今夜も何時もの屋台でソバを喰っていた。
例の工員がやって来た。
「もう春だと云うのに冷えますね」 「うん、俺は冬真っ只中よ」 「今日、花を買いに行って来ましたよ、女房の誕生日なんです」「誠司さんの奥さん、綺麗な方ですね、優しそうで」 「うん、まあな・・」 「ところで譲治さん・・・」 「えっ、何か・・・?」 「やっぱり、岬・・譲治さんですね」 工員はにやりと笑った、「お解かりですね、奥様としっかり話をしてから出頭してください」 この日が来るのは解ってた。
安藤は信じていた。
「譲治は逃げ隠れする男じゃない、必ず心の整理を着け俺のところに来る」「その時は、刑事としてじゃなく人間安藤として話がしたい」
譲治は亜起子に全てを話して聞かせたのである。
一杯涙を浮かべながら、「待ってるから・・・私は死んでも待ってるからね・・・」「忘れないでね・・・」 後は声にならなかった。
『物証』 同田貫を持参して譲治は安藤の許を訪れた。
安藤も辛かった、何も知らず『戦う為に作られた男』 譲治の心中を思い遣ると切なくやるせなかった。
又、その妻亜起子の胸中を察すると、尚更心が痛んだのである。
宇佐美と譲治との自供から、知りすぎた男、駐在所巡査 潮見栄作 殺害の事実、柳橋に流れ着いた、川島叡子 殺害の全容が明らかにされた。
叡子の身の上話、家族構成は吉田から宇佐美に伝えられたのだった。
そして実行したのは幾人かの大陸浪人・・・
度重なる借金とクスリ(シャブ)によって、彼女はターゲットにされたのである。
が、しかし彼女は既に正常な神経、思考力を失っていたと云う。
廃人となった叡子は、自分から大量の麻薬を求めた節がある。
早晩死ぬであろう彼女を、彼等は待っていられなかったのだ。
戸籍を得る為に・・・
次々と 浅田、白神、そして元大陸浪人、馬賊達が逮捕された。
宇佐美と譲治は、無期懲役、其々の刑が確定したのだった。
皆、潔かった、誰もが上告しなかった。
一台の黒い車が亜起子を追い越して行く・・・
ターン、タタターン、銃声が響く・・・
器械仕掛けの人形の様に前後に揺れ、崩れる様にその影は倒れていった。
「キャーッ、嫌ァー・・・ッ」 亜起子が泣き崩れる・・頭を抱き抱えながら・・・
一足遅く着いた田沼が、「くそっ!おいっ、あの車を追えっ」 呆然と立ち尽くした。
其れから一週間後、全ての身辺整理を着け、亜起子は膝をしっかり紐で縛り、喉を一突きして 愛する彼の元に旅立って行ったのであった。
彼女の安住の地・・・それは譲治の腕の中より他に無かったのであろう。
たったひとつの愛に生き、生涯を閉じた亜起子・・・・
修羅の世界に身を置きながらひたすら亜起子の幸せを願った譲治・・・・
亜起子 34才、譲治 38才、夏も近い梅雨寒の頃だった。
思えば、二人に取って一番幸せな人生だったのかも・・・・
「惜しい人間を殺してしまったなー・・ふたり仲良くあの世で暮らせよ・・・」 墓前に花を手向けながら田沼はそう呟いた。
それから一ヶ月後、六甲山中で全身に銃弾を浴びせられた死体がふたつ、見付けられた。
最初で最後の田沼から譲治への『プレゼント』であった。
路地裏入口のガス灯が今日も静かに佇んでいる。
何も言わず、何も語らずに・・・・
裏町挽歌 終
例の工員がやって来た。
「もう春だと云うのに冷えますね」 「うん、俺は冬真っ只中よ」 「今日、花を買いに行って来ましたよ、女房の誕生日なんです」「誠司さんの奥さん、綺麗な方ですね、優しそうで」 「うん、まあな・・」 「ところで譲治さん・・・」 「えっ、何か・・・?」 「やっぱり、岬・・譲治さんですね」 工員はにやりと笑った、「お解かりですね、奥様としっかり話をしてから出頭してください」 この日が来るのは解ってた。
安藤は信じていた。
「譲治は逃げ隠れする男じゃない、必ず心の整理を着け俺のところに来る」「その時は、刑事としてじゃなく人間安藤として話がしたい」
譲治は亜起子に全てを話して聞かせたのである。
一杯涙を浮かべながら、「待ってるから・・・私は死んでも待ってるからね・・・」「忘れないでね・・・」 後は声にならなかった。
『物証』 同田貫を持参して譲治は安藤の許を訪れた。
安藤も辛かった、何も知らず『戦う為に作られた男』 譲治の心中を思い遣ると切なくやるせなかった。
又、その妻亜起子の胸中を察すると、尚更心が痛んだのである。
宇佐美と譲治との自供から、知りすぎた男、駐在所巡査 潮見栄作 殺害の事実、柳橋に流れ着いた、川島叡子 殺害の全容が明らかにされた。
叡子の身の上話、家族構成は吉田から宇佐美に伝えられたのだった。
そして実行したのは幾人かの大陸浪人・・・
度重なる借金とクスリ(シャブ)によって、彼女はターゲットにされたのである。
が、しかし彼女は既に正常な神経、思考力を失っていたと云う。
廃人となった叡子は、自分から大量の麻薬を求めた節がある。
早晩死ぬであろう彼女を、彼等は待っていられなかったのだ。
戸籍を得る為に・・・
次々と 浅田、白神、そして元大陸浪人、馬賊達が逮捕された。
宇佐美と譲治は、無期懲役、其々の刑が確定したのだった。
皆、潔かった、誰もが上告しなかった。
一台の黒い車が亜起子を追い越して行く・・・
ターン、タタターン、銃声が響く・・・
器械仕掛けの人形の様に前後に揺れ、崩れる様にその影は倒れていった。
「キャーッ、嫌ァー・・・ッ」 亜起子が泣き崩れる・・頭を抱き抱えながら・・・
一足遅く着いた田沼が、「くそっ!おいっ、あの車を追えっ」 呆然と立ち尽くした。
其れから一週間後、全ての身辺整理を着け、亜起子は膝をしっかり紐で縛り、喉を一突きして 愛する彼の元に旅立って行ったのであった。
彼女の安住の地・・・それは譲治の腕の中より他に無かったのであろう。
たったひとつの愛に生き、生涯を閉じた亜起子・・・・
修羅の世界に身を置きながらひたすら亜起子の幸せを願った譲治・・・・
亜起子 34才、譲治 38才、夏も近い梅雨寒の頃だった。
思えば、二人に取って一番幸せな人生だったのかも・・・・
「惜しい人間を殺してしまったなー・・ふたり仲良くあの世で暮らせよ・・・」 墓前に花を手向けながら田沼はそう呟いた。
それから一ヶ月後、六甲山中で全身に銃弾を浴びせられた死体がふたつ、見付けられた。
最初で最後の田沼から譲治への『プレゼント』であった。
路地裏入口のガス灯が今日も静かに佇んでいる。
何も言わず、何も語らずに・・・・
裏町挽歌 終
それから1年・・・
彼の気持ちが、少しずつ亜起子に伝わってきた。
愛されている・・・と、確信が持てる様になった。
無口ではあるが、彼女を大切に思ってくれてる事が・・・
普段の態度から違ってきている。
荒い言葉を吐かなくなった、何時も彼女の心を傷付けまいと気を使ってくれる様になったのだ。
それは、愛の営みの時に顕著に表れた。
彼は優しく抱き締める、壊れ物を扱う様に優しく愛撫する。
そして・・優しい言葉を掛けてくれる・・・
目くるめく快楽のひと時、狂わんばかりの快感の嵐の中・・・ひとつになった悦びの中で実感した、「愛されている」と、やっと心が開放された。
数ヶ月後・・・
亜起子は、自分の運命の不思議さを考えていたのだった。
と、同時に何時の間にか誠司に惹かれ、愛が芽生えてきた事も・・・これが夢なら覚めないで欲しいと・・・
外との接点の少ない彼女にとって頼るべき人は誠司以外誰も居ない。
無理からぬ話であろう。
自由にショッピングも、喫茶店でお茶を楽しむ事も出来る、付かず離れずボディガードが付いてる事も気にならない、寧ろ心強く感じた。
会話も弾む様になった。
彼女にとっては夢の様な生活だった。
自由がある、欲しい物は何でも手に入る、何時も優しく接してくれる。
部屋に花を飾る、庭にも種を蒔く、カーテンを取り替える。
無骨な家が華やいだ。
初めて化粧品を買った、「ちょっとでも彼に可愛がって貰いたい、何時も見詰められていたい」 いじらしい女心であった。
大人びた服に袖を通す、ハイヒールを履いてみる。
何時も誠司を意識してた。
彼も又、「何処へでも連れて歩きたい」と、思ったが、何処から狙われるか解らない身、それは諦めた。
しかし、自慢の妻である、一緒に歩く事は叶わなくても よく喫茶店で落ち合い ひと時の楽しみを求めたのである。
彼は満州の出来事を事細やかに話したのであった。
自分の村が焼かれ皆殺しの中、かろうじて生き残った事、姉が首に縄を打たれ連れ去られた事等・・・
彼女も又、三人姉妹の長女、極貧の中で病弱の母を面倒を看、父親が今度の戦争で片足失った事も、毎日酒浸りで他人の畑から大根、人参等を盗み命を繋いで来た事、父親が不自由な身体に苛立って殴る蹴るの暴行を加えた事などを話したのである。
お互いが、この戦争の被害者である事が 結び付きをより強くしたのは間違い無い。
彼の気持ちが、少しずつ亜起子に伝わってきた。
愛されている・・・と、確信が持てる様になった。
無口ではあるが、彼女を大切に思ってくれてる事が・・・
普段の態度から違ってきている。
荒い言葉を吐かなくなった、何時も彼女の心を傷付けまいと気を使ってくれる様になったのだ。
それは、愛の営みの時に顕著に表れた。
彼は優しく抱き締める、壊れ物を扱う様に優しく愛撫する。
そして・・優しい言葉を掛けてくれる・・・
目くるめく快楽のひと時、狂わんばかりの快感の嵐の中・・・ひとつになった悦びの中で実感した、「愛されている」と、やっと心が開放された。
数ヶ月後・・・
亜起子は、自分の運命の不思議さを考えていたのだった。
と、同時に何時の間にか誠司に惹かれ、愛が芽生えてきた事も・・・これが夢なら覚めないで欲しいと・・・
外との接点の少ない彼女にとって頼るべき人は誠司以外誰も居ない。
無理からぬ話であろう。
自由にショッピングも、喫茶店でお茶を楽しむ事も出来る、付かず離れずボディガードが付いてる事も気にならない、寧ろ心強く感じた。
会話も弾む様になった。
彼女にとっては夢の様な生活だった。
自由がある、欲しい物は何でも手に入る、何時も優しく接してくれる。
部屋に花を飾る、庭にも種を蒔く、カーテンを取り替える。
無骨な家が華やいだ。
初めて化粧品を買った、「ちょっとでも彼に可愛がって貰いたい、何時も見詰められていたい」 いじらしい女心であった。
大人びた服に袖を通す、ハイヒールを履いてみる。
何時も誠司を意識してた。
彼も又、「何処へでも連れて歩きたい」と、思ったが、何処から狙われるか解らない身、それは諦めた。
しかし、自慢の妻である、一緒に歩く事は叶わなくても よく喫茶店で落ち合い ひと時の楽しみを求めたのである。
彼は満州の出来事を事細やかに話したのであった。
自分の村が焼かれ皆殺しの中、かろうじて生き残った事、姉が首に縄を打たれ連れ去られた事等・・・
彼女も又、三人姉妹の長女、極貧の中で病弱の母を面倒を看、父親が今度の戦争で片足失った事も、毎日酒浸りで他人の畑から大根、人参等を盗み命を繋いで来た事、父親が不自由な身体に苛立って殴る蹴るの暴行を加えた事などを話したのである。
お互いが、この戦争の被害者である事が 結び付きをより強くしたのは間違い無い。
翌日、誠司は浅田に訊いた、浅田は笑って言った、「それは誠司が悪い、先ず会話が無いのは駄目だな、セックスも自分だけ先にイッてしまってぐうぐう寝てたんじゃ可哀想だぜ」
「男は外でいろんな事で発散出来るけど女は家の中でひたすらお前の帰りを待ってるんだぞ」「いろんな意味で充分満足させてやらなきゃな」
「お前は未だ女を知らんな・・・」「女を満足させなきゃ一人前の男と言えないぞ」 俊介が笑って聞いてた。
「男は頭で物を考える、女はオマンコで考える動物だ」「それはお前が悪い」俊介もそう言ったのだった。
重ねて言った「お前は女心が判っておらん、力では女は言う事を聞かんぞ」「優しくしてやらんと駄目だな」「男も女も一緒に考えては女は付いて来んぞ」
皆勝手な事を言ってる。
譲治はみんなのおもちゃにされてる(笑)
誠司はひとり考えた、「俺の接し方は間違っているのか・・・?」「女をひとり飼うと云う事は、何とまあ骨の折れる事か・・・」
「幼い頃、父と母はどうしてたんだろう?」彼は悩んだ。
家庭の味を知らない彼には、これは大変な問題だったのだ。
男の世界で育ち、生きて来た誠司には女の扱い方がまるで解らなかった、男と同じ様に力ずくで従わせようとしていたのである。
夜の女達は所詮金の為に何でも云う事を聞く、好きな様に扱えた、その違いが解っていない。
「俺は何も分からん、亜起子の言い分を訊いてみよう」
其れからの誠司は亜起子の言いたい事を充分聞いたのだった。
どんな些細な事でも・・・
その意味では15歳の彼女の方が20才前の誠司より大人だったのだろう。
順々に亜起子は彼に女の心、虐げられた自分の悲しい気持ちを伝えたのであった。
そして、彼は素直に彼女の言葉に耳を傾けた、初めて会話らしい会話をする様になったのだった。
その後の彼は全く手を挙げる事も無くなった、時々は癖で手を挙げそうになるものを、ぐっと堪えたのである。
少し前の彼とは別人の様に変わった。
カマボコハウスのアメリカ兵の家庭が大いに参考になった様だ。
彼等国民はレディーファースト、非常に女性を大事にする。
誠司はそれを参考にしたのだった。
「男は外でいろんな事で発散出来るけど女は家の中でひたすらお前の帰りを待ってるんだぞ」「いろんな意味で充分満足させてやらなきゃな」
「お前は未だ女を知らんな・・・」「女を満足させなきゃ一人前の男と言えないぞ」 俊介が笑って聞いてた。
「男は頭で物を考える、女はオマンコで考える動物だ」「それはお前が悪い」俊介もそう言ったのだった。
重ねて言った「お前は女心が判っておらん、力では女は言う事を聞かんぞ」「優しくしてやらんと駄目だな」「男も女も一緒に考えては女は付いて来んぞ」
皆勝手な事を言ってる。
譲治はみんなのおもちゃにされてる(笑)
誠司はひとり考えた、「俺の接し方は間違っているのか・・・?」「女をひとり飼うと云う事は、何とまあ骨の折れる事か・・・」
「幼い頃、父と母はどうしてたんだろう?」彼は悩んだ。
家庭の味を知らない彼には、これは大変な問題だったのだ。
男の世界で育ち、生きて来た誠司には女の扱い方がまるで解らなかった、男と同じ様に力ずくで従わせようとしていたのである。
夜の女達は所詮金の為に何でも云う事を聞く、好きな様に扱えた、その違いが解っていない。
「俺は何も分からん、亜起子の言い分を訊いてみよう」
其れからの誠司は亜起子の言いたい事を充分聞いたのだった。
どんな些細な事でも・・・
その意味では15歳の彼女の方が20才前の誠司より大人だったのだろう。
順々に亜起子は彼に女の心、虐げられた自分の悲しい気持ちを伝えたのであった。
そして、彼は素直に彼女の言葉に耳を傾けた、初めて会話らしい会話をする様になったのだった。
その後の彼は全く手を挙げる事も無くなった、時々は癖で手を挙げそうになるものを、ぐっと堪えたのである。
少し前の彼とは別人の様に変わった。
カマボコハウスのアメリカ兵の家庭が大いに参考になった様だ。
彼等国民はレディーファースト、非常に女性を大事にする。
誠司はそれを参考にしたのだった。
堂本の店の従業員が襲われた。
店から銀行までの道で売り上げを奪い取られたのだ。
半死半生の従業員から犯人はすぐ割り出された、敵対する田嶋一家の幹部達だった。
その夜、誠司達は報復活動に出た。
田嶋一家の事務所を襲ったのである。
「地獄の使者、岬譲治だっ!覚悟」 豪刀同田貫が一閃する、銃口が火を噴く・・・
幹部二人と舎弟数名を惨殺し消えて行った。
警察でも、岬譲治なる者の行方を追ったが遥として分からぬ・・・
僅かな手掛かりは同田貫の使い手を捜す・・・と云うだけであった。
戦後の混乱期を抜け日本は大きく変わろうとしていた。
人身売買の禁止、売春防止法の制定、だが国民の間には何も変わる事は無かった。
只、地下に潜っただけの話だけである。
此処に一連の事件に対して疑問を持つ刑事が居た。
老刑事、瀬尾順平である。
彼は都探偵社なる興信所に眼を付けた。
此処には多種多様の人物が足繁く通う・・・
「金融会社社長、代表浅田は実態の無い会社で何をしてるんだ?」「黒幕は誰だ?」疑問は疑惑に代わり24時間のベタ張りを余儀なくされた。
「多くの会社を動かしてる陰の実力者は・・・誰なんだ?」 其処で一人の男が眼に浮かんだ。
毎日決まった時間にコーヒーを飲みに外に出る壮年の偉丈夫は・・・・
名前は『伊庭伸介』 刑事の鋭い嗅覚と勘は何かを感じた様であった。
そうした中、伊吹山中の小さな村で駐在所が爆発炎上した、巡査もその家族も還らぬ人となったのだ。
不審火がプロパンガスに飛び火して、とあるが何か引っ掛かるものを感じた瀬尾は、その村に赴いたのである。
「全く関係が無いが・・・」瀬尾はこうした不審な事件にはよく首を突っ込みたくなる性格であった。
「昔、この山に大天狗、小天狗様が居てよ・・・」村の古老の話である。
「何処からとも無く車に乗って出て行った」と・・・
だが、この御伽噺には何か裏が有る・・・もしその話が本当なら、その後 大天狗、小天狗は何処に行ったのだ?
「飛躍かも知れないが、もしこれが俺の調べている事件と関係があるとすれば?」
徹底的に伊庭伸介を洗っても何も出て来ない、その存在さえも掴めない。
偽名・・・? 過去の事件の数々を調べてみた、が 何も無い・・・
毎日・・・??の連続だった。
亜起子、20才の春・・・
彼女は小さな花屋を開いた。
元々花の好きな亜起子に取って夢だった花屋さんの経営に乗り出したのだ。
何時も花を買いに行く店のご主人のアドバイズを受け、仕入れから販売までを教えられながら手探りで始めたのである。
小さなワゴン車を買い、若い従業員を雇い入れ全てを取り仕切ってやった。
又、秋田から二人の妹(奈津子・冬子)を呼び寄せた、美人三姉妹として評判にもなった。
当時は配達と云うものは、何処の花屋でもやってなかったのが当たり 大いに繁盛したのだった。
又、家では女の家族が多くなったせいか随分華やかになったのである。
誠司が笑って言った、「何時の間にかお前にこの家乗っ取られたなー」と・・・
一緒に暮らし始めて5年、二人の子供にも恵まれ、この年に入籍を済ませたのである。
もう、完全なる夫婦となった姿が其処には在った。
亜起子が何を言っても彼は怒りを表す事は無い・・・何時も笑顔がこの家を包んでいたのだ。
何時もの様に派出所に一輪挿しを活けに行く。
「何時も済みませんなー」 警官がそう言う、「この頃は柳橋界隈は物騒になってきたなー、何時ドンパチやってもおかしくない」 訊くとも無く聞いている。
そして又、不安を募らせる。
背中の刺青を指でなぞりながらそっとため息を突く、「この刺青が悪いのよ・・・」
店から銀行までの道で売り上げを奪い取られたのだ。
半死半生の従業員から犯人はすぐ割り出された、敵対する田嶋一家の幹部達だった。
その夜、誠司達は報復活動に出た。
田嶋一家の事務所を襲ったのである。
「地獄の使者、岬譲治だっ!覚悟」 豪刀同田貫が一閃する、銃口が火を噴く・・・
幹部二人と舎弟数名を惨殺し消えて行った。
警察でも、岬譲治なる者の行方を追ったが遥として分からぬ・・・
僅かな手掛かりは同田貫の使い手を捜す・・・と云うだけであった。
戦後の混乱期を抜け日本は大きく変わろうとしていた。
人身売買の禁止、売春防止法の制定、だが国民の間には何も変わる事は無かった。
只、地下に潜っただけの話だけである。
此処に一連の事件に対して疑問を持つ刑事が居た。
老刑事、瀬尾順平である。
彼は都探偵社なる興信所に眼を付けた。
此処には多種多様の人物が足繁く通う・・・
「金融会社社長、代表浅田は実態の無い会社で何をしてるんだ?」「黒幕は誰だ?」疑問は疑惑に代わり24時間のベタ張りを余儀なくされた。
「多くの会社を動かしてる陰の実力者は・・・誰なんだ?」 其処で一人の男が眼に浮かんだ。
毎日決まった時間にコーヒーを飲みに外に出る壮年の偉丈夫は・・・・
名前は『伊庭伸介』 刑事の鋭い嗅覚と勘は何かを感じた様であった。
そうした中、伊吹山中の小さな村で駐在所が爆発炎上した、巡査もその家族も還らぬ人となったのだ。
不審火がプロパンガスに飛び火して、とあるが何か引っ掛かるものを感じた瀬尾は、その村に赴いたのである。
「全く関係が無いが・・・」瀬尾はこうした不審な事件にはよく首を突っ込みたくなる性格であった。
「昔、この山に大天狗、小天狗様が居てよ・・・」村の古老の話である。
「何処からとも無く車に乗って出て行った」と・・・
だが、この御伽噺には何か裏が有る・・・もしその話が本当なら、その後 大天狗、小天狗は何処に行ったのだ?
「飛躍かも知れないが、もしこれが俺の調べている事件と関係があるとすれば?」
徹底的に伊庭伸介を洗っても何も出て来ない、その存在さえも掴めない。
偽名・・・? 過去の事件の数々を調べてみた、が 何も無い・・・
毎日・・・??の連続だった。
亜起子、20才の春・・・
彼女は小さな花屋を開いた。
元々花の好きな亜起子に取って夢だった花屋さんの経営に乗り出したのだ。
何時も花を買いに行く店のご主人のアドバイズを受け、仕入れから販売までを教えられながら手探りで始めたのである。
小さなワゴン車を買い、若い従業員を雇い入れ全てを取り仕切ってやった。
又、秋田から二人の妹(奈津子・冬子)を呼び寄せた、美人三姉妹として評判にもなった。
当時は配達と云うものは、何処の花屋でもやってなかったのが当たり 大いに繁盛したのだった。
又、家では女の家族が多くなったせいか随分華やかになったのである。
誠司が笑って言った、「何時の間にかお前にこの家乗っ取られたなー」と・・・
一緒に暮らし始めて5年、二人の子供にも恵まれ、この年に入籍を済ませたのである。
もう、完全なる夫婦となった姿が其処には在った。
亜起子が何を言っても彼は怒りを表す事は無い・・・何時も笑顔がこの家を包んでいたのだ。
何時もの様に派出所に一輪挿しを活けに行く。
「何時も済みませんなー」 警官がそう言う、「この頃は柳橋界隈は物騒になってきたなー、何時ドンパチやってもおかしくない」 訊くとも無く聞いている。
そして又、不安を募らせる。
背中の刺青を指でなぞりながらそっとため息を突く、「この刺青が悪いのよ・・・」
大きく真っ赤な太陽が地平線を染め、暮れなずむ此処満州北部の村に長い影を落とす頃・・・
岬貫太郎は、「今日も一日ご苦労さん」傍らの妻に微笑み掛け 娘愛子と息子譲治の肩に手を掛け満足そうに呟いていた。
昭和20年9月、まだ彼等は大東亜戦争において日本が無条件降伏をした事も 焦土と化した祖国の事も何一つ知らなかった。
赤々と燃える太陽は彼等の足元を照らしゆっくりと落ちてゆく。
貫太郎は、この幸せが永遠に続くものと信じてた、そして満蒙の大地にどっしりと根を張り 此処に大きな桃源郷を作る事を夢見てたのである。
東北の貧農の三男坊、彼は仲間達と未来の桃源郷を夢見てこの満州北部の原野に鍬を入れた。
そらから8年、豊穣な作物と羊の群れから多くの賜物を得られる様になった今、此処が彼等の『故郷』となっていたのだ。
その間には口には表せない苦労もあった。
匪賊にも何度か襲われた、干ばつで明日の食物も得られない時も・・・
そんな時、決まって現れ、彼等を救ってくれた一団が居た。
風の様に現れ風の様に去って行く・・・
彼等には生神様の様に思えたその一団とは・・・井出俊介率いる満州馬賊の一団だった。
彼等は馬を塒とし、一時も一箇所に留まる事は無い。
此処満蒙の大地が彼等の塒でありフランチャイズなのだ。
遠くは、シベリアの低地を越えウラル山脈の麓まで駆け、多くの獲物を得て帰って来るのであった。
ソビエト連邦共和国(ロシア)のブルジョアージ達は、彼等を『白い稲妻』と呼び恐れ 自らの手で私兵を雇い防御策を講じていたが、彼等の迅速な行動を阻止する事は出来なかった。
夜陰に紛れ襲撃し、何処とも無く去って行く。
白いマフラーと漆黒のルパシカを靡かせて・・・
まさに悪魔に魅入られたかの如く 全てを奪い去り、煙の様に消え去る・・・なす術も無かったのだ。
17年6月・・・・・
ミッドウエイ海戦に於いて日本軍惨敗。
既に井出は知っていた。
陽出る国が敗れ、ソ連軍が参戦するであろう事も・・・
彼等の目的は、他に日本国軍部の為の重要な任務、そう スパイ活動も入っていたから・・・・
彼は仲間と共に関東軍総司令部に馬を進めていた。
昭和20年4月。
「少尉殿、農民を捨て転進ですか?体のいい退却ですなー・・・それで農民はどうなるんで?」 「知らん、彼等農民は元々北の守りと位置付けてきたんだ」「其れを忘れた訳じゃ無いだろう」 本来北の守りである筈の、関東軍は既に撤退の準備を進めていたのだった。
多くの開拓住民を残し、何も知らせないまま・・・
「それは軍人の論理でしょう、農民はそうは思っちゃいませんぜ、軍隊が守ってくれると信じてるから安心して暮らしてるんと違いますか?」「見捨てて何処へ逃げるんで?」 「何っ、貴様、逃げるとは何だ!・・・帝国軍人を侮辱するのかっ!天皇陛下の命令だっ!」「井出っ!死にたくなかったらとっとと出てけっ」
途端に俊介の同田貫が唸りを挙げた。
返す刀で傍に居た将校を斬り倒して何処となく去って行った。
それは関東軍への怒りでもあり、内地で のうのうと暮らしている軍幹部への憤りでもあったのだ。
後に残されたのは一刀両断に斬り捨てられた2名の将校の遺体・・・彼は帝国陸軍への反逆罪として追われる身となったのである。
関東軍達は、略奪、強盗、殺人、陵辱の限りを尽くし去って行った・・・僅かの満州馬賊『井出俊介一味』討伐隊を残し・・・
だが、北の大地は広い。
井出達は彼等の庭である広漠たる大地を駆け回っていた。
「一刻も早く開拓村の人々に知らせ 日本に引き上げさせねば」・・・だが情勢は非常に厳しいものであった。
関東軍の行いは、中国国民の怒りに火を点け行く手を阻んだのである。
だが、井出の配下には優秀な中国人、蒙古人も居た。
傀儡政権に異を唱える者、関東軍に追われ死の寸前に俊介に救われた者達・・・・
彼等は井出に心酔し、決してどんな状況になろうと離れる事は無かったのだ。
日毎に増す匪賊の勢力は 井出達馬賊を悩ませた。
「何とかして開拓農民を助けねばならない」「早く祖国に戻る様 説得しなければ」 しかし開拓農民に対する匪賊達の攻撃は熾烈を極める。
又、農民達は「此処が俺達の古里だ」と、土地を離れる事を躊躇したのである。
農民に取って土地を奪われる事は如何に辛い事か・・・それは俊介とて解らぬ訳ではない。
が、生きてさえいれば、又夢の続きは見られる・・・彼は必死になって村々を説得して歩いた。
そして・・・一足遅れで焼討ちに遭い無残な死体の山を見せられた事も・・・
ソ連軍が参戦した。
最初は犯罪者で構成される荒くれ集団・・・
彼等は略奪、暴行、陵辱の限りを尽くし満州各地の開拓農民を襲った。
開拓農民には戦う武器等有りはしなかったのである、だが若し有ったとしても戦いを知らぬ彼等には、自分の身を守る事さえ出来なかったであろう。
唯、逃げ廻るのみ・・・・
集団自決する哀れな例も有ったのだ。
こうして村を追われ南に避難する訳だが北の大地での死者は3万とも5万とも云われる。
だが彼等の逃避行は厳しく辛いものだった。
匪賊ばかりでは無い・・・
今まで虐げられていた多くの中国人、そして俄仕込みの強盗団・・・・
その中を石炭列車に揺られ南へ南へと下って行く。
そして祖国の土を踏む事が出来なかった者が どれだけ居たであろうか?
中には親切な中国人に拾われ、或いは子供の居ない一部の優しい彼等の情けに縋り、与けて内地を目指す者も居たにはいたが。
やはり、敗戦国の日本人には 冷たかったのは事実である。
こうなる事を予見してた彼はいち早く行動を起こしていた。
これまでに蓄えた全ての財産を中立国の銀行に預け、又日本国内の仲間に送り隠匿させたのである。
『赤』の烙印を押され中国まで逃げ 俊介の部下となった浅田英俊が、その任に当たった。
彼は語学にも精通しており、又経理担当能力は素晴しいものがあった。
もし、赤の烙印を押されなければ 然るべく要職に就き多いに力を発揮出来たであろう、と 思われる。
普通、馬賊の集団と云えば寄せ集めのごろつき集団が圧倒的に多い。
だが、俊介の仲間達は彼等と一線を画す。
鉄の結束を誇り、一騎当千の強者揃いだった。
頭目、俊介を慕い集まった仲間には、立派に他の一団に行けば頭の務まる者も多く居たのだ。
原野を駆け抜け匪賊の集団を襲う、そして得た数々の宝の山を惜しげも無く村々に配る。
「早く逃げろ」と・・・
貫太郎の村に、腹心の宇佐美が出向いた。
「ソ連軍の侵攻が始まったぞ!此処は捨てろ」「時間が無い、早く日本に帰れ」 「日本が負けたって?神国日本がどうして・・・?」彼等には理解出来なかった。
「この戦争、何時かは勝つ、『神の国』日本が負ける筈が無い」そう信じて疑わなかった彼等に取って この現実は俄かに受け入れ難い事だったのだ。
「負けたのは事実だ、すぐロ助(ロシア人)が攻めて来る、兎に角南に行く事だ!」宇佐美の声が険しくなる。
その夕方、村は炎に包まれた。
匪賊に襲われたのだった。
瀕死の重傷を負い息も絶え絶えの老人が言った、「女達は首に縄を掛けられ 手を数珠繋ぎにされ皆引きずられて行った」と・・・
俊介は「もう生きて居られるのも数時間だな」 心を鬼にして老人の頭を撃ち抜いた、楽に死なせてやろうとしたのだった。
匪賊、『戴』 片耳の男を追って南へ・・・・満蒙の大地を後にして俊介達一行は散り散りに散って行った。
都会ではヒロポン中毒の者達が虚ろな眼をして屯している。
一杯の雑炊を得る為に売血者が群れを為す、未だ仕事を得る事も難しい時代であった。
当時、買出し列車なるものが有り都会から田舎に 闇の食料を得る為、家法の美術品、着物等を僅かな食料と引き換えに交換して来る者も多く居たが、取締り警察官に見付かり苦労して得たそうした物を取上げられる例も多々有った事も・・・
その為自殺者も数多く出たのも確かだ。
しかし、復興の兆しは少しずつでは有るが見える。
「まだ俺が出て行くには早い」 小さく呟いて男はひたすら少年の成長を楽しみにして鍛え続けた。
井手は岐阜県堺の隠れ小屋でいろいろ作戦を練っていた。
人間に姿を変えた天狗様、井出俊介はじっと時を待っていたのだった。
「俺は関東軍将校を殺してる、中国はおろかソ連東部において略奪の限りを尽くした、そして日本軍の為のスパイ活動、どの道捕まれば死刑は免れないだろう」 彼は闇の社会で生きる決意を固めていたのである。
その為の布石は打ってある。
満州馬賊達は、井出が何時来ても良い様に中部のある都市に拠点を構え 大きな組織を作りつつあったのだ。
そして、又 4年の歳月が流れた。
密かに山に宇佐美、浅田、白峰、堂本、吉田、井出の配下幹部達が集まった。
何事か長い協議が行われた後、少年 岬譲治に 「おい、山を下りるぞ」と、俊介は言った。
そう、その少年こそ岬貫太郎の忘れ形見 譲治である。
彼は匪賊襲撃の際、咄嗟に死体の陰に隠れ難を逃れ俊介に拾われたのだ。
今では立派な青年に成長し 堂々たる体躯は他を圧する程に成っていた。
底知れぬ戦闘力を身に付けた青年、譲治が其処には在った。
大きな車がこの鄙びた寒村にやって来る。
荷物が運び出され小屋は跡形も無く解体された。
その日、遠巻きに様子を見る村人の前から 『大天狗、小天狗』 は完全に姿を消したのであった。
向かう先は中部地方最大の都市、その駅裏の目立たぬ場所に一先ず落ち着いたのである。
一面の焼け野原だったこの街、もバラック小屋が建ちその後俊介が落ち着く頃には何とか長屋形式の家が建ち並ぶ様になっていた。
そして焼け残ったビルには改装が施され街並みは徐々に整いつつあったのである。
戦火を免れ、昔ながらの佇まいを見せる料亭で昔の仲間が集まり喜びの祝宴は行われた。
井出俊介を迎えた事によりどっしりとした柱が備わったのである。
総勢20数名、此処に満州馬賊の一団が集結した。
筆頭、宇佐美直人は混乱期に乗じて不動産業界に進出、任侠ヤクザとしてガッチリと地盤を固め大きな勢力を誇っている。
浅田は金融会社経営、全ての資金は此処から出されている。
白峰は風俗業界に・・・東北地方によく女性達を買い付けに行く、トルコ風呂、売春宿等を経営。
堂本は遊技場、博打場を取り仕切っている。
吉田はキャバレー等の経営、中部圏内のほとんどは彼等が握っていたのだった。
そこで活動していたのは、所謂 『大陸浪人』そして食い詰めて有り余るエネルギーの吐き所の見付からない無頼の輩達である。
彼等は食(職)に有り付く為、命を賭けて働いて居たのだった。
組織の力は強大なものであった。
大正、明治時代からの物であろうか・・・戦災を免れ路地の入口近くに小さなガス灯が立っていた。
火も灯る事も無い古ぼけたガス灯が、この街の遷り変わりを見詰めている。
井出は柳橋から少し中に入った所、そう、この路地裏に小さな事務所を構えた。
「萬相談承ります」『都探偵事務所』 これが彼等の総司令部、そしてこの興信所が井出の新しい仕事である。
代表には、浅田が就いた、あくまで井出は陰の存在だったのだ。
大阪の埠頭に女性の死体が浮かんだ。
シャブ中のその死体には身元を明かすものは何も発見出来なかった。
警察の発表では、酔って海に転落したもの・・・或いは生活苦から覚悟の自殺・・・と簡単に片付けられたのである。
唯、両腕から肩に賭け、そして太股が黒ずみ ヒロポン中毒との発表が有ったのみだった。
まだまだ科学捜査も無い、警察の捜査も及ばない闇の部分の多い頃の話である。
こうしたお宮入りの事件、事故は後を絶たない状況であったのだ。
井出俊介は譲治に言った、「今日から川島誠司として生きろ、それがこれからのお前の名前だ」と・・・・
譲治は素直にそれに従ったのである。
その名前にはきちっとした住民票も有る、街を大手を振って歩ける鑑札の様なものであったから・・・
「親父、俺は何をすればいいんだ?」 「お前はフリーハンドで動け、全部の仕事を覚えるんだ」 彼は先ず浅田の指示を仰ぎ、米軍キャンプを訪れた。
此処から横流しされる物資(酒類、銃の数々、東南アジアからの麻薬の類も有った) それは組織に取って非常に重要な物である。
一週間に一度は買い付けに行く。
そして、酒類の多くは吉田の下へ、後はそれぞれ必要とされる所に配分された。
大陸から持ち帰った潤沢な資金は、こうして又 多くの利益を生んでいたのだった。
白峰の仕事は大きく云ってふたつに分けられる。
ひとつは日本人相手の売春宿、もうひとつはアメリカ兵相手の売春組織(所謂パンパン宿)である。
人間の欲望と云うものは万国共通だ。
そして、不況時に最も強い職業といえるだろう。
又、ギャンブルの類もそうだろう、一攫千金を狙い人々は集まって来る。
復興の槌音が聞こえる日本に 宇佐美の不動産関係の仕事も忙しい、次々とシマを広げて行く、地回りのヤクザとの抗争も激化する。
戦前から続いたヤクザ組織、新興勢力の若い集団(愚連隊)、そして宇佐美達の組織・・・・
毎日が気が許せない生活である。
だがそこで、多くの資金を持つ井出のグループは存分な武力を発揮出来るのだ。
米軍からの横流し物資は多いに彼らの力に為っていたのだった。
が、しかし彼等はその米軍に対しても陰では牙を剥いていたのである。
鬼畜米英が・・・と・・・
欲望渦巻く裏町で、米兵が襲われる事もしばしばあった。
井出は柳橋から少し中に入った所、そう、この路地裏に小さな事務所を構えた。
「萬相談承ります」『都探偵事務所』 これが彼等の総司令部、そしてこの興信所が井出の新しい仕事である。
代表には、浅田が就いた、あくまで井出は陰の存在だったのだ。
大阪の埠頭に女性の死体が浮かんだ。
シャブ中のその死体には身元を明かすものは何も発見出来なかった。
警察の発表では、酔って海に転落したもの・・・或いは生活苦から覚悟の自殺・・・と簡単に片付けられたのである。
唯、両腕から肩に賭け、そして太股が黒ずみ ヒロポン中毒との発表が有ったのみだった。
まだまだ科学捜査も無い、警察の捜査も及ばない闇の部分の多い頃の話である。
こうしたお宮入りの事件、事故は後を絶たない状況であったのだ。
井出俊介は譲治に言った、「今日から川島誠司として生きろ、それがこれからのお前の名前だ」と・・・・
譲治は素直にそれに従ったのである。
その名前にはきちっとした住民票も有る、街を大手を振って歩ける鑑札の様なものであったから・・・
「親父、俺は何をすればいいんだ?」 「お前はフリーハンドで動け、全部の仕事を覚えるんだ」 彼は先ず浅田の指示を仰ぎ、米軍キャンプを訪れた。
此処から横流しされる物資(酒類、銃の数々、東南アジアからの麻薬の類も有った) それは組織に取って非常に重要な物である。
一週間に一度は買い付けに行く。
そして、酒類の多くは吉田の下へ、後はそれぞれ必要とされる所に配分された。
大陸から持ち帰った潤沢な資金は、こうして又 多くの利益を生んでいたのだった。
白峰の仕事は大きく云ってふたつに分けられる。
ひとつは日本人相手の売春宿、もうひとつはアメリカ兵相手の売春組織(所謂パンパン宿)である。
人間の欲望と云うものは万国共通だ。
そして、不況時に最も強い職業といえるだろう。
又、ギャンブルの類もそうだろう、一攫千金を狙い人々は集まって来る。
復興の槌音が聞こえる日本に 宇佐美の不動産関係の仕事も忙しい、次々とシマを広げて行く、地回りのヤクザとの抗争も激化する。
戦前から続いたヤクザ組織、新興勢力の若い集団(愚連隊)、そして宇佐美達の組織・・・・
毎日が気が許せない生活である。
だがそこで、多くの資金を持つ井出のグループは存分な武力を発揮出来るのだ。
米軍からの横流し物資は多いに彼らの力に為っていたのだった。
が、しかし彼等はその米軍に対しても陰では牙を剥いていたのである。
鬼畜米英が・・・と・・・
欲望渦巻く裏町で、米兵が襲われる事もしばしばあった。
昼は川島誠司として睨みを利かせ、夜は岬譲治として敵対するヤクザ組織に銃弾を浴びせる。
黒い帽子に漆黒のルパシカ、白いマフラーを風に靡かせて通り過ぎる。
跡には対抗勢力の死体を残し・・・
「岬譲治だっ!頭を貰いに来たっ!」何時の間にか恐怖の代名詞となったのである。
誰も本当の顔を見る事は出来ない、コルシカ帽を目深に被りマフラーで顔を隠す・・・眼だけが異様に光る。
誰云うとも無く、『死神』と、恐れられ白いマフラーは相手方に脅威を与えたのであった。
誠司こと譲治には善悪の基準が判らなかった。
俊介は戦い方は教えた が、物の善悪を教える事を忘れていたのだった。
そして譲治には、村を焼かれ両親が殺され、姉が首に縄を掛けられ数珠繋ぎにされて連れ去られる姿が心に焼き付いて離れなかった。
憎悪の塊はそのまま相手に向って放たれたのである。
冷徹な殺し屋 譲治が其処に在ったのだった。
柳橋界隈には所謂 立ちん坊(売春婦)が大勢屯していた。
戦争未亡人、何処かの廓から逃げ出して来た者、流れ者の売春婦、氏素性の分からぬ女達が春を売って暮らしている。
その中には政府によるアメリカ兵の為の元慰安婦も多く含まれていたのだった。
(戦時中政府は軍部の為、敗戦後一ヶ月もしないうちにそうした施設(性的慰安施設)を全国の駐屯地近くに作ったのである。
そして撤退の時にはそれらを切り捨てた。
良家の子女を守る為・・・との名目で・・・
それは内務省警保局長からの命令により各県警が行った。
その任務に当たったのは他でもない、警察官達だ。
彼等は農村漁村を訪ね歩き、毛布、足袋、砂糖を贈って説得し、協力を求めたのであった。
だがアメリカ政府はその過剰なサービスに不快感を表して撤廃した。
そこで働く慰安婦たちは(働く所を失って)働き場所を失い行き場所が無くなったのである、故郷に帰りたくとも帰れない。
結果、所謂(立ちん坊、又はパンパンと呼ばれる)売春婦が街に溢れたと云う訳だ。
街娼達はこうした経緯によって生まれたのであるが誠に日本女性を馬鹿にした話であろう。
だが、こうした女性の集まる吹溜りの様な所は又犯罪の温床にもなった。)
追われる者に取っては格好の隠れ場所でもあったのだが・・・
又、この辺りには多くの屋台が軒を連ねる。
総菜屋、夜鳴きソバ屋、訳の判らぬ一杯飲み屋、その他諸々・・・
そして・・・シャブの売人・・・闇の銃の斡旋屋・・・実に多彩である。
警察の取り締まりも多く行われていた。
(おかしなものである、昨日まで慰安婦を集め斡旋してた警察が、今日は逮捕し取り調べをしている。
全ては一貫性の無い日本政府の責任であろう。)
だが、一歩中に入る、裏通りに入ると其処は警察権力の及ばない無法地帯なのだ。
得体の知れない者がウジャウジャ居る、訳の解らない所だ。
その奥に都探偵事務所が有った。
ある夜の事・・・
何時もの様に、夜鳴きソバ屋で一杯食べて車に戻ったところ・・・中で女が3人隠れていた。
警察の取り締まりを逃れ車に逃げ込んだ者達である。
誠司(譲治)は、ニヤリと笑い車を発進させた、「お前、見掛けない顔だが何処から流れて来た?」 「助けてくれて有難う、私は長野からよ・・・貴方は?」 一番若い女がそう答えた。
「俺の事を訊いてどうする?只のお前を助けただけの男だぜ、風来坊のな」
ふたつばかり信号を越えた所で、後の二人を下ろし其の侭 街外れの宿に入って行く。
「俺が一晩買い切る、それでいいな?」 「嬉しい・・助けて貰って買ってくれるの?」 「俺は嘘はつかん、その代わりちょっと乱暴だぞ」そう言うなり身体を押し倒し圧し掛かって行った。
誠司にとっては初めての経験だった、唯 少しばかりのテレが有ったのだろう、又若い欲望はそれにも増して激しかったのである。
そして彼は、それを悟られまいと荒々しく彼女の衣服を剥ぎ取ったのだった。
彼女は、すぐにそれを見抜いたが黙って為すがまま身体を与けて行った。
君塚京子、誠司にとって初めての女だった。
貪る様に彼女を求めた、そして『おとこ』に成った。
彼女は彼の背中の刺青を見て、「初めてでしょう・・・立派な紋々を背負っててもすぐ判るわよ」と、笑った、そして「私が教えてあげるわよ」と・・・
暫くは、その関係が続いた。
が、やがて俊介の知るところと為ってしまったのだ。
岬貫太郎は、「今日も一日ご苦労さん」傍らの妻に微笑み掛け 娘愛子と息子譲治の肩に手を掛け満足そうに呟いていた。
昭和20年9月、まだ彼等は大東亜戦争において日本が無条件降伏をした事も 焦土と化した祖国の事も何一つ知らなかった。
赤々と燃える太陽は彼等の足元を照らしゆっくりと落ちてゆく。
貫太郎は、この幸せが永遠に続くものと信じてた、そして満蒙の大地にどっしりと根を張り 此処に大きな桃源郷を作る事を夢見てたのである。
東北の貧農の三男坊、彼は仲間達と未来の桃源郷を夢見てこの満州北部の原野に鍬を入れた。
そらから8年、豊穣な作物と羊の群れから多くの賜物を得られる様になった今、此処が彼等の『故郷』となっていたのだ。
その間には口には表せない苦労もあった。
匪賊にも何度か襲われた、干ばつで明日の食物も得られない時も・・・
そんな時、決まって現れ、彼等を救ってくれた一団が居た。
風の様に現れ風の様に去って行く・・・
彼等には生神様の様に思えたその一団とは・・・井出俊介率いる満州馬賊の一団だった。
彼等は馬を塒とし、一時も一箇所に留まる事は無い。
此処満蒙の大地が彼等の塒でありフランチャイズなのだ。
遠くは、シベリアの低地を越えウラル山脈の麓まで駆け、多くの獲物を得て帰って来るのであった。
ソビエト連邦共和国(ロシア)のブルジョアージ達は、彼等を『白い稲妻』と呼び恐れ 自らの手で私兵を雇い防御策を講じていたが、彼等の迅速な行動を阻止する事は出来なかった。
夜陰に紛れ襲撃し、何処とも無く去って行く。
白いマフラーと漆黒のルパシカを靡かせて・・・
まさに悪魔に魅入られたかの如く 全てを奪い去り、煙の様に消え去る・・・なす術も無かったのだ。
17年6月・・・・・
ミッドウエイ海戦に於いて日本軍惨敗。
既に井出は知っていた。
陽出る国が敗れ、ソ連軍が参戦するであろう事も・・・
彼等の目的は、他に日本国軍部の為の重要な任務、そう スパイ活動も入っていたから・・・・
彼は仲間と共に関東軍総司令部に馬を進めていた。
昭和20年4月。
「少尉殿、農民を捨て転進ですか?体のいい退却ですなー・・・それで農民はどうなるんで?」 「知らん、彼等農民は元々北の守りと位置付けてきたんだ」「其れを忘れた訳じゃ無いだろう」 本来北の守りである筈の、関東軍は既に撤退の準備を進めていたのだった。
多くの開拓住民を残し、何も知らせないまま・・・
「それは軍人の論理でしょう、農民はそうは思っちゃいませんぜ、軍隊が守ってくれると信じてるから安心して暮らしてるんと違いますか?」「見捨てて何処へ逃げるんで?」 「何っ、貴様、逃げるとは何だ!・・・帝国軍人を侮辱するのかっ!天皇陛下の命令だっ!」「井出っ!死にたくなかったらとっとと出てけっ」
途端に俊介の同田貫が唸りを挙げた。
返す刀で傍に居た将校を斬り倒して何処となく去って行った。
それは関東軍への怒りでもあり、内地で のうのうと暮らしている軍幹部への憤りでもあったのだ。
後に残されたのは一刀両断に斬り捨てられた2名の将校の遺体・・・彼は帝国陸軍への反逆罪として追われる身となったのである。
関東軍達は、略奪、強盗、殺人、陵辱の限りを尽くし去って行った・・・僅かの満州馬賊『井出俊介一味』討伐隊を残し・・・
だが、北の大地は広い。
井出達は彼等の庭である広漠たる大地を駆け回っていた。
「一刻も早く開拓村の人々に知らせ 日本に引き上げさせねば」・・・だが情勢は非常に厳しいものであった。
関東軍の行いは、中国国民の怒りに火を点け行く手を阻んだのである。
だが、井出の配下には優秀な中国人、蒙古人も居た。
傀儡政権に異を唱える者、関東軍に追われ死の寸前に俊介に救われた者達・・・・
彼等は井出に心酔し、決してどんな状況になろうと離れる事は無かったのだ。
日毎に増す匪賊の勢力は 井出達馬賊を悩ませた。
「何とかして開拓農民を助けねばならない」「早く祖国に戻る様 説得しなければ」 しかし開拓農民に対する匪賊達の攻撃は熾烈を極める。
又、農民達は「此処が俺達の古里だ」と、土地を離れる事を躊躇したのである。
農民に取って土地を奪われる事は如何に辛い事か・・・それは俊介とて解らぬ訳ではない。
が、生きてさえいれば、又夢の続きは見られる・・・彼は必死になって村々を説得して歩いた。
そして・・・一足遅れで焼討ちに遭い無残な死体の山を見せられた事も・・・
ソ連軍が参戦した。
最初は犯罪者で構成される荒くれ集団・・・
彼等は略奪、暴行、陵辱の限りを尽くし満州各地の開拓農民を襲った。
開拓農民には戦う武器等有りはしなかったのである、だが若し有ったとしても戦いを知らぬ彼等には、自分の身を守る事さえ出来なかったであろう。
唯、逃げ廻るのみ・・・・
集団自決する哀れな例も有ったのだ。
こうして村を追われ南に避難する訳だが北の大地での死者は3万とも5万とも云われる。
だが彼等の逃避行は厳しく辛いものだった。
匪賊ばかりでは無い・・・
今まで虐げられていた多くの中国人、そして俄仕込みの強盗団・・・・
その中を石炭列車に揺られ南へ南へと下って行く。
そして祖国の土を踏む事が出来なかった者が どれだけ居たであろうか?
中には親切な中国人に拾われ、或いは子供の居ない一部の優しい彼等の情けに縋り、与けて内地を目指す者も居たにはいたが。
やはり、敗戦国の日本人には 冷たかったのは事実である。
こうなる事を予見してた彼はいち早く行動を起こしていた。
これまでに蓄えた全ての財産を中立国の銀行に預け、又日本国内の仲間に送り隠匿させたのである。
『赤』の烙印を押され中国まで逃げ 俊介の部下となった浅田英俊が、その任に当たった。
彼は語学にも精通しており、又経理担当能力は素晴しいものがあった。
もし、赤の烙印を押されなければ 然るべく要職に就き多いに力を発揮出来たであろう、と 思われる。
普通、馬賊の集団と云えば寄せ集めのごろつき集団が圧倒的に多い。
だが、俊介の仲間達は彼等と一線を画す。
鉄の結束を誇り、一騎当千の強者揃いだった。
頭目、俊介を慕い集まった仲間には、立派に他の一団に行けば頭の務まる者も多く居たのだ。
原野を駆け抜け匪賊の集団を襲う、そして得た数々の宝の山を惜しげも無く村々に配る。
「早く逃げろ」と・・・
貫太郎の村に、腹心の宇佐美が出向いた。
「ソ連軍の侵攻が始まったぞ!此処は捨てろ」「時間が無い、早く日本に帰れ」 「日本が負けたって?神国日本がどうして・・・?」彼等には理解出来なかった。
「この戦争、何時かは勝つ、『神の国』日本が負ける筈が無い」そう信じて疑わなかった彼等に取って この現実は俄かに受け入れ難い事だったのだ。
「負けたのは事実だ、すぐロ助(ロシア人)が攻めて来る、兎に角南に行く事だ!」宇佐美の声が険しくなる。
その夕方、村は炎に包まれた。
匪賊に襲われたのだった。
瀕死の重傷を負い息も絶え絶えの老人が言った、「女達は首に縄を掛けられ 手を数珠繋ぎにされ皆引きずられて行った」と・・・
俊介は「もう生きて居られるのも数時間だな」 心を鬼にして老人の頭を撃ち抜いた、楽に死なせてやろうとしたのだった。
匪賊、『戴』 片耳の男を追って南へ・・・・満蒙の大地を後にして俊介達一行は散り散りに散って行った。
都会ではヒロポン中毒の者達が虚ろな眼をして屯している。
一杯の雑炊を得る為に売血者が群れを為す、未だ仕事を得る事も難しい時代であった。
当時、買出し列車なるものが有り都会から田舎に 闇の食料を得る為、家法の美術品、着物等を僅かな食料と引き換えに交換して来る者も多く居たが、取締り警察官に見付かり苦労して得たそうした物を取上げられる例も多々有った事も・・・
その為自殺者も数多く出たのも確かだ。
しかし、復興の兆しは少しずつでは有るが見える。
「まだ俺が出て行くには早い」 小さく呟いて男はひたすら少年の成長を楽しみにして鍛え続けた。
井手は岐阜県堺の隠れ小屋でいろいろ作戦を練っていた。
人間に姿を変えた天狗様、井出俊介はじっと時を待っていたのだった。
「俺は関東軍将校を殺してる、中国はおろかソ連東部において略奪の限りを尽くした、そして日本軍の為のスパイ活動、どの道捕まれば死刑は免れないだろう」 彼は闇の社会で生きる決意を固めていたのである。
その為の布石は打ってある。
満州馬賊達は、井出が何時来ても良い様に中部のある都市に拠点を構え 大きな組織を作りつつあったのだ。
そして、又 4年の歳月が流れた。
密かに山に宇佐美、浅田、白峰、堂本、吉田、井出の配下幹部達が集まった。
何事か長い協議が行われた後、少年 岬譲治に 「おい、山を下りるぞ」と、俊介は言った。
そう、その少年こそ岬貫太郎の忘れ形見 譲治である。
彼は匪賊襲撃の際、咄嗟に死体の陰に隠れ難を逃れ俊介に拾われたのだ。
今では立派な青年に成長し 堂々たる体躯は他を圧する程に成っていた。
底知れぬ戦闘力を身に付けた青年、譲治が其処には在った。
大きな車がこの鄙びた寒村にやって来る。
荷物が運び出され小屋は跡形も無く解体された。
その日、遠巻きに様子を見る村人の前から 『大天狗、小天狗』 は完全に姿を消したのであった。
向かう先は中部地方最大の都市、その駅裏の目立たぬ場所に一先ず落ち着いたのである。
一面の焼け野原だったこの街、もバラック小屋が建ちその後俊介が落ち着く頃には何とか長屋形式の家が建ち並ぶ様になっていた。
そして焼け残ったビルには改装が施され街並みは徐々に整いつつあったのである。
戦火を免れ、昔ながらの佇まいを見せる料亭で昔の仲間が集まり喜びの祝宴は行われた。
井出俊介を迎えた事によりどっしりとした柱が備わったのである。
総勢20数名、此処に満州馬賊の一団が集結した。
筆頭、宇佐美直人は混乱期に乗じて不動産業界に進出、任侠ヤクザとしてガッチリと地盤を固め大きな勢力を誇っている。
浅田は金融会社経営、全ての資金は此処から出されている。
白峰は風俗業界に・・・東北地方によく女性達を買い付けに行く、トルコ風呂、売春宿等を経営。
堂本は遊技場、博打場を取り仕切っている。
吉田はキャバレー等の経営、中部圏内のほとんどは彼等が握っていたのだった。
そこで活動していたのは、所謂 『大陸浪人』そして食い詰めて有り余るエネルギーの吐き所の見付からない無頼の輩達である。
彼等は食(職)に有り付く為、命を賭けて働いて居たのだった。
組織の力は強大なものであった。
大正、明治時代からの物であろうか・・・戦災を免れ路地の入口近くに小さなガス灯が立っていた。
火も灯る事も無い古ぼけたガス灯が、この街の遷り変わりを見詰めている。
井出は柳橋から少し中に入った所、そう、この路地裏に小さな事務所を構えた。
「萬相談承ります」『都探偵事務所』 これが彼等の総司令部、そしてこの興信所が井出の新しい仕事である。
代表には、浅田が就いた、あくまで井出は陰の存在だったのだ。
大阪の埠頭に女性の死体が浮かんだ。
シャブ中のその死体には身元を明かすものは何も発見出来なかった。
警察の発表では、酔って海に転落したもの・・・或いは生活苦から覚悟の自殺・・・と簡単に片付けられたのである。
唯、両腕から肩に賭け、そして太股が黒ずみ ヒロポン中毒との発表が有ったのみだった。
まだまだ科学捜査も無い、警察の捜査も及ばない闇の部分の多い頃の話である。
こうしたお宮入りの事件、事故は後を絶たない状況であったのだ。
井出俊介は譲治に言った、「今日から川島誠司として生きろ、それがこれからのお前の名前だ」と・・・・
譲治は素直にそれに従ったのである。
その名前にはきちっとした住民票も有る、街を大手を振って歩ける鑑札の様なものであったから・・・
「親父、俺は何をすればいいんだ?」 「お前はフリーハンドで動け、全部の仕事を覚えるんだ」 彼は先ず浅田の指示を仰ぎ、米軍キャンプを訪れた。
此処から横流しされる物資(酒類、銃の数々、東南アジアからの麻薬の類も有った) それは組織に取って非常に重要な物である。
一週間に一度は買い付けに行く。
そして、酒類の多くは吉田の下へ、後はそれぞれ必要とされる所に配分された。
大陸から持ち帰った潤沢な資金は、こうして又 多くの利益を生んでいたのだった。
白峰の仕事は大きく云ってふたつに分けられる。
ひとつは日本人相手の売春宿、もうひとつはアメリカ兵相手の売春組織(所謂パンパン宿)である。
人間の欲望と云うものは万国共通だ。
そして、不況時に最も強い職業といえるだろう。
又、ギャンブルの類もそうだろう、一攫千金を狙い人々は集まって来る。
復興の槌音が聞こえる日本に 宇佐美の不動産関係の仕事も忙しい、次々とシマを広げて行く、地回りのヤクザとの抗争も激化する。
戦前から続いたヤクザ組織、新興勢力の若い集団(愚連隊)、そして宇佐美達の組織・・・・
毎日が気が許せない生活である。
だがそこで、多くの資金を持つ井出のグループは存分な武力を発揮出来るのだ。
米軍からの横流し物資は多いに彼らの力に為っていたのだった。
が、しかし彼等はその米軍に対しても陰では牙を剥いていたのである。
鬼畜米英が・・・と・・・
欲望渦巻く裏町で、米兵が襲われる事もしばしばあった。
井出は柳橋から少し中に入った所、そう、この路地裏に小さな事務所を構えた。
「萬相談承ります」『都探偵事務所』 これが彼等の総司令部、そしてこの興信所が井出の新しい仕事である。
代表には、浅田が就いた、あくまで井出は陰の存在だったのだ。
大阪の埠頭に女性の死体が浮かんだ。
シャブ中のその死体には身元を明かすものは何も発見出来なかった。
警察の発表では、酔って海に転落したもの・・・或いは生活苦から覚悟の自殺・・・と簡単に片付けられたのである。
唯、両腕から肩に賭け、そして太股が黒ずみ ヒロポン中毒との発表が有ったのみだった。
まだまだ科学捜査も無い、警察の捜査も及ばない闇の部分の多い頃の話である。
こうしたお宮入りの事件、事故は後を絶たない状況であったのだ。
井出俊介は譲治に言った、「今日から川島誠司として生きろ、それがこれからのお前の名前だ」と・・・・
譲治は素直にそれに従ったのである。
その名前にはきちっとした住民票も有る、街を大手を振って歩ける鑑札の様なものであったから・・・
「親父、俺は何をすればいいんだ?」 「お前はフリーハンドで動け、全部の仕事を覚えるんだ」 彼は先ず浅田の指示を仰ぎ、米軍キャンプを訪れた。
此処から横流しされる物資(酒類、銃の数々、東南アジアからの麻薬の類も有った) それは組織に取って非常に重要な物である。
一週間に一度は買い付けに行く。
そして、酒類の多くは吉田の下へ、後はそれぞれ必要とされる所に配分された。
大陸から持ち帰った潤沢な資金は、こうして又 多くの利益を生んでいたのだった。
白峰の仕事は大きく云ってふたつに分けられる。
ひとつは日本人相手の売春宿、もうひとつはアメリカ兵相手の売春組織(所謂パンパン宿)である。
人間の欲望と云うものは万国共通だ。
そして、不況時に最も強い職業といえるだろう。
又、ギャンブルの類もそうだろう、一攫千金を狙い人々は集まって来る。
復興の槌音が聞こえる日本に 宇佐美の不動産関係の仕事も忙しい、次々とシマを広げて行く、地回りのヤクザとの抗争も激化する。
戦前から続いたヤクザ組織、新興勢力の若い集団(愚連隊)、そして宇佐美達の組織・・・・
毎日が気が許せない生活である。
だがそこで、多くの資金を持つ井出のグループは存分な武力を発揮出来るのだ。
米軍からの横流し物資は多いに彼らの力に為っていたのだった。
が、しかし彼等はその米軍に対しても陰では牙を剥いていたのである。
鬼畜米英が・・・と・・・
欲望渦巻く裏町で、米兵が襲われる事もしばしばあった。
昼は川島誠司として睨みを利かせ、夜は岬譲治として敵対するヤクザ組織に銃弾を浴びせる。
黒い帽子に漆黒のルパシカ、白いマフラーを風に靡かせて通り過ぎる。
跡には対抗勢力の死体を残し・・・
「岬譲治だっ!頭を貰いに来たっ!」何時の間にか恐怖の代名詞となったのである。
誰も本当の顔を見る事は出来ない、コルシカ帽を目深に被りマフラーで顔を隠す・・・眼だけが異様に光る。
誰云うとも無く、『死神』と、恐れられ白いマフラーは相手方に脅威を与えたのであった。
誠司こと譲治には善悪の基準が判らなかった。
俊介は戦い方は教えた が、物の善悪を教える事を忘れていたのだった。
そして譲治には、村を焼かれ両親が殺され、姉が首に縄を掛けられ数珠繋ぎにされて連れ去られる姿が心に焼き付いて離れなかった。
憎悪の塊はそのまま相手に向って放たれたのである。
冷徹な殺し屋 譲治が其処に在ったのだった。
柳橋界隈には所謂 立ちん坊(売春婦)が大勢屯していた。
戦争未亡人、何処かの廓から逃げ出して来た者、流れ者の売春婦、氏素性の分からぬ女達が春を売って暮らしている。
その中には政府によるアメリカ兵の為の元慰安婦も多く含まれていたのだった。
(戦時中政府は軍部の為、敗戦後一ヶ月もしないうちにそうした施設(性的慰安施設)を全国の駐屯地近くに作ったのである。
そして撤退の時にはそれらを切り捨てた。
良家の子女を守る為・・・との名目で・・・
それは内務省警保局長からの命令により各県警が行った。
その任務に当たったのは他でもない、警察官達だ。
彼等は農村漁村を訪ね歩き、毛布、足袋、砂糖を贈って説得し、協力を求めたのであった。
だがアメリカ政府はその過剰なサービスに不快感を表して撤廃した。
そこで働く慰安婦たちは(働く所を失って)働き場所を失い行き場所が無くなったのである、故郷に帰りたくとも帰れない。
結果、所謂(立ちん坊、又はパンパンと呼ばれる)売春婦が街に溢れたと云う訳だ。
街娼達はこうした経緯によって生まれたのであるが誠に日本女性を馬鹿にした話であろう。
だが、こうした女性の集まる吹溜りの様な所は又犯罪の温床にもなった。)
追われる者に取っては格好の隠れ場所でもあったのだが・・・
又、この辺りには多くの屋台が軒を連ねる。
総菜屋、夜鳴きソバ屋、訳の判らぬ一杯飲み屋、その他諸々・・・
そして・・・シャブの売人・・・闇の銃の斡旋屋・・・実に多彩である。
警察の取り締まりも多く行われていた。
(おかしなものである、昨日まで慰安婦を集め斡旋してた警察が、今日は逮捕し取り調べをしている。
全ては一貫性の無い日本政府の責任であろう。)
だが、一歩中に入る、裏通りに入ると其処は警察権力の及ばない無法地帯なのだ。
得体の知れない者がウジャウジャ居る、訳の解らない所だ。
その奥に都探偵事務所が有った。
ある夜の事・・・
何時もの様に、夜鳴きソバ屋で一杯食べて車に戻ったところ・・・中で女が3人隠れていた。
警察の取り締まりを逃れ車に逃げ込んだ者達である。
誠司(譲治)は、ニヤリと笑い車を発進させた、「お前、見掛けない顔だが何処から流れて来た?」 「助けてくれて有難う、私は長野からよ・・・貴方は?」 一番若い女がそう答えた。
「俺の事を訊いてどうする?只のお前を助けただけの男だぜ、風来坊のな」
ふたつばかり信号を越えた所で、後の二人を下ろし其の侭 街外れの宿に入って行く。
「俺が一晩買い切る、それでいいな?」 「嬉しい・・助けて貰って買ってくれるの?」 「俺は嘘はつかん、その代わりちょっと乱暴だぞ」そう言うなり身体を押し倒し圧し掛かって行った。
誠司にとっては初めての経験だった、唯 少しばかりのテレが有ったのだろう、又若い欲望はそれにも増して激しかったのである。
そして彼は、それを悟られまいと荒々しく彼女の衣服を剥ぎ取ったのだった。
彼女は、すぐにそれを見抜いたが黙って為すがまま身体を与けて行った。
君塚京子、誠司にとって初めての女だった。
貪る様に彼女を求めた、そして『おとこ』に成った。
彼女は彼の背中の刺青を見て、「初めてでしょう・・・立派な紋々を背負っててもすぐ判るわよ」と、笑った、そして「私が教えてあげるわよ」と・・・
暫くは、その関係が続いた。
が、やがて俊介の知るところと為ってしまったのだ。
順々に亜起子は彼に女の心、虐げられた自分の悲しい気持ちを伝えたのであった。
そして、彼は素直に彼女の言葉に耳を傾けた、初めて会話らしい会話をする様になったのだった。
その後の彼は全く手を挙げる事も無くなった、時々は癖で手を挙げそうになるものを、ぐっと堪えたのである。
少し前の彼とは別人の様に変わった。
カマボコハウスのアメリカ兵の家庭が大いに参考になった様だ。
彼等国民はレディーファースト、非常に女性を大事にする。
誠司はそれを参考にしたのだった。
それから1年・・・
彼の気持ちが、少しずつ亜起子に伝わってきた。
愛されている・・・と、確信が持てる様になった。
無口ではあるが、彼女を大切に思ってくれてる事が・・・
普段の態度から違ってきている。
荒い言葉を吐かなくなった、何時も彼女の心を傷付けまいと気を使ってくれる様になったのだ。
それは、愛の営みの時に顕著に表れた。
彼は優しく抱き締める、壊れ物を扱う様に優しく愛撫する。
そして・・優しい言葉を掛けてくれる・・・
目くるめく快楽のひと時、狂わんばかりの快感の嵐の中・・・ひとつになった悦びの中で実感した、「愛されている」と、やっと心が開放された。
数ヶ月後・・・
亜起子は、自分の運命の不思議さを考えていたのだった。
と、同時に何時の間にか誠司に惹かれ、愛が芽生えてきた事も・・・これが夢なら覚めないで欲しいと・・・
外との接点の少ない彼女にとって頼るべき人は誠司以外誰も居ない。
無理からぬ話であろう。
自由にショッピングも、喫茶店でお茶を楽しむ事も出来る、付かず離れずボディガードが付いてる事も気にならない、寧ろ心強く感じた。
会話も弾む様になった。
彼女にとっては夢の様な生活だった。
自由がある、欲しい物は何でも手に入る、何時も優しく接してくれる。
部屋に花を飾る、庭にも種を蒔く、カーテンを取り替える。
無骨な家が華やいだ。
初めて化粧品を買った、「ちょっとでも彼に可愛がって貰いたい、何時も見詰められていたい」 いじらしい女心であった。
大人びた服に袖を通す、ハイヒールを履いてみる。
何時も誠司を意識してた。
彼も又、「何処へでも連れて歩きたい」と、思ったが、何処から狙われるか解らない身、それは諦めた。
しかし、自慢の妻である、一緒に歩く事は叶わなくても よく喫茶店で落ち合い ひと時の楽しみを求めたのである。
彼は満州の出来事を事細やかに話したのであった。
自分の村が焼かれ皆殺しの中、かろうじて生き残った事、姉が首に縄を打たれ連れ去られた事等・・・
彼女も又、三人姉妹の長女、極貧の中で病弱の母を面倒を看、父親が今度の戦争で片足失った事も、毎日酒浸りで他人の畑から大根、人参等を盗み命を繋いで来た事、父親が不自由な身体に苛立って殴る蹴るの暴行を加えた事などを話したのである。
お互いが、この戦争の被害者である事が 結び付きをより強くしたのは間違い無い。
「妹・奈津子と冬子」は「こんな辛い生活なら早く神様が迎えに来ないかな?」
亜希子は考えた。「私が変えてみせる!」[妹を守るのは私の役目だ...」悲壮な決意だった。
そして、彼は素直に彼女の言葉に耳を傾けた、初めて会話らしい会話をする様になったのだった。
その後の彼は全く手を挙げる事も無くなった、時々は癖で手を挙げそうになるものを、ぐっと堪えたのである。
少し前の彼とは別人の様に変わった。
カマボコハウスのアメリカ兵の家庭が大いに参考になった様だ。
彼等国民はレディーファースト、非常に女性を大事にする。
誠司はそれを参考にしたのだった。
それから1年・・・
彼の気持ちが、少しずつ亜起子に伝わってきた。
愛されている・・・と、確信が持てる様になった。
無口ではあるが、彼女を大切に思ってくれてる事が・・・
普段の態度から違ってきている。
荒い言葉を吐かなくなった、何時も彼女の心を傷付けまいと気を使ってくれる様になったのだ。
それは、愛の営みの時に顕著に表れた。
彼は優しく抱き締める、壊れ物を扱う様に優しく愛撫する。
そして・・優しい言葉を掛けてくれる・・・
目くるめく快楽のひと時、狂わんばかりの快感の嵐の中・・・ひとつになった悦びの中で実感した、「愛されている」と、やっと心が開放された。
数ヶ月後・・・
亜起子は、自分の運命の不思議さを考えていたのだった。
と、同時に何時の間にか誠司に惹かれ、愛が芽生えてきた事も・・・これが夢なら覚めないで欲しいと・・・
外との接点の少ない彼女にとって頼るべき人は誠司以外誰も居ない。
無理からぬ話であろう。
自由にショッピングも、喫茶店でお茶を楽しむ事も出来る、付かず離れずボディガードが付いてる事も気にならない、寧ろ心強く感じた。
会話も弾む様になった。
彼女にとっては夢の様な生活だった。
自由がある、欲しい物は何でも手に入る、何時も優しく接してくれる。
部屋に花を飾る、庭にも種を蒔く、カーテンを取り替える。
無骨な家が華やいだ。
初めて化粧品を買った、「ちょっとでも彼に可愛がって貰いたい、何時も見詰められていたい」 いじらしい女心であった。
大人びた服に袖を通す、ハイヒールを履いてみる。
何時も誠司を意識してた。
彼も又、「何処へでも連れて歩きたい」と、思ったが、何処から狙われるか解らない身、それは諦めた。
しかし、自慢の妻である、一緒に歩く事は叶わなくても よく喫茶店で落ち合い ひと時の楽しみを求めたのである。
彼は満州の出来事を事細やかに話したのであった。
自分の村が焼かれ皆殺しの中、かろうじて生き残った事、姉が首に縄を打たれ連れ去られた事等・・・
彼女も又、三人姉妹の長女、極貧の中で病弱の母を面倒を看、父親が今度の戦争で片足失った事も、毎日酒浸りで他人の畑から大根、人参等を盗み命を繋いで来た事、父親が不自由な身体に苛立って殴る蹴るの暴行を加えた事などを話したのである。
お互いが、この戦争の被害者である事が 結び付きをより強くしたのは間違い無い。
「妹・奈津子と冬子」は「こんな辛い生活なら早く神様が迎えに来ないかな?」
亜希子は考えた。「私が変えてみせる!」[妹を守るのは私の役目だ...」悲壮な決意だった。
俊介は激怒した、「夜鷹なんぞ相手にするなっ!あいつ等はどう仕様も無い汚い動物だ、病気の心配も有るぞ」「お前の相手は他に居る」 白峰を呼び付けた。
「お前の所の上玉を2~3人連れて来い、出来るだけ若い娘がいいな」 「一体どうなさるんで?」 「どうやら誠司に盛りが付いた様で・・・困ったもんだ、夜鷹なんぞに手を出しやがって・・・」とは言いながらも俊介は「奴も一人前になったか・・・」と、ある感慨に耽っていた。
白峰は笑って言った、「分かりやした、今度入って来た娘に震い付きたいほどの上玉が居やすから・・・未だ口開け前の生娘ですぜ」「唯、ちょっと・・・」 「何だ?その娘がどうかしたか?」 「秋田から連れて来る途中、車から飛び降り逃げようとして川に飛び込んだんで・・・」「今、縛り上げて座敷に閉じ込め吊るして居るんですがね」「手こずるかも知れませんぜ」「俺も二箇所ばかり噛み付かれたんですわ」腕の噛み傷を見せてそう言った。 俊介は大笑いをした、「それは威勢がいいのう、誠司がどう仕込むか見物だなー」
そして、「で、まさか傷付けたんでは有るまいな?」 白峰は答えて、「それはもう、商品だから傷は付けませんが・・・大した娘ですぜ」「まるで狂犬だ」と、言ったのである。
成る程、美しい・・・が、まだ幼顔が残る少女だった、気性の激しそうな顔をしてる。 不安そうな顔で俊介を見上げていた。 「お前、名前は何と言うんだ?」
おずおずと「亜起子です」 小さな声で答えた。
「お前は俺が買った、いいな」 覚悟を決めた様子だ、怯えた声で「はい・・・」と、小さく頷いたのであった。
それから2日後。 「誠司、この女をお前にくれてやる、煮て喰うなり焼いて喰うなり勝手にしろ」 15才の生娘である。 怯えた表情で俊介と誠司を見上げていた。 今まで考えた事の無い、自分の・・・いや、自分だけの女である、それも非常に見目麗しい・・・
誠司は飛び上がらんばかりに喜んだ。 亜起子は思い掛けない運命に戸惑ったのである。 「煮て喰う・・?焼いて喰う・・・?どう言う意味なんだろう・・・?」恐ろしくて堪らなかった。
「この先どうなるの?・・・又他に売られるんでは無いの・・・?」 東北の寒村の、貧しい農家に生まれ父親は今度の戦争で片足を失い、酒浸りの毎日、口減らしと金の魅力に負け売られた身である。
彼女に取っては真に理不尽な話であるが受け入れなければならない現実だった。 何度も死を考えた、だが死ねなかった。 死んだ心算で自分を捨てた筈だった、がやはり怖い、たらい回しの様に自分のご主人様が代わる。
そして今度は、こんな若い男性に引き渡されて・・・自分はどうされるんだろう?・・・ だが、この人は今まで逢った人とは違う・・・冷たい眼をしてる・・・が・・ 何と澄んだ眼をしてるんだろう・・・がっしりとした体格、淋しそうな笑顔、亜希子は尚更戸惑ったのであった。
「これから私は・・・?」「この人は私をどうする積もりなんだろう・・・?」絶えず不安が付いて回る。
・・・このころの女性に対する躾は殴る蹴る逆さにつるして思いっ切り甚振るのがあたり前の時代だった・・・ 「付いて来い」唯、一言言って車に乗せられた。 「私は何処で働くの?」訊いても答えは返って来ない。 「一体この人は私を何処へ連れて行くんだろう?何処の売春宿で働かされるんだろう?」「それともこの人の玩具になるんだろうか・・・」「・・・???」 郊外の一軒家で車は停まった。
林に囲まれ道筋からはその住宅は全く見えない。
が、しかし立派な家だった、唯、塀が高く如何にも物々しい、亜起子が幾ら背伸びしても外は見えない。 「一体どんな人が住んでるのかしら?」「もしかしたら人買いの巣窟・・・?」 身震いがして来た。 「入れ・・・」言われるまま恐る恐る入った。 彼女は極度の緊張のあまり何も眼に入らなかったのである。 広いリビングだった、それは今まで彼女の生活の中で出合った事の無い大きな空間だった。
高いのか安いのか判らぬが大きな家具が並ぶ中、正面に刀掛けが有り大小の日本刀が掛けてある事だけが彼女の眼に焼き付いた。 恐怖感が全身を包む。
「お前の所の上玉を2~3人連れて来い、出来るだけ若い娘がいいな」 「一体どうなさるんで?」 「どうやら誠司に盛りが付いた様で・・・困ったもんだ、夜鷹なんぞに手を出しやがって・・・」とは言いながらも俊介は「奴も一人前になったか・・・」と、ある感慨に耽っていた。
白峰は笑って言った、「分かりやした、今度入って来た娘に震い付きたいほどの上玉が居やすから・・・未だ口開け前の生娘ですぜ」「唯、ちょっと・・・」 「何だ?その娘がどうかしたか?」 「秋田から連れて来る途中、車から飛び降り逃げようとして川に飛び込んだんで・・・」「今、縛り上げて座敷に閉じ込め吊るして居るんですがね」「手こずるかも知れませんぜ」「俺も二箇所ばかり噛み付かれたんですわ」腕の噛み傷を見せてそう言った。 俊介は大笑いをした、「それは威勢がいいのう、誠司がどう仕込むか見物だなー」
そして、「で、まさか傷付けたんでは有るまいな?」 白峰は答えて、「それはもう、商品だから傷は付けませんが・・・大した娘ですぜ」「まるで狂犬だ」と、言ったのである。
成る程、美しい・・・が、まだ幼顔が残る少女だった、気性の激しそうな顔をしてる。 不安そうな顔で俊介を見上げていた。 「お前、名前は何と言うんだ?」
おずおずと「亜起子です」 小さな声で答えた。
「お前は俺が買った、いいな」 覚悟を決めた様子だ、怯えた声で「はい・・・」と、小さく頷いたのであった。
それから2日後。 「誠司、この女をお前にくれてやる、煮て喰うなり焼いて喰うなり勝手にしろ」 15才の生娘である。 怯えた表情で俊介と誠司を見上げていた。 今まで考えた事の無い、自分の・・・いや、自分だけの女である、それも非常に見目麗しい・・・
誠司は飛び上がらんばかりに喜んだ。 亜起子は思い掛けない運命に戸惑ったのである。 「煮て喰う・・?焼いて喰う・・・?どう言う意味なんだろう・・・?」恐ろしくて堪らなかった。
「この先どうなるの?・・・又他に売られるんでは無いの・・・?」 東北の寒村の、貧しい農家に生まれ父親は今度の戦争で片足を失い、酒浸りの毎日、口減らしと金の魅力に負け売られた身である。
彼女に取っては真に理不尽な話であるが受け入れなければならない現実だった。 何度も死を考えた、だが死ねなかった。 死んだ心算で自分を捨てた筈だった、がやはり怖い、たらい回しの様に自分のご主人様が代わる。
そして今度は、こんな若い男性に引き渡されて・・・自分はどうされるんだろう?・・・ だが、この人は今まで逢った人とは違う・・・冷たい眼をしてる・・・が・・ 何と澄んだ眼をしてるんだろう・・・がっしりとした体格、淋しそうな笑顔、亜希子は尚更戸惑ったのであった。
「これから私は・・・?」「この人は私をどうする積もりなんだろう・・・?」絶えず不安が付いて回る。
・・・このころの女性に対する躾は殴る蹴る逆さにつるして思いっ切り甚振るのがあたり前の時代だった・・・ 「付いて来い」唯、一言言って車に乗せられた。 「私は何処で働くの?」訊いても答えは返って来ない。 「一体この人は私を何処へ連れて行くんだろう?何処の売春宿で働かされるんだろう?」「それともこの人の玩具になるんだろうか・・・」「・・・???」 郊外の一軒家で車は停まった。
林に囲まれ道筋からはその住宅は全く見えない。
が、しかし立派な家だった、唯、塀が高く如何にも物々しい、亜起子が幾ら背伸びしても外は見えない。 「一体どんな人が住んでるのかしら?」「もしかしたら人買いの巣窟・・・?」 身震いがして来た。 「入れ・・・」言われるまま恐る恐る入った。 彼女は極度の緊張のあまり何も眼に入らなかったのである。 広いリビングだった、それは今まで彼女の生活の中で出合った事の無い大きな空間だった。
高いのか安いのか判らぬが大きな家具が並ぶ中、正面に刀掛けが有り大小の日本刀が掛けてある事だけが彼女の眼に焼き付いた。 恐怖感が全身を包む。
巷ではヒロポン中毒の者達が虚ろな眼をして屯している。
一杯の雑炊を得る為に売血者が群れを為す、未だ仕事を得る事も難しい時代であった。
当時、買出し列車なるものが有り都会から田舎に 闇の食料を得る為、家法の美術品、着物等を僅かな食料と引き換えに交換して来る者も多く居たが、取締り警察官に見付かり苦労して得たそうした物を取上げられる例も多々有った事も・・・
その為自殺者も数多く出たのも確かだ。
しかし、復興の兆しは少しずつでは有るが見える。
「まだ俺が出て行くには早い」 小さく呟いて男はひたすら少年の成長を楽しみにして鍛え続けた。
