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新世界11

2017年06月14日
ある早朝の午後、大きな円盤が収一の下野の頭に現れた。
ドカーンと地響きかして収一の家族と三匹の猫と妻は光の中に飲み込まれていった。
其処は大きな部屋の真ん中だった。
収一の趣味にしてる画材と妻の職業の医学道具、三匹の猫の玩具、餌の類も皆そろっている。
その部屋の主人がやって来た。
部屋の真ん中である。
「いや今まで見たことのない服装衣装を着てる」今まで出会ったことのない男達だ。
それは何かの物語で見たような井手達だ、まるで中世の一角の様な面持ちと井手達だった。
収一と妻の秋実はまるで裁判にかけられる面持ちで椅子に座った。
その部屋の主人は言った。
「余りにも宇宙が汚れている、汝はここで責任を持ちこの世界を綺麗にしろ!」
「我々はおぬしにこの任務を与える事にした。」これからお前の任務を遂行するための人材を揃える」
私は何の細網もない。あるのは絶対に不正を許さぬ正義感だけだ」
男達は黙って私達を見下ろして「その正義感があればいい・・・」後は我々のする事を見習って、この戦艦を動かすシステムを覚えればいい・・・
後は収一の努力と才能に任せればいい・・・
そこで彼は自分の「思いの丈」を彼等に伝えた。
そして長い七試合の末末収一の欲望を伝えた。
収一の妻は不安そうに彼を見つめた。
収一と妻は彼等の手の内にある。
「彼等の望むままに従うより仕方がないか?」
それは収一の望む世界ではないから・・・」
収一にはたとえどう生きても無理はなかった。
これはこの世の中どう生きても捨てる意味はない。
あまりにも世の中の仲が変わりすぎる。
政府もおもい通りにはゆかない。
この世には未練はない。
元々彼の世界にはこの世には未練には無い。
それは激動の世を生きた自信があった。


私の子供時代はみんな丈夫だった。
みんな簡単には死ぬことなど考えなかった。
なぜこんなに弱くなってしまったのか?
私達はめったに死ぬことなど考えなかった。
みんな必死に生きていた。
若い頃私は新聞配達をして夜は鉄工所で働いた。
そしてアルファ-錠を飲み嫉視に働いた。
でも今の若者には簡単に死んでしまう。
何故だろうか?私には今の若者の気持ちが解らない。
教育方針が悪いのか?
さっぱりわからん。
一日に4時間くらいの睡眠でも死ぬ事はない。
そして本当の絶望感を知らない。
今に教育方針が悪いのか?命は一つしかない。
もうひとつ命の重さを考えてくれ。

その後の私3

2016年12月20日
真夜中の電話・・・
彼女からの電話だった。
妻の言う事を聞けばよかったが私には解らない・・・
睡眠剤を飲んでどうかしてたのかもしたのか?
私には解らないが電話の声を聴いて私は動揺した。
彼女は「私はいつも不幸だ・・?」と訴えた。
哀しい日が300日・・どうぞ助けてくれ・・・と
早速彼女のアパートに車を走らせた。
彼女は風邪をこじらせて寝ていた。
そんな彼女を看病してた時彼女が抱き着いてきた。
私は自分の心に正直に抱いた。
彼女には男がいた。
私は彼女にはめられた。
そして罠に落ちた。

私はベルサイユの市民だ。
だが彼女の罠に落ちた。
そしてヨーロッパに連れてゆくことにした。
そこで問題が起きた。
彼女はジュエリーの店でダイアモンドが欲しいと駄々をこねた。
当日は名誉諮問の表彰のある日。
私は全ての予定をキャンセルして彼女の0意見に従った。
大きな仕事もすでに捨てて・・・
そして彼女がヒェレンツエで怪我をした。
日本に帰って来た時私の居場所は無かった。
私の妻は私の財産をすべて奪って消えた。
家も何もかも私は無くした。
そして3月 東日本大震災で彼女が病気{精神病}になった。
病院からは入院を勧められたが彼女が拒否した。
それから長く病院との付き合い。
そして気分転換の為に旅行もした。
多くの借金を抱え・・・彼女は治った。
私は小さな家を建て再出発を誓った。
だが最後には脳梗塞で倒れた。
そして下半身不随になり私はもい一度水彩を取ろうと筆を買ってきた。
まっすぐの線を引けるまで水彩を描こう・・・
と まだ油絵を描こうと考えてる。
人生は生まれてきた時も裸だ・・・
死ぬときもやはり裸だろう・・・
私は良い時代に生きたのかもしれん・・・
ボタンの掛け違いをすればこんな時代もあるか??

その後の私2

2016年12月18日
警察が訪ねてきた。
私が誘拐罪で訴えられてると・・・
その両親が私を訴えたのである。
警察署に連れて行かれ私は取り調べをされる所だ・・・
「相思相愛だよ」これは調べる必要はないね。
警察の見解は、そう判断出来た。
彼女を取り調べた刑事が言った。私たちは解放された。
私は東京の画商の求める通り海の見える岬町の少し引っ込んだところに住まいを構えた。元々動物好きだった私はいろんな動物を飼った。犬《九匹》ヒヨドリそれがアトリエの中を走り回る。そして十年以上が経った。
いろんなところで個展を開いた。こうして私の人生を終わるのか・・・?
私の晩年はこれで終わりか・・・
妻を連れ欧州各地を回った。
俺はこのルーブルに絵を飾るんだ。
私の口癖だった。
アンデーが撃たれた。
私は同じ時代0を生きた仲間を失った。
なんだか寂しくなった。アンデイーは大理石会社の社長をしてたはずだ・・・
だが親父のボスの身代わりになって撃たれたそうだ。
妙にセーヌの風がむなしく吹いた。
家には沢山の動物が暮らしている。
私にはこの動物達と暮らす生活が一番合ってるのかな・・・
そうなればもう少し大きな家を持たないと・・・
私が家を建てる気になったのはそんな訳だった。
そうすれば好きな家を持ち楽しく暮らせるんじゃないか・・・?
大きなアトリエ、池には鯉を飼って。
仕事も一生懸命して個展活動をして。
そんな折ある会場に女性が訪ねて来た。
《魔がさしたとしか言えない》
私は網にかかった昆虫の様に感じた。
《地獄から天国へ 私の心は漂っった》

その後の私

2016年12月16日
私はその後転々と職場を変わりヨーロッパ飛んだ。
ひろい世界を見れば何かが変わるかもしれないと思ったからだ・・・
そしてパリアカデミーに入学した。
卒業後ヨーロッパ中を転々としながら絵を描き続けた。
そして大きな賞を得た。
日本では法律も変わり私の生きるところはなくなっていた。
ㇰリスチャン・ラングレアー彼は私の母校の教師だった。
彼は私にグローリーを紹介した。
そして又私にはレオとアンデイーと云う友人もできた。
私には夢の様な暮らしだった。
決して金持ちではない。
が楽しい暮らしだった。レオはフォーミュラーのレーサーだった。
アンデイーの父親はマヒュアのボス・・・
グローリーは金髪の美女、私の可愛い少女だった。
私の人生は多いに変わった・・・かに見えた。私たちレオ、アンデイーと組んで悪さをして歩いた。
また三人と組んでパリダカールとモンテカルロれースにも出た。
金を儲ける為にフランス外人部隊にも入った。
だがアンデイーは反対した。
そしてパレスチナでレオが頭を飛ばされ死んだ。弾き飛ばされた我々は夢中で引き金を引いた!!
そしてフランスに帰った私はグローリーの一言であった。
「私は人殺しと結婚する気はない」「貴方は私の結婚するべき人ではない」焼身の私は帰国する事になった。!

