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『唄い屋』

『唄い屋サブ』

「№ 1」  
この公園に住み始めてどの位になるのだろう。
遠く沈み行く太陽を見つめぼんやりと考えた。
彼の名は柴田三郎。
ダンボールの小さな小屋に住み毎日食料を求めて街を徘徊する。
故郷では年老いた母親が居るにはいるが帰る訳にはゆかない。
毎年盆と正月には帰って元気な姿を見せて喜ばせていたが・・・
今年も帰りたくとも帰る訳にはゆかない。
猫の額ほどの畑を耕し俺の帰りを待ってるだろうけど・・・
故郷の山や川・・・皆待っているだろうけど。
暮れなずむ空を見つめてため息をついた。
人は俺達を『ホームレス、路上生活者』と呼ぶ。
だが最初からこんな生活をしていた訳ではない。
何がどう狂ったのか解らん。
全てはバブル崩壊から始まる。
かっては大手商社の営業マンとしてそこそこ活躍していたのだが。
だが会社の業績悪化と共に多くの仲間と一緒にリストラの嵐に巻き込まれた。
[業務再生の名の下]で部下の何名かの首切を命令されたのである。
辛い日々だった。
一緒に頑張った同士を会社の為とはいえその彼が肩叩きをしなければならないとは・・・
涙を呑んで、心を鬼にして一人ひとり説得に廻ったのである。
しかしその後に待っていたのは彼への解雇通知だった。
会社とはこんなに冷たいものなのか・・・・
腹も立ったが従わざるを得なかった。
彼には妻も子もいる いや居たと云うのが正しいだろう。
再就職の為にハローワークも行った。
友人を頼ってもみたが仕事にありつくのは難しいものだった。
まして多くの仲間の首を切った彼への風当たりは相当強いものだった。
企業戦士として夜昼無く働いて来たのだったが・・・・
失業と共に妻は離婚を切り出した。
「俺の稼いだ金、家を慰謝料として要求して」さっさと去って行ったのだ。
なけなしの金でアパートを借りて仕事を探す日々が続いたが全ては徒労に終わった。
電気、ガスも止められ家賃も支払う事が出来なくなりついに追い出される羽目になってしまった。
「俺が何か悪い事したか! 唯ひたすら会社の為に努力してきたのに」
「何故だ・・・? どう考えてもおかしい」
只 現在日本全国リストラの嵐が吹き荒れ失業者が溢れたのは確かだ。
ふらふらと上野公園に来てみた。


「№ 2」  
そこには人目を避ける様にダンボール、ビニールシートで作った掘っ立て小屋が其処かしこにあった。
話を聞いてみるとそれぞれ事情があり社会からはじき出された連中が 肩を寄せ合い暮らしていると云う。
程なくして彼もその仲間に入っていった。
本位では無いが無一文の彼にはそうするより道は無かった・・・と思う。
唯一の財産といえば若い頃から慣れ親しんだギターだけである。
公園の片隅でギターを爪弾く。
侘しさが余計募る。
だが、こうでもしなければやり切れない。
ホームレスの仲間たちが集まって聴いてくれる。
こうして一日一日が過ぎて行くのであった。

彼等の朝は早い。
暗いうちからコンビニに行くのだ。
賞味期限切れの食べ物をゴミ箱の中から探すのである。
最初は抵抗感があって近ずく事さえ出来なかった。
そうだろう、つい最近まで大手企業の課長までした男が・・・ゴミ箱の中に首を突っ込んで食い物を漁ろうとは。
しかし生きて行く為には全てのプライドを捨てなければならない。
涙が滲んで消えた。
何の為に頑張って生きてきたのか?
唯ささやかな幸せを、家族を守る為に一生懸命下げたくもない頭も下げ会社の無理難題も聞いてやってきただけなのに。
彼はこんな世の中を恨んだ。
だがこの怒りは何処にぶっつける事が出来るのか?それも解らない。
苛付く彼に隣の住人が声をかけてきた。
「腹は寝かせて置きな、この生活も慣れればまんざら悪いもんでも無いぞ」
その男は元大学で教鞭を取っていたと云う。
「何もかも嫌になってな・・・」彼には理解出来なかった。
必死に仕事に打ち込んできた彼(サブ)にはその男の神経を疑った。
「何故恵まれた生活を捨てホームレスになった?」「疲れたんだよ・・・唯それだけだ」
此処に住む人間にはいろんな人に言えない訳があるものだ。
元配管工、根っからのフーテン、山谷から流れて来た者もいる。
無気力になり終日ぼんやりしてる者も居る。