人間に姿を変えた天狗様、井出俊介はじっと時を待っていたのだった。
「俺は関東軍将校を殺してる、中国はおろかソ連東部において略奪の限りを尽くした、そして日本軍の為のスパイ活動、どの道捕まれば死刑は免れないだろう」 彼は闇の社会で生きる決意を固めていたのである。
その為の布石は打ってある。
満州馬賊達は、井出が何時来ても良い様に中部のある都市に拠点を構え 大きな組織を作りつつあったのだ。
そして、又 4年の歳月が流れた。
密かに山に宇佐美、浅田、白峰、堂本、吉田、井出の配下幹部達が集まった。
何事か長い協議が行われた後、少年 岬譲治に 「おい、山を下りるぞ」と、俊介は言った。
そう、その少年こそ岬貫太郎の忘れ形見 譲治である。
彼は匪賊襲撃の際、咄嗟に死体の陰に隠れ難を逃れ俊介に拾われたのだ。
今では立派な青年に成長し 堂々たる体躯は他を圧する程に成っていた。
底知れぬ戦闘力を身に付けた青年、譲治が其処には在った。
大きな車がこの鄙びた寒村にやって来る。
荷物が運び出され小屋は跡形も無く解体された。
その日、遠巻きに様子を見る村人の前から 『大天狗、小天狗』 は完全に姿を消したのであった。
向かう先は中部地方最大の都市、その駅裏の目立たぬ場所に一先ず落ち着いたのである。
一面の焼け野原だったこの街、もバラック小屋が建ちその後俊介が落ち着く頃には何とか長屋形式の家が建ち並ぶ様になっていた。
そして焼け残ったビルには改装が施され街並みは徐々に整いつつあったのである。
戦火を免れ、昔ながらの佇まいを見せる料亭で昔の仲間が集まり喜びの祝宴は行われた。
井出俊介を迎えた事によりどっしりとした柱が備わったのである。
総勢20数名、此処に満州馬賊の一団が集結した。
筆頭、宇佐美直人は混乱期に乗じて不動産業界に進出、任侠ヤクザとしてガッチリと地盤を固め大きな勢力を誇っている。
浅田は金融会社経営、全ての資金は此処から出されている。
白峰は風俗業界に・・・東北地方によく女性達を買い付けに行く、トルコ風呂、売春宿等を経営。
堂本は遊技場、博打場を取り仕切っている。
吉田はキャバレー等の経営、中部圏内のほとんどは彼等が握っていたのだった。
そこで活動していたのは、所謂 『大陸浪人』そして食い詰めて有り余るエネルギーの吐き所の見付からない無頼の輩達である。
彼等は食(職)に有り付く為、命を賭けて働いて居たのだった。
組織の力は強大なものであった。
大正、明治時代からの物であろうか・・・戦災を免れ路地の入口近くに小さなガス灯が立っていた。
火も灯る事も無い古ぼけたガス灯が、この街の遷り変わりを見詰めている。
井出は柳橋から少し中に入った所、そう、この路地裏に小さな事務所を構えた。
「萬相談承ります」『都探偵事務所』 これが彼等の総司令部、そしてこの興信所が井出の新しい仕事である。
代表には、浅田が就いた、あくまで井出は陰の存在だったのだ。
大阪の埠頭に女性の死体が浮かんだ。
シャブ中のその死体には身元を明かすものは何も発見出来なかった。
警察の発表では、酔って海に転落したもの・・・或いは生活苦から覚悟の自殺・・・と簡単に片付けられたのである。
唯、両腕から肩に賭け、そして太股が黒ずみ ヒロポン中毒との発表が有ったのみだった。
まだまだ科学捜査も無い、警察の捜査も及ばない闇の部分の多い頃の話である。
こうしたお宮入りの事件、事故は後を絶たない状況であったのだ。
井出俊介は譲治に言った、「今日から川島誠司として生きろ、それがこれからのお前の名前だ」と・・・・
譲治は素直にそれに従ったのである。
その名前にはきちっとした住民票も有る、街を大手を振って歩ける鑑札の様なものであったから・・・
「親父、俺は何をすればいいんだ?」 「お前はフリーハンドで動け、全部の仕事を覚えるんだ」 彼は先ず浅田の指示を仰ぎ、米軍キャンプを訪れた。
此処から横流しされる物資(酒類、銃の数々、東南アジアからの麻薬の類も有った) それは組織に取って非常に重要な物である。
一週間に一度は買い付けに行く。
そして、酒類の多くは吉田の下へ、後はそれぞれ必要とされる所に配分された。
大陸から持ち帰った潤沢な資金は、こうして又 多くの利益を生んでいたのだった。
白峰の仕事は大きく云ってふたつに分けられる。
ひとつは日本人相手の売春宿、もうひとつはアメリカ兵相手の売春組織(所謂パンパン宿)である。
人間の欲望と云うものは万国共通だ。
そして、不況時に最も強い職業といえるだろう。
又、ギャンブルの類もそうだろう、一攫千金を狙い人々は集まって来る。
復興の槌音が聞こえる日本に 宇佐美の不動産関係の仕事も忙しい、次々とシマを広げて行く、地回りのヤクザとの抗争も激化する。
戦前から続いたヤクザ組織、新興勢力の若い集団(愚連隊)、そして宇佐美達の組織・・・・
毎日が気が許せない生活である。
だがそこで、多くの資金を持つ井出のグループは存分な武力を発揮出来るのだ。
米軍からの横流し物資は多いに彼らの力に為っていたのだった。
が、しかし彼等はその米軍に対しても陰では牙を剥いていたのである。
鬼畜米英が・・・と・・・
欲望渦巻く裏町で、米兵が襲われる事もしばしばあった。
昼は川島誠司として睨みを利かせ、夜は岬譲治として敵対するヤクザ組織に銃弾を浴びせる。
黒い帽子に漆黒のルパシカ、白いマフラーを風に靡かせて通り過ぎる。
跡には対抗勢力の死体を残し・・・
「岬譲治だっ!頭を貰いに来たっ!」何時の間にか恐怖の代名詞となったのである。
誰も本当の顔を見る事は出来ない、コルシカ帽を目深に被りマフラーで顔を隠す・・・眼だけが異様に光る。
誰云うとも無く、『死神』と、恐れられ白いマフラーは相手方に脅威を与えたのであった。
誠司こと譲治には善悪の基準が判らなかった。
俊介は戦い方は教えた が、物の善悪を教える事を忘れていたのだった。
そして譲治には、村を焼かれ両親が殺され、姉が首に縄を掛けられ数珠繋ぎにされて連れ去られる姿が心に焼き付いて離れなかった。
憎悪の塊はそのまま相手に向って放たれたのである。
冷徹な殺し屋 譲治が其処に在ったのだった。
柳橋界隈には所謂 立ちん坊(売春婦)が大勢屯していた。
戦争未亡人、何処かの廓から逃げ出して来た者、流れ者の売春婦、氏素性の分からぬ女達が春を売って暮らしている。
その中には政府によるアメリカ兵の為の元慰安婦も多く含まれていたのだった。
戦争中(政府「旧陸軍とその組織」は敗戦後一ヶ月もしないうちにそうした施設(性的慰安施設)を全国の駐屯地近くに作ったのである。
良家の子女を守る為・・・との名目で・・・
それは内務省警保局長からの命令により各県警が行った。
その任務に当たったのは他でもない、警察官達だ。
彼等は農村漁村を訪ね歩き、毛布、足袋、砂糖を贈って説得し、協力を求めたのであった。
だがアメリカ政府はその過剰なサービスに不快感を表して撤廃した。
そこで働く慰安婦たちは働き場所を失い行き場所が無くなったのである、故郷に帰りたくとも帰れない。
結果、所謂(立ちん坊、又はパンパンと呼ばれる)売春婦が街に溢れたと云う訳だ。
街娼達はこうした経緯によって生まれたのであるが誠に日本女性を馬鹿にした話であろう。
だが、こうした女性の集まる吹溜りの様な所は又犯罪の温床にもなった。)
追われる者に取っては格好の隠れ場所でもあったのだが・・・
又、この辺りには多くの屋台が軒を連ねる。
総菜屋、夜鳴きソバ屋、訳の判らぬ一杯飲み屋、その他諸々・・・
そして・・・シャブの売人・・・闇の銃の斡旋屋・・・実に多彩である。
警察の取り締まりも多く行われていた。
(おかしなものである、昨日まで慰安婦を集め斡旋してた警察が、今日は逮捕し取り調べをしている。
全ては一貫性の無い日本政府の責任であろう。)
だが、一歩中に入る、裏通りに入ると其処は警察権力の及ばない無法地帯なのだ。
得体の知れない者がウジャウジャ居る、訳の解らない所だ。
その奥に都探偵事務所が有った。
都会ではヒロポン中毒の者達が虚ろな眼をして屯している。
一杯の雑炊を得る為に売血者が群れを為す、未だ仕事を得る事も難しい時代であった。
当時、買出し列車なるものが有り都会から田舎に 闇の食料を得る為、家法の美術品、着物等を僅かな食料と引き換えに交換して来る者も多く居たが、取締り警察官に見付かり苦労して得たそうした物を取上げられる例も多々有った事も・・・
その為自殺者も数多く出たのも確かだ。
しかし、復興の兆しは少しずつでは有るが見える。
「まだ俺が出て行くには早い」 小さく呟いて男はひたすら少年の成長を楽しみにして鍛え続けた。
人間に姿を変えた天狗様、井出俊介はじっと時を待っていたのだった。
「俺は関東軍将校を殺してる、中国はおろかソ連東部において略奪の限りを尽くした、そして日本軍の為のスパイ活動、どの道捕まれば死刑は免れないだろう」 彼は闇の社会で生きる決意を固めていたのである。
その為の布石は打ってある。
満州馬賊達は、井出が何時来ても良い様に中部のある都市に拠点を構え 大きな組織を作りつつあったのだ。
そして、又 4年の歳月が流れた。
密かに山に宇佐美、浅田、白峰、堂本、吉田、井出の配下幹部達が集まった。
何事か長い協議が行われた後、少年 岬譲治に 「おい、山を下りるぞ」と、俊介は言った。
そう、その少年こそ岬貫太郎の忘れ形見 譲治である。
彼は匪賊襲撃の際、咄嗟に死体の陰に隠れ難を逃れ俊介に拾われたのだ。
今では立派な青年に成長し 堂々たる体躯は他を圧する程に成っていた。
底知れぬ戦闘力を身に付けた青年、譲治が其処には在った。
大きな車がこの鄙びた寒村にやって来る。
荷物が運び出され小屋は跡形も無く解体された。
その日、遠巻きに様子を見る村人の前から 『大天狗、小天狗』 は完全に姿を消したのであった。
向かう先は中部地方最大の都市、その駅裏の目立たぬ場所に一先ず落ち着いたのである。
一面の焼け野原だったこの街、もバラック小屋が建ちその後俊介が落ち着く頃には何とか長屋形式の家が建ち並ぶ様になっていた。
そして焼け残ったビルには改装が施され街並みは徐々に整いつつあったのである。
戦火を免れ、昔ながらの佇まいを見せる料亭で昔の仲間が集まり喜びの祝宴は行われた。
井出俊介を迎えた事によりどっしりとした柱が備わったのである。
総勢20数名、此処に満州馬賊の一団が集結した。
筆頭、宇佐美直人は混乱期に乗じて不動産業界に進出、任侠ヤクザとしてガッチリと地盤を固め大きな勢力を誇っている。
浅田は金融会社経営、全ての資金は此処から出されている。
白峰は風俗業界に・・・東北地方によく女性達を買い付けに行く、トルコ風呂、売春宿等を経営。
堂本は遊技場、博打場を取り仕切っている。
吉田はキャバレー等の経営、中部圏内のほとんどは彼等が握っていたのだった。
そこで活動していたのは、所謂 『大陸浪人』そして食い詰めて有り余るエネルギーの吐き所の見付からない無頼の輩達である。
彼等は食(職)に有り付く為、命を賭けて働いて居たのだった。
組織の力は強大なものであった。
大正、明治時代からの物であろうか・・・戦災を免れ路地の入口近くに小さなガス灯が立っていた。
火も灯る事も無い古ぼけたガス灯が、この街の遷り変わりを見詰めている。
井出は柳橋から少し中に入った所、そう、この路地裏に小さな事務所を構えた。
「萬相談承ります」『都探偵事務所』 これが彼等の総司令部、そしてこの興信所が井出の新しい仕事である。
代表には、浅田が就いた、あくまで井出は陰の存在だったのだ。
大阪の埠頭に女性の死体が浮かんだ。
シャブ中のその死体には身元を明かすものは何も発見出来なかった。
警察の発表では、酔って海に転落したもの・・・或いは生活苦から覚悟の自殺・・・と簡単に片付けられたのである。
唯、両腕から肩に賭け、そして太股が黒ずみ ヒロポン中毒との発表が有ったのみだった。
まだまだ科学捜査も無い、警察の捜査も及ばない闇の部分の多い頃の話である。
こうしたお宮入りの事件、事故は後を絶たない状況であったのだ。
井出俊介は譲治に言った、「今日から川島誠司として生きろ、それがこれからのお前の名前だ」と・・・・
譲治は素直にそれに従ったのである。
その名前にはきちっとした住民票も有る、街を大手を振って歩ける鑑札の様なものであったから・・・
「親父、俺は何をすればいいんだ?」 「お前はフリーハンドで動け、全部の仕事を覚えるんだ」 彼は先ず浅田の指示を仰ぎ、米軍キャンプを訪れた。
此処から横流しされる物資(酒類、銃の数々、東南アジアからの麻薬の類も有った) それは組織に取って非常に重要な物である。
一週間に一度は買い付けに行く。
そして、酒類の多くは吉田の下へ、後はそれぞれ必要とされる所に配分された。
大陸から持ち帰った潤沢な資金は、こうして又 多くの利益を生んでいたのだった。
白峰の仕事は大きく云ってふたつに分けられる。
ひとつは日本人相手の売春宿、もうひとつはアメリカ兵相手の売春組織(所謂パンパン宿)である。
人間の欲望と云うものは万国共通だ。
そして、不況時に最も強い職業といえるだろう。
又、ギャンブルの類もそうだろう、一攫千金を狙い人々は集まって来る。
復興の槌音が聞こえる日本に 宇佐美の不動産関係の仕事も忙しい、次々とシマを広げて行く、地回りのヤクザとの抗争も激化する。
戦前から続いたヤクザ組織、新興勢力の若い集団(愚連隊)、そして宇佐美達の組織・・・・
毎日が気が許せない生活である。
だがそこで、多くの資金を持つ井出のグループは存分な武力を発揮出来るのだ。
米軍からの横流し物資は多いに彼らの力に為っていたのだった。
が、しかし彼等はその米軍に対しても陰では牙を剥いていたのである。
鬼畜米英が・・・と・・・
欲望渦巻く裏町で、米兵が襲われる事もしばしばあった。
昼は川島誠司として睨みを利かせ、夜は岬譲治として敵対するヤクザ組織に銃弾を浴びせる。
黒い帽子に漆黒のルパシカ、白いマフラーを風に靡かせて通り過ぎる。
跡には対抗勢力の死体を残し・・・
「岬譲治だっ!頭を貰いに来たっ!」何時の間にか恐怖の代名詞となったのである。
誰も本当の顔を見る事は出来ない、コルシカ帽を目深に被りマフラーで顔を隠す・・・眼だけが異様に光る。
誰云うとも無く、『死神』と、恐れられ白いマフラーは相手方に脅威を与えたのであった。
誠司こと譲治には善悪の基準が判らなかった。
俊介は戦い方は教えた が、物の善悪を教える事を忘れていたのだった。
そして譲治には、村を焼かれ両親が殺され、姉が首に縄を掛けられ数珠繋ぎにされて連れ去られる姿が心に焼き付いて離れなかった。
憎悪の塊はそのまま相手に向って放たれたのである。
冷徹な殺し屋 譲治が其処に在ったのだった。
柳橋界隈には所謂 立ちん坊(売春婦)が大勢屯していた。
戦争未亡人、何処かの廓から逃げ出して来た者、流れ者の売春婦、氏素性の分からぬ女達が春を売って暮らしている。
その中には政府によるアメリカ兵の為の元慰安婦も多く含まれていたのだった。
戦争中(政府「旧陸軍とその組織」は敗戦後一ヶ月もしないうちにそうした施設(性的慰安施設)を全国の駐屯地近くに作ったのである。
良家の子女を守る為・・・との名目で・・・
それは内務省警保局長からの命令により各県警が行った。
その任務に当たったのは他でもない、警察官達だ。
彼等は農村漁村を訪ね歩き、毛布、、砂糖を贈って説得し、協力を求めたのであった。
だがアメリカ政府はその過剰なサービスに不快感を表して撤廃した。
そこで働く慰安婦たちは働き場所を失い行き場所が無くなったのである、故郷に帰りたくとも帰れない。
結果、所謂(立ちん坊、又はパンパンと呼ばれる)売春婦が街に溢れたと云う訳だ。
街娼達はこうした経緯によって生まれたのであるが誠に日本女性を馬鹿にした話であろう。
だが、こうした女性の集まる吹溜りの様な所は又犯罪の温床にもなった。)
追われる者に取っては格好の隠れ場所でもあったのだが・・・
又、この辺りには多くの屋台が軒を連ねる。
総菜屋、夜鳴きソバ屋、訳の判らぬ一杯飲み屋、その他諸々・・・
そして・・・シャブの売人・・・闇の銃の斡旋屋・・・実に多彩である。
警察の取り締まりも多く行われていた。
(おかしなものである、昨日まで慰安婦を集め斡旋してた警察が、今日は逮捕し取り調べをしている。
全ては一貫性の無い日本政府の責任であろう。)
だが、一歩中に入る、裏通りに入ると其処は警察権力の及ばない無法地帯なのだ。
得体の知れない者がウジャウジャ居る、訳の解らない所だ。
その奥に都探偵事務所が有った。
ある夜の事・・・
何時もの様に、夜鳴きソバ屋で一杯食べて車に戻ったところ・・・中で女が3人隠れていた。
警察の取り締まりを逃れ車に逃げ込んだ者達である。
誠司(譲治)は、ニヤリと笑い車を発進させた、「お前、見掛けない顔だが何処から流れて来た?」 「助けてくれて有難う、私は長野からよ・・・貴方は?」 一番若い女がそう答えた。
「俺の事を訊いてどうする?只のお前を助けただけの男だぜ、風来坊のな」
ふたつばかり信号を越えた所で、後の二人を下ろし其の侭 街外れの宿に入って行く。
「俺が一晩買い切る、それでいいな?」 「嬉しい・・助けて貰って買ってくれるの?」 「俺は嘘はつかん、その代わりちょっと乱暴だぞ」そう言うなり身体を押し倒し圧し掛かって行った。
誠司にとっては初めての経験だった、唯 少しばかりのテレが有ったのだろう、又若い欲望はそれにも増して激しかったのである。
そして彼は、それを悟られまいと荒々しく衣服を剥ぎ取ったのだった。
彼女は、すぐにそれを見抜いたが黙って為すがまま身体を与けて行った。
君塚京子、誠司にとって初めての女だった。
貪る様に彼女を求めた、そして『おとこ』に成った。
彼女は彼の背中の刺青を見て、「初めてでしょう・・・立派な紋々を背負っててもすぐ判るわよ」と、笑った、そして「私が教えてあげるわよ」と・・・
暫くは、その関係が続いた。
が、やがて俊介の知るところと為ってしまったのだ。
一杯の雑炊を得る為に売血者が群れを為す、未だ仕事を得る事も難しい時代であった。
当時、買出し列車なるものが有り都会から田舎に 闇の食料を得る為、家法の美術品、着物等を僅かな食料と引き換えに交換して来る者も多く居たが、取締り警察官に見付かり苦労して得たそうした物を取上げられる例も多々有った事も・・・
その為自殺者も数多く出たのも確かだ。
しかし、復興の兆しは少しずつでは有るが見える。
「まだ俺が出て行くには早い」 小さく呟いて男はひたすら少年の成長を楽しみにして鍛え続けた。
人間に姿を変えた天狗様、井出俊介はじっと時を待っていたのだった。
「俺は関東軍将校を殺してる、中国はおろかソ連東部において略奪の限りを尽くした、そして日本軍の為のスパイ活動、どの道捕まれば死刑は免れないだろう」 彼は闇の社会で生きる決意を固めていたのである。
その為の布石は打ってある。
満州馬賊達は、井出が何時来ても良い様に中部のある都市に拠点を構え 大きな組織を作りつつあったのだ。
そして、又 4年の歳月が流れた。
密かに山に宇佐美、浅田、白峰、堂本、吉田、井出の配下幹部達が集まった。
何事か長い協議が行われた後、少年 岬譲治に 「おい、山を下りるぞ」と、俊介は言った。
そう、その少年こそ岬貫太郎の忘れ形見 譲治である。
彼は匪賊襲撃の際、咄嗟に死体の陰に隠れ難を逃れ俊介に拾われたのだ。
今では立派な青年に成長し 堂々たる体躯は他を圧する程に成っていた。
底知れぬ戦闘力を身に付けた青年、譲治が其処には在った。
大きな車がこの鄙びた寒村にやって来る。
荷物が運び出され小屋は跡形も無く解体された。
その日、遠巻きに様子を見る村人の前から 『大天狗、小天狗』 は完全に姿を消したのであった。
向かう先は中部地方最大の都市、その駅裏の目立たぬ場所に一先ず落ち着いたのである。
一面の焼け野原だったこの街、もバラック小屋が建ちその後俊介が落ち着く頃には何とか長屋形式の家が建ち並ぶ様になっていた。
そして焼け残ったビルには改装が施され街並みは徐々に整いつつあったのである。
戦火を免れ、昔ながらの佇まいを見せる料亭で昔の仲間が集まり喜びの祝宴は行われた。
井出俊介を迎えた事によりどっしりとした柱が備わったのである。
総勢20数名、此処に満州馬賊の一団が集結した。
筆頭、宇佐美直人は混乱期に乗じて不動産業界に進出、任侠ヤクザとしてガッチリと地盤を固め大きな勢力を誇っている。
浅田は金融会社経営、全ての資金は此処から出されている。
白峰は風俗業界に・・・東北地方によく女性達を買い付けに行く、トルコ風呂、売春宿等を経営。
堂本は遊技場、博打場を取り仕切っている。
吉田はキャバレー等の経営、中部圏内のほとんどは彼等が握っていたのだった。
そこで活動していたのは、所謂 『大陸浪人』そして食い詰めて有り余るエネルギーの吐き所の見付からない無頼の輩達である。
彼等は食(職)に有り付く為、命を賭けて働いて居たのだった。
組織の力は強大なものであった。
大正、明治時代からの物であろうか・・・戦災を免れ路地の入口近くに小さなガス灯が立っていた。
火も灯る事も無い古ぼけたガス灯が、この街の遷り変わりを見詰めている。
井出は柳橋から少し中に入った所、そう、この路地裏に小さな事務所を構えた。
「萬相談承ります」『都探偵事務所』 これが彼等の総司令部、そしてこの興信所が井出の新しい仕事である。
代表には、浅田が就いた、あくまで井出は陰の存在だったのだ。
大阪の埠頭に女性の死体が浮かんだ。
シャブ中のその死体には身元を明かすものは何も発見出来なかった。
警察の発表では、酔って海に転落したもの・・・或いは生活苦から覚悟の自殺・・・と簡単に片付けられたのである。
唯、両腕から肩に賭け、そして太股が黒ずみ ヒロポン中毒との発表が有ったのみだった。
まだまだ科学捜査も無い、警察の捜査も及ばない闇の部分の多い頃の話である。
こうしたお宮入りの事件、事故は後を絶たない状況であったのだ。
井出俊介は譲治に言った、「今日から川島誠司として生きろ、それがこれからのお前の名前だ」と・・・・
譲治は素直にそれに従ったのである。
その名前にはきちっとした住民票も有る、街を大手を振って歩ける鑑札の様なものであったから・・・
「親父、俺は何をすればいいんだ?」 「お前はフリーハンドで動け、全部の仕事を覚えるんだ」 彼は先ず浅田の指示を仰ぎ、米軍キャンプを訪れた。
此処から横流しされる物資(酒類、銃の数々、東南アジアからの麻薬の類も有った) それは組織に取って非常に重要な物である。
一週間に一度は買い付けに行く。
そして、酒類の多くは吉田の下へ、後はそれぞれ必要とされる所に配分された。
大陸から持ち帰った潤沢な資金は、こうして又 多くの利益を生んでいたのだった。
白峰の仕事は大きく云ってふたつに分けられる。
ひとつは日本人相手の売春宿、もうひとつはアメリカ兵相手の売春組織(所謂パンパン宿)である。
人間の欲望と云うものは万国共通だ。
そして、不況時に最も強い職業といえるだろう。
又、ギャンブルの類もそうだろう、一攫千金を狙い人々は集まって来る。
復興の槌音が聞こえる日本に 宇佐美の不動産関係の仕事も忙しい、次々とシマを広げて行く、地回りのヤクザとの抗争も激化する。
戦前から続いたヤクザ組織、新興勢力の若い集団(愚連隊)、そして宇佐美達の組織・・・・
毎日が気が許せない生活である。
だがそこで、多くの資金を持つ井出のグループは存分な武力を発揮出来るのだ。
米軍からの横流し物資は多いに彼らの力に為っていたのだった。
が、しかし彼等はその米軍に対しても陰では牙を剥いていたのである。
鬼畜米英が・・・と・・・
欲望渦巻く裏町で、米兵が襲われる事もしばしばあった。
昼は川島誠司として睨みを利かせ、夜は岬譲治として敵対するヤクザ組織に銃弾を浴びせる。
黒い帽子に漆黒のルパシカ、白いマフラーを風に靡かせて通り過ぎる。
跡には対抗勢力の死体を残し・・・
「岬譲治だっ!頭を貰いに来たっ!」何時の間にか恐怖の代名詞となったのである。
誰も本当の顔を見る事は出来ない、コルシカ帽を目深に被りマフラーで顔を隠す・・・眼だけが異様に光る。
誰云うとも無く、『死神』と、恐れられ白いマフラーは相手方に脅威を与えたのであった。
誠司こと譲治には善悪の基準が判らなかった。
俊介は戦い方は教えた が、物の善悪を教える事を忘れていたのだった。
そして譲治には、村を焼かれ両親が殺され、姉が首に縄を掛けられ数珠繋ぎにされて連れ去られる姿が心に焼き付いて離れなかった。
憎悪の塊はそのまま相手に向って放たれたのである。
冷徹な殺し屋 譲治が其処に在ったのだった。
柳橋界隈には所謂 立ちん坊(売春婦)が大勢屯していた。
戦争未亡人、何処かの廓から逃げ出して来た者、流れ者の売春婦、氏素性の分からぬ女達が春を売って暮らしている。
その中には政府によるアメリカ兵の為の元慰安婦も多く含まれていたのだった。
戦争中(政府「旧陸軍とその組織」は敗戦後一ヶ月もしないうちにそうした施設(性的慰安施設)を全国の駐屯地近くに作ったのである。
良家の子女を守る為・・・との名目で・・・
それは内務省警保局長からの命令により各県警が行った。
その任務に当たったのは他でもない、警察官達だ。
彼等は農村漁村を訪ね歩き、毛布、足袋、砂糖を贈って説得し、協力を求めたのであった。
だがアメリカ政府はその過剰なサービスに不快感を表して撤廃した。
そこで働く慰安婦たちは働き場所を失い行き場所が無くなったのである、故郷に帰りたくとも帰れない。
結果、所謂(立ちん坊、又はパンパンと呼ばれる)売春婦が街に溢れたと云う訳だ。
街娼達はこうした経緯によって生まれたのであるが誠に日本女性を馬鹿にした話であろう。
だが、こうした女性の集まる吹溜りの様な所は又犯罪の温床にもなった。)
追われる者に取っては格好の隠れ場所でもあったのだが・・・
又、この辺りには多くの屋台が軒を連ねる。
総菜屋、夜鳴きソバ屋、訳の判らぬ一杯飲み屋、その他諸々・・・
そして・・・シャブの売人・・・闇の銃の斡旋屋・・・実に多彩である。
警察の取り締まりも多く行われていた。
(おかしなものである、昨日まで慰安婦を集め斡旋してた警察が、今日は逮捕し取り調べをしている。
全ては一貫性の無い日本政府の責任であろう。)
だが、一歩中に入る、裏通りに入ると其処は警察権力の及ばない無法地帯なのだ。
得体の知れない者がウジャウジャ居る、訳の解らない所だ。
その奥に都探偵事務所が有った。
都会ではヒロポン中毒の者達が虚ろな眼をして屯している。
一杯の雑炊を得る為に売血者が群れを為す、未だ仕事を得る事も難しい時代であった。
当時、買出し列車なるものが有り都会から田舎に 闇の食料を得る為、家法の美術品、着物等を僅かな食料と引き換えに交換して来る者も多く居たが、取締り警察官に見付かり苦労して得たそうした物を取上げられる例も多々有った事も・・・
その為自殺者も数多く出たのも確かだ。
しかし、復興の兆しは少しずつでは有るが見える。
「まだ俺が出て行くには早い」 小さく呟いて男はひたすら少年の成長を楽しみにして鍛え続けた。
人間に姿を変えた天狗様、井出俊介はじっと時を待っていたのだった。
「俺は関東軍将校を殺してる、中国はおろかソ連東部において略奪の限りを尽くした、そして日本軍の為のスパイ活動、どの道捕まれば死刑は免れないだろう」 彼は闇の社会で生きる決意を固めていたのである。
その為の布石は打ってある。
満州馬賊達は、井出が何時来ても良い様に中部のある都市に拠点を構え 大きな組織を作りつつあったのだ。
そして、又 4年の歳月が流れた。
密かに山に宇佐美、浅田、白峰、堂本、吉田、井出の配下幹部達が集まった。
何事か長い協議が行われた後、少年 岬譲治に 「おい、山を下りるぞ」と、俊介は言った。
そう、その少年こそ岬貫太郎の忘れ形見 譲治である。
彼は匪賊襲撃の際、咄嗟に死体の陰に隠れ難を逃れ俊介に拾われたのだ。
今では立派な青年に成長し 堂々たる体躯は他を圧する程に成っていた。
底知れぬ戦闘力を身に付けた青年、譲治が其処には在った。
大きな車がこの鄙びた寒村にやって来る。
荷物が運び出され小屋は跡形も無く解体された。
その日、遠巻きに様子を見る村人の前から 『大天狗、小天狗』 は完全に姿を消したのであった。
向かう先は中部地方最大の都市、その駅裏の目立たぬ場所に一先ず落ち着いたのである。
一面の焼け野原だったこの街、もバラック小屋が建ちその後俊介が落ち着く頃には何とか長屋形式の家が建ち並ぶ様になっていた。
そして焼け残ったビルには改装が施され街並みは徐々に整いつつあったのである。
戦火を免れ、昔ながらの佇まいを見せる料亭で昔の仲間が集まり喜びの祝宴は行われた。
井出俊介を迎えた事によりどっしりとした柱が備わったのである。
総勢20数名、此処に満州馬賊の一団が集結した。
筆頭、宇佐美直人は混乱期に乗じて不動産業界に進出、任侠ヤクザとしてガッチリと地盤を固め大きな勢力を誇っている。
浅田は金融会社経営、全ての資金は此処から出されている。
白峰は風俗業界に・・・東北地方によく女性達を買い付けに行く、トルコ風呂、売春宿等を経営。
堂本は遊技場、博打場を取り仕切っている。
吉田はキャバレー等の経営、中部圏内のほとんどは彼等が握っていたのだった。
そこで活動していたのは、所謂 『大陸浪人』そして食い詰めて有り余るエネルギーの吐き所の見付からない無頼の輩達である。
彼等は食(職)に有り付く為、命を賭けて働いて居たのだった。
組織の力は強大なものであった。
大正、明治時代からの物であろうか・・・戦災を免れ路地の入口近くに小さなガス灯が立っていた。
火も灯る事も無い古ぼけたガス灯が、この街の遷り変わりを見詰めている。
井出は柳橋から少し中に入った所、そう、この路地裏に小さな事務所を構えた。
「萬相談承ります」『都探偵事務所』 これが彼等の総司令部、そしてこの興信所が井出の新しい仕事である。
代表には、浅田が就いた、あくまで井出は陰の存在だったのだ。
大阪の埠頭に女性の死体が浮かんだ。
シャブ中のその死体には身元を明かすものは何も発見出来なかった。
警察の発表では、酔って海に転落したもの・・・或いは生活苦から覚悟の自殺・・・と簡単に片付けられたのである。
唯、両腕から肩に賭け、そして太股が黒ずみ ヒロポン中毒との発表が有ったのみだった。
まだまだ科学捜査も無い、警察の捜査も及ばない闇の部分の多い頃の話である。
こうしたお宮入りの事件、事故は後を絶たない状況であったのだ。
井出俊介は譲治に言った、「今日から川島誠司として生きろ、それがこれからのお前の名前だ」と・・・・
譲治は素直にそれに従ったのである。
その名前にはきちっとした住民票も有る、街を大手を振って歩ける鑑札の様なものであったから・・・
「親父、俺は何をすればいいんだ?」 「お前はフリーハンドで動け、全部の仕事を覚えるんだ」 彼は先ず浅田の指示を仰ぎ、米軍キャンプを訪れた。
此処から横流しされる物資(酒類、銃の数々、東南アジアからの麻薬の類も有った) それは組織に取って非常に重要な物である。
一週間に一度は買い付けに行く。
そして、酒類の多くは吉田の下へ、後はそれぞれ必要とされる所に配分された。
大陸から持ち帰った潤沢な資金は、こうして又 多くの利益を生んでいたのだった。
白峰の仕事は大きく云ってふたつに分けられる。
ひとつは日本人相手の売春宿、もうひとつはアメリカ兵相手の売春組織(所謂パンパン宿)である。
人間の欲望と云うものは万国共通だ。
そして、不況時に最も強い職業といえるだろう。
又、ギャンブルの類もそうだろう、一攫千金を狙い人々は集まって来る。
復興の槌音が聞こえる日本に 宇佐美の不動産関係の仕事も忙しい、次々とシマを広げて行く、地回りのヤクザとの抗争も激化する。
戦前から続いたヤクザ組織、新興勢力の若い集団(愚連隊)、そして宇佐美達の組織・・・・
毎日が気が許せない生活である。
だがそこで、多くの資金を持つ井出のグループは存分な武力を発揮出来るのだ。
米軍からの横流し物資は多いに彼らの力に為っていたのだった。
が、しかし彼等はその米軍に対しても陰では牙を剥いていたのである。
鬼畜米英が・・・と・・・
欲望渦巻く裏町で、米兵が襲われる事もしばしばあった。
昼は川島誠司として睨みを利かせ、夜は岬譲治として敵対するヤクザ組織に銃弾を浴びせる。
黒い帽子に漆黒のルパシカ、白いマフラーを風に靡かせて通り過ぎる。
跡には対抗勢力の死体を残し・・・
「岬譲治だっ!頭を貰いに来たっ!」何時の間にか恐怖の代名詞となったのである。
誰も本当の顔を見る事は出来ない、コルシカ帽を目深に被りマフラーで顔を隠す・・・眼だけが異様に光る。
誰云うとも無く、『死神』と、恐れられ白いマフラーは相手方に脅威を与えたのであった。
誠司こと譲治には善悪の基準が判らなかった。
俊介は戦い方は教えた が、物の善悪を教える事を忘れていたのだった。
そして譲治には、村を焼かれ両親が殺され、姉が首に縄を掛けられ数珠繋ぎにされて連れ去られる姿が心に焼き付いて離れなかった。
憎悪の塊はそのまま相手に向って放たれたのである。
冷徹な殺し屋 譲治が其処に在ったのだった。
柳橋界隈には所謂 立ちん坊(売春婦)が大勢屯していた。
戦争未亡人、何処かの廓から逃げ出して来た者、流れ者の売春婦、氏素性の分からぬ女達が春を売って暮らしている。
その中には政府によるアメリカ兵の為の元慰安婦も多く含まれていたのだった。
戦争中(政府「旧陸軍とその組織」は敗戦後一ヶ月もしないうちにそうした施設(性的慰安施設)を全国の駐屯地近くに作ったのである。
良家の子女を守る為・・・との名目で・・・
それは内務省警保局長からの命令により各県警が行った。
その任務に当たったのは他でもない、警察官達だ。
彼等は農村漁村を訪ね歩き、毛布、、砂糖を贈って説得し、協力を求めたのであった。
だがアメリカ政府はその過剰なサービスに不快感を表して撤廃した。
そこで働く慰安婦たちは働き場所を失い行き場所が無くなったのである、故郷に帰りたくとも帰れない。
結果、所謂(立ちん坊、又はパンパンと呼ばれる)売春婦が街に溢れたと云う訳だ。
街娼達はこうした経緯によって生まれたのであるが誠に日本女性を馬鹿にした話であろう。
だが、こうした女性の集まる吹溜りの様な所は又犯罪の温床にもなった。)
追われる者に取っては格好の隠れ場所でもあったのだが・・・
又、この辺りには多くの屋台が軒を連ねる。
総菜屋、夜鳴きソバ屋、訳の判らぬ一杯飲み屋、その他諸々・・・
そして・・・シャブの売人・・・闇の銃の斡旋屋・・・実に多彩である。
警察の取り締まりも多く行われていた。
(おかしなものである、昨日まで慰安婦を集め斡旋してた警察が、今日は逮捕し取り調べをしている。
全ては一貫性の無い日本政府の責任であろう。)
だが、一歩中に入る、裏通りに入ると其処は警察権力の及ばない無法地帯なのだ。
得体の知れない者がウジャウジャ居る、訳の解らない所だ。
その奥に都探偵事務所が有った。
ある夜の事・・・
何時もの様に、夜鳴きソバ屋で一杯食べて車に戻ったところ・・・中で女が3人隠れていた。
警察の取り締まりを逃れ車に逃げ込んだ者達である。
誠司(譲治)は、ニヤリと笑い車を発進させた、「お前、見掛けない顔だが何処から流れて来た?」 「助けてくれて有難う、私は長野からよ・・・貴方は?」 一番若い女がそう答えた。
「俺の事を訊いてどうする?只のお前を助けただけの男だぜ、風来坊のな」
ふたつばかり信号を越えた所で、後の二人を下ろし其の侭 街外れの宿に入って行く。
「俺が一晩買い切る、それでいいな?」 「嬉しい・・助けて貰って買ってくれるの?」 「俺は嘘はつかん、その代わりちょっと乱暴だぞ」そう言うなり身体を押し倒し圧し掛かって行った。
誠司にとっては初めての経験だった、唯 少しばかりのテレが有ったのだろう、又若い欲望はそれにも増して激しかったのである。
そして彼は、それを悟られまいと荒々しく衣服を剥ぎ取ったのだった。
彼女は、すぐにそれを見抜いたが黙って為すがまま身体を与けて行った。
君塚京子、誠司にとって初めての女だった。
貪る様に彼女を求めた、そして『おとこ』に成った。
彼女は彼の背中の刺青を見て、「初めてでしょう・・・立派な紋々を背負っててもすぐ判るわよ」と、笑った、そして「私が教えてあげるわよ」と・・・
暫くは、その関係が続いた。
が、やがて俊介の知るところと為ってしまったのだ。
『裏町挽歌 1』
大きく真っ赤な太陽が地平線を染め、暮れなずむ此処満州北部の村に長い影を落とす頃・・・
岬貫太郎は、「今日も一日ご苦労さん」傍らの妻に微笑み掛け 娘愛子と息子譲治の肩に手を掛け満足そうに呟いていた。
昭和20年9月、まだ彼等は大東亜戦争において日本が無条件降伏をした事も 焦土と化した祖国の事も何一つ知らなかった。
赤々と燃える太陽は彼等の足元を照らしゆっくりと落ちてゆく。
貫太郎は、この幸せが永遠に続くものと信じてた、そして満蒙の大地にどっしりと根を張り 此処に大きな桃源郷を作る事を夢見てたのである。
東北の貧農の三男坊、彼は仲間達と未来の桃源郷を夢見てこの満州北部の原野に鍬を入れた。
それから8年、豊穣な作物と羊の群れから多くの賜物を得られる様になった今、此処が彼等の『故郷』となっていたのだ。
その間には口には表せない苦労もあった。
匪賊にも何度か襲われた、干ばつで明日の食物も得られない時も・・・
そんな時、決まって現れ、彼等を救ってくれた一団が居た。
風の様に現れ風の様に去って行く・・・
彼等には生神様の様に思えたその一団とは・・・井出俊介率いる満州馬賊の一団だった。
その一団に守られた家族はもちろん現在の日本は遠い過去の思い出しかない。
しかし確実にいつもの遠い日が迫っていることを感じていた。
彼等は馬を塒とし、一時も一箇所に留まる事は無い。
此処満蒙の大地が彼等の塒でありフランチャイズなのだ。
遠くは、シベリアの低地を越えウラル山脈の麓まで駆け、多くの獲物を得て帰って来るのであった。
ソビエト連邦共和国(ロシア)のブルジョアージ達は、彼等を『白い稲妻』と呼び恐れ 自らの手で私兵を雇い防御策を講じていたが、彼等の迅速な行動を阻止する事は出来なかった。
夜陰に紛れ襲撃し、何処とも無く去って行く。
白いマフラーと漆黒のルパシカを靡かせて・・・
まさに悪魔に魅入られたかの如く 全てを奪い去り、煙の様に消え去る・・・なす術も無かったのだ。
昭和17年6月・・・・・
ミッドウエイ海戦に於いて日本軍惨敗。
既に井出は知っていた。
陽出る国が敗れ、ソ連軍が参戦するであろう事も・・・
彼等の目的は、他に日本国軍部の為の重要な任務、そう スパイ活動も入っていたから・・・・
彼は仲間と共に関東軍総司令部に馬を進めていた。
昭和20年4月。
「少尉殿、農民を捨て転進ですか?体のいい退却ですなー・・・それで農民はどうなるんで?」 「知らん、彼等農民は元々北の守りと位置付けてきたんだ」「其れを忘れた訳じゃ無いだろう」 本来北の守りである筈の、関東軍は既に撤退の準備を進めていたのだった。
多くの開拓住民を残し、何も知らせないまま・・・
「それは軍人の論理でしょう、農民はそうは思っちゃいませんぜ、軍隊が守ってくれると信じてるから安心して暮らしてるんと違いますか?」「見捨てて何処へ逃げるんで?」 「何っ、貴様、逃げるとは何だ!・・・帝国軍人を侮辱するのかっ!天皇陛下の命令だっ!」「井出っ!死にたくなかったらとっとと出てけっ」 途端に俊介の同田貫が唸りを挙げた。
返す刀で傍に居た将校を斬り倒して何処となく去って行った。
それは関東軍への怒りでもあり、内地で のうのうと暮らしている軍幹部への憤りでもあったのだ。
後に残されたのは一刀両断に斬り捨てられた2名の将校の遺体・・・彼は帝国陸軍への反逆罪として追われる身となったのである。
関東軍達は、略奪、強盗、殺人、陵辱の限りを尽くし去って行った・・・僅かの満州馬賊『井出俊介一味』討伐隊を残し・・・
だが、北の大地は広い。
井出達は彼等の庭である広漠たる大地を駆け回っていた。
「一刻も早く開拓村の人々に知らせ 日本に引き上げさせねば」・・・だが情勢は非常に厳しいものであった。
関東軍の行いは、中国国民の怒りに火を点け行く手を阻んだのである。
だが、井出の配下には優秀な中国人、蒙古人も居た。
傀儡政権に異を唱える者、関東軍に追われ死の寸前に俊介に救われた者達・・・・
彼等は井出に心酔し、決してどんな状況になろうと離れる事は無かったのだ。
日毎に増す匪賊(中国軍とか流民の群れ)の勢力は 井出達馬賊を悩ませた。
「何とかして開拓農民を助けねばならない」「早く祖国に戻る様 説得しなければ」 しかし開拓農民に対する匪賊達の攻撃は熾烈を極める。
又、農民達は「此処が俺達の古里だ」と、土地を離れる事を躊躇したのである。
農民に取って土地を奪われる事は如何に辛い事か・・・それは俊介とて解らぬ訳ではない。
が、生きてさえいれば、又夢の続きは見られる・・・彼は必死になって村々を説得して歩いた。
そして・・・一足遅れで焼討ちに遭い無残な死体の山を見せられた事も・・・
ソ連軍が参戦した。
最初は犯罪者で構成される荒くれ集団・・・
彼等は略奪、暴行、陵辱の限りを尽くし満州各地の開拓農民を襲った。
開拓農民には戦う武器等有りはしなかったのである、だが若し有ったとしても戦いを知らぬ彼等には、自分の身を守る事さえ出来なかったであろう。
唯、逃げ廻るのみ・・・・
集団自決する哀れな例も有ったのだ。
こうして村を追われ南に避難する訳だが北の大地での死者は3万とも5万とも云われる。
だが彼等の逃避行は厳しく辛いものだった。
匪賊ばかりでは無い・・・
今まで虐げられていた多くの中国人、そして俄仕込みの強盗団・・・・
その中を石炭列車に揺られ南へ南へと下って行く。
そして祖国の土を踏む事が出来なかった者が どれだけ居たであろうか?
中には親切な中国人に拾われ、或いは子供の居ない一部の優しい彼等の情けに縋り、与けて内地を目指す者も居たにはいたが。
やはり、敗戦国の日本人には 冷たかったのは事実である。
こうなる事を予見してた彼はいち早く行動を起こしていた。
これまでに蓄えた全ての財産を中立国の銀行に預け、又日本国内の仲間に送り隠匿させたのである。
『赤』の烙印を押され中国まで逃げ 俊介の部下となった浅田英俊が、その任に当たった。
彼は語学にも精通しており、又経理担当能力は素晴しいものがあった。
もし、赤の烙印を押されなければ 然るべく要職に就き多いに力を発揮出来たであろう、と 思われる。
普通、馬賊の集団と云えば寄せ集めのごろつき集団が圧倒的に多い。
だが、俊介の仲間達は彼等と一線を画す。
鉄の結束を誇り、一騎当千の強者揃いだった。
頭目、俊介を慕い集まった仲間には、立派に他の一団に行けば頭の務まる者も多く居たのだ。
原野を駆け抜け匪賊の集団を襲う、そして得た数々の宝の山を惜しげも無く村々に配る。
「早く逃げろ」と・・・
貫太郎の村に、腹心の宇佐美が出向いた。
「ソ連軍の侵攻が始まったぞ!此処は捨てろ」「時間が無い、早く日本に帰れ」 「日本が負けたって?神国日本がどうして・・・?」彼等には理解出来なかった。
「この戦争、何時かは勝つ、『神の国』日本が負ける筈が無い」そう信じて疑わなかった彼等に取って この現実は俄かに受け入れ難い事だったのだ。
「負けたのは事実だ、すぐロ助(ロシア人)が攻めて来る、兎に角南に行く事だ!」宇佐美の声が険しくなる。
その夕方、村は炎に包まれた。
匪賊に襲われたのだった。
瀕死の重傷を負い息も絶え絶えの老人が言った、「女達は首に縄を掛けられ 手を数珠繋ぎにされ皆引きずられて行った」と・・・
俊介は「もう生きて居られるのも数時間だな」 心を鬼にして老人の頭を撃ち抜いた、楽に死なせてやろうとしたのだった。
匪賊、『戴』 片耳の男を追って南へ・・・・満蒙の大地を後にして俊介達一行は散り散りに散って行った。
昭和21年夏・・・
先の見えない日本は、舵を失い羅針盤の無い船となり多くの苦難と戦っていた。
夢も希望も無く、食べる物も満足に無い多くの民衆は只 夢遊病者の様に瓦礫と化した街を彷徨っていたのである。
そんな中、舞鶴港では引き揚げ船が到着する。
中国全土から大きな挫折感と無力さを肌に沁み込ませ全国に散って行く、その中には満蒙の大地から本土の土を踏む者も多く居た。
絶望と焦燥感が彼等を襲う・・・
だが、有ったとすれば襲われる事の無い祖国に戻って来た・・と云う安堵感だけであろう。
昭和22年秋・・・
少しずつではあるが復興の兆しが見え始める頃・・・・
何時もの様に舞鶴港では多くの涙と歓声が響いていた。
だが帰る故郷には、食べる物も無く無頼の輩が街を闊歩して歩いている。
一艘の引き揚げ船が入って来た。
そして・・・見覚えのある宇佐美、浅田達が埠頭に降り立った。
皆、其々が全く面識の無い顔をして何処と無く消えて行く。
その夜更け・・・夜陰に紛れ小さな漁船が港に停泊した。
夜目にも鮮やかな白いマフラーをなびかせ 身軽に船を降りたその男は、小さな子供を連れて伊吹山中の奥深く入って行ったのである。
それから2年の年月が流れた。
「この山には天狗様が居てよ、それが村の衆を守ってくれてるんじゃ」「大天狗と小天狗とが居るんだとか」 麓の村の評判である。
山間部の僻地の事だ、まだまだ迷信を信じる人もたくさん居た時代だ。
時々街から、この村では見る事の出来ない外車がやって来て祠に供え物をしてゆく。
それを夜中に天狗様が取りに来ると云う。
毎日の様に山が鳴る、轟音を立てて木霊が響く・・・
村人達は恐れて近付かない。
「又、山の天狗様が吼えておいでじゃ」と・・・・
ある日の事、村に強盗の一味が押し入った事がある。
何処から現れたのか解らないが、天狗様が出て来て一瞬のうちに3人の強盗を打ちのめしたのだ。
そして、何事も無かった様に山の中に消えて行ったのである。
見た事も無い服を着て、髭は伸ばし放題、彫の深い顔立ち、180cmの体躯、村人は彼等の守り神と信じたのも無理の無い話だろう。
祠の供え物が多くなった、村人の心ばかりのお礼だった。
駐在の巡査が山に入って来た。
強盗の一味を退治した男の姿を一目見たいと・・・
巡査 潮見は端から村人の天狗説を信じてはいなかった。
「絶対人間だ、それもかなり腕の立つ・・・」 其処で見たものは、少年を相手に激しく剣術を教えている姿だった。
防具も何も無し、鬼気迫る指導をしてる姿だった。
「この山奥でどうして?何故村に住みなさらんか?」 「村では充分に鍛える事が出来んからなー」 高らかに笑った。
「ところで先日の強盗の件、失礼しました」「そこでお願いだがあの手柄、本官の手柄にして置いてくれませんか?」 井出は微笑んで「どうぞ、ご勝手に」と・・・
小屋に案内されて潮見は驚いた。
当時、警察官でも持つ事が許されない拳銃の数々・・・そしてマシンガン、奥には同田貫が無造作に置いてある。
当然銃刀法違反である。
しかし一介の駐在所巡査塩見には逮捕する能力は無かった、町から応援をと思ったが・・と 同時に自分の助け手となるな、との思惑も働いたのである。
名も名乗らない、「この男・・・何か臭うな・・・」早速 駐在所に戻り過去の事件を調べてみる事にした。
だが日本国内での事件を調べても何も出てこない。
「これは大陸での事件の可能性も有りか?」 服装から考えても『コサックの帽子、ルパシカ、そして毛皮のブーツ』彼の推理は当たらずとも遠からずであった。
「あの子供は一体何者なんだ?まさか親子では・・・?」 潮見の疑問は膨らんだ。
「終戦前のドサクサに何が有ったんだ?」 調べてみたところで何の得が有るのか・・・潮見は今回の事件で手柄を譲って貰った事に気付き 負い目も感じたのだ。
「触らぬ神に祟り無しか・・・」 小さく頷いて調べ書き帳を閉じた。
並々ならぬ彼の男の実力を考えると 下手に穿れば我が身が危ない・・・と、考えたのだった。
しかし好奇心は彼の心を揺さ振った。
何と無くでは有るが、彼の行動を監視する訳でも無く、見守る様になってしまった事は事実だ。
時々、銃の練習をしてる、轟音が山に木霊する。
ましらの様に子供が逃げる、男はそれを弓矢で打つ、木から木へと飛び移って逃げ回る。
容赦なく矢は放たれる。
「この男には愛は有るのか?」塩見は疑った。
「あのう・・もし、子供は学校にやらなくても大丈夫で?」 「いや、なまじ学校にやるより俺が教えた方が早い」そう笑って答えるのだった。
未だ日本国内 何の教育の整備もされていない状態の頃の事である。
成る程、学校より知識の有る人間なら自分で教えた方が早い・・・そんな混沌とした社会情勢の中・・・
大きく真っ赤な太陽が地平線を染め、暮れなずむ此処満州北部の村に長い影を落とす頃・・・
岬貫太郎は、「今日も一日ご苦労さん」傍らの妻に微笑み掛け 娘愛子と息子譲治の肩に手を掛け満足そうに呟いていた。
昭和20年9月、まだ彼等は大東亜戦争において日本が無条件降伏をした事も 焦土と化した祖国の事も何一つ知らなかった。
赤々と燃える太陽は彼等の足元を照らしゆっくりと落ちてゆく。
貫太郎は、この幸せが永遠に続くものと信じてた、そして満蒙の大地にどっしりと根を張り 此処に大きな桃源郷を作る事を夢見てたのである。
東北の貧農の三男坊、彼は仲間達と未来の桃源郷を夢見てこの満州北部の原野に鍬を入れた。
それから8年、豊穣な作物と羊の群れから多くの賜物を得られる様になった今、此処が彼等の『故郷』となっていたのだ。
その間には口には表せない苦労もあった。
匪賊にも何度か襲われた、干ばつで明日の食物も得られない時も・・・
そんな時、決まって現れ、彼等を救ってくれた一団が居た。
風の様に現れ風の様に去って行く・・・
彼等には生神様の様に思えたその一団とは・・・井出俊介率いる満州馬賊の一団だった。
その一団に守られた家族はもちろん現在の日本は遠い過去の思い出しかない。
しかし確実にいつもの遠い日が迫っていることを感じていた。
彼等は馬を塒とし、一時も一箇所に留まる事は無い。
此処満蒙の大地が彼等の塒でありフランチャイズなのだ。
遠くは、シベリアの低地を越えウラル山脈の麓まで駆け、多くの獲物を得て帰って来るのであった。
ソビエト連邦共和国(ロシア)のブルジョアージ達は、彼等を『白い稲妻』と呼び恐れ 自らの手で私兵を雇い防御策を講じていたが、彼等の迅速な行動を阻止する事は出来なかった。
夜陰に紛れ襲撃し、何処とも無く去って行く。
白いマフラーと漆黒のルパシカを靡かせて・・・
まさに悪魔に魅入られたかの如く 全てを奪い去り、煙の様に消え去る・・・なす術も無かったのだ。
昭和17年6月・・・・・
ミッドウエイ海戦に於いて日本軍惨敗。
既に井出は知っていた。
陽出る国が敗れ、ソ連軍が参戦するであろう事も・・・
彼等の目的は、他に日本国軍部の為の重要な任務、そう スパイ活動も入っていたから・・・・
彼は仲間と共に関東軍総司令部に馬を進めていた。
昭和20年4月。
「少尉殿、農民を捨て転進ですか?体のいい退却ですなー・・・それで農民はどうなるんで?」 「知らん、彼等農民は元々北の守りと位置付けてきたんだ」「其れを忘れた訳じゃ無いだろう」 本来北の守りである筈の、関東軍は既に撤退の準備を進めていたのだった。
多くの開拓住民を残し、何も知らせないまま・・・
「それは軍人の論理でしょう、農民はそうは思っちゃいませんぜ、軍隊が守ってくれると信じてるから安心して暮らしてるんと違いますか?」「見捨てて何処へ逃げるんで?」 「何っ、貴様、逃げるとは何だ!・・・帝国軍人を侮辱するのかっ!天皇陛下の命令だっ!」「井出っ!死にたくなかったらとっとと出てけっ」 途端に俊介の同田貫が唸りを挙げた。
返す刀で傍に居た将校を斬り倒して何処となく去って行った。
それは関東軍への怒りでもあり、内地で のうのうと暮らしている軍幹部への憤りでもあったのだ。
後に残されたのは一刀両断に斬り捨てられた2名の将校の遺体・・・彼は帝国陸軍への反逆罪として追われる身となったのである。
関東軍達は、略奪、強盗、殺人、陵辱の限りを尽くし去って行った・・・僅かの満州馬賊『井出俊介一味』討伐隊を残し・・・
だが、北の大地は広い。
井出達は彼等の庭である広漠たる大地を駆け回っていた。
「一刻も早く開拓村の人々に知らせ 日本に引き上げさせねば」・・・だが情勢は非常に厳しいものであった。
関東軍の行いは、中国国民の怒りに火を点け行く手を阻んだのである。
だが、井出の配下には優秀な中国人、蒙古人も居た。
傀儡政権に異を唱える者、関東軍に追われ死の寸前に俊介に救われた者達・・・・
彼等は井出に心酔し、決してどんな状況になろうと離れる事は無かったのだ。
日毎に増す匪賊(中国軍とか流民の群れ)の勢力は 井出達馬賊を悩ませた。
「何とかして開拓農民を助けねばならない」「早く祖国に戻る様 説得しなければ」 しかし開拓農民に対する匪賊達の攻撃は熾烈を極める。
又、農民達は「此処が俺達の古里だ」と、土地を離れる事を躊躇したのである。
農民に取って土地を奪われる事は如何に辛い事か・・・それは俊介とて解らぬ訳ではない。
が、生きてさえいれば、又夢の続きは見られる・・・彼は必死になって村々を説得して歩いた。
そして・・・一足遅れで焼討ちに遭い無残な死体の山を見せられた事も・・・
ソ連軍が参戦した。
最初は犯罪者で構成される荒くれ集団・・・
彼等は略奪、暴行、陵辱の限りを尽くし満州各地の開拓農民を襲った。
開拓農民には戦う武器等有りはしなかったのである、だが若し有ったとしても戦いを知らぬ彼等には、自分の身を守る事さえ出来なかったであろう。
唯、逃げ廻るのみ・・・・
集団自決する哀れな例も有ったのだ。
こうして村を追われ南に避難する訳だが北の大地での死者は3万とも5万とも云われる。
だが彼等の逃避行は厳しく辛いものだった。
匪賊ばかりでは無い・・・
今まで虐げられていた多くの中国人、そして俄仕込みの強盗団・・・・
その中を石炭列車に揺られ南へ南へと下って行く。
そして祖国の土を踏む事が出来なかった者が どれだけ居たであろうか?
中には親切な中国人に拾われ、或いは子供の居ない一部の優しい彼等の情けに縋り、与けて内地を目指す者も居たにはいたが。
やはり、敗戦国の日本人には 冷たかったのは事実である。
こうなる事を予見してた彼はいち早く行動を起こしていた。
これまでに蓄えた全ての財産を中立国の銀行に預け、又日本国内の仲間に送り隠匿させたのである。
『赤』の烙印を押され中国まで逃げ 俊介の部下となった浅田英俊が、その任に当たった。
彼は語学にも精通しており、又経理担当能力は素晴しいものがあった。
もし、赤の烙印を押されなければ 然るべく要職に就き多いに力を発揮出来たであろう、と 思われる。
普通、馬賊の集団と云えば寄せ集めのごろつき集団が圧倒的に多い。
だが、俊介の仲間達は彼等と一線を画す。
鉄の結束を誇り、一騎当千の強者揃いだった。
頭目、俊介を慕い集まった仲間には、立派に他の一団に行けば頭の務まる者も多く居たのだ。
原野を駆け抜け匪賊の集団を襲う、そして得た数々の宝の山を惜しげも無く村々に配る。
「早く逃げろ」と・・・
貫太郎の村に、腹心の宇佐美が出向いた。
「ソ連軍の侵攻が始まったぞ!此処は捨てろ」「時間が無い、早く日本に帰れ」 「日本が負けたって?神国日本がどうして・・・?」彼等には理解出来なかった。
「この戦争、何時かは勝つ、『神の国』日本が負ける筈が無い」そう信じて疑わなかった彼等に取って この現実は俄かに受け入れ難い事だったのだ。
「負けたのは事実だ、すぐロ助(ロシア人)が攻めて来る、兎に角南に行く事だ!」宇佐美の声が険しくなる。
その夕方、村は炎に包まれた。
匪賊に襲われたのだった。
瀕死の重傷を負い息も絶え絶えの老人が言った、「女達は首に縄を掛けられ 手を数珠繋ぎにされ皆引きずられて行った」と・・・
俊介は「もう生きて居られるのも数時間だな」 心を鬼にして老人の頭を撃ち抜いた、楽に死なせてやろうとしたのだった。
匪賊、『戴』 片耳の男を追って南へ・・・・満蒙の大地を後にして俊介達一行は散り散りに散って行った。
昭和21年夏・・・
先の見えない日本は、舵を失い羅針盤の無い船となり多くの苦難と戦っていた。
夢も希望も無く、食べる物も満足に無い多くの民衆は只 夢遊病者の様に瓦礫と化した街を彷徨っていたのである。
そんな中、舞鶴港では引き揚げ船が到着する。
中国全土から大きな挫折感と無力さを肌に沁み込ませ全国に散って行く、その中には満蒙の大地から本土の土を踏む者も多く居た。
絶望と焦燥感が彼等を襲う・・・
だが、有ったとすれば襲われる事の無い祖国に戻って来た・・と云う安堵感だけであろう。
昭和22年秋・・・
少しずつではあるが復興の兆しが見え始める頃・・・・
何時もの様に舞鶴港では多くの涙と歓声が響いていた。
だが帰る故郷には、食べる物も無く無頼の輩が街を闊歩して歩いている。
一艘の引き揚げ船が入って来た。
そして・・・見覚えのある宇佐美、浅田達が埠頭に降り立った。
皆、其々が全く面識の無い顔をして何処と無く消えて行く。
その夜更け・・・夜陰に紛れ小さな漁船が港に停泊した。
夜目にも鮮やかな白いマフラーをなびかせ 身軽に船を降りたその男は、小さな子供を連れて伊吹山中の奥深く入って行ったのである。
それから2年の年月が流れた。
「この山には天狗様が居てよ、それが村の衆を守ってくれてるんじゃ」「大天狗と小天狗とが居るんだとか」 麓の村の評判である。
山間部の僻地の事だ、まだまだ迷信を信じる人もたくさん居た時代だ。
時々街から、この村では見る事の出来ない外車がやって来て祠に供え物をしてゆく。
それを夜中に天狗様が取りに来ると云う。
毎日の様に山が鳴る、轟音を立てて木霊が響く・・・
村人達は恐れて近付かない。
「又、山の天狗様が吼えておいでじゃ」と・・・・
ある日の事、村に強盗の一味が押し入った事がある。
何処から現れたのか解らないが、天狗様が出て来て一瞬のうちに3人の強盗を打ちのめしたのだ。
そして、何事も無かった様に山の中に消えて行ったのである。
見た事も無い服を着て、髭は伸ばし放題、彫の深い顔立ち、180cmの体躯、村人は彼等の守り神と信じたのも無理の無い話だろう。
祠の供え物が多くなった、村人の心ばかりのお礼だった。
駐在の巡査が山に入って来た。
強盗の一味を退治した男の姿を一目見たいと・・・
巡査 潮見は端から村人の天狗説を信じてはいなかった。
「絶対人間だ、それもかなり腕の立つ・・・」 其処で見たものは、少年を相手に激しく剣術を教えている姿だった。
防具も何も無し、鬼気迫る指導をしてる姿だった。
「この山奥でどうして?何故村に住みなさらんか?」 「村では充分に鍛える事が出来んからなー」 高らかに笑った。
「ところで先日の強盗の件、失礼しました」「そこでお願いだがあの手柄、本官の手柄にして置いてくれませんか?」 井出は微笑んで「どうぞ、ご勝手に」と・・・
小屋に案内されて潮見は驚いた。
当時、警察官でも持つ事が許されない拳銃の数々・・・そしてマシンガン、奥には同田貫が無造作に置いてある。
当然銃刀法違反である。
しかし一介の駐在所巡査塩見には逮捕する能力は無かった、町から応援をと思ったが・・と 同時に自分の助け手となるな、との思惑も働いたのである。
名も名乗らない、「この男・・・何か臭うな・・・」早速 駐在所に戻り過去の事件を調べてみる事にした。
だが日本国内での事件を調べても何も出てこない。
「これは大陸での事件の可能性も有りか?」 服装から考えても『コサックの帽子、ルパシカ、そして毛皮のブーツ』彼の推理は当たらずとも遠からずであった。
「あの子供は一体何者なんだ?まさか親子では・・・?」 潮見の疑問は膨らんだ。
「終戦前のドサクサに何が有ったんだ?」 調べてみたところで何の得が有るのか・・・潮見は今回の事件で手柄を譲って貰った事に気付き 負い目も感じたのだ。
「触らぬ神に祟り無しか・・・」 小さく頷いて調べ書き帳を閉じた。
並々ならぬ彼の男の実力を考えると 下手に穿れば我が身が危ない・・・と、考えたのだった。
しかし好奇心は彼の心を揺さ振った。
何と無くでは有るが、彼の行動を監視する訳でも無く、見守る様になってしまった事は事実だ。
時々、銃の練習をしてる、轟音が山に木霊する。
ましらの様に子供が逃げる、男はそれを弓矢で打つ、木から木へと飛び移って逃げ回る。
容赦なく矢は放たれる。
「この男には愛は有るのか?」塩見は疑った。
「あのう・・もし、子供は学校にやらなくても大丈夫で?」 「いや、なまじ学校にやるより俺が教えた方が早い」そう笑って答えるのだった。
未だ日本国内 何の教育の整備もされていない状態の頃の事である。
成る程、学校より知識の有る人間なら自分で教えた方が早い・・・そんな混沌とした社会情勢の中・・・
「やーい」「おいらを見つずけして落ちてらー」
窓の下には大きなどら猫がだいの字になって落ちてる。
親父とは大の仲良し・・・いつもおいらは窓の外を見てる。
だが親父は決して外に出してくれない。
「他の猫と混じると良くない」
それが少々不満ではあるが、ま・・・大事にしてくれるから、
ま、いいか。
でも外にはいろんなものが沢山ある。
よくいろんな猫が来る。
特別美人ではないがいろんな猫がおいらを訪ねてくる。
でもおいらには器量よしの彼氏がいる。
ちょっと気取り屋ではあるがまー良き男だ。
[何分よく持てる]♪
ひとつには親父が窓の外にめざしを投げてやる♪
きっと寂しいんだろう?おいらがいるくせに・・・
おいらにはよく解らん。
何しろおいらの世界には解らん事だらけだ。
おいらは箱入り娘だ。
彼はよく泣く猫だ。
時々うるさく泣く。
おいらは決して泣かない。
泣くのがうるさいからだ。
ある時おいらの見てる前で親父が蹴っ飛ばした。
おいらはどちらの味方してもよいか解らん。
だから黙ってみてる事にした。
時々おいらは風呂にはいる。これは彼氏が飛び込んで見せたからだがおいらも夢中になって真似したんだが・・・
最初は何の気なしに飛び込んだけれどとっても気持ちがいい・・・第一不潔なのは嫌いだ。
だからちょいちょい飛び込んでみる。
親父が怒る。
バスタオルを持って追いかけられる
しかしこの瞬間が溜らん。
だが最近は無い・・・寒くなってきたから炬燵の方がいい・・・
親父の奥さんがレオを撫でてやっていた。
おいらも撫でて欲しくなった。
だが親父の手前ちょっと悔しいが我慢した。
こんな時にはどうすればいいのか?
たの猫ならどうしたのか?
毎日窓の外を見てる。
時々沢山の雀がやって来る。
美味そうな雀だ。よく肥ってる。
おいらは舌なめずりして見てる。
「早く外に出たいのに」
相変わらず今日も外を睨んでる。
野犬がちょっと近着いてきた。
おいらは身体を大きくして「フウー」と言ったが窓の中ではどうにもならない。雀は見事に四方八方飛び立っていった。
おいらはほっとして見送ったのである。
おいらが味見するまで決して捕まるなよ・・・と小さく頷いた。
窓の下には大きなどら猫がだいの字になって落ちてる。
親父とは大の仲良し・・・いつもおいらは窓の外を見てる。
だが親父は決して外に出してくれない。
「他の猫と混じると良くない」
それが少々不満ではあるが、ま・・・大事にしてくれるから、
ま、いいか。
でも外にはいろんなものが沢山ある。
よくいろんな猫が来る。
特別美人ではないがいろんな猫がおいらを訪ねてくる。
でもおいらには器量よしの彼氏がいる。
ちょっと気取り屋ではあるがまー良き男だ。
[何分よく持てる]♪
ひとつには親父が窓の外にめざしを投げてやる♪
きっと寂しいんだろう?おいらがいるくせに・・・
おいらにはよく解らん。
何しろおいらの世界には解らん事だらけだ。
おいらは箱入り娘だ。
彼はよく泣く猫だ。
時々うるさく泣く。
おいらは決して泣かない。
泣くのがうるさいからだ。
ある時おいらの見てる前で親父が蹴っ飛ばした。
おいらはどちらの味方してもよいか解らん。
だから黙ってみてる事にした。
時々おいらは風呂にはいる。これは彼氏が飛び込んで見せたからだがおいらも夢中になって真似したんだが・・・
最初は何の気なしに飛び込んだけれどとっても気持ちがいい・・・第一不潔なのは嫌いだ。
だからちょいちょい飛び込んでみる。
親父が怒る。
バスタオルを持って追いかけられる
しかしこの瞬間が溜らん。
だが最近は無い・・・寒くなってきたから炬燵の方がいい・・・
親父の奥さんがレオを撫でてやっていた。
おいらも撫でて欲しくなった。
だが親父の手前ちょっと悔しいが我慢した。
こんな時にはどうすればいいのか?
たの猫ならどうしたのか?
毎日窓の外を見てる。
時々沢山の雀がやって来る。
美味そうな雀だ。よく肥ってる。
おいらは舌なめずりして見てる。
「早く外に出たいのに」
相変わらず今日も外を睨んでる。
野犬がちょっと近着いてきた。
おいらは身体を大きくして「フウー」と言ったが窓の中ではどうにもならない。雀は見事に四方八方飛び立っていった。
おいらはほっとして見送ったのである。
おいらが味見するまで決して捕まるなよ・・・と小さく頷いた。
その頃あずみは岐阜県の家でのんびりとオリビアと亮二の話をしていた。
オリビアは出会った頃の亮二の話をしてる。
彼はとんでもない無法を犯してもケロッとしてオリビアの前に現れた。
元は外人部隊の戦闘員だがオリビアの前では唯のバイク乗り・・・
オリビアはそんな亮二が大好きだった。
あずみは知られざる亮二の過去を知りますます父親が好きになった。
「いいなー、あずみは亮二と一緒に行動してる」わたしは家で待ってるだけか・・・
そんなあずみにチャンスが訪れた。
北深いこの地にある事件の容疑者が逃れてきた。
偶然の事ではあるがこの山村に逃げてきた訳だが 勤務先では大変な事である。
地理的に勝手に知ったる山に逃げ込んだある容疑者はあずみのパトカーの前に立ちはだかった。
相手は女性と知った犯人は銃を突き付けてパトカーに乗り込んできた。
あずみの彼がやってきた。所轄の聞き込みを終えて帰ってきたのだ。
何でもこの地方に置き引きの犯人がいる。
あずみは「ここにいるよ」と叫びたかったがミニパトの音には気が付いてない。
なんて「ドンくさい彼か?」彼が疎ましく思った。
オリビアは出会った頃の亮二の話をしてる。
彼はとんでもない無法を犯してもケロッとしてオリビアの前に現れた。
元は外人部隊の戦闘員だがオリビアの前では唯のバイク乗り・・・
オリビアはそんな亮二が大好きだった。
あずみは知られざる亮二の過去を知りますます父親が好きになった。
「いいなー、あずみは亮二と一緒に行動してる」わたしは家で待ってるだけか・・・
そんなあずみにチャンスが訪れた。
北深いこの地にある事件の容疑者が逃れてきた。
偶然の事ではあるがこの山村に逃げてきた訳だが 勤務先では大変な事である。
地理的に勝手に知ったる山に逃げ込んだある容疑者はあずみのパトカーの前に立ちはだかった。
相手は女性と知った犯人は銃を突き付けてパトカーに乗り込んできた。
あずみの彼がやってきた。所轄の聞き込みを終えて帰ってきたのだ。
何でもこの地方に置き引きの犯人がいる。
あずみは「ここにいるよ」と叫びたかったがミニパトの音には気が付いてない。
なんて「ドンくさい彼か?」彼が疎ましく思った。
そう・・・亮二はそんな男だ。
過って若い頃フランス外人部隊の頃、塹壕の中で煙草を吸っていた時仲間の一人が狙撃された。
彼は撃った男を許せなかった。
猛然と飛び出し敵の狙撃兵を撃ち殺した。
わずかの時間の出来事だった。
彼は自分の楽しみを邪魔する男に我慢できなかった。
友人の命を守る為ではあるが完全に気がふれた時には雨あられの時でも飛び出してゆく。まさに阿修羅のごとき働きをする。
だが心根は優しい男だ。
だがあずみにはそんな姿を見た事はない。
あずみには優しい父親だった。
亮二には男としての「使命」があった。
仲間の命を守ると云う使命の為に・・・
リックは逐一フェルに報告をした。
フェルは「うんうん・・・」と聞いてリックに言った。
「俺の思った通りだな・リックは全てを納得した。「俺は亮二の繋ぎか・・・」
さて
亮二は・・・「今の俺にはあずみを守るのが先だ」
それより[あずみにしてやれる事は無いか・・・]と思っていた。
それは「このヒットマンに着いて行くのが早い」
「おい・・・痛いか」「うっ痛いぞ・・・早く弾を抜いてくれ」「慌てるな、この馬鹿が」亮二は楽しみながらゆっくり弾を抜く。
そしていろんな情報を聞き出す。
そのヒットマンの名前は デユーク 膝の痛みに耐えながら彼のバイクに乗った。
彼のボスの「超」の待つ覚悟の帰還である。
さてリックはバイクの跡の血糊を辿って倉庫にたどりついた。
そこで見た。血糊の着いたハンカチを・・・
細かくたたんだ紙片に超の所在が書いてある。
あずみの勘に掛けたのである。
過って若い頃フランス外人部隊の頃、塹壕の中で煙草を吸っていた時仲間の一人が狙撃された。
彼は撃った男を許せなかった。
猛然と飛び出し敵の狙撃兵を撃ち殺した。
わずかの時間の出来事だった。
彼は自分の楽しみを邪魔する男に我慢できなかった。
友人の命を守る為ではあるが完全に気がふれた時には雨あられの時でも飛び出してゆく。まさに阿修羅のごとき働きをする。
だが心根は優しい男だ。
だがあずみにはそんな姿を見た事はない。
あずみには優しい父親だった。
亮二には男としての「使命」があった。
仲間の命を守ると云う使命の為に・・・
リックは逐一フェルに報告をした。
フェルは「うんうん・・・」と聞いてリックに言った。
「俺の思った通りだな・リックは全てを納得した。「俺は亮二の繋ぎか・・・」
さて
亮二は・・・「今の俺にはあずみを守るのが先だ」
それより[あずみにしてやれる事は無いか・・・]と思っていた。
それは「このヒットマンに着いて行くのが早い」
「おい・・・痛いか」「うっ痛いぞ・・・早く弾を抜いてくれ」「慌てるな、この馬鹿が」亮二は楽しみながらゆっくり弾を抜く。
そしていろんな情報を聞き出す。
そのヒットマンの名前は デユーク 膝の痛みに耐えながら彼のバイクに乗った。
彼のボスの「超」の待つ覚悟の帰還である。
さてリックはバイクの跡の血糊を辿って倉庫にたどりついた。
そこで見た。血糊の着いたハンカチを・・・
細かくたたんだ紙片に超の所在が書いてある。
あずみの勘に掛けたのである。
それから亮二はフリーのライダーとなり日本に帰った。
後を追うようにオリビアも日本に来た。
そして暮らした先は長野県の寒村小川村のはずれ 亮二の故郷だった。
村はずれの一軒家、オリビアも驚いた。
なんて良いところか 「遠く残雪がそびえる」まるでアルプスの麓のような村・・・・そこで子供を宿したのである。
それも双子の可愛い子だった。
亮二は炭焼きの仕事をした。
子供をあやしながら不思議な運命を感じていた。
子供の名は「あずさ」「あずみ」と着けられた。
野山を駆け上がり小川で魚を追いかけてすくすくと育った。
やがて中学校.あまりにも似てたので先生方もいつも笑った。
其の訳はあまりにも似てる2人が同じ動作を繰り返すから……そしてお互いが張り合っている。
亮二の自慢の娘である。
やがて中学校。
ある日あずさが「これからアメリカに留学したい」と言った。
亮二は考えた。
(私も若い頃多くの夢を抱いて世界中を旅をした)
あずさもそんな歳になったんだろう。
アメリカの暮らしは決して楽ではない。銃社会のあずさには解っていなかったのである。日本で育った彼女にはそんな事情には解っていなかったのだ。
ただ勉強に明け暮れする事では無かった。
まず銃を習い格闘技を覚え自分の身は自分で守る事を思い知らされた。
又あずみは地元の中学・高校を出て警視庁の刑事となり地元の警察に就職した。
お互い地域は違うけれど同じ警察の道を選んだのである。
一卵性双生児の彼女達だが明らかに亮二にはすぐ解った。
あずさは筋肉の弾みが違う・・・あずみは柔らかに弾む。
あずさは銃撃戦にも慣れて動きも早い。
亮二は当分アメリカに行く事にした。
そしてロス市警についた。
亮二のフランス時代の友人(フェルナンド通称フェル)がロス市警の上司に付いていた。
あずみは市警のアイドルだった。
腕前もだが何しろ美人である。
あずみの恋人のジャンは目下出張中で会うことが出来なかったが非常に熱血漢だそうだ。何でも台湾に出張中だそうだ。
目下はアメリカ社会にはびこる麻薬事件の首謀者を追って部下と共に隠密行動を取っているとか・・・
あずみも亮二と共に台湾に飛んだ。
サンワン・レジデンスで荷解きをして街にでた。
とある倉庫の隅であやこは「リック」と叫びそうになり亮二はその口を抑えた。
瞬時に判断をした亮二が口を押えたのだがあずみは分からなかった。
その男リックは前の男達を追ってたのだ。
リックはあずみの姿を見て小さくうなずいて伏せるように指示して銃眼を構えた。
亮二はとっさに道端のバイクに乗って走り出した。
リックの銃弾を受けた男を拾い消えた。
と ある街角のビルの一室で亮二は過の男の傷口から弾丸をぬいた。
その間にいろんな話を聞き・・・ここは一つあずみの為を思って骨を折ってやるか・・・と覚悟を決めた。
リックが撃った敵の傍らに付いて行くことにしたのだ。「この男はリックの追いかけている仲間に違いない」「必ず仲間の所に戻る」
亮二は大きな賭けに出た。
そして仲間に戻る。
亮二はあずさ宛に「ことの顛末を話し・決して心配するな」と結んだ。
後は無事に乗り切れるかどうか・・・?
リックは血糊の後をたどりこの倉庫までたどり付いた。
そして亮二の血染めのハンカチを見付けた。
そして「つぶやいた・・・君のオヤジはとんでもない親だ」あずみの父親は[命知らずの暴れん坊だ・・・]と。
後を追うようにオリビアも日本に来た。
そして暮らした先は長野県の寒村小川村のはずれ 亮二の故郷だった。
村はずれの一軒家、オリビアも驚いた。
なんて良いところか 「遠く残雪がそびえる」まるでアルプスの麓のような村・・・・そこで子供を宿したのである。
それも双子の可愛い子だった。
亮二は炭焼きの仕事をした。
子供をあやしながら不思議な運命を感じていた。
子供の名は「あずさ」「あずみ」と着けられた。
野山を駆け上がり小川で魚を追いかけてすくすくと育った。
やがて中学校.あまりにも似てたので先生方もいつも笑った。
其の訳はあまりにも似てる2人が同じ動作を繰り返すから……そしてお互いが張り合っている。
亮二の自慢の娘である。
やがて中学校。
ある日あずさが「これからアメリカに留学したい」と言った。
亮二は考えた。
(私も若い頃多くの夢を抱いて世界中を旅をした)
あずさもそんな歳になったんだろう。
アメリカの暮らしは決して楽ではない。銃社会のあずさには解っていなかったのである。日本で育った彼女にはそんな事情には解っていなかったのだ。
ただ勉強に明け暮れする事では無かった。
まず銃を習い格闘技を覚え自分の身は自分で守る事を思い知らされた。
又あずみは地元の中学・高校を出て警視庁の刑事となり地元の警察に就職した。
お互い地域は違うけれど同じ警察の道を選んだのである。
一卵性双生児の彼女達だが明らかに亮二にはすぐ解った。
あずさは筋肉の弾みが違う・・・あずみは柔らかに弾む。
あずさは銃撃戦にも慣れて動きも早い。
亮二は当分アメリカに行く事にした。
そしてロス市警についた。
亮二のフランス時代の友人(フェルナンド通称フェル)がロス市警の上司に付いていた。
あずみは市警のアイドルだった。
腕前もだが何しろ美人である。
あずみの恋人のジャンは目下出張中で会うことが出来なかったが非常に熱血漢だそうだ。何でも台湾に出張中だそうだ。
目下はアメリカ社会にはびこる麻薬事件の首謀者を追って部下と共に隠密行動を取っているとか・・・
あずみも亮二と共に台湾に飛んだ。
サンワン・レジデンスで荷解きをして街にでた。
とある倉庫の隅であやこは「リック」と叫びそうになり亮二はその口を抑えた。
瞬時に判断をした亮二が口を押えたのだがあずみは分からなかった。
その男リックは前の男達を追ってたのだ。
リックはあずみの姿を見て小さくうなずいて伏せるように指示して銃眼を構えた。
亮二はとっさに道端のバイクに乗って走り出した。
リックの銃弾を受けた男を拾い消えた。
と ある街角のビルの一室で亮二は過の男の傷口から弾丸をぬいた。
その間にいろんな話を聞き・・・ここは一つあずみの為を思って骨を折ってやるか・・・と覚悟を決めた。
リックが撃った敵の傍らに付いて行くことにしたのだ。「この男はリックの追いかけている仲間に違いない」「必ず仲間の所に戻る」
亮二は大きな賭けに出た。
そして仲間に戻る。
亮二はあずさ宛に「ことの顛末を話し・決して心配するな」と結んだ。
後は無事に乗り切れるかどうか・・・?
