻止され近藤以下配下の者も苦戦を強いられた。
遅れて来た土方が乗り込むのがもう少し遅れていたら歴史は変わっていただろう。
勢い付いた新撰組の面々は一斉に雪崩れ込んだのであった。

将に地獄絵図だ、遅れて来た土方、沖田と共に志士達を斬り捲ったのである。
窓から逃げる者達は下で待ち受けていた伊蔵達が一掃したのであった。
この池田屋事件によって明治新政府が一年遅れたと言われている。
しかし主だった者数名を取り逃がした。
そしてこの事件を期に全国で倒幕の狼煙が上がった事は確かである。

又 近藤はなかなか人を信用しない。
かって郷士であった頃『天然理心流』の道場を開いていた頃の仲間だけは信じていた様子だ。
自分と意見が合わぬ者はことごとく排斥したのである。
だから伊蔵の様な使い手でも土佐の出身と云うだけで心から信じていなかった。
もし幕府軍が勝ったとしても取り立てて貰う事は出来なかったに違いない。

「№ 2」  
この頃の京では人が殺されるのは日常茶飯事である。
お夕もそれを見てもさして驚く様子もなかった。
唯 あまりにも凄腕なのに舌を巻いたのだ。

同じ土佐藩で坂本竜馬と共に一緒に遊んだ仲ではあるが竜馬は倒幕の志、伊蔵は幕閣の犬・・・
何処でどう道が違ったのかいまだに謎である。
唯 云えるのは将来を見据えて行動する能力の有る無しの問題であろうか。
剣のみで生きる伊蔵には時代のうねりが判らなかったのであろうか・・・

伊蔵の塒はこの山科に決めていた。
後ろが竹薮で もし不意を突かれて闘う羽目になった時竹薮は非常に有利だからだ。
何より居心地が良い、お定はやきもち焼きではあるが気風が良い、そして肝が据わっている。
そして可愛いお夕が居る。毎晩腰が抜ける程楽しんでいたのである。

この頃には勤皇の志士達が次々と幕府方の人間を襲う事が多くなった。
江戸幕府は浪士隊を募り京に送り込んできた。
いよいよ京も風雲急を告げる様相を呈して来たのである。
「これは面白い事になりそうだぞ」
伊蔵は自分の活躍の場が出来る事ににんまりとしていた。
浪士隊にも腕に覚えの有る食い詰め浪人が全国から続々と入ってきた。
やがてそれが紆余曲折を経て新撰組となって行くのだが・・・

文久二年四月、薩摩藩主の父島津光候が勤皇急進派を千人引き連れて上京した。
一挙に関白九条尚忠と京都所司代を幽閉して倒幕の狼煙を挙げんとしたのだ。
薩摩藩主島津久光はその通報を公家方から受け その暴挙を止めんと使者を送ったのであるが・・・
説得に応じようとしない志士達を粛清の名の元に切り捨てたのである。
これが世に云う寺田屋騒動である。

その頃、伏見寺田屋は薩摩藩の定宿であった。
これで収まったかと見えた倒幕の狼煙は西国の武士達の心の怒りを買い 却って火に油を注ぐ結果になってしまったのである。
この事件は薩摩藩の内乱で片付けられたが日を追って京の都は不穏な空気に包まれていった。
伊蔵はよくお夕と京の町を散策して歩いた。
そしてこの宿は何々藩の定宿であるとか何処の廓に討幕派が多く集まる所か、又幕府側の連中は何処の廓に出入りしてるかとか調べていたのだ。
と 同時に京の町の隅々まで裏通りに至るまで知っておく必要が有ったからだ。

時々廓にも足を運んだ、が大して面白いとは思わなかった。
それよりお夕の方がはるかに好かったのである。
何より彼女は俗説に云う 数の子天井 と云う奴であった。
めったに出会える事のない名器なのだ。
そこに持って来て甘え上手である。伊蔵の手の届かぬ所まで気を利かせてくれる。

伊蔵は誰かの依頼を受ければ片っ端から切り捨てていった。
たとえそれが何の関係の無い人間でも・・・
10両盗めば首が飛ぶ(死罪)時代だ。
大店の主人が「あいつが目障りだ、殺してくれ」と依頼があれば簡単に引き受けた。
すると50両100両の金などすぐ手に入る。
志士を殺せば所司代から報奨金が出る、だがそれはお涙金程度だ。
誰かの依頼を受け仕事した方が金になる。
伊蔵はそうした仕事にも手を染めていたのである。