帰国した私は全国を廻って歩き多くの作品を発表して数々の賞を得た。
またいろんな所で働き作品を発表した。私は糸の切れたタコの様に放浪の生活をした。そんな中にもある教室で見知らぬ少女と出会った。
私はその少女に恋をした。
その少女は私のアパートに訪ねてきた。

その年の夜中 伊勢湾台風が襲った。
私は先生の家に向かった。私は先生の家に向かった。風速40メートル立つ事も難しい風の中・・・先生の家は無事だったが・・・あちらこちらに家が飛ばされむき出しに中に人が座っていた。
その後瀬尾俊平の家に向かった。
女子生徒たちがみんなで握飯を作ってた。
南の海岸通りには五千人以上が死んだそうだ。
南岸にはそうした死体が材木の下に眠っている。
男たちはその死体をトラックに積み「カコウ山」の火葬場まで運んだ。

私の成績は決して良くはない。
だが寛さんの(物理)授業はいつも及第点だった。
そして俊平の点数も又良かった。体育の先生だけは「体育祭だけ元気がいいのは駄目」と叱られた。三年の時には大口先生から油絵を習った。
その年の夏 私は空手初段を取った。
そして卒業式前日に校長に呼ばれた。「俺はお国の為に三人の子供を亡くした」「お前みたいな不良を卒業させる訳にはいかん」校長は私に卒業させないと宣言した。

だが私は大学に入った。
当時の大学は60年安保でもめていた。
私も安保闘争に加わった。
社会党の浅沼稲次郎が暗殺された。
そして6月のある日、全学連は国会議事堂に雪崩れ込んだ。
府中になって機動隊の車をひっくり返し火を付けた。
東大生、樺美智子さんが機動隊のこん棒で殺された。
私たちは逮捕されて拷問に似た取り調べを受けた。
そして解放された時待っていたのは大学からの自主退学の手段だった。
その後私は美大に進んだ・・・

少年時代3

2016年12月11日
岡崎さんは酒癖が悪い。
酔うとすぐ喧嘩をする。
私はなだめるのに必死だった。
良く殴られた。 相手は行き掛かりの住人である。
私は強くならねば・・・と思った。
そして講道館の門をくぐった。時の城主である『三船十蔵』先生に頭を下げた。
祖s手私の柔道人生は始まった。先生は私に「常盤台の家に遊びに来るように・・・」と言われた。私の直接の師匠は醍醐六段だった。
先生は師匠仕込みの立ちい振る舞いは厳しかった。
だがそこで食った ぜんざいの味は忘れられない。鏡開きのその日は忘れられない。私は13人抜きをして2段を取った。
もう恐れる者はいなかった。岡崎さんは相変わらず暴れまわっていた。
ある時は壁をぶち壊し、刃物を持って会社に殴り込みをかけたり・・・
その尻拭いは私の役目だった。
私はそんな私自身に腹がッ立った。
だが黒田さんの御婆ちゃんには良くして貰った事がそうした我慢を和ませた。
その年二月の夕方頃・・・
工場に一人の男が現れた。
それが私の生涯の恩師『山本寛』さんである。
社長黒田総ノ粂との寛さんは長い間話をしてた。
寛さんはわたしに言った「おい山口どこ等に
そして私が呼ばれたおい山口、どこかに借金をしてるんじゃないか?」「私はどこにも借金はしてないよ」黒田さんは「そんな男じゃない」と笑ってた。
寛さんは懐の財布を仕舞いながらそうかそんな男じゃないか?」
そして二人は駅前の旅館に行った。
私はトボトボと付いて行った。
旅館に着いた。
「ここでは本当の名前で書こうな」私は岡田先生の所では「山智舟一」と名乗っていたから・・・
寛さんは何も聞かなかった。
私は学校に戻った。
私の担任は瀬尾俊平・・・寛さんとさほど変わらぬ年頃だったと記憶してる。
私の同級生は三年・・・私は二年生・・・
私はよく問題を起こす生徒だった。
しょっちゅう喧嘩をする。相手は街の愚連隊・・・警察に寛さんが引き取りに来た。ある日真夜中の事だ。寛さんが警察の帰りに 夜泣きそばでも食べて帰ろう・・と言った。其処でボソッと「蛮勇と真の勇気は違う」と私に言った。
頭を撃ち抜かれた様な気がした。俊平は言った。職員会議で寛さんが「自分の首を掛けてもいい・・・私を「助けたい」と高長いに言って私の下に来たのだ。
私は「もう喧嘩は出来ないな・・・」と誓った。

青年時代3

2016年12月10日
私の妹だろうか?
「どちらさんですか?」「私は山口のぼるだが親父はいるかな?」
「父は出かけていますけど・・・どちらの方ですか?」
「息子ののぼるだが・・・?」「あなたの事は存じ上げません」
話はならなかった。
「また出直してくるよ・・・」と家を出た。
だが何度行っても駄目だった。私は途方に暮れた。
数回の訪問の後「私にはあなたの様な兄はおりません」
との返事の後突然の引越し、
私は途方に暮れた・・・
「やっぱり私には親がいないんだ・・・」
私は行くところが無かった。
今更、学校に戻る事は出来ん。
私は東京の出版社を訪ね「漫画家になりたいんだけどどこか紹介してくれないか?」と頼み込んだ。
丁度そこに居合わせた 岡田あきら という表紙絵を描く先生に拾われた。
その先生は手塚治虫のレイアウトをやってた。
私はいつもその仕事の色付け、とか使い走りをした。
しかし自分の食い扶持は稼がねばならない。
必死になって製本屋に飛び込んだ。その製本屋は黒田製本屋と言う。
角川の続本屋だった
小さな小屋の住み込みだった。
「そこには茂さん、勇さん、岡崎さんとが住んでいた」
四畳半の小屋である。

少年時代2

2016年12月07日
中学校の先生は言った「とにかく勉強しておけよ」「人生何が起きるか解らん」
「お前なら何かできるかもしれん」私は何ができるか解らんが兎に角勉強しておこう・・・と思った。
いつの間にか私はクラスの人気者になった。
絵がうまい、漫画が描ける 新聞部の加藤の依頼で表紙絵のデザインも書かせてもらう。
その中に肉屋とかケーキ屋のレイアウトも描いた。意地悪な生徒の嫌がらせに合い何度か殴られもしたが。
今は勉強する時だと 我慢した。
私は強くなった。だがまだどう強くなったのか?解らん!
たが目標が出来た事は確かだ。余りにも勝手な事には腹がたたなくなった。
ただ勉強にマイナスすることで能力を使いたくなかった。

それから一年がったった。
私は中学生になった。

そしてまた一年・・・
学校の帰りに警察署の道場があった。
いつもの様に窓から覗いてみると後ろから声が聞こえた。
師範の柴崎先生だ「坊主教えてやるから上がってこい」こうして許可を得て柔道を教えてもらう事になった.
高校は中学の隣・・・
師範の先生は西の方にある米田道場の先生でもあった。
私は先生の助手として道場の下働き・・・
必死になって働いた。
人ず手ではあったが・・・私の親父らしい人に会ったという話を聞いた。
いても経ってもおられずに府中刑務所を訪ねた。
彼はその刑務所の所長だそうだ。
その家を訪ねた。

少年時代!

2016年12月07日
転校した私に貸せばれたのは先日行った遠足の思い出の絵を描いて来いとの宿題だった。勿論私は宿題には行ってない。私は自由に描いて由との先生の指示・・・
私は自由にのびのびと描いた。
だが先生の「これは子供の描いた絵ではない」と却下された。
違う「これは私の絵だ!」と言ったがこの嘘つきと往復ビンタをくった。
私はもう絵なんか描くもんか!と思った。
私は文学にのめり込みいろんな物を読んだ。
そして学校には絵も描かず一人で目に見える景色を何でも描いた。

その頃巷では手塚治虫の漫画がヒットしてた。
私も真似して描いてみた。
いつか学校では漫画の上手い山口と評判になった。
私はその弟子の「武内つなよし」の弟子になろうと手紙を出した。
その返事は「これからの時代はただ絵が描けるだけでは駄目だ、しっかり勉強して高校卒業してから、その気があったら弟子にしてあげよう」と言われた。
私には親は居ない。
だが勉強して高校に行こう。