リックは血糊の後をたどりこの倉庫までたどり付いた。
そして亮二の血染めのハンカチを見付けた。
そして「つぶやいた・・・君のオヤジはとんでもない親だ」あずみの父親は[命知らずの暴れん坊だ・・・]と。
サンマルタン運河上流の土手の上で亮二は手下の上から遠くの景色を見てた。
金髪の女性が彼の方を見て笑った。[どこに行くの?」
目と目が合った時に亮二は上の方を向いて「こちらに上って来るように」と誘った。其処からは大きなブドウ畑が広がっている。そして二人はじっと見て見て何かを運ぶ物音をきいた。名前も知らぬ小鳥が鳴いている。
「あっ仲間が読んでる?」これから皆とモンサンミッシェルまで走るんだ。
彼女の名はオリビア パリの暴走軍団(エスペランサ)の一員で今度の再結成のツアーだそうだ。
彼はこの軍団に着いて行く事にした。
前になり後ろに回って彼女達の観察をした。
リーダーのエスペランサの腕は流石に上手い。
並のレーサーには負けない。
彼は二流とはいえ何しろパリダカールにも出た。
又モナコのレースにも出た。
国道筋のカフエに寄る。改めて自己紹介の挨拶をする。
リーダーのエスペランサは大富豪の娘。ルイザは世界中を回って歩く不良人・・そして最初に声をかけたオリビアはごく中流の娘 だが好奇心旺盛な一番歳若い娘だが一番彼になついて彼の傍を離れようとしない。
何しろ大変な美女軍団である。
彼はこんな事もあるのだと感心した。。
彼は決して持てない訳ではないが元々二流のレーサーだ。
一流のレーサーとは違う。
キャーキャーと騒ぐ程の美男児でもない。
「さあ行くよ」エスペランサの一声で彼等はまたバイクの一員としてモンサンミッシェル目指した。
牧場の羊を見て確か十何世紀前の古城を目掛けて走る。
途中に合流したバイクの一団と出会い風を切り走った。
そしてかの古城についた。其処で男性の一団をと自己紹介をした訳だが。彼等の一員の一人が亮二を見て言ったのである。
「あいつはレーサーの亮二ではないか?」エスペランザは「途中でオリビアが拾った男だよ」[誰がレーサーなんかじゃない」黙ってそのやり取りを聞いてた亮二はくすぐったくなった。
(俺も有名人かな?)
そして一夜を古城の宿で過ごし帰りはオンフルールを見て帰ったのだが……
オリビアが言った。
「亮二私の家でコーヒーでも飲んでいってよ」と誘いを受けた。
亮二は(誘うのは私が先だ)まんまと嵌った夜に乾杯を挙げたのである。
しかし彼は完敗したのだった。
彼女は強い・・・・「はあ………フウうんぅ」そして「あえなく撃沈した」のだが
彼女は直ぐに「もう一度」とねだったのだ。
彼女は底抜けに明るい……そして強い。
結局彼は一晩中寝られなかった。
しかし彼は満足して自分の家に戻ったのである。
そして恋する女性は強い。
それからどんどん色っぽくなる。
周りの男達を虜にする。
そんな彼等の心など知らぬげにオリビアは町中の男の中を歩く。それから亮二はフリーのライダーとなり日本に帰った。
後を追うようにオリビアも日本に来た。
そして暮らした先は長野県の寒村小川村のはずれ 亮二の故郷だった。
村はずれの一軒家、オリビアも驚いた。
なんて良いところか 「遠く残雪がそびえる」まるでアルプスの麓のような村・・・・そこで子供を宿したのである。
それも双子の可愛い子だった。
亮二は炭焼きの仕事をした。
子供をあやしながら不思議な運命を感じていた。
子供の名は「あずさ」「あずみ」と着けられた。
野山を駆け上がり小川で魚を追いかけてすくすくと育った。
やがて中学校.あまりにも似てたので先生方もいつも笑った。
其の訳はあまりにも似てる2人が同じ動作を繰り返すから……そしてお互いが張り合っている。
亮二の自慢の娘である。
やがて中学校。
ある日あずさが「これからアメリカに留学したい」と言った。
亮二は考えた。
(私も若い頃多くの夢を抱いて世界中を旅をした)
あずさもそんな歳になったんだろう。
アメリカの暮らしは決して楽ではない。銃社会のあずさには解っていなかったのである。
日本で育った彼女にはそんな事情には解っていなかったのだ。
ただ勉強に明け暮れする事では無かった。
まず銃を習い格闘技を覚え自分の身は自分で守る事を思い知らされた。
金髪の女性が彼の方を見て笑った。[どこに行くの?」
目と目が合った時に亮二は上の方を向いて「こちらに上って来るように」と誘った。其処からは大きなブドウ畑が広がっている。そして二人はじっと見て見て何かを運ぶ物音をきいた。名前も知らぬ小鳥が鳴いている。
「あっ仲間が読んでる?」これから皆とモンサンミッシェルまで走るんだ。
彼女の名はオリビア パリの暴走軍団(エスペランサ)の一員で今度の再結成のツアーだそうだ。
彼はこの軍団に着いて行く事にした。
前になり後ろに回って彼女達の観察をした。
リーダーのエスペランサの腕は流石に上手い。
並のレーサーには負けない。
彼は二流とはいえ何しろパリダカールにも出た。
又モナコのレースにも出た。
国道筋のカフエに寄る。改めて自己紹介の挨拶をする。
リーダーのエスペランサは大富豪の娘。ルイザは世界中を回って歩く不良人・・そして最初に声をかけたオリビアはごく中流の娘 だが好奇心旺盛な一番歳若い娘だが一番彼になついて彼の傍を離れようとしない。
何しろ大変な美女軍団である。
彼はこんな事もあるのだと感心した。。
彼は決して持てない訳ではないが元々二流のレーサーだ。
一流のレーサーとは違う。
キャーキャーと騒ぐ程の美男児でもない。
「さあ行くよ」エスペランサの一声で彼等はまたバイクの一員としてモンサンミッシェル目指した。
牧場の羊を見て確か十何世紀前の古城を目掛けて走る。
途中に合流したバイクの一団と出会い風を切り走った。
そしてかの古城についた。其処で男性の一団をと自己紹介をした訳だが。彼等の一員の一人が亮二を見て言ったのである。
「あいつはレーサーの亮二ではないか?」エスペランザは「途中でオリビアが拾った男だよ」[誰がレーサーなんかじゃない」黙ってそのやり取りを聞いてた亮二はくすぐったくなった。
(俺も有名人かな?)
そして一夜を古城の宿で過ごし帰りはオンフルールを見て帰ったのだが……
オリビアが言った。
「亮二私の家でコーヒーでも飲んでいってよ」と誘いを受けた。
亮二は(誘うのは私が先だ)まんまと嵌った夜に乾杯を挙げたのである。
しかし彼は完敗したのだった。
彼女は強い・・・・「はあ………フウうんぅ」そして「あえなく撃沈した」のだが
彼女は直ぐに「もう一度」とねだったのだ。
彼女は底抜けに明るい……そして強い。
結局彼は一晩中寝られなかった。
しかし彼は満足して自分の家に戻ったのである。
そして恋する女性は強い。
それからどんどん色っぽくなる。
周りの男達を虜にする。
そんな彼等の心など知らぬげにオリビアは町中の男の中を歩く。それから亮二はフリーのライダーとなり日本に帰った。
後を追うようにオリビアも日本に来た。
そして暮らした先は長野県の寒村小川村のはずれ 亮二の故郷だった。
村はずれの一軒家、オリビアも驚いた。
なんて良いところか 「遠く残雪がそびえる」まるでアルプスの麓のような村・・・・そこで子供を宿したのである。
それも双子の可愛い子だった。
亮二は炭焼きの仕事をした。
子供をあやしながら不思議な運命を感じていた。
子供の名は「あずさ」「あずみ」と着けられた。
野山を駆け上がり小川で魚を追いかけてすくすくと育った。
やがて中学校.あまりにも似てたので先生方もいつも笑った。
其の訳はあまりにも似てる2人が同じ動作を繰り返すから……そしてお互いが張り合っている。
亮二の自慢の娘である。
やがて中学校。
ある日あずさが「これからアメリカに留学したい」と言った。
亮二は考えた。
(私も若い頃多くの夢を抱いて世界中を旅をした)
あずさもそんな歳になったんだろう。
アメリカの暮らしは決して楽ではない。銃社会のあずさには解っていなかったのである。
日本で育った彼女にはそんな事情には解っていなかったのだ。
ただ勉強に明け暮れする事では無かった。
まず銃を習い格闘技を覚え自分の身は自分で守る事を思い知らされた。
『二人の検校』 仮題
現在の岐阜県、東北部の町。
飛騨の下級武士斉藤家に可愛い男の赤ちゃんが二人生まれた。
「おぎゃー」と泣いた時 斉藤健四郎は「ちっ畜生腹か」と不快に思ったのである。
二人とも盲目であった。
当時は双子、三つ子に至っては犬、猫と同然、一人を残し何処かにその内の一人を里子に出すか捨てるのが普通である。
だが健四郎は違ってた。
「畜生腹の子など見たくも無い」一人を寺の住職に渡し もう一人を小船に乗せ流したのであった。
住職は『捨吉』と名を付け大切に育てたのである。
「いずれ歳が来たら針灸とアンマを習わせ身の立つ様にしてやろう」と・・・
又もう一人の赤子は浜辺に打ち上げられた船の中で瀕死の状態で漁師の和助に拾われたのであった。
和助の家は子沢山でこれ以上育てる力は無い。
そこで庄屋の宗次郎に相談したのである。
宗次郎は名字帯刀を許された庄屋だった。
儀に厚い男気のある男だった。
「よし、俺の家で面倒を見てやろう、船で流されて来たのであろう、名前は舟一がよかろう」
それぞれの落ち着く場所が決まったのである。
それから7年の月日が流れた。
舟一は多少 薄ボンヤリとであるが眼が見える様になった。
彼は五感を鋭く働かせ一通りの事が出来る様になっていた。
宗次郎は将来彼の身の立つ様にと城下の検校孫弟子のアンマの内弟子として預けたのである。
そこで針灸マッサージを習い『アンマ』としての修行を積ませる事にしたのだ。
宗次郎は常に「お前は確かに眼が弱い、見えると言っても たかが一尺程度であろう、一生懸命修行してアンマとなるが良い」と言ったのだった。
一方 捨吉は完全に眼も見える様になってはいたが盲目の方が何かと云えば都合が良い。
皆の同情も買う事が出来る。
仕事も適当にやってても「めくらじゃ仕方がない」と大目に見てもらえるのである。
それに甘えて楽な暮らしをする事を考えていたのだった。
やはり針灸の修行に出されたのであるが夜は必ず寺に戻っていた。
通いで教えを受けていたのだった。
時々住職の肩を揉んだり針灸を施したりして修行方々他の先輩坊主に喜ばれてたのである。
噂を聞き付け尼寺からもお呼びが掛かる様になった。
そして普通なら元服の歳になった。
彼も年頃の青年になったのだった。
そうすると男の本能が眼を覚まし若い尼さんの急所近くを軽く刺激する。
余計尼さんの人気が集まる。
そして腕の確かさと人気に支えられアンマとして自立し花柳町の一角に家を手に入れたのであった。
当時、金貸しは アンマのみに許されて居た行為だったのである。
勝手に村岡検校と名乗った捨吉は呉服屋美濃屋に取り入り 豊富な資金で金貸業にも手を染めて行ったのだった。
美濃屋に取っても金が儲かればそれで良いのだ。
検校と手を組めば蔵の中の金はどんどん増えて行く。
こんな美味しい商売はない。
暴利で稼ぎ 取り立ては地元のごろつき達を雇い入れ容赦なく取り立てる。
寺社奉行も町奉行も検校の鑑札(実際には持っていなかったが)には手が出せなかった。
それは幕府が認めたもので有ったからである。
捨吉は時々尼寺に顔を出した。
それは若い尼さんに異常に興味を示したからに他ならない。
有ろう事か、尼さんの数人のお腹が大きく成って行く。
住職は「これは困った、捨吉をこのまま放置していく訳にはいけないな」と・・・
住職自身、呑む、打つ、買うの三拍子の男だった。
捨吉が居ると何かと厄介な事になる、と考えたのである。
こうして寺への出入りを禁止したのであった。
だが捨吉はお構い無しにやって来る。
そして「和尚 今飲んでいる般若湯は誰のお蔭で飲めるんだ」「俺が居なければ飲めないのを忘れるな」と脅迫するのだった。
これには住職も返答が出来なかった。
住職の楽しみは只一つ、酒を飲む事そして女であったのだ。
密かに生まれた赤子を里子に出すより仕方が無かった。
それをいい事に捨吉は寺に於いても我が物顔に振舞う様になって行った。
檀家の中には金に困った商家の者も居る。
言葉巧みに金を貸し 最後には家を乗っ取るのである。
こうして瞬く間に大きな財産を築き上げたのであった。
一方 舟一の方は宗次郎の躾も厳しく又 師匠の指導もよく 爽やかな青年となっていた。
しかし何時もの如く「私は少しながら眼は見える、本当に検校になれるのだろうか?」と悩んでいたのである。
だが藩公は許した。
「何時か上様にお目見えの折には引き合わせて検校の鑑札を頂ける様 口を利いてやろう」と・・・
それには宗次郎の働きかけもあったが 人間として人々から慕われ立派な施術をする事が藩公の耳に入ったからであった。
「情けは人の為ならず、天にツバを吐けば必ず自分の身に降り懸ってくる、先ず立派な人間になる事だ」
何時も宗次郎に諭され誠心誠意施術に精を出した。
名も橘舟斎と改めこの城下町に施術所を構えたのだった。
橘姓は宗次郎の姓である。
彼も又金貸しもしたのであるが決して暴利をむさぼる事は無かった。
何時も白い杖をつき笛を鳴らして夜の町を歩いたのだ。
そして「あんまさん 頼むよ」と言われれば貴賎上下の別無く一生懸命働いて帰るのである。
人々はそんな舟斎を頼り、慕う様になって行った。
毎晩その笛の音を聞くと何故か安心するのであった。
ある日 若殿が野掛けに出ようとして城下を通り過ぎようとした時、農夫の大八車に馬前を塞がれた。
若殿は大層立腹して家来に首を刎ねる様命じたのである。
それを知った舟斎は「一時の怒りで領民を粗略に扱うのは領主様のする事ではありません」といさめたのであったが、若殿の怒りは収まらず舟斎は首に縄を打たれ城内の牢につながれる事になってしまった。
だが一晩じっくり考えて「そのアンマの言う事はいちいち最もだ、予の間違いだった」と開放されたのである。
それから後 城内への出入りも許され 侍たちにも針灸 整体 アンマを施す事を許されたのであった。
「おい、舟 予にもアンマを頼むぞ」若殿からも声がかかった。
そうして舟斎は城内でも不動の位置を占めて行ったのだった。
腰元『おみよ』が舟斎に気がある様だ。
大殿が家臣からそれと無く聞いてみると どうもその様である。
おみよは下級武士の娘、特別目立つ方ではないが良く気の付く娘であった。
「舟斎が気に入れば一緒にさせてやれ」と殿のお墨付きを貰った舟斎は非常に喜んだのである。
宗次郎も鼻が高かった。
城中からお嫁さんを頂く事は苗字帯刀を許された身とは言え所詮農民である。
それが当時 如何に名誉な事か計り知れなかったのだ。
盛大な祝言を挙げた。
おみよの家でも下級武士とは云え武士である。
町家の嫁に出すには多少の抵抗はあったものの殿の命令となれば従わざるを得ない。
そこに持って来て暮らし向きは楽ではなかった。
おみよの結婚によって多少でも楽な暮らしが出来る方を選んだのである。
舟斎はおみよを宝物でもあるかの様に大切にした。
又 おみよも好きな人に可愛がられて幸せ一杯だった。
捨吉は、と云えば益々図に乗るばかり。
由緒ある寺であったが博徒たちと組んで賭場は開く、尼を男達に抱かせて金を取る。
住職に「もっと大勢女を集めて来い」と迫る。
瞬く間に歓楽の館と化してしまったのである。
元々眼が見えるだけに始末が悪い。
寺社奉行が来た時には哀れなめくらに転ずるのである。
そして袖の下に金子を入れ揉み手をしながら目を瞑って貰うのであった。
檀家は離れる一方、だが良くしたもので好き者と博打好きの者は集まって来る。
結構繁盛したのであった。
何時か自分が修行したあんまの方はほとんどしなくなった。
唯 女を喜ばせる道具に使うのみであったのだ。
それから三年後、寺社奉行が代わった。
清廉潔白なその奉行はまずその寺を急襲したのであった。
命からがら逃げ出した捨吉は仲間のごろつき共と手を組み全国の泥棒行脚に出掛けたのである。
途中で出会った手だれの浪人須藤伊之助を仲間に加え、毎日剣術の修行をし 西へ東へと所構わず襲って歩いた。
彼等は一日として一箇所に留まる事はしなかったのである。
日本全国皆彼らの標的であった。
昼間は笛を吹き盲目のアンマが商家の辺りを廻って歩く。
これ と狙った家には特に念入りに調べ、闇に紛れて凶族と成り悪逆非道の働きをして消える。
若い娘、女房などは担いでさらって行く。
翌日には見るも無残な姿で死体となって町外れに捨てられていた。
取り方が駆け付けた時にはもう領外に逃亡した後である。
一藩だけの問題では無くなった。
そこで関八州取締役の出番となったのである。
片っ端から彼等の泊まりそうな宿を調べた。
だが何処の宿帳にもそれらしき者は泊まってはいない。
「これは何処かに何箇所か拠点を持ってるな」そうなると船宿から空き家の一軒一軒を調べねばならない。
被害は西国の諸藩にも広がった。
10人か20名かも判らぬ、名はおろか素性も判らぬ・・・
たかが鼠一匹と思っていたが大変な事になった。
これを処断しなければ幕府の威信にも関る。
全国の裏柳生にも協力を仰いだ。
恥ではあるが形振り構ってはいられなくなったのだ。
ある情報が手に入った。
凶族の入った家には必ず前日からアンマが笛を吹く、と云う。
早速裏柳生が動いた。
そして北陸のある町で捨吉と云う名前が浮かんだのである。
しかし住職は既に世を去っていた。
だがその周辺から妙な噂が入って来たのだ。
尼寺の女達が次々と子供を産んだと云う事、夜鷹の群れが夜な夜な集まっていたと云う事実。
本堂で大掛かりの博打が行われていた事など・・・
寺社奉行が乗り込んだ時には主だった者達は皆逃亡した後だったと云う。
そこで手掛かりはぷっつりと切れている。
だが人相書きはある程度取れた。
その頃 舟斎は妻おみよを同行して参勤交代の中に居た。
藩公の計らいでおみよも一緒に江戸の地に向っていたのである。
「将軍様のいらっしゃる江戸って大きいだろうね」「うん、きっと素敵にな所なんだろう」
そんな他愛もない話を道中したのであった。
しかし舟斎にはそれを見る事が出来ないのが悔しかったのである。
「おみよ、しっかり見て話しておくれ」「本当 旦那様の分までしっかり見ないとね」
それを聞いてた同行の侍が「舟斎殿は空気で分かるんではないかな」と笑った。
楽しい江戸入城の旅であった。
鍼灸師アンマの町人を参勤交代に交えての旅は前代未聞の事であった。
だが、この旅は彼の運命を揺さ振る厳しいものとなろうとは未だ誰も気付いていなかったのである。
藤沢の宿に着いた時、藩公の処に八州取締りのお役人が来た。
そしてアンマ舟斎が如何なる人物か尋ねたのである。
前日この町で 押し込み があったと言う。
済んでの所で取り逃がしたが黒覆面の下の顔が舟斎の顔にあまりにも酷似していると言った。
怪我をさせるには至らなかったが覆面を切り裂いた時の顔が舟斎に似てると・・・
だが彼は参勤交代の中に居た。
「ふしぎな事もあるもんじゃのう」「しかし良く似てる」と八州廻りは去って行ったのである。
旅の荷を降ろし街を散策する事になった。舟斎には二人の武士が同道してくれる事になった。
盲目の彼におみよ一人では心許ない。
藩公の計らいである。
流石 将軍様のお膝元である、街も立派であるが活気がある。お堀の周りを廻っても結構な距離だ。
こうして最初の一日は終わった。
時あたかも紀州より吉宗公が将軍職に付いたばかりの年、数々の改革が行われようとしている時であった。
一通りの拝謁も終わり近くに「どうだ、世間の暮らし振りは如何なものかのう?」「それは上様のこれからのお心次第で御座いましょう、領民が良くなるも悪くなるも全て政り事に掛かって御座います」舟斎はそう答えたのであった。
「予は針を打った事がない、一度試してみてくれんか?」「何処かお悪いところでもありますか?」「いや、何処も悪くは無いが、どうじゃ試してくれんかのう」
「悪い所が無ければ試す必要は御座いません」「無用な針は却って身体に悪う御座います」
結局一番年寄りの老中酒井和泉が施術を受ける事になった。
「おう これは楽になるのう、殿 この先は舟斎をお召抱えになられたら如何かと・・・」
こうして謁見は終わったのである。
藩公も上首尾に終わった事に機嫌がよかった。
「おい、検校 お前の隠居は何時だ?」吉宗は検校にそう言った。
「まだまだ先で御座います、そう 5年は後になりましょうかな」
笑って「今の若者 お前が育ててみる気は無いか?」「そうですなー・・・それは上様次第で、私は異存は御座いません なかなか良い若者だと思いますが」と・・・
吉宗は即断した。
「当分江戸屋敷で預かる、国表に帰る事ならん」と。
藩公は喜んだ。
「連れて来た甲斐あった」と、将軍吉宗の目に留まったのである。
出世の見込みが付いたのだ、と云う事は我が藩にも名誉な事だと。
微禄ながら士分に順ずる扱いを受け屋敷まで賜ったのである。
国表では大変な騒ぎとなったのだ。
「公方様に認めたれた」「江戸城に勤められる事になったそうだ」
宗次郎はもとより おみよの父尾形寛兵衛も禄高も増え大喜びをしたのであるが離れて暮らす事への淋しさも有ったのである。
凶族一味はここ暫く事件を起こしていない。
それが又 何とも不気味であった。
八州取締役も裏柳生も捜査の手の打ち様も無く困り果てていた。
そして三年の月日が経った。
この頃から金細工師の行方知れずが各地で頻繁に起きるようになっていた。
蒸発か・・・?かどわかしか・・・?判らぬが家族全員消えて無くなるのである。
これも又不思議な事である。
普通 かどわかしであれば家族全員と云う事はない。
必ず職人だけが狙われるのである。
だが家族の全てが一晩で居なくなると云う事は今まで例が無い。
不思議な事件であった。
舟斎は毎日古典芸能から浄瑠璃、下々の生活ぶりなど学ぶべき事は一杯あった。
検校と云うものはあらゆる事を知らねばならぬ。
唯 針灸アンマが上手だけでは勤まらない。
大変な仕事である。
おみよと共に街に出掛け珍しい話題や人々の暮らしぶりを仕入れて来て吉宗に話すのであった。
こうした話は表向きの政には直接影響は与えない。
だが将軍職にある者に取っては知っておく必要があったのだ。
その為 直属の間者も陰では活躍してたのである。
そして5年の月日が流れた。時の検校 村下は隠居願いを申し入れたのであるが舟斎は「まだまだ学ぶ事が多く御座います、もう少しお師匠様にご指導願います」と吉宗に願い出たのであった。
吉宗も快く了承して「好きに致せ」と二人に任せたのだった。
一年後、名実共に立派な検校職を継いだ舟斎は 名を橘検校様と呼ばれる様になっていた。
「なあ 検校よ、凶暴な族の一人がお前に似てると聞いたが気に入らんのう、早く何とか捕らえて仕置きしないとお前も落ち着かんだろう」
その年金座が襲われ10満両余りが盗まれた。
将軍はそれを指してそう言ったのである。
が 今回の事件は今までと違った幾つかの疑問があったのだ。
まず金座の中に手引きした人間が居たのでは無いか?
そして無駄の無い動きをしてる、順路を知り尽くした人物が居たのであろう。
そこで向こう三年以内に雇い入れた職人の身元を洗う事にしたのである。
するとその中に身元知れずの男が二人居たのだった。
その男達は事件と共に姿を消している。
雇う時に立ち会った勘定方の人物を厳しく吟味した所、何と袖の下を受け取っていた事が判明したのである。
紹介したのは江戸のはずれに住む さして大きくも無い口入屋であった。
だが取り方が向った時には既に店を畳んで姿を消した後だった。
捨吉の身元もしかりと洗われた。
だが当時を知る者は殆ど亡くなっている。
僅かの手掛かりを手繰ってやっと村岡検校なる人物が居た事が判ったのである。
しかし寺に預けられたとなると必ず生みの親が居るはずである。
草の者が耳寄りの情報を齎した。
今を去る30年程前、飛騨天領の地の地侍、斉藤某なる人物に双子が生まれたと云う。
だが出生届もなされず その双子は行く方知れずになってしまったと・・・
そのうち一人は離れた地の寺に預けられたとの情報である。
それが捨吉であろうと。
しかし父母は既にこの世を去り 代替わりをしてそれ以上の情報は得られなかったが ほぼ間違いの無いことである。
もう一人は・・・誰にも判らぬ事であった。
八宗取締役は宗次郎の家を訪れた。
「心当たりは無いか」と・・・
しかし宗次郎は「間違い無く舟一は我が子で御座います」「他人の空似と云う事も御座いますからなー」と・・・
出世した我が子を思いやる親の心がひしひしと伝わってきたのである。
八州廻り 相馬孫四郎は全てを理解した。
捨吉と橘検校は双子の兄弟である、と・・・
しかしそれを胸に仕舞い込んだのであった。
一生懸命努力して検校にまで上り詰めた男とその父親宗次郎の愛、おみよの姿が眼に浮かんだ。
この平和な家族を刑場に送るのは忍びない(当時は凶悪犯の場合 一族郎党皆処刑されたのである)彼はこの家族の事は報告しないで地獄の底まで持って行こうと心に決めたのであったが。
八州取締役も人の子である。
「もし自分に双子の兄弟が居たら、それが凶悪犯であったなら・・・」御定法にも多いに疑問も持った。
しかしそれを守らねばならない。
仕事の過酷さを感じたのである。
そんな時 隅田川の畔に大量の小判がばら撒かれると云う前代未聞の出来事が起きた。
多くの群集が押し掛けそれを拾っていると云う。
すぐ役人が回収したが その金額は数千両にも及んだと言われたのである。
金座の者が調べたところ、それは全て贋金であったと報告が上がった。
何処かに大掛かりな偽金作りの一味がいる。
不思議とそれが凶族が姿を消し、金細工師の蒸発、そして金座の盗難事件・・・流れは一致する。
江戸町奉行所、関八州取締り、裏柳生、総力を挙げ一致団結して捜査を開始した。
裏柳生では(仮説ではあるが)山深い所に住む平家の落人部落に関係してるのでは・・・と・・・
八州取締りの方ではそうした落人に成済まし部落を作り贋金を作っているのでは、と考えた。
町奉行所では他に贋金が出ないか捜査を強化して細工師の足取りを追ったのである。
大阪奉行所から思わぬ情報が飛び込んできた。
下町の細工師が旅発つ前「甲府金山に行く」と言ったのをちらりと聞いた近所の女房が居ると・・・
早速柳生が動いた。
が しかし相馬はそうは思わなかった。
「自分の地の利のある隠れ里、そう奥飛騨の何処か・・・きっとその地で大掛かりな偽金作りの集落があるのでは無いか?」
日本全国 落人部落はある。
当時はそれを調べるのも大変な時代だったのだ。
平家の落人部落ばかりでは無い、関が原の合戦で破れた西軍の子孫の者達、皆山奥でひっそりと隠れ住んでいた。
又 現在の様に道路網が発展している訳では無い。
人跡未踏の地など幾らでもあった。
そこで村里に買い物に降りて来る人間達を捜す事になる訳だ。
それは気の遠くなる様な作業である。
又 村人の口も堅い。
なかなか「はいそうですか」と話す人間などめったに居ない。
金でも掴まされていれば尚の事である。
吉宗も越前守を交えてこの問題に付いて協議を重ねていた。
はかばかしく行かぬ捜査に苦渋の色を浮かべて。
下座に座っていた舟斎に「のう検校、お前だったらどんなところに隠れるか?」と・・・
舟斎は「私はそんな恐ろしい話は知りませんが 誰でも古里が恋しいもので御座いましょう」「出来るなら古里近くの山中に隠れようとするでしょう」と答えたのである。
「うーん、帰巣本能と云う奴か・・・」その後も協議は続けられていた。
舟斎はこの頃城中での信頼も厚く常に吉宗の傍らに居たのだった。
柳生、関八州の精鋭達が飛騨山中に出発したのはその二日後の事であった。
飛騨高山のはずれで須藤伊之助なる浪人が寺子屋を開いていた。
さほど生徒が居る訳ではないが悠々自適の生活をしている。
だが不審な動きをしてる訳では無い。
時々物売りがお茶を飲んで帰る程度だ。
しかし下呂近くで少し逗留して姿を消している。
ひなびた温泉宿の事である。
街道を少し歩けばもう両側が山の木々で覆われている。
そして谷川のせせらぎと鳥の声が聞こえるだけの所だ。
人の往来も少ない。
何処でも隠れる場所はある。物売りは辺りの気配を察し姿を消したとみえる。
そんな時、近江の豪商、尾張の両替屋が立て続けに強盗に入られた。
「我々は住吉検校だ、覚えて置け」片方は「五月雨検校だ」と名乗ったそうだ。
八州廻りは「これは模倣犯だな」余計混乱を招く 一味を早く捕らえなければ幕府の威信も地に落ちるな、と焦りの色を濃くしたのであった。
子供達の遊びにもそれは表れた。
「我こそは検校である、掛かって来い」すると取り方役の子供達が切られる単純な遊びであるが、これには町奉行所も苦りきった表情を隠せなかったのである。
名奉行として知られる大岡も子供達が悪を賛美する様な遊びが流行る事は許せなかったのだった。
西国と奥羽地方から贋金が大量に見付かった。
此処に来て吉宗が長年抱いていた貨幣鋳造に於いて より精巧な小判の鋳造に踏み切ったのである。
世に言う『享保の改革』を断行したのであった。
重役たちの世襲制廃止、業績著しい者には禄高の増加、功績の無い者は当然禄高を減らされる事となった。
疲弊した経済を立て直す為 又贋金作りの息の根を止める為 そして軽輩者の士気を高める為には相当の効果があった。
今まで高禄で召抱えられていた者も安閑としては居られなくなった。
賄賂を貰い私腹を肥やしていた者は厳重に処罰されたのである。
功罪併せ持つ改革ではあったが 腐りかけた江戸幕府の持つ膿を出し切ったのは確かであった。
多くの原野が開墾され、治水工事も行われた。
特筆すべき事は生活苦により医師に掛かる事の出来ない病人、怪我人に負担をかける事なく 養生所にて治療が受けられる様になった事であろうか。
そして薬治園を作り薬草の栽培に力を注いだ事である。
毎年の事であるが土砂の氾濫により禄高が一定の水準を保つ事が出来ない。
護岸工事も徹底して行われた。
そうした吉宗の改革は多くの有能な家臣を持つ事により実を結んだのであるが、反対勢力の抵抗も又激しかったのも事実である。
『火事と喧嘩は江戸の華』と言われる様に火災の被害も多かった。
それを解消する為に江戸火消し制度が確立されたのである。
そんな時 宗次郎が病床に着いたのだった。
急ぎ駆け付けた舟斎に彼は驚愕の事実を打ち明けたのである。
「お前の父君は何らかの事情により お前を捨てざるを得なかったのだろう、海の入り江に漂う舟の中に絹の産着を着て死の淵をさ迷っていたのだ」「きっとお侍の子であろう・・・」「が わしはお前が可愛い 盲目のお前が不憫でならぬ」と・・・
宗次郎は静かに息を引き取った。
舟斎は関八州取締役 相馬孫四郎に「是非私の生みの親を探して欲しい、ぜひとも会ってみたい この世に送り出してくれたお礼も言いたいのだが」と申し入れたのである。
しかし孫四郎は「世の中には知っていい事と 知らないで居た方が良かったと言う場合がある、検校殿が後で苦しむ事になっても宜しいのなら・・・」と、その時は教えてくれなかった。
だが舟斎の出生の秘密を知る者は八州廻りにはそれと無く知ってる者も居たのだ。
孫四郎は大岡に相談したのである。
大岡も「罪の無い者でも御定法では罰せられられなければならんからのう、不憫じゃが・・・さて、どうするか」と思案した。
一応「御両親は亡くなられたそうだ」とだけ答えて納得させたのであった。
境港から大量の武器が数度に渡って何処かに買い付けられて密かに送られている、との情報が入った。
すぐ裏柳生、八州廻りが探索に当たったのであるがどうも半端な量では無いらしい。
街道筋を徹底的に検問を強化したのであった。
牛に引かせて荷車が通る。
轍の跡が異常に深い・・・美濃国境の事である。
農家の人間にしてはそれに付き添う人数も多い。
役人が不審に思い前を遮った。
すると先頭に立ってた役人が中の一人に短筒(拳銃)で撃たれたのである。
「すわっ大事件」と後方の一人が関所に向って走り出そうとした時 林の中から銃弾が一斉に浴びせ掛けられたのだった。
轍の深い車からも銃が取り出されあえなく役人達は撃倒されてしまった。
何時の間にか落人部落と関が原西軍の子孫の面々が手を組み、この地帯一帯に治外法権の地域が出来ていたのである。
幕府から独立して新しい国家樹立を目指している、と見た方が良いだろう。
それは徳川治世の始まりから豊臣方への徹底的な弾圧、それを逃れた者達が山中に隠れ住み 子孫たちが何時かは又乱世が来る事を夢見て 虎視眈々と機会を伺っていたところに捨吉の出現により同調する者が集まったからに他ならない。
ここに壮絶な柳生、関八州連合軍との戦いが始まったのであった。
時を同じくして数度の江戸の大火があった。
これも付け火である。
将軍家のお膝元での騒ぎは多いに人々の不安を煽った。
此処でも吉宗の作った町火消しが多いに活躍した訳だが根本を絶たねばならない。
火回りを厳重に火消し達は定火消し(武家屋敷を守る)と共に夜回りを強化したのだった。
飛騨から信濃山中の至る所に監視小屋がある。
裏柳生の精鋭達がひとつずつ潰してゆく。
一方的に向こうが有利な中で夜陰に紛れ制圧していったのであった。
まさに血で血を洗う壮絶な戦いである。
神君家康公以来の戦いだった。
村岡検校こと捨吉は豊富な資金と強力な部下を持ち山中の戦には精通していた。
だが山岳戦は裏柳生の最も得意な戦いである。
次々と監視小屋 そして隠れている場所を攻撃したのだった。
しかし彼等の鉄砲隊の前に相当苦戦したのは間違いない。
累々たる屍の山が築かれた。
山砦間近まで攻め入ったところ思わぬ落とし穴が待っていた。
空堀が掘られそれを渡る事が出来ぬ。
下手に踏み込めば上から大きな網が被せられ鉄砲の餌食になるのだ。
そして何処からとも無く後ろから攻撃される。
それを指揮しているのが須藤伊之助であった。
「やはり唯の鼠では無かったか、先に捕縛して置けばよかった」柳生の面々は歯軋りを噛んで悔しがった。
地下壕が縦横に掘られ其処から敵が現れて消える。
柳生の精鋭達も一時退却を余儀なくされたのである。
大岡は舟斎に断腸の思いで彼の出生に纏わる事実を告げていた。
「お前の双子の兄弟が今 世間を騒がせている凶族の頭なのだ、お前には何も罪は無い、だが今の御定法に照らし合わせるとどうしても此の侭には捨て置けん」「辛いだろうが蟄居謹慎して居ってくれんかのう」「上様も痛く気にしておいでじゃ、判ってくれ」と・・・
舟斎は驚き又悲しんだ。
「私も当然罪になりましょうね」「妻の処遇はどうなりますか?やはり離縁した方が宜しいでしょうな・・・」
「いや 上様には何かお考えがある様じゃ、そこまで考えなくとも良いと思うが」と言って去って行った。
舟斎には七歳と五歳の息子が居た。
妻の行く末も心配ではあったが二人の息子の事が一番気懸かりな事であったのだ。
自分はきっと処刑されるであろう、だが妻と息子は何とでも守り通したかったのである。
突然の事であった。
深編笠の男が舟斎の家にやって来た。
後ろには大岡越前守も居る。
上様であった。
吉宗は「法とは不便な物よのう、罪もない者も罰せられなければならないとは・・・ま、悪い様には致さぬから少し休みだと思って短慮は起こすまいぞ」と励まして帰った。
舟斎は涙を流しその言葉を噛み締めて聞いていたのだった。
八州廻り達は山裾の穴と云う穴を全て塞いだ。
そして須藤伊之助以下配下の者をことごとく捕縛、斬捨てたのであった。
後は兵糧攻めと突破口を開く為の空堀を埋める作業に取り掛かったのである。
夜陰に紛れて投降して来る者が出始めた。
が しかし見付かれば後ろから銃で撃たれ幕府の陣営までたどり着く者はごく僅かだった。
捨吉は叫んだ「我は村岡検校なるぞ!この地で独立国家を建国する、難攻不落のこの山城を落としてみるかっ、これ以上死人を出すと云うならそれも良し」「黙って去れば犠牲者は無くなるがどうだ」
それは自軍を鼓舞するものであったが まだ戦い続ける決意の表れでもあったのだ。
暫く一進一退の攻防が続いた。
やっと空堀の一部が埋められ突破口が出来た。
先陣を切った一団が渡り終えた途端、大音響が鳴り響いたのである。
其処には既に爆薬が仕掛けられ最初の幕府の侍達があえなく犠牲となってしまったのだった。
又ひとつ大きな空堀が出来た感じだった。
下手に攻めれば犠牲者が出るばかりだ。
八州取締りは兵糧攻めの道を選んだのであるが裏柳生は強行突破を主張したのである。
これは手柄を何としてでも柳生の手で上げたかったからに他ならない。
が しかし今は功名争いしてる時期では無かった。
何としてもこの集団を殲滅させねばならない。
遂に兵糧攻めに決定した。
「これは関が原以来の大戦だなー」勿論関が原が どの様な戦であったのか知ってる者は居なかったが皆口々にそう言ったのである。
ここで捨吉の心の軌跡を追ってみる事にしよう。
彼も又鍼灸とアンマで身を立てようと思った。
努力して検校になる事を夢見た時代もあったのだ。
が しかし世話になった寺の住職は無類の酒好き、そして女好きときてる。
一時はそんな生活も悪くないな と思った事もあった。
アンマの腕は確かなものを持っていた。
そして金貸しも巧く立ち回り相当の利益が上がる。
だが彼の野心はそれだけで終わらなかった。
この寺を乗っ取り自分の好きなように生きる、もっと金儲けをして近隣の町に一大歓楽街を作ろう。
元々かれも無類の女好きだった。
が 寺社奉行によってその計画は潰されてしまった時 思い立ったのはその時の仲間と盗み働きする事だった。
現代と違って夜になればどんな町でも夜回りが時間通りしか廻って歩かない。
その間隙を突いて盗み働きをするのであるが面の割れるのを恐れ皆殺しの凶族と化したのである。
拠点は人の判らない山に作り夜陰に紛れて行動したのだった。
あまりにも巧く事が運ぶのが面白く自分達の犯行を誇示したくなって来た
そこで生まれたのが『村岡検校』一味の名を世間に知らしめる事である。
ある時、役人に追われ山深くの村に逃げ込んだ時である。
その村は豊臣恩顧の者達がひっそりと隠れるように住んでいたのだった。
捨吉は其処の古老から思わぬ事を聞いたのである。
「山深く入れば幾らでもそんな村がある、又戦でも始まればおそらく決起する者も居るであろう」と・・・
徳川の世にもまだこうした人間が大勢居る事を知ったのだった。
享保の改革により 年貢の取立ても四公六民から五公五民に変わった。
農家の不満も相当きついものがある。
落人達を束ねて決起すれば農家の一揆も起きるんではないか・・・
山国では不平不満の者が五万といる。
後は資金と武器さえあれば・・・外様大名の中にも呼応して立ち上がる者も居るだろう。
野心がふつふつと煮え返ったのであった。
そして着々と準備が始まったのであるが、最初の目論みでは西国大名、東北の各地から火の手を挙げるはずのものが動かなかったのである。
だが回りだした歯車はもう止める事は不可能となってしまったのだった。
大きな誤算であった。
原因のひとつには素性の判らぬ彼の話に何処まで信用して乗ってよいか?と云う事と朝廷の後ろ盾が無かった事にある。
西国大名の中には不平不満を持つものは結構居たのであるが朝廷の後ろ盾を得て徳川家を逆賊としなければ大義名分が立たない。
捨吉のもくろみはその時点で失敗したのであった。
幕府に取っても吉宗が将軍になる以前には腐ったリンゴになりかかっていたのだった。
が 見事にその危機を乗り越えたのである。
元禄以来の政治体制の悪弊が一掃される目前に起きた事件だった。
諸大名に取ってはこれは大変な脅威であった。
旗本八万旗が動く事無く鎮圧されたと云う事は徳川の底力を多いに見せ付けた事になる。
さて砦の方であるが まさに血で血を洗う激戦の末 大抵の者は捕縛され斬り死にし、自刃して果てたのであった。
その中に在って捨吉は最後まで命を惜しみ盲目の振りをして哀れな姿をさらしていたのだった。
砦の中は意外に広く五つの集落でもって成り立っていた。
その一角に鋳造工場を持ち其処には多くの家族が生活を共にしていたのである。
皆 これ程の大事件とは思っていなかったのだ。
彼らは 借金をし、その証文を捨吉が買い取ったと云う訳だ。
そしてこの鋳造工場に連れて来られた訳だが家族全員で暮らせる事で満足していた様であった。
特別抵抗する事も無く連行されたのである。
大岡の取調べが始まった。
「さて 捨吉・・・いや村岡検校かな、ま どちらでも構わぬ お前が盗み働き 贋金作りの頭目に間違い無いな」「いえ 私はこの通りめくらで御座います、全ては須藤さまの御言いつけ通り動いただけで御座います」「何を申す、お前に出会わなければ拙者は静かに寺子屋をやってたものを」
お互いが罪のなすりあいである。
その中で父母の死が捨吉の仕業と云う事も判ったのであった。
一刻ばかり黙って聴いていた大岡は「頭目捨吉、聞き捨てならぬ事を申したな、父母に会ったと申したが何故殺したのかその訳を言ってみろ」「捨てられたからか?それとも他に訳でも有ると申すか?」「めくらの私を捨て 健常な弟が跡継ぎでは理不尽と思いませんか、御奉行様でもそう思われませんか」「何でも畜生腹の子と聞きましたが私の弟は何処にいるのやら やっぱり憎んでも憎みきれない相手で御座いましょう、御奉行様ならどうなさいますか?」「八つ裂きにでもしたいと思うのが普通でしょうが」
「その通りじゃ 今わしがお前を八つ裂きにしたいと思っているのも勝手じゃ だが此処は御白洲じゃ、思いと裁きは別じゃて」「多くの罪も無い人を殺めた罪をどう弁解致すのじゃ、わしはそれを聞きたいがのう」「それともそれで世の中が変わると思ったか」
「・・・・・・」
「捨吉っ!」突然大岡は捨吉目掛けて扇子を投げ付けた。
咄嗟に捨吉は眼を開け扇子を避けたのであった。
ニヤリと笑った大岡は「やはり」と言ったきり何も言わなかった。
それから一人一人吟味が始まったのである。
そして刻限も迫った時、越前は言った。
「裁きを言い渡す、須藤伊之助以下十八名 打ち首獄門、後の者八丈島終生遠島を申し付ける」「彫金師一同三宅島遠島」「全員引き立てい」と叫んで白洲は捨吉一人になった。
そして捨吉には「引き合わせたい者が居る、暫し待て」と・・・
「橘舟斎これへ」と呼んだのであった。
「捨吉、この顔をよく見ろ、お前に瓜二つと思わんか」「お前の双子の兄弟だ、今生の別れをして置け」「ここに居るのが本物の検校 橘舟斎じゃ 覚えて置け」と言って席を立った。
そして陰で聞いてた吉宗とそっと様子を伺っていたのである。
「兄者で御座いますか?何故そんな恐ろしい事をなさっていたのですか?」「ケッ、生きてやがったんか、何処で何してるんだ、どうせこそ泥位の事で捕まったんだろう」・・・「何故父上と母上を殺めたんですか、私も一目会いとう御座いましたのに」「お前 憎くはないのか、捨てられたんだぞ」「いえ、一度会ってこの世に生を受けたお礼を申しとう御座いました」「この糞たれめが 何が礼だ、お礼は夾竹桃の汁を飲ませてしてやったぞ、お前の様な者兄弟でも何でも無い とっとと失せろ」
そこへ大岡が現れた。
「橘舟斎、お上を謀りおって不届きな奴だ、お前の本当の親は橘宗次郎であろうが、早々に下がりおれ」と白洲から引き出されたのである。
「裁きを言い渡す、村岡検校事捨吉、張付け獄門 尚 首は百日間晒し物とする事とす」
誰も居なくなった白洲では舟斎と大岡が万感の思いで見詰め合っていた。
「なあ、舟斎、当分は寄せ場送りになるが辛抱しろよ、御政道に照らし合わせても此処までが限界じゃ、許せ」と大岡は深々と頭を下げたのだ。
「もったいないお言葉 感謝致します」舟斎は流れる涙をどうする事も出来なかった。
「御妻女と子供の事だが心配には及ばん、わしが面倒を見るから安心して務めを果たして来い」「これからは市井の人間になるのじゃ、名も忠乃市と改めよ」と。
「寄せ場には大勢患者がいるぞ、その面倒を診てやれ」 大抵は罪人には手首に墨を入れたものである。
だが彼はそれも許されたのであった。
「お前の子は大層利発なそうじゃな、何れ士分に取り立てて しかるべき要職に着いて貰うゆえ安堵致すがよい」吉宗はそう言ったのであった。
大岡は「三年なんてすぐ経ってしまうものじゃて 真面目なそなた故 一生懸命励んでいれば戻った時に役にも立とう」と・・・
最初は幕府方の間者と訝る者もいたが彼の施術を受けた者から次第にその噂も消えていった。
寄せ場の仕事は本来海であった所の干拓である。非常に辛い仕事だった。
だから腰痛、肩、腕の張りがひどい。
忠乃市は丁寧に鍼灸を施し少しでも楽になるように施術した。
その甲斐有ってか評判も上々だった。
そして三年後、木場の近くに鍼灸の木札をぶら下げた診療所を構えたのであった。
最初は患者もなかなか来ず 夜の町を笛を鳴らして歩いたものだ。
ある日 立派な籠に乗った侍が訪れた事から事態は一変したのである。
「頼もう、忠乃市殿はご在宅かな、少し針を打って貰おうと思って参ったが・・・」大岡越前であった。
すぐそれが評判になったのである。
「あの先生は鍼灸の偉い先生だそうだ」「では私達も行ってみるか」たちまち町中の噂になり患者は増えた。
もう夜 笛を吹いて歩く事も無くなった。
長男は元服後、勘定方の武士に取り立てられた、二男も何れお城の土を踏む事になろう。
忠乃市こと舟斎は市井の片隅で妻共々静かに幸せを噛み締めていたのであった。
しかしこの事件は歴史の闇に葬られ何処にもその記録は無い。
-完ー
現在の岐阜県、東北部の町。
飛騨の下級武士斉藤家に可愛い男の赤ちゃんが二人生まれた。
「おぎゃー」と泣いた時 斉藤健四郎は「ちっ畜生腹か」と不快に思ったのである。
二人とも盲目であった。
当時は双子、三つ子に至っては犬、猫と同然、一人を残し何処かにその内の一人を里子に出すか捨てるのが普通である。
だが健四郎は違ってた。
「畜生腹の子など見たくも無い」一人を寺の住職に渡し もう一人を小船に乗せ流したのであった。
住職は『捨吉』と名を付け大切に育てたのである。
「いずれ歳が来たら針灸とアンマを習わせ身の立つ様にしてやろう」と・・・
又もう一人の赤子は浜辺に打ち上げられた船の中で瀕死の状態で漁師の和助に拾われたのであった。
和助の家は子沢山でこれ以上育てる力は無い。
そこで庄屋の宗次郎に相談したのである。
宗次郎は名字帯刀を許された庄屋だった。
儀に厚い男気のある男だった。
「よし、俺の家で面倒を見てやろう、船で流されて来たのであろう、名前は舟一がよかろう」
それぞれの落ち着く場所が決まったのである。
それから7年の月日が流れた。
舟一は多少 薄ボンヤリとであるが眼が見える様になった。
彼は五感を鋭く働かせ一通りの事が出来る様になっていた。
宗次郎は将来彼の身の立つ様にと城下の検校孫弟子のアンマの内弟子として預けたのである。
そこで針灸マッサージを習い『アンマ』としての修行を積ませる事にしたのだ。
宗次郎は常に「お前は確かに眼が弱い、見えると言っても たかが一尺程度であろう、一生懸命修行してアンマとなるが良い」と言ったのだった。
一方 捨吉は完全に眼も見える様になってはいたが盲目の方が何かと云えば都合が良い。
皆の同情も買う事が出来る。
仕事も適当にやってても「めくらじゃ仕方がない」と大目に見てもらえるのである。
それに甘えて楽な暮らしをする事を考えていたのだった。
やはり針灸の修行に出されたのであるが夜は必ず寺に戻っていた。
通いで教えを受けていたのだった。
時々住職の肩を揉んだり針灸を施したりして修行方々他の先輩坊主に喜ばれてたのである。
噂を聞き付け尼寺からもお呼びが掛かる様になった。
そして普通なら元服の歳になった。
彼も年頃の青年になったのだった。
そうすると男の本能が眼を覚まし若い尼さんの急所近くを軽く刺激する。
余計尼さんの人気が集まる。
そして腕の確かさと人気に支えられアンマとして自立し花柳町の一角に家を手に入れたのであった。
当時、金貸しは アンマのみに許されて居た行為だったのである。
勝手に村岡検校と名乗った捨吉は呉服屋美濃屋に取り入り 豊富な資金で金貸業にも手を染めて行ったのだった。
美濃屋に取っても金が儲かればそれで良いのだ。
検校と手を組めば蔵の中の金はどんどん増えて行く。
こんな美味しい商売はない。
暴利で稼ぎ 取り立ては地元のごろつき達を雇い入れ容赦なく取り立てる。
寺社奉行も町奉行も検校の鑑札(実際には持っていなかったが)には手が出せなかった。
それは幕府が認めたもので有ったからである。
捨吉は時々尼寺に顔を出した。
それは若い尼さんに異常に興味を示したからに他ならない。
有ろう事か、尼さんの数人のお腹が大きく成って行く。
住職は「これは困った、捨吉をこのまま放置していく訳にはいけないな」と・・・
住職自身、呑む、打つ、買うの三拍子の男だった。
捨吉が居ると何かと厄介な事になる、と考えたのである。
こうして寺への出入りを禁止したのであった。
だが捨吉はお構い無しにやって来る。
そして「和尚 今飲んでいる般若湯は誰のお蔭で飲めるんだ」「俺が居なければ飲めないのを忘れるな」と脅迫するのだった。
これには住職も返答が出来なかった。
住職の楽しみは只一つ、酒を飲む事そして女であったのだ。
密かに生まれた赤子を里子に出すより仕方が無かった。
それをいい事に捨吉は寺に於いても我が物顔に振舞う様になって行った。
檀家の中には金に困った商家の者も居る。
言葉巧みに金を貸し 最後には家を乗っ取るのである。
こうして瞬く間に大きな財産を築き上げたのであった。
一方 舟一の方は宗次郎の躾も厳しく又 師匠の指導もよく 爽やかな青年となっていた。
しかし何時もの如く「私は少しながら眼は見える、本当に検校になれるのだろうか?」と悩んでいたのである。
だが藩公は許した。
「何時か上様にお目見えの折には引き合わせて検校の鑑札を頂ける様 口を利いてやろう」と・・・
それには宗次郎の働きかけもあったが 人間として人々から慕われ立派な施術をする事が藩公の耳に入ったからであった。
「情けは人の為ならず、天にツバを吐けば必ず自分の身に降り懸ってくる、先ず立派な人間になる事だ」
何時も宗次郎に諭され誠心誠意施術に精を出した。
名も橘舟斎と改めこの城下町に施術所を構えたのだった。
橘姓は宗次郎の姓である。
彼も又金貸しもしたのであるが決して暴利をむさぼる事は無かった。
何時も白い杖をつき笛を鳴らして夜の町を歩いたのだ。
そして「あんまさん 頼むよ」と言われれば貴賎上下の別無く一生懸命働いて帰るのである。
人々はそんな舟斎を頼り、慕う様になって行った。
毎晩その笛の音を聞くと何故か安心するのであった。
ある日 若殿が野掛けに出ようとして城下を通り過ぎようとした時、農夫の大八車に馬前を塞がれた。
若殿は大層立腹して家来に首を刎ねる様命じたのである。
それを知った舟斎は「一時の怒りで領民を粗略に扱うのは領主様のする事ではありません」といさめたのであったが、若殿の怒りは収まらず舟斎は首に縄を打たれ城内の牢につながれる事になってしまった。
だが一晩じっくり考えて「そのアンマの言う事はいちいち最もだ、予の間違いだった」と開放されたのである。
それから後 城内への出入りも許され 侍たちにも針灸 整体 アンマを施す事を許されたのであった。
「おい、舟 予にもアンマを頼むぞ」若殿からも声がかかった。
そうして舟斎は城内でも不動の位置を占めて行ったのだった。
腰元『おみよ』が舟斎に気がある様だ。
大殿が家臣からそれと無く聞いてみると どうもその様である。
おみよは下級武士の娘、特別目立つ方ではないが良く気の付く娘であった。
「舟斎が気に入れば一緒にさせてやれ」と殿のお墨付きを貰った舟斎は非常に喜んだのである。
宗次郎も鼻が高かった。
城中からお嫁さんを頂く事は苗字帯刀を許された身とは言え所詮農民である。
それが当時 如何に名誉な事か計り知れなかったのだ。
盛大な祝言を挙げた。
おみよの家でも下級武士とは云え武士である。
町家の嫁に出すには多少の抵抗はあったものの殿の命令となれば従わざるを得ない。
そこに持って来て暮らし向きは楽ではなかった。
おみよの結婚によって多少でも楽な暮らしが出来る方を選んだのである。
舟斎はおみよを宝物でもあるかの様に大切にした。
又 おみよも好きな人に可愛がられて幸せ一杯だった。
捨吉は、と云えば益々図に乗るばかり。
由緒ある寺であったが博徒たちと組んで賭場は開く、尼を男達に抱かせて金を取る。
住職に「もっと大勢女を集めて来い」と迫る。
瞬く間に歓楽の館と化してしまったのである。
元々眼が見えるだけに始末が悪い。
寺社奉行が来た時には哀れなめくらに転ずるのである。
そして袖の下に金子を入れ揉み手をしながら目を瞑って貰うのであった。
檀家は離れる一方、だが良くしたもので好き者と博打好きの者は集まって来る。
結構繁盛したのであった。
何時か自分が修行したあんまの方はほとんどしなくなった。
唯 女を喜ばせる道具に使うのみであったのだ。
それから三年後、寺社奉行が代わった。
清廉潔白なその奉行はまずその寺を急襲したのであった。
命からがら逃げ出した捨吉は仲間のごろつき共と手を組み全国の泥棒行脚に出掛けたのである。
途中で出会った手だれの浪人須藤伊之助を仲間に加え、毎日剣術の修行をし 西へ東へと所構わず襲って歩いた。
彼等は一日として一箇所に留まる事はしなかったのである。
日本全国皆彼らの標的であった。
昼間は笛を吹き盲目のアンマが商家の辺りを廻って歩く。
これ と狙った家には特に念入りに調べ、闇に紛れて凶族と成り悪逆非道の働きをして消える。
若い娘、女房などは担いでさらって行く。
翌日には見るも無残な姿で死体となって町外れに捨てられていた。
取り方が駆け付けた時にはもう領外に逃亡した後である。
一藩だけの問題では無くなった。
そこで関八州取締役の出番となったのである。
片っ端から彼等の泊まりそうな宿を調べた。
だが何処の宿帳にもそれらしき者は泊まってはいない。
「これは何処かに何箇所か拠点を持ってるな」そうなると船宿から空き家の一軒一軒を調べねばならない。
被害は西国の諸藩にも広がった。
10人か20名かも判らぬ、名はおろか素性も判らぬ・・・
たかが鼠一匹と思っていたが大変な事になった。
これを処断しなければ幕府の威信にも関る。
全国の裏柳生にも協力を仰いだ。
恥ではあるが形振り構ってはいられなくなったのだ。
ある情報が手に入った。
凶族の入った家には必ず前日からアンマが笛を吹く、と云う。
早速裏柳生が動いた。
そして北陸のある町で捨吉と云う名前が浮かんだのである。
しかし住職は既に世を去っていた。
だがその周辺から妙な噂が入って来たのだ。
尼寺の女達が次々と子供を産んだと云う事、夜鷹の群れが夜な夜な集まっていたと云う事実。
本堂で大掛かりの博打が行われていた事など・・・
寺社奉行が乗り込んだ時には主だった者達は皆逃亡した後だったと云う。
そこで手掛かりはぷっつりと切れている。
だが人相書きはある程度取れた。
その頃 舟斎は妻おみよを同行して参勤交代の中に居た。
藩公の計らいでおみよも一緒に江戸の地に向っていたのである。
「将軍様のいらっしゃる江戸って大きいだろうね」「うん、きっと素敵にな所なんだろう」
そんな他愛もない話を道中したのであった。
しかし舟斎にはそれを見る事が出来ないのが悔しかったのである。
「おみよ、しっかり見て話しておくれ」「本当 旦那様の分までしっかり見ないとね」
それを聞いてた同行の侍が「舟斎殿は空気で分かるんではないかな」と笑った。
楽しい江戸入城の旅であった。
鍼灸師アンマの町人を参勤交代に交えての旅は前代未聞の事であった。
だが、この旅は彼の運命を揺さ振る厳しいものとなろうとは未だ誰も気付いていなかったのである。
藤沢の宿に着いた時、藩公の処に八州取締りのお役人が来た。
そしてアンマ舟斎が如何なる人物か尋ねたのである。
前日この町で 押し込み があったと言う。
済んでの所で取り逃がしたが黒覆面の下の顔が舟斎の顔にあまりにも酷似していると言った。
怪我をさせるには至らなかったが覆面を切り裂いた時の顔が舟斎に似てると・・・
だが彼は参勤交代の中に居た。
「ふしぎな事もあるもんじゃのう」「しかし良く似てる」と八州廻りは去って行ったのである。
旅の荷を降ろし街を散策する事になった。舟斎には二人の武士が同道してくれる事になった。
盲目の彼におみよ一人では心許ない。
藩公の計らいである。
流石 将軍様のお膝元である、街も立派であるが活気がある。お堀の周りを廻っても結構な距離だ。
こうして最初の一日は終わった。
時あたかも紀州より吉宗公が将軍職に付いたばかりの年、数々の改革が行われようとしている時であった。
一通りの拝謁も終わり近くに「どうだ、世間の暮らし振りは如何なものかのう?」「それは上様のこれからのお心次第で御座いましょう、領民が良くなるも悪くなるも全て政り事に掛かって御座います」舟斎はそう答えたのであった。
「予は針を打った事がない、一度試してみてくれんか?」「何処かお悪いところでもありますか?」「いや、何処も悪くは無いが、どうじゃ試してくれんかのう」
「悪い所が無ければ試す必要は御座いません」「無用な針は却って身体に悪う御座います」
結局一番年寄りの老中酒井和泉が施術を受ける事になった。
「おう これは楽になるのう、殿 この先は舟斎をお召抱えになられたら如何かと・・・」
こうして謁見は終わったのである。
藩公も上首尾に終わった事に機嫌がよかった。
「おい、検校 お前の隠居は何時だ?」吉宗は検校にそう言った。
「まだまだ先で御座います、そう 5年は後になりましょうかな」
笑って「今の若者 お前が育ててみる気は無いか?」「そうですなー・・・それは上様次第で、私は異存は御座いません なかなか良い若者だと思いますが」と・・・
吉宗は即断した。
「当分江戸屋敷で預かる、国表に帰る事ならん」と。
藩公は喜んだ。
「連れて来た甲斐あった」と、将軍吉宗の目に留まったのである。
出世の見込みが付いたのだ、と云う事は我が藩にも名誉な事だと。
微禄ながら士分に順ずる扱いを受け屋敷まで賜ったのである。
国表では大変な騒ぎとなったのだ。
「公方様に認めたれた」「江戸城に勤められる事になったそうだ」
宗次郎はもとより おみよの父尾形寛兵衛も禄高も増え大喜びをしたのであるが離れて暮らす事への淋しさも有ったのである。
凶族一味はここ暫く事件を起こしていない。
それが又 何とも不気味であった。
八州取締役も裏柳生も捜査の手の打ち様も無く困り果てていた。
そして三年の月日が経った。
この頃から金細工師の行方知れずが各地で頻繁に起きるようになっていた。
蒸発か・・・?かどわかしか・・・?判らぬが家族全員消えて無くなるのである。
これも又不思議な事である。
普通 かどわかしであれば家族全員と云う事はない。
必ず職人だけが狙われるのである。
だが家族の全てが一晩で居なくなると云う事は今まで例が無い。
不思議な事件であった。
舟斎は毎日古典芸能から浄瑠璃、下々の生活ぶりなど学ぶべき事は一杯あった。
検校と云うものはあらゆる事を知らねばならぬ。
唯 針灸アンマが上手だけでは勤まらない。
大変な仕事である。
おみよと共に街に出掛け珍しい話題や人々の暮らしぶりを仕入れて来て吉宗に話すのであった。
こうした話は表向きの政には直接影響は与えない。
だが将軍職にある者に取っては知っておく必要があったのだ。
その為 直属の間者も陰では活躍してたのである。
そして5年の月日が流れた。時の検校 村下は隠居願いを申し入れたのであるが舟斎は「まだまだ学ぶ事が多く御座います、もう少しお師匠様にご指導願います」と吉宗に願い出たのであった。
吉宗も快く了承して「好きに致せ」と二人に任せたのだった。
一年後、名実共に立派な検校職を継いだ舟斎は 名を橘検校様と呼ばれる様になっていた。
「なあ 検校よ、凶暴な族の一人がお前に似てると聞いたが気に入らんのう、早く何とか捕らえて仕置きしないとお前も落ち着かんだろう」
その年金座が襲われ10満両余りが盗まれた。
将軍はそれを指してそう言ったのである。
が 今回の事件は今までと違った幾つかの疑問があったのだ。
まず金座の中に手引きした人間が居たのでは無いか?
そして無駄の無い動きをしてる、順路を知り尽くした人物が居たのであろう。
そこで向こう三年以内に雇い入れた職人の身元を洗う事にしたのである。
するとその中に身元知れずの男が二人居たのだった。
その男達は事件と共に姿を消している。
雇う時に立ち会った勘定方の人物を厳しく吟味した所、何と袖の下を受け取っていた事が判明したのである。
紹介したのは江戸のはずれに住む さして大きくも無い口入屋であった。
だが取り方が向った時には既に店を畳んで姿を消した後だった。
捨吉の身元もしかりと洗われた。
だが当時を知る者は殆ど亡くなっている。
僅かの手掛かりを手繰ってやっと村岡検校なる人物が居た事が判ったのである。
しかし寺に預けられたとなると必ず生みの親が居るはずである。
草の者が耳寄りの情報を齎した。
今を去る30年程前、飛騨天領の地の地侍、斉藤某なる人物に双子が生まれたと云う。
だが出生届もなされず その双子は行く方知れずになってしまったと・・・
そのうち一人は離れた地の寺に預けられたとの情報である。
それが捨吉であろうと。
しかし父母は既にこの世を去り 代替わりをしてそれ以上の情報は得られなかったが ほぼ間違いの無いことである。
もう一人は・・・誰にも判らぬ事であった。
八宗取締役は宗次郎の家を訪れた。
「心当たりは無いか」と・・・
しかし宗次郎は「間違い無く舟一は我が子で御座います」「他人の空似と云う事も御座いますからなー」と・・・
出世した我が子を思いやる親の心がひしひしと伝わってきたのである。
八州廻り 相馬孫四郎は全てを理解した。
捨吉と橘検校は双子の兄弟である、と・・・
しかしそれを胸に仕舞い込んだのであった。
一生懸命努力して検校にまで上り詰めた男とその父親宗次郎の愛、おみよの姿が眼に浮かんだ。
この平和な家族を刑場に送るのは忍びない(当時は凶悪犯の場合 一族郎党皆処刑されたのである)彼はこの家族の事は報告しないで地獄の底まで持って行こうと心に決めたのであったが。
八州取締役も人の子である。
「もし自分に双子の兄弟が居たら、それが凶悪犯であったなら・・・」御定法にも多いに疑問も持った。
しかしそれを守らねばならない。
仕事の過酷さを感じたのである。
そんな時 隅田川の畔に大量の小判がばら撒かれると云う前代未聞の出来事が起きた。
多くの群集が押し掛けそれを拾っていると云う。
すぐ役人が回収したが その金額は数千両にも及んだと言われたのである。
金座の者が調べたところ、それは全て贋金であったと報告が上がった。
何処かに大掛かりな偽金作りの一味がいる。
不思議とそれが凶族が姿を消し、金細工師の蒸発、そして金座の盗難事件・・・流れは一致する。
江戸町奉行所、関八州取締り、裏柳生、総力を挙げ一致団結して捜査を開始した。
裏柳生では(仮説ではあるが)山深い所に住む平家の落人部落に関係してるのでは・・・と・・・
八州取締りの方ではそうした落人に成済まし部落を作り贋金を作っているのでは、と考えた。
町奉行所では他に贋金が出ないか捜査を強化して細工師の足取りを追ったのである。
大阪奉行所から思わぬ情報が飛び込んできた。
下町の細工師が旅発つ前「甲府金山に行く」と言ったのをちらりと聞いた近所の女房が居ると・・・
早速柳生が動いた。
が しかし相馬はそうは思わなかった。
「自分の地の利のある隠れ里、そう奥飛騨の何処か・・・きっとその地で大掛かりな偽金作りの集落があるのでは無いか?」
日本全国 落人部落はある。
当時はそれを調べるのも大変な時代だったのだ。
平家の落人部落ばかりでは無い、関が原の合戦で破れた西軍の子孫の者達、皆山奥でひっそりと隠れ住んでいた。
又 現在の様に道路網が発展している訳では無い。
人跡未踏の地など幾らでもあった。
そこで村里に買い物に降りて来る人間達を捜す事になる訳だ。
それは気の遠くなる様な作業である。
又 村人の口も堅い。
なかなか「はいそうですか」と話す人間などめったに居ない。
金でも掴まされていれば尚の事である。
吉宗も越前守を交えてこの問題に付いて協議を重ねていた。
はかばかしく行かぬ捜査に苦渋の色を浮かべて。
下座に座っていた舟斎に「のう検校、お前だったらどんなところに隠れるか?」と・・・
舟斎は「私はそんな恐ろしい話は知りませんが 誰でも古里が恋しいもので御座いましょう」「出来るなら古里近くの山中に隠れようとするでしょう」と答えたのである。
「うーん、帰巣本能と云う奴か・・・」その後も協議は続けられていた。
舟斎はこの頃城中での信頼も厚く常に吉宗の傍らに居たのだった。
柳生、関八州の精鋭達が飛騨山中に出発したのはその二日後の事であった。
飛騨高山のはずれで須藤伊之助なる浪人が寺子屋を開いていた。
さほど生徒が居る訳ではないが悠々自適の生活をしている。
だが不審な動きをしてる訳では無い。
時々物売りがお茶を飲んで帰る程度だ。
しかし下呂近くで少し逗留して姿を消している。
ひなびた温泉宿の事である。
街道を少し歩けばもう両側が山の木々で覆われている。
そして谷川のせせらぎと鳥の声が聞こえるだけの所だ。
人の往来も少ない。
何処でも隠れる場所はある。物売りは辺りの気配を察し姿を消したとみえる。
そんな時、近江の豪商、尾張の両替屋が立て続けに強盗に入られた。
「我々は住吉検校だ、覚えて置け」片方は「五月雨検校だ」と名乗ったそうだ。
八州廻りは「これは模倣犯だな」余計混乱を招く 一味を早く捕らえなければ幕府の威信も地に落ちるな、と焦りの色を濃くしたのであった。
子供達の遊びにもそれは表れた。
「我こそは検校である、掛かって来い」すると取り方役の子供達が切られる単純な遊びであるが、これには町奉行所も苦りきった表情を隠せなかったのである。
名奉行として知られる大岡も子供達が悪を賛美する様な遊びが流行る事は許せなかったのだった。
西国と奥羽地方から贋金が大量に見付かった。
此処に来て吉宗が長年抱いていた貨幣鋳造に於いて より精巧な小判の鋳造に踏み切ったのである。
世に言う『享保の改革』を断行したのであった。
重役たちの世襲制廃止、業績著しい者には禄高の増加、功績の無い者は当然禄高を減らされる事となった。
疲弊した経済を立て直す為 又贋金作りの息の根を止める為 そして軽輩者の士気を高める為には相当の効果があった。
今まで高禄で召抱えられていた者も安閑としては居られなくなった。
賄賂を貰い私腹を肥やしていた者は厳重に処罰されたのである。
功罪併せ持つ改革ではあったが 腐りかけた江戸幕府の持つ膿を出し切ったのは確かであった。
多くの原野が開墾され、治水工事も行われた。
特筆すべき事は生活苦により医師に掛かる事の出来ない病人、怪我人に負担をかける事なく 養生所にて治療が受けられる様になった事であろうか。
そして薬治園を作り薬草の栽培に力を注いだ事である。
毎年の事であるが土砂の氾濫により禄高が一定の水準を保つ事が出来ない。
護岸工事も徹底して行われた。
そうした吉宗の改革は多くの有能な家臣を持つ事により実を結んだのであるが、反対勢力の抵抗も又激しかったのも事実である。
『火事と喧嘩は江戸の華』と言われる様に火災の被害も多かった。
それを解消する為に江戸火消し制度が確立されたのである。
そんな時 宗次郎が病床に着いたのだった。
急ぎ駆け付けた舟斎に彼は驚愕の事実を打ち明けたのである。
「お前の父君は何らかの事情により お前を捨てざるを得なかったのだろう、海の入り江に漂う舟の中に絹の産着を着て死の淵をさ迷っていたのだ」「きっとお侍の子であろう・・・」「が わしはお前が可愛い 盲目のお前が不憫でならぬ」と・・・
宗次郎は静かに息を引き取った。
舟斎は関八州取締役 相馬孫四郎に「是非私の生みの親を探して欲しい、ぜひとも会ってみたい この世に送り出してくれたお礼も言いたいのだが」と申し入れたのである。
しかし孫四郎は「世の中には知っていい事と 知らないで居た方が良かったと言う場合がある、検校殿が後で苦しむ事になっても宜しいのなら・・・」と、その時は教えてくれなかった。
だが舟斎の出生の秘密を知る者は八州廻りにはそれと無く知ってる者も居たのだ。
孫四郎は大岡に相談したのである。
大岡も「罪の無い者でも御定法では罰せられられなければならんからのう、不憫じゃが・・・さて、どうするか」と思案した。
一応「御両親は亡くなられたそうだ」とだけ答えて納得させたのであった。
境港から大量の武器が数度に渡って何処かに買い付けられて密かに送られている、との情報が入った。
すぐ裏柳生、八州廻りが探索に当たったのであるがどうも半端な量では無いらしい。
街道筋を徹底的に検問を強化したのであった。
牛に引かせて荷車が通る。
轍の跡が異常に深い・・・美濃国境の事である。
農家の人間にしてはそれに付き添う人数も多い。
役人が不審に思い前を遮った。
すると先頭に立ってた役人が中の一人に短筒(拳銃)で撃たれたのである。
「すわっ大事件」と後方の一人が関所に向って走り出そうとした時 林の中から銃弾が一斉に浴びせ掛けられたのだった。
轍の深い車からも銃が取り出されあえなく役人達は撃倒されてしまった。
何時の間にか落人部落と関が原西軍の子孫の面々が手を組み、この地帯一帯に治外法権の地域が出来ていたのである。
幕府から独立して新しい国家樹立を目指している、と見た方が良いだろう。
それは徳川治世の始まりから豊臣方への徹底的な弾圧、それを逃れた者達が山中に隠れ住み 子孫たちが何時かは又乱世が来る事を夢見て 虎視眈々と機会を伺っていたところに捨吉の出現により同調する者が集まったからに他ならない。
ここに壮絶な柳生、関八州連合軍との戦いが始まったのであった。
時を同じくして数度の江戸の大火があった。
これも付け火である。
将軍家のお膝元での騒ぎは多いに人々の不安を煽った。
此処でも吉宗の作った町火消しが多いに活躍した訳だが根本を絶たねばならない。
火回りを厳重に火消し達は定火消し(武家屋敷を守る)と共に夜回りを強化したのだった。
飛騨から信濃山中の至る所に監視小屋がある。
裏柳生の精鋭達がひとつずつ潰してゆく。
一方的に向こうが有利な中で夜陰に紛れ制圧していったのであった。
まさに血で血を洗う壮絶な戦いである。
神君家康公以来の戦いだった。
村岡検校こと捨吉は豊富な資金と強力な部下を持ち山中の戦には精通していた。
だが山岳戦は裏柳生の最も得意な戦いである。
次々と監視小屋 そして隠れている場所を攻撃したのだった。
しかし彼等の鉄砲隊の前に相当苦戦したのは間違いない。
累々たる屍の山が築かれた。
山砦間近まで攻め入ったところ思わぬ落とし穴が待っていた。
空堀が掘られそれを渡る事が出来ぬ。
下手に踏み込めば上から大きな網が被せられ鉄砲の餌食になるのだ。
そして何処からとも無く後ろから攻撃される。
それを指揮しているのが須藤伊之助であった。
「やはり唯の鼠では無かったか、先に捕縛して置けばよかった」柳生の面々は歯軋りを噛んで悔しがった。
地下壕が縦横に掘られ其処から敵が現れて消える。
柳生の精鋭達も一時退却を余儀なくされたのである。
大岡は舟斎に断腸の思いで彼の出生に纏わる事実を告げていた。
「お前の双子の兄弟が今 世間を騒がせている凶族の頭なのだ、お前には何も罪は無い、だが今の御定法に照らし合わせるとどうしても此の侭には捨て置けん」「辛いだろうが蟄居謹慎して居ってくれんかのう」「上様も痛く気にしておいでじゃ、判ってくれ」と・・・
舟斎は驚き又悲しんだ。
「私も当然罪になりましょうね」「妻の処遇はどうなりますか?やはり離縁した方が宜しいでしょうな・・・」
「いや 上様には何かお考えがある様じゃ、そこまで考えなくとも良いと思うが」と言って去って行った。
舟斎には七歳と五歳の息子が居た。
妻の行く末も心配ではあったが二人の息子の事が一番気懸かりな事であったのだ。
自分はきっと処刑されるであろう、だが妻と息子は何とでも守り通したかったのである。
突然の事であった。
深編笠の男が舟斎の家にやって来た。
後ろには大岡越前守も居る。
上様であった。
吉宗は「法とは不便な物よのう、罪もない者も罰せられなければならないとは・・・ま、悪い様には致さぬから少し休みだと思って短慮は起こすまいぞ」と励まして帰った。
舟斎は涙を流しその言葉を噛み締めて聞いていたのだった。
八州廻り達は山裾の穴と云う穴を全て塞いだ。
そして須藤伊之助以下配下の者をことごとく捕縛、斬捨てたのであった。
後は兵糧攻めと突破口を開く為の空堀を埋める作業に取り掛かったのである。
夜陰に紛れて投降して来る者が出始めた。
が しかし見付かれば後ろから銃で撃たれ幕府の陣営までたどり着く者はごく僅かだった。
捨吉は叫んだ「我は村岡検校なるぞ!この地で独立国家を建国する、難攻不落のこの山城を落としてみるかっ、これ以上死人を出すと云うならそれも良し」「黙って去れば犠牲者は無くなるがどうだ」
それは自軍を鼓舞するものであったが まだ戦い続ける決意の表れでもあったのだ。
暫く一進一退の攻防が続いた。
やっと空堀の一部が埋められ突破口が出来た。
先陣を切った一団が渡り終えた途端、大音響が鳴り響いたのである。
其処には既に爆薬が仕掛けられ最初の幕府の侍達があえなく犠牲となってしまったのだった。
又ひとつ大きな空堀が出来た感じだった。
下手に攻めれば犠牲者が出るばかりだ。
八州取締りは兵糧攻めの道を選んだのであるが裏柳生は強行突破を主張したのである。
これは手柄を何としてでも柳生の手で上げたかったからに他ならない。
が しかし今は功名争いしてる時期では無かった。
何としてもこの集団を殲滅させねばならない。
遂に兵糧攻めに決定した。
「これは関が原以来の大戦だなー」勿論関が原が どの様な戦であったのか知ってる者は居なかったが皆口々にそう言ったのである。
ここで捨吉の心の軌跡を追ってみる事にしよう。
彼も又鍼灸とアンマで身を立てようと思った。
努力して検校になる事を夢見た時代もあったのだ。
が しかし世話になった寺の住職は無類の酒好き、そして女好きときてる。
一時はそんな生活も悪くないな と思った事もあった。
アンマの腕は確かなものを持っていた。
そして金貸しも巧く立ち回り相当の利益が上がる。
だが彼の野心はそれだけで終わらなかった。
この寺を乗っ取り自分の好きなように生きる、もっと金儲けをして近隣の町に一大歓楽街を作ろう。
元々かれも無類の女好きだった。
が 寺社奉行によってその計画は潰されてしまった時 思い立ったのはその時の仲間と盗み働きする事だった。
現代と違って夜になればどんな町でも夜回りが時間通りしか廻って歩かない。
その間隙を突いて盗み働きをするのであるが面の割れるのを恐れ皆殺しの凶族と化したのである。
拠点は人の判らない山に作り夜陰に紛れて行動したのだった。
あまりにも巧く事が運ぶのが面白く自分達の犯行を誇示したくなって来た
そこで生まれたのが『村岡検校』一味の名を世間に知らしめる事である。
ある時、役人に追われ山深くの村に逃げ込んだ時である。
その村は豊臣恩顧の者達がひっそりと隠れるように住んでいたのだった。
捨吉は其処の古老から思わぬ事を聞いたのである。
「山深く入れば幾らでもそんな村がある、又戦でも始まればおそらく決起する者も居るであろう」と・・・
徳川の世にもまだこうした人間が大勢居る事を知ったのだった。
享保の改革により 年貢の取立ても四公六民から五公五民に変わった。
農家の不満も相当きついものがある。
落人達を束ねて決起すれば農家の一揆も起きるんではないか・・・
山国では不平不満の者が五万といる。
後は資金と武器さえあれば・・・外様大名の中にも呼応して立ち上がる者も居るだろう。
野心がふつふつと煮え返ったのであった。
そして着々と準備が始まったのであるが、最初の目論みでは西国大名、東北の各地から火の手を挙げるはずのものが動かなかったのである。
だが回りだした歯車はもう止める事は不可能となってしまったのだった。
大きな誤算であった。
原因のひとつには素性の判らぬ彼の話に何処まで信用して乗ってよいか?と云う事と朝廷の後ろ盾が無かった事にある。
西国大名の中には不平不満を持つものは結構居たのであるが朝廷の後ろ盾を得て徳川家を逆賊としなければ大義名分が立たない。
捨吉のもくろみはその時点で失敗したのであった。
幕府に取っても吉宗が将軍になる以前には腐ったリンゴになりかかっていたのだった。
が 見事にその危機を乗り越えたのである。
元禄以来の政治体制の悪弊が一掃される目前に起きた事件だった。
諸大名に取ってはこれは大変な脅威であった。
旗本八万旗が動く事無く鎮圧されたと云う事は徳川の底力を多いに見せ付けた事になる。
さて砦の方であるが まさに血で血を洗う激戦の末 大抵の者は捕縛され斬り死にし、自刃して果てたのであった。
その中に在って捨吉は最後まで命を惜しみ盲目の振りをして哀れな姿をさらしていたのだった。
砦の中は意外に広く五つの集落でもって成り立っていた。
その一角に鋳造工場を持ち其処には多くの家族が生活を共にしていたのである。
皆 これ程の大事件とは思っていなかったのだ。
彼らは 借金をし、その証文を捨吉が買い取ったと云う訳だ。
そしてこの鋳造工場に連れて来られた訳だが家族全員で暮らせる事で満足していた様であった。
特別抵抗する事も無く連行されたのである。
大岡の取調べが始まった。
「さて 捨吉・・・いや村岡検校かな、ま どちらでも構わぬ お前が盗み働き 贋金作りの頭目に間違い無いな」「いえ 私はこの通りめくらで御座います、全ては須藤さまの御言いつけ通り動いただけで御座います」「何を申す、お前に出会わなければ拙者は静かに寺子屋をやってたものを」
お互いが罪のなすりあいである。
その中で父母の死が捨吉の仕業と云う事も判ったのであった。
一刻ばかり黙って聴いていた大岡は「頭目捨吉、聞き捨てならぬ事を申したな、父母に会ったと申したが何故殺したのかその訳を言ってみろ」「捨てられたからか?それとも他に訳でも有ると申すか?」「めくらの私を捨て 健常な弟が跡継ぎでは理不尽と思いませんか、御奉行様でもそう思われませんか」「何でも畜生腹の子と聞きましたが私の弟は何処にいるのやら やっぱり憎んでも憎みきれない相手で御座いましょう、御奉行様ならどうなさいますか?」「八つ裂きにでもしたいと思うのが普通でしょうが」
「その通りじゃ 今わしがお前を八つ裂きにしたいと思っているのも勝手じゃ だが此処は御白洲じゃ、思いと裁きは別じゃて」「多くの罪も無い人を殺めた罪をどう弁解致すのじゃ、わしはそれを聞きたいがのう」「それともそれで世の中が変わると思ったか」
「・・・・・・」
「捨吉っ!」突然大岡は捨吉目掛けて扇子を投げ付けた。
咄嗟に捨吉は眼を開け扇子を避けたのであった。
ニヤリと笑った大岡は「やはり」と言ったきり何も言わなかった。
それから一人一人吟味が始まったのである。
そして刻限も迫った時、越前は言った。
「裁きを言い渡す、須藤伊之助以下十八名 打ち首獄門、後の者八丈島終生遠島を申し付ける」「彫金師一同三宅島遠島」「全員引き立てい」と叫んで白洲は捨吉一人になった。
そして捨吉には「引き合わせたい者が居る、暫し待て」と・・・
「橘舟斎これへ」と呼んだのであった。
「捨吉、この顔をよく見ろ、お前に瓜二つと思わんか」「お前の双子の兄弟だ、今生の別れをして置け」「ここに居るのが本物の検校 橘舟斎じゃ 覚えて置け」と言って席を立った。
そして陰で聞いてた吉宗とそっと様子を伺っていたのである。
「兄者で御座いますか?何故そんな恐ろしい事をなさっていたのですか?」「ケッ、生きてやがったんか、何処で何してるんだ、どうせこそ泥位の事で捕まったんだろう」・・・「何故父上と母上を殺めたんですか、私も一目会いとう御座いましたのに」「お前 憎くはないのか、捨てられたんだぞ」「いえ、一度会ってこの世に生を受けたお礼を申しとう御座いました」「この糞たれめが 何が礼だ、お礼は夾竹桃の汁を飲ませてしてやったぞ、お前の様な者兄弟でも何でも無い とっとと失せろ」
そこへ大岡が現れた。
「橘舟斎、お上を謀りおって不届きな奴だ、お前の本当の親は橘宗次郎であろうが、早々に下がりおれ」と白洲から引き出されたのである。
「裁きを言い渡す、村岡検校事捨吉、張付け獄門 尚 首は百日間晒し物とする事とす」
誰も居なくなった白洲では舟斎と大岡が万感の思いで見詰め合っていた。
「なあ、舟斎、当分は寄せ場送りになるが辛抱しろよ、御政道に照らし合わせても此処までが限界じゃ、許せ」と大岡は深々と頭を下げたのだ。
「もったいないお言葉 感謝致します」舟斎は流れる涙をどうする事も出来なかった。
「御妻女と子供の事だが心配には及ばん、わしが面倒を見るから安心して務めを果たして来い」「これからは市井の人間になるのじゃ、名も忠乃市と改めよ」と。
「寄せ場には大勢患者がいるぞ、その面倒を診てやれ」 大抵は罪人には手首に墨を入れたものである。
だが彼はそれも許されたのであった。
「お前の子は大層利発なそうじゃな、何れ士分に取り立てて しかるべき要職に着いて貰うゆえ安堵致すがよい」吉宗はそう言ったのであった。
大岡は「三年なんてすぐ経ってしまうものじゃて 真面目なそなた故 一生懸命励んでいれば戻った時に役にも立とう」と・・・
最初は幕府方の間者と訝る者もいたが彼の施術を受けた者から次第にその噂も消えていった。
寄せ場の仕事は本来海であった所の干拓である。非常に辛い仕事だった。
だから腰痛、肩、腕の張りがひどい。
忠乃市は丁寧に鍼灸を施し少しでも楽になるように施術した。
その甲斐有ってか評判も上々だった。
そして三年後、木場の近くに鍼灸の木札をぶら下げた診療所を構えたのであった。
最初は患者もなかなか来ず 夜の町を笛を鳴らして歩いたものだ。
ある日 立派な籠に乗った侍が訪れた事から事態は一変したのである。
「頼もう、忠乃市殿はご在宅かな、少し針を打って貰おうと思って参ったが・・・」大岡越前であった。
すぐそれが評判になったのである。
「あの先生は鍼灸の偉い先生だそうだ」「では私達も行ってみるか」たちまち町中の噂になり患者は増えた。
もう夜 笛を吹いて歩く事も無くなった。
長男は元服後、勘定方の武士に取り立てられた、二男も何れお城の土を踏む事になろう。
忠乃市こと舟斎は市井の片隅で妻共々静かに幸せを噛み締めていたのであった。
しかしこの事件は歴史の闇に葬られ何処にもその記録は無い。
-完ー
「こらっ!又やってきたな!」「だって父上あいつ早苗ちゃんの髪の毛引っ張ったんだもん」「そうか、それは駄目だな、女の子を苛めてはな」「でしょう、あいつは何時も早苗ちゃんに悪戯して笑ってるんだ、父上からも叱ってやってよ」
源太郎は口を尖らせてそう言った。
一方『あいつ』事 良一郎の家では「あいつは早苗ちゃんとばかり口を聞いて俺と話をしてくれなくなったんだもん」「だからと言って早苗ちゃんを苛めて良いと云う事にはならん」と叱られていた。
「お前は幾つになった まだ十歳だろう、源太郎は十三歳、もう女の子に興
味を持つ年頃なんだ」「当分は辛抱しろ、そのうち又お前と話をする様になる」「俺も早苗ちゃんは好きだ、だから振り向いてくれない早苗ちゃんにも腹が立ったんだ、父上あいつに注意してよ」
それを黙って聞いていた母親 美雪は笑いをこらえるのに必死だった。
兄弟同様に育った二人が 一人の女の子を巡って幼い恋の鞘当をしてる。
「私にもあんな時代が欲しかったなー」と思いながら 源太郎と組み合った傷の手当てをしてやっていた。
又 源太郎の家でも お涼が「良ちゃんの傷は大丈夫?」と聞きながら源太郎の手当てをしていたのだ。
仲が良い癖に会えばすぐ取っ組み合いを始める。
兎に角二人とも向こうっ気が強い。
一日会わないともう心配する。
「父上あいつ病気にでもなったのかなー」「ちょっと様子を見て来るよ」と家を飛び出して行く。
久しぶりに剣術師範の武智龍之介がやって来た。
例の如く 碁を打ちながら二人の話に及んだ。
「源太郎はまあ年相応の普通の力だが、良一郎は非凡なものを感じる、が気性が激しいのが気になるのう」「良庵殿のお子とは思えぬ」と・・・
「いや私も子供の頃はあんなものだったから心配する事も無かろう」
「この間もよ、一度参ったと言わせてやろうと思って強かに打ち据えたところ、竹刀を投げつけ その隙に太股に噛み付きおった」「それこれが傷跡だ」
成る程、太股に歯型がくっきりと付いていた。
良庵は笑いながら「それは災難だったのう」「で 少し治療でもしてゆくか?」
「いや、そんな必要は無いがもう少しおとなしくならんものかなー」「他の子供たちの生傷が絶えん」
良庵は考えた。
「大人の組に入れて徹底的にしごいてくれよ」「あいつはやられる事がクスリじゃて」
そこへ良一郎が泥だらけで帰ってきた。
「おい、良一郎明日から若者組で稽古じゃ」師範龍之介が声をかけた。
「先生、源太郎も一緒か?」「いやお前だけだ」「なら嫌じゃ、源太郎も一緒でなければ嫌じゃ」
龍之介は仕方なく両名とも若者組に入れる事にしたが・・・
翌日若者頭に「源太郎には手加減してやる様に、良一郎は手加減無用」と命じたのであった。
だが二三日は二人は若者組の竹刀の鋭さ、力の強さに戸惑った。
が 良一郎はすぐ慣れて小さな身体で鋭い動きを見せる様になっていった。
ある日、若者の一人が良一郎の胴を払った、途端その身体が一瞬消えたのだ。
「面!」鋭い声と共に若者の額に見事良一郎の竹刀が唸りをあげて飛び込んだのである。
払った胴の遥か上まで飛び上がり面を取ったのであった。
流石の師範も驚いた。
そして御前試合の良庵の太刀筋を思い出したのである。
「この子はどれだけ強くなるのか」楽しみが沸いてきた。
だがその一本が若者組の闘志に火をつけた事は確かであった。
毎日徹底的にしごかれる。
だが道場を出るともう何事も無かった様に走り回る。
鼻の頭に膏薬を貼り手足は痣だらけ、これでは早苗も余計嫌がるに決まっている。
源太郎は得意満面、早苗と話をしてる、それが又面白くない。
又二人は取っ組み合いを始める。
しかし ある日源太郎が早苗と話をしている時、普請奉行の息子が二人に因縁をつけたのだ。
二人に対する嫉妬(ジェラシー)からである。
すると後ろから付いて来ていた良一郎が 猛然と飛び掛っていったのである。
二人を守る為五歳も年上の男と取っ組み合いを始めてしまった。
何時もの傷とは違うのに気付いた良庵は、手当てをしながら事の顛末を聞こうとした所へお涼がやってきた。
何でも普請奉行の息子が骨折したと言うのである。
早速美雪が菓子折りを持って詫びを入れに出向いたのだった。
事の顛末を聞いた良庵は息子を叱る事が出来なかった。
親友の危機を救った良一郎がいとおしくて溜まらなかった。
普請奉行の息子の治療は仁斎が行ったのであるが、仁斎も又早苗を守れなかった息子に「女を守れない男がわしの息子だとは恥ずかしい」と嘆いていたのである。
後日、奉行と良庵が顔を合わせる機会があった時「良庵殿、だらしの無い息子を許してくれ」と頭を下げられたのに対し「いえ、私の息子のせいでご無礼を仕った」と・・・
「お互い子供の事では頭が痛いですなー」と笑い合ったのである。
その後早苗の心は源太郎と良一郎の間で揺れ動くのであった。
「源太郎さんは優しいし良一郎さんは勇気があるし・・・二人とも仲良しだし、どっちがいいかな?」
だが早苗にはまだ両家の格式とか 世の中が判っていなかった。
早苗の父親は『大工の棟梁』長屋住まいの町人なのだ。
現代の様に好きなら一緒になればよい、と云う時代ではなかったのである。
源太郎には姉が二人居た、良一郎にも妹が一人 だがどちらも長男である事には代わりはない。
家の跡を継がねばならない身である。
だが知ってか知らずか二人の恋の鞘当は続くのであった。
だがこうした時代にも抜け道はあった。
何処かの武家の家の養女にでもなってそこからお嫁に行く と云う手も有るにはあったのだが・・・
それには余程の信用もないと出来ない事だった。
この十年の間に藩政改革は随分行われた。
良庵の所では養生所(今で云う入院設備)も作られた。
藩からの扶持(予算)も貰い金の無い者でも 養生所で療養出来る様になっていた。
若い医師も三人働いている、他にも手伝いをする女性も四人、大所帯になった。
又仁斎は無役ながら家老のご意見番として登用され 御殿医と兼任して藩政に貢献してたのである。
川の曲りくねった所には貯水池を作り 川筋を出来るだけ真っ直ぐにして氾濫を防ぎ 被害を最小限にとどめる事業も普請奉行に指示して行わせた。
加賀藩には美味しい菓子が一杯ある。
それを商家を通じ全国に広め、売らせる方法も取った。
そうした改革は目には見えなくとも確実に藩の財政を豊かにしたのである。
その良き助言者(アドバイザー)は他ならぬ良庵であったが・・・
源太郎と良一郎は例の如く朝早くから早苗の顔見たさに いそいそと長屋に向かった。
源太郎の手には花束が、良一郎の手には小太刀が、如何にも良一郎らしい発想であった。
それから三年後、源太郎は元服の儀式を迎えた。
仁斎は長崎で医術の修行をさせようと思ったが 藩公は「今度の参勤交代の後でもよかろう、一度江戸の地でも見てそれからにせい」と仁斎に命じたのである。
藩公は日頃の源太郎の勉学振りを聞き知って『いずれこの藩を背負って立つ男』と見込んでいたのだった。
仁斎は「広い世界を見るのも又役に立つかも」と有難くお受けしたのであった。
良一郎はちょっぴり羨ましかったが「これで早苗と二人だけで話が出来る」と大喜びしたのである。
だが何時も源太郎と張り合っていた時とは何かが違っていた。
あれ程夢中になっていた早苗に対する情熱が消えていったのだった。
やはりライバルが居ないと燃えるものが無いのか。
でも何となく気になる存在では有ったのではあるが・・・
次第にそれは早苗にも伝わるものがあった。
そして身分の違いで結ばれる間柄では無い事も・・・
そんな時、早苗の前に雑貨屋の息子、仙造が現れたのである。
不思議と良一郎は嫉妬心が沸いて来なかった。
「本当は良一郎さんも源太郎さんも大好きよ、でもどんなに頑張っても一緒にはなれないもんね」「仙造さんについて行くわ」
良一郎は仙造に「絶対大事にしてやれよ」と言ったのであった。
こうして良一郎の初恋は終わったのである。
「黎明、それぞれの旅立ち」 ー寒椿ー
良一郎も元服し 毎日父親の指導で医術を学ぶ傍ら道場で汗を流していた。
今では立派な若侍となっていたのだった。
ある日「父上は本当に強いの? 庭先で木刀を振ってるだけで誰とも手合わせした所を見た事がないけど」笑って良庵は「強くは無いさ」「皆がそう思っているだけだ」
良一郎は今では道場を代表する程の強さになっていた。
若者組から青年組に入っても、際立って強さを発揮していたのだ。
師範は「この子はもっと大きな所で修行した方が良いのではないか・・・江戸には多くの剣客が居る、そんな所で揉まれたら良いのでは・・・」と考えていたが「良庵は許さないだろう、何しろ医師の長男だからなー」とその才能を惜しんだ。
実は良庵も悩んでいたのである。
良一郎は医師より違う道があるのではないのか、もう少し自由にさせて置いてやれば本人が何かを見つけるだろう」と・・・
考えた末、良庵は良一郎を庭先に呼び「父と思わず打ち込んで参れ」と言ったのである。
「よし、父上の本当の力を見せて貰おう」と思いっきり打ち込んで行った。
だが何度打ち込んでもそこに父の姿はいない。
わずか数寸のところで交わされてしまう。
「こんな筈ではない、どうしてだ?」「まだまだ甘いのう、俺の眼を見ろ」「つま先の動きを見ろ」「剣を見るな」
良一郎は父の強さをまざまざと見せられた。
翌日、父の教えを肝に銘じ朋輩と手合わせをしてみた。
すると どうであろう・・・相手の動きがよく見える。
相手の動きが面白い様に読めるのだ。
その後の良一郎は見違える程 長足の進歩を遂げたのだった。
龍之介は言った「良庵殿、良一郎を娘の婿にくれんかのう」
「それは当人同士が好き合えばの事でしょう、まだ私も娘御を見た事もないから一度遊びに来られたら如何かな」
そして親の思惑など知らず 良一郎は娘百合と引き合わせられたのであった。
良一郎は「何だ、あの赤毛は」とまるで興味を示さなかった。
一緒の道場で顔を合わせてはいるものの まるで眼中に無かったのである。
成る程髪の色が幾分栗毛がかっている、だが人懐きそうな可愛い顔をしていた。
そして気立ての良さそうな娘である。
「まあ、付き合って行くうちにいろいろ良い所も悪い所も解ってくるだろう」良庵は好感を持ったが 何分本人が気に入らなければ仕方が無い。
そうこうしてるうちに源太郎が帰ってきた。
早苗の事を聞いて肩を落としていたが すぐ百合にちょっかいを出す様になったのである。
そうなると良一郎も黙っていない。
又々喧嘩の始まりである。
美雪は面白くて堪らない、お涼と話し合って大笑いをするのであった。
何故仲の良い二人が 何時も一人の女を巡って喧嘩するのか、意味が判らない。
女の子は幾らでも居るのに・・・・
だが今度は源太郎に分が悪い。
「源ちゃん可哀想だね」美雪が言うと「何故だ 母上は源太郎の味方か?」と・・・
「良一郎はあの子が気に入らなかったんじゃないの?」「いや、今は好きじゃ」「誰が源の野郎に取られて堪るか」と、こうである。
龍之介も良庵もこの恋の鞘当に大笑いした。
「この縁談受けてくれんかのう」「まだ判らんぞ、もし源太郎が本気だったらどうする?」
龍之介は「いずれ藩の指南役をする事になろう、源太郎ではどうもなー」
「おいおい、未だそうと決めて貰っては困る、こちらも跡取りだからのう」
「うーん・・・」父親二人が頭を痛めている事など彼らにはどうでも良い事、結構仲良くやっていた。
まだ良庵が若く藤堂新九郎と名乗っていた頃、三代将軍家光公の前での御前試合・・・柳生の剣客と昼から日没まで闘った事がある。
だが決着が付かず『勝負預り』となったのだ。
小藩ながら西国に藤堂新九郎在り、と存在を示したのであった。
その血脈は良一郎に確実に受け継がれている。
良庵は遠く若い頃を思い出していた。
良一郎の将来どう生きれば一番好いのか・・・親として何をしてやれるのか?