秋風の吹く季節になった。
ダンボールの小屋は寒い。
有り合わせの衣類の重ね着をする。
それでも寒くて堪らぬ時もある。
これから冬になったらどうやって過ごすのか・・・サブは不安になった。
仲間の一人がゴミの中から汚れたシャツ、セーター等を拾ってきた。
「季節の変わる時には衣類を捨てる者も結構いるんだ」「早く行かないと他の者に取られてしまうぞ」
人の捨てた物を拾う、屈辱感が増す、しかしこれも生きて行く為には仕方が無いだろう。
サブも早朝から毛布、布団等暖を取る為に必要な物を拾って小屋に集めた。
「何故この俺が・・・」悔しさが募る。
一度公園の片隅でギターを弾いてみた。
チャリン・・・見上げると聴いてくれていた人が硬貨を眼の前に投げてくれていた。
サブは閃いた。
「そうだ、これが役に立つかも・・・」


「№ 3」  
「駅前の一角でギターの弾き語りをしよう。
きっと儲かるんじゃないか・・・!」
唄もまんざら嫌いではない。
会社にいた頃よくカラオケに行った。
そこでも皆に「巧いと言われていたっけ・・・」
夕方 人々が家路に着くころから出かけて行く事にした。
そして駅員の眼の届かない所を選んで弦を弾き鳴らす。
彼は矢沢、長淵の曲が十八番であったが時にはウエスタンも弾いた。
外国人が多いこの地区ではこれも必要だと思ったのだ。
案の定この目論みは当たった。
眼の前の空き缶に次々と硬貨が投げ入れられてゆく。
最初の日には500円ばかり儲かった。
終わった時は午前3時・・・・声は枯れ疲労困憊した。
「やれやれ金儲けも楽じゃない」サブはそうつぶやきながら充実感で一杯になりながら小屋に戻った。

しかし世の中そんな甘いものではなかった。
翌日もその翌日も全く人は集まらない。
わずかに酔っ払いが10円硬貨を二三枚入れてくれただけであった。
早朝の飯の調達も思う様にゆかない。
公園の水道水だけで一日過ごす日もあった。
「これでは駄目だ、もっと人の集まる所でやらなきゃ」「俺の唄を聴いてくれる人の多い所で歌おう」サブは考えた。
新宿、銀座ホコテン、渋谷あたりまで足をのばそう。
隣の教授に相談した。
そこにフーテンの辰夫も加わった。
唄の好きな辰夫は非常に乗り気で「どうしても仲間に入れてくれ」と言ってきたのだった。
「アイデアは良いが交通費はどうする?」「空き缶でも集めるか」
空き缶はアルミとして結構高く売れるのだ。
それからは暇のある限り缶を集める事にした。
コンビニも人より早く行って弁当は勿論だが食べられる物なら何でも拾ってきたのである。
時にはコンビニのカンのゴミ箱からアルミだけ集める場合もあった。
その甲斐あって何とか週二回ほどは路上ライブを開けるようになった。
銀座ホコテンで弦を力一杯鳴らす。
そして『とんぼ、家に帰ろう』と続く・・・・・
爆風の『ランナー』に曲が変わった時、期せずして手拍子が起こった。
一緒に歌う者も現れた。
教授が手振り面白く踊りまくる、フリーターの若い辰夫がボーカルを担当する。
路上ライブは大成功に終わったのであった。
ボロ服をまとい50歳代の彼には久しぶりの心からの笑顔がこぼれた。
誰の眼からもホームレスの姿には見えなかっただろう。
貧乏な中年アーティストに映ったに違いない。
久しぶりに湯気の立つラーメンを堂々と金を払って食べた。


「№ 4」  
時々不気味な若い男達が鉄パイプ、金属バットを持ってうろつく様になった。
教授は「一人で歩いては危険だ、集団でいないと駄目だな」と言った。
サブは「襲ってくるのか?」と聞いた。
まだ彼にはその男達がどんな目的で公園に来るのか理解出来ていなかったのだ。
間もなくその不安が的中した。
夜中 少し離れて暮らしていた仲間が襲われたのである。
それは凄惨なリンチだった。
意味も無く殴る蹴るの暴行を受けたのだ。
サブは猛烈な怒りを覚えた。
「我々も鉄パイプ位持って応戦しよう」
だが教授は「絶対に手を出してはならぬ、我々は住んではいけない所に暮らしているんだ」「すぐ警察は我々の方が悪いと決め付けてくる」「兎に角逃げる事だ」と・・・
襲われた二人は瀕死の重傷を負った。
犯人は近くでブラブラしてる中学生達だった。
無力感がサブ達に漂った。
やり切れない思いをぶっつける様にギターをかき鳴らしたのだった。
赤い夕日が泣いていた。