私は一生懸命勉強して時間担当の先生に相談した。

記憶に残ってることは私の街に如何しようもないガキ大将がいた。
1920年代どこの町でもこうした輩はいた。
そしてその町でもこうしたグループが町を闊歩していたのだ。
年下の子供たちはこうした仲間が仕切りその町を仕切り絶対な力を誇っていた。
私の町のボスは豆腐屋の倅で腕っぷしが強かった。彼等の「いう事は絶対だ」
森の中に寝起きをして悪の限りをした。
鰻屋のいけすを襲いウナギを逃がして・・・
みたり大木に登っている隣町のガキを落として骨折をさせたり・・・
また隣町の女の子を襲ったり・・・(まだ子供の体だから生理などないが)
ガキ大将が持って来た春画を参考にポーズを付けるのである。
私達は忠実にガキ大将の言う事に従ったのだが・・・
近くの漁師たちが仕掛けた網を夜中に行って魚を盗んだりして追いかけられて必死になって川向こうの岸まで泳ぎいつの間にか対岸の岸に泳ぎ着き・・・知らないうちに泳ぎを覚えてしまった。
或る日を境に私は矛を収めてきた。
ウナギ屋のキャラメルを買うとおまけで(世界の名作集)の本が貰えた{良い時代}の話であるが・・・
集るように本を集めて読んだ。
そして肥桶の柄でたたき付けた。
そして背負い投げでたたき付けた。
全ての思いをこめて・・・
私は転校をしたのだが・・・ウナギ屋のキャラメルを買うとおまけで(世界の名作集)の本が貰えた{良い時代}の話であるが・・・
集るように本を集めて読んだ。
私はそれを期に転校したのだが・・・

ある人生(アホ)

2016年12月04日
今日久しぶりにコーヒーを飲んでパソコンの前に座った。
これは私の小説ではない。
人生いろんな生き方がある。
私は良いことも悪い事もやってきた。
何も残さずに生きる事に疲れた。
思い残さずに書き記しておこう。
私の人生は実に波乱に富んでる  或いは好んでこんな人生を選んだ訳でもないが人生の折々に変わった道を選んだのかもしれない。
私はこれは好んでこの道を選んだ訳でもない しかし選んだ道である以上この道を歩かねばならない。
死を考えた事もある。
これは小説ではない。
私の歩みを伝える道を考えて書き記した事だ。
ただ誰にも伝えられず死にゆく身が辛い。
さてこれから書く事を考える事を皆はどう思うか・・・・・

タバコの害??

2016年10月31日
若い頃若い頃よく言われた、タバコも吸えぬ男に何ができるか?
私は一人前の男に見られなくて必死になってタバコを吸った。
それは大きな納税行為として一人前の行為として当然の仕業だった。
時は移り今では塩害、また一流レストラン、料亭はたまた近所の食堂でも禁煙となってしまった。
日本人の多くがアンチ核戦争と言っているのに政府は核を否定してる。
何処の国でも核は嫌な筈だと思う。
私のような単純ではないらしい?
私は死ぬまでタバコを止めないだろう!
私は死ぬまでタバコをやめない!そして核は絶対反対だろう!

私の心が怖い!

2016年09月21日
不安な日々!
最近私は不安である。
何故か解らんが不安である。
世界の情勢はとても落ち着いていない。
日本も又同じである。
沖縄の問題も戦後何十年も変わっていない。
今度から自衛隊の駆けつけ警護も可能になる・・・
日本は戦争をしない国だ。
なのになぜ他国の戦争に介入するのか?
国際貢献という言葉の陰で微妙に国が揺れている。
私はこの国が怖い。
本当に国を思う国民がどれだけ居るのか?

今日も一日無事に終わった。
私はこの頃良く考える。
人類の歴史から何を学んでるのか?
紀元前の昔から今日まで・・・戦争の負かった事は無かったのか?
戦後70年日本は戦争がなかった。
これは特筆すべき事では無かったか。
この人類の歴史に何と大きな事をなしてきたのか!
やっと戦争の虚しさが解ってきたのか!
紀元前の昔から今日まで・・・
しかしその代償は高かった。
広島 長崎  もう御免だ。
いま一歩みんなで考えてみよう!

異常者ではない!

2016年08月26日
私は三年前脳梗塞で入院した。
そして一年前に退院…下半身がマヒしてる。
しかし友人は居ない。
入院中に見舞いに来た友人たちは皆去ってしまった。
杖を突かなきゃ歩けない。
妻が言った「誤解は解けるよ」昔のように絵を描いていたら…
だが私は絵が描けない。
今は死んでも絵が描けない。
いっそ死んだら幸せだろう……と
私はレオ・ステラン・ブーと(猫)と暮らしてる。寂しい。
どうしたらこの寂しさから抜け出す事がだきるのか??

未完の交響曲

2016年07月12日
その頃、地球では天変奇異に寄りいろんな事が起きていた。
焼けただれた街がそこにあった。
そして至る所の放射能、それと相変わらず戦争の明け暮れ・・・私は「この星に未来はない。助けられるだけ助けよう」
相変わらず戦争の好きな人類だな~~この星の人々はどうすればいいのだろう?
暫く考えた後、アースとアマゾネスを斥候として潜り込ませることにした。
その後陸族きの大陸には多くの民族が住むようになった。
自動車工場、薬品工業のメッカが大きなビルを建てて大工場が其処にはあった。

一方新大陸グルッポの王国では幾星霜、冬を過ぎ春が過ぎ大きな転換期を迎えて来た。
春は芽が吹き風がささやき海岸には人魚を思わせる女性たちが竪琴を鳴らしさわやかな風を運ぶ頃・・・
私の広野にもいろんな花が咲くころ 私は先年妻を亡くし寂しい日々を送っていた。
そうした中に(ミウ)が「きてきて」と私のベッドに潜り込んできた。
私は来るものを拒まず・・・だが私には妻の面影が忘れられず・・・
私姦で愛し愛された。そうした女性が何人かいたが私は決して交わる事は無かった。
里には海、山に登り楽しく行動を起こす人々もいたが私は楽器を奏で絵画彫刻を愛し美の象徴を極めんと考えていた。
みるみる私の大陸は美しくなってゆく。
ある日私の身体が重くなって眼が覚めた。
私の上に人魚のルカが乗っていた。
ハスキーな彼女は決して嫌いではない。
だが「ミウ」の可憐さには誰も及ばない。
そして私の妻にはミウが決まった。
それは蛍の舞う季節、私はミウを妻として迎えた。
枯葉の舞う頃ミウの身体に変化が訪れた。
当然男と女の暮らしには当たり前の事ではあるが「ねえ貴方の子供が出来たんだけど」当たり前の事ではあるが私には神に相談する事にした。
神は私に言われた「産めよ肥やせよ、この大陸に大きな大地を作れ」
私はハッと気が付いた。
私は新しいジェホバなんだと。
そして大陸には新しい民族が必要なんだ?と・・・

未完の交響曲3

2016年07月09日
この星の住人は決して罪を犯してはいけないのだ。
何の為の新しい国作りか? だからあえて厳しい法律を科したのだ。さてこの星の説明をしよう。
先ず広大な灌木の先には延々と続く砂漠が広がっている。
其処にはサソリ・とか大きな蛇・怪獣に似た動物が住んでいる。その先には海・・・そして黒い大陸・・・
南の海には豊富な魚・・・我々の住むこの地には沢山の動物も居れば多くの作物も得られる。
ここでこれ以上何を望むのか?
私はここでの取り決めをした。
決して火器を使ってはならぬ。 ここを第二の地球にしてはならぬ。火器は花火以外には使用禁止!これは絶対の条件だ。
その他犯罪者に対しては非常に厳しい条件をつけた。
先ず第一の石打、地上でのさらし首、その他には奴隷として働く。
この星の違う事はまず(子供は国の宝)として徹底的に可愛がる処である。
街には幼児期より大勢のハーフを置いて二十歳までは責任をもって育てる。
そして能力においてその各々の適性をもって協力を惜しまない。
彼は各自必ず宇宙人として必ず大きく羽ばたいて行くと信じる事だとの信念をもっているからである。

さて驚いたのは新生日本の新しい顔である。
最初はレオ、次はブー(レオの奥さん)だ。次はステランだ。彼は私の前に象に乗って現れた。ぞれは象ではない。大きな牙を持つマンモスだ。最初はレオ、彼は黒いヒョウを従えて私の前に現れた。

一方妻がアラブの友人と洞窟の中間点から雑木林から白樺の林を抜けて緒場付近で見付けた温泉の上で敷石を敷き詰め大きなサウナを作った。
私はステランと黒ヒョウを連れて大きな旅に向った。
見上げるばかりの旅は苦難の連続である。
大きな山の中腹からわが陸地を見る。
そして彼はどこに誰を住まわせるか考えた。そして湖を見付けそこに城郭を作る事を考えた。
[この島の面積は広い、そして名も知らぬ動物も多い,ここは大事な仕事もある。」彼はいろいろ考えて地域の参謀を考えた。
そして彼等の判断を仰ごうと選挙をすることにした。
そして彼等の街が出来上がった。
各々の住みたい所を家を建てて対岸の街に続く道を作った。
また未来の住人の所に男、女各5名を留学させることにした。
我等の済むところは安全であるが・・・森深く分け入ってみると名も知らぬ怪獣が色々な住んでいる。
そして外敵を防ぐ為の砦を作り、自警団を配置した。
まただれ云うとなく女人を部隊も作った。
街には自警団が警察官として常駐した。
(警察官をアースと呼ぶ、又女性軍団をアマゾネスと呼ばれた)

昔井戸米という言葉があった!
政治家になるという事は「自分の財産}を蓄財してはならない。
全ては天下国家の為に使う・・・今の政治家にはそんな心を持った諸氏はいないのだろうか?
昭和の初期にはそんな列缺の士が政権をになってた。
今は訳の分からん金の亡者が政治家になろうとする。草葉の陰で過去の政治家は笑ってる。いや怒ってるかもしれない!!