良庵は悩んだ。
妹に婿でも取らせるか、そして良一郎には自分の好きな道を歩かせてやるか・・・?
その気持ちは龍之介も良く解っていた。
それだけに良一郎の行く末に責任も感じていたのだった。
どうやら良一郎と百合は巧く行っている様である。
源太郎の出現で状況は一変したのだった。
時の氏神とはこんな事も云うのかもしれない。
だが源太郎は面白くない。
「ふん、江戸の女の方が可愛いわい、俺は江戸の女を女房にしてみせるわい」
精一杯の強がりを言って彼は百合の前から去って行った。
今度は良一郎が淋しくなった、友の悲しみは自分の悲しみでもあったのだ。
でも以前とは違い百合を本当に愛し始めて居た。
幼い頃から小太刀を使い、道場狭しと暴れ廻っていた百合にも源太郎の太刀さばきは物足りなく、頼り甲斐の無い男に思えていた。
だから幾ら源太郎が好意を持ってもそれは無理と云うものである。
唯 相手を傷つけまいと思って口には出さなかっただけの事であった。
源太郎は何と無く感じていたがそれを聞くのも又怖かったのである。
だから精一杯の強がりを演じていたのであった。
百合も又良一郎の親友なればこそ気を使っていたのだった。
程無くして源太郎は医術修行の為長崎に旅立って行った。
街道のはずれまで来た時 後ろから大声で叫ぶ声が聞こえた。
「いい嫁さん探して来いよー」
丘の上の大木の上から良一郎が手を振っていた。
「活人剣ー若き虎」 ー寒椿ー
何時しか良庵も七十の坂を越えていた。
しかしまだまだ意気軒昂であった。
が、息子良一郎に教えなければならない事がたくさん有ったのだ。
もし剣の道で生きて行くとしたら自分自身で体得した『音無しの剣』を教え継がせてやらねばならない、と思っていたのだ。
それは人を斬る為のものでは無い。
刀を抜かずして相手を屈服させるものである。
いわば人を生かす道『活人剣』である。
まだ若い頃、それが出来ずに辛い思いをした事がある。
放浪の末 見出した本当の武士(もののふ)の剣であるのだ。
何としてでもこの剣だけは伝えて置きたいと思ったのである。
その為あえて良一郎に毎夜真剣を持って指導した。
良一郎も父の期待に答えて命がけで修行していたのである。
龍之介はその姿を見て身震いを感じた。
「自分にあれだけの指導が出来るだろうか?」良庵の剣は師範龍之介と言えども到底太刀打ち出来るものではない。
殿の前での試合の事が思い出された。
「あの時良庵がもっと真剣に闘っていたら 俺の立場は無くなっていたであろう」
そして その息子が俺の息子になろうとしてる。
喜びが倍増したのであった。
百合に言った。
「三国一の、いや 日本一の婿殿を迎えるのだ、決して粗略にするのではないぞ」と・・・
だが良一郎は二十歳を越えたばかり、百合十七歳・・・まだ祝言を挙げるには早い、いや、早過ぎると云う事もないが 心はまだ子供である。
そして良庵の返事もまだ くれていない。
龍之介はそれを心待ちにしていたのであるが。
道場ではもう周知の事実として皆は理解していたが 天衣無縫の良一郎は相変わらずその自覚さえ無い。
毎日そこら中で悪戯をして歩く。
ある日 鰻屋の生簀の栓を抜き川まで鰻を逃がしてしまった。
川まで逃げて行くのを楽しんで見ていたのだ。
面白半分でやった事だが鰻屋の方は堪ったものではない。
美雪はお詫び方々弁償に走ったのである。
又ある時、百合を連れて丘の上に登りその一番大きな巨木の上まで百合を上がらせようとした。
「ほら、百合もあがって来い、街中が良く見えるぞ」と・・・
そしていきなり足袋を脱がせ着物の裾を太股まで捲り上げ腰の所で縛りつけ「これなら楽に上がれるだろう、さあ付いて来い」と巨木の枝まで引っ張り上げたのである。
「恥ずかしい」と言ってもお構いなしである。
しかしそこで見る風景は素晴しいものであった。
百合は感動した。
街中が眼下に広がる、今まで知らなかった世界が見下ろせる。
まじまじと良一郎を頼もしくまぶしく見たのであった。
帰って父親に興奮して話したところ龍之介は腰を抜かさんばかりに驚いた。
男手ひとつで育てた龍之介にはこんな時どうすれば良いのか解らなかったのだ。
そして苦笑いをしたのであった。
そして妻が生きていればと思ったものである。
「まだまだ子供じゃわい、祝言はまだ先の事かな」と・・・・
しかしそんな無鉄砲なところばかりでもなかった。
ある日、街角で浪人が町人の子供を無礼討ちにしようとしていたのだ。
何でも子供同士で遊んでて浪人の袴にぶつかったと云う訳だ。
良一郎は中に割って入り「子供の事だ、許してやったらどうか」と庇ったのであるが・・・
浪人は余程虫の居所が悪かったのか「どうしても手討ちにする」と息巻いていた。
「ではこの子に代わりお相手致しますが宜しいですか」若い侍に言われたのが余計腹が立ったのか 「生意気な」と ばかり、いきなり斬り付けて来たのであった。
子供を庇いその剣を交わし良一郎は扇子で小手を打ち剣を跳ね上げたのである。
空高く舞い上がった剣は良一郎の手で受け止められ 溝の中に投げ捨てられた。
町人達は歓声をあげ子供の無事を喜びあったのだった。
すぐ傍で見ていた百合は頼もしい未来の夫の姿に感動していた。
噂はすぐに広まったのである。
龍之介も鼻が高かった。
そして又一年、二年と年は過ぎていった。
堪らず良庵に早く婚礼を急ぐ様に催促をしたのである。
良庵は「まだ早い」と思いながらも了承したのであった。
しかし離れて行く子供への思いは辛いものである。
婚礼の時期を後一年後と引き延ばす事が精一杯の抵抗であったのだ。
そんな時源太郎が帰ってきた。
早速城中にて藩公にお目通りをして仁斎の後任としての挨拶を済ませたのである。
藩公もそろそろ引退して若君(吉徳公)との代替わりをしようと考えていたのだ。
が、周囲はまだ藩公綱紀公の引退を許す状況ではなかった。
頑健な藩公はもう少し厳然と睨みを利かせてくれる事を望んでいたのだ。
仁斎も又六十の坂を越える年齢にて「よくもまあ、これまで続けられたものだ」と感慨にふけっていたのであった。
仁斎は息子 源太郎に後を譲り後見として陰で支える許しを得 事実上家督を譲ったのである。
源太郎はよく働いた。
だが何か悩みを抱えている様に浮かぬ顔をしている。
ある時、良一郎に「相談したい事がある」と悩みを打ち明けた。
青天の霹靂であった。
長崎に心に留まった娘がいると云うのだ。
その娘には源太郎の子供も居ると・・・
「何とか夫婦になりたいが父上は許してくれるだろうか、町家の娘で名はおみよ、医学館で知り合い好きになってしまったのだが、連れて来る訳にもゆかず『きっと迎えに来るから』と因果を含め帰ってきたのだ」と・・・
これには良一郎も困った。
良一郎は内密に父に相談をした。
「うーん」と言ったきり腕組みをして黙ってしまった。
「美雪なら何とするかな、きっと簡単に許すであろうな」
この根回しは女が良いと考えた良庵は それとなく美雪からお涼に話してくれる様 頼んだのである。
美雪は「源ちゃんもやるわね」と笑って言った。
お涼と打ち合わせて早飛脚を長崎に送り良庵の家に呼び寄せたのである。
エキゾチックな顔をした小柄な可愛い女だった。
懐には大切な源太郎の子を抱いて不安そうな眼で玄関の入口に座っていた。
居間に導いた美雪はその生い立ちから源太郎との馴れ初めをいろいろ聞いていた。
決して良家の娘ではない、が天涯孤独の身 医療で人の役に立ちたいと苦労して医学館に入ったと・・・
「少し辛抱してここで働きながら吉報を待ちなさい」
美雪はもう決めていた。
良庵の養女にして我が家から嫁がせてやろうと。
だが良庵は慎重であった。
すぐ早馬を飛ばし おみよの身元を調べさせたのである。
おみよは薩摩藩琉球の貧農の出で両親は既に世を去り親族と呼べる者は居なかった。
だが居たのかもしれないが『殿の馬前を汚しお手討ちになったとの事』誰も身内を名乗る者が居なかったのである。
可哀想な身の上に美雪は涙した、お涼もおみよの人となりを知り賛成したのであるが 仁斎はいくら源太郎の子供だとしても子持ちの女に難色を示した。
が その気立ての良さ、働き振りを見て結局は許したのである。
祝言は簡素なものであったが源太郎はもとより皆に祝福された幸せな旅立ちであった。
街の噂では子持ちの女を貰ったと一時期 話題にもなったが(人の噂も七十五日)おみよの人柄が知られるうちに誰も何も言わなくなった。
そうこうしてるうちに良一郎の妹が療養所の医師と恋に落ちたのである。
喜んだのは龍之介である。
「良庵殿早いとこ婚儀を済まそうではないか」
だが良庵も頑固である。
「未だ一年は経って御座らん」と にべも無い返事。
「うーん、あの頑固者!」
しかし良庵は待っていたのである。
「愛・・・・そして激闘」 ー寒椿ー
「俺が美雪と一緒になったのは寒椿の咲く頃であった、その頃が良かろう」と・・・
「あの人は私たちと同じ日に婚礼をしたがっているのよ、この日が一番幸せになる事が出来ると信じて・・・」
「やれやれ、婿を迎えるのも難儀な事じゃわい」愚痴をこぼしながらもその日を指折り数える龍之介であった。
相変わらず良一郎は天衣無縫、人前でも百合の頬に顔をくっつける、百合が後ろから付いて歩くのを嫌う、手をつなぎ大手を振り大声で騒ぐ。
百合が恥ずかしがれば「いずれ夫婦じゃ、何が恥ずかしい、もっと堂々とせい」と こうである。
およそ その時代にはふさわしくない行動を取っていたのである。
大道芸でもあればひょいと百合を肩の上に乗せ「どうじゃ、特等席だろう」と笑う。
街角で百合に追いかけられて頭をポンポン叩かれる。
それでも良一郎は逃げ回るだけで怒らない。
男性社会のそれも階級社会にあっては異例の光景であっただろう。
だから余計笑いも誘った。
又良一郎は町人と云えども対等に話をする。
自分が悪いと思えばどんな子供にさえ頭を下げる。
貴賎上下で人を見ない。
何時も街の人の噂の種になる。
しかしその人柄、人気は絶大なものであったのだ。
だが一歩道場に入れば全く別人に代わる。
【加賀の猛虎】・・・・何時しかそう呼ばれていたのだ。
それが藤堂良一郎である。
ある時、良庵は「父と思わず命懸けでぶつかって来い」と真剣を持ってそう言った。
良一郎は力の限り斬りつけた が 何度やっても父の姿は数寸のところで交わされてしまう。
「剣を見るな!眼を見ろ、つま先を見よ」何度も同じ事を言われ父親の刃は良一郎の五体を襲う。
まさに鬼気迫る奥義の伝授である。
その後の良一郎は又々強くなった。
竹刀を交わす事無く相手を倒す剣を遂に身に着けたのであった。
龍之介は若き日の良庵を見た思いがしたのであった。
そんな時荻生文蔵なる人物が「一手 手合わせを」と やって来た。
生憎、師範龍之介は留守であった。
壮年組頭 川俣健輔が「師範の居られる時に来られよ」と断ったのだった。
「では明日参る、拙者柳生新陰流荻生文蔵 覚えて置かれよ」と去って行った。
龍之介は「おかしい 柳生流はお止め流のはずだが」と・・・
だが良一郎は喜んでいた「他流試合が出来る」と。
翌日その人物は現れた。
客間に通し茶を勧め「まずは身体を解してからにしましょう、若い者に一手ご教授を」と挑発したのであった。
その男は「ムッ」とした表情で「俺の剣は少々手荒いが宜しいかな」と・・・
龍之介はニヤリとして「どうぞご随意に」と答えたのであった。
一方美雪は気が気ではない。
家の中を行ったり来たり、良庵は何時もと変わらず治療を続けてる。
「あなた 心配では無いのですか、もし良一郎が大怪我でもしたらどうするんです、この薄情者!」「一緒に付いて来てください」
遂に良庵も引っ張り出される羽目になった。
格子窓から覗くと龍之介が笑顔で入って来るよう促した。
道場の入り口付近に座り 成り行きを見守ったのだった。
木刀を一振りして川俣なる人物が中央に現れた。
龍之介は「最初は良一郎、行け」と指名したのである。
道場はどよめいた、若いが一番力のある良一郎を指名するとは・・・
美雪は胸の高鳴りを抑える事が出来なかった。
良庵は小さく「息子の勝ちじゃ」と呟いたのだった。
「えっ」美雪が聞こうとした時、龍之介の「始め!」の声が響いた。
相手は真っ向から面を取りに来たが 既に良一郎の抜き胴が決まっていたのである。
「いや、まぐれじゃ、本気で行くぞっ」だが、何度闘っても相手の木刀は床を叩き空を切るばかりであった。
あちこち傷を作りすごすごと退散していったのである。
「若い者にあれだけ強い奴がいるとは、この道場は凄い者がたくさん居るだろうな」と・・・
もう道場破りして名を上げる時代では無かったが まだその夢を追う浪人も結構居たのである。
小雪が舞い椿の花のほころぶ頃となった。
良庵は伝え残した事はないかと考えていた。
去って行く息子にはもう教える事が無くなった事が淋しかった。
「すぐ近所ですよ、碁仇も何時も来るではありませんか」
美雪の言葉が恨めしく思えたのだった。
そして良一郎は藤堂家から武智の姓に代わったのである。
だが良一郎は良庵の家と龍之介の家とを行ったり来たりするのである。
それは父 良庵への思いやりでもあったのだが、傍らには何時も百合の姿があった。
良庵は又一人娘が出来たと喜んだが龍之介は面白くない。
そこで龍之介も事ある如く良庵宅を訪れる事になったのだった。
良一郎の人柄は城内でも絶大な支持を受けていた。
だがそれが面白く無い者達も 又多々居た。
それは突然やって来た。
桜舞い散る宵の事であった。
ほろ酔い加減の浪人がすれ違いざまに斬りかかって来たのだ。
酔った振りをして近ずいたのである。
すぐさま取り押さえ家に連れ帰ったのである。
義父龍之介は「不届きな奴、斬捨てよ」と言ったが、良一郎は百合に食事の支度をさせ一緒に食べる事にしたのだった。
「誰に頼まれたは聞かん、だが命は大切にせい、お前が死ねば悲しむ者も居るであろう」と・・・
静かな語り口に彼は重い口を開いた。
彼の名は 椎名源蔵 草の者を束ねる裏柳生の頭だった。
「実は江戸では天下第一の剣は武智良一郎也との噂が飛び交っている、この分では柳生の名も軽んじられる」
「その噂の出所と武智何がしの技量 器を調べる様に御本家からの指示があって【草の者】『その土地に代々住みその藩の情勢を逐一江戸表に報告する裏柳生の忍者』一同で貴殿の周辺を洗っている所で御座います」
「拙者はおぬしに惚れ申しました、失礼の段ご容赦を」「噂はどうも貴殿の失脚を望んでいる者の仕業で御座ろう・・・」と。
すぐそれは判明した。
日頃から良一郎を快く思わない者達の仕業だった。
次席家老大場万四郎の周辺から「そうした噂を流せば柳生は黙って居まい、必ず良一郎は柳生の手によって抹殺されるに違いない」との思惑で 江戸の町人たちに流布したとの事である。
清廉潔白な彼がこのまま大きくなれば自分達の立場が危うくなる、との恐れからであったのだ。
真相は柳生本家から上様(家綱候)そして藩公に伝えられたのである。
藩公は激怒した。
そして大場の処断を決意した。
良一郎は「人は誰でも過ちを犯すもの、叱り置くだけで宜しいのでは」と言上したのだった。
大場は自らを恥じ隠居届けを出したのである。
将軍家綱は良一郎に一方ならぬ興味を持たれた。
是非今度の参勤交代の折には連れて来るように命じたのであった。
そして柳生との手合わせを望んだ。
最近は寝込むことが多くなった良庵は良一郎を呼んで「これが最後の言葉かも知れん」と 前置きをして「どんな戦いにも敵は己の中にあると思え、勝ち負けは天が決めるもの、自分らしく堂々と生き抜け」と言ったのである。
上様の前でどう戦えばいいのか迷っていた良一郎は目の前の鱗が落ちた様な気がしたのであった。
それまで「勝てば柳生家に傷がつく、負ければ藩公に申し訳が立たない、どうしたら良いのか」との迷いが重くのしかかっていたのである。
晴々とした気持ちで江戸の土を踏んだ。
拝謁も終わり良一郎は柳生邸に招かれた。
良一郎は知る由もないが既に柳生ではそうした会見の中で彼の力量、心構えを見知って置く腹であったのであったのである。
一目で但馬守は良一郎が並みの人物ではない事を見抜いた。
四方山話に花が咲いた。
「時におぬしの剣は何処で学ばれた」「父と武智龍之介で御座います」
「ほう、父上とな・・・で、お名前は何と申す」当主但馬守が聞いた。
「医師 良庵と申します」「ほう、医師とはのう・・・?」「昔は藤堂新九郎と名乗っていました」
「おう 道理で、懐かしいのう、音無しの剣・・・か、で 今もご健在かな?」
遠く昔を思い出す様に言ったのだった。
改めて父の偉大さを知った良一郎であった。
「堂々たる人生、そして愛」 ー寒椿ー
翌日 良く晴れた日 いよいよ試合の当日・・・
上様の前にての晴れ舞台である。
だがお止め流の為極秘裏に公式には発表されない試合であった。
相手は四天王の一人柳生宗近、相手に取って不足は無い。
互いに礼をして向かい合った。
一刻一刻と時間は経って行く、だがどちらも仕掛ける様子はない、いや、仕掛けられないのである。
良一郎は「これは先に仕掛けた方が負けだな」と悟った。
上様は「これはどうした?」と但馬守に聞いたのである。
但馬守は「これは心と心がぶつかり合った勝負で御座る、天下の名勝負になるで御座居ましょう」と・・・
「家光候ご存命の折、私が戦った藤堂新九郎の息子で御座います」「奇しくも二代で戦おうとは夢にも思いませなんだ」「立派な人物と見受けられます」
そして「この男が居る限り加賀藩は安泰ですな」と・・・
ザザザッと砂利を掃く足袋の音だけが響く。
二時間半程 そうしたせめぎ合いは続いた。
ジリッジリッと良一郎は間を詰めて行く。
堪らず先に仕掛けたのは宗近の方だった。
一瞬体勢が入れ替わった時 宗近の木刀は中空を舞っていたのである。
「参りました、宗近殿の小手が早う御座った、これが真剣なれば先に私の手は斬られていたでしょう」と良一郎は一礼したのであった。
「いや、貴殿は強い、拙者ももっと修行せねばなりませんな」と宗近・・・
但馬守は完敗を認めていた、だが口にする事はなかった。
柳生の負けは許されない宿命であったからだ。
上様は「見事な試合であった、どちらも勝者じゃな」と上機嫌で 良一郎は一刺の懐剣を賜ったのである。
柳生家も藩公も傷つく事の無い結末であった。
それからの宗近と良一郎の親交は生涯続いたのである。
こうして半年ほど過ぎた頃、国許から早馬が届いた。
『良庵殿の様態急変』の知らせであった。
早速藩公は良一郎の任を解き国許に帰らせたのである。
馬を飛ばし昼夜の別無く走った。
「間に合ったか!」「父上只今帰りました、お加減は如何」
良庵は静かに笑い「首はついておるか・・・」と言った。
「無事終わりました」そして又 眠り始めたのだった。
母 美雪と相談して妹美鈴の結婚を取急ぎ行ったのである。
それを静かに見守った良庵は笑顔で旅立って逝ったのだった。
仁斎、龍之介も泣いていた。
美雪は気丈にも振る舞い 全てを取り仕切り良一郎に言った。
「私の命は父上のものです、もし後を追っても見苦しき事は無き様に」と・・・
その覚悟の固さは理解出来たものの良一郎は「母上、お気持ちは承りました、お止めは致しません がしかし母上には未だ大切なお役目があります」
「私の子供の顔を見てやってください、それまでは死ねませんぞ」と・・・・
百合には「まだ子供は作るまいぞ」と言い渡したのである。
龍之介も早く孫の顔は見たいと思っていたが、その事情を理解してくれたのだった。
龍之介は良庵の代わりは出来ないものの 努めて美雪の元に通ったのである。
そうした思いやりの心の判らぬ美雪ではなかったが やはり淋しさは日に日に募り一度に歳を取ってしまった思いがした。
一人縁側で寒椿を眺めながら小さな声で「あなた・・・」と語りかけるのであった。
百合は「お母上の初恋の話を聞きたいわ」と話し掛け、苦しかった旅の話から今日までの出来事を詳しく知った。
「あの人は最後まで私を慈しみ愛し、育ててくれました」「いずれ良一郎もそうなれば母は嬉しいのですが・・・」
涙の中で聞きながら 素晴しい夫を持った事に余計嬉しく思ったのである。
ある日百合の前にポンと投げられた懐剣に「何ですか、これは?」「何 上様がくれたものじゃ、百合にやるから包丁代わりにでも使え」と・・・
何と云う男であろう、葵の御紋の入った大切な戴き物を包丁代わりに使えとは・・・
「所詮 人斬り包丁だ」と笑って言う。
実に大胆で豪快な男であった。
二年後百合が身篭った。
母の名を頂き『美雪』と名付けられた。
良一郎は「さあ母上の出番じゃ、七五三までは死ねませんぞ」と美雪に告げたのである。
美雪はそんなに自分を思ってくれる息子に感謝し、又生きる勇気と希望を持ったのであった。
そして又一年置いて再び可愛い子供が生まれた。
今度は双子であった 今度も女の子だった。
その時代 双子は畜生腹と云って忌み嫌われたものである。
密かに里子に出すのが普通であったが 良一郎は「皆私の可愛い子供じゃ」と里子に出す事無く 大切に育てたのだった。
龍之介は「これでは女ばかりではないか、男を作らねば家が絶えるぞ、外に女を作ったらどうか」と言った。
だが彼は生涯百合一人を愛し続けた。
普通武家の家では子孫を多く残す為 妾を持つのは普通の事であったが 良一郎は唯一人百合だけを愛したのである。
何時も「おばあさま、おばあさま」と良くなついた。
美雪の膝は可愛い孫たちに占領されっぱなしだった。
それが又美雪にはたまらなく嬉しかったのである。
ある日美雪は龍之介に「囲碁を教えてくださいな」と言った。
門前の小僧 ではないが中々筋がいい。
龍之介も喜んで毎日通い続けた。
それを知った仁斎も 又負けじと通う。
お涼も仲間に加わった。
もう若い者の時代である。
良庵亡き後のこの家は老人の集会所と化していったのである。
何時しか近所の老人たちも集まってきた。
そんな姿を眺め 良一郎百合夫婦の頬も緩んだ。
ある日 仁斎は「良庵殿と碁が打ちとうなった」と言って帰って行った。
そしてこの屋敷に来る事もなくなったのである。
間もなく仁斎も良庵の元に旅立って行ったのであった。
美雪も又床に伏せる日が多くなった。
時々昔の事を思い出す。
吹雪き舞う中を兄と二人でさまよい歩いた日々、死の淵から救ってくれた良庵との出会い・・・
そして最愛の息子『良一郎』を授かった時の喜び。
全てが走馬灯の様に駆け巡った。
「もうすぐ会えるわね、待っててね」美雪はそう椿の花に語り掛けたのだった。
ー寒椿ー ー完結ー
源太郎は口を尖らせてそう言った。
一方『あいつ』事 良一郎の家では「あいつは早苗ちゃんとばかり口を聞いて俺と話をしてくれなくなったんだもん」「だからと言って早苗ちゃんを苛めて良いと云う事にはならん」と叱られていた。
「お前は幾つになった まだ十歳だろう、源太郎は十三歳、もう女の子に興
味を持つ年頃なんだ」「当分は辛抱しろ、そのうち又お前と話をする様になる」「俺も早苗ちゃんは好きだ、だから振り向いてくれない早苗ちゃんにも腹が立ったんだ、父上あいつに注意してよ」
それを黙って聞いていた母親 美雪は笑いをこらえるのに必死だった。
兄弟同様に育った二人が 一人の女の子を巡って幼い恋の鞘当をしてる。
「私にもあんな時代が欲しかったなー」と思いながら 源太郎と組み合った傷の手当てをしてやっていた。
又 源太郎の家でも お涼が「良ちゃんの傷は大丈夫?」と聞きながら源太郎の手当てをしていたのだ。
仲が良い癖に会えばすぐ取っ組み合いを始める。
兎に角二人とも向こうっ気が強い。
一日会わないともう心配する。
「父上あいつ病気にでもなったのかなー」「ちょっと様子を見て来るよ」と家を飛び出して行く。
久しぶりに剣術師範の武智龍之介がやって来た。
例の如く 碁を打ちながら二人の話に及んだ。
「源太郎はまあ年相応の普通の力だが、良一郎は非凡なものを感じる、が気性が激しいのが気になるのう」「良庵殿のお子とは思えぬ」と・・・
「いや私も子供の頃はあんなものだったから心配する事も無かろう」
「この間もよ、一度参ったと言わせてやろうと思って強かに打ち据えたところ、竹刀を投げつけ その隙に太股に噛み付きおった」「それこれが傷跡だ」
成る程、太股に歯型がくっきりと付いていた。
良庵は笑いながら「それは災難だったのう」「で 少し治療でもしてゆくか?」
「いや、そんな必要は無いがもう少しおとなしくならんものかなー」「他の子供たちの生傷が絶えん」
良庵は考えた。
「大人の組に入れて徹底的にしごいてくれよ」「あいつはやられる事がクスリじゃて」
そこへ良一郎が泥だらけで帰ってきた。
「おい、良一郎明日から若者組で稽古じゃ」師範龍之介が声をかけた。
「先生、源太郎も一緒か?」「いやお前だけだ」「なら嫌じゃ、源太郎も一緒でなければ嫌じゃ」
龍之介は仕方なく両名とも若者組に入れる事にしたが・・・
翌日若者頭に「源太郎には手加減してやる様に、良一郎は手加減無用」と命じたのであった。
だが二三日は二人は若者組の竹刀の鋭さ、力の強さに戸惑った。
が 良一郎はすぐ慣れて小さな身体で鋭い動きを見せる様になっていった。
ある日、若者の一人が良一郎の胴を払った、途端その身体が一瞬消えたのだ。
「面!」鋭い声と共に若者の額に見事良一郎の竹刀が唸りをあげて飛び込んだのである。
払った胴の遥か上まで飛び上がり面を取ったのであった。
流石の師範も驚いた。
そして御前試合の良庵の太刀筋を思い出したのである。
「この子はどれだけ強くなるのか」楽しみが沸いてきた。
だがその一本が若者組の闘志に火をつけた事は確かであった。
毎日徹底的にしごかれる。
だが道場を出るともう何事も無かった様に走り回る。
鼻の頭に膏薬を貼り手足は痣だらけ、これでは早苗も余計嫌がるに決まっている。
源太郎は得意満面、早苗と話をしてる、それが又面白くない。
又二人は取っ組み合いを始める。
しかし ある日源太郎が早苗と話をしている時、普請奉行の息子が二人に因縁をつけたのだ。
二人に対する嫉妬(ジェラシー)からである。
すると後ろから付いて来ていた良一郎が 猛然と飛び掛っていったのである。
二人を守る為五歳も年上の男と取っ組み合いを始めてしまった。
何時もの傷とは違うのに気付いた良庵は、手当てをしながら事の顛末を聞こうとした所へお涼がやってきた。
何でも普請奉行の息子が骨折したと言うのである。
早速美雪が菓子折りを持って詫びを入れに出向いたのだった。
事の顛末を聞いた良庵は息子を叱る事が出来なかった。
親友の危機を救った良一郎がいとおしくて溜まらなかった。
普請奉行の息子の治療は仁斎が行ったのであるが、仁斎も又早苗を守れなかった息子に「女を守れない男がわしの息子だとは恥ずかしい」と嘆いていたのである。
後日、奉行と良庵が顔を合わせる機会があった時「良庵殿、だらしの無い息子を許してくれ」と頭を下げられたのに対し「いえ、私の息子のせいでご無礼を仕った」と・・・
「お互い子供の事では頭が痛いですなー」と笑い合ったのである。
その後早苗の心は源太郎と良一郎の間で揺れ動くのであった。
「源太郎さんは優しいし良一郎さんは勇気があるし・・・二人とも仲良しだし、どっちがいいかな?」
だが早苗にはまだ両家の格式とか 世の中が判っていなかった。
早苗の父親は『大工の棟梁』長屋住まいの町人なのだ。
現代の様に好きなら一緒になればよい、と云う時代ではなかったのである。
源太郎には姉が二人居た、良一郎にも妹が一人 だがどちらも長男である事には代わりはない。
家の跡を継がねばならない身である。
だが知ってか知らずか二人の恋の鞘当は続くのであった。
だがこうした時代にも抜け道はあった。
何処かの武家の家の養女にでもなってそこからお嫁に行く と云う手も有るにはあったのだが・・・
それには余程の信用もないと出来ない事だった。
この十年の間に藩政改革は随分行われた。
良庵の所では養生所(今で云う入院設備)も作られた。
藩からの扶持(予算)も貰い金の無い者でも 養生所で療養出来る様になっていた。
若い医師も三人働いている、他にも手伝いをする女性も四人、大所帯になった。
又仁斎は無役ながら家老のご意見番として登用され 御殿医と兼任して藩政に貢献してたのである。
川の曲りくねった所には貯水池を作り 川筋を出来るだけ真っ直ぐにして氾濫を防ぎ 被害を最小限にとどめる事業も普請奉行に指示して行わせた。
加賀藩には美味しい菓子が一杯ある。
それを商家を通じ全国に広め、売らせる方法も取った。
そうした改革は目には見えなくとも確実に藩の財政を豊かにしたのである。
その良き助言者(アドバイザー)は他ならぬ良庵であったが・・・
源太郎と良一郎は例の如く朝早くから早苗の顔見たさに いそいそと長屋に向かった。
源太郎の手には花束が、良一郎の手には小太刀が、如何にも良一郎らしい発想であった。
それから三年後、源太郎は元服の儀式を迎えた。
仁斎は長崎で医術の修行をさせようと思ったが 藩公は「今度の参勤交代の後でもよかろう、一度江戸の地でも見てそれからにせい」と仁斎に命じたのである。
藩公は日頃の源太郎の勉学振りを聞き知って『いずれこの藩を背負って立つ男』と見込んでいたのだった。
仁斎は「広い世界を見るのも又役に立つかも」と有難くお受けしたのであった。
良一郎はちょっぴり羨ましかったが「これで早苗と二人だけで話が出来る」と大喜びしたのである。
だが何時も源太郎と張り合っていた時とは何かが違っていた。
あれ程夢中になっていた早苗に対する情熱が消えていったのだった。
やはりライバルが居ないと燃えるものが無いのか。
でも何となく気になる存在では有ったのではあるが・・・
次第にそれは早苗にも伝わるものがあった。
そして身分の違いで結ばれる間柄では無い事も・・・
そんな時、早苗の前に雑貨屋の息子、仙造が現れたのである。
不思議と良一郎は嫉妬心が沸いて来なかった。
「本当は良一郎さんも源太郎さんも大好きよ、でもどんなに頑張っても一緒にはなれないもんね」「仙造さんについて行くわ」
良一郎は仙造に「絶対大事にしてやれよ」と言ったのであった。
こうして良一郎の初恋は終わったのである。
「黎明、それぞれの旅立ち」 ー寒椿ー
良一郎も元服し 毎日父親の指導で医術を学ぶ傍ら道場で汗を流していた。
今では立派な若侍となっていたのだった。
ある日「父上は本当に強いの? 庭先で木刀を振ってるだけで誰とも手合わせした所を見た事がないけど」笑って良庵は「強くは無いさ」「皆がそう思っているだけだ」
良一郎は今では道場を代表する程の強さになっていた。
若者組から青年組に入っても、際立って強さを発揮していたのだ。
師範は「この子はもっと大きな所で修行した方が良いのではないか・・・江戸には多くの剣客が居る、そんな所で揉まれたら良いのでは・・・」と考えていたが「良庵は許さないだろう、何しろ医師の長男だからなー」とその才能を惜しんだ。
実は良庵も悩んでいたのである。
良一郎は医師より違う道があるのではないのか、もう少し自由にさせて置いてやれば本人が何かを見つけるだろう」と・・・
考えた末、良庵は良一郎を庭先に呼び「父と思わず打ち込んで参れ」と言ったのである。
「よし、父上の本当の力を見せて貰おう」と思いっきり打ち込んで行った。
だが何度打ち込んでもそこに父の姿はいない。
わずか数寸のところで交わされてしまう。
「こんな筈ではない、どうしてだ?」「まだまだ甘いのう、俺の眼を見ろ」「つま先の動きを見ろ」「剣を見るな」
良一郎は父の強さをまざまざと見せられた。
翌日、父の教えを肝に銘じ朋輩と手合わせをしてみた。
すると どうであろう・・・相手の動きがよく見える。
相手の動きが面白い様に読めるのだ。
その後の良一郎は見違える程 長足の進歩を遂げたのだった。
龍之介は言った「良庵殿、良一郎を娘の婿にくれんかのう」
「それは当人同士が好き合えばの事でしょう、まだ私も娘御を見た事もないから一度遊びに来られたら如何かな」
そして親の思惑など知らず 良一郎は娘百合と引き合わせられたのであった。
良一郎は「何だ、あの赤毛は」とまるで興味を示さなかった。
一緒の道場で顔を合わせてはいるものの まるで眼中に無かったのである。
成る程髪の色が幾分栗毛がかっている、だが人懐きそうな可愛い顔をしていた。
そして気立ての良さそうな娘である。
「まあ、付き合って行くうちにいろいろ良い所も悪い所も解ってくるだろう」良庵は好感を持ったが 何分本人が気に入らなければ仕方が無い。
そうこうしてるうちに源太郎が帰ってきた。
早苗の事を聞いて肩を落としていたが すぐ百合にちょっかいを出す様になったのである。
そうなると良一郎も黙っていない。
又々喧嘩の始まりである。
美雪は面白くて堪らない、お涼と話し合って大笑いをするのであった。
何故仲の良い二人が 何時も一人の女を巡って喧嘩するのか、意味が判らない。
女の子は幾らでも居るのに・・・・
だが今度は源太郎に分が悪い。
「源ちゃん可哀想だね」美雪が言うと「何故だ 母上は源太郎の味方か?」と・・・
「良一郎はあの子が気に入らなかったんじゃないの?」「いや、今は好きじゃ」「誰が源の野郎に取られて堪るか」と、こうである。
龍之介も良庵もこの恋の鞘当に大笑いした。
「この縁談受けてくれんかのう」「まだ判らんぞ、もし源太郎が本気だったらどうする?」
龍之介は「いずれ藩の指南役をする事になろう、源太郎ではどうもなー」
「おいおい、未だそうと決めて貰っては困る、こちらも跡取りだからのう」
「うーん・・・」父親二人が頭を痛めている事など彼らにはどうでも良い事、結構仲良くやっていた。
まだ良庵が若く藤堂新九郎と名乗っていた頃、三代将軍家光公の前での御前試合・・・柳生の剣客と昼から日没まで闘った事がある。
だが決着が付かず『勝負預り』となったのだ。
小藩ながら西国に藤堂新九郎在り、と存在を示したのであった。
その血脈は良一郎に確実に受け継がれている。
良庵は遠く若い頃を思い出していた。
良一郎の将来どう生きれば一番好いのか・・・親として何をしてやれるのか?
良庵は悩んだ。
妹に婿でも取らせるか、そして良一郎には自分の好きな道を歩かせてやるか・・・?
その気持ちは龍之介も良く解っていた。
それだけに良一郎の行く末に責任も感じていたのだった。
どうやら良一郎と百合は巧く行っている様である。
源太郎の出現で状況は一変したのだった。
時の氏神とはこんな事も云うのかもしれない。
だが源太郎は面白くない。
「ふん、江戸の女の方が可愛いわい、俺は江戸の女を女房にしてみせるわい」
精一杯の強がりを言って彼は百合の前から去って行った。
今度は良一郎が淋しくなった、友の悲しみは自分の悲しみでもあったのだ。
でも以前とは違い百合を本当に愛し始めて居た。
幼い頃から小太刀を使い、道場狭しと暴れ廻っていた百合にも源太郎の太刀さばきは物足りなく、頼り甲斐の無い男に思えていた。
だから幾ら源太郎が好意を持ってもそれは無理と云うものである。
唯 相手を傷つけまいと思って口には出さなかっただけの事であった。
源太郎は何と無く感じていたがそれを聞くのも又怖かったのである。
だから精一杯の強がりを演じていたのであった。
百合も又良一郎の親友なればこそ気を使っていたのだった。
程無くして源太郎は医術修行の為長崎に旅立って行った。
街道のはずれまで来た時 後ろから大声で叫ぶ声が聞こえた。
「いい嫁さん探して来いよー」
丘の上の大木の上から良一郎が手を振っていた。
「活人剣ー若き虎」 ー寒椿ー
何時しか良庵も七十の坂を越えていた。
しかしまだまだ意気軒昂であった。
が、息子良一郎に教えなければならない事がたくさん有ったのだ。
もし剣の道で生きて行くとしたら自分自身で体得した『音無しの剣』を教え継がせてやらねばならない、と思っていたのだ。
それは人を斬る為のものでは無い。
刀を抜かずして相手を屈服させるものである。
いわば人を生かす道『活人剣』である。
まだ若い頃、それが出来ずに辛い思いをした事がある。
放浪の末 見出した本当の武士(もののふ)の剣であるのだ。
何としてでもこの剣だけは伝えて置きたいと思ったのである。
その為あえて良一郎に毎夜真剣を持って指導した。
良一郎も父の期待に答えて命がけで修行していたのである。
龍之介はその姿を見て身震いを感じた。
「自分にあれだけの指導が出来るだろうか?」良庵の剣は師範龍之介と言えども到底太刀打ち出来るものではない。
殿の前での試合の事が思い出された。
「あの時良庵がもっと真剣に闘っていたら 俺の立場は無くなっていたであろう」
そして その息子が俺の息子になろうとしてる。
喜びが倍増したのであった。
百合に言った。
「三国一の、いや 日本一の婿殿を迎えるのだ、決して粗略にするのではないぞ」と・・・
だが良一郎は二十歳を越えたばかり、百合十七歳・・・まだ祝言を挙げるには早い、いや、早過ぎると云う事もないが 心はまだ子供である。
そして良庵の返事もまだ くれていない。
龍之介はそれを心待ちにしていたのであるが。
道場ではもう周知の事実として皆は理解していたが 天衣無縫の良一郎は相変わらずその自覚さえ無い。
毎日そこら中で悪戯をして歩く。
ある日 鰻屋の生簀の栓を抜き川まで鰻を逃がしてしまった。
川まで逃げて行くのを楽しんで見ていたのだ。
面白半分でやった事だが鰻屋の方は堪ったものではない。
美雪はお詫び方々弁償に走ったのである。
又ある時、百合を連れて丘の上に登りその一番大きな巨木の上まで百合を上がらせようとした。
「ほら、百合もあがって来い、街中が良く見えるぞ」と・・・
そしていきなり足袋を脱がせ着物の裾を太股まで捲り上げ腰の所で縛りつけ「これなら楽に上がれるだろう、さあ付いて来い」と巨木の枝まで引っ張り上げたのである。
「恥ずかしい」と言ってもお構いなしである。
しかしそこで見る風景は素晴しいものであった。
百合は感動した。
街中が眼下に広がる、今まで知らなかった世界が見下ろせる。
まじまじと良一郎を頼もしくまぶしく見たのであった。
帰って父親に興奮して話したところ龍之介は腰を抜かさんばかりに驚いた。
男手ひとつで育てた龍之介にはこんな時どうすれば良いのか解らなかったのだ。
そして苦笑いをしたのであった。
そして妻が生きていればと思ったものである。
「まだまだ子供じゃわい、祝言はまだ先の事かな」と・・・・
しかしそんな無鉄砲なところばかりでもなかった。
ある日、街角で浪人が町人の子供を無礼討ちにしようとしていたのだ。
何でも子供同士で遊んでて浪人の袴にぶつかったと云う訳だ。
良一郎は中に割って入り「子供の事だ、許してやったらどうか」と庇ったのであるが・・・
浪人は余程虫の居所が悪かったのか「どうしても手討ちにする」と息巻いていた。
「ではこの子に代わりお相手致しますが宜しいですか」若い侍に言われたのが余計腹が立ったのか 「生意気な」と ばかり、いきなり斬り付けて来たのであった。
子供を庇いその剣を交わし良一郎は扇子で小手を打ち剣を跳ね上げたのである。
空高く舞い上がった剣は良一郎の手で受け止められ 溝の中に投げ捨てられた。
町人達は歓声をあげ子供の無事を喜びあったのだった。
すぐ傍で見ていた百合は頼もしい未来の夫の姿に感動していた。
噂はすぐに広まったのである。
龍之介も鼻が高かった。
そして又一年、二年と年は過ぎていった。
堪らず良庵に早く婚礼を急ぐ様に催促をしたのである。
良庵は「まだ早い」と思いながらも了承したのであった。
しかし離れて行く子供への思いは辛いものである。
婚礼の時期を後一年後と引き延ばす事が精一杯の抵抗であったのだ。
そんな時源太郎が帰ってきた。
早速城中にて藩公にお目通りをして仁斎の後任としての挨拶を済ませたのである。
藩公もそろそろ引退して若君(吉徳公)との代替わりをしようと考えていたのだ。
が、周囲はまだ藩公綱紀公の引退を許す状況ではなかった。
頑健な藩公はもう少し厳然と睨みを利かせてくれる事を望んでいたのだ。
仁斎も又六十の坂を越える年齢にて「よくもまあ、これまで続けられたものだ」と感慨にふけっていたのであった。
仁斎は息子 源太郎に後を譲り後見として陰で支える許しを得 事実上家督を譲ったのである。
源太郎はよく働いた。
だが何か悩みを抱えている様に浮かぬ顔をしている。
ある時、良一郎に「相談したい事がある」と悩みを打ち明けた。
青天の霹靂であった。
長崎に心に留まった娘がいると云うのだ。
その娘には源太郎の子供も居ると・・・
「何とか夫婦になりたいが父上は許してくれるだろうか、町家の娘で名はおみよ、医学館で知り合い好きになってしまったのだが、連れて来る訳にもゆかず『きっと迎えに来るから』と因果を含め帰ってきたのだ」と・・・
これには良一郎も困った。
良一郎は内密に父に相談をした。
「うーん」と言ったきり腕組みをして黙ってしまった。
「美雪なら何とするかな、きっと簡単に許すであろうな」
この根回しは女が良いと考えた良庵は それとなく美雪からお涼に話してくれる様 頼んだのである。
美雪は「源ちゃんもやるわね」と笑って言った。
お涼と打ち合わせて早飛脚を長崎に送り良庵の家に呼び寄せたのである。
エキゾチックな顔をした小柄な可愛い女だった。
懐には大切な源太郎の子を抱いて不安そうな眼で玄関の入口に座っていた。
居間に導いた美雪はその生い立ちから源太郎との馴れ初めをいろいろ聞いていた。
決して良家の娘ではない、が天涯孤独の身 医療で人の役に立ちたいと苦労して医学館に入ったと・・・
「少し辛抱してここで働きながら吉報を待ちなさい」
美雪はもう決めていた。
良庵の養女にして我が家から嫁がせてやろうと。
だが良庵は慎重であった。
すぐ早馬を飛ばし おみよの身元を調べさせたのである。
おみよは薩摩藩琉球の貧農の出で両親は既に世を去り親族と呼べる者は居なかった。
だが居たのかもしれないが『殿の馬前を汚しお手討ちになったとの事』誰も身内を名乗る者が居なかったのである。
可哀想な身の上に美雪は涙した、お涼もおみよの人となりを知り賛成したのであるが 仁斎はいくら源太郎の子供だとしても子持ちの女に難色を示した。
が その気立ての良さ、働き振りを見て結局は許したのである。
祝言は簡素なものであったが源太郎はもとより皆に祝福された幸せな旅立ちであった。
街の噂では子持ちの女を貰ったと一時期 話題にもなったが(人の噂も七十五日)おみよの人柄が知られるうちに誰も何も言わなくなった。
そうこうしてるうちに良一郎の妹が療養所の医師と恋に落ちたのである。
喜んだのは龍之介である。
「良庵殿早いとこ婚儀を済まそうではないか」
だが良庵も頑固である。
「未だ一年は経って御座らん」と にべも無い返事。
「うーん、あの頑固者!」
しかし良庵は待っていたのである。
「愛・・・・そして激闘」 ー寒椿ー
「俺が美雪と一緒になったのは寒椿の咲く頃であった、その頃が良かろう」と・・・
「あの人は私たちと同じ日に婚礼をしたがっているのよ、この日が一番幸せになる事が出来ると信じて・・・」
「やれやれ、婿を迎えるのも難儀な事じゃわい」愚痴をこぼしながらもその日を指折り数える龍之介であった。
相変わらず良一郎は天衣無縫、人前でも百合の頬に顔をくっつける、百合が後ろから付いて歩くのを嫌う、手をつなぎ大手を振り大声で騒ぐ。
百合が恥ずかしがれば「いずれ夫婦じゃ、何が恥ずかしい、もっと堂々とせい」と こうである。
およそ その時代にはふさわしくない行動を取っていたのである。
大道芸でもあればひょいと百合を肩の上に乗せ「どうじゃ、特等席だろう」と笑う。
街角で百合に追いかけられて頭をポンポン叩かれる。
それでも良一郎は逃げ回るだけで怒らない。
男性社会のそれも階級社会にあっては異例の光景であっただろう。
だから余計笑いも誘った。
又良一郎は町人と云えども対等に話をする。
自分が悪いと思えばどんな子供にさえ頭を下げる。
貴賎上下で人を見ない。
何時も街の人の噂の種になる。
しかしその人柄、人気は絶大なものであったのだ。
だが一歩道場に入れば全く別人に代わる。
【加賀の猛虎】・・・・何時しかそう呼ばれていたのだ。
それが藤堂良一郎である。
ある時、良庵は「父と思わず命懸けでぶつかって来い」と真剣を持ってそう言った。
良一郎は力の限り斬りつけた が 何度やっても父の姿は数寸のところで交わされてしまう。
「剣を見るな!眼を見ろ、つま先を見よ」何度も同じ事を言われ父親の刃は良一郎の五体を襲う。
まさに鬼気迫る奥義の伝授である。
その後の良一郎は又々強くなった。
竹刀を交わす事無く相手を倒す剣を遂に身に着けたのであった。
龍之介は若き日の良庵を見た思いがしたのであった。
そんな時荻生文蔵なる人物が「一手 手合わせを」と やって来た。
生憎、師範龍之介は留守であった。
壮年組頭 川俣健輔が「師範の居られる時に来られよ」と断ったのだった。
「では明日参る、拙者柳生新陰流荻生文蔵 覚えて置かれよ」と去って行った。
龍之介は「おかしい 柳生流はお止め流のはずだが」と・・・
だが良一郎は喜んでいた「他流試合が出来る」と。
翌日その人物は現れた。
客間に通し茶を勧め「まずは身体を解してからにしましょう、若い者に一手ご教授を」と挑発したのであった。
その男は「ムッ」とした表情で「俺の剣は少々手荒いが宜しいかな」と・・・
龍之介はニヤリとして「どうぞご随意に」と答えたのであった。
一方美雪は気が気ではない。
家の中を行ったり来たり、良庵は何時もと変わらず治療を続けてる。
「あなた 心配では無いのですか、もし良一郎が大怪我でもしたらどうするんです、この薄情者!」「一緒に付いて来てください」
遂に良庵も引っ張り出される羽目になった。
格子窓から覗くと龍之介が笑顔で入って来るよう促した。
道場の入り口付近に座り 成り行きを見守ったのだった。
木刀を一振りして川俣なる人物が中央に現れた。
龍之介は「最初は良一郎、行け」と指名したのである。
道場はどよめいた、若いが一番力のある良一郎を指名するとは・・・
美雪は胸の高鳴りを抑える事が出来なかった。
良庵は小さく「息子の勝ちじゃ」と呟いたのだった。
「えっ」美雪が聞こうとした時、龍之介の「始め!」の声が響いた。
相手は真っ向から面を取りに来たが 既に良一郎の抜き胴が決まっていたのである。
「いや、まぐれじゃ、本気で行くぞっ」だが、何度闘っても相手の木刀は床を叩き空を切るばかりであった。
あちこち傷を作りすごすごと退散していったのである。
「若い者にあれだけ強い奴がいるとは、この道場は凄い者がたくさん居るだろうな」と・・・
もう道場破りして名を上げる時代では無かったが まだその夢を追う浪人も結構居たのである。
小雪が舞い椿の花のほころぶ頃となった。
良庵は伝え残した事はないかと考えていた。
去って行く息子にはもう教える事が無くなった事が淋しかった。
「すぐ近所ですよ、碁仇も何時も来るではありませんか」
美雪の言葉が恨めしく思えたのだった。
そして良一郎は藤堂家から武智の姓に代わったのである。
だが良一郎は良庵の家と龍之介の家とを行ったり来たりするのである。
それは父 良庵への思いやりでもあったのだが、傍らには何時も百合の姿があった。
良庵は又一人娘が出来たと喜んだが龍之介は面白くない。
そこで龍之介も事ある如く良庵宅を訪れる事になったのだった。
良一郎の人柄は城内でも絶大な支持を受けていた。
だがそれが面白く無い者達も 又多々居た。
それは突然やって来た。
桜舞い散る宵の事であった。
ほろ酔い加減の浪人がすれ違いざまに斬りかかって来たのだ。
酔った振りをして近ずいたのである。
すぐさま取り押さえ家に連れ帰ったのである。
義父龍之介は「不届きな奴、斬捨てよ」と言ったが、良一郎は百合に食事の支度をさせ一緒に食べる事にしたのだった。
「誰に頼まれたは聞かん、だが命は大切にせい、お前が死ねば悲しむ者も居るであろう」と・・・
静かな語り口に彼は重い口を開いた。
彼の名は 椎名源蔵 草の者を束ねる裏柳生の頭だった。
「実は江戸では天下第一の剣は武智良一郎也との噂が飛び交っている、この分では柳生の名も軽んじられる」
「その噂の出所と武智何がしの技量 器を調べる様に御本家からの指示があって【草の者】『その土地に代々住みその藩の情勢を逐一江戸表に報告する裏柳生の忍者』一同で貴殿の周辺を洗っている所で御座います」
「拙者はおぬしに惚れ申しました、失礼の段ご容赦を」「噂はどうも貴殿の失脚を望んでいる者の仕業で御座ろう・・・」と。
すぐそれは判明した。
日頃から良一郎を快く思わない者達の仕業だった。
次席家老大場万四郎の周辺から「そうした噂を流せば柳生は黙って居まい、必ず良一郎は柳生の手によって抹殺されるに違いない」との思惑で 江戸の町人たちに流布したとの事である。
清廉潔白な彼がこのまま大きくなれば自分達の立場が危うくなる、との恐れからであったのだ。
真相は柳生本家から上様(家綱候)そして藩公に伝えられたのである。
藩公は激怒した。
そして大場の処断を決意した。
良一郎は「人は誰でも過ちを犯すもの、叱り置くだけで宜しいのでは」と言上したのだった。
大場は自らを恥じ隠居届けを出したのである。
将軍家綱は良一郎に一方ならぬ興味を持たれた。
是非今度の参勤交代の折には連れて来るように命じたのであった。
そして柳生との手合わせを望んだ。
最近は寝込むことが多くなった良庵は良一郎を呼んで「これが最後の言葉かも知れん」と 前置きをして「どんな戦いにも敵は己の中にあると思え、勝ち負けは天が決めるもの、自分らしく堂々と生き抜け」と言ったのである。
上様の前でどう戦えばいいのか迷っていた良一郎は目の前の鱗が落ちた様な気がしたのであった。
それまで「勝てば柳生家に傷がつく、負ければ藩公に申し訳が立たない、どうしたら良いのか」との迷いが重くのしかかっていたのである。
晴々とした気持ちで江戸の土を踏んだ。
拝謁も終わり良一郎は柳生邸に招かれた。
良一郎は知る由もないが既に柳生ではそうした会見の中で彼の力量、心構えを見知って置く腹であったのであったのである。
一目で但馬守は良一郎が並みの人物ではない事を見抜いた。
四方山話に花が咲いた。
「時におぬしの剣は何処で学ばれた」「父と武智龍之介で御座います」
「ほう、父上とな・・・で、お名前は何と申す」当主但馬守が聞いた。
「医師 良庵と申します」「ほう、医師とはのう・・・?」「昔は藤堂新九郎と名乗っていました」
「おう 道理で、懐かしいのう、音無しの剣・・・か、で 今もご健在かな?」
遠く昔を思い出す様に言ったのだった。
改めて父の偉大さを知った良一郎であった。
「堂々たる人生、そして愛」 ー寒椿ー
翌日 良く晴れた日 いよいよ試合の当日・・・
上様の前にての晴れ舞台である。
だがお止め流の為極秘裏に公式には発表されない試合であった。
相手は四天王の一人柳生宗近、相手に取って不足は無い。
互いに礼をして向かい合った。
一刻一刻と時間は経って行く、だがどちらも仕掛ける様子はない、いや、仕掛けられないのである。
良一郎は「これは先に仕掛けた方が負けだな」と悟った。
上様は「これはどうした?」と但馬守に聞いたのである。
但馬守は「これは心と心がぶつかり合った勝負で御座る、天下の名勝負になるで御座居ましょう」と・・・
「家光候ご存命の折、私が戦った藤堂新九郎の息子で御座います」「奇しくも二代で戦おうとは夢にも思いませなんだ」「立派な人物と見受けられます」
そして「この男が居る限り加賀藩は安泰ですな」と・・・
ザザザッと砂利を掃く足袋の音だけが響く。
二時間半程 そうしたせめぎ合いは続いた。
ジリッジリッと良一郎は間を詰めて行く。
堪らず先に仕掛けたのは宗近の方だった。
一瞬体勢が入れ替わった時 宗近の木刀は中空を舞っていたのである。
「参りました、宗近殿の小手が早う御座った、これが真剣なれば先に私の手は斬られていたでしょう」と良一郎は一礼したのであった。
「いや、貴殿は強い、拙者ももっと修行せねばなりませんな」と宗近・・・
但馬守は完敗を認めていた、だが口にする事はなかった。
柳生の負けは許されない宿命であったからだ。
上様は「見事な試合であった、どちらも勝者じゃな」と上機嫌で 良一郎は一刺の懐剣を賜ったのである。
柳生家も藩公も傷つく事の無い結末であった。
それからの宗近と良一郎の親交は生涯続いたのである。
こうして半年ほど過ぎた頃、国許から早馬が届いた。
『良庵殿の様態急変』の知らせであった。
早速藩公は良一郎の任を解き国許に帰らせたのである。
馬を飛ばし昼夜の別無く走った。
「間に合ったか!」「父上只今帰りました、お加減は如何」
良庵は静かに笑い「首はついておるか・・・」と言った。
「無事終わりました」そして又 眠り始めたのだった。
母 美雪と相談して妹美鈴の結婚を取急ぎ行ったのである。
それを静かに見守った良庵は笑顔で旅立って逝ったのだった。
仁斎、龍之介も泣いていた。
美雪は気丈にも振る舞い 全てを取り仕切り良一郎に言った。
「私の命は父上のものです、もし後を追っても見苦しき事は無き様に」と・・・
その覚悟の固さは理解出来たものの良一郎は「母上、お気持ちは承りました、お止めは致しません がしかし母上には未だ大切なお役目があります」
「私の子供の顔を見てやってください、それまでは死ねませんぞ」と・・・・
百合には「まだ子供は作るまいぞ」と言い渡したのである。
龍之介も早く孫の顔は見たいと思っていたが、その事情を理解してくれたのだった。
龍之介は良庵の代わりは出来ないものの 努めて美雪の元に通ったのである。
そうした思いやりの心の判らぬ美雪ではなかったが やはり淋しさは日に日に募り一度に歳を取ってしまった思いがした。
一人縁側で寒椿を眺めながら小さな声で「あなた・・・」と語りかけるのであった。
百合は「お母上の初恋の話を聞きたいわ」と話し掛け、苦しかった旅の話から今日までの出来事を詳しく知った。
「あの人は最後まで私を慈しみ愛し、育ててくれました」「いずれ良一郎もそうなれば母は嬉しいのですが・・・」
涙の中で聞きながら 素晴しい夫を持った事に余計嬉しく思ったのである。
ある日百合の前にポンと投げられた懐剣に「何ですか、これは?」「何 上様がくれたものじゃ、百合にやるから包丁代わりにでも使え」と・・・
何と云う男であろう、葵の御紋の入った大切な戴き物を包丁代わりに使えとは・・・
「所詮 人斬り包丁だ」と笑って言う。
実に大胆で豪快な男であった。
二年後百合が身篭った。
母の名を頂き『美雪』と名付けられた。
良一郎は「さあ母上の出番じゃ、七五三までは死ねませんぞ」と美雪に告げたのである。
美雪はそんなに自分を思ってくれる息子に感謝し、又生きる勇気と希望を持ったのであった。
そして又一年置いて再び可愛い子供が生まれた。
今度は双子であった 今度も女の子だった。
その時代 双子は畜生腹と云って忌み嫌われたものである。
密かに里子に出すのが普通であったが 良一郎は「皆私の可愛い子供じゃ」と里子に出す事無く 大切に育てたのだった。
龍之介は「これでは女ばかりではないか、男を作らねば家が絶えるぞ、外に女を作ったらどうか」と言った。
だが彼は生涯百合一人を愛し続けた。
普通武家の家では子孫を多く残す為 妾を持つのは普通の事であったが 良一郎は唯一人百合だけを愛したのである。
何時も「おばあさま、おばあさま」と良くなついた。
美雪の膝は可愛い孫たちに占領されっぱなしだった。
それが又美雪にはたまらなく嬉しかったのである。
ある日美雪は龍之介に「囲碁を教えてくださいな」と言った。
門前の小僧 ではないが中々筋がいい。
龍之介も喜んで毎日通い続けた。
それを知った仁斎も 又負けじと通う。
お涼も仲間に加わった。
もう若い者の時代である。
良庵亡き後のこの家は老人の集会所と化していったのである。
何時しか近所の老人たちも集まってきた。
そんな姿を眺め 良一郎百合夫婦の頬も緩んだ。
ある日 仁斎は「良庵殿と碁が打ちとうなった」と言って帰って行った。
そしてこの屋敷に来る事もなくなったのである。
間もなく仁斎も良庵の元に旅立って行ったのであった。
美雪も又床に伏せる日が多くなった。
時々昔の事を思い出す。
吹雪き舞う中を兄と二人でさまよい歩いた日々、死の淵から救ってくれた良庵との出会い・・・
そして最愛の息子『良一郎』を授かった時の喜び。
全てが走馬灯の様に駆け巡った。
「もうすぐ会えるわね、待っててね」美雪はそう椿の花に語り掛けたのだった。
ー寒椿ー ー完結ー
「仇討ちの彼方に 4」 ー寒椿ー
飲まず喰わずで辿り着いた町で 懐かしい故郷の名の看板を上げた店を見つけた。
吸い込まれる様に中に入って 番頭らしき人に「お頼みします、藤堂新九郎様を探している者ですがご存知ありませんか?」
最初、何処の乞食が入って来たのかと驚かれたが「藤堂様のゆかりの方ですか? ここでは何ですから奥へどうぞ」と居間に通された。
そこで聞いた話は 叔父から聞かされた話とは全然違うものであった。
この店は『西国屋』の支店であって 当時の出来事の真相が良く解ったのである。
今でも新九郎を悪く言う者は誰も居ないと云う事も・・・
そして、もっと驚かされた事は主君の不祥事により幕府により藩が取り潰された事であった。
「一体何の為に苦しい旅を続けなければならなかったのか」
自分は何の為に生きてきたのか・・・
呆然と店を後にした静香は 自分の中の心の支えがガラガラと崩れて行く音を聞いた。
習性とは恐ろしいものである。
目的を失った静香は尚も新九郎を求めて 歩き始めたのである。
只 当てもなく苦しい旅を続けるのであった。
もう夜鷹はやめた。
だが草を食み泥水をすすって前に前に進む。
糸の切れた凧のような放浪の旅であった。
そして加賀百万石の城下町で遂に力尽きたのであったのであった。
その時良庵に助けられたのだ。
「仇討ちの彼方に 5」 ー寒椿ー
美雪は遠い日の思い出に浸っていた。
そして【西国屋】の主人の話、又その主人の好意で当時の出来事を知る人達の所在を確かめ 何通もの手紙を書いた。
返って来た返事には 傍若無人な父親の事が事細やかに書いてあった。
賭け将棋の立会人 多田兵庫からの手紙には もし藤堂新九郎が居たならば藩のお取り潰しも避けられたであろう と書いてあったのである。
元々貧乏な藩の財政を救う為に 山の中腹まで果樹園を作り、又赤穂の塩田を見習い塩の生産に力を注ぎ 豊かな財政の藩に作り上げた功績は新九郎在って出来た事。
不正を嫌い藩主に『絹着せぬ物言い』が出来たのは 新九郎唯ひとりであった。
ゆくゆくは勘定奉行と剣術師範を兼任する話もあったそうだ。
美雪はその立派な方を仇と狙い十八年もの間探し歩いた事になる。
涙が頬をつたって流れて落ちた。
又 風花の様に雪が舞い降り 椿の花びらを紅色に染めて行く。
何時しか蝉時雨の鳴く季節となった。
美雪はこの医院の[アイドル]となっていた。
良庵が診察室にいると患者達は眼で美雪を探す。
中には「大先生より美雪先生がいい」と言う患者まで表れる始末だ。
無理もない、女性の患者は大抵男性に肌を見せるのに抵抗感はあるものだ。
それが例え名医、良庵と云えどもである。
良庵は苦笑して「美雪、お前が所望だそうだ」と奥へ引っ込むのであった。
そして仁斎と酒を酌み交わし囲碁を楽しんだ。
仁斎も又 城中で何事もなければ暇を持て余していたのである。
「お前は人使いが巧いよのう」「みんな美雪に任せてのんびり碁かよ」
家の中も見違える程綺麗に片付いて 庭の手入れも行き届いていた。
佐吉夫婦ものんびり楽しく仕事してる。
過去にこんな事があった。
藩主前田公が良庵を見込んで 他藩への仕官を勧めた事がある。
勿論その藩の御殿医としてである、が・・・
良庵は「碁仇と離れるのが辛ろうござる」と断ったのだ。
前田公は面目を失ったのであるが「うん、さもあろう」と笑って答えた。
加賀藩には名医が二人居る、それが又自慢の種でもあったのだ。
他藩からも良庵を頼って来る患者もいた。
そして城中への出入りも特別に許されていた。
その訳は仁斎一人では手の廻らぬ場合 良案が居てくれる事により多いに助かったからだ。
藩主前田公はその位 良庵を高く評価してたのである。
ある日仁斎が困った顔でやって来た。
そして「一時美雪を貸して欲しい」と言ったのである。
「実は側室のお蓮の方の事だが わしはどうもあの方が苦手でのう、美雪なら巧くやってくれると思って頼むんだが引き受けてくれんかのう。病は偏食と陽に当たらないところから来てるんだが、わしが言っても聞いてくれんのじゃ、美雪なら女同士、巧くやってくれると思って頼むんだがひとつ城中について来てくれんかのう」
良庵はこれも美雪の修行のひとつだと引き受けたのである。
側室お蓮はかなり我侭であった。
魚を食べる時には小骨まできれいに抜いてある。そして屋敷から一歩も出ようとしない。
そして仁斎が居ないと大騒ぎして「痛いの痒いの」と駄々をこねる。
遠くから眺めて仁斎は「ほら、あの方だが美雪・・・頼むぞ」と手を合わせて逃げる様に去っていった。
美雪が近付くと「誰じゃ!お前は」・・・涼しい顔して「はい、お方様専属の医者であります」「仁斎はどうした!仁斎は・・」「殿の所に参っております、今日から当分私で辛抱してくださいませ」
それから美雪のスパルタが始まった。
「お方様、外に出ましょう」まず陽の光を浴びる事から手を付けたのである。
「嫌じゃ、お前ひとりで歩いて参れ」
途端に美雪は「死にとう御座いますか!死にたくなければまず私に付いて来てくださいませ」と強い口調で言ったのであった。
今まで自分に命令した者は殿意外にいなかった。
それがこの若い医者が、それも女の医者が命令するとは・・・怒りが全身に走ったのである。
しかし死にたくはない、渋々庭の散歩をする羽目になったのだ。
最初は少し歩いて休み、休んでは歩く。
するとどうであろう、食事が美味しく戴ける。
しかしこの我侭な側室の食事には柔らかい物しか並んでいない。
それも美雪は取り上げてしまったのである。
例えば魚は小骨まできれいに抜き取ってある、根菜類は固いものはお膳の上には無い。
美雪は眼の前で骨の付いた魚をガブリと咬んで食べて見せた。
そして当分は一緒に食事を取ったのである。
其の上残った骨はもう一度油でカリカリになるまで揚げ、少し塩を振っておやつとして食べさせたのであった。
一日五~六時間の散歩、そして柔剣術の指導、これは若い藩士の教えを受けてだが、最初は根を上げていた側室も次第に元気を取り戻していった。
夜、家に帰っては良庵に逐一報告する。
「お城の中は大変ですね、庭は広いし何度も迷ってしまいました」「食事も私たちと違って固いものは食べないんですよ」と笑いながら話すのであった。
それでも十ヶ月もしたらお蓮の方は元気を取り戻したのだ。
藩公は非常に喜び「仁斎、いい弟子を持ってるのう」と・・・
「いえ、あの娘は良庵の弟子で御座います、これからは医師も女子が必要で御座いましょう」と答えたのであった。
藩公は頷きながら「良庵も偉い奴だのう、女子をあそこまで育てるとは大した奴だ」と・・・
美雪も又城内への出入りを許されたのであった。
又、こんな事もあった。
時代が落ち着いてきた今、武士も武術よりも算盤勘定ばかり考える者が多くなってきていた。
それを嘆いた藩公は 侍の魂を取り戻すべく多いに武道を奨励した。
そして城内で御前試合を度々行った。
ある時仁斎は「良庵を試合に出す様に」と進言したのである。
藩公は「仁斎、それは無理であろう、良庵は医者だぞ、剣術なんて出来る訳が無かろう」と・・・
すかさず仁斎は「だから面白う御座る、武士が医者に遅れを取っては恥、余計頑張ろうと思うのでは」
結局良庵は引っ張り出されてしまった。
そして良庵は決勝戦まで勝ち上がったのである。
決勝戦では、この藩の指南役と戦う羽目になってしまった。
良庵の竹刀は冴えた、セキレイの様に正眼の構えの切っ先が震える。
指南役は右へ左へと動き回るが 良庵の身体は静かに相手の動きに合わせ追い詰めてゆく。
最後は竹刀を置き「参りました」と頭を下げたのであった。
「いや、私こそ打ち込む隙がありませんでした、参りました」と良庵も答えたのである。
勝敗の行方は藩公には判っていた。
が 恥を欠かせない良庵の態度に感心したのだった。
藩公は頷いて「見事な試合であった」と両者を褒め称えた。
これほどの人物が市井に居る事は・・・何か仔細があっての事だろうが・・・
しかし藩公はそれを詮索する気はなかった。
だが良庵はもとより仁斎の株も上がった事は確かである。
その後、指南役も良庵宅によく訪れ 世間話をして行く様になったのである。
「仇討ちの彼方に 6」 ー寒椿ー
仁斎は言った「お前と初めて長崎で出会った頃を覚えているか」「悲壮感が漂って近付き難かったぞ」
良庵は「それはそうだろう、あの頃はわしも若かった」「医術を習得出来なかったら切腹する覚悟だったからなー」しみじみと懐かしむ様にそう言った。
お互い何でも言える仲なればこその会話であった。
良庵が「覚えているか、若君が死にかけた時のお前の慌てぶりは無かったぞ」
「うん、あの時は俺の首が飛ぶかと思った」「お前が居てくれなかったらあの治療は難しかった、助けられたよ」お互い助けたり助けられたり 今日まで過ごして来たのであった。
最初の出会いはすれ違いざまの鞘当だった。
普通ならお互い譲らず果し合いになるところだ。
だが互いが「失礼仕った」「いやいや拙者こそ」
それから身の上話を繰り返し 肝胆相照らす間柄となったのである。
医術の勉強も二人で足らざる所を補い合って切磋琢磨したのだった。
一方美雪は密かに良庵に思慕の情を持つようになっていた。
いつも優しく指導し、身を持って手本を示してくれる。
そして思慮深く誰にも分け隔てをしない。
金の無い患者にも親切に心を砕いた。
しかし美雪には言うのも恥ずかしい過去の生活がある。
それを言ったら嫌われるのではないか、との恐れを抱いて悶々としていたのであった。
そうした気持ちを知ってか知らずか 良庵は淡々と誰にも優しく接していた。
美雪の心など解っていないが如く。
美雪は淋しかった、悲しくもあった。
ついに佐吉夫婦に相談したのである。
「先生が大好きなのに察しても貰えない、どうしたら解って貰えるのかなー」
佐吉の女房は「思ってるだけでは駄目よ、旦那様は朴念仁だから言わなきゃ一生気が付かないよ」
又佐吉は「何か過去に辛い思いをなさったんだろう、美雪様が本当に旦那してなさるんなら思い切って言ってごらん、我々も応援してあげるから」・・・
紅葉の季節も過ぎ雪混じりの木枯らしが吹く頃になった。
美雪が此処に来て三年の月日が経っていた。
時の経過と共に美雪は益々若々しく美しくなってゆく。
それは本当に心の傷の癒えた証拠でもあった。
思い切って仁斎の屋敷を訪れた美雪は 雪吊りの続く庭先を歩いて玄関に向かっていた。
「おや、美雪さん、元気のない顔してるわねー、何かあったの?」仁斎の妻お涼が声を掛けた。
泣きそうな顔で「先生 いらっしゃいますか?」「ええ、座敷で鼻くそでも掘ってるでしょう、上がりなさいな」とお涼・・・・・
「おう、美雪 来たか、思い詰めた顔してどうした?」
「実は先生にお話したい事がありまして・・・教えてください」と・・・
そして自分の十八年間の仇討ちの旅の話、父親の犯した罪などを淡々と語ったのである。
「今の幸せを失いたくないのです、良庵先生をお慕いしてるのですがそれを言ったら嫌われるでしょうか?」
「うーん、難しい問題だな、さて良さんどう出るかな・・・」「しかし美雪が心から惚れたのなら当たって砕けろ だな」
その夜、良庵の前に座った彼女は全てを話し「女の私から言うのは はしたない事は解っているのですが先生が大好きです、愛しているんです」と 涙混じりで訴えたのである。
「少し時間をくれないか」良庵も困惑した表情でそう言ったのだった。
暫くは良庵も押し黙って考えていた。
そして五日後に仁斎の家に赴いたのである。
「おう、待ってたぞ色男」と仁斎・・・「お前まさか死ぬ気じゃないだろうな」
良庵は何故知ってるんだ、と訝ったが 図星を指され戸惑ったのであった。
「うん、俺のお陰であの娘に苦労かけたかと思うと居ても立っても居られなくてな」
「あの娘は思慮分別のある聡明な娘だ、お前の生きて来た道をきちっと話してやれよ」と仁斎。
「お前が首を差し出しても喜ばないぞ、美雪はもう何年も前から仇討ちなんて捨てておる」「いじらしい娘じゃのう、恋するとはそう云うものかな」と笑った。
そして「お内儀の事だが、今は大店の女将として旦那を尻の下の敷いて幸せに暮らしているそうじゃ、安心しろよ」
「しかし女は怖いのう、お前の話では貞淑な妻だったと聞いていたが 何でも今は完全な『かかあ殿下』だそうじゃ」
良庵は常日頃から妻の無事息災を祈っていた。
肩の力が抜けてゆくのを感じたのである。
「仇討ちの彼方に 7」 ー寒椿ー
仁斎は美雪に言った。
「なあ美雪、今此処にお前の仇 藤堂新九郎が現れたら何とする?」
「やっぱり憎いか?」
「いえ、その方の心中を考えますと どれだけお詫びをしても足りません」
「本当に苦しまれたのはその方でしょうから」と答えたのであった。
「うんうん、それで良いのじゃ、それでこそ良庵が救っただけの娘の 良い判断じゃて」「思い切って良庵の胸に飛び込んでゆけ」仁斎はそう付け加えたのである。
それから二日程して良庵は美雪を居間に呼んだ。
深々と頭を下げこう切り出した。
「今お前の前に居る私が藤堂新九郎だ、お前の憎い仇の新九郎なんだ」
思いもかけぬ言葉に美雪は戸惑い、驚いたのである。
そして床の間の開き戸を開け封印のしてある大小の刀を取り出した。
「さあ、斬りなさい、仇を討って故郷に帰ればお家再興が出来るではないか」「苦労のし甲斐があったと云うものだ」
新九郎は藩の取り潰しがあった事も故郷の事情も何も知る由もなかった。
美雪は嫌々をするように首を横に振り泣き崩れた。
それから良庵は静かに語り始めたのであった。
無頼の群れの用心棒をし 幾人かの人を殺め、すさんだ生活を送った日々。
その後、左衛門の子供達に討たれてやる方が一番良いのではないか、と考え探し歩いた事など。
たまたま立ち寄った寺で暫く滞在し 住職に「討たれるのはたやすい事、人の為に生きる事を考えられよ」「お前様は並みの方ではない、ひとかどの人物と判断した、唯死ぬ事は誰でも出来る」と諭され 医術を学ぶ為に長崎に向かったのであった。