木枯らしの吹く季節になった。
寒さは日を追って厳しくなる。
公園の中では焚き火をする事も出来ない。
夜はだるまの様に着込んで寝た。
辰夫が何処からか石油ストーブを調達してきたが・・・肝心の灯油が無い。
一生懸命空き缶を集めた。
ハローワークに行ってみたが住所不定では相手にされない。
「俺には営業の仕事なら自信があるのに・・・・かくもこの世の中は冷たいものか・・・」
サブは益々落ち込んだ。

街ではジングルベルが鳴り響く。
別れた妻には未練はないが子供の顔が見たくなった。
「今の俺にはプレゼントも何も出来ないが」無性に会いたくなってくる。
「故郷の母親はどうしているだろう・・・病気はしてないか?俺の事どう思ってるか・・・?」
さみしい・・・無性に淋しくなってくる。

辰夫が一升瓶に二本灯油を調達してきた。
ストーブの灯りがまぶしく映った。
皆無言でそれぞれの人生の何処でボタンの掛け違いをしたのか考えているのか・・・
あるいは暖を取りながら自分の人生の不幸を嘆いているのか・・・静かな夜だった。


「№ 5」  
淋しい正月だった。
雑煮も何も無いひもじい正月である。
「どうだ景気付けに街にでも繰り出すか」教授の一声でギターを担いで新宿に出かけた。
正月気分も手伝って見入りは良い。中には千円札を入れてくれる人もいた。
いよいよ佳境に入った時警官たちがやって来た。
「おい、こんな所で歌っては駄目だ、すぐ止めろ」

彼等は早々に片付けて渋谷に向かったのである。
ここでもやはり同じ事であったが合計五千円以上になった。
彼等は考えた。
「ひとつの場所で長くやっては駄目だ、ゲリラ的に少しずつ場所を移そう」
警官が来る前に場所を変えてギターをかき鳴らす。
そんな生活にも慣れてきた頃 公園では悲しい出来事も起きた。
仲間の一人が凍死したのだ。
彼は涙でギターをかき鳴らした。

一時的にホームレスを仮設住宅に収容すると云う。
都の職員が来て小屋を撤去すると言ってきたのだ。
サブ達は必死に抵抗した。
何とかその場は収まったが・・・・・
「いずれは壊される運命だろうな」教授は冷めた目をしてそう言った。
「なあに、駅の構内でも他の公園もあるさ」誰かがそう言って空元気を出したが重苦しい空気が流れていた。


「№ 6」  
やがて春がやってくる。
教授が言った。
「さあ 稼ぎ時が来るぞ」もうすぐ花見のシーズンだ。
公園の花見客が場所取りに前日からやって来る。
あらかじめ適当な場所を取って置いてやるのだ。
すると千円~二千円と手間賃を払ってくれる。
これは相当の収入になるのだった。
ホームレスの皆は公園の裏手に回って目立たぬ場所に小屋を移して花見客の邪魔にならない様にして息を凝らせているのである。

夜も更けてくると客達は家路に着く。
食べ残したご馳走が山ほど集まる。
皆 久しぶりに美味しい酒も飲めると云うものだ。
10日ばかりはそうしたおこぼれに預かる事になる。
それからの季節は少しばかり楽しい事が多い。
美術館での展覧会が始まる。
早朝から地方からの搬入者がやってくる。
所謂絵描きさん達だ。
彼等は開園までの時間を持て余している。
中には声を掛けてくる人も・・・彼等はよくドリンクを欲しがる。
そして「ちょっと買ってきてくれないか」と使いを頼まれる。
つりは大抵チップとなるのだ。
ある日いろんな話をしていると「これでコーヒーとホットドッグを買ってきてくれ」と万札を渡された。
サブは簡単に金を渡して もし持ち逃げされたらどうするのか?と思った。
しかし教授は「信用を裏切ったらここでは暮らせなくなるぞ」と皆を戒めていた。
教授を頭にして皆それに従っていたのだった。

新緑の頃ともなると水道の水も冷たさが苦にならなくなった。
人気の無くなった頃を見計らって身体を洗う。
半年振りの身体の洗濯である。
垢がボロボロと落ちる。
さっぱりしたと云う様なものではない。
まさに生き返ったと云う形容が正しいのである。
着古した衣類までも洗いさっぱりとする。
公園の係員に見つからない様に洗濯物を干す。
これからが観光シーズンである。
公園も人でごった返す。

サブは思いっきり歌った。
毎日声が潰れる程歌いまくった。
ある時外国人の団体が来た。
サブは途端に曲目を変え『テネシーワルツ』を爪弾いた。
それに合わせてその中の数人が一緒に歌い始めたのである。
彼は嬉しくなり『ジャニーギター、ラブミーテンダー』と続いた。
今までにないほどチップを弾んでくれた。
教授と辰夫、三人で数えると四万円ほどあった。
今までにない収入である。
彼等は来る冬に備えて教授の持ってる壷の中に隠したのだった。
サブはこんな生活も悪くないな、と思うようになっていた。