子供を捨てる親!

2016年06月11日
北海道で子供を置き去りにした事件があった。
私には考えられない事件だ。幸いにも自衛隊の努力で見つかったのだが・・・
私には考えられない事だ。もし熊に食われてしまったらどう言い訳するのか??
これも罪にはならないのか?私には理解に苦しむところだ!

熊の大逆襲

2016年06月10日
私には沢山の猫と暮らしてる。
彼等はそれぞれの言葉を話してる。
我々には解らんが非常にいろんな言葉を話す。
周住む波数があればお互いに理解できるのに残念至極である。最近東北地方で熊に襲われたとのニュ—スを聞く。
これは熊のテリトリーを荒らした人間の罰であろう。
今から数十年前、東北のある町で立派なぶな林を見た。
しかしそのは後、そのブナ林は住宅地となり人家が住む街となり動物の住みかは消えた。いま私たちは考える必要がある。
熊と話し合いをしてこの地球上に住む事ができるのか?
私は人間の謙虚さを信じたい!

私の若い頃にはこの世の中にはけっして如何しようもない序列があった。
よくも悪くもない世の中の掟があった。町内会ではボスもいた。そして学校にゆけばやはり学級委員そして部活にはクラブの先輩・・・そしていろんなことを覚えた。いまの世の中なにかおかしい?
やはり日本沈没だろうか?みんな教えてくれ!

ツイてない男 1

2016年03月11日
今日も駄目だったか・・・
安いアパートの天井を見つめる。
節穴から埃が降ってくる。
{あーア」「やってられないなー」俺はいつでも夢をみてる。
今日も馬券が外れた。
ここ一週間は何をやっても上手くゆかない。
気を取り直してコンビニで弁当を買いにゆく。隣の親父は何をやってるのか?
何か気になるのだ。俺の愛猫のレオが大きなあくびをした。
まるで俺を馬鹿にしてるかのように・・・
しかし最初からこんなではなかった。
若い頃、それほど持てる方ではなかったが、持てないと思った事はなかった。
会社ではさして優秀でもなかったがかと言って特別問題になる事もなかった。
アパレル関係の会社で女性社員も多かった。
マア・・・適当にやってればそれなりの報酬もある。
時々気休めで宝くじを買ったがそれも外ればかり。
妻も私を馬鹿にしてる。
「このゴクツ潰し」「ごろごろしてるな」私は権威も何もない!
子供達にも馬鹿にされる。
女子社員にも画家にされる。

だが・・・突然大当たりした。
買ったロトシックスが爆発した。
それも一等賞だ!!
その日を境に又馬券も当たる。競馬・競輪皆当たる。
会社でその話をしたら・・・突然女子社員が寄って来る。
ヒーローだ!
そして黄金の腕、金のタマゴとおだてられある日を境にバタッと止まった。
そうしたらバタッと女も去る・・・その日を境にツキにも見放される。
適当に女遊びもしたがそれが祟り女房も逃げ出した。

あれ程大当たりしてた馬券・競艇にも外ればかり。
一気に大外れ・・・
馴染みにしてたホステスにも振られた。
ホステスの部屋に行く。
何処にも行く所がない。
だがそこにも危ないお兄さんが待ってる。

ホステスの部屋の周りに安いアパートを借りて暮らす。
今節穴を数えながら考える。
どこで間違ったのか??
今 土手の草むらに寝転んで考える。

「もう駄目だ、法王にお願いしよう」
彼は教会の力に縋ろうとしたのだった。
彼は「この決闘は私にとって理不尽この上ない(汝右の頬を打たれば左の頬を差し向けよ、汝殺すなかれ)と教えているではないか」「人殺しは大きな罪である」と・・・・
しかし教会もこの問題は苦慮していた。
この街に腐ったリンゴを入れた為に腐敗と堕落が蔓延したのは紛れも無い事実である。
その男は協会側のお抱え画家である。
王侯貴族と事を荒立てたくはない。
侃々諤々の議論がなされた が結論が出るはずもなかった。
協会側はこの問題を静観して時の過ぎるのを待つ事にしたのであった。
事実上ドメニコスを見捨てたのである。

その日大群衆が広場に集まった。
今や遅しと二人が出て来るのを待ったのである。
ドメニコスはまだ覚悟を決めかねていた。
何か何処かに逃げる道はないか と・・・
時間は刻々と迫ってくる。
そして一団の兵士達が迎えに来た。
引きずり出される様に広場に向かった。
伯爵は剣を一振りして中央に立っている。
「もはやこれまで」ドメニコスは闘牛の様に我武者羅に突っ込んで行ったのであった。
伯爵は身のこなしも鮮やかに彼の剣を交わし刺繍も鮮やかな彼の衣服を切り裂いていった。
そして突然彼の顔に斜め十字の切り傷を入れたのである。
その後も腕、肩背中と切り裂いて行った。
太股に剣が突き立てられた時ドメニコスは剣を投げ捨てた。
そして血みどろの顔で伯爵に「もう気が済んだでしょう、私を殺しても何の得がありますか?」「慈悲深い伯爵様、もうお許しください、命だけはお助けください」と 地面を這いつくばってにじり寄り懇願したのであった。
大群衆は「殺せ 殺せ!」の合唱が起こった、その声は天にも届けとばかりに・・・
伯爵の袖にすがったその時ドメニコスは思い掛けない行動に出たのである。
隠し持った短剣で伯爵に襲い掛かったのだ。


伯爵はそれも読んでるが如くヒラリと体をかわし彼の首に一刺ししたのであった。
彼はもがき苦しみ のた打ち回った。
去来するものは過去何十人となく彼の身体の上を通り過ぎて行った女達、そして最後に出会った伯爵の妻、アフロディテの姿だった。
最も【クレタの種馬】の息子にふさわしい無様な死に方だったのであろう。
喧騒も収まった頃から大勢の人々が彼の描いた作品を死体の前で焼き始めたのである。
二十七年間住み続けたこの街で彼の本名『テオトコブーロス、ドメニコス』の名を呼ぶ者は一人も居なかった。
彼はギリシャ人(エルグレコ)と呼ばれ続けた。
スペイン語では通称ギリシャ人と云う意味である。
享年63歳 1614年の事であった。

それから三百年後 人々の記憶からも作品の行方も忘れ去られてしまった。

そして又五十年近く経った時 一人の画家がトレド大聖堂の壁画を観て驚嘆したのである。
その画家の名は『パブロ、ピカソ』
伸びやかな縦長の構図、色彩の豊かさ、どれを取っても素晴しい出来栄えである。
早速政府にエルグレコの作品を紹介し残存する作品の収集を進言したのであった。
調査団が結成され各方面から集められたがどれも痛みが酷く修復を余儀なくされたのである。
研究者の間でも現存する作品の少なさ(約十五~六点)と修復の難しさ(彼は特殊な絵の具を使っていた)に戸惑ったのだった。
ピカソの作品の中にはその影響を受けたと思われるものが多い。
今 世界中でエルグレコを知らぬ人は居ないだろう。
だがその人間像を語る事の出来る者も又居ないのである。

      ー完ー

教会側にはドメニコスの私生活が噂となってきた。
だが あれだけの絵を描く男だ よもやそんな事もあるまい・・・
と噂を否定したのである。
しかし彼の女癖は留まるところは無かった。
事もあろうに修道尼に手を付けてしまったのである。
最初のうちは判らなかったが二人の尼僧のお腹が大きくなってゆく。
そして遂に妊娠が発覚してしまったのだ。
問い詰められた尼僧は相手の名を白状したのであった。
結果、尼僧二人と共にドメニコスはマドリッドを追放されたのである。