そして村上伝八(後の仁斎)と知り合い、又伝八の勧めでこの地に診療所を建て今日に至ったこと等、詳しく話したのであった。
最初は金も無く伝八の好意で診療所の建築費も借り、伝八の父親の死後、伝八は仁斎を襲名し、その時仁斎の勧めで良庵と名乗る様になったのだ、と・・・
「私の命は美雪のものだ、お前の好きにすればいい」
「本当に済まない事をした」と又頭を下げるのだった。
黙って聞いていた美雪は胸が一杯になり全身を震わせ、良庵にしがみ付き こぼれ落ちる涙の海の中に居た。
それは哀しみと喜びが ない交ぜとなり滴り落ちたのである。
だがそれは本当の旅の終わりを告げる 寧ろ嬉しさが勝ったものだったに違いなかった。
それから二年の月日が経った。
良庵の腕の中には可愛い赤ちゃん(良一郎)が抱かれていた、そして傍らには笑顔を満面に湛えた美雪の姿が・・・
寒椿が一杯に咲き誇る七日正月の午後であった。
ー第一部ー完ー
飲まず喰わずで辿り着いた町で 懐かしい故郷の名の看板を上げた店を見つけた。
吸い込まれる様に中に入って 番頭らしき人に「お頼みします、藤堂新九郎様を探している者ですがご存知ありませんか?」
最初、何処の乞食が入って来たのかと驚かれたが「藤堂様のゆかりの方ですか? ここでは何ですから奥へどうぞ」と居間に通された。
そこで聞いた話は 叔父から聞かされた話とは全然違うものであった。
この店は『西国屋』の支店であって 当時の出来事の真相が良く解ったのである。
今でも新九郎を悪く言う者は誰も居ないと云う事も・・・
そして、もっと驚かされた事は主君の不祥事により幕府により藩が取り潰された事であった。
「一体何の為に苦しい旅を続けなければならなかったのか」
自分は何の為に生きてきたのか・・・
呆然と店を後にした静香は 自分の中の心の支えがガラガラと崩れて行く音を聞いた。
習性とは恐ろしいものである。
目的を失った静香は尚も新九郎を求めて 歩き始めたのである。
只 当てもなく苦しい旅を続けるのであった。
もう夜鷹はやめた。
だが草を食み泥水をすすって前に前に進む。
糸の切れた凧のような放浪の旅であった。
そして加賀百万石の城下町で遂に力尽きたのであったのであった。
その時良庵に助けられたのだ。
「仇討ちの彼方に 5」 ー寒椿ー
美雪は遠い日の思い出に浸っていた。
そして【西国屋】の主人の話、又その主人の好意で当時の出来事を知る人達の所在を確かめ 何通もの手紙を書いた。
返って来た返事には 傍若無人な父親の事が事細やかに書いてあった。
賭け将棋の立会人 多田兵庫からの手紙には もし藤堂新九郎が居たならば藩のお取り潰しも避けられたであろう と書いてあったのである。
元々貧乏な藩の財政を救う為に 山の中腹まで果樹園を作り、又赤穂の塩田を見習い塩の生産に力を注ぎ 豊かな財政の藩に作り上げた功績は新九郎在って出来た事。
不正を嫌い藩主に『絹着せぬ物言い』が出来たのは 新九郎唯ひとりであった。
ゆくゆくは勘定奉行と剣術師範を兼任する話もあったそうだ。
美雪はその立派な方を仇と狙い十八年もの間探し歩いた事になる。
涙が頬をつたって流れて落ちた。
又 風花の様に雪が舞い降り 椿の花びらを紅色に染めて行く。
何時しか蝉時雨の鳴く季節となった。
美雪はこの医院の[アイドル]となっていた。
良庵が診察室にいると患者達は眼で美雪を探す。
中には「大先生より美雪先生がいい」と言う患者まで表れる始末だ。
無理もない、女性の患者は大抵男性に肌を見せるのに抵抗感はあるものだ。
それが例え名医、良庵と云えどもである。
良庵は苦笑して「美雪、お前が所望だそうだ」と奥へ引っ込むのであった。
そして仁斎と酒を酌み交わし囲碁を楽しんだ。
仁斎も又 城中で何事もなければ暇を持て余していたのである。
「お前は人使いが巧いよのう」「みんな美雪に任せてのんびり碁かよ」
家の中も見違える程綺麗に片付いて 庭の手入れも行き届いていた。
佐吉夫婦ものんびり楽しく仕事してる。
過去にこんな事があった。
藩主前田公が良庵を見込んで 他藩への仕官を勧めた事がある。
勿論その藩の御殿医としてである、が・・・
良庵は「碁仇と離れるのが辛ろうござる」と断ったのだ。
前田公は面目を失ったのであるが「うん、さもあろう」と笑って答えた。
加賀藩には名医が二人居る、それが又自慢の種でもあったのだ。
他藩からも良庵を頼って来る患者もいた。
そして城中への出入りも特別に許されていた。
その訳は仁斎一人では手の廻らぬ場合 良案が居てくれる事により多いに助かったからだ。
藩主前田公はその位 良庵を高く評価してたのである。
ある日仁斎が困った顔でやって来た。
そして「一時美雪を貸して欲しい」と言ったのである。
「実は側室のお蓮の方の事だが わしはどうもあの方が苦手でのう、美雪なら巧くやってくれると思って頼むんだが引き受けてくれんかのう。病は偏食と陽に当たらないところから来てるんだが、わしが言っても聞いてくれんのじゃ、美雪なら女同士、巧くやってくれると思って頼むんだがひとつ城中について来てくれんかのう」
良庵はこれも美雪の修行のひとつだと引き受けたのである。
側室お蓮はかなり我侭であった。
魚を食べる時には小骨まできれいに抜いてある。そして屋敷から一歩も出ようとしない。
そして仁斎が居ないと大騒ぎして「痛いの痒いの」と駄々をこねる。
遠くから眺めて仁斎は「ほら、あの方だが美雪・・・頼むぞ」と手を合わせて逃げる様に去っていった。
美雪が近付くと「誰じゃ!お前は」・・・涼しい顔して「はい、お方様専属の医者であります」「仁斎はどうした!仁斎は・・」「殿の所に参っております、今日から当分私で辛抱してくださいませ」
それから美雪のスパルタが始まった。
「お方様、外に出ましょう」まず陽の光を浴びる事から手を付けたのである。
「嫌じゃ、お前ひとりで歩いて参れ」
途端に美雪は「死にとう御座いますか!死にたくなければまず私に付いて来てくださいませ」と強い口調で言ったのであった。
今まで自分に命令した者は殿意外にいなかった。
それがこの若い医者が、それも女の医者が命令するとは・・・怒りが全身に走ったのである。
しかし死にたくはない、渋々庭の散歩をする羽目になったのだ。
最初は少し歩いて休み、休んでは歩く。
するとどうであろう、食事が美味しく戴ける。
しかしこの我侭な側室の食事には柔らかい物しか並んでいない。
それも美雪は取り上げてしまったのである。
例えば魚は小骨まできれいに抜き取ってある、根菜類は固いものはお膳の上には無い。
美雪は眼の前で骨の付いた魚をガブリと咬んで食べて見せた。
そして当分は一緒に食事を取ったのである。
其の上残った骨はもう一度油でカリカリになるまで揚げ、少し塩を振っておやつとして食べさせたのであった。
一日五~六時間の散歩、そして柔剣術の指導、これは若い藩士の教えを受けてだが、最初は根を上げていた側室も次第に元気を取り戻していった。
夜、家に帰っては良庵に逐一報告する。
「お城の中は大変ですね、庭は広いし何度も迷ってしまいました」「食事も私たちと違って固いものは食べないんですよ」と笑いながら話すのであった。
それでも十ヶ月もしたらお蓮の方は元気を取り戻したのだ。
藩公は非常に喜び「仁斎、いい弟子を持ってるのう」と・・・
「いえ、あの娘は良庵の弟子で御座います、これからは医師も女子が必要で御座いましょう」と答えたのであった。
藩公は頷きながら「良庵も偉い奴だのう、女子をあそこまで育てるとは大した奴だ」と・・・
美雪も又城内への出入りを許されたのであった。
又、こんな事もあった。
時代が落ち着いてきた今、武士も武術よりも算盤勘定ばかり考える者が多くなってきていた。
それを嘆いた藩公は 侍の魂を取り戻すべく多いに武道を奨励した。
そして城内で御前試合を度々行った。
ある時仁斎は「良庵を試合に出す様に」と進言したのである。
藩公は「仁斎、それは無理であろう、良庵は医者だぞ、剣術なんて出来る訳が無かろう」と・・・
すかさず仁斎は「だから面白う御座る、武士が医者に遅れを取っては恥、余計頑張ろうと思うのでは」
結局良庵は引っ張り出されてしまった。
そして良庵は決勝戦まで勝ち上がったのである。
決勝戦では、この藩の指南役と戦う羽目になってしまった。
良庵の竹刀は冴えた、セキレイの様に正眼の構えの切っ先が震える。
指南役は右へ左へと動き回るが 良庵の身体は静かに相手の動きに合わせ追い詰めてゆく。
最後は竹刀を置き「参りました」と頭を下げたのであった。
「いや、私こそ打ち込む隙がありませんでした、参りました」と良庵も答えたのである。
勝敗の行方は藩公には判っていた。
が 恥を欠かせない良庵の態度に感心したのだった。
藩公は頷いて「見事な試合であった」と両者を褒め称えた。
これほどの人物が市井に居る事は・・・何か仔細があっての事だろうが・・・
しかし藩公はそれを詮索する気はなかった。
だが良庵はもとより仁斎の株も上がった事は確かである。
その後、指南役も良庵宅によく訪れ 世間話をして行く様になったのである。
「仇討ちの彼方に 6」 ー寒椿ー
仁斎は言った「お前と初めて長崎で出会った頃を覚えているか」「悲壮感が漂って近付き難かったぞ」
良庵は「それはそうだろう、あの頃はわしも若かった」「医術を習得出来なかったら切腹する覚悟だったからなー」しみじみと懐かしむ様にそう言った。
お互い何でも言える仲なればこその会話であった。
良庵が「覚えているか、若君が死にかけた時のお前の慌てぶりは無かったぞ」
「うん、あの時は俺の首が飛ぶかと思った」「お前が居てくれなかったらあの治療は難しかった、助けられたよ」お互い助けたり助けられたり 今日まで過ごして来たのであった。
最初の出会いはすれ違いざまの鞘当だった。
普通ならお互い譲らず果し合いになるところだ。
だが互いが「失礼仕った」「いやいや拙者こそ」
それから身の上話を繰り返し 肝胆相照らす間柄となったのである。
医術の勉強も二人で足らざる所を補い合って切磋琢磨したのだった。
一方美雪は密かに良庵に思慕の情を持つようになっていた。
いつも優しく指導し、身を持って手本を示してくれる。
そして思慮深く誰にも分け隔てをしない。
金の無い患者にも親切に心を砕いた。
しかし美雪には言うのも恥ずかしい過去の生活がある。
それを言ったら嫌われるのではないか、との恐れを抱いて悶々としていたのであった。
そうした気持ちを知ってか知らずか 良庵は淡々と誰にも優しく接していた。
美雪の心など解っていないが如く。
美雪は淋しかった、悲しくもあった。
ついに佐吉夫婦に相談したのである。
「先生が大好きなのに察しても貰えない、どうしたら解って貰えるのかなー」
佐吉の女房は「思ってるだけでは駄目よ、旦那様は朴念仁だから言わなきゃ一生気が付かないよ」
又佐吉は「何か過去に辛い思いをなさったんだろう、美雪様が本当に旦那してなさるんなら思い切って言ってごらん、我々も応援してあげるから」・・・
紅葉の季節も過ぎ雪混じりの木枯らしが吹く頃になった。
美雪が此処に来て三年の月日が経っていた。
時の経過と共に美雪は益々若々しく美しくなってゆく。
それは本当に心の傷の癒えた証拠でもあった。
思い切って仁斎の屋敷を訪れた美雪は 雪吊りの続く庭先を歩いて玄関に向かっていた。
「おや、美雪さん、元気のない顔してるわねー、何かあったの?」仁斎の妻お涼が声を掛けた。
泣きそうな顔で「先生 いらっしゃいますか?」「ええ、座敷で鼻くそでも掘ってるでしょう、上がりなさいな」とお涼・・・・・
「おう、美雪 来たか、思い詰めた顔してどうした?」
「実は先生にお話したい事がありまして・・・教えてください」と・・・
そして自分の十八年間の仇討ちの旅の話、父親の犯した罪などを淡々と語ったのである。
「今の幸せを失いたくないのです、良庵先生をお慕いしてるのですがそれを言ったら嫌われるでしょうか?」
「うーん、難しい問題だな、さて良さんどう出るかな・・・」「しかし美雪が心から惚れたのなら当たって砕けろ だな」
その夜、良庵の前に座った彼女は全てを話し「女の私から言うのは はしたない事は解っているのですが先生が大好きです、愛しているんです」と 涙混じりで訴えたのである。
「少し時間をくれないか」良庵も困惑した表情でそう言ったのだった。
暫くは良庵も押し黙って考えていた。
そして五日後に仁斎の家に赴いたのである。
「おう、待ってたぞ色男」と仁斎・・・「お前まさか死ぬ気じゃないだろうな」
良庵は何故知ってるんだ、と訝ったが 図星を指され戸惑ったのであった。
「うん、俺のお陰であの娘に苦労かけたかと思うと居ても立っても居られなくてな」
「あの娘は思慮分別のある聡明な娘だ、お前の生きて来た道をきちっと話してやれよ」と仁斎。
「お前が首を差し出しても喜ばないぞ、美雪はもう何年も前から仇討ちなんて捨てておる」「いじらしい娘じゃのう、恋するとはそう云うものかな」と笑った。
そして「お内儀の事だが、今は大店の女将として旦那を尻の下の敷いて幸せに暮らしているそうじゃ、安心しろよ」
「しかし女は怖いのう、お前の話では貞淑な妻だったと聞いていたが 何でも今は完全な『かかあ殿下』だそうじゃ」
良庵は常日頃から妻の無事息災を祈っていた。
肩の力が抜けてゆくのを感じたのである。
「仇討ちの彼方に 7」 ー寒椿ー
仁斎は美雪に言った。
「なあ美雪、今此処にお前の仇 藤堂新九郎が現れたら何とする?」
「やっぱり憎いか?」
「いえ、その方の心中を考えますと どれだけお詫びをしても足りません」
「本当に苦しまれたのはその方でしょうから」と答えたのであった。
「うんうん、それで良いのじゃ、それでこそ良庵が救っただけの娘の 良い判断じゃて」「思い切って良庵の胸に飛び込んでゆけ」仁斎はそう付け加えたのである。
それから二日程して良庵は美雪を居間に呼んだ。
深々と頭を下げこう切り出した。
「今お前の前に居る私が藤堂新九郎だ、お前の憎い仇の新九郎なんだ」
思いもかけぬ言葉に美雪は戸惑い、驚いたのである。
そして床の間の開き戸を開け封印のしてある大小の刀を取り出した。
「さあ、斬りなさい、仇を討って故郷に帰ればお家再興が出来るではないか」「苦労のし甲斐があったと云うものだ」
新九郎は藩の取り潰しがあった事も故郷の事情も何も知る由もなかった。
美雪は嫌々をするように首を横に振り泣き崩れた。
それから良庵は静かに語り始めたのであった。
無頼の群れの用心棒をし 幾人かの人を殺め、すさんだ生活を送った日々。
その後、左衛門の子供達に討たれてやる方が一番良いのではないか、と考え探し歩いた事など。
たまたま立ち寄った寺で暫く滞在し 住職に「討たれるのはたやすい事、人の為に生きる事を考えられよ」「お前様は並みの方ではない、ひとかどの人物と判断した、唯死ぬ事は誰でも出来る」と諭され 医術を学ぶ為に長崎に向かったのであった。
そして村上伝八(後の仁斎)と知り合い、又伝八の勧めでこの地に診療所を建て今日に至ったこと等、詳しく話したのであった。
最初は金も無く伝八の好意で診療所の建築費も借り、伝八の父親の死後、伝八は仁斎を襲名し、その時仁斎の勧めで良庵と名乗る様になったのだ、と・・・
「私の命は美雪のものだ、お前の好きにすればいい」
「本当に済まない事をした」と又頭を下げるのだった。
黙って聞いていた美雪は胸が一杯になり全身を震わせ、良庵にしがみ付き こぼれ落ちる涙の海の中に居た。
それは哀しみと喜びが ない交ぜとなり滴り落ちたのである。
だがそれは本当の旅の終わりを告げる 寧ろ嬉しさが勝ったものだったに違いなかった。
それから二年の月日が経った。
良庵の腕の中には可愛い赤ちゃん(良一郎)が抱かれていた、そして傍らには笑顔を満面に湛えた美雪の姿が・・・
寒椿が一杯に咲き誇る七日正月の午後であった。
ー第一部ー完ー
『寒椿』
「仇討ちの彼方に 1」
木枯らしの吹く寒い夜であった。
「旦那様、あんな所に人が倒れてますよ」下男の佐吉が指を指した。
医師良庵は「行き倒れであろう、どれどれ」と道端の天水桶の陰で 息も絶え絶えの人影に近ずいて行った。
「佐吉、何処かで大八車を探して来なさい」「早く治療しないと仏さんになってしまう」
早速家に連れ帰り念入りに診た結果 寒さと栄養失調でそのまま置いておいたら死んでいただろう と思われる状態であった。
咳も酷い、肺もやられているかも知れない。
見たところ三十前後の女性の様である。
三日三晩 熱にうなされうわごとの様に何かを言ってるが 聞き取れる状態ではなかった。
佐吉は「助かりますかねー?」と心配したが良庵にもそれは判らぬ事であった。
「唯 助かりたいと思う気持ちがあれば助かるがその気が無ければ駄目だろう」と・・・
良庵はここ加賀百万石の城下町でも評判の名医ではあったが この行き倒れの女性を治す自信はなかった。
相当荒れた生活を送っていたのであろう、そしてここ数日は何も口に入れた事も無い程衰弱しきっている。
佐吉は夜昼なく必死に看病した。
おも湯を開かぬ口に流し込み、身体のあちこちの冷えた所をさすりながら 女房に身体が冷えない様にと添い寝をしてあげる様指示し 献身的に尽くしていた。
四日目にしてようやく肌に赤みが差してきた時 佐吉夫婦は手を取り合って喜んだ。
しかしまだ起き上がる事は出来ない。
時々乾いた咳をコンコンと吐き良庵を悩ました。
やがて松も取れ梅の花のほころぶ季節になった頃、やっと床の上に座る事が出来る様になったのである。
女性はほとんど口を利くことが無かったが 礼儀は正しく言葉は武家言葉であった。
佐吉は「これだけ世話になって何故いろんな話をしてくれないのか」と愚痴をこぼしたが 良庵は「人に言えない苦しい過去が有ったのであろう、そのうち心を開いてくれる日が来る」と佐吉を嗜めたのだった。
御殿医の仁斎がやって来た。
町医者と御殿医とはいわば商売仇、だが良庵の人柄の良さと医術の確かさでお互い認め合った仲、大の親友である。
「ほう、大分元気になった様じゃのう」「ところで名は何と申す?」「あやめと申します」「おう、武家の出か・・・で、国は何処かな?」
その女性、あやめは口をつぐんだままそれ以上は語ろうとしなかった。
良庵は「そのうち心の氷も溶けるだろう 性急に聞く事もなかろう」と笑って仁斎に答えたのである。
桜咲き蝉の鳴き声が騒がしくなる頃、やっと庭先に出て歩く事が出来る様になった。
そして佐吉夫婦とぼつりぼつりと話をする様になったのである。
だが相変わらず肝心のところは話をしたがらない。
不思議な女だな と佐吉は思った。
中秋の名月の頃 あやめの病気は全快した。
その頃には頬の肉もつき めっきり女らしく明るくもなったのであるが 何かを逡巡してる様子が見て取れたのである。
良庵が「もう大丈夫だ、路銀はあるのか?」「まだ旅は長いのであろう」と言っても「ええ・・・」と答えるだけで一向に旅立つ気配が無い。
もうすぐ年を越そうと云うある日、あやめは佐吉に相談した。
「此処に置いて欲しいんですけど先生はお許しくださるかしら?」と・・・
佐吉は「それは旦那様の気持ち次第だが あやめさんは何か目的が有っての旅をしているんでしょう、それを正直に話してお許しを得る事ですね」と答えたのであった。
あやめは良庵が許すかどうか不安な気持ちで 彼の前に座った。
そして努めて冷静に話を始めたのである。
ここ十年以上ある人物の消息を求めて 旅を続けていた事。
しかしもう 7~8年前からその力も失せ 全て路銀も使い果たし 乞食の様な生活をしながら、時には春をも売って身を汚し此処まで辿り着いたのだと・・・
倒れる10日前から水しか飲んでいなかったと・・・
もうここで死ぬのも運命だと諦め死を覚悟して倒れ込んだ と云う訳だ。
目的半ばで死ぬのも悔しいが 会ってみたところでどうにも成らない事だと。
全てを捨て新しい人生を歩けたらどんなにか幸せであろう・・・と
黙って良庵は聞いていたがおよその察しは付いていた。
「少し私にも時間をくれないか、悪い様にはしないから」
こうして大晦日を迎えたのである。
月明かりに照らされ 夜目にも鮮やかに寒椿が咲いていた。
良庵は仁斎に相談した。
巷では「あの良庵先生ともあろう方が『夜鷹』を拾って来て面倒を見てる」「ちょっと変だとは思わないか」口さがない連中の噂にもなっていたのである。
仁斎は「良さん、人の噂なんて気にする事はないが 素性が判らぬのが引っかかるのう」「人間は悪い女では無さそうだが、後は良さんの気持ち次第だな」と・・・
その夜、再び良庵はあやめを呼び「何故此処で働きたいのか、十年の長きに渡って捜し歩いた心を捨てて良いのか?」とたずねた。
彼女は言った「私は一年前に死にました、どうにもならない旅を続けて死んで行くより 先生のところで生まれ変わりとう御座います」
除夜の鐘の鳴る頃 皆の集まる席で良庵は言ったのである。
「あやめは今から此処の家族になる、皆もそのつもりで労わって教えてやってくれ」と・・・
あやめは良庵に「先生、出来たら名前を代えとう御座います、今までの私で居たくありません、新しい年から新しい名で出発しとう御座います、私に名前を付けてくださいませ」
「うん、それも良かろう」
暫く考えて「美雪・・・と云うのはどうじゃ、ほら美しい雪が振り出したであろう、除夜の鐘が鳴り終わったら皆 美雪を宜しくな」と・・・
皆、一様に驚き、又 歓声で沸き返った。
美雪も新しい晴れ着に袖を通し喜びに溢れていた。
事実 最初のやつれ果てた姿が嘘の様に 二十五歳の年齢の明るい笑顔がはじけて可愛かったのである。
皆で初詣に出掛け、今年の無事息災を祈り帰って来た時にはもう患者が待っていた。
医者の仕事には盆も正月も無い。
早速診察に取り掛かる。
美雪は良庵の指示に従って てきぱきと良く働く。
そんな姿に「これはよい拾い物をしたな」と良庵は眼を細めた。
佐吉夫婦も 日頃診療室以外の掃除がなおざりになっていたのが出来る事に喜んでいた。
庭の植え込みを刈り上げながら 綺麗になって行く姿に顎を撫でながら満足したのだった。
真っ赤な寒椿が雪の白に映え美しく輝いていた。
それから一年の後
町の人の信頼も得た美雪は 生き生きと師匠の代わりに簡単な治療を任せられ 診察室で治療を行っていた。
仁斎と碁を打ちながら良庵は「どうだ、良い娘だろう」
仁斎は「しかし不思議な縁じゃのう、でも俺の立場だったら雇う事は出来んからのう」「町医者なればこそ出来る芸当だな、羨ましい限りじゃ」と・・・
なるほど御殿医では身元の解らぬ者は雇い入れる事は出来ない。
町の医師なればこそ出来る事であった。
この一年美雪はめっきり明るくなった。
そして自分から冗談を言う様になったのである。
良庵に非常に懐いた。
佐吉が「美雪様の昔話を聞きたいなー」と言ったところ「全てはお先生にお話してからね」と笑って答えたのである。
そして「庭の椿が美しいわね」と、遠くを見る様な顔で静かに見ていた。
今の幸せが夢の様な気がする。
突然逃げて行きそうな不安も感じた。
再び椿の花を見つめ長い長い旅の終わりも感じていた。
「仇討ちの彼方に 2」 ー寒椿ー
今を去る事十八年・・・
さる西国の小藩での出来事から始まる。
その藩に木村左衛門なる人物が居た。
藩の重臣ながら非常に粗暴ですぐ刀を抜きたがる。
そして無頼の輩と組み 賭け事をして町人から金を巻き上げ『呑む、打つ、買う』の三拍子。
怖い者知らずの暴れ者、朋輩からも嫌われ誰も相手にはしなかった。
とは云え重役となればどうしても関わりを持たねばならぬ。
その男が一番好きな遊びと云えば将棋であった。
大して強くも無いが皆 後々の事を考えて負けてやる事にしていたのである。
だから自分が一番強いと思い込んでいたのだ、が・・・
だがしかし 彼にはどうしても目障りな存在の男が居たのである。
軽輩ながら藩内随一の剣の達人、そして学問も優れた男が・・・
彼は思慮分別をわきまえた人望も厚い男であった。
その名を藤堂新九郎・・・人呼んで『音無し新九郎』(相手と刃を交えずして一撃で倒す所からそう呼ばれた)と云った。
道場に於いても決して禄高で手加減はしない。
何時もの事ながら左衛門もしたたかに打ち据えられ 床に這いつくばって歯軋りを咬んでいたのであった。
左衛門は考えた。
「よし、将棋なら苦も無くひねってやれる、ひとつ将棋で勝負をしてやろう」
左衛門は新九郎に賭け将棋を申し込んだのである。
どちらかが負ければ禄高の半分を差し出す、と云う条件で・・・
立会人には同藩の朋輩を付けての勝負である。
最初は新九郎は丁重に断ってはいたが 町中に「受けて立たぬのは卑怯者のなせる技だ」と言いふらし 噂を流したのであった。
やむなく新九郎も受けざるを得なくなったのである。
いよいよその当日がやって来た。
新九郎の妻 香奈枝は「あのお方はどんな卑怯な事も平気でなさる方、くれぐれもご用心なさいますよう」と送り出したのである。
勝負は左衛門の「待った待った」の連続でなかなか進まない。
「こんな筈ではなかったが・・・」「俺は今まで負けた事がないのに」左衛門は焦った。
そして数回の「待った」の末、新九郎は「もう終わりましょう、この勝負引き分けでいかがで御座ろうか」
見る見る顔が高潮した左衛門は 侮辱されたと思い いきなり抜刀して新九郎に襲い掛かってきたのだ。
身を交わしながら「止められよ、たかが将棋であろう、引き分けで良いのでは」しかし逆上した左衛門には 余計恥をかいた思いがしたのである。
ついに部屋の隅に追い詰められた新九郎は 脇差を抜くなり横に祓ったのだった。
それが胴を深々と斬り裂いてしまった。
「しまった」新九郎は慙愧の思いで一杯になった、そして家で待つ妻を思った。
そして我が家に急ぎ戻り妻に事情を話すと共に『離縁状』を書いたのである。
親戚、縁者に類が及ぶのを避ける為 最愛の妻を里に戻したのであった。
そして旅支度も早々にその城下から姿を消した。
町中は大騒ぎとなった。
そして新九郎の行為に拍手喝采を送ったのである。
戦乱の世も終わり 太平を享受できる様になった頃の事である。
又 城中でも新九郎の心中を察し同情する者も多く居たが 脱藩する者に対する処分は死罪と決められている以上 口にする事は出来なかった。
唯、皆、無事に逃げてくれる事を祈るのみであった。
左衛門の息子(金之助)はまだ十二歳、そして娘(静香)は七歳であったが【仇討赦免状】が出て 新九郎を討つべく旅立つ事になった。
叔父甲子郎も同道する事になった、子供二人では到底返り討ちになるのは目に見えていたからである。
又 藩内からも脱藩者成敗の為の腕達者の者が三名、新九郎を追う事になった。
しかし藩命とは云え 三人の刺客は新九郎を殺す気持ちはさらさら無かったのである。
「あれは元々左衛門が悪いんだ、死んでくれてありがたいと藩も感謝しなきゃーな」
「そうだ町人たちも俺達もホッとしとるんじゃからのう」「あいつは藩の恥曝しだったからな」銘々声高に喋る。
それを金之助、静香は黙って聴いていた。
甲子郎は苦々しげに聞いてはいても 反論する事も出来なかった。
刺客達は何とかして新九郎に出会わなければ良い、と思ってわざとゆっくり歩く。
新九郎の強さはよく解っていたが それより彼の人望がそうさせていたのである。
甲子郎はそんな刺客達に苛立ちを見せた。
が 彼等は何処吹く風、気ままに旅を楽しんでいたのであった。
やがて一年が過ぎた。
「これ以上の探索無用」と藩からの使者が来たのである。
甲子郎は怒った。
「藩命に背いた者をそのままにして良いのか!」と・・・
だが彼等は「これが藩命、武士の掟よ」と冷たく言い放ち 去って行ったのである。
叔父と兄妹は呆然と見送るだけであった。
甲子郎は「いざ対決する時には用心棒を雇わねば」と考えていた。
「彼に勝つにはそれしか無い」と・・・
「仇討ちの彼方に 3」 ー寒椿ー
一方新九郎も過酷な旅を続けていた。
仇として追われる身、路銀も底を付き かと云って雇ってくれる所もなし・・・
頼るところと云えば無頼の輩 ヤクザの用心棒位しかない。
だが腕は立つ、何処の組でも喜んで迎えてくれた。
が 彼には其処まで落ちた自分に腹を立て、心だけは立派な侍でいたいと思っていたのだった。
が すさんで行く心は次第にそうなるまいと思う気持ちとは裏腹に、逆の方向に流されてゆく。
何度か愛する妻に手紙も書いた。
そして出す事もなく破り捨てた。
どうか幸せに生きて欲しいと願いながら最後の手紙をしたためた。
「私の事は忘れてくれ、良い伴侶を見つけて暮らしてくれる様に」と・・・
そして故郷の山河を思い出し、又自分を追って来る相手を思っていた。
「確か彼には元服前の息子と娘が居たはずだ、彼等も又辛い旅を続けているのであろう」「私が討たれてやれば国に帰る事が出来るはずだ、こちらから探し出して討たれてやろう」
新九郎はそう思った。
それからの旅は自分を討つ兄妹を探す旅に代わったのである。
仇を討つ叔父、兄妹も苦しい旅を続けていた。
国許からの仕送りも滞りがちになった。
そして二年後、叔父甲子郎が病に倒れたのである。
安い旅籠で少し療養していたが、医師を呼ぶ金も無くなり 二人の兄妹を枕元に「いいか、絶対に父上の仇は討つのだぞ、奴を討たねば家名断絶となってしまう、如何にしても首を取って故郷に錦を飾るのだ」【仇討赦免状】を兄金之助に渡し息を引取ったのであった。
故郷では甲子郎の遺体の引取り手も無く 一通の手紙とわずかの金子が送られてきただけであった。
「遺体はそちらで処分されたし、送金もこれが最後と思われよ」と・・・
事実上孤立無援となったのだ。
金之助十五歳、静香十歳の時の事である。
それからの旅はまさに辛酸をなめるが如き辛いものに変わった。
無人の祠に潜り込み寝起きして畑の大根、野菜等を盗み喰い 命を繋ぎ仇を探すのである。
もう武士の誇りも何も無い。
藤堂新九郎を討ち果たすまでは故郷には帰りたくとも帰れない。
が しかしこの兄妹には新九郎の顔さえ覚えていなかった。
名前だけしか解らない相手を探すのである。
吹雪の北陸道を凍える手足をさすりながら歩く・・・
霜焼け、皸は云うに及ばず頬にまで凍傷に掛かり 刀を杖に歩いては倒れ、倒れては歩く。
「お兄様 もう歩けません、私はもう駄目です 死なせてください」「頑張るんだ、必ず仇を取って故郷に錦を飾るんだ」だが金之助も又 意識も途切れそうになりながら必死の思いであったのだ。
と、ある番小屋が眼にとまった。
「しめた、あそこで少し休もう」
転がり込む様に小屋の中に入った、壁板をはがし暖を取る。
それからの金之助は高熱に犯され 意識も失い 乾いた咳が続いたのである。
そして静香に「もう私は駄目だ、お迎えが来た様だ、後は静香 お前に頼む」と・・・
その翌日息を引取ったのであった。
静香は涙枯れるまで泣いた。
それから三日後 嵐は嘘の様に晴れた。
漁師達が見回りに来た時には泣き疲れて眠っている静香と 既に冷たくなった金之助の二人が手を握り締め 重なり合っていたのであった。
彼等はそれを見て哀れんだが 金之助の墓を掘って埋めてやる事位しか出来なかったのである。
彼等も又 極貧の生活をしていた為 せいぜいそれが精一杯の思いやりであったのだ。
金之助二十歳、静香十五歳の二月の寒い朝の事である。
風に吹かれ椿の花びらが侘しく落ちる日であった。
少しばかりの食事を頂き 静香ひとり 新九郎を求め旅立って行ったのである。
辛く苦しい旅は続いた。
だが藤堂新九郎の名前は何処で聞いても判らない。
唯、名前だけで探すのは海辺の砂の中から宝石を探すのと一緒である。
しかし静香は家名の為、死んでいった兄の為、必死で探し歩いた。
野宿をし 祠で寝泊りしながら飢えをしのいで 一歩一歩前に進むより手立ては無かったのだ。
そうしたある晩、野宿をしている所を夜盗の群れに見つかってしまった。
「おい、お前 ここで何してる」と肩を掴まれた。
「無礼な、近付くと斬りますよ」と懐剣の鞘を祓った。
「何だ、まだ小娘じゃないか」「少し可愛がってやろう」
夜盗達は眼と眼で合図しあって いきなり襲いかかったのである。
必死の抵抗もむなしく彼等のおもちゃにされたのだ。
着ている物は全て剥がされ、陵辱の限りを尽くされ静香は失神したのだった。
そして持ち物を物色し始めた。
「何 仇討赦免状、こいつ仇討ちの相手を追っているのか」と笑って赦免状を引き裂いた。
何人の男が身体の上を通り過ぎたのか・・・
朦朧とした頭で考えたのは自害する事であった。
が、しかし仇にめぐり合う事も無く死ぬのは如何にも悔しい。
叔父、兄の無念さを思い、思い留まった静香は川の水で 皮が破れる程身体を洗ったのである。
破れた赦免状をかき集め籐の小箱に入れふらつく足で歩き始めたのであった。
月が冷たく照らしていた。
下腹部が痛い・・・無理やり大勢の男達に犯された静香には 今まで男の人と親しく話をした事も無かったのだ。
一ヶ月ばかりその傷は癒えなかった、出血も二週間ばかり続いた。
だがそれが彼女の人生を変える事になろうとは まだ気が付いていなかったのである。
十六歳の秋の事であった。
三ヶ月も過ぎた頃・・・
「お兄さん、遊んで行かない?」「楽しませてあげるわよ」
夜鷹の群れに混じって客を物色する静香の姿が其処にはあった。
「おう、名前は何て言うんだ」
川岸に狂い咲きの様に【あやめ】の花が一輪咲いていた。
それを横目で見て「あやめと云います、よろしくね」と流し目で答え男を誘う。
そうしてある程度金が貯まると 又新九郎を探す旅が始まる。
宿場宿場でそれを繰り返す。
そして客に藤堂新九郎と云う男の事を尋ねるのであった。
そんな生活が六年余り続いた。
だが何ひとつ得られる手掛かりは見つからない。
静香は「このまま歳を取って死んでゆくのではないか」と思い身震いしたのだった。
敦賀の宿場での出来事であった。
自分のねぐらを確保した後、木綿の手拭いを頭からかぶり 夜の川沿いで客を拾おうとしてた時、土地のヤクザに捕まったのである。
「ショバ代を払え」と・・・勝手に商売をする事を許されなかったのだった。
「まだ客が付いておりません」と答えると「ふてーアマだな、見せしめに木に吊るして置け」と親分らしき者がそう言った。
抵抗もむなしく両手を縛られ 町外れの大木の枝に吊るされたのである。
彼等は横のつながりで宿場宿場で稼いで消える女を捜していたのだ。
それは紛れもないあやめと名乗る女 つまり静香の事であった。
腕の皮は剥がれ抜ける様に痛い、そのうち痺れが走り気を失ってしまった。
「やーい、夜鷹 ざまーみろ」「気持ち悪い、早く死ね」口々に罵られ石を投げられ 棒で突付かれ気が付いた。
上半身裸にされ見るも無残な姿であった。
又 竿竹で胸のあたりを殴られ失神する。
全身傷だらけで五日目におろされた。
その間に雨にさらされ傷口から血が滴り落ち道を這いずる跡には赤い血の帯が続く。
隠した荷物の所まで辿り着いたが金は全て抜き取られていたのである。
彼女はこの旅からの十七年余りの出来事を回想してた。
まだ旅の始まりの頃 三人の藩内の人の言葉「そもそも左衛門が悪い」「死んでくれて皆助かった」「新九郎殿は哀れよのう」・・・
何故敵討ちなどしなければならないのか?
解らない事が一杯あった。
傷の癒えるまで祠の下でじっと隠れ ふらふらとこの宿場を後にしたのであった。
「仇討ちの彼方に 1」
木枯らしの吹く寒い夜であった。
「旦那様、あんな所に人が倒れてますよ」下男の佐吉が指を指した。
医師良庵は「行き倒れであろう、どれどれ」と道端の天水桶の陰で 息も絶え絶えの人影に近ずいて行った。
「佐吉、何処かで大八車を探して来なさい」「早く治療しないと仏さんになってしまう」
早速家に連れ帰り念入りに診た結果 寒さと栄養失調でそのまま置いておいたら死んでいただろう と思われる状態であった。
咳も酷い、肺もやられているかも知れない。
見たところ三十前後の女性の様である。
三日三晩 熱にうなされうわごとの様に何かを言ってるが 聞き取れる状態ではなかった。
佐吉は「助かりますかねー?」と心配したが良庵にもそれは判らぬ事であった。
「唯 助かりたいと思う気持ちがあれば助かるがその気が無ければ駄目だろう」と・・・
良庵はここ加賀百万石の城下町でも評判の名医ではあったが この行き倒れの女性を治す自信はなかった。
相当荒れた生活を送っていたのであろう、そしてここ数日は何も口に入れた事も無い程衰弱しきっている。
佐吉は夜昼なく必死に看病した。
おも湯を開かぬ口に流し込み、身体のあちこちの冷えた所をさすりながら 女房に身体が冷えない様にと添い寝をしてあげる様指示し 献身的に尽くしていた。
四日目にしてようやく肌に赤みが差してきた時 佐吉夫婦は手を取り合って喜んだ。
しかしまだ起き上がる事は出来ない。
時々乾いた咳をコンコンと吐き良庵を悩ました。
やがて松も取れ梅の花のほころぶ季節になった頃、やっと床の上に座る事が出来る様になったのである。
女性はほとんど口を利くことが無かったが 礼儀は正しく言葉は武家言葉であった。
佐吉は「これだけ世話になって何故いろんな話をしてくれないのか」と愚痴をこぼしたが 良庵は「人に言えない苦しい過去が有ったのであろう、そのうち心を開いてくれる日が来る」と佐吉を嗜めたのだった。
御殿医の仁斎がやって来た。
町医者と御殿医とはいわば商売仇、だが良庵の人柄の良さと医術の確かさでお互い認め合った仲、大の親友である。
「ほう、大分元気になった様じゃのう」「ところで名は何と申す?」「あやめと申します」「おう、武家の出か・・・で、国は何処かな?」
その女性、あやめは口をつぐんだままそれ以上は語ろうとしなかった。
良庵は「そのうち心の氷も溶けるだろう 性急に聞く事もなかろう」と笑って仁斎に答えたのである。
桜咲き蝉の鳴き声が騒がしくなる頃、やっと庭先に出て歩く事が出来る様になった。
そして佐吉夫婦とぼつりぼつりと話をする様になったのである。
だが相変わらず肝心のところは話をしたがらない。
不思議な女だな と佐吉は思った。
中秋の名月の頃 あやめの病気は全快した。
その頃には頬の肉もつき めっきり女らしく明るくもなったのであるが 何かを逡巡してる様子が見て取れたのである。
良庵が「もう大丈夫だ、路銀はあるのか?」「まだ旅は長いのであろう」と言っても「ええ・・・」と答えるだけで一向に旅立つ気配が無い。
もうすぐ年を越そうと云うある日、あやめは佐吉に相談した。
「此処に置いて欲しいんですけど先生はお許しくださるかしら?」と・・・
佐吉は「それは旦那様の気持ち次第だが あやめさんは何か目的が有っての旅をしているんでしょう、それを正直に話してお許しを得る事ですね」と答えたのであった。
あやめは良庵が許すかどうか不安な気持ちで 彼の前に座った。
そして努めて冷静に話を始めたのである。
ここ十年以上ある人物の消息を求めて 旅を続けていた事。
しかしもう 7~8年前からその力も失せ 全て路銀も使い果たし 乞食の様な生活をしながら、時には春をも売って身を汚し此処まで辿り着いたのだと・・・
倒れる10日前から水しか飲んでいなかったと・・・
もうここで死ぬのも運命だと諦め死を覚悟して倒れ込んだ と云う訳だ。
目的半ばで死ぬのも悔しいが 会ってみたところでどうにも成らない事だと。
全てを捨て新しい人生を歩けたらどんなにか幸せであろう・・・と
黙って良庵は聞いていたがおよその察しは付いていた。
「少し私にも時間をくれないか、悪い様にはしないから」
こうして大晦日を迎えたのである。
月明かりに照らされ 夜目にも鮮やかに寒椿が咲いていた。
良庵は仁斎に相談した。
巷では「あの良庵先生ともあろう方が『夜鷹』を拾って来て面倒を見てる」「ちょっと変だとは思わないか」口さがない連中の噂にもなっていたのである。
仁斎は「良さん、人の噂なんて気にする事はないが 素性が判らぬのが引っかかるのう」「人間は悪い女では無さそうだが、後は良さんの気持ち次第だな」と・・・
その夜、再び良庵はあやめを呼び「何故此処で働きたいのか、十年の長きに渡って捜し歩いた心を捨てて良いのか?」とたずねた。
彼女は言った「私は一年前に死にました、どうにもならない旅を続けて死んで行くより 先生のところで生まれ変わりとう御座います」
除夜の鐘の鳴る頃 皆の集まる席で良庵は言ったのである。
「あやめは今から此処の家族になる、皆もそのつもりで労わって教えてやってくれ」と・・・
あやめは良庵に「先生、出来たら名前を代えとう御座います、今までの私で居たくありません、新しい年から新しい名で出発しとう御座います、私に名前を付けてくださいませ」
「うん、それも良かろう」
暫く考えて「美雪・・・と云うのはどうじゃ、ほら美しい雪が振り出したであろう、除夜の鐘が鳴り終わったら皆 美雪を宜しくな」と・・・
皆、一様に驚き、又 歓声で沸き返った。
美雪も新しい晴れ着に袖を通し喜びに溢れていた。
事実 最初のやつれ果てた姿が嘘の様に 二十五歳の年齢の明るい笑顔がはじけて可愛かったのである。
皆で初詣に出掛け、今年の無事息災を祈り帰って来た時にはもう患者が待っていた。
医者の仕事には盆も正月も無い。
早速診察に取り掛かる。
美雪は良庵の指示に従って てきぱきと良く働く。
そんな姿に「これはよい拾い物をしたな」と良庵は眼を細めた。
佐吉夫婦も 日頃診療室以外の掃除がなおざりになっていたのが出来る事に喜んでいた。
庭の植え込みを刈り上げながら 綺麗になって行く姿に顎を撫でながら満足したのだった。
真っ赤な寒椿が雪の白に映え美しく輝いていた。
それから一年の後
町の人の信頼も得た美雪は 生き生きと師匠の代わりに簡単な治療を任せられ 診察室で治療を行っていた。
仁斎と碁を打ちながら良庵は「どうだ、良い娘だろう」
仁斎は「しかし不思議な縁じゃのう、でも俺の立場だったら雇う事は出来んからのう」「町医者なればこそ出来る芸当だな、羨ましい限りじゃ」と・・・
なるほど御殿医では身元の解らぬ者は雇い入れる事は出来ない。
町の医師なればこそ出来る事であった。
この一年美雪はめっきり明るくなった。
そして自分から冗談を言う様になったのである。
良庵に非常に懐いた。
佐吉が「美雪様の昔話を聞きたいなー」と言ったところ「全てはお先生にお話してからね」と笑って答えたのである。
そして「庭の椿が美しいわね」と、遠くを見る様な顔で静かに見ていた。
今の幸せが夢の様な気がする。
突然逃げて行きそうな不安も感じた。
再び椿の花を見つめ長い長い旅の終わりも感じていた。
「仇討ちの彼方に 2」 ー寒椿ー
今を去る事十八年・・・
さる西国の小藩での出来事から始まる。
その藩に木村左衛門なる人物が居た。
藩の重臣ながら非常に粗暴ですぐ刀を抜きたがる。
そして無頼の輩と組み 賭け事をして町人から金を巻き上げ『呑む、打つ、買う』の三拍子。
怖い者知らずの暴れ者、朋輩からも嫌われ誰も相手にはしなかった。
とは云え重役となればどうしても関わりを持たねばならぬ。
その男が一番好きな遊びと云えば将棋であった。
大して強くも無いが皆 後々の事を考えて負けてやる事にしていたのである。
だから自分が一番強いと思い込んでいたのだ、が・・・
だがしかし 彼にはどうしても目障りな存在の男が居たのである。
軽輩ながら藩内随一の剣の達人、そして学問も優れた男が・・・
彼は思慮分別をわきまえた人望も厚い男であった。
その名を藤堂新九郎・・・人呼んで『音無し新九郎』(相手と刃を交えずして一撃で倒す所からそう呼ばれた)と云った。
道場に於いても決して禄高で手加減はしない。
何時もの事ながら左衛門もしたたかに打ち据えられ 床に這いつくばって歯軋りを咬んでいたのであった。
左衛門は考えた。
「よし、将棋なら苦も無くひねってやれる、ひとつ将棋で勝負をしてやろう」
左衛門は新九郎に賭け将棋を申し込んだのである。
どちらかが負ければ禄高の半分を差し出す、と云う条件で・・・
立会人には同藩の朋輩を付けての勝負である。
最初は新九郎は丁重に断ってはいたが 町中に「受けて立たぬのは卑怯者のなせる技だ」と言いふらし 噂を流したのであった。
やむなく新九郎も受けざるを得なくなったのである。
いよいよその当日がやって来た。
新九郎の妻 香奈枝は「あのお方はどんな卑怯な事も平気でなさる方、くれぐれもご用心なさいますよう」と送り出したのである。
勝負は左衛門の「待った待った」の連続でなかなか進まない。
「こんな筈ではなかったが・・・」「俺は今まで負けた事がないのに」左衛門は焦った。
そして数回の「待った」の末、新九郎は「もう終わりましょう、この勝負引き分けでいかがで御座ろうか」
見る見る顔が高潮した左衛門は 侮辱されたと思い いきなり抜刀して新九郎に襲い掛かってきたのだ。
身を交わしながら「止められよ、たかが将棋であろう、引き分けで良いのでは」しかし逆上した左衛門には 余計恥をかいた思いがしたのである。
ついに部屋の隅に追い詰められた新九郎は 脇差を抜くなり横に祓ったのだった。
それが胴を深々と斬り裂いてしまった。
「しまった」新九郎は慙愧の思いで一杯になった、そして家で待つ妻を思った。
そして我が家に急ぎ戻り妻に事情を話すと共に『離縁状』を書いたのである。
親戚、縁者に類が及ぶのを避ける為 最愛の妻を里に戻したのであった。
そして旅支度も早々にその城下から姿を消した。
町中は大騒ぎとなった。
そして新九郎の行為に拍手喝采を送ったのである。
戦乱の世も終わり 太平を享受できる様になった頃の事である。
又 城中でも新九郎の心中を察し同情する者も多く居たが 脱藩する者に対する処分は死罪と決められている以上 口にする事は出来なかった。
唯、皆、無事に逃げてくれる事を祈るのみであった。
左衛門の息子(金之助)はまだ十二歳、そして娘(静香)は七歳であったが【仇討赦免状】が出て 新九郎を討つべく旅立つ事になった。
叔父甲子郎も同道する事になった、子供二人では到底返り討ちになるのは目に見えていたからである。
又 藩内からも脱藩者成敗の為の腕達者の者が三名、新九郎を追う事になった。
しかし藩命とは云え 三人の刺客は新九郎を殺す気持ちはさらさら無かったのである。
「あれは元々左衛門が悪いんだ、死んでくれてありがたいと藩も感謝しなきゃーな」
「そうだ町人たちも俺達もホッとしとるんじゃからのう」「あいつは藩の恥曝しだったからな」銘々声高に喋る。
それを金之助、静香は黙って聴いていた。
甲子郎は苦々しげに聞いてはいても 反論する事も出来なかった。
刺客達は何とかして新九郎に出会わなければ良い、と思ってわざとゆっくり歩く。
新九郎の強さはよく解っていたが それより彼の人望がそうさせていたのである。
甲子郎はそんな刺客達に苛立ちを見せた。
が 彼等は何処吹く風、気ままに旅を楽しんでいたのであった。
やがて一年が過ぎた。
「これ以上の探索無用」と藩からの使者が来たのである。
甲子郎は怒った。
「藩命に背いた者をそのままにして良いのか!」と・・・
だが彼等は「これが藩命、武士の掟よ」と冷たく言い放ち 去って行ったのである。
叔父と兄妹は呆然と見送るだけであった。
甲子郎は「いざ対決する時には用心棒を雇わねば」と考えていた。
「彼に勝つにはそれしか無い」と・・・
「仇討ちの彼方に 3」 ー寒椿ー
一方新九郎も過酷な旅を続けていた。
仇として追われる身、路銀も底を付き かと云って雇ってくれる所もなし・・・
頼るところと云えば無頼の輩 ヤクザの用心棒位しかない。
だが腕は立つ、何処の組でも喜んで迎えてくれた。
が 彼には其処まで落ちた自分に腹を立て、心だけは立派な侍でいたいと思っていたのだった。
が すさんで行く心は次第にそうなるまいと思う気持ちとは裏腹に、逆の方向に流されてゆく。
何度か愛する妻に手紙も書いた。
そして出す事もなく破り捨てた。
どうか幸せに生きて欲しいと願いながら最後の手紙をしたためた。
「私の事は忘れてくれ、良い伴侶を見つけて暮らしてくれる様に」と・・・
そして故郷の山河を思い出し、又自分を追って来る相手を思っていた。
「確か彼には元服前の息子と娘が居たはずだ、彼等も又辛い旅を続けているのであろう」「私が討たれてやれば国に帰る事が出来るはずだ、こちらから探し出して討たれてやろう」
新九郎はそう思った。
それからの旅は自分を討つ兄妹を探す旅に代わったのである。
仇を討つ叔父、兄妹も苦しい旅を続けていた。
国許からの仕送りも滞りがちになった。
そして二年後、叔父甲子郎が病に倒れたのである。
安い旅籠で少し療養していたが、医師を呼ぶ金も無くなり 二人の兄妹を枕元に「いいか、絶対に父上の仇は討つのだぞ、奴を討たねば家名断絶となってしまう、如何にしても首を取って故郷に錦を飾るのだ」【仇討赦免状】を兄金之助に渡し息を引取ったのであった。
故郷では甲子郎の遺体の引取り手も無く 一通の手紙とわずかの金子が送られてきただけであった。
「遺体はそちらで処分されたし、送金もこれが最後と思われよ」と・・・
事実上孤立無援となったのだ。
金之助十五歳、静香十歳の時の事である。
それからの旅はまさに辛酸をなめるが如き辛いものに変わった。
無人の祠に潜り込み寝起きして畑の大根、野菜等を盗み喰い 命を繋ぎ仇を探すのである。
もう武士の誇りも何も無い。
藤堂新九郎を討ち果たすまでは故郷には帰りたくとも帰れない。
が しかしこの兄妹には新九郎の顔さえ覚えていなかった。
名前だけしか解らない相手を探すのである。
吹雪の北陸道を凍える手足をさすりながら歩く・・・
霜焼け、皸は云うに及ばず頬にまで凍傷に掛かり 刀を杖に歩いては倒れ、倒れては歩く。
「お兄様 もう歩けません、私はもう駄目です 死なせてください」「頑張るんだ、必ず仇を取って故郷に錦を飾るんだ」だが金之助も又 意識も途切れそうになりながら必死の思いであったのだ。
と、ある番小屋が眼にとまった。
「しめた、あそこで少し休もう」
転がり込む様に小屋の中に入った、壁板をはがし暖を取る。
それからの金之助は高熱に犯され 意識も失い 乾いた咳が続いたのである。
そして静香に「もう私は駄目だ、お迎えが来た様だ、後は静香 お前に頼む」と・・・
その翌日息を引取ったのであった。
静香は涙枯れるまで泣いた。
それから三日後 嵐は嘘の様に晴れた。
漁師達が見回りに来た時には泣き疲れて眠っている静香と 既に冷たくなった金之助の二人が手を握り締め 重なり合っていたのであった。
彼等はそれを見て哀れんだが 金之助の墓を掘って埋めてやる事位しか出来なかったのである。
彼等も又 極貧の生活をしていた為 せいぜいそれが精一杯の思いやりであったのだ。
金之助二十歳、静香十五歳の二月の寒い朝の事である。
風に吹かれ椿の花びらが侘しく落ちる日であった。
少しばかりの食事を頂き 静香ひとり 新九郎を求め旅立って行ったのである。
辛く苦しい旅は続いた。
だが藤堂新九郎の名前は何処で聞いても判らない。
唯、名前だけで探すのは海辺の砂の中から宝石を探すのと一緒である。
しかし静香は家名の為、死んでいった兄の為、必死で探し歩いた。
野宿をし 祠で寝泊りしながら飢えをしのいで 一歩一歩前に進むより手立ては無かったのだ。
そうしたある晩、野宿をしている所を夜盗の群れに見つかってしまった。
「おい、お前 ここで何してる」と肩を掴まれた。
「無礼な、近付くと斬りますよ」と懐剣の鞘を祓った。
「何だ、まだ小娘じゃないか」「少し可愛がってやろう」
夜盗達は眼と眼で合図しあって いきなり襲いかかったのである。
必死の抵抗もむなしく彼等のおもちゃにされたのだ。
着ている物は全て剥がされ、陵辱の限りを尽くされ静香は失神したのだった。
そして持ち物を物色し始めた。
「何 仇討赦免状、こいつ仇討ちの相手を追っているのか」と笑って赦免状を引き裂いた。
何人の男が身体の上を通り過ぎたのか・・・
朦朧とした頭で考えたのは自害する事であった。
が、しかし仇にめぐり合う事も無く死ぬのは如何にも悔しい。
叔父、兄の無念さを思い、思い留まった静香は川の水で 皮が破れる程身体を洗ったのである。
破れた赦免状をかき集め籐の小箱に入れふらつく足で歩き始めたのであった。
月が冷たく照らしていた。
下腹部が痛い・・・無理やり大勢の男達に犯された静香には 今まで男の人と親しく話をした事も無かったのだ。
一ヶ月ばかりその傷は癒えなかった、出血も二週間ばかり続いた。
だがそれが彼女の人生を変える事になろうとは まだ気が付いていなかったのである。
十六歳の秋の事であった。
三ヶ月も過ぎた頃・・・
「お兄さん、遊んで行かない?」「楽しませてあげるわよ」
夜鷹の群れに混じって客を物色する静香の姿が其処にはあった。
「おう、名前は何て言うんだ」
川岸に狂い咲きの様に【あやめ】の花が一輪咲いていた。
それを横目で見て「あやめと云います、よろしくね」と流し目で答え男を誘う。
そうしてある程度金が貯まると 又新九郎を探す旅が始まる。
宿場宿場でそれを繰り返す。
そして客に藤堂新九郎と云う男の事を尋ねるのであった。
そんな生活が六年余り続いた。
だが何ひとつ得られる手掛かりは見つからない。
静香は「このまま歳を取って死んでゆくのではないか」と思い身震いしたのだった。
敦賀の宿場での出来事であった。
自分のねぐらを確保した後、木綿の手拭いを頭からかぶり 夜の川沿いで客を拾おうとしてた時、土地のヤクザに捕まったのである。
「ショバ代を払え」と・・・勝手に商売をする事を許されなかったのだった。
「まだ客が付いておりません」と答えると「ふてーアマだな、見せしめに木に吊るして置け」と親分らしき者がそう言った。
抵抗もむなしく両手を縛られ 町外れの大木の枝に吊るされたのである。
彼等は横のつながりで宿場宿場で稼いで消える女を捜していたのだ。
それは紛れもないあやめと名乗る女 つまり静香の事であった。
腕の皮は剥がれ抜ける様に痛い、そのうち痺れが走り気を失ってしまった。
「やーい、夜鷹 ざまーみろ」「気持ち悪い、早く死ね」口々に罵られ石を投げられ 棒で突付かれ気が付いた。
上半身裸にされ見るも無残な姿であった。
又 竿竹で胸のあたりを殴られ失神する。
全身傷だらけで五日目におろされた。
その間に雨にさらされ傷口から血が滴り落ち道を這いずる跡には赤い血の帯が続く。
隠した荷物の所まで辿り着いたが金は全て抜き取られていたのである。
彼女はこの旅からの十七年余りの出来事を回想してた。
まだ旅の始まりの頃 三人の藩内の人の言葉「そもそも左衛門が悪い」「死んでくれて皆助かった」「新九郎殿は哀れよのう」・・・
何故敵討ちなどしなければならないのか?
解らない事が一杯あった。
傷の癒えるまで祠の下でじっと隠れ ふらふらとこの宿場を後にしたのであった。
№ 13
三太郎のパソコンの腕はかなり上達した。
ある日ファイナンスをクリックしてみた。
毎日それを見てるとなかなか面白そうである。
只見てるだけであったが株価の上下が一刻一刻と変わるのが面白い。
そのうち自分でも出来るかな・・・・と思う様になった。
自分の小使いを父親の口座に入れ一株でも買える株を探した。
有った、今少し評判になりかけているモリエモンの株である。
少し父親への後ろめたさも有ったが一株だけ買ってみることにした。
あれよあれよと云う間に値上がりして行く。
僅かの小使いが数十倍にもなった。
これを誰かに言いたくなった、小躍りしながら父親に報告した。
父は「株なんてものは素人が手を出すものではない、すぐに止めろ」と言われてしまった。
残念ではあるが父親の言う通りすぐ売ってしまったのである。
僅かを残し・・・・未練がそうさせたのだ。
その後は見るだけにしたのだが一度儲けた為、誘惑は常に頭の中を駆け回っていた。
しかし彼は父親の言い付けを忠実に守った。
それは父親が三太郎の為を思って言ってくれてる事が判っていたからだ。
三年生も半ばを過ぎていた。
宮本も綾子も大学入試の追い込みであまり来なくなった。
三太郎は寂しかった。
でも綾子は道場で会えたからまだ話が出来たから色々な情報が解って助かった。
宮本は猛烈に勉強に打ち込んでいるらしい。
清美は以前よりよく来る様になった。
そして事務所で父親から簡単な事務を習っている様子である。
別に三太郎が好きになった訳ではない。
清美は自分の欠点に気が付いたのだ。
そして何故三太郎がそれだけ優しく、何時も笑顔でいられるのか知りたいと思ったのである。
彼の家族、暮らし振りを知れば何かが解る と思ったのだ。
№ 14
三太郎の父親はかなり厳しい。
すぐに手を上げる、だが妹の洋子は負けてはいない。
しかし叱った後には必ず「お前のここがいけないんだ」と諭すのだ。
そして母親も含めよく笑う。
兎に角明るい家族である。
清美は大きなカルチャーショックを受けた。
彼女の家庭は実に静かだ。
父も母も大きな声を出した事がない。
あまり話をした事もない。
裸でぶつかり合った事がないのである。
だからいい子であれば問題は起きないのだ。
今度の事も父母は知らない。
もしもこれが三太郎の家庭であったらもっと早く父親が身体を張ってでも阻止してくれただろう。
何でも言える素晴らしい家族を持ってる三太郎が羨ましくなった。
三太郎の父親が「清美ちゃん,三太郎の嫁さんになるか」と言った。
清美は自由な恋愛も出来ない。
全ては親の敷いたレールの上を走るだけの人生であろう。
勿論三太郎への気持ちは以前とは違ってきてはいたが結婚の対象には入っていなかった。
三太郎も又中学時代とは違って彼のビーナスでは無くなっていたのである。
それより綾子の方に心は移っていたのだ。
一方綾子は友情以外何ものも無かったのであるが・・・・・
三太郎は淋しかった。
皆ガールフレンドとデートしてるのに・・・もうすぐクリスマスだと云うのに・・・・・
「今年も一人っきりだなー・・・・・」と・・・・・
宮本の父親は今では代議士となっていた。
若手のホープとして将来を嘱望されている。
彼はひたすら勉学に励んでいた。
正月元旦、久しぶりに皆三太郎の家に集まった。
大学入試の事、将来の事など話は尽きなかった。
「お兄ちゃんは大学よりも彼女の事で頭が一杯なのよ」洋子が笑って言った。
宮本が「いい人出来たのか?」洋子が「いないいない いれば苦労しないけどね」
「お兄ちゃんは格好悪いから ま 一生無理だろうけど可哀想ね」
宮本は『こんないい奴いないけどな』と思った。
どうして外見や学歴で人を判断するのか、彼には不思議に思ったのだ。
№ 15
その日の夕方 近くの神社に出掛ける事にした。
別に初詣と云う訳でもないが・・・・・
境内に入る手前で三太郎は急に走り出した。
階段の手前で上がる事が出来ずに困っている老夫婦がいたのだ。
ご主人の方は車椅子に乗っている。
「ありがとう御座います」「あ いや、ご苦労様」
訳の解らない挨拶を交わし皆の元に戻った。
清美の心の中で何かが弾けた。
三太郎の本当の心の優しさが判ったのだ。
心が熱くなったのである。
卒業と同時にそれぞれの新しい旅立ちが始まる。
宮本は希望通りT大の政治経済学部に進んだ。
綾子も又N大文学部 清美はところてん式に私大へと・・・・
三太郎は進学を諦め家業の従業員として油にまみれ働く事になった。
しかし彼は晴れ晴れとしていた。
友達が皆希望通りの大学に入学出来た事が嬉しかったのだ。
東京へ旅立つ宮本の送別会をしようと綾子に持ちかけた。
ささやかな送別会ではあったが楽しい集いであった。
当分は皆と会えないのかなーと思ってた三太郎に綾子は言った。
「三ちゃんはそれでいいの?本当にやりたい事は無いの?」
「うん、やりたい事はあるけど難しいもんな」・・・・
宮本は「チャレンジしてみなきゃ分らんぞ」「何になりたいんだ?」と聞いた。
「実は看護士になりたいけど頭悪いからな」と三太郎・・・・
「おじさんに頼んでみたら?」綾子は彼の父親の了解を取れば後は何とかなると思ったのだ。
三太郎の父親は「跡継ぎは洋子が婿さんでも取ればいいが あいつに出来るかな」と・・・・
№ 16
宮本の父親の紹介で結構大きな病院だった。
どきどきしながら面接を受けた。
院長は優しい眼をして「当分はヘルパーの見習いをしながらここに慣れてゆく事にしよう」と採用してくれた。
彼は一生懸命働いた がヘマも続いて先輩に叱られもした。
しかし患者さんたちには評判が良かった。
皆より時間はかかるが丁寧でその笑顔が和ませたのである。
衆議院選挙が始まった。
モリエモンも与党の看板として立候補した。
株価はうなぎ上りに上がってた。
三太郎は少し恐くなってきた。
自分のお金が想像もしない大きなものになっている。
「これは普通の事ではないな」すぐ全部売り払ったのだ。
父は薄々それを知っていた。
「やっと恐さが解ったか」と・・・・
「おい 三太、もう少し大人になったら株もやってもいいぞ」「但しよく会社の事を調べてから買う事だな」
父も資産株をそこそこ買っていたのだ。
許しを受けた三太郎は企業調査の本を買って来てむさぼる様に読み漁った。
そして少しずつ買って楽しんだのである。
病院では時間を忘れて働いた。
時には同僚、先輩達から「手抜きをしろ」と苦情を言われたが彼の性格からそれが出来なかった。
時間外でも「三ちゃんに身体を拭いて欲しい」と言われれば快く引き受けた。
何時か「変な奴だ」と相手にされなくなったが彼には何処吹く風 知らない振りをして黙々と働く。
院長は「彼は看護士よりヘルパーの方が適職だろう」と考える様になった。
「これからはヘルパーの仕事が重要になる、三太郎 プロ中のプロのヘルパーを目指さないか」「うん、でも看護士は難しいの?」と院長に聞いた。
「これから老人の患者が増える、看護士より良いヘルパーが必要な時代がくるぞ」「その時には本当のプロの方がやりがいが有る」と・・・・・三太郎は又悩んだ。
綾子に相談してみる事にした。
№ 17
綾子は既に師範代になっていた。
久しぶりの道場である。
洋子も黒帯をキリリと締めて妹ながら眩しく輝いてみえた。
「お兄ちゃん、一丁揉んでやるから道衣に着替えなよ」笑って妹にからかわれながら綾子に会った。
そして院長の言葉を伝えたのである。
綾子は「三ちゃんはどうしたいの?」と聞いた。
「うーん、分らない・・・んだなー」
彼女は「自分で考えて答えを出しなさい、只先生の言う事も一理有るわね」と言った。
ナースの秀美が「三ちゃん一緒にお茶しようか」と声を掛けてきた。
生まれて始めての出来事である。
三太郎は舞い上がった。
病院近くの喫茶店・・・彼は何を喋っていいか解らないでカチンカチンになっていた。
「三ちゃんウブだねー もっとリラックスしなさいよ」彼女はそんな三太郎を可愛いと思った。
早速綾子に報告をした。
そしてデートの時どんな話をしたらいいのか指導してくれる様頼んだ。
「三ちゃんそんな事自分で考えなさい」綾子はケラケラ笑いながら答えた。
三太郎は益々悩んだのである。。
その間にモリエモンが逮捕された。
三太郎は何故か解らなかったが悪い事したんだろうなーと思った。
宮本が帰って来た。
彼は三太郎に判る様噛んで含める様にこの事件の事を話して聞かせた。
只 彼はモリエモンだけが悪いわけじゃない、踊らされた国民も悪いと。
短い夏休みも終わり宮本は又東京に帰っていった。
№ 18
秀美はどんな事が好きなんだろう?
休みは何をしてるのか?
いろいろ考えてみても思いつかない。
洋子は「お兄ちゃんの好きな事言えばいいんよ」と言った。
しかし彼にはパソコンの話位しか思い付かなかった。
二度目にお茶に誘われた時モリエモンの話をした。
その時株で儲けた事をポロッと話してしまったが・・・・・
黙ってそれを聞いていた秀美は「実は・・・・」と母親が病気でお金に困っている事を綿々と話し出したのである。
そして「少しお金を貸して欲しい」と言ったのである。
三太郎は悩んだ。
そして綾子に相談した。
綾子は「私が会ってみるよ」と・・・・・
秀美は例の喫茶店に三太郎と共に綾子が現れたのに驚いた。
二言三言話をした後「お母さんに会わせてくれ」と綾子の言葉に動揺を見せた。
そして「この次家に連れて行く」ことで話は終わった。
お茶もそこそこに秀美は帰っていった。
「嘘だよ、三ちゃん騙されなくて良かったね」
三太郎はもしかしたらと思って50万円用意して来ていた。
「三ちゃんは人がいいから騙され易いんだよ」三太郎はちょっとがっかりした。
彼は秀美の言う事が本当であって欲しいと願っていたのだ。
翌日彼女は病院を辞めていった。
洋子は「お兄ちゃん馬鹿だね、そんな悪い子は何処にも居るのよ、絶対お金を持ってるって云っては駄目だよ」「良かったね、綾ピンにお礼しなさいよ」
次の休日洋子とデパートに出掛けた。
妹は手馴れたものでブランドショップでバッグを二つ選んだのである。
「すみませーん このふたつをください」三太郎は何故二つか解らなかった。
「これは綾ピン、もうひとつは私のよ」結局彼はふたつ買ったのである。
綾子は受け取らなかった。
「三ちゃん、お茶だけでいいよ」綾子は喫茶店に誘ってくれたのだ。
そして女性との付き合い方を教えてくれた。
「三ちゃんは空手をやってたんでしょう、そんな話とか最近見た映画とか将来の夢とかを話せばいいのよ」「それで気が合えばお付き合いは出来るのよ」
レジで金を出そうとしたら「友達同士は割りかんだよ」いろいろ勉強させられた。
結局バッグは二つとも洋子の物になったのだ。
洋子は綾子が受け取らない事を予測していた。
だから自分の好みのバッグを選び”にんまり”したのだった。
№ 19
突然院長に呼ばれた。
「どうだ、三太郎 お前ヘルパーの責任者になる気はないか?」
院長は日頃からの働き振りを見ててそう切り出したのだ。
三太郎は悩んだ。
自分には無理だと思っていた。
人の上に立った事など未だかって無かったから。
皆にも疎まれている。
しかし院長は彼なら出来る、と思っていたのだ。
「考えさせてください」そう言って院長室を後にした。
綾子も清美も大賛成した。
何となく病院に行くのが気が重い、ずる休みをしようと思った。
しかし洋子にケツを叩かれ病院に向かった。
病院では患者のお婆ちゃんたちが「出世したね」「三ちゃんなら安心だよ」と喜んでくれた。
仕事は何時もと変わらない。
唯 新しいヘルパー達に老人への接し方,身体の洗いかた掃除、シーツの取替え、配膳の仕方を身をもって教える事が増えたことである。
かいがいしく三太郎は働いた。
その頃清美の家では・・・・ちょっとした彼女の反乱が始まっていた。
父親の持って来る縁談を彼女は全て断るのである。
「お前 誰か好きな人いるのか?」父は聞いた。
「お父さん許してくれないでしょう」清美は逆に聞き返した。
「氏素性の解らん相手なら許さん、一度連れて来い」
だが彼女はまだ相手に打ち明けてはいない。
「お父さんの知ってる人よ」「きっと反対するでしょう」
父親はいろいろ考えてみた。
だが思い当たる男は浮かんでこない。
「誰だ、怒らないから言ってみろ」
「三太郎さんよ」父親は絶句した。
「まさか・・・あの三太郎ではないだろうな」「そうよ まだ打ち明けてもいないけど」
「あの人の優しさが欲しいのよ」
「お前馬鹿にしてたんじゃないのか?」「うちの家風には合わないだろう、一度連れて来てみろ」
父親は最初から反対する意思を持って会う事にしたのだ。
清美は綾子に相談した。
「ふーん、清美が三ちゃんをねー」彼女は清美が三太郎の良さを解った事に驚きと喜びを感じていた。
「三ちゃんの何処に引かれたの?」と聞いた。
馬鹿でマヌケでおっちょこちょいの三太郎・・・・・
底なしの優しさは有るが・・・・・
「まず三ちゃんに聞いてみな」「三ちゃんも昔の三ちゃんじゃないのよ」
綾子のセッティングで喫茶店で会う事になった。
№ 20
清美は殊勝な顔して現れた。
何時もの傲慢さは消えいきなり「三太郎さん私が嫌い?今までゴメンね」と言ってボロボロ涙を流したのである。
三太郎は驚いた。
そんな清美を見た事が無かったからである。
今まで彼女は幾つか恋をした。
しかし三太郎の様な優しい男には出会う事はなかったのだ。
何時も正月の出来事を思い出していた。
「もし嫌でなかったら私と結婚して・・・・」
三太郎は戸惑っていた。
かっての憧れのビーナスがプロポーズしてくれている。
夢ではないかと疑った。
綾子は「しっかりしなさい、女が頭を下げているのよ!」そして清美に「少し時間が必要だね」と言った。
「しかし清美も変わったね やっと三ちゃんの良さが判るようになったとはね」と・・・・
綾子は宮本に電話を入れた。
宮本は「そうか、随分回り道したな」と笑った。
男性経験の多い清美と全く女性を知らない三太郎・・・どうなるものやらと宮本は思った。
三太郎は整体師の免許を取るべく学校に通う事にした。
ヘルパーの仕事に役に立つと思ったからである。
株も多少の増減はあるが自分の給料程は収入になったがこれは水物である。
だから無いものと思って楽しんでいた。
政権も代わり少しは期待してた株価も上がる気配はない。
併し元々ほんの小使いから始めたものである。
三太郎は動揺する事もなかった。
只何時か一億の大台に乗せる事を夢見ていた。
出来れば肢体不自由な人たちの憩いの場でも作りそこで整体を施してあげたい。
別に大それた目標ではないが・・・・ただ漠然と考えてみていた。
ついにその日がやってきた。
清美の父は以前の三太郎しか思い浮かんでいなかった。
相変わらずおかしな顔ではあるが笑顔が可愛い。
そして逞しくなった身体つき、驚きが彼への先入観を一掃した。
そしていろいろな話の中に仕事への情熱、誇りを感じ取り交際を許可したのである。
自分の娘だって誉められた生き方をしてきてはいない。
親の直感でそれは承知していた。
そして彼の優しさなら娘を幸せにしてくれるだろう・・・・・と
№ 21
三太郎の父親と清美の父は互いに盃を酌み交わしていた。
「それにしてもおかしなもんですなー あの馬鹿息子がお宅の様な いい娘さんとご縁が出来るとは」
「いや、今時あんないいご子息が居たとは驚きました」「この世知辛い世の中に心が洗われる思いですわ」
「まあ結婚式は二人に任せて見守ってやりましょう」
こんな会話を交わしながら旨い酒を呑んでいたのだった。
さてさて しおらしくなったとは云え元々鼻っ柱の強い清美と底抜けにお人好しの三太郎・・・
どんな夫婦になるのやら・・・???