「№ 7」  
教授の様子がおかしい・・・
何か食べ物でも当たったのか?
暫く寝ていたが熱もある様子だ。
皆が交代で看病しているが良くなる気配もない。
ホームレスでは病院に連れて行く訳にもゆかない。
正露丸、風邪薬を飲ませても一向に良くならない。

「すまん、私が死んだら持ち物は皆で分けてくれ」と・・・・
「もうすぐ治るよ、梅雨が明ければきっと良くなるから弱気を起こすな」
皆根拠の無い慰めを言うしか方法はなかった。

暫くの後、教授が消えた。
皆で探し回ったが公園の何処にもいない。
救急車のサイレンが聞こえた。
皆一様にその方向に走った。
胸騒ぎは最悪の状態で当たってしまったのだ。
警官が取り囲み近寄る事も出来ない。
サブは壷の金を自分の懐に入れた。
間もなく警官が教授の小屋に来ていろいろ調べて行った。
辰夫が聞いた「教授は何処の病院に行ったのか?」「病気は何だ?」
警官は「肺炎と栄養失調だ、お前らもいずれそうなるぞ」冷たくそう言って帰った。

暫くして教授が死んだとの噂が広まった。
本当か嘘か確かめようが無かったが二度と帰って来る様子はなかった。
そして都の浄化運動とやらで公園の小屋も取り壊される事になった。
皆バリケードを張って抵抗を試みたが無駄な事であった。
仮設住宅に移された者、他の地区に移った者、それぞれ思うところに散って行ったのである。

サブは辰夫と教授の残した金を勘定した。
意外にも沢山あった。
教授はライブで得た金もこつこつと貯めていたのだった。
計9万3千円・・・・
「どうだ、この金を分けて別れるか」「いや、俺はあんたについて行くよ」
「ドサ廻りでもいいのか?」「決まりだな」と辰夫・・・
まずアメ横でバーゲンのジーンズとジャンパーを買った。
そして近くのコンビニでプリペードの電話、印刷屋で二人の名刺を作ったのである。
『S&T芸能プロダクション』 大層な名前だがこれも営業には必要な道具である。
サブは前から密かに考えている事があった。
それを現実のものとして実行に移そうとしたのだ。
計画の中には教授も入っていたが・・・


「№ 8」  
彼は企業戦士だった頃を思い出していた。
その頃着てた背広に身を包み温泉場で催しをやってる所を探した。
そして名刺を差し出し飛び入りのライブの交渉をするのだ。
交渉がまとまればそこで二三日唄う・・・
元々 自分の持ち歌が無い悲しさ、飽きられる前にその土地を去るのだ。
そうすれば一年置き位には又呼んで貰える。
サブは高音が苦手である、辰夫は高音がよく通る。
二人で一人前なのである。
普段辰夫はハーモニカを練習していた。
まだ人前で吹いた事は無いが一生懸命である。
これからの人生の為に・・・レパートリーも増やした。
温泉地では演歌が無くては駄目だ、どうしても必要である。
県庁所在地ではゲリラライブをして歩く。

兎に角必死であった。
しかし安宿ではあるが畳の上で寝られる。
食事も普通の食堂で食べられる。
辰夫も多いに満足していた。
ホームレスの時代より小さな舞台でも人前で多くの拍手をもらえる。
ちょっとしたスター気分だ。
また先の見えない旅であるが日本全国廻って歩くことが出来る。
さて、今日はどちらに行こうかな・・・・??
硬貨の裏表で行き先を決めるのだ。