それでもドメニコスの癖は直らなかった。
行く先々でトラブルを巻き起こす。
そして待っているものは追放であった。
彼はグラナダの街に現れた。
そして又ジプシーの女と同棲 と云うよりヒモになっていたのだった。
ある日、街角で「ドメニコス ドメニコスじゃないか?」と、声を掛けられたのである。
聞き覚えのあるその声に振り向くと顔中潰瘍が出来た男がやっと杖を突いて立っているではないか。
父親クリフの姿である。
性病に侵され見るも哀れな姿であった。
彼はその姿を見るなり急いで逃げ出したのである。
声をかける事も無く 兎に角その場から離れたかったのだ。
それから暫くは女性を見ても身震いする程であった。
彼は哀れな父親を見捨てたのである。
逃げる様にグラナダを後にしたドメニコスは又安住の地を求めてさまよい歩いた。
夢にまで父親のただれた顔が出てきて魘され続けたのであった。
生きる為についには泥棒までして旅を続けた。
そしてトレドに辿り着いた時、彼は三十六歳になっていた。
長い旅の疲れはドメニコスの心の痛みも取り去った。

又々彼の病気が始まったのである。
しかし彼は大きな学習をしたのだった。
父親の姿は未来の自分の姿 絶対に素性の判らぬ女性には手を出してはならない事。
身分の有る貴族の女なら病気の心配も無かろう。
身持ちの堅い女を狙え、と・・・
そして仕事はきちっとする事等々・・・そこで教会の門を叩いた。
教会壁画の注文を得る為に 今まで自分から頭を下げた事は無かったが今度はそうは行かない。
何とかして生活を自分の力で切り開いてゆこう と・・・
女癖は相変わらずだが次第に信用も付いてきた。
ついに大聖堂の壁画を任されるに至ったのである。
すると貴婦人たちも自然に彼の周りに集まる様になったのだ。
しかし彼は慎重であった。
父親の轍を踏まない様に考えていたのだった。
男を知らない清純な生娘がいい、高貴な貴族のご婦人方なら大丈夫だろう、と・・・
仕事は真面目にやった。
しかし貴族たちの評判は良くない。
彼の流れる様な線、面長に描かれた肖像画は当時の貴族社会では不評を買ったのである。
次第に彼の仕事は教会関係のみになっていった。
しかし大画面に描かれた作品は目を見張るものがあった。
彼の作品は大作においてのみ余計に魅力が引き出されたのである。
そうして十年、又十年と過ぎていった。
彼の周りから女の姿が消えて行ったのである。
孤独感を噛み締めながら「神様なんて何処にも居なかった」とつぶやく日々が続いた。
しかし彼は街角で若い女性に声を掛け、まれに付いて来る女性を描いたのであった。
もう股の中に顔を入れる元気も失せていたのである。
だが心だけは女性への興味を失っていなかった。
それから暫くの後 見目麗しい一人の女性と出会ったのである。
礼拝堂で静かに祈りを捧げている姿は神々しく彼の心を魅了した。
「これこそ俺の神様だ」そう思った彼は大聖堂の壁画を指差し「これは私の描いた作品だ」「今度あなたを描きたい」と言ったのである。
「ある色事師の生涯 8」  天才画家の伝説

女性は瞳を輝かせ頬を赤らめながら「ぜひ素晴しい作品をお願いします」と・・・
彼の心は躍った。
「絶対に良い作品を仕上げてみせる」と・・・
彼は思った。
「これがラストチャンスかもしれないな」神様はこの俺にアフロディテを与えてくださったんだ、と・・・
純粋に彼女を描きたい、と思う衝動に駆られたのだった。
一心不乱にコンテでスケッチをする。
そしてフキサチーフをかけタブローに取り掛かった。
描いては消し描いては消す作業は数ヶ月にも及んだ。
そして作品は出来上がったのであるが彼はもう一点自分の為に描きたいと思ったのである。
その作品を渡せば神様はもう二度と彼の許には戻って来ないと・・・
「奥様 後一点描かせてくださいませんか、貴女の様な方を失うことは私には耐えられません、運命は私たちを引き合わせてくれたのです」と・・・
彼女は快く引き受けてくれた。
又一生懸命描き始めたのであった。
若いその女性はさる貴族のご婦人であったのだが世の汚れを知らないかの様な無垢な美しさを湛えていた。
又々彼の病気が始まったのである。
制作の最中はおろか休憩のお茶、食事の時も甘い言葉でささやく・・・
そして完成のサインを入れる頃には彼女は恋の虜になってしまっていたのであった。
それから後は彼のアトリエに足繁く通うようになっていった。
たちまちその噂は街中に広まった。
若い彼女の夫の伯爵は激怒した。
彼女は自分の部屋から出るのを禁止され、伯爵はドメニコスに決闘を申し込んだ。

日頃彼は「俺は法王の親衛隊だった」「剣の腕前はナイトの中でも一番強かった」等とホラを吹きまくっていたのである。
平民であれば追放処分で済んだものを・・・
彼の見得が思わぬ方向に行ってしまったのだ。
伯爵は貴族としてのしきたりに従って決闘の道を選んだのである。
又 怒りも手伝って彼の所業を許せなかったのだ。

ドメニコスは困った。
日頃の大言壮語がこう云う結果になろうとは・・・
「何とか逃げ出さなければ」
トレドと云う街は天然の要塞の様な街である。
小高い丘の上に外部からの攻撃を防ぐ為に城壁をめぐらせ、深く青い河が蛇行して流れている。
一種の堀の様な役目を果たしているのだ。
この街に入るには大聖堂に続く道をまっすぐ(と云ってもくねくねと曲がってはいるが)反対方向に行けば大きな橋がひとつ有るだけである。
そこには何時も兵士が見張っている。
夜陰にまぎれてこっそり逃げ出そうとしたが失敗した。
昼間 馬で一気に突破しようと試みたがこれも阻止された。

街では大聖堂の前の広場で一ヵ月後伯爵が不埒な男と決闘する と云う話で持ちきりだった。
どちらが勝つか賭けまで行われていたのである。
近隣の村からその決闘を見ようと人々が集まりまるでお祭り気分であった。
ドメニコスは悩みきっていた。
決闘はおろか剣を抜いた事さえ無かったからだ。
100パーセント勝つ見込みは無い。
相手の伯爵は名うての剣の達人である。
頭を下げ許しを請うか・・・だが決して許してくれないだろう。
城壁の警戒も厳重になってきた。
そこで彼は見物人の多く行き交う人込みに紛れて橋を渡ろうとしたのである。
一番賑わう午後の三時頃 隙を伺っていた。
農民の姿に変えて・・・
だがそれもすぐに見破られてしまった。
顔、手にススを塗っても彼の華奢な体系は農家の人間には見えない。
それに立派な髭 自慢の髭を剃ることが出来なかったのであった。
兵士の間で嘲笑の声があがった。
「あの腰抜けが、怖くなって逃げ出そうとしてる」と・・・
事実彼は恐ろしくて堪らなかったのだ。
それは日を追って激しく彼の心を襲った。