『天のみぞ知る』 と云うところか・・・
洋子は大学のキャンバスで恋人と語り合っていた。
綾子も又道場の先輩とデートを楽しんでいる。
宮本は父親の跡を継ぐべく秘書として政治学の勉強をしている。
只 人の心の痛みが解る三太郎の様な男が本当の政治家に相応しいのではないか・・・
宮本はは彼のの様な男が政治家に相応しいのだろう と思って居たのだった。
ー完ー
三太郎のパソコンの腕はかなり上達した。
ある日ファイナンスをクリックしてみた。
毎日それを見てるとなかなか面白そうである。
只見てるだけであったが株価の上下が一刻一刻と変わるのが面白い。
そのうち自分でも出来るかな・・・・と思う様になった。
自分の小使いを父親の口座に入れ一株でも買える株を探した。
有った、今少し評判になりかけているモリエモンの株である。
少し父親への後ろめたさも有ったが一株だけ買ってみることにした。
あれよあれよと云う間に値上がりして行く。
僅かの小使いが数十倍にもなった。
これを誰かに言いたくなった、小躍りしながら父親に報告した。
父は「株なんてものは素人が手を出すものではない、すぐに止めろ」と言われてしまった。
残念ではあるが父親の言う通りすぐ売ってしまったのである。
僅かを残し・・・・未練がそうさせたのだ。
その後は見るだけにしたのだが一度儲けた為、誘惑は常に頭の中を駆け回っていた。
しかし彼は父親の言い付けを忠実に守った。
それは父親が三太郎の為を思って言ってくれてる事が判っていたからだ。
三年生も半ばを過ぎていた。
宮本も綾子も大学入試の追い込みであまり来なくなった。
三太郎は寂しかった。
でも綾子は道場で会えたからまだ話が出来たから色々な情報が解って助かった。
宮本は猛烈に勉強に打ち込んでいるらしい。
清美は以前よりよく来る様になった。
そして事務所で父親から簡単な事務を習っている様子である。
別に三太郎が好きになった訳ではない。
清美は自分の欠点に気が付いたのだ。
そして何故三太郎がそれだけ優しく、何時も笑顔でいられるのか知りたいと思ったのである。
彼の家族、暮らし振りを知れば何かが解る と思ったのだ。
№ 14
三太郎の父親はかなり厳しい。
すぐに手を上げる、だが妹の洋子は負けてはいない。
しかし叱った後には必ず「お前のここがいけないんだ」と諭すのだ。
そして母親も含めよく笑う。
兎に角明るい家族である。
清美は大きなカルチャーショックを受けた。
彼女の家庭は実に静かだ。
父も母も大きな声を出した事がない。
あまり話をした事もない。
裸でぶつかり合った事がないのである。
だからいい子であれば問題は起きないのだ。
今度の事も父母は知らない。
もしもこれが三太郎の家庭であったらもっと早く父親が身体を張ってでも阻止してくれただろう。
何でも言える素晴らしい家族を持ってる三太郎が羨ましくなった。
三太郎の父親が「清美ちゃん,三太郎の嫁さんになるか」と言った。
清美は自由な恋愛も出来ない。
全ては親の敷いたレールの上を走るだけの人生であろう。
勿論三太郎への気持ちは以前とは違ってきてはいたが結婚の対象には入っていなかった。
三太郎も又中学時代とは違って彼のビーナスでは無くなっていたのである。
それより綾子の方に心は移っていたのだ。
一方綾子は友情以外何ものも無かったのであるが・・・・・
三太郎は淋しかった。
皆ガールフレンドとデートしてるのに・・・もうすぐクリスマスだと云うのに・・・・・
「今年も一人っきりだなー・・・・・」と・・・・・
宮本の父親は今では代議士となっていた。
若手のホープとして将来を嘱望されている。
彼はひたすら勉学に励んでいた。
正月元旦、久しぶりに皆三太郎の家に集まった。
大学入試の事、将来の事など話は尽きなかった。
「お兄ちゃんは大学よりも彼女の事で頭が一杯なのよ」洋子が笑って言った。
宮本が「いい人出来たのか?」洋子が「いないいない いれば苦労しないけどね」
「お兄ちゃんは格好悪いから ま 一生無理だろうけど可哀想ね」
宮本は『こんないい奴いないけどな』と思った。
どうして外見や学歴で人を判断するのか、彼には不思議に思ったのだ。
№ 15
その日の夕方 近くの神社に出掛ける事にした。
別に初詣と云う訳でもないが・・・・・
境内に入る手前で三太郎は急に走り出した。
階段の手前で上がる事が出来ずに困っている老夫婦がいたのだ。
ご主人の方は車椅子に乗っている。
「ありがとう御座います」「あ いや、ご苦労様」
訳の解らない挨拶を交わし皆の元に戻った。
清美の心の中で何かが弾けた。
三太郎の本当の心の優しさが判ったのだ。
心が熱くなったのである。
卒業と同時にそれぞれの新しい旅立ちが始まる。
宮本は希望通りT大の政治経済学部に進んだ。
綾子も又N大文学部 清美はところてん式に私大へと・・・・
三太郎は進学を諦め家業の従業員として油にまみれ働く事になった。
しかし彼は晴れ晴れとしていた。
友達が皆希望通りの大学に入学出来た事が嬉しかったのだ。
東京へ旅立つ宮本の送別会をしようと綾子に持ちかけた。
ささやかな送別会ではあったが楽しい集いであった。
当分は皆と会えないのかなーと思ってた三太郎に綾子は言った。
「三ちゃんはそれでいいの?本当にやりたい事は無いの?」
「うん、やりたい事はあるけど難しいもんな」・・・・
宮本は「チャレンジしてみなきゃ分らんぞ」「何になりたいんだ?」と聞いた。
「実は看護士になりたいけど頭悪いからな」と三太郎・・・・
「おじさんに頼んでみたら?」綾子は彼の父親の了解を取れば後は何とかなると思ったのだ。
三太郎の父親は「跡継ぎは洋子が婿さんでも取ればいいが あいつに出来るかな」と・・・・
№ 16
宮本の父親の紹介で結構大きな病院だった。
どきどきしながら面接を受けた。
院長は優しい眼をして「当分はヘルパーの見習いをしながらここに慣れてゆく事にしよう」と採用してくれた。
彼は一生懸命働いた がヘマも続いて先輩に叱られもした。
しかし患者さんたちには評判が良かった。
皆より時間はかかるが丁寧でその笑顔が和ませたのである。
衆議院選挙が始まった。
モリエモンも与党の看板として立候補した。
株価はうなぎ上りに上がってた。
三太郎は少し恐くなってきた。
自分のお金が想像もしない大きなものになっている。
「これは普通の事ではないな」すぐ全部売り払ったのだ。
父は薄々それを知っていた。
「やっと恐さが解ったか」と・・・・
「おい 三太、もう少し大人になったら株もやってもいいぞ」「但しよく会社の事を調べてから買う事だな」
父も資産株をそこそこ買っていたのだ。
許しを受けた三太郎は企業調査の本を買って来てむさぼる様に読み漁った。
そして少しずつ買って楽しんだのである。
病院では時間を忘れて働いた。
時には同僚、先輩達から「手抜きをしろ」と苦情を言われたが彼の性格からそれが出来なかった。
時間外でも「三ちゃんに身体を拭いて欲しい」と言われれば快く引き受けた。
何時か「変な奴だ」と相手にされなくなったが彼には何処吹く風 知らない振りをして黙々と働く。
院長は「彼は看護士よりヘルパーの方が適職だろう」と考える様になった。
「これからはヘルパーの仕事が重要になる、三太郎 プロ中のプロのヘルパーを目指さないか」「うん、でも看護士は難しいの?」と院長に聞いた。
「これから老人の患者が増える、看護士より良いヘルパーが必要な時代がくるぞ」「その時には本当のプロの方がやりがいが有る」と・・・・・三太郎は又悩んだ。
綾子に相談してみる事にした。
№ 17
綾子は既に師範代になっていた。
久しぶりの道場である。
洋子も黒帯をキリリと締めて妹ながら眩しく輝いてみえた。
「お兄ちゃん、一丁揉んでやるから道衣に着替えなよ」笑って妹にからかわれながら綾子に会った。
そして院長の言葉を伝えたのである。
綾子は「三ちゃんはどうしたいの?」と聞いた。
「うーん、分らない・・・んだなー」
彼女は「自分で考えて答えを出しなさい、只先生の言う事も一理有るわね」と言った。
ナースの秀美が「三ちゃん一緒にお茶しようか」と声を掛けてきた。
生まれて始めての出来事である。
三太郎は舞い上がった。
病院近くの喫茶店・・・彼は何を喋っていいか解らないでカチンカチンになっていた。
「三ちゃんウブだねー もっとリラックスしなさいよ」彼女はそんな三太郎を可愛いと思った。
早速綾子に報告をした。
そしてデートの時どんな話をしたらいいのか指導してくれる様頼んだ。
「三ちゃんそんな事自分で考えなさい」綾子はケラケラ笑いながら答えた。
三太郎は益々悩んだのである。。
その間にモリエモンが逮捕された。
三太郎は何故か解らなかったが悪い事したんだろうなーと思った。
宮本が帰って来た。
彼は三太郎に判る様噛んで含める様にこの事件の事を話して聞かせた。
只 彼はモリエモンだけが悪いわけじゃない、踊らされた国民も悪いと。
短い夏休みも終わり宮本は又東京に帰っていった。
№ 18
秀美はどんな事が好きなんだろう?
休みは何をしてるのか?
いろいろ考えてみても思いつかない。
洋子は「お兄ちゃんの好きな事言えばいいんよ」と言った。
しかし彼にはパソコンの話位しか思い付かなかった。
二度目にお茶に誘われた時モリエモンの話をした。
その時株で儲けた事をポロッと話してしまったが・・・・・
黙ってそれを聞いていた秀美は「実は・・・・」と母親が病気でお金に困っている事を綿々と話し出したのである。
そして「少しお金を貸して欲しい」と言ったのである。
三太郎は悩んだ。
そして綾子に相談した。
綾子は「私が会ってみるよ」と・・・・・
秀美は例の喫茶店に三太郎と共に綾子が現れたのに驚いた。
二言三言話をした後「お母さんに会わせてくれ」と綾子の言葉に動揺を見せた。
そして「この次家に連れて行く」ことで話は終わった。
お茶もそこそこに秀美は帰っていった。
「嘘だよ、三ちゃん騙されなくて良かったね」
三太郎はもしかしたらと思って50万円用意して来ていた。
「三ちゃんは人がいいから騙され易いんだよ」三太郎はちょっとがっかりした。
彼は秀美の言う事が本当であって欲しいと願っていたのだ。
翌日彼女は病院を辞めていった。
洋子は「お兄ちゃん馬鹿だね、そんな悪い子は何処にも居るのよ、絶対お金を持ってるって云っては駄目だよ」「良かったね、綾ピンにお礼しなさいよ」
次の休日洋子とデパートに出掛けた。
妹は手馴れたものでブランドショップでバッグを二つ選んだのである。
「すみませーん このふたつをください」三太郎は何故二つか解らなかった。
「これは綾ピン、もうひとつは私のよ」結局彼はふたつ買ったのである。
綾子は受け取らなかった。
「三ちゃん、お茶だけでいいよ」綾子は喫茶店に誘ってくれたのだ。
そして女性との付き合い方を教えてくれた。
「三ちゃんは空手をやってたんでしょう、そんな話とか最近見た映画とか将来の夢とかを話せばいいのよ」「それで気が合えばお付き合いは出来るのよ」
レジで金を出そうとしたら「友達同士は割りかんだよ」いろいろ勉強させられた。
結局バッグは二つとも洋子の物になったのだ。
洋子は綾子が受け取らない事を予測していた。
だから自分の好みのバッグを選び”にんまり”したのだった。
№ 19
突然院長に呼ばれた。
「どうだ、三太郎 お前ヘルパーの責任者になる気はないか?」
院長は日頃からの働き振りを見ててそう切り出したのだ。
三太郎は悩んだ。
自分には無理だと思っていた。
人の上に立った事など未だかって無かったから。
皆にも疎まれている。
しかし院長は彼なら出来る、と思っていたのだ。
「考えさせてください」そう言って院長室を後にした。
綾子も清美も大賛成した。
何となく病院に行くのが気が重い、ずる休みをしようと思った。
しかし洋子にケツを叩かれ病院に向かった。
病院では患者のお婆ちゃんたちが「出世したね」「三ちゃんなら安心だよ」と喜んでくれた。
仕事は何時もと変わらない。
唯 新しいヘルパー達に老人への接し方,身体の洗いかた掃除、シーツの取替え、配膳の仕方を身をもって教える事が増えたことである。
かいがいしく三太郎は働いた。
その頃清美の家では・・・・ちょっとした彼女の反乱が始まっていた。
父親の持って来る縁談を彼女は全て断るのである。
「お前 誰か好きな人いるのか?」父は聞いた。
「お父さん許してくれないでしょう」清美は逆に聞き返した。
「氏素性の解らん相手なら許さん、一度連れて来い」
だが彼女はまだ相手に打ち明けてはいない。
「お父さんの知ってる人よ」「きっと反対するでしょう」
父親はいろいろ考えてみた。
だが思い当たる男は浮かんでこない。
「誰だ、怒らないから言ってみろ」
「三太郎さんよ」父親は絶句した。
「まさか・・・あの三太郎ではないだろうな」「そうよ まだ打ち明けてもいないけど」
「あの人の優しさが欲しいのよ」
「お前馬鹿にしてたんじゃないのか?」「うちの家風には合わないだろう、一度連れて来てみろ」
父親は最初から反対する意思を持って会う事にしたのだ。
清美は綾子に相談した。
「ふーん、清美が三ちゃんをねー」彼女は清美が三太郎の良さを解った事に驚きと喜びを感じていた。
「三ちゃんの何処に引かれたの?」と聞いた。
馬鹿でマヌケでおっちょこちょいの三太郎・・・・・
底なしの優しさは有るが・・・・・
「まず三ちゃんに聞いてみな」「三ちゃんも昔の三ちゃんじゃないのよ」
綾子のセッティングで喫茶店で会う事になった。
№ 20
清美は殊勝な顔して現れた。
何時もの傲慢さは消えいきなり「三太郎さん私が嫌い?今までゴメンね」と言ってボロボロ涙を流したのである。
三太郎は驚いた。
そんな清美を見た事が無かったからである。
今まで彼女は幾つか恋をした。
しかし三太郎の様な優しい男には出会う事はなかったのだ。
何時も正月の出来事を思い出していた。
「もし嫌でなかったら私と結婚して・・・・」
三太郎は戸惑っていた。
かっての憧れのビーナスがプロポーズしてくれている。
夢ではないかと疑った。
綾子は「しっかりしなさい、女が頭を下げているのよ!」そして清美に「少し時間が必要だね」と言った。
「しかし清美も変わったね やっと三ちゃんの良さが判るようになったとはね」と・・・・
綾子は宮本に電話を入れた。
宮本は「そうか、随分回り道したな」と笑った。
男性経験の多い清美と全く女性を知らない三太郎・・・どうなるものやらと宮本は思った。
三太郎は整体師の免許を取るべく学校に通う事にした。
ヘルパーの仕事に役に立つと思ったからである。
株も多少の増減はあるが自分の給料程は収入になったがこれは水物である。
だから無いものと思って楽しんでいた。
政権も代わり少しは期待してた株価も上がる気配はない。
併し元々ほんの小使いから始めたものである。
三太郎は動揺する事もなかった。
只何時か一億の大台に乗せる事を夢見ていた。
出来れば肢体不自由な人たちの憩いの場でも作りそこで整体を施してあげたい。
別に大それた目標ではないが・・・・ただ漠然と考えてみていた。
ついにその日がやってきた。
清美の父は以前の三太郎しか思い浮かんでいなかった。
相変わらずおかしな顔ではあるが笑顔が可愛い。
そして逞しくなった身体つき、驚きが彼への先入観を一掃した。
そしていろいろな話の中に仕事への情熱、誇りを感じ取り交際を許可したのである。
自分の娘だって誉められた生き方をしてきてはいない。
親の直感でそれは承知していた。
そして彼の優しさなら娘を幸せにしてくれるだろう・・・・・と
№ 21
三太郎の父親と清美の父は互いに盃を酌み交わしていた。
「それにしてもおかしなもんですなー あの馬鹿息子がお宅の様な いい娘さんとご縁が出来るとは」
「いや、今時あんないいご子息が居たとは驚きました」「この世知辛い世の中に心が洗われる思いですわ」
「まあ結婚式は二人に任せて見守ってやりましょう」
こんな会話を交わしながら旨い酒を呑んでいたのだった。
さてさて しおらしくなったとは云え元々鼻っ柱の強い清美と底抜けにお人好しの三太郎・・・
どんな夫婦になるのやら・・・???
『天のみぞ知る』 と云うところか・・・
洋子は大学のキャンバスで恋人と語り合っていた。
綾子も又道場の先輩とデートを楽しんでいる。
宮本は父親の跡を継ぐべく秘書として政治学の勉強をしている。
只 人の心の痛みが解る三太郎の様な男が本当の政治家に相応しいのではないか・・・
宮本はは彼のの様な男が政治家に相応しいのだろう と思って居たのだった。
ー完ー
№ 7
ここでこの物語に登場する人物の簡単なプロフィールを述べて置こう。
三太郎のマドンナ(ビーナス)清美はある大企業の社長令嬢、成績優秀ではあるが自分より劣る者に対して馬鹿にする傾向がある。
少しばかり宮本に好意を持っている。
宮本は文武両道に優れ眉目秀麗の好漢、父親はこの町の議員で人望も厚い。
ハードボイルドを決め込んでいるが何処か困った者をほって置けない熱い血を持った男である。
綾子は行動派の美少女、世話焼きで三太郎の良き理解者だ。
愛とか恋とかでは無く三太郎の事が気になって仕方が無い。
最終学年の遠足の日となった。
平家の落人部落を訪ねる旅だった。
ローカル線の無人駅を降りてそれから徒歩で山道を行くのである。
紅葉が美しく細い山道も苦にならない。
途中 小鳥の鳴き声や野ウサギも見られた。
日頃見る事の出来ない風景と清水で顔を洗ったり、皆多いに楽しんだ。
小さなつり橋を渡る事になった。
それはブラブラと揺れて足元を脅かした。
皆は恐がって渡るのを躊躇してたが宮本が「俺が先に渡るから皆見てろ」とすいすいと渡り終えた。
綾子が続いた。
そして次々と生徒達が渡り始めたのだった。
三太郎は眼下の清流の間から頭を覗かせている岩を見て眼が廻った。
もし落ちたら・・・・と恐怖心が躊躇させたのだ。
そろりそろりと前に進んだ。
急にグラリと橋が大きく揺れた。
必死に手すりのロープにしがみついたのだが・・・・・
前を渡っていた生徒が足を滑らせて落ちかけたのだ。
三太郎は彼の手を掴んだが共に絡み合ってつり橋から水の中へ落ちて行った。
後ろを渡っていた悪ガキ連中が悪戯でわざと揺らしたのだ。
「大丈夫かっ!」
三太郎は涙と全身水にぬれた身体で「どんまいどんまい」と大声で叫んだ。
しかし膝のあたりを岩に打ちつけ打撲と裂傷で清流に赤いものが流れていった。
№ 8
宮本は渡り終えた悪ガキ達を怒りのあまり殴り倒した。
先生が止めるのも聞かずに・・・・・
一方三太郎はベッドでヘラヘラ笑って一緒に落ちた仲間の怪我が無かった事を喜んだ。
綾子はそんな三太郎をいとおしく思った。
そして清美に「あんな優しい子をどうして嫌うの?」と責めた。
清美は「私は宮本さんが好きなんよ、あんな不細工な馬鹿はお呼びじゃないの」
途端に綾子の平手打ちが飛んだ。
「あんたに宮ちゃんを好きになる資格はないわ!」「宮ちゃんもそんなあんたを好きにはならないよ」と・・・・
三太郎には妹がひとり居た。
反面教師と云うのでもないが活発で勉強家だった。
そして兄思いの優しい性格ではあるが よく三太郎にプロレスの技を掛けギブアップさせて「弱虫、私に位勝ちなさいよ」と叱咤してた。
そして兄の友である宮本に対しても「おい、宮本」と呼び捨てにする。
綾子に対しても「綾ぴん」と自分の友の様に呼ぶ。
密かに綾子に憧れている節がある。
「私も道場に通おうかな」等と言う始末。
三太郎はそれが恐かった。
もし妹が通えば自分が道場で何をしてるかバレるのが嫌だったのだ。
そのまさかが起きてしまった。
突然妹が入門してきたのである。
妹洋子は眼で兄の姿を探した。
道場の隅で一生懸命拭き掃除をしてる姿を見て感激したのである。
人の嫌がる事を黙々とやってる兄の姿を見て嬉しくなった。
「お兄ちゃん すごい」副師範が「偉いだろう、空手は組み手や型だけじゃないぞ」「人の嫌がる事を率先してやる、忍耐力が大事なんだ」と・・・・・
三太郎は嬉しかった。
強くはないが空手の心、根性は学び実践していたのだ。
それを師範達はちゃんと見て居てくれてた事が。
№ 9
冬休み前 新聞部ではその年の特集を出す事になった。
学校からの予算では足りない。
皆で広告収入を集めようと云う事になった。
三太郎は近所の商店を一軒一軒廻って歩いた。
だが簡単には集まらない。
彼は果物屋で手伝いをする事にした。
手伝いをして広告を入れて貰おうと思ったのだった。
しかし積み上げてある箱につまずいたり、ひっくり返ったり失敗ばかりして大して役に立たなかった。
しかし店に出るとくしゃくしゃの笑顔で「おばちゃんこれ美味しいよ」と愛想が良い。
それが受けて結構評判もいい。
さっぱり部活に顔を出さなくなった三太郎を心配した綾子は放課後すぐに帰る彼を付けて見る事にした。
そんな事を知らない三太郎は店に入って行く。
暫くすると大きな声で叱られている気配だ。
綾子は慌てて店に飛び込んだ。
すると【りんご箱】をひっくり返してうつむいている。
「キズだらけにして売り物にならないじゃないか!」咄嗟に綾子は「おばさんこれ売ってください」と言ってしまった。
「おや 綾ちゃんの友達かい、この子が手伝ってくれるのはいいんだけど売り物を駄目にする事が多いんだよ」「いい子なんだけどドン臭いねー」
そこで綾と彼、おばさんといろいろ話をした。
「いいよいいよ広告は出してやる事にしてるんだから、只この子が何処まで頑張るか見たかったんだから」と笑って言った。
「でも店に出ると売り上げは上がるんだよ、変な愛嬌があるからねー」
そして「綾ちゃんも大変だねーこの子の面倒見るのは骨が折れるだろう」と・・・・
綾子は笑って「優しい子なんですよ」と答えた。
キズついたりんごは「皆で食べな」と貰ったのである。
「三ちゃん明日も来てくれるね」おばさんはそう言って送り出してくれたのだ。
№ 10
二学期最後の新聞は大変評判が良かった。
皆の集めた広告代も多くページ数も増やした豪華な新聞になった。
最初の校長の言葉として『思いやりの心』として名前こそ出さなかったが三太郎の行為が書かれていた。
体育祭の記録では宮本の棒高跳び4メートル、綾子の走り高跳び1,8メートルの文字が躍っていた。
悪ガキ達の事は何も書かれていなかった。
彼等は甚だ面白くない。
何か仕返しを考えている様子である。
冬休みのある日 三太郎の家に皆遊びに来た。
銘々の進路について話をした。
宮本は高校、大学を出たら父の跡を継いで政治家を目指すと云う。
綾子は家の跡継ぎ、女社長になるから商業高校に行くと言った。
それについて宮本は「高校は普通高校に行き大学で経営学を学んだ方がいいぞ」と言った。
清美は女子高に行き花嫁修業をするのだと。
女子高はところてん式に大学まで行ける。
三太郎はまだ何も考えていなかった。
妹の洋子が「お兄ちゃんは学校はどうでもいいよ、お父ちゃんに鍛えて貰って旋盤を覚えトラックを運転してれば」と・・・・・
三太郎も高校は行きたかった。
でも何処も受け入れてくれる成績ではない。
情けなかった。
正月のある日 悪ガキ達に呼び出された。
「小使い沢山貰ったんだろう、少し俺達に回せ!」と・・・・
不審に思った洋子はすぐ綾子に連絡を取り呼び出された神社の裏に走った。
押し問答をしてる姿を見つけ「コラッ!お兄ちゃんに何をするんだ」
遅れてやってきた宮本、綾子の姿を見て彼等はスタコラと逃げ去ってしまった。
三太郎は無事であった。
№ 11
洋子は腹を立てていた。
幾ら綾子に突き、蹴りを入れようとしても軽くあしらわれ身体に触る事さえ出来ない。
思いっ切り飛びついて行ってもヒラリとかわされる。
無理も無い事である。
彼女は有段者、何時も男達に混じって組み手をやっている。
洋子がいくら頑張っても叶う相手ではない。
「三太郎!ちょっと来い」洋子は兄に八つ当たりをして「相手をしろ!」と言った。
師範は笑いながら「さあ どうなるかな」と皆に言い見物する事にした。
洋子は果敢に向かっていった。
だが三太郎はそれを巧く交わし自分は攻撃しない。
何時か洋子は息が切れてへたり込んでしまった。
「これが空手なんだよ」師範は洋子にそう言って笑った。
今まで兄をちょっと馬鹿にしてた彼女は兄を見直したのであった。
いよいよ卒業の時が近ずいた。
宮本はT大進学率の高いA校に行く事が決まった。
綾子は地元の普通高校、三太郎は何処にも入る事の出来ない者ばかり集まる落ちこぼれの高校に進学する事になった。
清美はお嬢さん学校。
それぞれの進路は決まり別れ別れになるのであるが不思議とこの友情はその後も続いたのである。
三太郎の父は息子の友達に感謝してた。
「いい友達に恵まれて幸せな奴だ」と・・・・
学校は比較的校則も緩やかで自由な所だった。
毎日が楽しかった。
クラスメートも又のんびりした人間ばかりだ。
授業も何とか付いて行く事ができた。
部活は又(帰宅部)になってしまった、新聞部が無かったからである。
毎日家に帰ったらパソコンを習いピコピコやっている。
空手だけは一生懸命頑張った。
宮本も綾子も勉強が大変そうである。
しかし一ヶ月に一度位は三太郎の家に集まった。
いつか清美は来なくなったが・・・・
妹の洋子は道場ではもう組み手に加わっていた。
三太郎も時々組み手の中に入ったが何時も皆のおもちゃにされてしまう。
つくずく自分の運動神経の無さが情けなかった。
№ 12
ある日、良からぬ噂を耳にした。
清美が変な男と付き合っていると・・・・・
皆心配した が綾子が「直接聞いてみるよ」と言った。
そしてその男の事を聞きだした。
男はゲームセンターで知り合ったそうだが,最初は何処かの社長の息子だと言ってたが・・・
実はパチスロに出入りしている遊び人だった。
金も相当貸している様子である。
だが本人は「まだ好きだ」と言う・・・・・
皆 頭を悩ませた。
三太郎の父は「痛い思いをしないと判らないだろう」「もう少しほって置いたら目が覚めるだろう」と・・・・・
綾子は直接男と会って話をしようと思った。
綾子の会社の者達は「お嬢さん一人では危ない、俺達が話を着けてやる」と言ったが「これは私の友達の問題だよ」と聞かなかった。
しかし結果は思わぬ形でケリが付いたのである。
その男が恐喝の疑いで逮捕されたのだ。
清美は皆の前で泣いた。
三太郎も可哀想な清美の心を思い一緒に泣いていたのだった。
「本当の男は見栄えや口の巧さではない、お前は三太郎を馬鹿にしてるがあいつは本当の男だぞ」宮本は清美に吐き捨てる様にそう言った。
三太郎は宮本が自分の事をそんな風に思っていてくれた事にも嬉しかった。
何時も何処でもそう言ってくれた者は居なかったからである。
道場で昇段試験があった。
三太郎は見事に落ちたのだった。
しかし妹の茶帯を見た時嬉しくもあったが悔しさが込み上げてきた。
生まれて始めて味わう屈辱の気持ちである。
しょんぼりと道場を出る姿は痛々しくもあった。
綾子は「三ちゃん、餡蜜でも食べて帰ろう」と声をかけたが聞こえない振りをして黙って帰った。
うっすらと涙が光っていた。
ー第二章完ー
ここでこの物語に登場する人物の簡単なプロフィールを述べて置こう。
三太郎のマドンナ(ビーナス)清美はある大企業の社長令嬢、成績優秀ではあるが自分より劣る者に対して馬鹿にする傾向がある。
少しばかり宮本に好意を持っている。
宮本は文武両道に優れ眉目秀麗の好漢、父親はこの町の議員で人望も厚い。
ハードボイルドを決め込んでいるが何処か困った者をほって置けない熱い血を持った男である。
綾子は行動派の美少女、世話焼きで三太郎の良き理解者だ。
愛とか恋とかでは無く三太郎の事が気になって仕方が無い。
最終学年の遠足の日となった。
平家の落人部落を訪ねる旅だった。
ローカル線の無人駅を降りてそれから徒歩で山道を行くのである。
紅葉が美しく細い山道も苦にならない。
途中 小鳥の鳴き声や野ウサギも見られた。
日頃見る事の出来ない風景と清水で顔を洗ったり、皆多いに楽しんだ。
小さなつり橋を渡る事になった。
それはブラブラと揺れて足元を脅かした。
皆は恐がって渡るのを躊躇してたが宮本が「俺が先に渡るから皆見てろ」とすいすいと渡り終えた。
綾子が続いた。
そして次々と生徒達が渡り始めたのだった。
三太郎は眼下の清流の間から頭を覗かせている岩を見て眼が廻った。
もし落ちたら・・・・と恐怖心が躊躇させたのだ。
そろりそろりと前に進んだ。
急にグラリと橋が大きく揺れた。
必死に手すりのロープにしがみついたのだが・・・・・
前を渡っていた生徒が足を滑らせて落ちかけたのだ。
三太郎は彼の手を掴んだが共に絡み合ってつり橋から水の中へ落ちて行った。
後ろを渡っていた悪ガキ連中が悪戯でわざと揺らしたのだ。
「大丈夫かっ!」
三太郎は涙と全身水にぬれた身体で「どんまいどんまい」と大声で叫んだ。
しかし膝のあたりを岩に打ちつけ打撲と裂傷で清流に赤いものが流れていった。
№ 8
宮本は渡り終えた悪ガキ達を怒りのあまり殴り倒した。
先生が止めるのも聞かずに・・・・・
一方三太郎はベッドでヘラヘラ笑って一緒に落ちた仲間の怪我が無かった事を喜んだ。
綾子はそんな三太郎をいとおしく思った。
そして清美に「あんな優しい子をどうして嫌うの?」と責めた。
清美は「私は宮本さんが好きなんよ、あんな不細工な馬鹿はお呼びじゃないの」
途端に綾子の平手打ちが飛んだ。
「あんたに宮ちゃんを好きになる資格はないわ!」「宮ちゃんもそんなあんたを好きにはならないよ」と・・・・
三太郎には妹がひとり居た。
反面教師と云うのでもないが活発で勉強家だった。
そして兄思いの優しい性格ではあるが よく三太郎にプロレスの技を掛けギブアップさせて「弱虫、私に位勝ちなさいよ」と叱咤してた。
そして兄の友である宮本に対しても「おい、宮本」と呼び捨てにする。
綾子に対しても「綾ぴん」と自分の友の様に呼ぶ。
密かに綾子に憧れている節がある。
「私も道場に通おうかな」等と言う始末。
三太郎はそれが恐かった。
もし妹が通えば自分が道場で何をしてるかバレるのが嫌だったのだ。
そのまさかが起きてしまった。
突然妹が入門してきたのである。
妹洋子は眼で兄の姿を探した。
道場の隅で一生懸命拭き掃除をしてる姿を見て感激したのである。
人の嫌がる事を黙々とやってる兄の姿を見て嬉しくなった。
「お兄ちゃん すごい」副師範が「偉いだろう、空手は組み手や型だけじゃないぞ」「人の嫌がる事を率先してやる、忍耐力が大事なんだ」と・・・・・
三太郎は嬉しかった。
強くはないが空手の心、根性は学び実践していたのだ。
それを師範達はちゃんと見て居てくれてた事が。
№ 9
冬休み前 新聞部ではその年の特集を出す事になった。
学校からの予算では足りない。
皆で広告収入を集めようと云う事になった。
三太郎は近所の商店を一軒一軒廻って歩いた。
だが簡単には集まらない。
彼は果物屋で手伝いをする事にした。
手伝いをして広告を入れて貰おうと思ったのだった。
しかし積み上げてある箱につまずいたり、ひっくり返ったり失敗ばかりして大して役に立たなかった。
しかし店に出るとくしゃくしゃの笑顔で「おばちゃんこれ美味しいよ」と愛想が良い。
それが受けて結構評判もいい。
さっぱり部活に顔を出さなくなった三太郎を心配した綾子は放課後すぐに帰る彼を付けて見る事にした。
そんな事を知らない三太郎は店に入って行く。
暫くすると大きな声で叱られている気配だ。
綾子は慌てて店に飛び込んだ。
すると【りんご箱】をひっくり返してうつむいている。
「キズだらけにして売り物にならないじゃないか!」咄嗟に綾子は「おばさんこれ売ってください」と言ってしまった。
「おや 綾ちゃんの友達かい、この子が手伝ってくれるのはいいんだけど売り物を駄目にする事が多いんだよ」「いい子なんだけどドン臭いねー」
そこで綾と彼、おばさんといろいろ話をした。
「いいよいいよ広告は出してやる事にしてるんだから、只この子が何処まで頑張るか見たかったんだから」と笑って言った。
「でも店に出ると売り上げは上がるんだよ、変な愛嬌があるからねー」
そして「綾ちゃんも大変だねーこの子の面倒見るのは骨が折れるだろう」と・・・・
綾子は笑って「優しい子なんですよ」と答えた。
キズついたりんごは「皆で食べな」と貰ったのである。
「三ちゃん明日も来てくれるね」おばさんはそう言って送り出してくれたのだ。
№ 10
二学期最後の新聞は大変評判が良かった。
皆の集めた広告代も多くページ数も増やした豪華な新聞になった。
最初の校長の言葉として『思いやりの心』として名前こそ出さなかったが三太郎の行為が書かれていた。
体育祭の記録では宮本の棒高跳び4メートル、綾子の走り高跳び1,8メートルの文字が躍っていた。
悪ガキ達の事は何も書かれていなかった。
彼等は甚だ面白くない。
何か仕返しを考えている様子である。
冬休みのある日 三太郎の家に皆遊びに来た。
銘々の進路について話をした。
宮本は高校、大学を出たら父の跡を継いで政治家を目指すと云う。
綾子は家の跡継ぎ、女社長になるから商業高校に行くと言った。
それについて宮本は「高校は普通高校に行き大学で経営学を学んだ方がいいぞ」と言った。
清美は女子高に行き花嫁修業をするのだと。
女子高はところてん式に大学まで行ける。
三太郎はまだ何も考えていなかった。
妹の洋子が「お兄ちゃんは学校はどうでもいいよ、お父ちゃんに鍛えて貰って旋盤を覚えトラックを運転してれば」と・・・・・
三太郎も高校は行きたかった。
でも何処も受け入れてくれる成績ではない。
情けなかった。
正月のある日 悪ガキ達に呼び出された。
「小使い沢山貰ったんだろう、少し俺達に回せ!」と・・・・
不審に思った洋子はすぐ綾子に連絡を取り呼び出された神社の裏に走った。
押し問答をしてる姿を見つけ「コラッ!お兄ちゃんに何をするんだ」
遅れてやってきた宮本、綾子の姿を見て彼等はスタコラと逃げ去ってしまった。
三太郎は無事であった。
№ 11
洋子は腹を立てていた。
幾ら綾子に突き、蹴りを入れようとしても軽くあしらわれ身体に触る事さえ出来ない。
思いっ切り飛びついて行ってもヒラリとかわされる。
無理も無い事である。
彼女は有段者、何時も男達に混じって組み手をやっている。
洋子がいくら頑張っても叶う相手ではない。
「三太郎!ちょっと来い」洋子は兄に八つ当たりをして「相手をしろ!」と言った。
師範は笑いながら「さあ どうなるかな」と皆に言い見物する事にした。
洋子は果敢に向かっていった。
だが三太郎はそれを巧く交わし自分は攻撃しない。
何時か洋子は息が切れてへたり込んでしまった。
「これが空手なんだよ」師範は洋子にそう言って笑った。
今まで兄をちょっと馬鹿にしてた彼女は兄を見直したのであった。
いよいよ卒業の時が近ずいた。
宮本はT大進学率の高いA校に行く事が決まった。
綾子は地元の普通高校、三太郎は何処にも入る事の出来ない者ばかり集まる落ちこぼれの高校に進学する事になった。
清美はお嬢さん学校。
それぞれの進路は決まり別れ別れになるのであるが不思議とこの友情はその後も続いたのである。
三太郎の父は息子の友達に感謝してた。
「いい友達に恵まれて幸せな奴だ」と・・・・
学校は比較的校則も緩やかで自由な所だった。
毎日が楽しかった。
クラスメートも又のんびりした人間ばかりだ。
授業も何とか付いて行く事ができた。
部活は又(帰宅部)になってしまった、新聞部が無かったからである。
毎日家に帰ったらパソコンを習いピコピコやっている。
空手だけは一生懸命頑張った。
宮本も綾子も勉強が大変そうである。
しかし一ヶ月に一度位は三太郎の家に集まった。
いつか清美は来なくなったが・・・・
妹の洋子は道場ではもう組み手に加わっていた。
三太郎も時々組み手の中に入ったが何時も皆のおもちゃにされてしまう。
つくずく自分の運動神経の無さが情けなかった。
№ 12
ある日、良からぬ噂を耳にした。
清美が変な男と付き合っていると・・・・・
皆心配した が綾子が「直接聞いてみるよ」と言った。
そしてその男の事を聞きだした。
男はゲームセンターで知り合ったそうだが,最初は何処かの社長の息子だと言ってたが・・・
実はパチスロに出入りしている遊び人だった。
金も相当貸している様子である。
だが本人は「まだ好きだ」と言う・・・・・
皆 頭を悩ませた。
三太郎の父は「痛い思いをしないと判らないだろう」「もう少しほって置いたら目が覚めるだろう」と・・・・・
綾子は直接男と会って話をしようと思った。
綾子の会社の者達は「お嬢さん一人では危ない、俺達が話を着けてやる」と言ったが「これは私の友達の問題だよ」と聞かなかった。
しかし結果は思わぬ形でケリが付いたのである。
その男が恐喝の疑いで逮捕されたのだ。
清美は皆の前で泣いた。
三太郎も可哀想な清美の心を思い一緒に泣いていたのだった。
「本当の男は見栄えや口の巧さではない、お前は三太郎を馬鹿にしてるがあいつは本当の男だぞ」宮本は清美に吐き捨てる様にそう言った。
三太郎は宮本が自分の事をそんな風に思っていてくれた事にも嬉しかった。
何時も何処でもそう言ってくれた者は居なかったからである。
道場で昇段試験があった。
三太郎は見事に落ちたのだった。
しかし妹の茶帯を見た時嬉しくもあったが悔しさが込み上げてきた。
生まれて始めて味わう屈辱の気持ちである。
しょんぼりと道場を出る姿は痛々しくもあった。
綾子は「三ちゃん、餡蜜でも食べて帰ろう」と声をかけたが聞こえない振りをして黙って帰った。
うっすらと涙が光っていた。
ー第二章完ー
『三太郎物語』
№ 1
その日三太郎は学校に行くのが嫌だった。
いや 正確には恐かったのだ。
それは前日に悪童連中に嘘をついたからである・・・・
クラスの悪童達は クラスメートの女の子の話をしていた。
「あの子が可愛いぞ」「いやあの子の方が良い」「でもあいつは馬鹿だぞ」「馬鹿でも美人がいい」「でも話をしてて面白くないぞ」云々・・・・
他愛も無い話であったが そのうち誰が好きか という話に変わっていった。
三太郎は何時も蚊帳の外で後ろの物語方で聞いているだけであったが その日は違っていた。
めいめい好きな相手を言い合った。
そして誰と誰が交際してるかとの話に及んだ。
突然の事であった「ところで三助(皆は三助とか三公とか呼んでいた)は誰が好きなんだ、勿論付き合っているんだろうなー」
彼にはそんな相手など居ようはずがなかった。
何時も眩しそうに遠くから眺めている女の子は居たが・・・・
美人で頭の良い清美ちゃんだったが 彼女はそれに気付いてはいない。
併し彼はつい言ってしまった。
「俺だって居るさ」「誰だそんな物好きは」「清美ちゃんだよぅ」皆大笑いした。
そして「その証拠をみせろ、ラブレターでも貰ったんか?」と・・・・
「見せてみろよ ラブレターを」
時の勢いである、三太郎は「明日見せてやるよ」と言ってしまったのである。
それは日頃馬鹿にされ続けてパシリをされていた彼等への反抗心から出てしまった言葉ではあるが その時には後の事など頭に無かったのだった。
№ 2
ここで三太郎がクラスでどう思われていたのか書いて置こう。
身長は低く 決して男ぶりはどうひいき目に見ても良いとは云えない。
勉強は下の下、頭も良くない。
普通なら苛めの対象になりかねない存在なのだが 不思議なひょうきんさを持ち合わせていた。
そして誰にも従う。
だから 教室の便利屋の様な存在で 苛めの対象にはならなかったのである。
幾ら馬鹿にされてもヘラヘラ笑ってる。
女生徒達にも馬鹿にされ・・・・でも憎まれない得な男であった。
しかし今度はそうは行かない。
きっと苛められるだろう、いや絶対に殴られるに違いない。
学校に行くのを止そうか・・・・でも家まで迎えに来られたらどうしよう・・・・
三太郎は学校が好きであった。
家では父親がすぐ怒る、愚図の三太郎には学校は一種の逃げ場所でもあったのだ。
小さな町工場を経営してた父親は三太郎の性格が歯がゆかった。
何とか跡継ぎとして逞しく育って欲しい と願っていたのだ。
だが彼は叱られるとすぐメソメソと泣く。
このまま消えてしまいたいとも思った。
が、考えてみると何処にも逃げ場はない。
彼は意を決して学校に向かった。
№ 3
校門の前で優等生の宮本が待っていた、そしてそっと彼に手紙を渡した。
「これを持って行け」と・・・・
教室に入った途端悪ガキ共に囲まれた。
彼は宮本から受け取った手紙を大事そうに鞄から取り出し 彼らに渡した。
その手紙には「三ちゃん好きよ、清美」と唯それだけが書かれてあったのだ。
葵の印籠宜しく それは彼等の彼を見る目が変わったのは確かである。
宮本の代筆に他ならないが 全ての悪ガキを黙らせるには充分であった。
宮本は日頃からお人好しの馬鹿の三太郎に,つい仏心を出したのであるが・・・・
三太郎は舞い上がってしまったのである。
「清美ちゃんは俺を好いてくれている」
とんだ勘違いを犯したものだ。
それからの三太郎は金魚の糞の如く清美の後を付いて歩く 訳の判らない清美はそれが気持ち悪くて堪らない。
親友の綾子に相談した。
綾子は男勝りの気性で悪ガキ達にも一目置かれている。
彼女は三太郎を校舎の隅に呼び出し一括した。
彼は偽のラブレターを取り出し 綾子に殴られた頬をさすりながら「清美ちゃんは俺に手紙をくれたんだ」
頭の回転の速い綾子はすぐ宮本の悪戯と感じた。
烈火の如く怒った綾子はすぐ宮本を問い詰めた。
事の顛末を知った綾子はひとつのアイデアを思いついた。
帰宅部(何処も部活をしていない)の三太郎を自分の属してる新聞部に入れて鍛えてあげようと、そこには清美も居る。
嘘から誠・・・もしかしたら三太郎は清美と仲良くなれるかも・・・・・
底抜けの大馬鹿者と校内きっての美女・・・・
案外いけるカップルになるかも・・・
茶目っ気が湧いてきた。
これは綾子のちょっとした病気でもあるが・・・・
№ 4
まだ偽ラブレターとは知らない三太郎は 清美と会える事で有頂天になった。
清美はどうも三太郎が疎ましくて堪らない。
綾子の提案で渋々入部を認めたのだが・・・・
使い走りには丁度良いか と・・・・の思いも働いて。
三太郎は嬉々として働いた。
しかし必要以上の口をきいてくれない清美に、彼は「この人は口数の少ない人だなー」と単純に考えていたのである。
清美と三太郎の仲はたちまち皆の知るところとなったのだが清美は面白くない。
一方三太郎は・・・・言うに及ばずである。
学校が楽しくて堪らなかった。
しかし偽ラブレターの件はふとした清美の愚痴で知られてしまったのである。
三太郎は悪ガキ達に呼び出された。
「よくも俺達を騙してくれたな!ヤキを入れてやるから覚悟しろ!」
殴られ蹴られボロボロにされた三太郎はそれでもまだ気が付かなかった。
ラブレターは清美が書いてくれたと信じて疑わなかったのだ。
鼻血を出し顔中にアザを作りながら新聞部の部室に入って行った。
清美は「気持ち悪い」と逃げ出してしまったが、綾子は医務室に連れて行き怪我の手当てをしたのである。
「馬鹿だねー殴られる前に此処に逃げて来ればいいのに」「私が助けてあげるのに」
しかし彼にも弱いながらも意地があった。
綾子にだけは助けて欲しくなかったのだ。
何でも綾子の後ろには恐いお兄さんが付いてると云う話を聞いていたから・・・・
だが実際は只綾子の家の職業が運送業である為 厳つい男達が多かっただけの事であったが・・・・
それからの三太郎は彼等の格好の苛めの対象となってしまった。
№ 5
それからの三太郎は事有るごとに 連日の様に彼等悪ガキ連中に殴られ蹴られした。
次第にひょうきんな笑顔も消え教室でもメソメソとする日が多くなった。
そんな姿を見兼ねて綾子は心を痛めた。
宮本が綾子に言った「綾の通う空手道場に連れて行ったらどうだ?」
しかし綾子は何をやってもドジで運動オンチの三太郎には無理だろうと思った。
かと云って何時も守ってやれる訳でなし・・・・
ここは宮本の言うように道場に連れて行くしか方法は無いか、と心に決めたのである。
思った通り三太郎は準備運動の段階から根をあげた。
師範の竹刀の音を聞いただけでおどおどしてベソをかく始末・・・・・
「これは駄目だ・・・」師範が呟いた。
仕方なく道場の掃除をさせる事にした。
三太郎は喜んだ、これなら叱られる心配はない。
意外にも彼は几帳面な性格で隅から隅まで綺麗に拭きあげて行く。
師範は「こんなところから慣れさせるか」と彼の入門を許した。
彼の父親は非常に喜んだ。
「やっと少し男らしくなってきたか」と・・・・・
毎日道衣を担いで家を出てゆく姿に逞しくなった姿を想像して・・・・
だが三太郎は明けても暮れても掃除、洗濯に追われていた。
型を少し習ったが腰がふらついて一向に上達しない。
師範は仕方なく綾子に指導を任せる事にしたのだ。
今度は綾子が自分の練習時間が取られる事に腹を立てた。
しかし顔には出さず根気よく指導を重ねた。
周囲の努力も空しく彼は一向に上達しない。
学校では相変わらず苛めは続いた。
だが三太郎は「空手に先手なし」と 馬鹿の一つ覚えで殴られ続けた。
しかし以前の様に泣くことは少なくなった。
それは空手の効果かもしれない。
№ 6
何時も苛められながら彼は考えた。
「どうして僕だけが殴られるんだろう?」
まだ最初の原因がラブレター事件だとは気付いていない彼には理解できなかったのである。
彼は綾子の強さが欲しかった。
しかしまるで運動オンチの三太郎には無理な事である。
又 宮本の様な秀才にも憧れた。
相変わらず清美には冷たくあしらわれていた。
だが三太郎にとって彼女はビーナスなのだ。
唯一緒にいるだけで楽しかった。
近くで働いているだけで自分が特別の存在に感じていたのだ。
体育祭が近ずいてきた。
クラス全員が何かの種目に出場しなければならない。
三太郎は一番簡単だと思った100メートル走に出る事にした。
これだと一番出場する時間が少ない。
後はフィナーレ直前の騎馬戦だ。
これは皆の後ろを付いて走ってれば目立たない。
いよいよその日がやって来た。
100メートル走には宮本も出る。
彼は文武両道 スポーツも得意であった。
競技が始まった。
三太郎は必死に走る 走る走る・・・・ビリで走った。
皆ははるか彼方に遠ざかって行く。
ハプニングは半分ほど走った辺りで起こった。
集団の数人がぶつかり合って倒れたのである。
皆起き上がって走り出したが一人足を捻挫したらしく起き上がらない。
三太郎はそれを追い越して振り向いた。
まだ痛そうに足を押さえてうずくまっている。
三太郎は走るのを止めてその生徒に掛け戻った。
そして抱え上げ必死にゴールを目指した。
トップでゴールした宮本も掛けて来た。
そして三人揃ってゴールしたのだった。
見物してた人々から拍手が巻き起こった。
ビリではあるが感動の黄金のゴールであった。
第一章完
№ 1
その日三太郎は学校に行くのが嫌だった。
いや 正確には恐かったのだ。
それは前日に悪童連中に嘘をついたからである・・・・
クラスの悪童達は クラスメートの女の子の話をしていた。
「あの子が可愛いぞ」「いやあの子の方が良い」「でもあいつは馬鹿だぞ」「馬鹿でも美人がいい」「でも話をしてて面白くないぞ」云々・・・・
他愛も無い話であったが そのうち誰が好きか という話に変わっていった。
三太郎は何時も蚊帳の外で後ろの物語方で聞いているだけであったが その日は違っていた。
めいめい好きな相手を言い合った。
そして誰と誰が交際してるかとの話に及んだ。
突然の事であった「ところで三助(皆は三助とか三公とか呼んでいた)は誰が好きなんだ、勿論付き合っているんだろうなー」
彼にはそんな相手など居ようはずがなかった。
何時も眩しそうに遠くから眺めている女の子は居たが・・・・
美人で頭の良い清美ちゃんだったが 彼女はそれに気付いてはいない。
併し彼はつい言ってしまった。
「俺だって居るさ」「誰だそんな物好きは」「清美ちゃんだよぅ」皆大笑いした。
そして「その証拠をみせろ、ラブレターでも貰ったんか?」と・・・・
「見せてみろよ ラブレターを」
時の勢いである、三太郎は「明日見せてやるよ」と言ってしまったのである。
それは日頃馬鹿にされ続けてパシリをされていた彼等への反抗心から出てしまった言葉ではあるが その時には後の事など頭に無かったのだった。
№ 2
ここで三太郎がクラスでどう思われていたのか書いて置こう。
身長は低く 決して男ぶりはどうひいき目に見ても良いとは云えない。
勉強は下の下、頭も良くない。
普通なら苛めの対象になりかねない存在なのだが 不思議なひょうきんさを持ち合わせていた。
そして誰にも従う。
だから 教室の便利屋の様な存在で 苛めの対象にはならなかったのである。
幾ら馬鹿にされてもヘラヘラ笑ってる。
女生徒達にも馬鹿にされ・・・・でも憎まれない得な男であった。
しかし今度はそうは行かない。
きっと苛められるだろう、いや絶対に殴られるに違いない。
学校に行くのを止そうか・・・・でも家まで迎えに来られたらどうしよう・・・・
三太郎は学校が好きであった。
家では父親がすぐ怒る、愚図の三太郎には学校は一種の逃げ場所でもあったのだ。
小さな町工場を経営してた父親は三太郎の性格が歯がゆかった。
何とか跡継ぎとして逞しく育って欲しい と願っていたのだ。
だが彼は叱られるとすぐメソメソと泣く。
このまま消えてしまいたいとも思った。
が、考えてみると何処にも逃げ場はない。
彼は意を決して学校に向かった。
№ 3
校門の前で優等生の宮本が待っていた、そしてそっと彼に手紙を渡した。
「これを持って行け」と・・・・
教室に入った途端悪ガキ共に囲まれた。
彼は宮本から受け取った手紙を大事そうに鞄から取り出し 彼らに渡した。
その手紙には「三ちゃん好きよ、清美」と唯それだけが書かれてあったのだ。
葵の印籠宜しく それは彼等の彼を見る目が変わったのは確かである。
宮本の代筆に他ならないが 全ての悪ガキを黙らせるには充分であった。
宮本は日頃からお人好しの馬鹿の三太郎に,つい仏心を出したのであるが・・・・
三太郎は舞い上がってしまったのである。
「清美ちゃんは俺を好いてくれている」
とんだ勘違いを犯したものだ。
それからの三太郎は金魚の糞の如く清美の後を付いて歩く 訳の判らない清美はそれが気持ち悪くて堪らない。
親友の綾子に相談した。
綾子は男勝りの気性で悪ガキ達にも一目置かれている。
彼女は三太郎を校舎の隅に呼び出し一括した。
彼は偽のラブレターを取り出し 綾子に殴られた頬をさすりながら「清美ちゃんは俺に手紙をくれたんだ」
頭の回転の速い綾子はすぐ宮本の悪戯と感じた。
烈火の如く怒った綾子はすぐ宮本を問い詰めた。
事の顛末を知った綾子はひとつのアイデアを思いついた。
帰宅部(何処も部活をしていない)の三太郎を自分の属してる新聞部に入れて鍛えてあげようと、そこには清美も居る。
嘘から誠・・・もしかしたら三太郎は清美と仲良くなれるかも・・・・・
底抜けの大馬鹿者と校内きっての美女・・・・
案外いけるカップルになるかも・・・
茶目っ気が湧いてきた。
これは綾子のちょっとした病気でもあるが・・・・
№ 4
まだ偽ラブレターとは知らない三太郎は 清美と会える事で有頂天になった。
清美はどうも三太郎が疎ましくて堪らない。
綾子の提案で渋々入部を認めたのだが・・・・
使い走りには丁度良いか と・・・・の思いも働いて。
三太郎は嬉々として働いた。
しかし必要以上の口をきいてくれない清美に、彼は「この人は口数の少ない人だなー」と単純に考えていたのである。
清美と三太郎の仲はたちまち皆の知るところとなったのだが清美は面白くない。
一方三太郎は・・・・言うに及ばずである。
学校が楽しくて堪らなかった。
しかし偽ラブレターの件はふとした清美の愚痴で知られてしまったのである。
三太郎は悪ガキ達に呼び出された。
「よくも俺達を騙してくれたな!ヤキを入れてやるから覚悟しろ!」
殴られ蹴られボロボロにされた三太郎はそれでもまだ気が付かなかった。
ラブレターは清美が書いてくれたと信じて疑わなかったのだ。
鼻血を出し顔中にアザを作りながら新聞部の部室に入って行った。
清美は「気持ち悪い」と逃げ出してしまったが、綾子は医務室に連れて行き怪我の手当てをしたのである。
「馬鹿だねー殴られる前に此処に逃げて来ればいいのに」「私が助けてあげるのに」
しかし彼にも弱いながらも意地があった。
綾子にだけは助けて欲しくなかったのだ。
何でも綾子の後ろには恐いお兄さんが付いてると云う話を聞いていたから・・・・
だが実際は只綾子の家の職業が運送業である為 厳つい男達が多かっただけの事であったが・・・・
それからの三太郎は彼等の格好の苛めの対象となってしまった。
№ 5
それからの三太郎は事有るごとに 連日の様に彼等悪ガキ連中に殴られ蹴られした。
次第にひょうきんな笑顔も消え教室でもメソメソとする日が多くなった。
そんな姿を見兼ねて綾子は心を痛めた。
宮本が綾子に言った「綾の通う空手道場に連れて行ったらどうだ?」
しかし綾子は何をやってもドジで運動オンチの三太郎には無理だろうと思った。
かと云って何時も守ってやれる訳でなし・・・・
ここは宮本の言うように道場に連れて行くしか方法は無いか、と心に決めたのである。
思った通り三太郎は準備運動の段階から根をあげた。
師範の竹刀の音を聞いただけでおどおどしてベソをかく始末・・・・・
「これは駄目だ・・・」師範が呟いた。
仕方なく道場の掃除をさせる事にした。
三太郎は喜んだ、これなら叱られる心配はない。
意外にも彼は几帳面な性格で隅から隅まで綺麗に拭きあげて行く。
師範は「こんなところから慣れさせるか」と彼の入門を許した。
彼の父親は非常に喜んだ。
「やっと少し男らしくなってきたか」と・・・・・
毎日道衣を担いで家を出てゆく姿に逞しくなった姿を想像して・・・・
だが三太郎は明けても暮れても掃除、洗濯に追われていた。
型を少し習ったが腰がふらついて一向に上達しない。
師範は仕方なく綾子に指導を任せる事にしたのだ。
今度は綾子が自分の練習時間が取られる事に腹を立てた。
しかし顔には出さず根気よく指導を重ねた。
周囲の努力も空しく彼は一向に上達しない。
学校では相変わらず苛めは続いた。
だが三太郎は「空手に先手なし」と 馬鹿の一つ覚えで殴られ続けた。
しかし以前の様に泣くことは少なくなった。
それは空手の効果かもしれない。
№ 6
何時も苛められながら彼は考えた。
「どうして僕だけが殴られるんだろう?」
まだ最初の原因がラブレター事件だとは気付いていない彼には理解できなかったのである。
彼は綾子の強さが欲しかった。
しかしまるで運動オンチの三太郎には無理な事である。
又 宮本の様な秀才にも憧れた。
相変わらず清美には冷たくあしらわれていた。
だが三太郎にとって彼女はビーナスなのだ。
唯一緒にいるだけで楽しかった。
近くで働いているだけで自分が特別の存在に感じていたのだ。
体育祭が近ずいてきた。
クラス全員が何かの種目に出場しなければならない。
三太郎は一番簡単だと思った100メートル走に出る事にした。
これだと一番出場する時間が少ない。
後はフィナーレ直前の騎馬戦だ。
これは皆の後ろを付いて走ってれば目立たない。
いよいよその日がやって来た。
100メートル走には宮本も出る。
彼は文武両道 スポーツも得意であった。
競技が始まった。
三太郎は必死に走る 走る走る・・・・ビリで走った。
皆ははるか彼方に遠ざかって行く。
ハプニングは半分ほど走った辺りで起こった。
集団の数人がぶつかり合って倒れたのである。
皆起き上がって走り出したが一人足を捻挫したらしく起き上がらない。
三太郎はそれを追い越して振り向いた。
まだ痛そうに足を押さえてうずくまっている。
三太郎は走るのを止めてその生徒に掛け戻った。
そして抱え上げ必死にゴールを目指した。
トップでゴールした宮本も掛けて来た。
そして三人揃ってゴールしたのだった。
見物してた人々から拍手が巻き起こった。
ビリではあるが感動の黄金のゴールであった。
第一章完
『追憶』 「ある愛の歌」
№ 1
春まだ浅き日、男は山間の東北の無人駅に降り立った。
「昔とあまり変わっちゃいないな」小さく呟きゆっくりと歩き始めた。
そして大して流行っても居ない古ぼけた旅館の門をくぐった。
来客もそう多くない宿に 突然の予約なしの客である。
身なりも悪くない。
宿の主人は久しぶりの客に喜び 揉み手をして愛想を振りまいたのであった。
「『紅葉の間』は空いているかな」
「ええ、お客様は以前お見えになった事がおありで・・・?」
代替わりした主人はこの男の事を知る由もなかった。
「うん若い頃ちょっとな」
部屋に通された男は懐かしそうに辺りを見渡した。
部屋の調度品は 新しいものに変わってはいたが 窓の外には雪をかぶった栗駒山系が広がって昔の姿そのままであった。
暫くその風景を眺めて何か感慨にふけっている様子だった。
が コートを脱ぎ厚手のセーターに着替え 男は宿の下駄を借り まだ残雪の残る道を川下の方に歩いていった。
男の名は松井幸平、先日まで大手商社に勤め海外生活も長く なかなか来たいと思ってもその機会も無く今日に至ってしまっていたと云う訳だ。
「いやー 昔とちっとも変わっていませんなー」
宿の主人は「この辺は随分過疎化が進み町の人達も年寄りばかりになりましたからね」「若者は皆 東京方面に出て行きますからもう発展する事はありませんよ」
「ところでお客様は何時頃ここにいらっしゃったんで?」
「うん、学生時代にちょっとね」「ところでこの前に駄菓子屋があったはずだが・・・」
「ええ、もう二十年ばかりになりますか、火事を出しましてね 一家離散の憂き目になり何処へ行ったのか・・・」「お客さんは何かゆかりの方ですか・・・?」
男は無言のまま聞いていたが その返事をする事なく部屋に戻ったのである。
実は幸平には若い頃、この温泉町が辛くて甘い青春の地だったのだ。
終戦の混乱期も過ぎ世の中が落ち着きを取り戻した頃、大学生であった幸平は胸を患い転地療養を余儀なくされた。
その二年余りの滞在が彼の人生を大きく変えたのである。
それから四十年、自由の身となった今、どうしても会いたい人が居た。
彼の思い出と共に人生を左右した人に・・・・
だがその人は何処に行ったのか皆目見当がつかない。
幸平は昔の事を知ってる人から捜さなければならなかった。
何しろ半世紀近くも前の事である。
幸いに駅前の みやげ物売り場の老婆が その駄菓子屋の事を覚えていた。
が、火事の後 隣町に移り住んだところまでは判ったがその後の事は知らないと言う。
幸平はタクシーを拾い教えられた住所まで足を伸ばした。
そして町役場に行き現在何処に住んでるかを聞いたのである。
彼の捜している相手とは『和泉淳子』
青春時代燃える様な恋をし、療養中の彼を励まし続けてくれた そして彼が心ならずも裏切った女性であった。
日本が高度成長期に入って暫くの後 一流大学に入学し前途洋々の彼を襲った病魔は当時にはまだ不治の病と言われていた結核だった。
彼の父親は手術を選ぶ事無く転地療養の道を選択したのである。
「空気の綺麗な所で長期の療養をすれば必ず治る」と信じて・・・
彼は絶望の淵に立たされていた。
父親の跡を継ぎ 世界に冠たる立派な会社に育てようと夢に描き 当時としては珍しく家庭教師もつけて貰い 幼少の頃から英才教育を受けてきた彼にはこの病気は全てを奪い取るものに感じたのである。
転地先の宿からは何時も栗駒の山々が見えた。
鬱々とした気持ちで外へ出たところ、前の駄菓子屋から勢い良く飛び出して来た少女とぶつかったのである。
「あっ、ごめんねお兄ちゃん」よろける彼にその少女は声を残し何処かへ走り去って行った。
彼は走る事さえ出来ない己に腹を立てたのだった。
それから数日の後、何と無くその駄菓子屋の暖簾をくぐった。
決して高級とはいえない だが珍しいこの土地の菓子が所狭しと雑然と並んでいる。
商売っ気の無さそうな不精髭を生やした親父が奥から出てきた。
と同時に表から「いらっしゃーい」「あっ、この前のお兄ちゃんだ」との声が響いた。
親父は何も言わずに奥に引っ込んでしまった。
「この前はごめんね、前の旅館に泊まっているんでしょう、随分長い様だけど ここ好きなの?」
屈託の無い声でそう聞いてきた。
「うん、特別好きでも無いがまあ悪い所でもないかな」彼は曖昧に答えたのである。
棒飴を二本新聞紙に包み「はい」と渡され「今度この町の綺麗なところ連れて行ってあげるよ」「何時も旅館の中だけではつまんないでしょう」と・・・
半ば強制的に約束させられた彼は「気分転換には丁度良いか・・・」と考えたのだった。
彼女は彼の病気の事などまるで知らない。
何時も明るく天真爛漫な まさに山国の少女だった。
中学を卒業したらその駄菓子屋を継ぐのだと屈託無く話す。
母親は毎日その土地で取れた野菜を背中に背負って 下の街まで行商に行っているのだと・・・
そんな生活の中に幸せを感じて生きているのが彼には不思議に思えたのだった。
彼は貧乏と云う言葉さえ無縁のブルジョアの御曹司であったから。
彼女の足は速い。
病身の彼には付いて行けなかった。
時々立ち止まって「ちょっと待ってくれ」と息を弾ませ言ったものだ。
しかし連れて行かれたところは 川沿いの小鳥が集まる所であったり 丘の上から栗駒の山々が一望に見渡せる所であったり 実に素晴しい自然の風景であった。
そうした自然の中でいろんな話をした。
幸平は治るか治らないか判らない自分の病気の事を話した。
そして「もしかしたら君にも移るかもしれないよ」と・・・
彼女はケラケラ笑ながら「いいよ、そうしたら病気も半分っこになるよ」「そしたら絶対に治るよ」と事も無げに言ったのだった。
なるほど、そうした外出が多くなってから少しずつ身体が楽になってゆく。
旅館の食事も綺麗に平らげる様になった。
そんな時幸平の父親がひょっこりやって来た。
元気になった幸平を見て満足そうに喜んだ。
彼は淳子の事を詳しく話したのである。
ここまで元気になれたのも淳子のお陰であると・・・
だが父親は不快感をあらわにしたのである。
そして「貧乏人と付き合うと自分も貧乏臭くなる、あの娘が例え良い子であってもお前にはふさわしく無いな」と切り捨てる様に言って帰ったのだった。
しかし幸平にはこの山里で心を開いて話せる相手は 淳子を於いて他にはいなかったのである。
そして春が来た。
淳子は卒業して例の駄菓子屋を継いだ。
幸平も又 病気も癒え一緒に歩き回るのに苦痛を感じなくなった。
その頃になると話題も変わってきていた。
お互いの将来を語り合い少しずつではあるが 相手を異性として感じる様になって行ったのである。
しかしまだ幼い恋心ではあったが・・・
確実にその愛は育っていった。
だが現実は残酷である。
「もう大丈夫だろう」
父親の一言で東京に戻る事になった幸平は「必ず迎えに来るから・・・卒業するまで待ってろよ」と何度も淳子に言い聞かせ列車の人となったのである。
学校に戻った幸平は 夏休み冬休みはおろか事あるごとにこの小さな駅に降り立った。
勿論淳子に会いにである。
唯 手をつないで歩くだけで幸平は幸せを感じていたのである。
この思いは淳子も同じであった。
が、町の人達はそんな二人の純愛を信じてはいなかった。
何時の間にか「あの二人は出来てる」「淳子は遊ばれているんだ」「それも知らないで親も親だ」と噂が勝手に一人歩きして好奇の眼で見られる様になってしまったのである。
両親もその噂に耐え切れずついに交際を禁じたのであった。
幸平も淳子も一生懸命疚しい関係でない事を説明したが無駄な事だった。
田舎の、それも小さな温泉町の事である。
判れと言う方が無理な話である。
そこで彼らは相談して密かに湯沢市で会う事にしたのだった。
彼は真新しいマークⅡに乗り温泉町のはずれで彼女を乗せいろんな所をドライブして廻った。
幸平は密かに彼女との結婚を夢見ていた。
そして淳子にこう言った。
「俺と一緒の道を歩いてくれるか?」
淳子は嬉しかった。
そっとギアーを握る幸平の手に自分の手を乗せ幸せを噛み締めていた。
そして秘密のデートをする様になって二年後の夏、初めてのキッスを交わしたのであった。
唇と唇を合わせるだけで幸せは倍増し天国にでも居る様な気がしたのであった。
それからの幸平はまるで人が代わった様に積極的になって行ったのである。
今までの消極的な性格は消え全てに積極的に行動する様になって行った。
大学での態度も自信に溢れアクティブに変わり同輩達もその変貌ぶりに驚いた位だった。
幼少の頃からひ弱な息子の変わり様に父親も喜んでいた。
が その原因が淳子の支え在ってこそとは知る由も無かったのだ。
「良い跡継ぎが出来たわい」
父親は自分の後継者に多いに満足していた。
それから暫くして二人は結ばれた。
ドライブの途中、ふとしたきっかけで国道筋から離れて走った先にモーテルの看板が眼に付いたのだった。
彼は了解を取るべきかどうか一瞬迷ったが 黙って微笑む彼女に聞くのも恥ずかしかったのである。
車は滑る様に暖簾をくぐって駐車場に入った。
彼も彼女も始めての経験だった。
二人は上気した顔で肩を寄せ合い恥ずかしそうに入って行ったのだった。
少しの間おずおずとしていた彼女は大きなベッドに驚きその上でトランボリンに乗る様に跳ね回ったのである。
幸平はテレビのスイッチをひねった。
すると思わぬ画面が飛び出してきたのだ。
話には聞いていたが【男女が絡み合っている】驚いてスイッチを切ったのである。
暫くはこの異次元の部屋の探検をした。
何しろ二人ともこんな場所は初めて入る全く知らない別世界である。
風呂は泡立ちお湯が踊っている、ベッドは回転し ライトが赤、ピンク、紫と代わる。
何もかも珍しい事ばかりであった。
そうした時、幸平は今まで感じた事の無い異常な興奮に見舞われていた。
それはこの部屋に入った時から予感はしていたが、現実に彼女と一緒に居る事で理性は吹っ飛んでしまっていた。
ましてや若い雌鹿の様な野性的な彼女の肢体を見る事も始めての事・・・
しかし彼には大きな悩みがあった。
時々夜中にパンツを濡らす、それもヌルッとした気持ちの悪い液体(夢精)をであった。
彼は病気ではないかと悩み苦しんでいたのだ。
恥ずかしくて両親はおろか弟にも友人にも言えなかった。
病院で診て貰おうとも思ったがそれも出来なかったのである。
キャンバスでは友人達が「あの女はどう この子はどうかな」等と話をしていたが彼は決してそうした話の輪に入って行かなかった。
何時も経営学の本を読み横目でそれを見ているに過ぎなかったのである。
だからそれが健康な男の自然な事だとは解っていなかったのだった。
しかし一緒に風呂に入ろうとした時その病気が始まってしまったのである。
慌てて股間を洗い 見られる事無く湯船につかった訳であるが若い彼はすぐ正常に戻っていたのだった。
「優しくしてね」恥ずかしそうに言う彼女の言葉も上の空で聞き 夢中で彼女にしがみ付いていった。
そして幸平は『おとこ』になり淳子は『おんな』になったのである。
シーツに付いた血を見ながら彼女は うっすらと涙を浮かべていた。
しかしこのセックスは淳子にとって決して気持ちの良いものではなかった。
唯 痛さだけが先走り本当の喜びを知るのはまだ先の事ではあったが、結ばれたと云う喜こびと充実感は彼女の全身と心に満ち溢れ ふらつく足には羽が生えた様に思えたのであった。
胸から腰にかけて幾つものキッスマークに「恥ずかしい」と潤んだ瞳で答えたのだった。
それからのデートは二人にとって より深い愛をはぐくむものとなって行ったのである。
幸平は卒業と同時に父親の会社で働く様になった。
彼は何時父親に淳子の事を話そうか機会を伺っていたがなかなか切り出す事が出来ないでいた。
淳子も又彼を信じてその日を待っていたのである。
そうした時、淳子は妊娠した。
意を決して彼は父親に「どうしても彼女と一緒に暮らしたいんだ」と必死に説得した。
激怒した父親は密かに彼女の家を訪ね両親と話し合いを持ったのだった。
もう七ヶ月になっていた彼女は堕ろす機会を失って 生むより道は残されていなかったのである。
両親との会談は彼女には知らされていなかった。
幸平は結婚はおろか 子供の認知さえ許されなかったのである。
「きっと解って貰える日が来る、待っていてくれ」
そう手紙に認めて送った。
しかし幸平に待っていたのは同じ系列会社の社長の娘との縁談であった。
政略結婚である。
今の時代では考えられないがその時代 父親の権力は絶対のものであったのだ。
断る事は出来なかった。
幸平は密かに病院に行き婚約成立後『パイプカット』を行ったのである。
「自分の愛した女性は唯一人、淳子であり幸せを願い付けられた我が子『幸子』の為に もう子供は作るまい」
決意の表れであった。
そして淳子との交信も途絶えたのである。
一方淳子は「父親の判らぬ子を産んだ」と町で噂の種となり肩身の狭い生活を余儀なくされていた。
だが父も母も何も言わない。
母親は行商を止め比較的裕福な暮らしに変わっていた。
幸子が小学校に入学する頃 親友の父親から「お前の両親は松井商事の社長から幾ら貰ったんだ」と聞かれた。
愕然とした彼女は両親を問い詰めた。
案の定、この町でちょっとした豪邸が建つ程の金を受け取り彼女には何も知らされていなかったのである。
絶望のあまり家を飛び出しこの町を捨てたのであった。
そして岩手県久慈市の旅館で働きながら幸子と共にひっそりと暮らし始めたのである
幸平は、愛の無い生活の中で 唯仕事のみに生き甲斐を見出そうとしてた。
だがしかし何時まで経っても子供が出来ない。
両親も妻の親たちも 顔を合わせるごとに子供が出来ない事を攻めた。
毎日が砂を噛む様な生活が続いたのである。
幸平はついに切れた。
「当たり前だ、私は愛した人の子しか作らない」「その子は今頃 もう中学生になっているだろう」
妻は怒りを露にして去っていった、可哀想だとは思ったが妻にも結婚前から好きな人が居た・・・と云うより現在も続いて付き合っている事を彼は知っていたのだ。
両親と会社への反逆でもあった。
そして大手の商事会社に就職したのである。
仕事に関しては非常に有能な彼は瞬く間に頭角を現し 海外の支店を次々と拡張していったのであった。
休む間も無く働き続けた・・・
これは余談ではあるがアフリカに企業開拓に行った時の事である。
社員が「ここでは何も売れませんよ、裸で歩き裸足で歩いている、靴もシャツも電化製品も縁の無い生活してるんですから」と・・・
幸平は一括した「だから市場は無限なんだ、彼らに靴を履かせシャツを着せ文化的な生活の便利さを教えてやれ!」と・・・・
どんな所でも無限の市場なんだと陣頭に立って市場開拓をした。
会社は大きく世界に羽ばたいて日本でも有数の優良企業にのし上がったのである。
彼も世界各地での支社長を歴任し、何れは東京本社の社長になる男と誰もが思っていた。
だが彼は全てを捨て退職したのである。
そして還暦を迎えたのである。
いろいろな会社からヘッドハンティングに来た。
又会社も彼の引き止めに必死だった・・・が・・・
「大きな落し物をしたんだよ、それをどうしても捜したいんだ」と断って退職したのだった。
どうしてあの時 今の勇気が出せなかったんだろう。
後悔と無力感が何時も付いて廻って彼を苛んだのであった。
そして淳子の歩いた道程を片っ端から調べて行ったのであった。
「すみません、此方に和泉さんと云う方はいらっしゃるでしょうか」
久慈の『琥珀店』で幸平は尋ねた。
「はい、私が和泉ですけど・・・何か?」
面差しが何処か似ている・・・
幸平は確信した。
「幸子・・・さんですか、お母さんの淳子さんにお会いしたいのですが」
「どなた様でしょうか、母の名をご存知の方とは・・・」
そして はっとした様な顔をして「母は今おりませんが何かご用で」と険しい顔で答えたのであった。
「あー やっぱり幸子か、立派な店をやってるじゃないか、で お母さんは?」
「何処のどなた様か知りませんが呼び捨てにされる謂れはありません」「お帰りください」
冷たく追い返されたのであった。
光るものが頬をつたって流れた。
幸子も店の戸を閉めるなり柱にもたれて嗚咽したのであった。
会いたかった、父がすぐ近くに居る。
が 今までほって置いた恨めしさ 憎さもある。
名刺と宿の名を書いた紙切れを見つめながら泣き続けた。
悄然と帰った幸平は 宿の便箋を借り淳子に宛て、今までの無礼を詫びると共に自分の歩んで来た道を詳しく書いたのである。
彼は一日中部屋の窓から見下ろす久慈の街を見詰めていた。
何としてでも淳子に会いたい。
そして幸子にも・・・
例え嫌われてもいい・・・一度でいいから「お父さん」と呼んで欲しかったのである。
夕方になり手荷物を整理して翌朝の出立を考えていた時 宿の女将が「和泉さんと言う方がいらっしゃっていますけどお会いになりますか」と・・・
階段を降りるのももどかしく駆け下り玄関のロビーに向かったのである。
そこには一昨日会った幸子が背中越しにソファーに身体を小さくして座っていた。
淳子では無かったのである。
失望した彼は「あなたでしたか、一昨日は失礼しました」と答えるに留まった。
「お父さん・・・」振り向いた彼女の眼には一杯涙を湛えていた。
「先日はごめんなさい、あまり突然の事で何を言っていいか判らなくて」「明日一緒にお母さんに会いに行ってくれますか?」
「いや、私こそ、いきなり驚かせて済まなかった」「お母さん いや淳子は病気なのか?」「それとも何か来られない訳でも有るの・・・?」
「明日来て頂ければ判ります」と一冊の分厚いファイルブックを手渡したのであった。
幸平も昨夜認めた手紙を「これを淳子に・・・」と手渡したのであったのだ。
その夜は興奮のあまり一睡も出来なかった。
ファイルを一枚一枚めくってゆく、そこには幸平が海外で活躍してた頃の新聞の切り抜き、経済界の雑誌に載った記事、写真などがびっしり貼ってあった。
所々に「愛するあなた、頑張ってね」「今何処で活躍してるのかなー」等と書かれていた。
そして終わりには「わたしの幸平、いついつまでも待ってるよ」と・・・・
彼は胸が熱くなりファイルに顔を埋めて泣き続けたのであった。
翌朝幸子はワゴン車で迎えに来た。
運転は幸子の夫の雅比呂が、その隣には幸平の孫の(久蔵)が そして幸子の膝の上には赤ちゃんの(翔子)が・・・
車は栗駒山系の麓に向かっていた。
紅葉の先に栗駒山系が新雪を頂いて美しく輝いていた。
幸子は「ほら、あなたたちのお爺ちゃんだよ」と先日までの硬い表情とは打って変わって笑顔を湛えてはしゃいでいたのである。
「やっと念願のお父さんに会えたな」運転席から雅比呂の声がした。
彼はこの街 久慈市で琥珀の加工職人をしていると云う。
それを幸子が駅の近くに店を構え 売っているのだそうだ。
山の麓で車を降り「積もる話もあるだろう、夕方迎えに来るからゆっくり話でもしておいで」と去って行った。
幸平は眼で淳子を捜したが何処にもいない。
「幸子、淳子は・・・?」
「もう少し上よ」少し歩くと墓地が見えてきた。
「まさか?」
「そう、お母さんは去年亡くなったの、最後まできっとお父さんの帰りを待ってたのよ」
幸平は絶句して何も言えなかった。
後から後から涙が出て止まらなかった。
「お父さんは本当に愛していたのね、悪いと思ったけどお母さんの代わりに読ませて頂いたわ」「だってお父さんの子供は私一人っきりだもんね、再婚の機会もあったんでしょう?」
「いや、全く無かったよ」涙の中で笑いながらそう言ったのである。
「お父さん、これから たまには東京に行ってもいいかなー」
「うんうん、大歓迎だよ、孫も連れてな」
そう幸平は喜んで答えたのだった。
ー追憶 完ー
№ 1
春まだ浅き日、男は山間の東北の無人駅に降り立った。
「昔とあまり変わっちゃいないな」小さく呟きゆっくりと歩き始めた。
そして大して流行っても居ない古ぼけた旅館の門をくぐった。
来客もそう多くない宿に 突然の予約なしの客である。
身なりも悪くない。
宿の主人は久しぶりの客に喜び 揉み手をして愛想を振りまいたのであった。
「『紅葉の間』は空いているかな」
「ええ、お客様は以前お見えになった事がおありで・・・?」
代替わりした主人はこの男の事を知る由もなかった。
「うん若い頃ちょっとな」
部屋に通された男は懐かしそうに辺りを見渡した。
部屋の調度品は 新しいものに変わってはいたが 窓の外には雪をかぶった栗駒山系が広がって昔の姿そのままであった。
暫くその風景を眺めて何か感慨にふけっている様子だった。
が コートを脱ぎ厚手のセーターに着替え 男は宿の下駄を借り まだ残雪の残る道を川下の方に歩いていった。
男の名は松井幸平、先日まで大手商社に勤め海外生活も長く なかなか来たいと思ってもその機会も無く今日に至ってしまっていたと云う訳だ。
「いやー 昔とちっとも変わっていませんなー」
宿の主人は「この辺は随分過疎化が進み町の人達も年寄りばかりになりましたからね」「若者は皆 東京方面に出て行きますからもう発展する事はありませんよ」
「ところでお客様は何時頃ここにいらっしゃったんで?」
「うん、学生時代にちょっとね」「ところでこの前に駄菓子屋があったはずだが・・・」
「ええ、もう二十年ばかりになりますか、火事を出しましてね 一家離散の憂き目になり何処へ行ったのか・・・」「お客さんは何かゆかりの方ですか・・・?」
男は無言のまま聞いていたが その返事をする事なく部屋に戻ったのである。
実は幸平には若い頃、この温泉町が辛くて甘い青春の地だったのだ。
終戦の混乱期も過ぎ世の中が落ち着きを取り戻した頃、大学生であった幸平は胸を患い転地療養を余儀なくされた。
その二年余りの滞在が彼の人生を大きく変えたのである。
それから四十年、自由の身となった今、どうしても会いたい人が居た。
彼の思い出と共に人生を左右した人に・・・・
だがその人は何処に行ったのか皆目見当がつかない。
幸平は昔の事を知ってる人から捜さなければならなかった。
何しろ半世紀近くも前の事である。
幸いに駅前の みやげ物売り場の老婆が その駄菓子屋の事を覚えていた。
が、火事の後 隣町に移り住んだところまでは判ったがその後の事は知らないと言う。
幸平はタクシーを拾い教えられた住所まで足を伸ばした。
そして町役場に行き現在何処に住んでるかを聞いたのである。
彼の捜している相手とは『和泉淳子』
青春時代燃える様な恋をし、療養中の彼を励まし続けてくれた そして彼が心ならずも裏切った女性であった。
日本が高度成長期に入って暫くの後 一流大学に入学し前途洋々の彼を襲った病魔は当時にはまだ不治の病と言われていた結核だった。
彼の父親は手術を選ぶ事無く転地療養の道を選択したのである。
「空気の綺麗な所で長期の療養をすれば必ず治る」と信じて・・・
彼は絶望の淵に立たされていた。
父親の跡を継ぎ 世界に冠たる立派な会社に育てようと夢に描き 当時としては珍しく家庭教師もつけて貰い 幼少の頃から英才教育を受けてきた彼にはこの病気は全てを奪い取るものに感じたのである。
転地先の宿からは何時も栗駒の山々が見えた。
鬱々とした気持ちで外へ出たところ、前の駄菓子屋から勢い良く飛び出して来た少女とぶつかったのである。
「あっ、ごめんねお兄ちゃん」よろける彼にその少女は声を残し何処かへ走り去って行った。
彼は走る事さえ出来ない己に腹を立てたのだった。
それから数日の後、何と無くその駄菓子屋の暖簾をくぐった。
決して高級とはいえない だが珍しいこの土地の菓子が所狭しと雑然と並んでいる。
商売っ気の無さそうな不精髭を生やした親父が奥から出てきた。
と同時に表から「いらっしゃーい」「あっ、この前のお兄ちゃんだ」との声が響いた。
親父は何も言わずに奥に引っ込んでしまった。
「この前はごめんね、前の旅館に泊まっているんでしょう、随分長い様だけど ここ好きなの?」
屈託の無い声でそう聞いてきた。
「うん、特別好きでも無いがまあ悪い所でもないかな」彼は曖昧に答えたのである。
棒飴を二本新聞紙に包み「はい」と渡され「今度この町の綺麗なところ連れて行ってあげるよ」「何時も旅館の中だけではつまんないでしょう」と・・・
半ば強制的に約束させられた彼は「気分転換には丁度良いか・・・」と考えたのだった。
彼女は彼の病気の事などまるで知らない。
何時も明るく天真爛漫な まさに山国の少女だった。
中学を卒業したらその駄菓子屋を継ぐのだと屈託無く話す。
母親は毎日その土地で取れた野菜を背中に背負って 下の街まで行商に行っているのだと・・・
そんな生活の中に幸せを感じて生きているのが彼には不思議に思えたのだった。
彼は貧乏と云う言葉さえ無縁のブルジョアの御曹司であったから。
彼女の足は速い。
病身の彼には付いて行けなかった。
時々立ち止まって「ちょっと待ってくれ」と息を弾ませ言ったものだ。
しかし連れて行かれたところは 川沿いの小鳥が集まる所であったり 丘の上から栗駒の山々が一望に見渡せる所であったり 実に素晴しい自然の風景であった。
そうした自然の中でいろんな話をした。
幸平は治るか治らないか判らない自分の病気の事を話した。
そして「もしかしたら君にも移るかもしれないよ」と・・・
彼女はケラケラ笑ながら「いいよ、そうしたら病気も半分っこになるよ」「そしたら絶対に治るよ」と事も無げに言ったのだった。
なるほど、そうした外出が多くなってから少しずつ身体が楽になってゆく。
旅館の食事も綺麗に平らげる様になった。
そんな時幸平の父親がひょっこりやって来た。
元気になった幸平を見て満足そうに喜んだ。
彼は淳子の事を詳しく話したのである。
ここまで元気になれたのも淳子のお陰であると・・・
だが父親は不快感をあらわにしたのである。
そして「貧乏人と付き合うと自分も貧乏臭くなる、あの娘が例え良い子であってもお前にはふさわしく無いな」と切り捨てる様に言って帰ったのだった。
しかし幸平にはこの山里で心を開いて話せる相手は 淳子を於いて他にはいなかったのである。
そして春が来た。
淳子は卒業して例の駄菓子屋を継いだ。
幸平も又 病気も癒え一緒に歩き回るのに苦痛を感じなくなった。
その頃になると話題も変わってきていた。
お互いの将来を語り合い少しずつではあるが 相手を異性として感じる様になって行ったのである。
しかしまだ幼い恋心ではあったが・・・
確実にその愛は育っていった。
だが現実は残酷である。
「もう大丈夫だろう」
父親の一言で東京に戻る事になった幸平は「必ず迎えに来るから・・・卒業するまで待ってろよ」と何度も淳子に言い聞かせ列車の人となったのである。
学校に戻った幸平は 夏休み冬休みはおろか事あるごとにこの小さな駅に降り立った。
勿論淳子に会いにである。
唯 手をつないで歩くだけで幸平は幸せを感じていたのである。
この思いは淳子も同じであった。