もしかしたら明日 貴方達の街でひょっこり出会えるかも・・・・
乞うご期待を・・・・

   ー第一章 完ー

   -第二章ー

「№ 9」  
ある温泉町の舞台の事である。
舞台も佳境に入った時、突然紙に包んだ硬貨が投げ込まれたのだ。
今まで経験した事の無い出来事だった。
所謂『おひねり』と云う奴である。
すると次から次へと投げ込まれたのだった。
旅館の女将も喜んで「もう二三日やってくれないか」と言ったがサブは「次の予定が入っていますので」と丁寧に断ったのである。
辰夫は「何も予定なんか入っていないのに」と思ったが黙ってそれを聞いていた。
「そうかい、じゃあ又来年来てくださいな、もう少し長い興行で・・・」と・・・
サブは「かしこまりました、では来年宜しく」と答えたのであった。
やっと意味が解った辰夫は「すごい、この人は先の事まで考えているんだ」と感心したのであった。
おひねりは一万円近くあった。
それは二人の小使いとして分ける事にした。
辰夫のハーモニカも舞台で使える程になった。
そして時々サインを求められる様になってきたのだ。
地道に地方の温泉町に根付いてきた。
少しずつではあるが年間の計画も立てられる程になった。
「色物が欲しいなー」サブが言った。
「いい子がいるよ、ほら、この前の温泉で仲居をやっていたあの子よ」
辰夫にサインを求めサブに「歌を聴いて欲しい」と言ってたまだあどけなさが残る若い娘である。
「あの子は歌手になりたいって言ってたぞ」「辰夫、お前惚れたな、仲間で惚れたら駄目だぞ」
サブはもう一度その娘に会ってみようと思った。
次の興行地を終えてその町へ向かってまず女将と話をした。
女将はさっぱりとした性格で「まあ本人次第だねー、仲居の仕事振りはパッとしないが柴田さんがいいと思うならそれもいいでしょう」と・・・・
彼は二三曲聴いてみる事にした。
演歌歌手になりたいと言ってただけに小節の回るいい喉をしている。
只お世辞にも美人とはいえない、所謂ハニーフェイスと云う奴だ。
これはそれぞれの美意識の問題であってサブの美の範疇には入ってなかった。
「ま いいか」とサブは仲間に入れる事にした。
「唯唄えるだけでは駄目だぞ、何か楽器でも使えなくっちゃ」
彼女は「三味線では駄目でしょうか」と聞いてきた。
小さい時から津軽三味線を習っていたと云う。
「これはおかしなトリオになったぞ」サブは内心ほくそ笑んだ。
今度は俺が勉強しなくては駄目だな・・・と思いながら辰夫と合流した。
サブはギターで演歌を弾く練習を始めた。
元々古賀メロディーは若い頃よく弾いてはいたが今の曲には付いてゆけない。
レパートリーを増やすと云う事は大変な事だ。
持ち歌を藤圭子、都はるみ に絞りリハーサルを重ねた。


「№ 10」  
サブの営業に対する情熱と執念には凄まじいものがあった。
一度どん底まで落ちた男の強さは絶対に興行を成功させるんだ、との決意が漲っていた。
時にはその土地の親分の家まで挨拶に行ったのである。
辰夫は「何故そこまでやるのか?」と聞いた。
「保険だよ、興行を失敗させる訳にはゆかん」「俺たちは所詮どさ廻りの唄い屋だぞ」
メジャーな歌手なら何もしなくても安全に興行を打てる、だがサブ達には何の保障もない。
それをする事によって何処でもゲリラライブも出来るのだ。

さて彼女の芸名は何にするか?
三人で考えた末 現在活躍してる歌手から苗字を貰い『坂本』名は『圭子』とした。
衣装はミスマッチを狙いジーンズにちょっと派手なジャンパー・・・・
二ヶ月ばかり皆と練習してデビューとなった。
最初は何時もの如くサブの『乾杯の唄』で始まり二三曲辰夫とサブが歌った後『夢は夜ひらく』の伴奏と共に圭子の出番が来た。
中々度胸もいい、客の乗りも上々・・・・サブはホッと胸を撫で下ろした。
大成功であった。
「そろそろ給料制にしなければいけないな」サブは考えた。
三人で相談した結果興行収入と『おひねり』の半分は取り合えず貯金、その中から給料を出す。
彼等にとって画期的な出来事だった。
サブがリーダーとして4万円、辰夫が3万5千、そして圭子が3万円、少ないが旅費食事代は『T&S』から出す事に決まった。
旅館は興行先で用意してくれる。
だがその他の旅先での雑費、宿泊費についてはやはり『T&S』の経費として計上する事にした。
収入は月150万~180万、まだまだ開発しなければならない。
病気、不慮の事故の為の金もプールして置かなくてはならないのだ。
全てガラス張りである。
おひねりが多ければ皆の収入も増える。
辰夫も圭子も喜んだ。
舞台に余計力が入った。
圭子の出番の時には余計拍手と歓声が起きる、おひねりも多い。
辰夫も負けじと頑張る、相乗効果である。
マイナーの業界だが結構名も知られてきた。そんな中ひょうきんな女の子が追っかけで付いて来る様になった。