テッツィアーノはドメニコスのデッサンを見て、癖の強いところが気になった。
が タブローの色彩に驚いたのである。
「自分の持っていない才能がある、特に青の見事さには斬新な響きを感じる」と・・・
当時テッツィアーノはその時代でも代表的な画家であった。
そこで彼は弟子として採用されたのである。
デッサンの癖も徹底的に直された。
何とか採用された事により食べる事には心配は無くなったが遊び回る程の収入ではない。
そこで又女性の肖像を描く事にしたのだが相変わらずヴェネチア時代と同様に詐欺師まがいの生活から抜け出そうと云う考えには至らなかったのである。
元々才能はあった。
しかし女性を口説く才能の方が勝っていたのである。
テッツィアーノはそんな彼の行動を苦々しく思っていたが特別注意する事もなかった。
彼の才能を惜しむと同時に女性も口説けない男はイタリーでは変人扱いされたのである。
こうしてドメニコスはテッツィアーノの片腕としての技術を身に付けてゆくのであるが彼のデッサンの悪い癖はなかなか直らなかった。
その訳は彼の心の中の美意識がローマ人のそれと全く違っていたからである。
縦に流れる線は あくまで伸びやかに顔の輪郭はギリシャ人の顔が最高に美しいと信じていたからに他ならない。
しかし師匠に認めて貰うにはローマ独特の美意識を持ち制作しなければならない。
そこで自分が独立するまでは、と彼の『美に対する考え』を封印したのである。
独立すれば王侯貴族からの注文も沢山来る、贅沢な暮らしも出来る。
そうしたスポンサーが付けばもうこっちの物だ。
彼の頭の中ではもう師匠の技術を追い越した と思っていたのである。
テッツィアーノの様に多くの女性に囲まれて暮らすのも夢ではない。
そうしてドメニコスは独立した。
だが彼の周りにはあまりお金持ちのスポンサーとなりそうな人物は現れなかった。
その訳は相変わらずのずぼらな性格が知れ渡っていたからである。
注文してもなかなか描かない。
金の要求ばかりする。
腕は認めても人間としての信頼性に欠けていたからに他ならない。
相変わらず街の女に声を掛ける生活を送っていた。
テッツィアーノはそんな弟子を哀れに思い貴族達にドメニコスを紹介したのである。
師匠の紹介となれば真面目に描かねばならない。
彼は懸命に描いた。
評判は上々、彼の名は徐々に知られていった。
そして貴族社会への進出も果たしたのであった。
と 同時に貴族の侍女からも「自分を描いて欲しい」との注文も来る様になったのである。
ベッドの上で自分は師匠より巧い等と とうとうと言ってのける始末。
あきれた男であった。
何度か貴族たちの注文を受けるうちにドメニコスの我侭が眼を覚ました。
自分の考えているフォルムで作品を仕上げたのである。
事もあろうに肖像画をギリシャ人独特の面長の顔、手足を必要以上に長く描いたのだ。
これは注文主を怒らせた。
そうだろう、肖像画はその人に似せて描くのが普通である。
それが評判になり次第に注文は無くなっていった。
だがドメニコスは譲らなかった「これが貴方の本当の顔だ、真の姿なんだ」と・・・
仕事の途絶えた彼は焦った。
そして又街角で女を物色するのであった。
が しかし一度貴族社会の仕事をし贅沢な暮らしを知った今、街の女たちを描いても生活は良くはならない。
事もあろうにある貴族の奥さんを篭絡したのである。
その貴族はテッツィアーノに「奴を殺す」と宣言したのだった。
もう庇い切れなくなったテッツィアーノは彼を破門してローマから追放したのであった。
行き場を失った彼はスペインを目指したのである。
「ここなら俺を知る者はいないだろう」彼は自分のイメージを一新してマドリッドに乗り込んだ。
ローマの貴族である画家として・・・
腰には剣を携え派手なマント、羽飾りの付いた帽子をかぶり立ち居振る舞いも高貴なしぐさをして街を闊歩したのであった。

元々美形である。
その姿は人々の目を引いた。
たちまち女達を虜にしたのであるが この国ではローマの様にはなかなか行かない。
一声掛ければすぐ付いて来る様な女はなかなか居ない。
一応のプロセスを踏んで口説かなければならなかったのである。
しかしそこはマメな男だ。
そして小道具のナイトのいでたちも物を云った。
だが女性をその気にさせ最後まで持って行くのが大変である。
簡単に付いて来るのはジプシーの女達くらいであった。
彼はフラメンコダンサーに眼をつけた。
そして そのヒモになり好きな絵を描いたのだった。
そのうちある貴族から声が掛かったのである。
だが結果は無残なものであったのだ。
しかしある教会の司教の目の留まったのである。
「面白い絵を描く、一度壁画を描かせてみよう」運命とは解らぬものである。
スペインは偉大な芸術家の多いところである。
画料の安さも手伝って教会のお抱え画家の道が開けたのであった。
次第に司教の肖像、大聖堂の壁画まで依頼されるまでになったのである。
スペインはマリア信仰の強い国である。
彼は顔の表情を使い分けて描く事が苦手であった。
そこで 事の終わった後の満ち足りた顔、鞭で叩いて泣き叫ぶ顔、時には手足を縛り苦しむ顔など懸命にスケッチしたのであった。
その後は優しく愛撫して女を満足させるのである。
教会側ではそうした行為をしている事など知る由もなかったが【真に迫った表情】は人々の話題を呼んだ。
颯爽と歩く姿も魅力的である。
「さぞ剣の腕も見事だろう」
噂は噂を呼びマドリッドの名物男になってしまった。
すると又女たちが寄ってくる。
ドメニコスは有頂天であった。
「もう俺には怖い物は何もない」あきれた大馬鹿者である。

1541年 ヴェネチア共和国領クレタ島の果樹園農家テオトコブーロス家に一人の男の赤ん坊が生まれた。
その事自体は何の変哲もない事であるが、その父親たるや大の女好きときている。
あだ名を『クレタの種馬』誰彼なしに口説いて廻る どうしようもない男であった。
威風堂々 体格もよく又震い付きたい程のいい男だったのだ。
クレタの住民は「それっテオがやって来る 女房を隠せ」と言ったものだった。
幼少の頃 テオの息子ドメニコスは「父ちゃん何故女の人の股の下に顔を突っ込むの?」と聞いた。
「うん 神様を探してるんだ、女のあそこには神様が住んでいるんでな、だがまだ出会ってはいないが・・・なかなか出会えないものだ」と、解ったような解らないような事を言った。
父親テオは非常に手先の器用な男だった。よく木のかけらで珍しい彫刻をしてブローチ、首飾り等を作って女達にプレゼントをしていた。
妻のアンナもテオに負けず劣らず男を引っ掛けて遊んでいたのである。
そうした環境の中で育ったドメニコスはもう5~6歳の頃から年頃の女性を追い掛け回す様になった。
「こらっこのガキが!」と追い掛け回されてもケロリとして物陰に隠れ又同じ事を繰り返す。
まあイタリーと云う国は元々性に関しては寛大な国でもあったのであるが・・・
この親子は桁外れの家族であったのだ。
ドメニコスには紙さえあれば女の肖像画を描いてプレゼントしていた。
父親譲りの器用さが幸いしたのだ。
父親は「こいつは絵の才能があるんじゃないか?」と思った。
そしてイコン(絵画技法のひとつ)を習わせる事にしたのだった。
だがドメニコスはそこに習いに来る女達の方に興味を持ち相変わらず口説いてばかり、ろくに勉強する事もなかったのである。
しかし描くものは結構巧く描く・・・
師匠は「本気で勉強すればいい絵描きになれるのに」と、才能を惜しんだ。
家では父親と「今日は何処の女を口説いた? 俺は何処そこの女をものにしたぞ」と他愛も無い話で明け暮れていた。
師匠は「環境が良くないな、父親と切り離さなければドメニコスの才能は花開かぬ」とヴェネチア行きを勧めたのである。
こうしてドメニコスはヴェネチアに渡った訳だが・・・

そこにはクレタの女達とは違って美しく着飾った華奢な女が多かった。
どちらを見てもよだれの出そうな女ばかりである。
下宿探しもそこそこに早速街に繰り出したのである。
それもそうだろう、クレタの女達はほとんど農家の娘達だ。
この街では農家の娘など居ない。
しかしドメニコスも又田舎者。
まず洗練された立ち居振る舞いから覚える必要があった。
彼は言葉使いから勉強する事にした。
一生懸命なまりを消しテーブルマナーを身につけた。
もう絵の勉強などそっちのけであった。
そして古くからある文学を読み漁ったのである。
女を口説くには気の利いた台詞のひとつも言えなくてはいけない、一生懸命であった。
しかしドメニコスにとってこれは楽しい勉強だったのである。
ヴェネチアの女達を抱く為の下心を隠し【洗練された男】になる為に真面目に学んだのだった。

その頃クレタ島はヴェネチア領からギリシャ領に代わった。
元々ギリシャ人の多く住む島である。
ヴェネチア共和国では統治の難しい所であったのだ。
テオの一家も代々ギリシャ人であったので非常に喜んだ。
さて そのテオは・・・
元来怠け者、女を追いかけるのが仕事の様な男である。
大きな果樹園、ブドウ畑を持ちながら畑は荒れ放題、果樹園の収穫時期にも力を入れない。
次第に切り売りして小さくなって行くばかりであった。
ついに妻アンナにも愛想を突かれ他の男の許に走ってしまったのだった。
そして無一文になったテオもいつの間にか姿を消したのである。