が、町の人達はそんな二人の純愛を信じてはいなかった。
何時の間にか「あの二人は出来てる」「淳子は遊ばれているんだ」「それも知らないで親も親だ」と噂が勝手に一人歩きして好奇の眼で見られる様になってしまったのである。
両親もその噂に耐え切れずついに交際を禁じたのであった。
幸平も淳子も一生懸命疚しい関係でない事を説明したが無駄な事だった。
田舎の、それも小さな温泉町の事である。
判れと言う方が無理な話である。
そこで彼らは相談して密かに湯沢市で会う事にしたのだった。
彼は真新しいマークⅡに乗り温泉町のはずれで彼女を乗せいろんな所をドライブして廻った。
幸平は密かに彼女との結婚を夢見ていた。
そして淳子にこう言った。
「俺と一緒の道を歩いてくれるか?」
淳子は嬉しかった。
そっとギアーを握る幸平の手に自分の手を乗せ幸せを噛み締めていた。
そして秘密のデートをする様になって二年後の夏、初めてのキッスを交わしたのであった。
唇と唇を合わせるだけで幸せは倍増し天国にでも居る様な気がしたのであった。
それからの幸平はまるで人が代わった様に積極的になって行ったのである。
今までの消極的な性格は消え全てに積極的に行動する様になって行った。
大学での態度も自信に溢れアクティブに変わり同輩達もその変貌ぶりに驚いた位だった。
幼少の頃からひ弱な息子の変わり様に父親も喜んでいた。
が その原因が淳子の支え在ってこそとは知る由も無かったのだ。
「良い跡継ぎが出来たわい」
父親は自分の後継者に多いに満足していた。
それから暫くして二人は結ばれた。
ドライブの途中、ふとしたきっかけで国道筋から離れて走った先にモーテルの看板が眼に付いたのだった。
彼は了解を取るべきかどうか一瞬迷ったが 黙って微笑む彼女に聞くのも恥ずかしかったのである。
車は滑る様に暖簾をくぐって駐車場に入った。
彼も彼女も始めての経験だった。
二人は上気した顔で肩を寄せ合い恥ずかしそうに入って行ったのだった。
少しの間おずおずとしていた彼女は大きなベッドに驚きその上でトランボリンに乗る様に跳ね回ったのである。
幸平はテレビのスイッチをひねった。
すると思わぬ画面が飛び出してきたのだ。
話には聞いていたが【男女が絡み合っている】驚いてスイッチを切ったのである。
暫くはこの異次元の部屋の探検をした。
何しろ二人ともこんな場所は初めて入る全く知らない別世界である。
風呂は泡立ちお湯が踊っている、ベッドは回転し ライトが赤、ピンク、紫と代わる。
何もかも珍しい事ばかりであった。
そうした時、幸平は今まで感じた事の無い異常な興奮に見舞われていた。
それはこの部屋に入った時から予感はしていたが、現実に彼女と一緒に居る事で理性は吹っ飛んでしまっていた。
ましてや若い雌鹿の様な野性的な彼女の肢体を見る事も始めての事・・・
しかし彼には大きな悩みがあった。
時々夜中にパンツを濡らす、それもヌルッとした気持ちの悪い液体(夢精)をであった。
彼は病気ではないかと悩み苦しんでいたのだ。
恥ずかしくて両親はおろか弟にも友人にも言えなかった。
病院で診て貰おうとも思ったがそれも出来なかったのである。
キャンバスでは友人達が「あの女はどう この子はどうかな」等と話をしていたが彼は決してそうした話の輪に入って行かなかった。
何時も経営学の本を読み横目でそれを見ているに過ぎなかったのである。
だからそれが健康な男の自然な事だとは解っていなかったのだった。
しかし一緒に風呂に入ろうとした時その病気が始まってしまったのである。
慌てて股間を洗い 見られる事無く湯船につかった訳であるが若い彼はすぐ正常に戻っていたのだった。
「優しくしてね」恥ずかしそうに言う彼女の言葉も上の空で聞き 夢中で彼女にしがみ付いていった。
そして幸平は『おとこ』になり淳子は『おんな』になったのである。
シーツに付いた血を見ながら彼女は うっすらと涙を浮かべていた。
しかしこのセックスは淳子にとって決して気持ちの良いものではなかった。
唯 痛さだけが先走り本当の喜びを知るのはまだ先の事ではあったが、結ばれたと云う喜こびと充実感は彼女の全身と心に満ち溢れ ふらつく足には羽が生えた様に思えたのであった。
胸から腰にかけて幾つものキッスマークに「恥ずかしい」と潤んだ瞳で答えたのだった。
それからのデートは二人にとって より深い愛をはぐくむものとなって行ったのである。
幸平は卒業と同時に父親の会社で働く様になった。
彼は何時父親に淳子の事を話そうか機会を伺っていたがなかなか切り出す事が出来ないでいた。
淳子も又彼を信じてその日を待っていたのである。
そうした時、淳子は妊娠した。
意を決して彼は父親に「どうしても彼女と一緒に暮らしたいんだ」と必死に説得した。
激怒した父親は密かに彼女の家を訪ね両親と話し合いを持ったのだった。
もう七ヶ月になっていた彼女は堕ろす機会を失って 生むより道は残されていなかったのである。
両親との会談は彼女には知らされていなかった。
幸平は結婚はおろか 子供の認知さえ許されなかったのである。
「きっと解って貰える日が来る、待っていてくれ」
そう手紙に認めて送った。
しかし幸平に待っていたのは同じ系列会社の社長の娘との縁談であった。
政略結婚である。
今の時代では考えられないがその時代 父親の権力は絶対のものであったのだ。
断る事は出来なかった。
幸平は密かに病院に行き婚約成立後『パイプカット』を行ったのである。
「自分の愛した女性は唯一人、淳子であり幸せを願い付けられた我が子『幸子』の為に もう子供は作るまい」
決意の表れであった。
そして淳子との交信も途絶えたのである。
一方淳子は「父親の判らぬ子を産んだ」と町で噂の種となり肩身の狭い生活を余儀なくされていた。
だが父も母も何も言わない。
母親は行商を止め比較的裕福な暮らしに変わっていた。
幸子が小学校に入学する頃 親友の父親から「お前の両親は松井商事の社長から幾ら貰ったんだ」と聞かれた。
愕然とした彼女は両親を問い詰めた。
案の定、この町でちょっとした豪邸が建つ程の金を受け取り彼女には何も知らされていなかったのである。
絶望のあまり家を飛び出しこの町を捨てたのであった。
そして岩手県久慈市の旅館で働きながら幸子と共にひっそりと暮らし始めたのである
幸平は、愛の無い生活の中で 唯仕事のみに生き甲斐を見出そうとしてた。
だがしかし何時まで経っても子供が出来ない。
両親も妻の親たちも 顔を合わせるごとに子供が出来ない事を攻めた。
毎日が砂を噛む様な生活が続いたのである。
幸平はついに切れた。
「当たり前だ、私は愛した人の子しか作らない」「その子は今頃 もう中学生になっているだろう」
妻は怒りを露にして去っていった、可哀想だとは思ったが妻にも結婚前から好きな人が居た・・・と云うより現在も続いて付き合っている事を彼は知っていたのだ。
両親と会社への反逆でもあった。
そして大手の商事会社に就職したのである。
仕事に関しては非常に有能な彼は瞬く間に頭角を現し 海外の支店を次々と拡張していったのであった。
休む間も無く働き続けた・・・
これは余談ではあるがアフリカに企業開拓に行った時の事である。
社員が「ここでは何も売れませんよ、裸で歩き裸足で歩いている、靴もシャツも電化製品も縁の無い生活してるんですから」と・・・
幸平は一括した「だから市場は無限なんだ、彼らに靴を履かせシャツを着せ文化的な生活の便利さを教えてやれ!」と・・・・
どんな所でも無限の市場なんだと陣頭に立って市場開拓をした。
会社は大きく世界に羽ばたいて日本でも有数の優良企業にのし上がったのである。
彼も世界各地での支社長を歴任し、何れは東京本社の社長になる男と誰もが思っていた。
だが彼は全てを捨て退職したのである。
そして還暦を迎えたのである。
いろいろな会社からヘッドハンティングに来た。
又会社も彼の引き止めに必死だった・・・が・・・
「大きな落し物をしたんだよ、それをどうしても捜したいんだ」と断って退職したのだった。
どうしてあの時 今の勇気が出せなかったんだろう。
後悔と無力感が何時も付いて廻って彼を苛んだのであった。
そして淳子の歩いた道程を片っ端から調べて行ったのであった。
「すみません、此方に和泉さんと云う方はいらっしゃるでしょうか」
久慈の『琥珀店』で幸平は尋ねた。
「はい、私が和泉ですけど・・・何か?」
面差しが何処か似ている・・・
幸平は確信した。
「幸子・・・さんですか、お母さんの淳子さんにお会いしたいのですが」
「どなた様でしょうか、母の名をご存知の方とは・・・」
そして はっとした様な顔をして「母は今おりませんが何かご用で」と険しい顔で答えたのであった。
「あー やっぱり幸子か、立派な店をやってるじゃないか、で お母さんは?」
「何処のどなた様か知りませんが呼び捨てにされる謂れはありません」「お帰りください」
冷たく追い返されたのであった。
光るものが頬をつたって流れた。
幸子も店の戸を閉めるなり柱にもたれて嗚咽したのであった。
会いたかった、父がすぐ近くに居る。
が 今までほって置いた恨めしさ 憎さもある。
名刺と宿の名を書いた紙切れを見つめながら泣き続けた。
悄然と帰った幸平は 宿の便箋を借り淳子に宛て、今までの無礼を詫びると共に自分の歩んで来た道を詳しく書いたのである。
彼は一日中部屋の窓から見下ろす久慈の街を見詰めていた。
何としてでも淳子に会いたい。
そして幸子にも・・・
例え嫌われてもいい・・・一度でいいから「お父さん」と呼んで欲しかったのである。
夕方になり手荷物を整理して翌朝の出立を考えていた時 宿の女将が「和泉さんと言う方がいらっしゃっていますけどお会いになりますか」と・・・
階段を降りるのももどかしく駆け下り玄関のロビーに向かったのである。
そこには一昨日会った幸子が背中越しにソファーに身体を小さくして座っていた。
淳子では無かったのである。
失望した彼は「あなたでしたか、一昨日は失礼しました」と答えるに留まった。
「お父さん・・・」振り向いた彼女の眼には一杯涙を湛えていた。
「先日はごめんなさい、あまり突然の事で何を言っていいか判らなくて」「明日一緒にお母さんに会いに行ってくれますか?」
「いや、私こそ、いきなり驚かせて済まなかった」「お母さん いや淳子は病気なのか?」「それとも何か来られない訳でも有るの・・・?」
「明日来て頂ければ判ります」と一冊の分厚いファイルブックを手渡したのであった。
幸平も昨夜認めた手紙を「これを淳子に・・・」と手渡したのであったのだ。
その夜は興奮のあまり一睡も出来なかった。
ファイルを一枚一枚めくってゆく、そこには幸平が海外で活躍してた頃の新聞の切り抜き、経済界の雑誌に載った記事、写真などがびっしり貼ってあった。
所々に「愛するあなた、頑張ってね」「今何処で活躍してるのかなー」等と書かれていた。
そして終わりには「わたしの幸平、いついつまでも待ってるよ」と・・・・
彼は胸が熱くなりファイルに顔を埋めて泣き続けたのであった。
翌朝幸子はワゴン車で迎えに来た。
運転は幸子の夫の雅比呂が、その隣には幸平の孫の(久蔵)が そして幸子の膝の上には赤ちゃんの(翔子)が・・・
車は栗駒山系の麓に向かっていた。
紅葉の先に栗駒山系が新雪を頂いて美しく輝いていた。
幸子は「ほら、あなたたちのお爺ちゃんだよ」と先日までの硬い表情とは打って変わって笑顔を湛えてはしゃいでいたのである。
「やっと念願のお父さんに会えたな」運転席から雅比呂の声がした。
彼はこの街 久慈市で琥珀の加工職人をしていると云う。
それを幸子が駅の近くに店を構え 売っているのだそうだ。
山の麓で車を降り「積もる話もあるだろう、夕方迎えに来るからゆっくり話でもしておいで」と去って行った。
幸平は眼で淳子を捜したが何処にもいない。
「幸子、淳子は・・・?」
「もう少し上よ」少し歩くと墓地が見えてきた。
「まさか?」
「そう、お母さんは去年亡くなったの、最後まできっとお父さんの帰りを待ってたのよ」
幸平は絶句して何も言えなかった。
後から後から涙が出て止まらなかった。
「お父さんは本当に愛していたのね、悪いと思ったけどお母さんの代わりに読ませて頂いたわ」「だってお父さんの子供は私一人っきりだもんね、再婚の機会もあったんでしょう?」
「いや、全く無かったよ」涙の中で笑いながらそう言ったのである。
「お父さん、これから たまには東京に行ってもいいかなー」
「うんうん、大歓迎だよ、孫も連れてな」
そう幸平は喜んで答えたのだった。
ー追憶 完ー
盛大な祝言(結婚式)だった。
「お兄様も紋付袴を着てくださいな」宗兵衛はそう言ったが「俺にはこの姿が一番似合ってる」と猟師の格好で出席したのである。
万が一正装した事によって元侍と云うことがばれるのを恐れたからだ。
お涼、お志乃は手放しで喜んだ。
特にお涼には特別の思いがあった。
何時も姉貴面して見下され、虎視眈々と伊助を狙う眼が許せなかったのだ。
姉妹の確執は常にあったが、唯表面上伊助に見せない様にしていただけであった。
又 お志乃に対しては所詮買われた女、それほど気にはしていなかったのである。
お涼は勝ち誇った顔で「お姉ちゃん、本当におめでとう、いい人に出会えて良かったね」
お竜は悔しさを滲ませながら「ありがとう」と言うより仕方が無かったのである。
お竜には京に住んでいた頃から志穂(お志乃)に対してはそれ程気にはしていなかった。
厳しくすればそのうち根を上げるだろう、そう思って徹底的に鍛えたのである。
お陰でお志乃の腕は立派に師匠として自活出来るまでになっていた。
お竜は「妹に取られる位ならお志乃に譲った方がましだ」とも思っていたのだった。
祝言の後 お竜はお志乃を呼び「伊助さんはお夕よりあんたの方が好きなんだよ、絶対離しちゃ駄目だよ」「私の弟子は全部あんたにあげるからしっかりするんだよ」と・・・
それぞれの思惑が交錯する中で盛大な式典は終わった。
「淋しくなりましたなー」と庄助は言ったが伊助は「うん・・・」と答えただけであった。
「№ 15」
明治も二年となった。
蝦夷地での新政府を夢見た旧幕臣、榎本武揚等の目論みも又失敗に終わった。
土方歳三も討ち死に、榎本も自刃して果てた。
いよいよ明治新政府が発足したのである。
官軍は旧幕臣の探索を徹底的に行った。
だがこの西伊豆にまでは手は伸びて来なかったのである。
伊助はいろんな事を思い出していた。
お夕と出会ってから八年、激動の京の生活、船の上の一年半のゆったりと過ごした日々・・・
走馬灯の様に廻っては消えた。
この時代は又どんな田舎に住もうと弾薬は手に入った。
それだけ全国に猟師が多かったのである。
又 獣も多かった。
江戸時代には日本人は肉を食べなかったが文久にはもう肉を食べるのは当たり前になっていたのである。
が しかしまだ肉は高級品であったのだ。
修善寺では美味しい肉を食わせる事で有名になっていった。
それだけ伊助達も忙しく 山を駆け回ったのである。
家事全般は庄助の妻よねが引き受けていた。
お涼は庭に花を植えたり三味線を弾いたり、時にはよねを連れ立って修善寺の町まで買い物をしたり優雅に暮らしていた。
お志乃との仲も良かった。
共に船の上で苦労を分け合い助け合った仲、まるで町の人には本当の姉妹の様に見えたであろう。
伊助達も又気ままに猟を楽しみ誰も居ない所では庄助に剣術指南をしたりして楽しんでいたのだった。
足繁くお志乃の家に行く余裕もあった。
宗兵衛とお竜の間にも二歳になる男の子が出来ていた。
そして二人目もお腹の中に・・・
「お兄さんは もしかしたら元お侍だったのじゃないかい?」お竜はとぼけて「ええ、貧乏旗本の三男坊でね、侍が嫌いで猟師になったんですよ」と・・・
「道理で、とても達筆でしらっしゃる、いっそ寺子屋でも開いたら?」「うちの帳簿も目を通して貰いたいものだね」
お竜は「しめた!これで又伊蔵さんが来てくれる」と思ったのだが・・・
しかし伊助は「縛られるのが嫌いでね」と断ったのである。
宗兵衛の店はお竜が来て以来余計に繁盛していた。
京仕込みの柔らかい立ち居振る舞い、口の巧さ、そしてその美貌・・・
町の人は「いい嫁さんを貰ったなー」と羨ましがった。
どうやら男癖の悪さも毎日宗兵衛に可愛がられているせいか直ったようだ。
お志乃も日に日に艶っぽくなっていった。
伊助が月のうち半分は来てくれる。
そして可愛い女の赤ちゃんが生まれた。
それが嬉しくて堪らない。
お涼も又 昔 帰るか帰らないのか判らない生活の事を思い出しながら幸せを感じていたのだった。
新政府は薩長が中心で組閣されていた。
その仲で異彩を放っていたのは勝海舟の入閣であったのだ。
江戸城を無血開城に導いた功績もあるが何より諸外国の状況をよく知っていたからに他ならない。
「№ 16」
江戸の町も東京と名を改められ新貨幣が発行された。
それと同時に紙のお札(兌換紙幣)も発行されたのである。
伊助は密かに宗兵衛に相談して小判を少しずつ交換する事にした。
宗兵衛もあまりにも多い金に驚き自分の店の名義を使い新しく出来た銀行に預けたのであった。
と 同時に伊助の本当の姿が知りたくなったのである。
庄助は「上方で回船問屋をしてた時の蓄えだ」とその場を取り繕ったのだ。
「御家人から商売人・・・?」宗兵衛はそれ以上知ろうと思わなかった。
これ以上詮索するのは得策ではないと判断したのである。
さすが商売人である、身内に貧乏人を抱えるより金持ちがいい、と思ったのだった。
伊助の顔はなかなかの美形である。
もし火傷の跡さえ無かったらさぞかし持てるだろうと。
だからお涼の様な美しい女性と所帯を持っているのだろう、その妹お志乃も魅力的な女だ。
「私はお竜と結婚出来た」何と云う幸せ者なんだと宗兵衛は思っていた。
こうして何事もなく月日は過ぎていった。
ある晩、商家の付き合いで宗兵衛は「たまにはお兄さんもどうぞ」と温泉宿に誘ったのであった。
宴も終わり宿の廊下を歩いていた時 意外な人物に出会った。
皆が頭を下げる向こうに勝海舟が歩いてきたのである。
たまたま湯治に来ていた訳だが伊助と眼が合った。
海舟も驚いた、伊助も又「もはやこれまでか!」と覚悟を決めたのであった。
「おっ!生きていたのか」「今何してるんだい?」
「へい、猟師をしております」伊助は町人言葉で答えた。
海舟は「無事で良かったのう、息災で暮らせ」と言って通り過ぎて行った。
海舟は思慮のある男である、今更詮索する気など全くなかった。
宗兵衛は腰を抜かさんばかりに驚いていたのである。
天下の勝安房守様とお知り合いの方であったとは・・・
この方もきっと立派なお侍であったのだろうと・・・
何も言わず語らず 時は過ぎてゆくのであった。
「№ 17」
伊助も庄助も老境に入っていた。
現在ならば四十代半ば過ぎはまだ働き盛りなのだがその頃ではもう老人の部類であったのである。
だが二人とも意気軒昂、山々を駆け回っていたのだ。
宗兵衛は「もう碁でも打ってゆっくりなさっては、うちの近くに家でも建てて自適に暮らされたら如何ですか」と言った。
伊助は笑って「まだまだ」と答えたがもう疲れは一日寝れば取れると云う訳にはゆかなかった。
明治十年 突然西郷が『征韓論』を唱えて野に下った。
そうして薩摩で軍を整えて反旗を翻した。
海舟は間者として歴戦のつわもの伊蔵を送る事を考えたのである。
使者が呉服屋宗兵衛の家を訪れた。
「岡田伊蔵殿はご在宅で・・・」と。
宗兵衛は腰を抜かさんばかりに驚いた。
あの有名な人斬り伊蔵であったとは・・・
すぐさま「安房守様のお呼びですが」と伝えたのであるが伊助は「もう歳だから」と断ったのである。
それからの宗兵衛は何か恐ろしい事が起きるのではと震えたが 伊助は「あの方ははそんな了見の狭い方ではないぞ」と笑って取り合わなかった。
又何事も起きる様子も無かった。
伊助はこれまでの経緯を宗兵衛に話して聞かせた。
が お竜事お葉の事は伏せておいたのである。
伊助事伊蔵は今まで以上に親しく宗兵衛と酒を酌み交わし忌憚の無い話が出来る様になった。
時が全てを押し流してくれたのである。
西郷軍は一時は九州全土を席巻したが田原坂の戦いに敗れ自決したのだった。
それを伊豆の地で聞きながら祭りは終わったな と伊蔵は思った。
お夕も幸せな人生を噛み締めていた。
遅い子供であるが伊蔵との男の子も授かった。
名を誠一郎と名付けた。
お志乃も又大勢の弟子に囲まれ楽しく過ごしている。
宗兵衛が全てを知った今、仮の名を名乗る必要も無かったがお志乃の名が気に入ってその名を使い続けたのである。
それは伊蔵が付けてくれた名でお志乃に取っては愛の証でもあった。
激動の時代を駆け抜けた伊蔵は庄助と共に相変わらず野山を駆け回ってた。
それから十年後 お夕に伊蔵は身体の不調を訴えた。
宗兵衛を呼んだ伊蔵は自分の死後 女達の行く末を頼んだのであった。
その十日後、皆に見守られ静かに息を引き取ったのである。
庄助事正二は涙で「旦那、卑怯ですぜ、死ぬ時も一緒だと約束したじゃありませんか」と・・・
お志乃も眼を真っ赤に泣き腫らしていた。
気丈にもお夕は一粒種の誠一郎を抱きしめ「お父様は立派なお侍だったんだよ、よく見て置きなさい」と涙ひとつ流さなかった。
伊蔵は死に際、お夕 お志乃の手を握り「あの世でも又一緒に暮らそうな」と言ったのである。
実に見事な幕引きであった、その顔にはうっすらと笑顔をたたえて・・・
最後まで豪快に生きた人生だった。
早速宗兵衛は勝海舟に伊蔵の死を知らせた。
海舟はその死を惜しんだ。
そして 息子誠一郎を福沢諭吉の義塾に入れる様【紹介状】を添えた手紙をくれたのである。
宗兵衛は幕末の快男子にふさわしい盛大な葬儀を行ったのであった。
ー完ー
「お兄様も紋付袴を着てくださいな」宗兵衛はそう言ったが「俺にはこの姿が一番似合ってる」と猟師の格好で出席したのである。
万が一正装した事によって元侍と云うことがばれるのを恐れたからだ。
お涼、お志乃は手放しで喜んだ。
特にお涼には特別の思いがあった。
何時も姉貴面して見下され、虎視眈々と伊助を狙う眼が許せなかったのだ。
姉妹の確執は常にあったが、唯表面上伊助に見せない様にしていただけであった。
又 お志乃に対しては所詮買われた女、それほど気にはしていなかったのである。
お涼は勝ち誇った顔で「お姉ちゃん、本当におめでとう、いい人に出会えて良かったね」
お竜は悔しさを滲ませながら「ありがとう」と言うより仕方が無かったのである。
お竜には京に住んでいた頃から志穂(お志乃)に対してはそれ程気にはしていなかった。
厳しくすればそのうち根を上げるだろう、そう思って徹底的に鍛えたのである。
お陰でお志乃の腕は立派に師匠として自活出来るまでになっていた。
お竜は「妹に取られる位ならお志乃に譲った方がましだ」とも思っていたのだった。
祝言の後 お竜はお志乃を呼び「伊助さんはお夕よりあんたの方が好きなんだよ、絶対離しちゃ駄目だよ」「私の弟子は全部あんたにあげるからしっかりするんだよ」と・・・
それぞれの思惑が交錯する中で盛大な式典は終わった。
「淋しくなりましたなー」と庄助は言ったが伊助は「うん・・・」と答えただけであった。
「№ 15」
明治も二年となった。
蝦夷地での新政府を夢見た旧幕臣、榎本武揚等の目論みも又失敗に終わった。
土方歳三も討ち死に、榎本も自刃して果てた。
いよいよ明治新政府が発足したのである。
官軍は旧幕臣の探索を徹底的に行った。
だがこの西伊豆にまでは手は伸びて来なかったのである。
伊助はいろんな事を思い出していた。
お夕と出会ってから八年、激動の京の生活、船の上の一年半のゆったりと過ごした日々・・・
走馬灯の様に廻っては消えた。
この時代は又どんな田舎に住もうと弾薬は手に入った。
それだけ全国に猟師が多かったのである。
又 獣も多かった。
江戸時代には日本人は肉を食べなかったが文久にはもう肉を食べるのは当たり前になっていたのである。
が しかしまだ肉は高級品であったのだ。
修善寺では美味しい肉を食わせる事で有名になっていった。
それだけ伊助達も忙しく 山を駆け回ったのである。
家事全般は庄助の妻よねが引き受けていた。
お涼は庭に花を植えたり三味線を弾いたり、時にはよねを連れ立って修善寺の町まで買い物をしたり優雅に暮らしていた。
お志乃との仲も良かった。
共に船の上で苦労を分け合い助け合った仲、まるで町の人には本当の姉妹の様に見えたであろう。
伊助達も又気ままに猟を楽しみ誰も居ない所では庄助に剣術指南をしたりして楽しんでいたのだった。
足繁くお志乃の家に行く余裕もあった。
宗兵衛とお竜の間にも二歳になる男の子が出来ていた。
そして二人目もお腹の中に・・・
「お兄さんは もしかしたら元お侍だったのじゃないかい?」お竜はとぼけて「ええ、貧乏旗本の三男坊でね、侍が嫌いで猟師になったんですよ」と・・・
「道理で、とても達筆でしらっしゃる、いっそ寺子屋でも開いたら?」「うちの帳簿も目を通して貰いたいものだね」
お竜は「しめた!これで又伊蔵さんが来てくれる」と思ったのだが・・・
しかし伊助は「縛られるのが嫌いでね」と断ったのである。
宗兵衛の店はお竜が来て以来余計に繁盛していた。
京仕込みの柔らかい立ち居振る舞い、口の巧さ、そしてその美貌・・・
町の人は「いい嫁さんを貰ったなー」と羨ましがった。
どうやら男癖の悪さも毎日宗兵衛に可愛がられているせいか直ったようだ。
お志乃も日に日に艶っぽくなっていった。
伊助が月のうち半分は来てくれる。
そして可愛い女の赤ちゃんが生まれた。
それが嬉しくて堪らない。
お涼も又 昔 帰るか帰らないのか判らない生活の事を思い出しながら幸せを感じていたのだった。
新政府は薩長が中心で組閣されていた。
その仲で異彩を放っていたのは勝海舟の入閣であったのだ。
江戸城を無血開城に導いた功績もあるが何より諸外国の状況をよく知っていたからに他ならない。
「№ 16」
江戸の町も東京と名を改められ新貨幣が発行された。
それと同時に紙のお札(兌換紙幣)も発行されたのである。
伊助は密かに宗兵衛に相談して小判を少しずつ交換する事にした。
宗兵衛もあまりにも多い金に驚き自分の店の名義を使い新しく出来た銀行に預けたのであった。
と 同時に伊助の本当の姿が知りたくなったのである。
庄助は「上方で回船問屋をしてた時の蓄えだ」とその場を取り繕ったのだ。
「御家人から商売人・・・?」宗兵衛はそれ以上知ろうと思わなかった。
これ以上詮索するのは得策ではないと判断したのである。
さすが商売人である、身内に貧乏人を抱えるより金持ちがいい、と思ったのだった。
伊助の顔はなかなかの美形である。
もし火傷の跡さえ無かったらさぞかし持てるだろうと。
だからお涼の様な美しい女性と所帯を持っているのだろう、その妹お志乃も魅力的な女だ。
「私はお竜と結婚出来た」何と云う幸せ者なんだと宗兵衛は思っていた。
こうして何事もなく月日は過ぎていった。
ある晩、商家の付き合いで宗兵衛は「たまにはお兄さんもどうぞ」と温泉宿に誘ったのであった。
宴も終わり宿の廊下を歩いていた時 意外な人物に出会った。
皆が頭を下げる向こうに勝海舟が歩いてきたのである。
たまたま湯治に来ていた訳だが伊助と眼が合った。
海舟も驚いた、伊助も又「もはやこれまでか!」と覚悟を決めたのであった。
「おっ!生きていたのか」「今何してるんだい?」
「へい、猟師をしております」伊助は町人言葉で答えた。
海舟は「無事で良かったのう、息災で暮らせ」と言って通り過ぎて行った。
海舟は思慮のある男である、今更詮索する気など全くなかった。
宗兵衛は腰を抜かさんばかりに驚いていたのである。
天下の勝安房守様とお知り合いの方であったとは・・・
この方もきっと立派なお侍であったのだろうと・・・
何も言わず語らず 時は過ぎてゆくのであった。
「№ 17」
伊助も庄助も老境に入っていた。
現在ならば四十代半ば過ぎはまだ働き盛りなのだがその頃ではもう老人の部類であったのである。
だが二人とも意気軒昂、山々を駆け回っていたのだ。
宗兵衛は「もう碁でも打ってゆっくりなさっては、うちの近くに家でも建てて自適に暮らされたら如何ですか」と言った。
伊助は笑って「まだまだ」と答えたがもう疲れは一日寝れば取れると云う訳にはゆかなかった。
明治十年 突然西郷が『征韓論』を唱えて野に下った。
そうして薩摩で軍を整えて反旗を翻した。
海舟は間者として歴戦のつわもの伊蔵を送る事を考えたのである。
使者が呉服屋宗兵衛の家を訪れた。
「岡田伊蔵殿はご在宅で・・・」と。
宗兵衛は腰を抜かさんばかりに驚いた。
あの有名な人斬り伊蔵であったとは・・・
すぐさま「安房守様のお呼びですが」と伝えたのであるが伊助は「もう歳だから」と断ったのである。
それからの宗兵衛は何か恐ろしい事が起きるのではと震えたが 伊助は「あの方ははそんな了見の狭い方ではないぞ」と笑って取り合わなかった。
又何事も起きる様子も無かった。
伊助はこれまでの経緯を宗兵衛に話して聞かせた。
が お竜事お葉の事は伏せておいたのである。
伊助事伊蔵は今まで以上に親しく宗兵衛と酒を酌み交わし忌憚の無い話が出来る様になった。
時が全てを押し流してくれたのである。
西郷軍は一時は九州全土を席巻したが田原坂の戦いに敗れ自決したのだった。
それを伊豆の地で聞きながら祭りは終わったな と伊蔵は思った。
お夕も幸せな人生を噛み締めていた。
遅い子供であるが伊蔵との男の子も授かった。
名を誠一郎と名付けた。
お志乃も又大勢の弟子に囲まれ楽しく過ごしている。
宗兵衛が全てを知った今、仮の名を名乗る必要も無かったがお志乃の名が気に入ってその名を使い続けたのである。
それは伊蔵が付けてくれた名でお志乃に取っては愛の証でもあった。
激動の時代を駆け抜けた伊蔵は庄助と共に相変わらず野山を駆け回ってた。
それから十年後 お夕に伊蔵は身体の不調を訴えた。
宗兵衛を呼んだ伊蔵は自分の死後 女達の行く末を頼んだのであった。
その十日後、皆に見守られ静かに息を引き取ったのである。
庄助事正二は涙で「旦那、卑怯ですぜ、死ぬ時も一緒だと約束したじゃありませんか」と・・・
お志乃も眼を真っ赤に泣き腫らしていた。
気丈にもお夕は一粒種の誠一郎を抱きしめ「お父様は立派なお侍だったんだよ、よく見て置きなさい」と涙ひとつ流さなかった。
伊蔵は死に際、お夕 お志乃の手を握り「あの世でも又一緒に暮らそうな」と言ったのである。
実に見事な幕引きであった、その顔にはうっすらと笑顔をたたえて・・・
最後まで豪快に生きた人生だった。
早速宗兵衛は勝海舟に伊蔵の死を知らせた。
海舟はその死を惜しんだ。
そして 息子誠一郎を福沢諭吉の義塾に入れる様【紹介状】を添えた手紙をくれたのである。
宗兵衛は幕末の快男子にふさわしい盛大な葬儀を行ったのであった。
ー完ー
『二人の検校』
現在の岐阜県、東北部の町。
飛騨の下級武士斉藤家に可愛い男の赤ちゃんが二人生まれた。
「おぎゃー」と泣いた時 斉藤健四郎は「ちっ畜生腹か」と不快に思ったのである。
二人とも盲目であった。
当時は双子、三つ子に至っては犬、猫と同然、一人を残し何処かにその内の一人を里子に出すか捨てるのが普通である。
だが健四郎は違ってた。
「畜生腹の子など見たくも無い」一人を寺の住職に渡し もう一人を小船に乗せ流したのであった。
住職は『捨吉』と名を付け大切に育てたのである。
「いずれ歳が来たら針灸とアンマを習わせ身の立つ様にしてやろう」と・・・
又もう一人の赤子は浜辺に打ち上げられた船の中で瀕死の状態で漁師の和助に拾われたのであった。
和助の家は子沢山でこれ以上育てる力は無い。
そこで庄屋の宗次郎に相談したのである。
宗次郎は名字帯刀を許された庄屋だった。
儀に厚い男気のある男だった。
「よし、俺の家で面倒を見てやろう、船で流されて来たのであろう、名前は舟一がよかろう」
それぞれの落ち着く場所が決まったのである。
それから7年の月日が流れた。
舟一は多少 薄ボンヤリとであるが眼が見える様になった。
彼は五感を鋭く働かせ一通りの事が出来る様になっていた。
宗次郎は将来彼の身の立つ様にと城下の検校孫弟子のアンマの内弟子として預けたのである。
そこで針灸マッサージを習い『アンマ』としての修行を積ませる事にしたのだ。
宗次郎は常に「お前は確かに眼が弱い、見えると言っても たかが一尺程度であろう、一生懸命修行してアンマとなるが良い」と言ったのだった。
一方 捨吉は完全に眼も見える様になってはいたが盲目の方が何かと云えば都合が良い。
皆の同情も買う事が出来る。
仕事も適当にやってても「めくらじゃ仕方がない」と大目に見てもらえるのである。
それに甘えて楽な暮らしをする事を考えていたのだった。
やはり針灸の修行に出されたのであるが夜は必ず寺に戻っていた。
通いで教えを受けていたのだった。
時々住職の肩を揉んだり針灸を施したりして修行方々他の先輩坊主に喜ばれてたのである。
噂を聞き付け尼寺からもお呼びが掛かる様になった。
そして普通なら元服の歳になった。
彼も年頃の青年になったのだった。
そうすると男の本能が眼を覚まし若い尼さんの急所近くを軽く刺激する。
余計尼さんの人気が集まる。
そして腕の確かさと人気に支えられアンマとして自立し花柳町の一角に家を手に入れたのであった。
当時、金貸しは アンマのみに許されて居た行為だったのである。
勝手に村岡検校と名乗った捨吉は呉服屋美濃屋に取り入り 豊富な資金で金貸業にも手を染めて行ったのだった。
美濃屋に取っても金が儲かればそれで良いのだ。
検校と手を組めば蔵の中の金はどんどん増えて行く。
こんな美味しい商売はない。
暴利で稼ぎ 取り立ては地元のごろつき達を雇い入れ容赦なく取り立てる。
寺社奉行も町奉行も検校の鑑札(実際には持っていなかったが)には手が出せなかった。
それは幕府が認めたもので有ったからである。
捨吉は時々尼寺に顔を出した。
それは若い尼さんに異常に興味を示したからに他ならない。
有ろう事か、尼さんの数人のお腹が大きく成って行く。
住職は「これは困った、捨吉をこのまま放置していく訳にはいけないな」と・・・
住職自身、呑む、打つ、買うの三拍子の男だった。
捨吉が居ると何かと厄介な事になる、と考えたのである。
こうして寺への出入りを禁止したのであった。
だが捨吉はお構い無しにやって来る。
そして「和尚 今飲んでいる般若湯は誰のお蔭で飲めるんだ」「俺が居なければ飲めないのを忘れるな」と脅迫するのだった。
これには住職も返答が出来なかった。
住職の楽しみは只一つ、酒を飲む事そして女であったのだ。
密かに生まれた赤子を里子に出すより仕方が無かった。
それをいい事に捨吉は寺に於いても我が物顔に振舞う様になって行った。
檀家の中には金に困った商家の者も居る。
言葉巧みに金を貸し 最後には家を乗っ取るのである。
こうして瞬く間に大きな財産を築き上げたのであった。
一方 舟一の方は宗次郎の躾も厳しく又 師匠の指導もよく 爽やかな青年となっていた。
しかし何時もの如く「私は少しながら眼は見える、本当に検校になれるのだろうか?」と悩んでいたのである。
だが藩公は許した。
「何時か上様にお目見えの折には引き合わせて検校の鑑札を頂ける様 口を利いてやろう」と・・・
それには宗次郎の働きかけもあったが 人間として人々から慕われ立派な施術をする事が藩公の耳に入ったからであった。
「情けは人の為ならず、天にツバを吐けば必ず自分の身に降り懸ってくる、先ず立派な人間になる事だ」
何時も宗次郎に諭され誠心誠意施術に精を出した。
名も橘舟斎と改めこの城下町に施術所を構えたのだった。
橘姓は宗次郎の姓である。
彼も又金貸しもしたのであるが決して暴利をむさぼる事は無かった。
何時も白い杖をつき笛を鳴らして夜の町を歩いたのだ。
そして「あんまさん 頼むよ」と言われれば貴賎上下の別無く一生懸命働いて帰るのである。
人々はそんな舟斎を頼り、慕う様になって行った。
毎晩その笛の音を聞くと何故か安心するのであった。
ある日 若殿が野掛けに出ようとして城下を通り過ぎようとした時、農夫の大八車に馬前を塞がれた。
若殿は大層立腹して家来に首を刎ねる様命じたのである。
それを知った舟斎は「一時の怒りで領民を粗略に扱うのは領主様のする事ではありません」といさめたのであったが、若殿の怒りは収まらず舟斎は首に縄を打たれ城内の牢につながれる事になってしまった。
だが一晩じっくり考えて「そのアンマの言う事はいちいち最もだ、予の間違いだった」と開放されたのである。
それから後 城内への出入りも許され 侍たちにも針灸 整体 アンマを施す事を許されたのであった。
「おい、舟 予にもアンマを頼むぞ」若殿からも声がかかった。
そうして舟斎は城内でも不動の位置を占めて行ったのだった。
腰元『おみよ』が舟斎に気がある様だ。
大殿が家臣からそれと無く聞いてみると どうもその様である。
おみよは下級武士の娘、特別目立つ方ではないが良く気の付く娘であった。
「舟斎が気に入れば一緒にさせてやれ」と殿のお墨付きを貰った舟斎は非常に喜んだのである。
宗次郎も鼻が高かった。
城中からお嫁さんを頂く事は苗字帯刀を許された身とは言え所詮農民である。
それが当時 如何に名誉な事か計り知れなかったのだ。
盛大な祝言を挙げた。
おみよの家でも下級武士とは云え武士である。
町家の嫁に出すには多少の抵抗はあったものの殿の命令となれば従わざるを得ない。
そこに持って来て暮らし向きは楽ではなかった。
おみよの結婚によって多少でも楽な暮らしが出来る方を選んだのである。
舟斎はおみよを宝物でもあるかの様に大切にした。
又 おみよも好きな人に可愛がられて幸せ一杯だった。
捨吉は、と云えば益々図に乗るばかり。
由緒ある寺であったが博徒たちと組んで賭場は開く、尼を男達に抱かせて金を取る。
住職に「もっと大勢女を集めて来い」と迫る。
瞬く間に歓楽の館と化してしまったのである。
元々眼が見えるだけに始末が悪い。
寺社奉行が来た時には哀れなめくらに転ずるのである。
そして袖の下に金子を入れ揉み手をしながら目を瞑って貰うのであった。
檀家は離れる一方、だが良くしたもので好き者と博打好きの者は集まって来る。
結構繁盛したのであった。
何時か自分が修行したあんまの方はほとんどしなくなった。
唯 女を喜ばせる道具に使うのみであったのだ。
それから三年後、寺社奉行が代わった。
清廉潔白なその奉行はまずその寺を急襲したのであった。
命からがら逃げ出した捨吉は仲間のごろつき共と手を組み全国の泥棒行脚に出掛けたのである。
途中で出会った手だれの浪人須藤伊之助を仲間に加え、毎日剣術の修行をし 西へ東へと所構わず襲って歩いた。
彼等は一日として一箇所に留まる事はしなかったのである。
日本全国皆彼らの標的であった。
昼間は笛を吹き盲目のアンマが商家の辺りを廻って歩く。
これ と狙った家には特に念入りに調べ、闇に紛れて凶族と成り悪逆非道の働きをして消える。
若い娘、女房などは担いでさらって行く。
翌日には見るも無残な姿で死体となって町外れに捨てられていた。
取り方が駆け付けた時にはもう領外に逃亡した後である。
一藩だけの問題では無くなった。
そこで関八州取締役の出番となったのである。
片っ端から彼等の泊まりそうな宿を調べた。
だが何処の宿帳にもそれらしき者は泊まってはいない。
「これは何処かに何箇所か拠点を持ってるな」そうなると船宿から空き家の一軒一軒を調べねばならない。
被害は西国の諸藩にも広がった。
10人か20名かも判らぬ、名はおろか素性も判らぬ・・・
たかが鼠一匹と思っていたが大変な事になった。
これを処断しなければ幕府の威信にも関る。
全国の裏柳生にも協力を仰いだ。
恥ではあるが形振り構ってはいられなくなったのだ。
ある情報が手に入った。
凶族の入った家には必ず前日からアンマが笛を吹く、と云う。
早速裏柳生が動いた。
そして北陸のある町で捨吉と云う名前が浮かんだのである。
しかし住職は既に世を去っていた。
だがその周辺から妙な噂が入って来たのだ。
尼寺の女達が次々と子供を産んだと云う事、夜鷹の群れが夜な夜な集まっていたと云う事実。
本堂で大掛かりの博打が行われていた事など・・・
寺社奉行が乗り込んだ時には主だった者達は皆逃亡した後だったと云う。
そこで手掛かりはぷっつりと切れている。
だが人相書きはある程度取れた。
その頃 舟斎は妻おみよを同行して参勤交代の中に居た。
藩公の計らいでおみよも一緒に江戸の地に向っていたのである。
「将軍様のいらっしゃる江戸って大きいだろうね」「うん、きっと素敵にな所なんだろう」
そんな他愛もない話を道中したのであった。
しかし舟斎にはそれを見る事が出来ないのが悔しかったのである。
「おみよ、しっかり見て話しておくれ」「本当 旦那様の分までしっかり見ないとね」
それを聞いてた同行の侍が「舟斎殿は空気で分かるんではないかな」と笑った。
楽しい江戸入城の旅であった。
鍼灸師アンマの町人を参勤交代に交えての旅は前代未聞の事であった。
だが、この旅は彼の運命を揺さ振る厳しいものとなろうとは未だ誰も気付いていなかったのである。
藤沢の宿に着いた時、藩公の処に八州取締りのお役人が来た。
そしてアンマ舟斎が如何なる人物か尋ねたのである。
前日この町で 押し込み があったと言う。
済んでの所で取り逃がしたが黒覆面の下の顔が舟斎の顔にあまりにも酷似していると言った。
怪我をさせるには至らなかったが覆面を切り裂いた時の顔が舟斎に似てると・・・
だが彼は参勤交代の中に居た。
「ふしぎな事もあるもんじゃのう」「しかし良く似てる」と八州廻りは去って行ったのである。
旅の荷を降ろし街を散策する事になった。舟斎には二人の武士が同道してくれる事になった。
盲目の彼におみよ一人では心許ない。
藩公の計らいである。
流石 将軍様のお膝元である、街も立派であるが活気がある。お堀の周りを廻っても結構な距離だ。
こうして最初の一日は終わった。
時あたかも紀州より吉宗公が将軍職に付いたばかりの年、数々の改革が行われようとしている時であった。
一通りの拝謁も終わり近くに「どうだ、世間の暮らし振りは如何なものかのう?」「それは上様のこれからのお心次第で御座いましょう、領民が良くなるも悪くなるも全て政り事に掛かって御座います」舟斎はそう答えたのであった。
「予は針を打った事がない、一度試してみてくれんか?」「何処かお悪いところでもありますか?」「いや、何処も悪くは無いが、どうじゃ試してくれんかのう」
「悪い所が無ければ試す必要は御座いません」「無用な針は却って身体に悪う御座います」
結局一番年寄りの老中酒井和泉が施術を受ける事になった。
「おう これは楽になるのう、殿 この先は舟斎をお召抱えになられたら如何かと・・・」
こうして謁見は終わったのである。
藩公も上首尾に終わった事に機嫌がよかった。
「おい、検校 お前の隠居は何時だ?」吉宗は検校にそう言った。
「まだまだ先で御座います、そう 5年は後になりましょうかな」
笑って「今の若者 お前が育ててみる気は無いか?」「そうですなー・・・それは上様次第で、私は異存は御座いません なかなか良い若者だと思いますが」と・・・
吉宗は即断した。
「当分江戸屋敷で預かる、国表に帰る事ならん」と。
藩公は喜んだ。
「連れて来た甲斐あった」と、将軍吉宗の目に留まったのである。
出世の見込みが付いたのだ、と云う事は我が藩にも名誉な事だと。
微禄ながら士分に順ずる扱いを受け屋敷まで賜ったのである。
国表では大変な騒ぎとなったのだ。
「公方様に認めたれた」「江戸城に勤められる事になったそうだ」
宗次郎はもとより おみよの父尾形寛兵衛も禄高も増え大喜びをしたのであるが離れて暮らす事への淋しさも有ったのである。
凶族一味はここ暫く事件を起こしていない。
それが又 何とも不気味であった。
八州取締役も裏柳生も捜査の手の打ち様も無く困り果てていた。
そして三年の月日が経った。
この頃から金細工師の行方知れずが各地で頻繁に起きるようになっていた。
蒸発か・・・?かどわかしか・・・?判らぬが家族全員消えて無くなるのである。
これも又不思議な事である。
普通 かどわかしであれば家族全員と云う事はない。
必ず職人だけが狙われるのである。
だが家族の全てが一晩で居なくなると云う事は今まで例が無い。
不思議な事件であった。
舟斎は毎日古典芸能から浄瑠璃、下々の生活ぶりなど学ぶべき事は一杯あった。
検校と云うものはあらゆる事を知らねばならぬ。
唯 針灸アンマが上手だけでは勤まらない。
大変な仕事である。
おみよと共に街に出掛け珍しい話題や人々の暮らしぶりを仕入れて来て吉宗に話すのであった。
こうした話は表向きの政には直接影響は与えない。
だが将軍職にある者に取っては知っておく必要があったのだ。
その為 直属の間者も陰では活躍してたのである。
そして5年の月日が流れた。時の検校 村下は隠居願いを申し入れたのであるが舟斎は「まだまだ学ぶ事が多く御座います、もう少しお師匠様にご指導願います」と吉宗に願い出たのであった。
吉宗も快く了承して「好きに致せ」と二人に任せたのだった。
一年後、名実共に立派な検校職を継いだ舟斎は 名を橘検校様と呼ばれる様になっていた。
「なあ 検校よ、凶暴な族の一人がお前に似てると聞いたが気に入らんのう、早く何とか捕らえて仕置きしないとお前も落ち着かんだろう」
その年金座が襲われ10満両余りが盗まれた。
将軍はそれを指してそう言ったのである。
が 今回の事件は今までと違った幾つかの疑問があったのだ。
まず金座の中に手引きした人間が居たのでは無いか?
そして無駄の無い動きをしてる、順路を知り尽くした人物が居たのであろう。
そこで向こう三年以内に雇い入れた職人の身元を洗う事にしたのである。
するとその中に身元知れずの男が二人居たのだった。
その男達は事件と共に姿を消している。
雇う時に立ち会った勘定方の人物を厳しく吟味した所、何と袖の下を受け取っていた事が判明したのである。
紹介したのは江戸のはずれに住む さして大きくも無い口入屋であった。
だが取り方が向った時には既に店を畳んで姿を消した後だった。
捨吉の身元もしかりと洗われた。
だが当時を知る者は殆ど亡くなっている。
僅かの手掛かりを手繰ってやっと村岡検校なる人物が居た事が判ったのである。
しかし寺に預けられたとなると必ず生みの親が居るはずである。
草の者が耳寄りの情報を齎した。
今を去る30年程前、飛騨天領の地の地侍、斉藤某なる人物に双子が生まれたと云う。
だが出生届もなされず その双子は行く方知れずになってしまったと・・・
そのうち一人は離れた地の寺に預けられたとの情報である。
それが捨吉であろうと。
しかし父母は既にこの世を去り 代替わりをしてそれ以上の情報は得られなかったが ほぼ間違いの無いことである。
もう一人は・・・誰にも判らぬ事であった。
八宗取締役は宗次郎の家を訪れた。
「心当たりは無いか」と・・・
しかし宗次郎は「間違い無く舟一は我が子で御座います」「他人の空似と云う事も御座いますからなー」と・・・
出世した我が子を思いやる親の心がひしひしと伝わってきたのである。
八州廻り 相馬孫四郎は全てを理解した。
捨吉と橘検校は双子の兄弟である、と・・・
しかしそれを胸に仕舞い込んだのであった。
一生懸命努力して検校にまで上り詰めた男とその父親宗次郎の愛、おみよの姿が眼に浮かんだ。
この平和な家族を刑場に送るのは忍びない(当時は凶悪犯の場合 一族郎党皆処刑されたのである)彼はこの家族の事は報告しないで地獄の底まで持って行こうと心に決めたのであったが。
八州取締役も人の子である。
「もし自分に双子の兄弟が居たら、それが凶悪犯であったなら・・・」御定法にも多いに疑問も持った。
しかしそれを守らねばならない。
仕事の過酷さを感じたのである。
そんな時 隅田川の畔に大量の小判がばら撒かれると云う前代未聞の出来事が起きた。
多くの群集が押し掛けそれを拾っていると云う。
すぐ役人が回収したが その金額は数千両にも及んだと言われたのである。
金座の者が調べたところ、それは全て贋金であったと報告が上がった。
何処かに大掛かりな偽金作りの一味がいる。
不思議とそれが凶族が姿を消し、金細工師の蒸発、そして金座の盗難事件・・・流れは一致する。
江戸町奉行所、関八州取締り、裏柳生、総力を挙げ一致団結して捜査を開始した。
裏柳生では(仮説ではあるが)山深い所に住む平家の落人部落に関係してるのでは・・・と・・・
八州取締りの方ではそうした落人に成済まし部落を作り贋金を作っているのでは、と考えた。
町奉行所では他に贋金が出ないか捜査を強化して細工師の足取りを追ったのである。
大阪奉行所から思わぬ情報が飛び込んできた。
下町の細工師が旅発つ前「甲府金山に行く」と言ったのをちらりと聞いた近所の女房が居ると・・・
早速柳生が動いた。
が しかし相馬はそうは思わなかった。
「自分の地の利のある隠れ里、そう奥飛騨の何処か・・・きっとその地で大掛かりな偽金作りの集落があるのでは無いか?」
日本全国 落人部落はある。
当時はそれを調べるのも大変な時代だったのだ。
平家の落人部落ばかりでは無い、関が原の合戦で破れた西軍の子孫の者達、皆山奥でひっそりと隠れ住んでいた。
又 現在の様に道路網が発展している訳では無い。
人跡未踏の地など幾らでもあった。
そこで村里に買い物に降りて来る人間達を捜す事になる訳だ。
それは気の遠くなる様な作業である。
又 村人の口も堅い。
なかなか「はいそうですか」と話す人間などめったに居ない。
金でも掴まされていれば尚の事である。
吉宗も越前守を交えてこの問題に付いて協議を重ねていた。
はかばかしく行かぬ捜査に苦渋の色を浮かべて。
下座に座っていた舟斎に「のう検校、お前だったらどんなところに隠れるか?」と・・・
舟斎は「私はそんな恐ろしい話は知りませんが 誰でも古里が恋しいもので御座いましょう」「出来るなら古里近くの山中に隠れようとするでしょう」と答えたのである。
「うーん、帰巣本能と云う奴か・・・」その後も協議は続けられていた。
舟斎はこの頃城中での信頼も厚く常に吉宗の傍らに居たのだった。
柳生、関八州の精鋭達が飛騨山中に出発したのはその二日後の事であった。
飛騨高山のはずれで須藤伊之助なる浪人が寺子屋を開いていた。
さほど生徒が居る訳ではないが悠々自適の生活をしている。
だが不審な動きをしてる訳では無い。
時々物売りがお茶を飲んで帰る程度だ。
しかし下呂近くで少し逗留して姿を消している。
ひなびた温泉宿の事である。
街道を少し歩けばもう両側が山の木々で覆われている。
そして谷川のせせらぎと鳥の声が聞こえるだけの所だ。
人の往来も少ない。
何処でも隠れる場所はある。物売りは辺りの気配を察し姿を消したとみえる。
そんな時、近江の豪商、尾張の両替屋が立て続けに強盗に入られた。
「我々は住吉検校だ、覚えて置け」片方は「五月雨検校だ」と名乗ったそうだ。
八州廻りは「これは模倣犯だな」余計混乱を招く 一味を早く捕らえなければ幕府の威信も地に落ちるな、と焦りの色を濃くしたのであった。
子供達の遊びにもそれは表れた。
「我こそは検校である、掛かって来い」すると取り方役の子供達が切られる単純な遊びであるが、これには町奉行所も苦りきった表情を隠せなかったのである。
名奉行として知られる大岡も子供達が悪を賛美する様な遊びが流行る事は許せなかったのだった。
西国と奥羽地方から贋金が大量に見付かった。
此処に来て吉宗が長年抱いていた貨幣鋳造に於いて より精巧な小判の鋳造に踏み切ったのである。
世に言う『享保の改革』を断行したのであった。
重役たちの世襲制廃止、業績著しい者には禄高の増加、功績の無い者は当然禄高を減らされる事となった。
疲弊した経済を立て直す為 又贋金作りの息の根を止める為 そして軽輩者の士気を高める為には相当の効果があった。
今まで高禄で召抱えられていた者も安閑としては居られなくなった。
賄賂を貰い私腹を肥やしていた者は厳重に処罰されたのである。
功罪併せ持つ改革ではあったが 腐りかけた江戸幕府の持つ膿を出し切ったのは確かであった。
多くの原野が開墾され、治水工事も行われた。
特筆すべき事は生活苦により医師に掛かる事の出来ない病人、怪我人に負担をかける事なく 養生所にて治療が受けられる様になった事であろうか。
そして薬治園を作り薬草の栽培に力を注いだ事である。
毎年の事であるが土砂の氾濫により禄高が一定の水準を保つ事が出来ない。
護岸工事も徹底して行われた。
そうした吉宗の改革は多くの有能な家臣を持つ事により実を結んだのであるが、反対勢力の抵抗も又激しかったのも事実である。
『火事と喧嘩は江戸の華』と言われる様に火災の被害も多かった。
それを解消する為に江戸火消し制度が確立されたのである。
そんな時 宗次郎が病床に着いたのだった。
急ぎ駆け付けた舟斎に彼は驚愕の事実を打ち明けたのである。
「お前の父君は何らかの事情により お前を捨てざるを得なかったのだろう、海の入り江に漂う舟の中に絹の産着を着て死の淵をさ迷っていたのだ」「きっとお侍の子であろう・・・」「が わしはお前が可愛い 盲目のお前が不憫でならぬ」と・・・
宗次郎は静かに息を引き取った。
舟斎は関八州取締役 相馬孫四郎に「是非私の生みの親を探して欲しい、ぜひとも会ってみたい この世に送り出してくれたお礼も言いたいのだが」と申し入れたのである。
しかし孫四郎は「世の中には知っていい事と 知らないで居た方が良かったと言う場合がある、検校殿が後で苦しむ事になっても宜しいのなら・・・」と、その時は教えてくれなかった。
だが舟斎の出生の秘密を知る者は八州廻りにはそれと無く知ってる者も居たのだ。
孫四郎は大岡に相談したのである。
大岡も「罪の無い者でも御定法では罰せられられなければならんからのう、不憫じゃが・・・さて、どうするか」と思案した。
一応「御両親は亡くなられたそうだ」とだけ答えて納得させたのであった。
境港から大量の武器が数度に渡って何処かに買い付けられて密かに送られている、との情報が入った。
すぐ裏柳生、八州廻りが探索に当たったのであるがどうも半端な量では無いらしい。
街道筋を徹底的に検問を強化したのであった。
牛に引かせて荷車が通る。
轍の跡が異常に深い・・・美濃国境の事である。
農家の人間にしてはそれに付き添う人数も多い。
役人が不審に思い前を遮った。
すると先頭に立ってた役人が中の一人に短筒(拳銃)で撃たれたのである。
「すわっ大事件」と後方の一人が関所に向って走り出そうとした時 林の中から銃弾が一斉に浴びせ掛けられたのだった。
轍の深い車からも銃が取り出されあえなく役人達は撃倒されてしまった。
何時の間にか落人部落と関が原西軍の子孫の面々が手を組み、この地帯一帯に治外法権の地域が出来ていたのである。
幕府から独立して新しい国家樹立を目指している、と見た方が良いだろう。
それは徳川治世の始まりから豊臣方への徹底的な弾圧、それを逃れた者達が山中に隠れ住み 子孫たちが何時かは又乱世が来る事を夢見て 虎視眈々と機会を伺っていたところに捨吉の出現により同調する者が集まったからに他ならない。
ここに壮絶な柳生、関八州連合軍との戦いが始まったのであった。
時を同じくして数度の江戸の大火があった。
これも付け火である。
将軍家のお膝元での騒ぎは多いに人々の不安を煽った。
此処でも吉宗の作った町火消しが多いに活躍した訳だが根本を絶たねばならない。
火回りを厳重に火消し達は定火消し(武家屋敷を守る)と共に夜回りを強化したのだった。
飛騨から信濃山中の至る所に監視小屋がある。
裏柳生の精鋭達がひとつずつ潰してゆく。
一方的に向こうが有利な中で夜陰に紛れ制圧していったのであった。
まさに血で血を洗う壮絶な戦いである。
神君家康公以来の戦いだった。
村岡検校こと捨吉は豊富な資金と強力な部下を持ち山中の戦には精通していた。
だが山岳戦は裏柳生の最も得意な戦いである。
次々と監視小屋 そして隠れている場所を攻撃したのだった。
しかし彼等の鉄砲隊の前に相当苦戦したのは間違いない。
累々たる屍の山が築かれた。
山砦間近まで攻め入ったところ思わぬ落とし穴が待っていた。
空堀が掘られそれを渡る事が出来ぬ。
下手に踏み込めば上から大きな網が被せられ鉄砲の餌食になるのだ。
そして何処からとも無く後ろから攻撃される。
それを指揮しているのが須藤伊之助であった。
「やはり唯の鼠では無かったか、先に捕縛して置けばよかった」柳生の面々は歯軋りを噛んで悔しがった。
地下壕が縦横に掘られ其処から敵が現れて消える。
柳生の精鋭達も一時退却を余儀なくされたのである。
大岡は舟斎に断腸の思いで彼の出生に纏わる事実を告げていた。
「お前の双子の兄弟が今 世間を騒がせている凶族の頭なのだ、お前には何も罪は無い、だが今の御定法に照らし合わせるとどうしても此の侭には捨て置けん」「辛いだろうが蟄居謹慎して居ってくれんかのう」「上様も痛く気にしておいでじゃ、判ってくれ」と・・・
舟斎は驚き又悲しんだ。
「私も当然罪になりましょうね」「妻の処遇はどうなりますか?やはり離縁した方が宜しいでしょうな・・・」
「いや 上様には何かお考えがある様じゃ、そこまで考えなくとも良いと思うが」と言って去って行った。
舟斎には七歳と五歳の息子が居た。
妻の行く末も心配ではあったが二人の息子の事が一番気懸かりな事であったのだ。
自分はきっと処刑されるであろう、だが妻と息子は何とでも守り通したかったのである。
突然の事であった。
深編笠の男が舟斎の家にやって来た。
後ろには大岡越前守も居る。
上様であった。
吉宗は「法とは不便な物よのう、罪もない者も罰せられなければならないとは・・・ま、悪い様には致さぬから少し休みだと思って短慮は起こすまいぞ」と励まして帰った。
舟斎は涙を流しその言葉を噛み締めて聞いていたのだった。
八州廻り達は山裾の穴と云う穴を全て塞いだ。
そして須藤伊之助以下配下の者をことごとく捕縛、斬捨てたのであった。
後は兵糧攻めと突破口を開く為の空堀を埋める作業に取り掛かったのである。
夜陰に紛れて投降して来る者が出始めた。
が しかし見付かれば後ろから銃で撃たれ幕府の陣営までたどり着く者はごく僅かだった。
捨吉は叫んだ「我は村岡検校なるぞ!この地で独立国家を建国する、難攻不落のこの山城を落としてみるかっ、これ以上死人を出すと云うならそれも良し」「黙って去れば犠牲者は無くなるがどうだ」
それは自軍を鼓舞するものであったが まだ戦い続ける決意の表れでもあったのだ。
暫く一進一退の攻防が続いた。
やっと空堀の一部が埋められ突破口が出来た。
先陣を切った一団が渡り終えた途端、大音響が鳴り響いたのである。
其処には既に爆薬が仕掛けられ最初の幕府の侍達があえなく犠牲となってしまったのだった。
又ひとつ大きな空堀が出来た感じだった。
下手に攻めれば犠牲者が出るばかりだ。
八州取締りは兵糧攻めの道を選んだのであるが裏柳生は強行突破を主張したのである。
これは手柄を何としてでも柳生の手で上げたかったからに他ならない。
が しかし今は功名争いしてる時期では無かった。
何としてもこの集団を殲滅させねばならない。
遂に兵糧攻めに決定した。
「これは関が原以来の大戦だなー」勿論関が原が どの様な戦であったのか知ってる者は居なかったが皆口々にそう言ったのである。
ここで捨吉の心の軌跡を追ってみる事にしよう。
彼も又鍼灸とアンマで身を立てようと思った。
努力して検校になる事を夢見た時代もあったのだ。
が しかし世話になった寺の住職は無類の酒好き、そして女好きときてる。
一時はそんな生活も悪くないな と思った事もあった。
アンマの腕は確かなものを持っていた。
そして金貸しも巧く立ち回り相当の利益が上がる。
だが彼の野心はそれだけで終わらなかった。
この寺を乗っ取り自分の好きなように生きる、もっと金儲けをして近隣の町に一大歓楽街を作ろう。
元々かれも無類の女好きだった。
が 寺社奉行によってその計画は潰されてしまった時 思い立ったのはその時の仲間と盗み働きする事だった。
現代と違って夜になればどんな町でも夜回りが時間通りしか廻って歩かない。
その間隙を突いて盗み働きをするのであるが面の割れるのを恐れ皆殺しの凶族と化したのである。
拠点は人の判らない山に作り夜陰に紛れて行動したのだった。
あまりにも巧く事が運ぶのが面白く自分達の犯行を誇示したくなって来た
そこで生まれたのが『村岡検校』一味の名を世間に知らしめる事である。
ある時、役人に追われ山深くの村に逃げ込んだ時である。
その村は豊臣恩顧の者達がひっそりと隠れるように住んでいたのだった。
捨吉は其処の古老から思わぬ事を聞いたのである。
「山深く入れば幾らでもそんな村がある、又戦でも始まればおそらく決起する者も居るであろう」と・・・
徳川の世にもまだこうした人間が大勢居る事を知ったのだった。
享保の改革により 年貢の取立ても四公六民から五公五民に変わった。
農家の不満も相当きついものがある。
落人達を束ねて決起すれば農家の一揆も起きるんではないか・・・
山国では不平不満の者が五万といる。
後は資金と武器さえあれば・・・外様大名の中にも呼応して立ち上がる者も居るだろう。
野心がふつふつと煮え返ったのであった。
そして着々と準備が始まったのであるが、最初の目論みでは西国大名、東北の各地から火の手を挙げるはずのものが動かなかったのである。
だが回りだした歯車はもう止める事は不可能となってしまったのだった。
大きな誤算であった。
原因のひとつには素性の判らぬ彼の話に何処まで信用して乗ってよいか?と云う事と朝廷の後ろ盾が無かった事にある。
西国大名の中には不平不満を持つものは結構居たのであるが朝廷の後ろ盾を得て徳川家を逆賊としなければ大義名分が立たない。
捨吉のもくろみはその時点で失敗したのであった。
幕府に取っても吉宗が将軍になる以前には腐ったリンゴになりかかっていたのだった。
が 見事にその危機を乗り越えたのである。
元禄以来の政治体制の悪弊が一掃される目前に起きた事件だった。
諸大名に取ってはこれは大変な脅威であった。
旗本八万旗が動く事無く鎮圧されたと云う事は徳川の底力を多いに見せ付けた事になる。
さて砦の方であるが まさに血で血を洗う激戦の末 大抵の者は捕縛され斬り死にし、自刃して果てたのであった。
その中に在って捨吉は最後まで命を惜しみ盲目の振りをして哀れな姿をさらしていたのだった。
砦の中は意外に広く五つの集落でもって成り立っていた。
その一角に鋳造工場を持ち其処には多くの家族が生活を共にしていたのである。
皆 これ程の大事件とは思っていなかったのだ。
彼らは 借金をし、その証文を捨吉が買い取ったと云う訳だ。
そしてこの鋳造工場に連れて来られた訳だが家族全員で暮らせる事で満足していた様であった。
特別抵抗する事も無く連行されたのである。
大岡の取調べが始まった。
「さて 捨吉・・・いや村岡検校かな、ま どちらでも構わぬ お前が盗み働き 贋金作りの頭目に間違い無いな」「いえ 私はこの通りめくらで御座います、全ては須藤さまの御言いつけ通り動いただけで御座います」「何を申す、お前に出会わなければ拙者は静かに寺子屋をやってたものを」
お互いが罪のなすりあいである。
その中で父母の死が捨吉の仕業と云う事も判ったのであった。
一刻ばかり黙って聴いていた大岡は「頭目捨吉、聞き捨てならぬ事を申したな、父母に会ったと申したが何故殺したのかその訳を言ってみろ」「捨てられたからか?それとも他に訳でも有ると申すか?」「めくらの私を捨て 健常な弟が跡継ぎでは理不尽と思いませんか、御奉行様でもそう思われませんか」「何でも畜生腹の子と聞きましたが私の弟は何処にいるのやら やっぱり憎んでも憎みきれない相手で御座いましょう、御奉行様ならどうなさいますか?」「八つ裂きにでもしたいと思うのが普通でしょうが」
「その通りじゃ 今わしがお前を八つ裂きにしたいと思っているのも勝手じゃ だが此処は御白洲じゃ、思いと裁きは別じゃて」「多くの罪も無い人を殺めた罪をどう弁解致すのじゃ、わしはそれを聞きたいがのう」「それともそれで世の中が変わると思ったか」
「・・・・・・」
「捨吉っ!」突然大岡は捨吉目掛けて扇子を投げ付けた。
咄嗟に捨吉は眼を開け扇子を避けたのであった。
ニヤリと笑った大岡は「やはり」と言ったきり何も言わなかった。
それから一人一人吟味が始まったのである。
そして刻限も迫った時、越前は言った。
「裁きを言い渡す、須藤伊之助以下十八名 打ち首獄門、後の者八丈島終生遠島を申し付ける」「彫金師一同三宅島遠島」「全員引き立てい」と叫んで白洲は捨吉一人になった。
そして捨吉には「引き合わせたい者が居る、暫し待て」と・・・
「橘舟斎これへ」と呼んだのであった。
「捨吉、この顔をよく見ろ、お前に瓜二つと思わんか」「お前の双子の兄弟だ、今生の別れをして置け」「ここに居るのが本物の検校 橘舟斎じゃ 覚えて置け」と言って席を立った。
そして陰で聞いてた吉宗とそっと様子を伺っていたのである。
「兄者で御座いますか?何故そんな恐ろしい事をなさっていたのですか?」「ケッ、生きてやがったんか、何処で何してるんだ、どうせこそ泥位の事で捕まったんだろう」・・・「何故父上と母上を殺めたんですか、私も一目会いとう御座いましたのに」「お前 憎くはないのか、捨てられたんだぞ」「いえ、一度会ってこの世に生を受けたお礼を申しとう御座いました」「この糞たれめが 何が礼だ、お礼は夾竹桃の汁を飲ませてしてやったぞ、お前の様な者兄弟でも何でも無い とっとと失せろ」
そこへ大岡が現れた。
「橘舟斎、お上を謀りおって不届きな奴だ、お前の本当の親は橘宗次郎であろうが、早々に下がりおれ」と白洲から引き出されたのである。
「裁きを言い渡す、村岡検校事捨吉、張付け獄門 尚 首は百日間晒し物とする事とす」
誰も居なくなった白洲では舟斎と大岡が万感の思いで見詰め合っていた。
「なあ、舟斎、当分は寄せ場送りになるが辛抱しろよ、御政道に照らし合わせても此処までが限界じゃ、許せ」と大岡は深々と頭を下げたのだ。
「もったいないお言葉 感謝致します」舟斎は流れる涙をどうする事も出来なかった。
「御妻女と子供の事だが心配には及ばん、わしが面倒を見るから安心して務めを果たして来い」「これからは市井の人間になるのじゃ、名も忠乃市と改めよ」と。
「寄せ場には大勢患者がいるぞ、その面倒を診てやれ」 大抵は罪人には手首に墨を入れたものである。
だが彼はそれも許されたのであった。
「お前の子は大層利発なそうじゃな、何れ士分に取り立てて しかるべき要職に着いて貰うゆえ安堵致すがよい」吉宗はそう言ったのであった。
大岡は「三年なんてすぐ経ってしまうものじゃて 真面目なそなた故 一生懸命励んでいれば戻った時に役にも立とう」と・・・
最初は幕府方の間者と訝る者もいたが彼の施術を受けた者から次第にその噂も消えていった。
寄せ場の仕事は本来海であった所の干拓である。非常に辛い仕事だった。
だから腰痛、肩、腕の張りがひどい。
忠乃市は丁寧に鍼灸を施し少しでも楽になるように施術した。
その甲斐有ってか評判も上々だった。
そして三年後、木場の近くに鍼灸の木札をぶら下げた診療所を構えたのであった。
最初は患者もなかなか来ず 夜の町を笛を鳴らして歩いたものだ。
ある日 立派な籠に乗った侍が訪れた事から事態は一変したのである。
「頼もう、忠乃市殿はご在宅かな、少し針を打って貰おうと思って参ったが・・・」大岡越前であった。
すぐそれが評判になったのである。
「あの先生は鍼灸の偉い先生だそうだ」「では私達も行ってみるか」たちまち町中の噂になり患者は増えた。
もう夜 笛を吹いて歩く事も無くなった。
長男は元服後、勘定方の武士に取り立てられた、二男も何れお城の土を踏む事になろう。
忠乃市こと舟斎は市井の片隅で妻共々静かに幸せを噛み締めていたのであった。
しかしこの事件は歴史の闇に葬られ何処にもその記録は無い。
-完ー
現在の岐阜県、東北部の町。
飛騨の下級武士斉藤家に可愛い男の赤ちゃんが二人生まれた。
「おぎゃー」と泣いた時 斉藤健四郎は「ちっ畜生腹か」と不快に思ったのである。
二人とも盲目であった。
当時は双子、三つ子に至っては犬、猫と同然、一人を残し何処かにその内の一人を里子に出すか捨てるのが普通である。
だが健四郎は違ってた。
「畜生腹の子など見たくも無い」一人を寺の住職に渡し もう一人を小船に乗せ流したのであった。
住職は『捨吉』と名を付け大切に育てたのである。
「いずれ歳が来たら針灸とアンマを習わせ身の立つ様にしてやろう」と・・・
又もう一人の赤子は浜辺に打ち上げられた船の中で瀕死の状態で漁師の和助に拾われたのであった。
和助の家は子沢山でこれ以上育てる力は無い。
そこで庄屋の宗次郎に相談したのである。
宗次郎は名字帯刀を許された庄屋だった。
儀に厚い男気のある男だった。
「よし、俺の家で面倒を見てやろう、船で流されて来たのであろう、名前は舟一がよかろう」
それぞれの落ち着く場所が決まったのである。
それから7年の月日が流れた。
舟一は多少 薄ボンヤリとであるが眼が見える様になった。
彼は五感を鋭く働かせ一通りの事が出来る様になっていた。
宗次郎は将来彼の身の立つ様にと城下の検校孫弟子のアンマの内弟子として預けたのである。
そこで針灸マッサージを習い『アンマ』としての修行を積ませる事にしたのだ。
宗次郎は常に「お前は確かに眼が弱い、見えると言っても たかが一尺程度であろう、一生懸命修行してアンマとなるが良い」と言ったのだった。
一方 捨吉は完全に眼も見える様になってはいたが盲目の方が何かと云えば都合が良い。
皆の同情も買う事が出来る。
仕事も適当にやってても「めくらじゃ仕方がない」と大目に見てもらえるのである。
それに甘えて楽な暮らしをする事を考えていたのだった。
やはり針灸の修行に出されたのであるが夜は必ず寺に戻っていた。
通いで教えを受けていたのだった。
時々住職の肩を揉んだり針灸を施したりして修行方々他の先輩坊主に喜ばれてたのである。
噂を聞き付け尼寺からもお呼びが掛かる様になった。
そして普通なら元服の歳になった。
彼も年頃の青年になったのだった。
そうすると男の本能が眼を覚まし若い尼さんの急所近くを軽く刺激する。
余計尼さんの人気が集まる。
そして腕の確かさと人気に支えられアンマとして自立し花柳町の一角に家を手に入れたのであった。
当時、金貸しは アンマのみに許されて居た行為だったのである。
勝手に村岡検校と名乗った捨吉は呉服屋美濃屋に取り入り 豊富な資金で金貸業にも手を染めて行ったのだった。
美濃屋に取っても金が儲かればそれで良いのだ。
検校と手を組めば蔵の中の金はどんどん増えて行く。
こんな美味しい商売はない。
暴利で稼ぎ 取り立ては地元のごろつき達を雇い入れ容赦なく取り立てる。
寺社奉行も町奉行も検校の鑑札(実際には持っていなかったが)には手が出せなかった。
それは幕府が認めたもので有ったからである。
捨吉は時々尼寺に顔を出した。
それは若い尼さんに異常に興味を示したからに他ならない。
有ろう事か、尼さんの数人のお腹が大きく成って行く。
住職は「これは困った、捨吉をこのまま放置していく訳にはいけないな」と・・・
住職自身、呑む、打つ、買うの三拍子の男だった。
捨吉が居ると何かと厄介な事になる、と考えたのである。
こうして寺への出入りを禁止したのであった。
だが捨吉はお構い無しにやって来る。
そして「和尚 今飲んでいる般若湯は誰のお蔭で飲めるんだ」「俺が居なければ飲めないのを忘れるな」と脅迫するのだった。
これには住職も返答が出来なかった。
住職の楽しみは只一つ、酒を飲む事そして女であったのだ。
密かに生まれた赤子を里子に出すより仕方が無かった。
それをいい事に捨吉は寺に於いても我が物顔に振舞う様になって行った。
檀家の中には金に困った商家の者も居る。
言葉巧みに金を貸し 最後には家を乗っ取るのである。
こうして瞬く間に大きな財産を築き上げたのであった。
一方 舟一の方は宗次郎の躾も厳しく又 師匠の指導もよく 爽やかな青年となっていた。
しかし何時もの如く「私は少しながら眼は見える、本当に検校になれるのだろうか?」と悩んでいたのである。
だが藩公は許した。
「何時か上様にお目見えの折には引き合わせて検校の鑑札を頂ける様 口を利いてやろう」と・・・
それには宗次郎の働きかけもあったが 人間として人々から慕われ立派な施術をする事が藩公の耳に入ったからであった。
「情けは人の為ならず、天にツバを吐けば必ず自分の身に降り懸ってくる、先ず立派な人間になる事だ」
何時も宗次郎に諭され誠心誠意施術に精を出した。
名も橘舟斎と改めこの城下町に施術所を構えたのだった。
橘姓は宗次郎の姓である。
彼も又金貸しもしたのであるが決して暴利をむさぼる事は無かった。
何時も白い杖をつき笛を鳴らして夜の町を歩いたのだ。
そして「あんまさん 頼むよ」と言われれば貴賎上下の別無く一生懸命働いて帰るのである。
人々はそんな舟斎を頼り、慕う様になって行った。
毎晩その笛の音を聞くと何故か安心するのであった。
ある日 若殿が野掛けに出ようとして城下を通り過ぎようとした時、農夫の大八車に馬前を塞がれた。
若殿は大層立腹して家来に首を刎ねる様命じたのである。
それを知った舟斎は「一時の怒りで領民を粗略に扱うのは領主様のする事ではありません」といさめたのであったが、若殿の怒りは収まらず舟斎は首に縄を打たれ城内の牢につながれる事になってしまった。
だが一晩じっくり考えて「そのアンマの言う事はいちいち最もだ、予の間違いだった」と開放されたのである。
それから後 城内への出入りも許され 侍たちにも針灸 整体 アンマを施す事を許されたのであった。
「おい、舟 予にもアンマを頼むぞ」若殿からも声がかかった。
そうして舟斎は城内でも不動の位置を占めて行ったのだった。
腰元『おみよ』が舟斎に気がある様だ。
大殿が家臣からそれと無く聞いてみると どうもその様である。
おみよは下級武士の娘、特別目立つ方ではないが良く気の付く娘であった。
「舟斎が気に入れば一緒にさせてやれ」と殿のお墨付きを貰った舟斎は非常に喜んだのである。
宗次郎も鼻が高かった。
城中からお嫁さんを頂く事は苗字帯刀を許された身とは言え所詮農民である。
それが当時 如何に名誉な事か計り知れなかったのだ。
盛大な祝言を挙げた。
おみよの家でも下級武士とは云え武士である。
町家の嫁に出すには多少の抵抗はあったものの殿の命令となれば従わざるを得ない。
そこに持って来て暮らし向きは楽ではなかった。
おみよの結婚によって多少でも楽な暮らしが出来る方を選んだのである。
舟斎はおみよを宝物でもあるかの様に大切にした。
又 おみよも好きな人に可愛がられて幸せ一杯だった。
捨吉は、と云えば益々図に乗るばかり。
由緒ある寺であったが博徒たちと組んで賭場は開く、尼を男達に抱かせて金を取る。
住職に「もっと大勢女を集めて来い」と迫る。
瞬く間に歓楽の館と化してしまったのである。
元々眼が見えるだけに始末が悪い。
寺社奉行が来た時には哀れなめくらに転ずるのである。
そして袖の下に金子を入れ揉み手をしながら目を瞑って貰うのであった。
檀家は離れる一方、だが良くしたもので好き者と博打好きの者は集まって来る。
結構繁盛したのであった。
何時か自分が修行したあんまの方はほとんどしなくなった。
唯 女を喜ばせる道具に使うのみであったのだ。
それから三年後、寺社奉行が代わった。
清廉潔白なその奉行はまずその寺を急襲したのであった。
命からがら逃げ出した捨吉は仲間のごろつき共と手を組み全国の泥棒行脚に出掛けたのである。
途中で出会った手だれの浪人須藤伊之助を仲間に加え、毎日剣術の修行をし 西へ東へと所構わず襲って歩いた。
彼等は一日として一箇所に留まる事はしなかったのである。
日本全国皆彼らの標的であった。
昼間は笛を吹き盲目のアンマが商家の辺りを廻って歩く。
これ と狙った家には特に念入りに調べ、闇に紛れて凶族と成り悪逆非道の働きをして消える。
若い娘、女房などは担いでさらって行く。
翌日には見るも無残な姿で死体となって町外れに捨てられていた。
取り方が駆け付けた時にはもう領外に逃亡した後である。
一藩だけの問題では無くなった。
そこで関八州取締役の出番となったのである。
片っ端から彼等の泊まりそうな宿を調べた。
だが何処の宿帳にもそれらしき者は泊まってはいない。
「これは何処かに何箇所か拠点を持ってるな」そうなると船宿から空き家の一軒一軒を調べねばならない。
被害は西国の諸藩にも広がった。
10人か20名かも判らぬ、名はおろか素性も判らぬ・・・
たかが鼠一匹と思っていたが大変な事になった。
これを処断しなければ幕府の威信にも関る。
全国の裏柳生にも協力を仰いだ。
恥ではあるが形振り構ってはいられなくなったのだ。
ある情報が手に入った。
凶族の入った家には必ず前日からアンマが笛を吹く、と云う。
早速裏柳生が動いた。
そして北陸のある町で捨吉と云う名前が浮かんだのである。
しかし住職は既に世を去っていた。
だがその周辺から妙な噂が入って来たのだ。
尼寺の女達が次々と子供を産んだと云う事、夜鷹の群れが夜な夜な集まっていたと云う事実。
本堂で大掛かりの博打が行われていた事など・・・
寺社奉行が乗り込んだ時には主だった者達は皆逃亡した後だったと云う。
そこで手掛かりはぷっつりと切れている。
だが人相書きはある程度取れた。
その頃 舟斎は妻おみよを同行して参勤交代の中に居た。
藩公の計らいでおみよも一緒に江戸の地に向っていたのである。
「将軍様のいらっしゃる江戸って大きいだろうね」「うん、きっと素敵にな所なんだろう」
そんな他愛もない話を道中したのであった。
しかし舟斎にはそれを見る事が出来ないのが悔しかったのである。
「おみよ、しっかり見て話しておくれ」「本当 旦那様の分までしっかり見ないとね」
それを聞いてた同行の侍が「舟斎殿は空気で分かるんではないかな」と笑った。
楽しい江戸入城の旅であった。
鍼灸師アンマの町人を参勤交代に交えての旅は前代未聞の事であった。
だが、この旅は彼の運命を揺さ振る厳しいものとなろうとは未だ誰も気付いていなかったのである。
藤沢の宿に着いた時、藩公の処に八州取締りのお役人が来た。
そしてアンマ舟斎が如何なる人物か尋ねたのである。
前日この町で 押し込み があったと言う。
済んでの所で取り逃がしたが黒覆面の下の顔が舟斎の顔にあまりにも酷似していると言った。
怪我をさせるには至らなかったが覆面を切り裂いた時の顔が舟斎に似てると・・・
だが彼は参勤交代の中に居た。
「ふしぎな事もあるもんじゃのう」「しかし良く似てる」と八州廻りは去って行ったのである。
旅の荷を降ろし街を散策する事になった。舟斎には二人の武士が同道してくれる事になった。
盲目の彼におみよ一人では心許ない。
藩公の計らいである。
流石 将軍様のお膝元である、街も立派であるが活気がある。お堀の周りを廻っても結構な距離だ。
こうして最初の一日は終わった。
時あたかも紀州より吉宗公が将軍職に付いたばかりの年、数々の改革が行われようとしている時であった。
一通りの拝謁も終わり近くに「どうだ、世間の暮らし振りは如何なものかのう?」「それは上様のこれからのお心次第で御座いましょう、領民が良くなるも悪くなるも全て政り事に掛かって御座います」舟斎はそう答えたのであった。
「予は針を打った事がない、一度試してみてくれんか?」「何処かお悪いところでもありますか?」「いや、何処も悪くは無いが、どうじゃ試してくれんかのう」
「悪い所が無ければ試す必要は御座いません」「無用な針は却って身体に悪う御座います」
結局一番年寄りの老中酒井和泉が施術を受ける事になった。
「おう これは楽になるのう、殿 この先は舟斎をお召抱えになられたら如何かと・・・」
こうして謁見は終わったのである。
藩公も上首尾に終わった事に機嫌がよかった。
「おい、検校 お前の隠居は何時だ?」吉宗は検校にそう言った。
「まだまだ先で御座います、そう 5年は後になりましょうかな」
笑って「今の若者 お前が育ててみる気は無いか?」「そうですなー・・・それは上様次第で、私は異存は御座いません なかなか良い若者だと思いますが」と・・・
吉宗は即断した。
「当分江戸屋敷で預かる、国表に帰る事ならん」と。
藩公は喜んだ。
「連れて来た甲斐あった」と、将軍吉宗の目に留まったのである。
出世の見込みが付いたのだ、と云う事は我が藩にも名誉な事だと。
微禄ながら士分に順ずる扱いを受け屋敷まで賜ったのである。
国表では大変な騒ぎとなったのだ。
「公方様に認めたれた」「江戸城に勤められる事になったそうだ」
宗次郎はもとより おみよの父尾形寛兵衛も禄高も増え大喜びをしたのであるが離れて暮らす事への淋しさも有ったのである。
凶族一味はここ暫く事件を起こしていない。
それが又 何とも不気味であった。
八州取締役も裏柳生も捜査の手の打ち様も無く困り果てていた。
そして三年の月日が経った。
この頃から金細工師の行方知れずが各地で頻繁に起きるようになっていた。
蒸発か・・・?かどわかしか・・・?判らぬが家族全員消えて無くなるのである。
これも又不思議な事である。
普通 かどわかしであれば家族全員と云う事はない。
必ず職人だけが狙われるのである。
だが家族の全てが一晩で居なくなると云う事は今まで例が無い。
不思議な事件であった。
舟斎は毎日古典芸能から浄瑠璃、下々の生活ぶりなど学ぶべき事は一杯あった。
検校と云うものはあらゆる事を知らねばならぬ。
唯 針灸アンマが上手だけでは勤まらない。
大変な仕事である。
おみよと共に街に出掛け珍しい話題や人々の暮らしぶりを仕入れて来て吉宗に話すのであった。
こうした話は表向きの政には直接影響は与えない。
だが将軍職にある者に取っては知っておく必要があったのだ。
その為 直属の間者も陰では活躍してたのである。
そして5年の月日が流れた。時の検校 村下は隠居願いを申し入れたのであるが舟斎は「まだまだ学ぶ事が多く御座います、もう少しお師匠様にご指導願います」と吉宗に願い出たのであった。
吉宗も快く了承して「好きに致せ」と二人に任せたのだった。
一年後、名実共に立派な検校職を継いだ舟斎は 名を橘検校様と呼ばれる様になっていた。
「なあ 検校よ、凶暴な族の一人がお前に似てると聞いたが気に入らんのう、早く何とか捕らえて仕置きしないとお前も落ち着かんだろう」
その年金座が襲われ10満両余りが盗まれた。
将軍はそれを指してそう言ったのである。
が 今回の事件は今までと違った幾つかの疑問があったのだ。
まず金座の中に手引きした人間が居たのでは無いか?