「№ 11」  
「さあ始まるよー! 天下のT&Sプロの柴田三郎のライブだよー、みんな聞かなきゃ損するよ」と呼び込みまで始める始末。
これにはまいった。
サブはその女の子を呼んで「少し黙っていてくれ」と言った。
が お構いなく合いの手を入れる。
一緒にハモるのはいいが出番の中継までする。
そのタイミングたるや絶妙なのである。
「これは使えるかもしれないな」サブはそう思った。
そこで二人に相談したのである。
辰夫も圭子も賛成した「雑用をする人が欲しいわよ」「買い物洗濯をさせたら楽になるよ」
福子と云った、それではゴロが悪いので『富士子』と呼ぶ事にした。
富士子はよく働いた。
今まで祭りのある所でタカマチ(夜店を出してどうしようもない物を売る)を張ってたと云う。
その後皆それぞれの身の上話を始めた。
富士子はショバ代を払えずに土地のヤクザに叩き出され商売が出来なくなったと言った。
出身は関西の田舎町・・・・
圭子の場合は少し複雑であった。
歌手を目指し青森の田舎から上京して小さなプロダクションに入ったものの高名な作曲家に新曲を餌に陵辱の限りを尽くされ、その後歌手のタマゴと同棲、金の為にソープランドで働く事を強要され、拒むと殴る蹴るの暴行を加えられたと云う。
彼から逃れる為に転々と職場を変え町から町へと流れ歩いたのだそうだ。
しかし歌への未練は断ち切れずどんな所でも歌える所なら・・・と思っていたのだと言った。
辰夫の場合は親が一流企業の会社員、過大な期待に押し潰され不登校、家出の末上野にたどり着いたと言う。
何時も『尾崎豊』の歌に涙してたそうだ。
「ところで親父はどうなんだ? 辰夫が聞いた。
「うん、俺はリストラに遭ってな、それで上野の住人になった訳だ、後はお前の知ってる通りだ」
皆それぞれ辛い思いを抱えてここまで辿り着いた訳だった。
この仲間の結束は益々固くなったのだ。


「№ 12」  
サブ達の興行はなかなか評判が良かった。
特に圭子の(唸り節)には情念がこもって客を酔わせた。
又 富士子はと云うとマラカスを鳴らし客と客の間を面白可笑しくジョークを交えながら踊り回る。
間の取り方が巧い、決して舞台の邪魔にはならない。
ある日富士子はサブに曲と曲の間 所謂トークタイムを「私にやらせて」と強請った。
「面白いかもしれないな、元々タカマチでおかしな物を口先八丁で売っていたんだから何かをやってくれるだろう」
しかし不安も又あった事も確かであった。
「舞台でどこまで通用するのか?」
だが危惧する必要は全くなかったのである。
「エー・・お客様は神様だと言った演歌の大先生がいましたが・・・そうですねー私にも弁天様や大黒様に見えますわ・・・あーそこのお客様、後光がさしてますねー・・・(笑)こんな親切な人達の前で歌えるなんて・・・幸せですわ」「そこのお客様、懐のお宝がこっちへ来たいこっちへ来たいと言ってますよ」大笑いであった。
そしておひねりが飛んでくる。
「ほら、後ろでボーッとギターを持って立ってるおじさん、うちの座長なんですけどね・・・優しい顔してるけどすごくケチなんですわ、この間もお給金もう少し上げて頂戴って言ったらお足は舞台で掴み取って来いだってさ、お足は二本持ってますよ、これ以上足があったら見世物じゃーありませんか・・・ウフフ」話はとどまる事がない。
「何が怖いかって聞いたら女だってさ・・・本当はスケベの癖してよく言うよ、全く」
「この間うちのスタッフで誰が一番恐ろしいって聞いたら ねー私が一番だって・・・嬉しいねー、私を女と思ってくれてるんですわ・・・」
大爆笑と共におひねりが乱れ飛んだ。
「さーて、準備ができました様で、皆様ごゆっくりとお楽しみくださいませ」
そう言ってニコリと会釈して舞台の袖に下がって行った。
サブは唸った。
これはとんでもない拾い物をしたな と・・・
「俺より巧い」
その後の演奏にも力が入った。
又圭子も負けじと熱唱する。
唄ってる途中で「お圭ちゃん!」と声がかかれば「あいよ」と返す余裕も生まれた。
最初の頃感じていた印象より違う、愛嬌が出てきた。
美人にもなった。
舞台で人に見られ続けているとこうも垢抜けてくるものか とサブは思った。
辰夫も又レパートリーも増え巧くなっている。
サブは「俺も頑張らないと若い奴等に追い越されるな」と危機感を強めたのである。
自前の歌が欲しいなー・・・そんな事を考えながら毎日悩んでいるのだった。