仕送りの途絶えたドメニコスはたちまち生活に困窮した。
それからの彼はもっぱらご婦人方の肖像画の注文を取ろうと考えたのである。
だが地理不案内の地、知人も居ない。
「これは女性に近ずく方法を考えなくては」それにはナンパしか無い。
「美人でなくても良い、金を持っていそうな女性であれば 歳も関係ない」
幸いな事に彼は類稀な美貌を誇っていた。
しかし父親の様な頑健な体躯では無い。
華奢で繊細な身体つきで 所謂母性本能をくすぐる軟弱者だったのだ。
彼は自分のセックスアピール度をよく心得ていた。
「君の瞳はエメラルドの輝き、エーゲ海の深い青・・・唇はバラの芳しさ」
キザ!! 私などはとても言えない台詞である。
兎に角、口説き上手であった。

ドメニコスは片っ端から女性に声を掛けたのだ。
女達は夢中になった。
そして前金を受け取り「君をもっと知りたい、良い作品は全てを知る事によって生まれるものなんだよ」と・・・デートを重ねたのである。
しかしデッサンは取ってもなかなか制作に入らない。
「それ絵の具が足りない、いい筆を買いたい」何だかんだと言って金をねだるのである。
そして酒場で飲み明かす。
終いには女性の方が根を上げる。
実にだらしの無い男であったが不思議と憎まれない、得な性格だったのだ。
十数人に声を掛けて描いたのは一人か二人・・・
只 身体の関係を持てばほとんどの女性は彼の虜になってしまったのである。
だが何時までもそんな生活が続く訳がない。
金銭トラブルが付いて回る。
ついにヴェネチアには居られなくなってしまったのである。
彼はローマを目指した。
「もっと大都会に行けば大きなスポンサーも着くだろう」「何かチャンスも生まれるかもしれない」
「そこで勉強すれば本物の絵描きにもなれるかも」・・・
彼は画家への夢も捨ててはいなかったのである。
「有名な画家になれば経済的に豊かになれる、そうすれば女も選り取り見取りだ」
さすがテオの息子である、発想が不純である。
その街のある酒場で大勢の取り巻きに囲まれ呑んでる男がいた。
店の者に聞いたところ「あの方が有名なティツィアーノ様だ」と・・・
周りにいる女達も美人ぞろいである。
彼は恐る恐る声を掛けた「弟子にしてください」と・・・
丁度 もう少し助手が欲しいと思ってたテッツィアーノは「デッサンを持って私のアトリエに来なさい」と言ったのである。
協会の壁画を手掛けていたテッツィアーノは優秀な助手を探していたのであった。

裏町挽歌  2-a

2016年03月10日
中国から浅田を通じて井出の所に手紙が届いた。
井出、宇佐美そして馬賊達ににとって忘れる事の出来ない相手の所在を知らせる手紙である。
誠司が呼び付けられた。
「長い旅になるが心の重荷を取って来い」 井出は彼にそう言ったのであった。
「忘れ物が見付かった、取りに行って来るぞ」誠司は亜起子に言った、亜起子はそれが何を意味するものかすぐに解った。
「気を付けてね、絶対生きて帰って来てね」 本当は行って欲しく無かったのだ。

涙を堪えて送り出したのだった。
彼が出て行った後、亜起子は声を挙げて泣いた。
泣いて泣いて、泣き疲れた後、西の空に向って手を合わせたのである。

昭和30年代半ば・・・
段取りは全て浅田がやってくれた。
同道するのは宇佐美、彼も又 この日を待ち望んで居たのだった。
佐世保相浦から船に乗り九十九島のひとつの港に着いた。
小船ではあるがエンジンも最新型、操縦する漁師も腕利き、夜更けの波の荒い時を狙って出港するのだ。
ハングル文字と中国名との板の看板が甲板に並べられているのが眼に留まった。
巡視艇を避け領海内を出なければならない。
そして途中でハングル文字の船名に換え、又中国船籍に姿を変える、まさに命懸けの作業である。
誠司は出港して暫く、荒波の中でゲロを吐いた、それは半日続いたのだった。
只でさえ玄界灘は荒い。
それも嵐の中の出港だ。
まさに命懸けの船旅である、小船は波を切り裂き右に左に揺れながら進む。
帆柱が軋む、上下にと船首部分が揺れる。

そして船名を換える作業では大時化の中・・・作業は難航した。
しかし凪の時であればが韓国の巡視艇と遭遇する危険性は高い。
何とか上海港に辿り着いた。
夜を待って海に飛び込む。
港には、懐かしい周が迎えに来てくれていた、14年振りの再会だ。
その夜は、泥の様にぐっすり眠った、昨日の荒れた天気が嘘の様に星が瞬いていた。
宇佐美は、周と暫く酒を酌み交わし馬賊時代を懐かしみ、又 今後のルートの確認し合ってた。
翌日、早朝から馬に乗り換えて敦煌近く、柴達木の盆地 小さな村に向ったのである。
人目を避けての旅だ、街や村を迂回して進む。
田園地帯から荒涼たる大地を駆ける。

誠司こと譲治は、たちまちのうちに股擦れを起こし馬から振り落とされたのであった。
幼い日、裸馬を器用に乗り回してはいたが鞍を着けた馬に乗るのは初めての経験である。
「情け無い奴だなー」「まだこれからが本当にキツいんだぞ」 宇佐美が笑う、周が真っ黒な軟膏を塗ってくれた。
「これで銃の方は大丈夫か?」 「試してみるか」 眼にも留まらぬ早業で空中に投げた水筒を撃ち落したのである。
「流石、頭の仕込みは凄い」 皆が誉める。
「早く目的地に行きたい」 気ばかり焦る、「大陸では焦っては駄目だ、のんびり行く事が賢明だ」 周がそう言った。
見渡す限りの大草原、そして山々を越え尚も駒を進めた。
昼間の気温から夜はぐっと冷え込む。
陳がやって来た、ロバを二頭引き連れて・・・
背中にはパオが積んであった。
これも懐かしい顔だった、井出の配下の中国の友が次々と集結する、皆心強い味方なのだ。
温かいパオの中で暖を取り星空を見上げながらゆったりと大陸の空気を吸った。

その頃、刑事安藤は漠然とではあるが井出の写真が何処かに無いか・・・と考えていた。
井出と伊庭、接点が必ずある筈だ。そして、川島誠司・・・岬譲治・・・何か臭う・・・
大阪湾に沈んだシャブ中の女・・・彼女は叡子では無いのか?
彼は、元関東軍の生き残りの将校達を訪ね歩いていた。
が、しかし失望の連続だった、何処にも写真はおろか井出の手掛かりとなるものは出て来なかったのである。
唯ひとつ、満蒙開拓団なら何か分かるかも・・・誰かがそう言った。
膨大な資料の中から全国に散った開拓団員を捜すのは容易な事では無い。
年月の壁が大きく立ち塞がったのだ。
九州から北海道まで、何の確証も無いまま全国行脚が始まった。
瀬尾は、定年を迎え精力的に各地を巡り歩いた。

関西の雄、田沼一家が全国制覇の狼煙を上げた。
九州の雄、柳瀬一家と熾烈な争いを演じている、喰うか喰われるか、まさに血で血を洗う抗争である。
田沼一家は主力を九州に取られ、中部、関東の各組は未だ態度を決め兼ねていた。
恭順の意を唱える者、決然と主戦論を主張する者、立場は違っても田沼の影に怯えてた。

遠くバヤンカラ山脈の頂を望む・・・
チーリェン山脈山裾にパオを張る。
譲治達は一ヵ月半にも及ぶ長旅の末、柴達木の盆地に辿り着いた。
目的地は、もう目と鼻の先である。
馬を休ませパオを張る。
一晩の休息の後、彼等は目的の村に入った。
老人が煙管でタバコを吸いながら日向ぼっこをしてる。
戦火を免れた柳の大木が緑の風を運んで来る、柔らかな光が小さな村を包み込む。
井出の配下の斥候だった隗が指を指す、老人が静かに立ち上がる。
譲治が一発の銃弾を空に向って放った。
タァーン、木霊が鳴り響く・・・・
驚いた老人が此方を振り向いた。
「間違い無い、奴だ」 宇佐美がそう呟いた。