文久三年九月、正式に新撰組が発足した。
それまで浪士隊として京の治安を守ってはいたが食い詰め浪人の中には押し込み強盗、ゆすり等をする者も居て統制は全く取れていなかったのである。
新撰組 壬生の屯所にも出入りして屯所で出来ない やっかいな事は全て引き受け剛剣を振るった。
何時しか『壬生の狼』と呼ばれる様になって行ったのである。

だが岡田伊蔵の名は新撰組の記録には無い。
それは隊員には名を連ねていなかったからであろう。
新撰組では『局中御法度』なるものを発行して隊に離反する者を次々と死に追いやった。そして京の治安を守ろうとした訳だが 尊王攘夷論者は益々過激になり毎日が血で血を洗う抗争を起こす様になっていったのである。
今やどちらが善か悪か、各藩の力と幕府とどちらが強いか混沌とした中で新撰組は己の信ずる道を突き進んで行った。
京の治安を守る事で新撰組の評価は高まり町の人々に好意的に受け入れられる様になった。

又 伊蔵も刀の血糊の乾く間もなく勤皇の志士達を血祭りに上げていったのである。
そして帰るや否や井戸水で身体を洗いお夕を求めたのであった。
お夕もそれを待っていた。
仕事が終われば抱いて貰える、そして大層なお金が転がり込んでくる 嬉しくてたまらない。
身体を清めしがみ付いて行く。
あえぎ声が階下のお定に聞こえてくる。
お定は「糞っ」と舌打ちしてた。
今では海舟の下を離れ一匹狼となり依頼されれば誰彼なく切って捨てる。
飢える狼そのものであった。

一方竜馬はといえば薩長同盟を画策して薩摩の西郷と頻繁に会い長州を説得に奔走してたのである。
そうした世の動きを斜に見ながら伊蔵は迷っていた。
自分は何処に行けばいいのか?と・・・
一度竜馬に会おうか、これからこの国はどうなるのか?
それを知るには竜馬が一番である。
幼馴染の竜馬なら気を許して話が出来る。

一方竜馬は薩摩の公武合体論を唱える西郷達と尊王攘夷論者の長州藩との間に立ち苦慮していた。
どちらも倒幕の意思はある。
だがどちらも譲らぬ、兎に角頑固者同士だ。
竜馬は伊蔵に言った。
「幕府はこれまでよ、今のままでは西欧の列強にこの国を取られてしまう」「伊蔵、時代の足音が聞こえぬか」「もうすぐ刀の時代は終わる、これからはこれの時代よ、のう」
懐の拳銃を取り出し「土佐に帰れ、そして心も身体も清めて来い」と・・・

新撰組の活躍にも関わらずその頃 京の都は将に無法地帯であった。
昼と云わず夜と云わず抗争は続いたのである。
伊蔵は毎日その中を駆け回っていた。
どうやら倒幕派の方に分があるような気がする。
志士を応援し かくまう商家も多い・・・
あまりにも浪士隊の頃(新撰組発足前)恐れられ過ぎていたのだ。

伊蔵の逗留してる旅籠のお夕は「伊蔵さん、もう止めようよ」「お金なら充分稼いだわ、お夕と二人で田舎で静かに暮らそうよ」と言った。
土佐に戻ろうか・・・伊蔵は悩んでいた。
「どっち道何処かで野垂れ死にするんだろうなー」「二人で暮らすのも悪くはない」
後戻りするのは今しか無い・・・
だが戦乱の世になれば出世の糸口も開ける。
まだ伊蔵にはかっての関が原を夢見る心が何処かにあった。

元治元年、長州の武士が皇居、所司代に発砲した事から端を発し長州軍は倒幕の意思を持ち1250名の兵を進めた。
幕府は薩摩と手を組みそれを鎮圧したのである。
これで薩長同盟の芽は消えたかと思われた、が・・・竜馬は粘り強く同盟の重大さを説いて廻った。
しかしこの戦いは益々両藩の亀裂を大きく深めたのである。
伊蔵は独特の勘で「日本中 戦になるな」と読んだ。
だが勝敗はどちらになるか? それが判らぬ。
「俺はどうしても勝ち馬に乗らなくては駄目だ」と・・・
諸外国では虎視眈々と日本を植民地にしようと狙ってる。
それは伊蔵にも解ってきていた。