故郷の近くの街で興行を打つ事になった。
久しぶり、本当に何年ぶりで故郷の土を踏んだ。
母親に会いたくなったサブは皆と別れて少し話をして来ようと思った。
バブルの恩恵も崩壊後の惨めさも知らず山も川も何も変わってはいなかった。
「おふくろ・・・」と声を掛けると「三郎か・・・よく帰ってきたな」と喜びの顔で迎えてくれた。
積もる話も沢山あった。
そのうち母親は「お仲間のみんなも呼んだらどうだ」と・・・・
すぐ電話で呼びつけた。
夕方までわいわいがやがや、その夜の仕事を終え深夜に帰った時 心尽くしのご馳走が待っていた。
翌日皆で相談して住民票を此処に移しここを拠点にして全国の興行に廻ろうと話がまとまった。
幸い母親も元気かくしゃくとしている。
たいした事務処理がある訳でも無いが興行の依頼の電話の中継も母親にやって貰う事に決まったのである。
それぞれの給料も引き上げワンボックスの中古車も買った。
皆でペインテングしてハデハデの車に仕立てたのだ。
楽器器材、衣類を積み次の興行地まで出発したのである。


「№ 13」  
サブは幸せであった。
思えば会社を解雇されホームレスにまで落ちた自分が今、新しい道でこうして生きている。
誰が想像したであろうか。
唯がむしゃらに頑張り突っ走ってきた結果が現在を支えている。
少し感傷的にもなっていた。
車はひたすら南へと走る。
次の目的地は熱海である。
辰夫と交代でハンドルを取るのだ。
潮風を身体に受け快適なドライブだ。
その間、富士子は圭子にボイストレーニングを受けている。
「富士子も唄いたいんだろう」そう思いながら黙って新曲のネタを考えていた。
母親がご当地ソングを一曲でも入れたらどうだ、と言っていたっけ。
「皆が忘れている名曲もあるよ」とも・・・
「そう云えば子供の頃はやった唄を現代的にリメークしても良いかなー・・・
『北上夜曲、雨に咲く花、デュエット曲も入れよう、辰夫と圭子で『居酒屋』富士子を入れて『麦畑』そして俺と圭子で『銀恋』なんかどうだろう」
今度の会場は広い、客も沢山居るだろう。
「ここで実験してみるか」サブはいろいろなアイデアを皆に提案した。
皆乗り気である、早速車の中で練習に取り掛かったのである。
目的地に着く頃にはある程度出し物の目鼻がついた。
しかし一度に出すには問題だ。
「少しずつ小出しに出して行こう」
客は思ってた以上に多かった。
そこそこファンも付いてきたのである。
相変わらず富士子のトークは冴え渡る。
「そこのお客さん、いい男だねー・・・惚れ惚れしちゃうよ、うん、全く、この女殺し・・・憎いねー今度来た時には一緒に飲みましょうよ・・・ほら、そこで立ってるハモニカ持ってるのね、あれ辰夫って云うんですけどね、名前変えたらいいと思うんですけどよ・・・寝太郎ってね、真ん中の足、男のシンボルですよ・・・あれが立たないんですよ、可哀想に・・・いっそ三年寝太郎ってね」
あること無いことネタにしてしまう。
そして大きな笑いを取り袖に下がって行く。
そこは現代っ子である、歌の方もそこそこである。
適当に「はっ、ほっ」と掛け声を入れ場を盛り上げてゆく。
富士子のキャラクターと相まって客の心を掴んで離さない。


「№ 14」  
ある夜の事である。
圭子が自分の衣類を持ってサブのところにやって来た。
「お父ちゃん(圭子はサブをそう呼んでいた)一緒に寝てもいいかなー」
何でも辰夫と富士子が抱き合って寝てると云う。
声を澄ませて隣の部屋の物音を聞いてるとそれと判る声がする。
圭子は邪魔になってはいけないとサブの部屋に来たのである。
「あいつら、何時の間に・・・」「まあ仕方が無いか、どちらも子供ではないのだから」
仕方なく圭子を腕枕で寝かせてやった。
サブは仲間同士のそうした関係を恐れていたのだ。チームワークが壊れるのではないか、と・・・
しかし何事も無く興行は続いてゆく。
「俺の考え過ぎかな」と、見て見ぬ振りをしたのである。
ある夜圭子は突然「抱いて」と しがみ付いて来た。
サブはこうなる事は予測していたが戸惑った。
何年 女性に触れた事がなかったんだろう・・・
若い彼女を今後幸せに出来るのだろうか?
だが欲望はそうした心配を打ち消した。
翌日辰夫の顔が見られなかった。
辰夫はニヤニヤしながら「親父、女っていいもんだろう」・・・

母親から電話が入った。
石和温泉から依頼が来てると。
二ヵ月後に行くと伝えて次の興行地に向かった。
石和は圭子が仲居として働いていた所だ。
「まあまあ和ちゃん綺麗になって、いい女になったねー」と女将・・・
「いや、今では看板娘の坂本圭子だよ」とサブ。
地元出身の歌手が来た、と云う事で近隣の旅館からも客が集まった。
今度は五日間の公演だった。
大好評のうちに打ち上げたのであったのである。