譲治が近付いて行く。
徐に又、老人は腰を下ろした。
左手には杖、右手に煙管を持ち・・・傍らには拳銃が無造作に置いてある。
未だ老人は気付いていない様子である。
譲治が老人の前に立つ。
「戴・・・福金、覚えているか?地獄の底からお前を迎えに来たぞ」 「俺は地獄には用が無い、極楽が待っているからな」「お前余程悪い事した様だな」 嘯いている。 
「15年前お前は何をした、北の大地の出来事を覚えているだろう」 譲治はいきり立つ心を抑え言った。

「うーん、いろいろ有ったからなー、もう全て忘れたさ」 「水曲柳に行った事があるだろう、その時何をした?」 「何・・・水曲柳?」 「俺の両親を殺し姉を連れ去った事を忘れたとは言わせないぞ」 彼は努めて冷静になろうと心掛け、話を進めたのである。
 
暫くの沈黙の後、「うん、あの頃は俺も若かった、水曲柳には結構いい思いさせて貰ったよ、若い女がたくさん居てな、お宝もたくさん有った」「その生き残りが居たとは驚きだ」「皆殺しにした筈だったんだが・・・」ニヤリと笑ってそう言ったのである。

「お前の命運も尽きたと知れ、其処の銃を取れっ!丸腰じゃ撃てん」 譲治は銃を一旦ホルスターに収めた。
「お前に俺を撃てるか?この戴の怖さを知らんな・・・」 うそぶいて煙管を吹かし銃をまさぐった。
途端に銃声が木霊した、煙管の吸い口が吹っ飛んだ。
「た 助けてくれ、この哀れな老人を殺そうと言うのか・・・」 眼が泳いでる。
誰かを呼ぼうとしている、が 生憎出払っていて誰も来る気配は無い。
唇がわなわな震えている。

その時、譲治はハッと気が付いた。
「この男・・・盲目じゃないか?」 涙が後から後から湧いて来た。
銃口が彼の頭に向けられている。
「助けてくれ、金なら全部やる、命だけは・・・命だけは・・頼む」 
引き金が引かれた。


銃口は空に向っていて放たれたのだった。
憎んでも余りある仇だ、が譲治には撃てなかった。
盲目の、それも老人を撃つ事は出来なかったのである。
周が譲治に言った、「あれで良かったんだ、頭ならきっと同じ事をなさってるだろう」「あれで良かったんだ」と・・・
譲治に憐憫の情が生まれた、「盲目の老人がこの先どうやって生きて行くのだろうか?」
追い求めた仇の行く末が気に掛かった。
虚しさだけが残った敵討ちであった。

宇佐美が近付いて来た。
「戴、俺の声に覚えがあるだろう、お前に二発の鉛弾ぶち込まれた馬賊の副頭 宇佐美だ」「お前の耳がよく知ってるだろう」 戴の耳は片方無かった。
宇佐美が撃ち落したのである。
「お前にもあの時の苦しみを味わって貰おうか」 そう言うなり腹に二発の弾丸が撃ち込まれたのであった。
苦しみのたうち回る姿を宇佐美は冷たく見下ろしていた。
宇佐美は宇佐美で別の考えであったのだろう。
積年の恨みは相当のものがあったに違いない。
或いは猛火の中で死んでいった多くの老人、子供達、虐殺された開拓団農民の全ての怒りの銃弾だったのだろうか?

宇佐美が「租界が見たい」と、言い出した。
夢を追いかけた、あの日の思い出の地を歩き廻りたかったのか・・其れとも再び『大地の男』に戻りたかったんだろうか・・・?
ひとつの重い鎖が解けた今、皆で租界に足を運んだ。
意外に活況を呈していた。
が、一歩中に入れば虚ろな眼をして上目で人を見る男達・・・嬌声を挙げながら近付いて来る女達・・・
弾痕も生々しい崩れた街並み・・・未だ何も変わってはいなかった。
ひとつひとつ、思い出の糸を手繰りながら観て歩いた。
「未だ戦争は終わっていないのか・・・」 ふと、そう思った譲治だった。
宇佐美が疎開で見た女性が「伯父さん買ってよ」と近着いて来た女性に譲治はドキッとした。何とそれは愛子だった。
生きて居たのだ。片目が瞑れてはいたが「紛れも無い愛子」だった。
宇佐美が彼女を連れて帰ろうと思った。
宇佐美は彼女を「自分のお嫁さんにしたい」と思った。

ターン タタターン 巡視船が撃って来る。
「伏せろっ!」宇佐美が叫ぶ。
李ライン付近で銃撃に遭う・・・
「大丈夫だ、向こうさんは日本の漁船を拿捕した物に機関銃を取り付けただけだ」「此方は最新型のエンジンを積んでるから追い付かれる心配は無い」船長が笑う。 もう玄界灘、波は荒い・・・

見る見る巡視艇は視界から消えて行く。
こうして譲治の、長い年月の旅は終わったのであった。

宇佐美が警察に呼ばれた。
「なあ、宇佐美さん、井出さんは 全部自分ひとりでやったと言われてるんだが、どう思うかね?」 
宇佐美は覚悟を決めた、「頭がそう言われるんなら自分が被ろう」 そして、駐在所爆破、川島叡子殺害、そして一連の抗争事件の全容を語ったのである。
安藤は勝った・・・だが勝ったとは思っていなかった。
どれも真実では無い。
例え真実であったとしても誘導尋問では公判は乗り切れない。
何も井出は語ってはいないのだ。
只、確証が得られただけでの事である。
瀬尾が言った、「どれもこれも戦争が齎した悲劇だなー、警官も辛い仕事だ」「隠さなきゃ為らない過去まで全部暴かなければならん」「だから新たな犯罪を生むんだ」と・・・
安藤は思った、「井出俊介、これも凄い男だ」「地獄まで秘密を持って行こうとは」「だが宇佐美も男らしい男だな」「全部の罪を自分一人で被ろうとは・・・中々出来る事では無い」と。

俊介の容態が急変した。
一同が集まる中、誠司に言った、「田沼を頼れ、電話して置いた、もう俺達はジ、エンドだぞ」
「親父ッ、死ぬな、俺を残して何処行くんだ」「もう一度、満州へ戻ろう・・・」慟哭した。
にっこり微笑み静かに息を引き取ったのだった。

「今日、工員さんと田沼さんが鉢合わせしたのよ、何かあの人達知り合いだったみたいね・・・」「可笑しかったわ、どちらも あっ、どうも、ですって」と笑った。
「かも知れねえな・・・」誠司も薄々感ずいていたのだ。
「田沼がまだ此方に居るのか・・・親父の死を知らせなきゃいけないな」そう思った。

「お兄さん、田沼さんって素敵な人ね」「あんな人、恋人ならいいなー」妹、冬子が言う。
「馬鹿を言え、ヤクザに惚れるな!」未だ何も解っていない様だ。
「お前達は堅気のいい人探せ」
そして、来るであろう 破滅の時の事を思い彼は順々に話して聞かせたのであった。
亜起子は、時々涙ぐみ しんみりとした顔で聞いていた。

今日も安藤は、花屋『アイリス』に赴いた。
たった一輪の花を買いに・・・そして世間話から、譲治の近況までを話して帰る。
田沼も時々店に顔を出す、厳つい顔で冗談を言って帰るのだった。

全てを知ってから、妹達は亜起子を助け励ましながら一生懸命働いていたのだった。
「お姉ちゃんの力になろう、お兄さんが帰って来るまで頑張ろう」と・・・
亜起子はよく口ずさんだ、「待てーど暮らーせど来ーぬ人を・・・♪」
しかし、妹達はそんな姉の姿が羨ましくもあった。
これ程愛し合ったらどんなにか幸せだろうか・・・
しかし辛さもよく理解出来ていた。
誠司の言った「堅気の人を探せ」と、言う意味も・・・

ある日、亜起子は田沼に頼んだ。
「私の身体に譲治さんと同じ彫り物をしてください・・・」と・・・
田沼は快く承知して、「余程、譲治に惚れていなさるんで」 「ええ、何時もあの人と一緒に居たいんです」 「幸せだなー、奴は・・・」
程無くして亜起子の背中いっぱいに双龍の刺青が施されたのである。
妹達(奈津子・冬子)も、姉の刺青に、その愛の深さを知るのであった。
だが奈津子は賛成しなかった 又 冬子は「それほど好きだっだら私もするわ」と賛成した。

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