そのうち地方のテレビ局からドサ廻りのエンタティナーとしてのドキュメントの依頼もあった。
特筆すべきは富士子のトークが脚光を浴びた事である。
そんな時二人の女性がサブの仲間に入りたいと言ってきたのだ。
グループでライブ活動をしていたが資金難で解散したのだと言う。
サブは迷った。
今までこれと言った借金もなくやってきたのに ここで彼女達を入れたらどうなるか・・・
皆の意見を聞いた。
一人はバイオリン、もう一人はキーボードを担当してたそうだ。
サブはシビアであった。
半年は見習いとして無給で働く事を条件に採用した。


「№ 15」  
腕は良い、なるほど演奏に幅が出来る。
だが私生活が気に入らない。
すぐ客と飲みに行く。
辰夫も新しく入った娘の一人に気がある様だ。
二人で辰夫にモーションかけてる様子である。
当然富士子が面白くない。
「これではチームワークが崩れる」
一ヶ月程して解雇したのであった。

石和の女将から「圭子をテレビの喉自慢に出したら」と話があった。
「仮にもプロですよ、素人の大会に出られますかね」「いや、温泉の社員と云う事で出したらいいのでは・・・」と・・・
迷った末 思い切って出してみる事にした。
予選、地方大会は難なくクリアした。
全国大会では『越冬つばめ』を津軽三味線をかき鳴らし熱唱したのだった。
特にサビの「ヒュールリーヒュルリーララ」の部分はバチも折れよと乱れ弾く。
何処にそんな力があるのかと弾きまくる。
サブは勝ったと確信した。
唄い終わった時場内は水を打った様に静かになった。
そして地鳴りのような歓声と拍手の嵐が巻き起こったのである。
当然日本一、優勝だ。
女将は「うちの子が優勝したのよ」と自慢して歩いた。
スカウトの眼にも留まったのだ。
プロの歌手としてデビューしないかとの話が来た。
圭子は過去の苦い経験から「お父ちゃんが傍に居てくれなきゃ嫌だ」と・・・
サブはそこの所の事情を話し少しの間付いていてやる事にした。

時を同じくして辰夫と富士子が独立した。
彼等は新しいメンバーを組み辰夫が座長として『お笑い』と唄で構成したライブ活動を始めたのである。
「これも時代の流れか・・・」と淋しく見送ったサブであった。
辰夫も資金難と戦いながら健闘している。
たまに富士子がテレビのバラエティー番組に出る様になった。
サブは何とか成功してくれる事を願った。

が 唄う事を止めたサブは淋しかった。
順調に圭子はスターへの階段を上り始めていた。
年末恒例の紅白にも出た、二曲三曲と続けてヒットを飛ばし将に恐ろしい程人気は沸騰したのだ。
プロダクションからのマネージャーが付いた。
もうサブの出番は無くなったのである。
彼は圭子に「故郷に帰るよ」と言い残し列車の人となったのである。
「人生、夢の中の夢か・・・」サブの心に熱いものがこみ上げてきた。
母親のちいさな背中が妙に懐かしかった。

それから三年の月日が経った。
突然テレビでは坂本圭子の失踪事件が報じられたのだ。
だがサブにはそのニュースさえ知らなかった。
毎日畑仕事に精を出し、時々ギターの弾き語りをして静かに暮らしていたのだった。
ある日畑仕事をしてる後ろから「お父ちゃん・・」との声が聞こえた。
彼は耳を疑った、空耳ではないか・・・?
紛れも無く圭子の声である。
振り向くと圭子が笑顔で立っている。
「お嫁さんになっていいかなー・・」「どうしたんだ、あれほど歌手になりたかったんだろう」「夢は叶ったんだろう?」
「うん、でもお父ちゃんの傍に居たいの」「貧乏するぞ、それでもいいのか?」
年老いた母親はすごく喜んだ。
暫くは週刊誌のネタにされた、テレビ局の格好の餌食にもされた。
村人はその騒ぎに驚いたのである。

それから又一年が過ぎた。
すっかり村人の一員となった圭子は秋の祭りでは無くてならない存在になっていた。
やぐらの上で自慢の喉を披露して皆を喜ばせた。
何処に行っても人気者だった。
非常に働き者で老いた母親を何かとよく気使った。
サブは畑仕事で荒れた手を見つめ「本当に後悔してないか?」
「♪馬鹿言ってんじゃないよー お前と俺ーはー・・・結ばれるためーに運命ずけられーて生まれてきたんだよー♪」
サブは苦笑いした。
真っ赤な夕日が山襞を染めてゆく。
静かな夕暮れ時であった。

   ー完ー



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