そして無駄の無い動きをしてる、順路を知り尽くした人物が居たのであろう。
そこで向こう三年以内に雇い入れた職人の身元を洗う事にしたのである。
するとその中に身元知れずの男が二人居たのだった。
その男達は事件と共に姿を消している。
雇う時に立ち会った勘定方の人物を厳しく吟味した所、何と袖の下を受け取っていた事が判明したのである。
紹介したのは江戸のはずれに住む さして大きくも無い口入屋であった。
だが取り方が向った時には既に店を畳んで姿を消した後だった。
捨吉の身元もしかりと洗われた。
だが当時を知る者は殆ど亡くなっている。
僅かの手掛かりを手繰ってやっと村岡検校なる人物が居た事が判ったのである。
しかし寺に預けられたとなると必ず生みの親が居るはずである。
草の者が耳寄りの情報を齎した。
今を去る30年程前、飛騨天領の地の地侍、斉藤某なる人物に双子が生まれたと云う。
だが出生届もなされず その双子は行く方知れずになってしまったと・・・
そのうち一人は離れた地の寺に預けられたとの情報である。
それが捨吉であろうと。
しかし父母は既にこの世を去り 代替わりをしてそれ以上の情報は得られなかったが ほぼ間違いの無いことである。
もう一人は・・・誰にも判らぬ事であった。
八宗取締役は宗次郎の家を訪れた。
「心当たりは無いか」と・・・
しかし宗次郎は「間違い無く舟一は我が子で御座います」「他人の空似と云う事も御座いますからなー」と・・・
出世した我が子を思いやる親の心がひしひしと伝わってきたのである。
八州廻り 相馬孫四郎は全てを理解した。
捨吉と橘検校は双子の兄弟である、と・・・
しかしそれを胸に仕舞い込んだのであった。
一生懸命努力して検校にまで上り詰めた男とその父親宗次郎の愛、おみよの姿が眼に浮かんだ。
この平和な家族を刑場に送るのは忍びない(当時は凶悪犯の場合 一族郎党皆処刑されたのである)彼はこの家族の事は報告しないで地獄の底まで持って行こうと心に決めたのであったが。
八州取締役も人の子である。
「もし自分に双子の兄弟が居たら、それが凶悪犯であったなら・・・」御定法にも多いに疑問も持った。
しかしそれを守らねばならない。
仕事の過酷さを感じたのである。
そんな時 隅田川の畔に大量の小判がばら撒かれると云う前代未聞の出来事が起きた。
多くの群集が押し掛けそれを拾っていると云う。
すぐ役人が回収したが その金額は数千両にも及んだと言われたのである。
金座の者が調べたところ、それは全て贋金であったと報告が上がった。
何処かに大掛かりな偽金作りの一味がいる。
不思議とそれが凶族が姿を消し、金細工師の蒸発、そして金座の盗難事件・・・流れは一致する。
江戸町奉行所、関八州取締り、裏柳生、総力を挙げ一致団結して捜査を開始した。
裏柳生では(仮説ではあるが)山深い所に住む平家の落人部落に関係してるのでは・・・と・・・
八州取締りの方ではそうした落人に成済まし部落を作り贋金を作っているのでは、と考えた。
町奉行所では他に贋金が出ないか捜査を強化して細工師の足取りを追ったのである。
大阪奉行所から思わぬ情報が飛び込んできた。
下町の細工師が旅発つ前「甲府金山に行く」と言ったのをちらりと聞いた近所の女房が居ると・・・
早速柳生が動いた。
が しかし相馬はそうは思わなかった。
「自分の地の利のある隠れ里、そう奥飛騨の何処か・・・きっとその地で大掛かりな偽金作りの集落があるのでは無いか?」
日本全国 落人部落はある。
当時はそれを調べるのも大変な時代だったのだ。
平家の落人部落ばかりでは無い、関が原の合戦で破れた西軍の子孫の者達、皆山奥でひっそりと隠れ住んでいた。
又 現在の様に道路網が発展している訳では無い。
人跡未踏の地など幾らでもあった。
そこで村里に買い物に降りて来る人間達を捜す事になる訳だ。
それは気の遠くなる様な作業である。
又 村人の口も堅い。
なかなか「はいそうですか」と話す人間などめったに居ない。
金でも掴まされていれば尚の事である。
吉宗も越前守を交えてこの問題に付いて協議を重ねていた。
はかばかしく行かぬ捜査に苦渋の色を浮かべて。
下座に座っていた舟斎に「のう検校、お前だったらどんなところに隠れるか?」と・・・
舟斎は「私はそんな恐ろしい話は知りませんが 誰でも古里が恋しいもので御座いましょう」「出来るなら古里近くの山中に隠れようとするでしょう」と答えたのである。
「うーん、帰巣本能と云う奴か・・・」その後も協議は続けられていた。
舟斎はこの頃城中での信頼も厚く常に吉宗の傍らに居たのだった。
柳生、関八州の精鋭達が飛騨山中に出発したのはその二日後の事であった。
飛騨高山のはずれで須藤伊之助なる浪人が寺子屋を開いていた。
さほど生徒が居る訳ではないが悠々自適の生活をしている。
だが不審な動きをしてる訳では無い。
時々物売りがお茶を飲んで帰る程度だ。
しかし下呂近くで少し逗留して姿を消している。
ひなびた温泉宿の事である。
街道を少し歩けばもう両側が山の木々で覆われている。
そして谷川のせせらぎと鳥の声が聞こえるだけの所だ。
人の往来も少ない。
何処でも隠れる場所はある。物売りは辺りの気配を察し姿を消したとみえる。
そんな時、近江の豪商、尾張の両替屋が立て続けに強盗に入られた。
「我々は住吉検校だ、覚えて置け」片方は「五月雨検校だ」と名乗ったそうだ。
八州廻りは「これは模倣犯だな」余計混乱を招く 一味を早く捕らえなければ幕府の威信も地に落ちるな、と焦りの色を濃くしたのであった。
子供達の遊びにもそれは表れた。
「我こそは検校である、掛かって来い」すると取り方役の子供達が切られる単純な遊びであるが、これには町奉行所も苦りきった表情を隠せなかったのである。
名奉行として知られる大岡も子供達が悪を賛美する様な遊びが流行る事は許せなかったのだった。
西国と奥羽地方から贋金が大量に見付かった。
此処に来て吉宗が長年抱いていた貨幣鋳造に於いて より精巧な小判の鋳造に踏み切ったのである。
世に言う『享保の改革』を断行したのであった。
重役たちの世襲制廃止、業績著しい者には禄高の増加、功績の無い者は当然禄高を減らされる事となった。
疲弊した経済を立て直す為 又贋金作りの息の根を止める為 そして軽輩者の士気を高める為には相当の効果があった。
今まで高禄で召抱えられていた者も安閑としては居られなくなった。
賄賂を貰い私腹を肥やしていた者は厳重に処罰されたのである。
功罪併せ持つ改革ではあったが 腐りかけた江戸幕府の持つ膿を出し切ったのは確かであった。
多くの原野が開墾され、治水工事も行われた。
特筆すべき事は生活苦により医師に掛かる事の出来ない病人、怪我人に負担をかける事なく 養生所にて治療が受けられる様になった事であろうか。
そして薬治園を作り薬草の栽培に力を注いだ事である。
毎年の事であるが土砂の氾濫により禄高が一定の水準を保つ事が出来ない。
護岸工事も徹底して行われた。
そうした吉宗の改革は多くの有能な家臣を持つ事により実を結んだのであるが、反対勢力の抵抗も又激しかったのも事実である。
『火事と喧嘩は江戸の華』と言われる様に火災の被害も多かった。
それを解消する為に江戸火消し制度が確立されたのである。
そんな時 宗次郎が病床に着いたのだった。
急ぎ駆け付けた舟斎に彼は驚愕の事実を打ち明けたのである。
「お前の父君は何らかの事情により お前を捨てざるを得なかったのだろう、海の入り江に漂う舟の中に絹の産着を着て死の淵をさ迷っていたのだ」「きっとお侍の子であろう・・・」「が わしはお前が可愛い 盲目のお前が不憫でならぬ」と・・・
宗次郎は静かに息を引き取った。
舟斎は関八州取締役 相馬孫四郎に「是非私の生みの親を探して欲しい、ぜひとも会ってみたい この世に送り出してくれたお礼も言いたいのだが」と申し入れたのである。
しかし孫四郎は「世の中には知っていい事と 知らないで居た方が良かったと言う場合がある、検校殿が後で苦しむ事になっても宜しいのなら・・・」と、その時は教えてくれなかった。
だが舟斎の出生の秘密を知る者は八州廻りにはそれと無く知ってる者も居たのだ。
孫四郎は大岡に相談したのである。
大岡も「罪の無い者でも御定法では罰せられられなければならんからのう、不憫じゃが・・・さて、どうするか」と思案した。
一応「御両親は亡くなられたそうだ」とだけ答えて納得させたのであった。
境港から大量の武器が数度に渡って何処かに買い付けられて密かに送られている、との情報が入った。
すぐ裏柳生、八州廻りが探索に当たったのであるがどうも半端な量では無いらしい。
街道筋を徹底的に検問を強化したのであった。
牛に引かせて荷車が通る。
轍の跡が異常に深い・・・美濃国境の事である。
農家の人間にしてはそれに付き添う人数も多い。
役人が不審に思い前を遮った。
すると先頭に立ってた役人が中の一人に短筒(拳銃)で撃たれたのである。
「すわっ大事件」と後方の一人が関所に向って走り出そうとした時 林の中から銃弾が一斉に浴びせ掛けられたのだった。
轍の深い車からも銃が取り出されあえなく役人達は撃倒されてしまった。
何時の間にか落人部落と関が原西軍の子孫の面々が手を組み、この地帯一帯に治外法権の地域が出来ていたのである。
幕府から独立して新しい国家樹立を目指している、と見た方が良いだろう。
それは徳川治世の始まりから豊臣方への徹底的な弾圧、それを逃れた者達が山中に隠れ住み 子孫たちが何時かは又乱世が来る事を夢見て 虎視眈々と機会を伺っていたところに捨吉の出現により同調する者が集まったからに他ならない。
ここに壮絶な柳生、関八州連合軍との戦いが始まったのであった。
時を同じくして数度の江戸の大火があった。
これも付け火である。
将軍家のお膝元での騒ぎは多いに人々の不安を煽った。
此処でも吉宗の作った町火消しが多いに活躍した訳だが根本を絶たねばならない。
火回りを厳重に火消し達は定火消し(武家屋敷を守る)と共に夜回りを強化したのだった。
飛騨から信濃山中の至る所に監視小屋がある。
裏柳生の精鋭達がひとつずつ潰してゆく。
一方的に向こうが有利な中で夜陰に紛れ制圧していったのであった。
まさに血で血を洗う壮絶な戦いである。
神君家康公以来の戦いだった。
村岡検校こと捨吉は豊富な資金と強力な部下を持ち山中の戦には精通していた。
だが山岳戦は裏柳生の最も得意な戦いである。
次々と監視小屋 そして隠れている場所を攻撃したのだった。
しかし彼等の鉄砲隊の前に相当苦戦したのは間違いない。
累々たる屍の山が築かれた。
山砦間近まで攻め入ったところ思わぬ落とし穴が待っていた。
空堀が掘られそれを渡る事が出来ぬ。
下手に踏み込めば上から大きな網が被せられ鉄砲の餌食になるのだ。
そして何処からとも無く後ろから攻撃される。
それを指揮しているのが須藤伊之助であった。
「やはり唯の鼠では無かったか、先に捕縛して置けばよかった」柳生の面々は歯軋りを噛んで悔しがった。
地下壕が縦横に掘られ其処から敵が現れて消える。
柳生の精鋭達も一時退却を余儀なくされたのである。
大岡は舟斎に断腸の思いで彼の出生に纏わる事実を告げていた。
「お前の双子の兄弟が今 世間を騒がせている凶族の頭なのだ、お前には何も罪は無い、だが今の御定法に照らし合わせるとどうしても此の侭には捨て置けん」「辛いだろうが蟄居謹慎して居ってくれんかのう」「上様も痛く気にしておいでじゃ、判ってくれ」と・・・
舟斎は驚き又悲しんだ。
「私も当然罪になりましょうね」「妻の処遇はどうなりますか?やはり離縁した方が宜しいでしょうな・・・」
「いや 上様には何かお考えがある様じゃ、そこまで考えなくとも良いと思うが」と言って去って行った。
舟斎には七歳と五歳の息子が居た。
妻の行く末も心配ではあったが二人の息子の事が一番気懸かりな事であったのだ。
自分はきっと処刑されるであろう、だが妻と息子は何とでも守り通したかったのである。
突然の事であった。
深編笠の男が舟斎の家にやって来た。
後ろには大岡越前守も居る。
上様であった。
吉宗は「法とは不便な物よのう、罪もない者も罰せられなければならないとは・・・ま、悪い様には致さぬから少し休みだと思って短慮は起こすまいぞ」と励まして帰った。
舟斎は涙を流しその言葉を噛み締めて聞いていたのだった。
八州廻り達は山裾の穴と云う穴を全て塞いだ。
そして須藤伊之助以下配下の者をことごとく捕縛、斬捨てたのであった。
後は兵糧攻めと突破口を開く為の空堀を埋める作業に取り掛かったのである。
夜陰に紛れて投降して来る者が出始めた。
が しかし見付かれば後ろから銃で撃たれ幕府の陣営までたどり着く者はごく僅かだった。
捨吉は叫んだ「我は村岡検校なるぞ!この地で独立国家を建国する、難攻不落のこの山城を落としてみるかっ、これ以上死人を出すと云うならそれも良し」「黙って去れば犠牲者は無くなるがどうだ」
それは自軍を鼓舞するものであったが まだ戦い続ける決意の表れでもあったのだ。
暫く一進一退の攻防が続いた。
やっと空堀の一部が埋められ突破口が出来た。
先陣を切った一団が渡り終えた途端、大音響が鳴り響いたのである。
其処には既に爆薬が仕掛けられ最初の幕府の侍達があえなく犠牲となってしまったのだった。
又ひとつ大きな空堀が出来た感じだった。
下手に攻めれば犠牲者が出るばかりだ。
八州取締りは兵糧攻めの道を選んだのであるが裏柳生は強行突破を主張したのである。
これは手柄を何としてでも柳生の手で上げたかったからに他ならない。
が しかし今は功名争いしてる時期では無かった。
何としてもこの集団を殲滅させねばならない。
遂に兵糧攻めに決定した。
「これは関が原以来の大戦だなー」勿論関が原が どの様な戦であったのか知ってる者は居なかったが皆口々にそう言ったのである。
ここで捨吉の心の軌跡を追ってみる事にしよう。
彼も又鍼灸とアンマで身を立てようと思った。
努力して検校になる事を夢見た時代もあったのだ。
が しかし世話になった寺の住職は無類の酒好き、そして女好きときてる。
一時はそんな生活も悪くないな と思った事もあった。
アンマの腕は確かなものを持っていた。
そして金貸しも巧く立ち回り相当の利益が上がる。
だが彼の野心はそれだけで終わらなかった。
この寺を乗っ取り自分の好きなように生きる、もっと金儲けをして近隣の町に一大歓楽街を作ろう。
元々かれも無類の女好きだった。
が 寺社奉行によってその計画は潰されてしまった時 思い立ったのはその時の仲間と盗み働きする事だった。
現代と違って夜になればどんな町でも夜回りが時間通りしか廻って歩かない。
その間隙を突いて盗み働きをするのであるが面の割れるのを恐れ皆殺しの凶族と化したのである。
拠点は人の判らない山に作り夜陰に紛れて行動したのだった。
あまりにも巧く事が運ぶのが面白く自分達の犯行を誇示したくなって来た
そこで生まれたのが『村岡検校』一味の名を世間に知らしめる事である。
ある時、役人に追われ山深くの村に逃げ込んだ時である。
その村は豊臣恩顧の者達がひっそりと隠れるように住んでいたのだった。
捨吉は其処の古老から思わぬ事を聞いたのである。
「山深く入れば幾らでもそんな村がある、又戦でも始まればおそらく決起する者も居るであろう」と・・・
徳川の世にもまだこうした人間が大勢居る事を知ったのだった。
享保の改革により 年貢の取立ても四公六民から五公五民に変わった。
農家の不満も相当きついものがある。
落人達を束ねて決起すれば農家の一揆も起きるんではないか・・・
山国では不平不満の者が五万といる。
後は資金と武器さえあれば・・・外様大名の中にも呼応して立ち上がる者も居るだろう。
野心がふつふつと煮え返ったのであった。
そして着々と準備が始まったのであるが、最初の目論みでは西国大名、東北の各地から火の手を挙げるはずのものが動かなかったのである。
だが回りだした歯車はもう止める事は不可能となってしまったのだった。
大きな誤算であった。
原因のひとつには素性の判らぬ彼の話に何処まで信用して乗ってよいか?と云う事と朝廷の後ろ盾が無かった事にある。
西国大名の中には不平不満を持つものは結構居たのであるが朝廷の後ろ盾を得て徳川家を逆賊としなければ大義名分が立たない。
捨吉のもくろみはその時点で失敗したのであった。
幕府に取っても吉宗が将軍になる以前には腐ったリンゴになりかかっていたのだった。
が 見事にその危機を乗り越えたのである。
元禄以来の政治体制の悪弊が一掃される目前に起きた事件だった。
諸大名に取ってはこれは大変な脅威であった。
旗本八万旗が動く事無く鎮圧されたと云う事は徳川の底力を多いに見せ付けた事になる。
さて砦の方であるが まさに血で血を洗う激戦の末 大抵の者は捕縛され斬り死にし、自刃して果てたのであった。
その中に在って捨吉は最後まで命を惜しみ盲目の振りをして哀れな姿をさらしていたのだった。
砦の中は意外に広く五つの集落でもって成り立っていた。
その一角に鋳造工場を持ち其処には多くの家族が生活を共にしていたのである。
皆 これ程の大事件とは思っていなかったのだ。
彼らは 借金をし、その証文を捨吉が買い取ったと云う訳だ。
そしてこの鋳造工場に連れて来られた訳だが家族全員で暮らせる事で満足していた様であった。
特別抵抗する事も無く連行されたのである。
大岡の取調べが始まった。
「さて 捨吉・・・いや村岡検校かな、ま どちらでも構わぬ お前が盗み働き 贋金作りの頭目に間違い無いな」「いえ 私はこの通りめくらで御座います、全ては須藤さまの御言いつけ通り動いただけで御座います」「何を申す、お前に出会わなければ拙者は静かに寺子屋をやってたものを」
お互いが罪のなすりあいである。
その中で父母の死が捨吉の仕業と云う事も判ったのであった。
一刻ばかり黙って聴いていた大岡は「頭目捨吉、聞き捨てならぬ事を申したな、父母に会ったと申したが何故殺したのかその訳を言ってみろ」「捨てられたからか?それとも他に訳でも有ると申すか?」「めくらの私を捨て 健常な弟が跡継ぎでは理不尽と思いませんか、御奉行様でもそう思われませんか」「何でも畜生腹の子と聞きましたが私の弟は何処にいるのやら やっぱり憎んでも憎みきれない相手で御座いましょう、御奉行様ならどうなさいますか?」「八つ裂きにでもしたいと思うのが普通でしょうが」
「その通りじゃ 今わしがお前を八つ裂きにしたいと思っているのも勝手じゃ だが此処は御白洲じゃ、思いと裁きは別じゃて」「多くの罪も無い人を殺めた罪をどう弁解致すのじゃ、わしはそれを聞きたいがのう」「それともそれで世の中が変わると思ったか」
「・・・・・・」
「捨吉っ!」突然大岡は捨吉目掛けて扇子を投げ付けた。
咄嗟に捨吉は眼を開け扇子を避けたのであった。
ニヤリと笑った大岡は「やはり」と言ったきり何も言わなかった。
それから一人一人吟味が始まったのである。
そして刻限も迫った時、越前は言った。
「裁きを言い渡す、須藤伊之助以下十八名 打ち首獄門、後の者八丈島終生遠島を申し付ける」「彫金師一同三宅島遠島」「全員引き立てい」と叫んで白洲は捨吉一人になった。
そして捨吉には「引き合わせたい者が居る、暫し待て」と・・・
「橘舟斎これへ」と呼んだのであった。
「捨吉、この顔をよく見ろ、お前に瓜二つと思わんか」「お前の双子の兄弟だ、今生の別れをして置け」「ここに居るのが本物の検校 橘舟斎じゃ 覚えて置け」と言って席を立った。
そして陰で聞いてた吉宗とそっと様子を伺っていたのである。
「兄者で御座いますか?何故そんな恐ろしい事をなさっていたのですか?」「ケッ、生きてやがったんか、何処で何してるんだ、どうせこそ泥位の事で捕まったんだろう」・・・「何故父上と母上を殺めたんですか、私も一目会いとう御座いましたのに」「お前 憎くはないのか、捨てられたんだぞ」「いえ、一度会ってこの世に生を受けたお礼を申しとう御座いました」「この糞たれめが 何が礼だ、お礼は夾竹桃の汁を飲ませてしてやったぞ、お前の様な者兄弟でも何でも無い とっとと失せろ」
そこへ大岡が現れた。
「橘舟斎、お上を謀りおって不届きな奴だ、お前の本当の親は橘宗次郎であろうが、早々に下がりおれ」と白洲から引き出されたのである。
「裁きを言い渡す、村岡検校事捨吉、張付け獄門 尚 首は百日間晒し物とする事とす」
誰も居なくなった白洲では舟斎と大岡が万感の思いで見詰め合っていた。
「なあ、舟斎、当分は寄せ場送りになるが辛抱しろよ、御政道に照らし合わせても此処までが限界じゃ、許せ」と大岡は深々と頭を下げたのだ。
「もったいないお言葉 感謝致します」舟斎は流れる涙をどうする事も出来なかった。
「御妻女と子供の事だが心配には及ばん、わしが面倒を見るから安心して務めを果たして来い」「これからは市井の人間になるのじゃ、名も忠乃市と改めよ」と。
「寄せ場には大勢患者がいるぞ、その面倒を診てやれ」 大抵は罪人には手首に墨を入れたものである。
だが彼はそれも許されたのであった。
「お前の子は大層利発なそうじゃな、何れ士分に取り立てて しかるべき要職に着いて貰うゆえ安堵致すがよい」吉宗はそう言ったのであった。
大岡は「三年なんてすぐ経ってしまうものじゃて 真面目なそなた故 一生懸命励んでいれば戻った時に役にも立とう」と・・・
最初は幕府方の間者と訝る者もいたが彼の施術を受けた者から次第にその噂も消えていった。
寄せ場の仕事は本来海であった所の干拓である。非常に辛い仕事だった。
だから腰痛、肩、腕の張りがひどい。
忠乃市は丁寧に鍼灸を施し少しでも楽になるように施術した。
その甲斐有ってか評判も上々だった。
そして三年後、木場の近くに鍼灸の木札をぶら下げた診療所を構えたのであった。
最初は患者もなかなか来ず 夜の町を笛を鳴らして歩いたものだ。
ある日 立派な籠に乗った侍が訪れた事から事態は一変したのである。
「頼もう、忠乃市殿はご在宅かな、少し針を打って貰おうと思って参ったが・・・」大岡越前であった。
すぐそれが評判になったのである。
「あの先生は鍼灸の偉い先生だそうだ」「では私達も行ってみるか」たちまち町中の噂になり患者は増えた。
もう夜 笛を吹いて歩く事も無くなった。
長男は元服後、勘定方の武士に取り立てられた、二男も何れお城の土を踏む事になろう。
忠乃市こと舟斎は市井の片隅で妻共々静かに幸せを噛み締めていたのであった。
しかしこの事件は歴史の闇に葬られ何処にもその記録は無い。
-完ー
「№ 4」
しかし伊蔵は近藤を信じて疑わなかった。
近藤の出世はわが身の出世につながると・・・
ある夜、偶然にも尊皇派の一団に遭遇してしまった。
「伊蔵覚悟!」と斬りかかるのを応戦するも多勢に無勢、何名かは斬ったが肩に傷を負い必死の思いで逃げたのである。
やっとの思いで巻き、ほっとしたところ小さく灯りの点いた家が見えた。
商家の離れの様な粋な造りの家だった。
転がるように飛び込んだ家には玄関に三味線が立てかけてある・・・水商売の女の私邸のようである。
肩で息してうずくまっている男に蝋燭の明かりが近ずいた。
「もしかしたら敵の家かも知れぬ」 伊蔵は血糊の付いた刀を杖にして何時襲われても良い様に構えたのであった。
だが出て来たのは小粋な女だった。
「おやまあ怪我してるんじゃないかい、手当てしてあげるから上がりなよ」
怯える様子もない・・・そっと顔を上げた途端お互いが驚いた。
「もしか・・伊蔵さんではないかい」「あっお葉さん・・・」
そっと上がり縁の血を拭いて中へ招き入れたのだった。
「ご主人は?」「おや、嫌な事聞くねえ・・・いないよ」「と言えば嘘になるねえ、3人かな、6人かも・・・野暮な事聞くんじゃないよ、さあ傷口を見せて」と薬箱を持ち出してきた。
出血の割には傷は浅かった。
暫くの後「お夕に知らせてやってくれないか」お葉はくすりと笑って「もう知らせたよ、ゆっくり養生して帰ってきてね・・だって」「憎いねー 色男」と・・・・
10日ばかりで痛みは引いたが今度はお葉が熱を出しだ。
看護疲れだろうと伊蔵は思ったが その夜伊蔵の身体に乗っかって来たのである。
真っ赤な仮病であった。
逃れようとしたら傷口を掴んで離さない。
そして・・・ついにお葉のなすがままに身体を重ねたのであった。
「俺は地獄に落ちるな、決して極楽には行けないなー」そして山科で待つお夕の事を思ってた。
お葉はお葉で「このままお夕に渡すものか、絶対私のものにしてやる」と伊蔵を咥えて離そうとしない。
やっとの思いで逃げ出したのであった。
それから半月の後、お夕の待つ家に戻ったのである。
が お夕は何も知らなかった。
お葉からの連絡など無かったのである。
唯 生きていて欲しいと一日千秋の思いで待っていたのだった。
見事お葉に図られた。
それから後、お葉はしばしば山科の家に帰って来る様になった。
そして親しげに伊蔵に話しかける。
今度はお夕が面白くない。
「姉ちゃん、うちの人に手を出すんじゃないよ」「おやまあ、お前だって母さんから奪い取ったんじゃなかったの・・・用心しなよ、私が頂くかもね」「もう味見したかも、ね・・・」
お葉は勝ち誇った様にそう言った。
その夜 お夕は「伊蔵さん、姉ちゃんと寝たの?」と聞いた。
「すまん、そう云う事だ」何ともまあ正直な男である。
お夕は「良かった?悪かったでしょう?私の方が若いからいいに決まっているよね、でも男だから遊びならいいわよ」「本気は駄目よ」と・・・
実におおらかな親子姉妹の様に見える、が そこには虚虚実実の駆け引きが有ったのだ。
そして何時の間にか三人で共有しようと云う事になっていたのである。
「№ 5」
こうした中で長州軍と幕府とが激突していた。
薩摩は「今幕府を敵に回すのは得策ではない」と判断して幕府軍側についたのだった。
長州軍は惨敗した。
長州は裏切り者薩摩との同盟関係などあり得ないとの考えで一致したのである。
松蔭門下の高杉晋作はかってない奇策を考え付いた。
農民にも銃を持たせたらどうか、刀では幕府軍とは闘えない。
だが銃であれば誰でも訓練すればすぐ戦力になる。
その名も『奇兵隊』
最初は皆笑ったが「これからの時代は刀ではなく銃だ」との信念で説いて廻る晋作の熱意と奇兵隊の機動力に感心して長州藩独自で幕府を倒す可能性を模索しだした。
相変わらず京の都では殺戮の嵐が吹き荒れていた。
伊蔵も又その渦中にあり 命の保障は何処にも無かったのである。
唯 その中にも安らぐ所があるのが救いだった。
お葉の家に行けば何がしかの情報も得られたし行き場のないエネルギーを爆発させる事も出来た。
家では何時もお夕が待っている。
又 時にはお定が割り込んで来る。
だが少々煩わしくも感じていたのであるが、兎も角もてない男に取っては羨ましい話である。
その意味では非常に果報者で有るにはあったが・・・
近藤は西国大名のところによく行っていた。
幕府の立て直しには離反するものが居ては都合が悪い。
そして新撰組も大幅な改革を余儀なくされていた。
脱走する者も居た、全て処断した。
又 盗み、金銭着服、その罰は死を持って償わせたのである。
新しい組員も雇い入れた。
その教育は土方が主に受け持った。
大所帯になると何かと苦労がつき物の様である。
江戸では・・・すでに勝海舟は幕府の滅亡を予見してた。
どうやってこの戦いを終結させるか・・・
徳川家を存続させる為に密かに西郷、坂本と相談してた節がある。
知らぬは京で暗闘を繰り返している佐幕派、尊皇攘夷派達であったのだ。
近々近藤以下数名が幕臣に取り立てられるとの噂が流れていた。
新撰組の連中は又それで勢い付いているのだった。
功名争いの為に余計 斬らねばならぬ相手でも無い者まで斬る。
町の人々は今までと違う反応を見せ始めていた。
いつの間にか新撰組の羽織は恐怖の的となってしまっていたのだった。
ある夕方 ひょんな事から祇園の芸姑、志穂と知り合った。
桂川の畔で下駄の花緒を切らせて困っているところを助けてやったのである。
手ぬぐいを裂き挿げ替えてやった訳だが話を聞くとお葉のところで三味線を習っている様子だ。
「うちの店では『いちげん』のお客さんは取らないの」「ほう、では格式があるんだ」
二言三言話しただけであったが何か心に残る娘であった。
お葉の家で寛いで居る時 志穂がやってきた。
驚いた顔に喜びの表情が読み取れる。
伊蔵の眼を見て「あの娘は手を出しては駄目よ、後ろに真木さんが着いているのよ」と・・・
「あの真木和泉か・・・?」にやりと笑って伊蔵はうなずいた。
「あいつも好きだなーあんな若い娘にまで手を出すとは」
お葉は「一緒よ、お夕だって似たり寄ったりでしょう」と笑った。
稽古が終わって志穂が帰った後、例によってお葉はしがみ付いてくる。
「今日は返さないからね、ここ暫くは血生臭い事は無し、ゆっくりして行ってね」と・・・
そうして夕方 お葉は仕事に出掛けて行った。
天井の節の目を数えながら真木和泉の事を考えていた。
何時かは剣を交えて見たい相手だ、どんな剣を使うのか・・・と。
しかしその日はついに来る事無く終わった。
商家に強盗に入り新撰組を脱走したのである。
結果は新撰組の手によって天王山で捕らえられ自刃させられたのであった。
粛清の嵐も容赦なく吹き荒れた。
しかし伊蔵は近藤を信じて疑わなかった。
近藤の出世はわが身の出世につながると・・・
ある夜、偶然にも尊皇派の一団に遭遇してしまった。
「伊蔵覚悟!」と斬りかかるのを応戦するも多勢に無勢、何名かは斬ったが肩に傷を負い必死の思いで逃げたのである。
やっとの思いで巻き、ほっとしたところ小さく灯りの点いた家が見えた。
商家の離れの様な粋な造りの家だった。
転がるように飛び込んだ家には玄関に三味線が立てかけてある・・・水商売の女の私邸のようである。
肩で息してうずくまっている男に蝋燭の明かりが近ずいた。
「もしかしたら敵の家かも知れぬ」 伊蔵は血糊の付いた刀を杖にして何時襲われても良い様に構えたのであった。
だが出て来たのは小粋な女だった。
「おやまあ怪我してるんじゃないかい、手当てしてあげるから上がりなよ」
怯える様子もない・・・そっと顔を上げた途端お互いが驚いた。
「もしか・・伊蔵さんではないかい」「あっお葉さん・・・」
そっと上がり縁の血を拭いて中へ招き入れたのだった。
「ご主人は?」「おや、嫌な事聞くねえ・・・いないよ」「と言えば嘘になるねえ、3人かな、6人かも・・・野暮な事聞くんじゃないよ、さあ傷口を見せて」と薬箱を持ち出してきた。
出血の割には傷は浅かった。
暫くの後「お夕に知らせてやってくれないか」お葉はくすりと笑って「もう知らせたよ、ゆっくり養生して帰ってきてね・・だって」「憎いねー 色男」と・・・・
10日ばかりで痛みは引いたが今度はお葉が熱を出しだ。
看護疲れだろうと伊蔵は思ったが その夜伊蔵の身体に乗っかって来たのである。
真っ赤な仮病であった。
逃れようとしたら傷口を掴んで離さない。
そして・・・ついにお葉のなすがままに身体を重ねたのであった。
「俺は地獄に落ちるな、決して極楽には行けないなー」そして山科で待つお夕の事を思ってた。
お葉はお葉で「このままお夕に渡すものか、絶対私のものにしてやる」と伊蔵を咥えて離そうとしない。
やっとの思いで逃げ出したのであった。
それから半月の後、お夕の待つ家に戻ったのである。
が お夕は何も知らなかった。
お葉からの連絡など無かったのである。
唯 生きていて欲しいと一日千秋の思いで待っていたのだった。
見事お葉に図られた。
それから後、お葉はしばしば山科の家に帰って来る様になった。
そして親しげに伊蔵に話しかける。
今度はお夕が面白くない。
「姉ちゃん、うちの人に手を出すんじゃないよ」「おやまあ、お前だって母さんから奪い取ったんじゃなかったの・・・用心しなよ、私が頂くかもね」「もう味見したかも、ね・・・」
お葉は勝ち誇った様にそう言った。
その夜 お夕は「伊蔵さん、姉ちゃんと寝たの?」と聞いた。
「すまん、そう云う事だ」何ともまあ正直な男である。
お夕は「良かった?悪かったでしょう?私の方が若いからいいに決まっているよね、でも男だから遊びならいいわよ」「本気は駄目よ」と・・・
実におおらかな親子姉妹の様に見える、が そこには虚虚実実の駆け引きが有ったのだ。
そして何時の間にか三人で共有しようと云う事になっていたのである。
「№ 5」
こうした中で長州軍と幕府とが激突していた。
薩摩は「今幕府を敵に回すのは得策ではない」と判断して幕府軍側についたのだった。
長州軍は惨敗した。
長州は裏切り者薩摩との同盟関係などあり得ないとの考えで一致したのである。
松蔭門下の高杉晋作はかってない奇策を考え付いた。
農民にも銃を持たせたらどうか、刀では幕府軍とは闘えない。
だが銃であれば誰でも訓練すればすぐ戦力になる。
その名も『奇兵隊』
最初は皆笑ったが「これからの時代は刀ではなく銃だ」との信念で説いて廻る晋作の熱意と奇兵隊の機動力に感心して長州藩独自で幕府を倒す可能性を模索しだした。
相変わらず京の都では殺戮の嵐が吹き荒れていた。
伊蔵も又その渦中にあり 命の保障は何処にも無かったのである。
唯 その中にも安らぐ所があるのが救いだった。
お葉の家に行けば何がしかの情報も得られたし行き場のないエネルギーを爆発させる事も出来た。
家では何時もお夕が待っている。
又 時にはお定が割り込んで来る。
だが少々煩わしくも感じていたのであるが、兎も角もてない男に取っては羨ましい話である。
その意味では非常に果報者で有るにはあったが・・・
近藤は西国大名のところによく行っていた。
幕府の立て直しには離反するものが居ては都合が悪い。
そして新撰組も大幅な改革を余儀なくされていた。
脱走する者も居た、全て処断した。
又 盗み、金銭着服、その罰は死を持って償わせたのである。
新しい組員も雇い入れた。
その教育は土方が主に受け持った。
大所帯になると何かと苦労がつき物の様である。
江戸では・・・すでに勝海舟は幕府の滅亡を予見してた。
どうやってこの戦いを終結させるか・・・
徳川家を存続させる為に密かに西郷、坂本と相談してた節がある。
知らぬは京で暗闘を繰り返している佐幕派、尊皇攘夷派達であったのだ。
近々近藤以下数名が幕臣に取り立てられるとの噂が流れていた。
新撰組の連中は又それで勢い付いているのだった。
功名争いの為に余計 斬らねばならぬ相手でも無い者まで斬る。
町の人々は今までと違う反応を見せ始めていた。
いつの間にか新撰組の羽織は恐怖の的となってしまっていたのだった。
ある夕方 ひょんな事から祇園の芸姑、志穂と知り合った。
桂川の畔で下駄の花緒を切らせて困っているところを助けてやったのである。
手ぬぐいを裂き挿げ替えてやった訳だが話を聞くとお葉のところで三味線を習っている様子だ。
「うちの店では『いちげん』のお客さんは取らないの」「ほう、では格式があるんだ」
二言三言話しただけであったが何か心に残る娘であった。
お葉の家で寛いで居る時 志穂がやってきた。
驚いた顔に喜びの表情が読み取れる。
伊蔵の眼を見て「あの娘は手を出しては駄目よ、後ろに真木さんが着いているのよ」と・・・
「あの真木和泉か・・・?」にやりと笑って伊蔵はうなずいた。
「あいつも好きだなーあんな若い娘にまで手を出すとは」
お葉は「一緒よ、お夕だって似たり寄ったりでしょう」と笑った。
稽古が終わって志穂が帰った後、例によってお葉はしがみ付いてくる。
「今日は返さないからね、ここ暫くは血生臭い事は無し、ゆっくりして行ってね」と・・・
そうして夕方 お葉は仕事に出掛けて行った。
天井の節の目を数えながら真木和泉の事を考えていた。
何時かは剣を交えて見たい相手だ、どんな剣を使うのか・・・と。
しかしその日はついに来る事無く終わった。
商家に強盗に入り新撰組を脱走したのである。
結果は新撰組の手によって天王山で捕らえられ自刃させられたのであった。
粛清の嵐も容赦なく吹き荒れた。
「№ 2」
この頃の京では人が殺されるのは日常茶飯事である。
お夕もそれを見てもさして驚く様子もなかった。
唯 あまりにも凄腕なのに舌を巻いたのだ。
同じ土佐藩で坂本竜馬と共に一緒に遊んだ仲ではあるが竜馬は倒幕の志、伊蔵は幕閣の犬・・・
何処でどう道が違ったのかいまだに謎である。
唯 云えるのは将来を見据えて行動する能力の有る無しの問題であろうか。
剣のみで生きる伊蔵には時代のうねりが判らなかったのであろうか・・・
伊蔵の塒はこの山科に決めていた。
後ろが竹薮で もし不意を突かれて闘う羽目になった時竹薮は非常に有利だからだ。
何より居心地が良い、お定はやきもち焼きではあるが気風が良い、そして肝が据わっている。
そして可愛いお夕が居る。毎晩腰が抜ける程楽しんでいたのである。
この頃には勤皇の志士達が次々と幕府方の人間を襲う事が多くなった。
江戸幕府は浪士隊を募り京に送り込んできた。
いよいよ京も風雲急を告げる様相を呈して来たのである。
「これは面白い事になりそうだぞ」
伊蔵は自分の活躍の場が出来る事ににんまりとしていた。
浪士隊にも腕に覚えの有る食い詰め浪人が全国から続々と入ってきた。
やがてそれが紆余曲折を経て新撰組となって行くのだが・・・
文久二年四月、薩摩藩主の父島津光候が勤皇急進派を千人引き連れて上京した。
一挙に関白九条尚忠と京都所司代を幽閉して倒幕の狼煙を挙げんとしたのだ。
薩摩藩主島津久光はその通報を公家方から受け その暴挙を止めんと使者を送ったのであるが・・・
説得に応じようとしない志士達を粛清の名の元に切り捨てたのである。
これが世に云う寺田屋騒動である。
その頃、伏見寺田屋は薩摩藩の定宿であった。
これで収まったかと見えた倒幕の狼煙は西国の武士達の心の怒りを買い 却って火に油を注ぐ結果になってしまったのである。
この事件は薩摩藩の内乱で片付けられたが日を追って京の都は不穏な空気に包まれていった。
伊蔵はよくお夕と京の町を散策して歩いた。
そしてこの宿は何々藩の定宿であるとか何処の廓に討幕派が多く集まる所か、又幕府側の連中は何処の廓に出入りしてるかとか調べていたのだ。
と 同時に京の町の隅々まで裏通りに至るまで知っておく必要が有ったからだ。
時々廓にも足を運んだ、が大して面白いとは思わなかった。
それよりお夕の方がはるかに好かったのである。
何より彼女は俗説に云う 数の子天井 と云う奴であった。
めったに出会える事のない名器なのだ。
そこに持って来て甘え上手である。伊蔵の手の届かぬ所まで気を利かせてくれる。
伊蔵は誰かの依頼を受ければ片っ端から切り捨てていった。
たとえそれが何の関係の無い人間でも・・・
10両盗めば首が飛ぶ(死罪)時代だ。
大店の主人が「あいつが目障りだ、殺してくれ」と依頼があれば簡単に引き受けた。
すると50両100両の金などすぐ手に入る。
志士を殺せば所司代から報奨金が出る、だがそれはお涙金程度だ。
誰かの依頼を受け仕事した方が金になる。
伊蔵はそうした仕事にも手を染めていたのである。
文久三年九月、正式に新撰組が発足した。
それまで浪士隊として京の治安を守ってはいたが食い詰め浪人の中には押し込み強盗、ゆすり等をする者も居て統制は全く取れていなかったのである。
新撰組 壬生の屯所にも出入りして屯所で出来ない やっかいな事は全て引き受け剛剣を振るった。
何時しか『壬生の狼』と呼ばれる様になって行ったのである。
だが岡田伊蔵の名は新撰組の記録には無い。
それは隊員には名を連ねていなかったからであろう。
新撰組では『局中御法度』なるものを発行して隊に離反する者を次々と死に追いやった。そして京の治安を守ろうとした訳だが 尊王攘夷論者は益々過激になり毎日が血で血を洗う抗争を起こす様になっていったのである。
今やどちらが善か悪か、各藩の力と幕府とどちらが強いか混沌とした中で新撰組は己の信ずる道を突き進んで行った。
京の治安を守る事で新撰組の評価は高まり町の人々に好意的に受け入れられる様になった。
又 伊蔵も刀の血糊の乾く間もなく勤皇の志士達を血祭りに上げていったのである。
そして帰るや否や井戸水で身体を洗いお夕を求めたのであった。
お夕もそれを待っていた。
仕事が終われば抱いて貰える、そして大層なお金が転がり込んでくる 嬉しくてたまらない。
身体を清めしがみ付いて行く。
あえぎ声が階下のお定に聞こえてくる。
お定は「糞っ」と舌打ちしてた。
今では海舟の下を離れ一匹狼となり依頼されれば誰彼なく切って捨てる。
飢える狼そのものであった。
一方竜馬はといえば薩長同盟を画策して薩摩の西郷と頻繁に会い長州を説得に奔走してたのである。
そうした世の動きを斜に見ながら伊蔵は迷っていた。
自分は何処に行けばいいのか?と・・・
一度竜馬に会おうか、これからこの国はどうなるのか?
それを知るには竜馬が一番である。
幼馴染の竜馬なら気を許して話が出来る。
一方竜馬は薩摩の公武合体論を唱える西郷達と尊王攘夷論者の長州藩との間に立ち苦慮していた。
どちらも倒幕の意思はある。
だがどちらも譲らぬ、兎に角頑固者同士だ。
竜馬は伊蔵に言った。
「幕府はこれまでよ、今のままでは西欧の列強にこの国を取られてしまう」「伊蔵、時代の足音が聞こえぬか」「もうすぐ刀の時代は終わる、これからはこれの時代よ、のう」
懐の拳銃を取り出し「土佐に帰れ、そして心も身体も清めて来い」と・・・
新撰組の活躍にも関わらずその頃 京の都は将に無法地帯であった。
昼と云わず夜と云わず抗争は続いたのである。
伊蔵は毎日その中を駆け回っていた。
どうやら倒幕派の方に分があるような気がする。
志士を応援し かくまう商家も多い・・・
あまりにも浪士隊の頃(新撰組発足前)恐れられ過ぎていたのだ。
伊蔵の逗留してる旅籠のお夕は「伊蔵さん、もう止めようよ」「お金なら充分稼いだわ、お夕と二人で田舎で静かに暮らそうよ」と言った。
土佐に戻ろうか・・・伊蔵は悩んでいた。
「どっち道何処かで野垂れ死にするんだろうなー」「二人で暮らすのも悪くはない」
後戻りするのは今しか無い・・・
だが戦乱の世になれば出世の糸口も開ける。
まだ伊蔵にはかっての関が原を夢見る心が何処かにあった。
元治元年、長州の武士が皇居、所司代に発砲した事から端を発し長州軍は倒幕の意思を持ち1250名の兵を進めた。
幕府は薩摩と手を組みそれを鎮圧したのである。
これで薩長同盟の芽は消えたかと思われた、が・・・竜馬は粘り強く同盟の重大さを説いて廻った。
しかしこの戦いは益々両藩の亀裂を大きく深めたのである。
伊蔵は独特の勘で「日本中 戦になるな」と読んだ。
だが勝敗はどちらになるか? それが判らぬ。
「俺はどうしても勝ち馬に乗らなくては駄目だ」と・・・
諸外国では虎視眈々と日本を植民地にしようと狙ってる。
それは伊蔵にも解ってきていた。
五月半ば・・・・
志士達に不穏な動きあり。
有る筋から情報を得た伊蔵はそれを新撰組局長近藤に告げるかどうか迷った。
このまま土佐に戻るとすれば胸に締まって旅立てばよい。
だ「№ 3」
がまだ京に残るとするなら知らせるべきであろう。
貧乏な下級武士で終わるのか、この戦いの中で高禄で召抱えられる様な働きを見せるか・・・
お夕の温もりの中で考えの行方を想像してた。
人斬り家業も楽ではない。
『鏡新明智流』では誰にも負けた事はない。
又、他の流派にも引けはとらぬ。
戦ともなれば尚更占めたものだ。
「こうなれば占めたもの、俺の働きを存分に見せつけてやる、運が俺に廻って来るかも」・・・
日頃から使い走りさせてる下っ引きの正二がやってきた。
彼は唯の下っ引きではない。
時々商家の弱みを握りゆすりたかりをして小銭を稼ぐケチな野郎である。
だが伊蔵の前に出ると借りてきた猫の様に大人しく言う事を聞くのだ。
伊蔵の剣の凄さを知り「この人に付いて行けば商家をゆするより良い金儲けが出来る」と踏んで自分から子分に成った男である。
「だんな、判りましたぜ、六月半ば池田屋ともうひとつがはっきりしないんですけどね」
「志士たちが大勢集まるって事で」
伊蔵は「よし!乗ってみるか」と 近藤の下を訪れた。
これが世に言う『池田屋騒動』の始まりである。
近藤は配下の者数名を町人姿にしてあちらこちらから情報を集めた。
伊蔵は近藤から報奨金を受け取り、お夕への簪を買った。
日頃何もしてやってない男の不器用な感謝の気持ちだった。
元治元年六月五日
『誠』の旗をなびかせて一路池田屋へ・・・
もう一斑は情報にあるもう一軒の宿に向かったのである。
雨戸を蹴破り「新撰組だ、宿改めをするぞ!」近藤の一声で一斉になだれ込んだ。
最初は新撰組に分は無かった。
勢い良く乗り込んだものの二班に別れていた為 劣勢は免れなかったのだった。
階段の途中で阻止され近藤以下配下の者も苦戦を強いられた。
遅れて来た土方が乗り込むのがもう少し遅れていたら歴史は変わっていただろう。
勢い付いた新撰組の面々は一斉に雪崩れ込んだのであった。
将に地獄絵図だ、遅れて来た土方、沖田と共に志士達を斬り捲ったのである。
窓から逃げる者達は下で待ち受けていた伊蔵達が一掃したのであった。
この池田屋事件によって明治新政府が一年遅れたと言われている。
しかし主だった者数名を取り逃がした。
そしてこの事件を期に全国で倒幕の狼煙が上がった事は確かである。
又 近藤はなかなか人を信用しない。
かって郷士であった頃『天然理心流』の道場を開いていた頃の仲間だけは信じていた様子だ。
自分と意見が合わぬ者はことごとく排斥したのである。
だから伊蔵の様な使い手でも土佐の出身と云うだけで心から信じていなかった。
もし幕府軍が勝ったとしても取り立てて貰う事は出来なかったに違いない。
この頃の京では人が殺されるのは日常茶飯事である。
お夕もそれを見てもさして驚く様子もなかった。
唯 あまりにも凄腕なのに舌を巻いたのだ。
同じ土佐藩で坂本竜馬と共に一緒に遊んだ仲ではあるが竜馬は倒幕の志、伊蔵は幕閣の犬・・・
何処でどう道が違ったのかいまだに謎である。
唯 云えるのは将来を見据えて行動する能力の有る無しの問題であろうか。
剣のみで生きる伊蔵には時代のうねりが判らなかったのであろうか・・・
伊蔵の塒はこの山科に決めていた。
後ろが竹薮で もし不意を突かれて闘う羽目になった時竹薮は非常に有利だからだ。
何より居心地が良い、お定はやきもち焼きではあるが気風が良い、そして肝が据わっている。
そして可愛いお夕が居る。毎晩腰が抜ける程楽しんでいたのである。
この頃には勤皇の志士達が次々と幕府方の人間を襲う事が多くなった。
江戸幕府は浪士隊を募り京に送り込んできた。
いよいよ京も風雲急を告げる様相を呈して来たのである。
「これは面白い事になりそうだぞ」
伊蔵は自分の活躍の場が出来る事ににんまりとしていた。
浪士隊にも腕に覚えの有る食い詰め浪人が全国から続々と入ってきた。
やがてそれが紆余曲折を経て新撰組となって行くのだが・・・
文久二年四月、薩摩藩主の父島津光候が勤皇急進派を千人引き連れて上京した。
一挙に関白九条尚忠と京都所司代を幽閉して倒幕の狼煙を挙げんとしたのだ。
薩摩藩主島津久光はその通報を公家方から受け その暴挙を止めんと使者を送ったのであるが・・・
説得に応じようとしない志士達を粛清の名の元に切り捨てたのである。
これが世に云う寺田屋騒動である。
その頃、伏見寺田屋は薩摩藩の定宿であった。
これで収まったかと見えた倒幕の狼煙は西国の武士達の心の怒りを買い 却って火に油を注ぐ結果になってしまったのである。
この事件は薩摩藩の内乱で片付けられたが日を追って京の都は不穏な空気に包まれていった。
伊蔵はよくお夕と京の町を散策して歩いた。
そしてこの宿は何々藩の定宿であるとか何処の廓に討幕派が多く集まる所か、又幕府側の連中は何処の廓に出入りしてるかとか調べていたのだ。
と 同時に京の町の隅々まで裏通りに至るまで知っておく必要が有ったからだ。
時々廓にも足を運んだ、が大して面白いとは思わなかった。
それよりお夕の方がはるかに好かったのである。
何より彼女は俗説に云う 数の子天井 と云う奴であった。
めったに出会える事のない名器なのだ。
そこに持って来て甘え上手である。伊蔵の手の届かぬ所まで気を利かせてくれる。
伊蔵は誰かの依頼を受ければ片っ端から切り捨てていった。
たとえそれが何の関係の無い人間でも・・・
10両盗めば首が飛ぶ(死罪)時代だ。
大店の主人が「あいつが目障りだ、殺してくれ」と依頼があれば簡単に引き受けた。
すると50両100両の金などすぐ手に入る。
志士を殺せば所司代から報奨金が出る、だがそれはお涙金程度だ。
誰かの依頼を受け仕事した方が金になる。
伊蔵はそうした仕事にも手を染めていたのである。
文久三年九月、正式に新撰組が発足した。
それまで浪士隊として京の治安を守ってはいたが食い詰め浪人の中には押し込み強盗、ゆすり等をする者も居て統制は全く取れていなかったのである。
新撰組 壬生の屯所にも出入りして屯所で出来ない やっかいな事は全て引き受け剛剣を振るった。
何時しか『壬生の狼』と呼ばれる様になって行ったのである。
だが岡田伊蔵の名は新撰組の記録には無い。
それは隊員には名を連ねていなかったからであろう。
新撰組では『局中御法度』なるものを発行して隊に離反する者を次々と死に追いやった。そして京の治安を守ろうとした訳だが 尊王攘夷論者は益々過激になり毎日が血で血を洗う抗争を起こす様になっていったのである。
今やどちらが善か悪か、各藩の力と幕府とどちらが強いか混沌とした中で新撰組は己の信ずる道を突き進んで行った。
京の治安を守る事で新撰組の評価は高まり町の人々に好意的に受け入れられる様になった。
又 伊蔵も刀の血糊の乾く間もなく勤皇の志士達を血祭りに上げていったのである。
そして帰るや否や井戸水で身体を洗いお夕を求めたのであった。
お夕もそれを待っていた。
仕事が終われば抱いて貰える、そして大層なお金が転がり込んでくる 嬉しくてたまらない。
身体を清めしがみ付いて行く。
あえぎ声が階下のお定に聞こえてくる。
お定は「糞っ」と舌打ちしてた。
今では海舟の下を離れ一匹狼となり依頼されれば誰彼なく切って捨てる。
飢える狼そのものであった。
一方竜馬はといえば薩長同盟を画策して薩摩の西郷と頻繁に会い長州を説得に奔走してたのである。
そうした世の動きを斜に見ながら伊蔵は迷っていた。
自分は何処に行けばいいのか?と・・・
一度竜馬に会おうか、これからこの国はどうなるのか?
それを知るには竜馬が一番である。
幼馴染の竜馬なら気を許して話が出来る。
一方竜馬は薩摩の公武合体論を唱える西郷達と尊王攘夷論者の長州藩との間に立ち苦慮していた。
どちらも倒幕の意思はある。
だがどちらも譲らぬ、兎に角頑固者同士だ。
竜馬は伊蔵に言った。
「幕府はこれまでよ、今のままでは西欧の列強にこの国を取られてしまう」「伊蔵、時代の足音が聞こえぬか」「もうすぐ刀の時代は終わる、これからはこれの時代よ、のう」
懐の拳銃を取り出し「土佐に帰れ、そして心も身体も清めて来い」と・・・
新撰組の活躍にも関わらずその頃 京の都は将に無法地帯であった。
昼と云わず夜と云わず抗争は続いたのである。
伊蔵は毎日その中を駆け回っていた。
どうやら倒幕派の方に分があるような気がする。
志士を応援し かくまう商家も多い・・・
あまりにも浪士隊の頃(新撰組発足前)恐れられ過ぎていたのだ。
伊蔵の逗留してる旅籠のお夕は「伊蔵さん、もう止めようよ」「お金なら充分稼いだわ、お夕と二人で田舎で静かに暮らそうよ」と言った。
土佐に戻ろうか・・・伊蔵は悩んでいた。
「どっち道何処かで野垂れ死にするんだろうなー」「二人で暮らすのも悪くはない」
後戻りするのは今しか無い・・・
だが戦乱の世になれば出世の糸口も開ける。
まだ伊蔵にはかっての関が原を夢見る心が何処かにあった。
元治元年、長州の武士が皇居、所司代に発砲した事から端を発し長州軍は倒幕の意思を持ち1250名の兵を進めた。
幕府は薩摩と手を組みそれを鎮圧したのである。
これで薩長同盟の芽は消えたかと思われた、が・・・竜馬は粘り強く同盟の重大さを説いて廻った。
しかしこの戦いは益々両藩の亀裂を大きく深めたのである。
伊蔵は独特の勘で「日本中 戦になるな」と読んだ。
だが勝敗はどちらになるか? それが判らぬ。
「俺はどうしても勝ち馬に乗らなくては駄目だ」と・・・
諸外国では虎視眈々と日本を植民地にしようと狙ってる。
それは伊蔵にも解ってきていた。
五月半ば・・・・
志士達に不穏な動きあり。
有る筋から情報を得た伊蔵はそれを新撰組局長近藤に告げるかどうか迷った。
このまま土佐に戻るとすれば胸に締まって旅立てばよい。
だ「№ 3」
がまだ京に残るとするなら知らせるべきであろう。
貧乏な下級武士で終わるのか、この戦いの中で高禄で召抱えられる様な働きを見せるか・・・
お夕の温もりの中で考えの行方を想像してた。
人斬り家業も楽ではない。
『鏡新明智流』では誰にも負けた事はない。
又、他の流派にも引けはとらぬ。
戦ともなれば尚更占めたものだ。
「こうなれば占めたもの、俺の働きを存分に見せつけてやる、運が俺に廻って来るかも」・・・
日頃から使い走りさせてる下っ引きの正二がやってきた。
彼は唯の下っ引きではない。
時々商家の弱みを握りゆすりたかりをして小銭を稼ぐケチな野郎である。
だが伊蔵の前に出ると借りてきた猫の様に大人しく言う事を聞くのだ。
伊蔵の剣の凄さを知り「この人に付いて行けば商家をゆするより良い金儲けが出来る」と踏んで自分から子分に成った男である。
「だんな、判りましたぜ、六月半ば池田屋ともうひとつがはっきりしないんですけどね」
「志士たちが大勢集まるって事で」
伊蔵は「よし!乗ってみるか」と 近藤の下を訪れた。
これが世に言う『池田屋騒動』の始まりである。
近藤は配下の者数名を町人姿にしてあちらこちらから情報を集めた。
伊蔵は近藤から報奨金を受け取り、お夕への簪を買った。
日頃何もしてやってない男の不器用な感謝の気持ちだった。
元治元年六月五日
『誠』の旗をなびかせて一路池田屋へ・・・
もう一斑は情報にあるもう一軒の宿に向かったのである。
雨戸を蹴破り「新撰組だ、宿改めをするぞ!」近藤の一声で一斉になだれ込んだ。
最初は新撰組に分は無かった。
勢い良く乗り込んだものの二班に別れていた為 劣勢は免れなかったのだった。
階段の途中で阻止され近藤以下配下の者も苦戦を強いられた。
遅れて来た土方が乗り込むのがもう少し遅れていたら歴史は変わっていただろう。
勢い付いた新撰組の面々は一斉に雪崩れ込んだのであった。
将に地獄絵図だ、遅れて来た土方、沖田と共に志士達を斬り捲ったのである。
窓から逃げる者達は下で待ち受けていた伊蔵達が一掃したのであった。
この池田屋事件によって明治新政府が一年遅れたと言われている。
しかし主だった者数名を取り逃がした。
そしてこの事件を期に全国で倒幕の狼煙が上がった事は確かである。
又 近藤はなかなか人を信用しない。
かって郷士であった頃『天然理心流』の道場を開いていた頃の仲間だけは信じていた様子だ。
自分と意見が合わぬ者はことごとく排斥したのである。
だから伊蔵の様な使い手でも土佐の出身と云うだけで心から信じていなかった。
もし幕府軍が勝ったとしても取り立てて貰う事は出来なかったに違いない。
『幕末異聞』
「№ 1」
その男は深編み笠に着流しと云う奇妙な格好でぶらりとやって来た。
およそ旅人の風体ではない。
得体の知れない無口な男であった。
女将のお定は流行らないこの旅籠に客が来た事を不振に思ったが何はともあれ喜んだ。
「半年、いや一年か二年になるか・・・世話になるぞ」
何する訳でもなく娘お夕と竹薮でふざけたり近くの小川で釣りを楽しんだり、しかし金払いはいい。
時々江戸からの書簡が来た。
見るとも無く差出人の名を見て驚いたのである。
およそこの旅籠に泊まる様な方ではない「このお侍はきっと偉い人なんだ」と・・・
お定の勘違いからその武士への対応振りがガラリと変わった。
決して粗末には出来ない客だ、と・・・
何かと身の回りの世話まで甲斐甲斐しくする様になったのである。
お定に取って金払いが良く若くて いい男のこの客はたまらない上客であった。
何時かねんごろになり自分の男にしてみたい、と不埒な考えを持ったのである。
「うふふ・・・美味しそうな身体、男ぶりもいいし 何が何でも物にしてみせるわ」と・・・
お定には二人の娘がいた。
姉の方は祇園の芸者、妹の方もいずれ置屋に引き取って貰う腹で芸事だけは熱心に通わせていた。
そのどちらも父親の名も判らぬ娘であった。
要するにお定は尻軽女、泊り客とすぐねんごろになり出来てしまった子である。
だがそれが二人とも近所で評判の器量好しときてる。
子供の頃姉妹は近所の者達から「お前の母ちゃんすぐ転ぶ、擂粉木無ければ生きられぬ」と いじめれられ続けていた。
だが育って行くうちにあまりの器量の好さに誰もそんな事は言わなくなったのである。
「今度の客はきっと所司代に関係のある方に違いない、下の娘を差し出せばきっと良い事があるだろう」「しかしその前に私がたっぷり楽しんで味見をしてからだな」と、舌なめずりしてほくそ笑んだ。
案の定、お定の作戦は図に当たった。
風呂に入れば背中を流す、枕元には春画、四十八手の本を置いておく。
若い男にはこれは辛い・・・
さんざじらせて置いてある夜そっと布団の裾から身ったを滑らせて行ったのである。
「うん、これは娘にはもったいない、私が戴いてしまうか」
性悪女のお定には涼しげな目鼻立ちのその男を他の女に取られるのが惜しくなった。
勿論娘お夕にもだ。
そして娘を早く置屋に売り飛ばす事を考えた。
が 高値で売るにはもう少し芸事を仕込まなくてはならぬ。
そこでお夕に因果を含める様に「あのお侍は大事な仕事を抱えておいでの方なんだから邪魔になってはいけない」「あまり近ずくんじゃ無いよ」と言った。
しかしまだ十五歳のお夕にはそれが何を意味するものか解らなかったのだ。
毎日川遊びをしたり京の町を案内したり、竹林の中で追いかけっこをして楽しんでいた。
ある夜 江戸からの手紙を見た男は ある店の事を知りたくてお夕の部屋の障子戸を開けた。
お夕なら知ってると思ったのであるがそこで見てはならないものを見てしまった。
春画、色本を前にあられもない姿でマスターベーションをしていたのである。
無理も無い、年頃のそれもお定の血を引く娘である。
「あっ あら・・・恥ずかしい」とは言ったものの途中で止める訳にも行かず「ねえ、見てるだけではつまんないでしょう、ちょっと触ってみてよ」
十五歳と云えばもう大人なのだ。
その夜、男は一睡も出来なかった。
若いはちきれんばかりのお夕の身体を見て身体がうずいて仕方が無かったのである。
翌日釣り糸をたれながら男はお夕に聞いた。
「俺が嫌いか?」
お夕は黙って頬を染め男の背中にしがみ付いて来たのである。
裏の竹林の中で二人は結ばれた。
さすがお定の娘である、やる事が早い。
だが母親お定には黙っている事にした。
それからのお夕は人前もはばからず男にしだれ掛かり誰の眼にも二人の関係が判る様になってしまった。
知らぬはお定だけ・・・周囲の人間はお定の性格から何を仕出かすかを想像し黙っていたのだった。
「お定の奴 どうするかな?」「娘相手じゃ仕様が無かろう」「でも一喧嘩するんじゃないか・・・」
次第に家の中でも大胆になってゆく娘にお定が気が付かぬはずが無い。
「この恥知らず!誰のお陰でここまで育ったと思ってるんだっ」「あの人に近ずくなって言っただろう」
お夕は澄まして「だって母ちゃんの子だもん、血筋よ血筋・・・」「あの人は私のものよ、でも母ちゃんが可哀想だから10日に一晩だけ貸してあげるよ」と・・・
「ちっ!」と舌打ちしてお定も諦める事にした。
それからはお夕が男の世話をする様になったのである。
だが10日に一度の夜も次第に男は応じてくれない。
すっかりお夕に前の晩攻められ続け 男の一物が言う事を効いてくれないのだ。
お定は諦めざるを得なかった。
久しぶりに姉の芸者 お葉が帰って来た。
「いい男だねー・・あれがお夕の旦那かい?」
お定は恨めしげに「あの泥棒猫にやられた」と言ったが、お葉は「さすが母さんの娘だよ」と笑っていただけであった。
帰り際に「それにしてもいい男だよねー、あんな男に抱かれてみたいもんだよ」と・・・
お葉は祇園の芸者置屋に売られ見受けされたものの その旦那が一年持たずにあの世に行ったものだから三味線、小唄を教え気楽な生活をしていた。
時々習いに来る男をくわえ込んで気ままに生きてきたのであった。
それから二三日後 一通の封書が届いた。
男は何事か考えている様子でお夕に「街道から川に入る道はあるのか」と尋ねたのである。
お夕は「有るよ、もう少し先の所、家がなくなった辺りに」と・・・
男はニヤリと笑い「ちょっと細工をしてみるか」鋸と杭を持って何事か始めたのである。
『これより西へ三里』墨跡も黒々とそう書いて釜戸の煤を振りかけた。
街道の通行人が間違えて川の方に導かれる様に細工をしたのだった。
男の顔は何時もの優しい顔が一変して厳しいものになっていた。
そして旅籠の二階から少し障子を空け外を伺いながらチビリチビリと酒を飲み始めたのだ。
長期戦になるかもしれない。
だからこうして待つのが一番得策だ・・・と考えての事だった。
そして一日二日・・・・
「今日も空振りか」呻く様につぶやき壁にもたれて眼を瞑り何事か考えている様子だった。
「俺が見ていない時 お夕、お前が見張っててくれ、あの道しるべの先の大杉の所に侍が来たら知らせてくれ」そう言ってごろりと横になった。
男は遠く古里 土佐の地を思い出していた。
赤い夕日が沈むまで遊び回った幼い日々を・・・
時は文久元年、各地を放浪して歩いたが何も良い話は聞かぬ。
対馬にはロシアの軍団が上陸し戦っていると云うのに幕府にはもう対抗する力は無い。
長州、薩摩、土佐、肥後の若い連中が尊皇攘夷を唱えているが何処も一枚板ではない。
又、戦国の世が来るのか・・・
しかし今の各藩にも幕府に刃向かう力は無かろう。
「今は模様眺めの時か・・・どちらに組しても碌な事はなかろう」
トントントン・・・階段を上がる音がしてお夕が部屋に入ってきた。
「もうお酒が切れる頃だから持ってきたよ」
「まだ待ち人来たらず・・ですか?」
「うん まあな・・・」
男の名は『岡田伊蔵』 後年人斬り伊蔵と恐れられた男である。
現在は勝海舟の客分兼用心棒、いわばはぐれ犬であった。
彼はある男、松蔭門下の伊藤作佐右ヱ門を待っていたのだ。
海舟の依頼で「どうしても京に入れては都合が悪い、場合によっては切り捨ててよし」
と・・・・
彼はひたすら待ち続けた。
それから三日後ついにかの人物は現れたのである。
脱兎の如く階段を駆け下り竹林を抜け川岸に向かった。
お夕も後から付いて走った。
「きっと斬り合いになる、面白い 伊蔵さんどの位強いのかな?」と・・・
「おぬし、ここから先には行かせぬ」「黙って来た道を帰れ」
伊藤は共の二人に守られ「おぬしこそ何者なんだ、切り捨てても拙者は行くぞ」
「拙者か・・・はっはっは」「無事通り抜けられるかな」
「親、兄弟が居るのだろう、命を粗末にするな」
共の二人が刀の鞘を祓った。
待っていたかの様に伊蔵の剣が唸ったのである。
三名共一瞬のうちに絶命したのだった。
「№ 1」
その男は深編み笠に着流しと云う奇妙な格好でぶらりとやって来た。
およそ旅人の風体ではない。
得体の知れない無口な男であった。
女将のお定は流行らないこの旅籠に客が来た事を不振に思ったが何はともあれ喜んだ。
「半年、いや一年か二年になるか・・・世話になるぞ」
何する訳でもなく娘お夕と竹薮でふざけたり近くの小川で釣りを楽しんだり、しかし金払いはいい。
時々江戸からの書簡が来た。
見るとも無く差出人の名を見て驚いたのである。
およそこの旅籠に泊まる様な方ではない「このお侍はきっと偉い人なんだ」と・・・
お定の勘違いからその武士への対応振りがガラリと変わった。
決して粗末には出来ない客だ、と・・・
何かと身の回りの世話まで甲斐甲斐しくする様になったのである。
お定に取って金払いが良く若くて いい男のこの客はたまらない上客であった。
何時かねんごろになり自分の男にしてみたい、と不埒な考えを持ったのである。
「うふふ・・・美味しそうな身体、男ぶりもいいし 何が何でも物にしてみせるわ」と・・・
お定には二人の娘がいた。
姉の方は祇園の芸者、妹の方もいずれ置屋に引き取って貰う腹で芸事だけは熱心に通わせていた。
そのどちらも父親の名も判らぬ娘であった。
要するにお定は尻軽女、泊り客とすぐねんごろになり出来てしまった子である。
だがそれが二人とも近所で評判の器量好しときてる。
子供の頃姉妹は近所の者達から「お前の母ちゃんすぐ転ぶ、擂粉木無ければ生きられぬ」と いじめれられ続けていた。
だが育って行くうちにあまりの器量の好さに誰もそんな事は言わなくなったのである。
「今度の客はきっと所司代に関係のある方に違いない、下の娘を差し出せばきっと良い事があるだろう」「しかしその前に私がたっぷり楽しんで味見をしてからだな」と、舌なめずりしてほくそ笑んだ。
案の定、お定の作戦は図に当たった。
風呂に入れば背中を流す、枕元には春画、四十八手の本を置いておく。
若い男にはこれは辛い・・・
さんざじらせて置いてある夜そっと布団の裾から身ったを滑らせて行ったのである。
「うん、これは娘にはもったいない、私が戴いてしまうか」
性悪女のお定には涼しげな目鼻立ちのその男を他の女に取られるのが惜しくなった。
勿論娘お夕にもだ。
そして娘を早く置屋に売り飛ばす事を考えた。
が 高値で売るにはもう少し芸事を仕込まなくてはならぬ。
そこでお夕に因果を含める様に「あのお侍は大事な仕事を抱えておいでの方なんだから邪魔になってはいけない」「あまり近ずくんじゃ無いよ」と言った。
しかしまだ十五歳のお夕にはそれが何を意味するものか解らなかったのだ。
毎日川遊びをしたり京の町を案内したり、竹林の中で追いかけっこをして楽しんでいた。
ある夜 江戸からの手紙を見た男は ある店の事を知りたくてお夕の部屋の障子戸を開けた。
お夕なら知ってると思ったのであるがそこで見てはならないものを見てしまった。
春画、色本を前にあられもない姿でマスターベーションをしていたのである。
無理も無い、年頃のそれもお定の血を引く娘である。
「あっ あら・・・恥ずかしい」とは言ったものの途中で止める訳にも行かず「ねえ、見てるだけではつまんないでしょう、ちょっと触ってみてよ」
十五歳と云えばもう大人なのだ。
その夜、男は一睡も出来なかった。
若いはちきれんばかりのお夕の身体を見て身体がうずいて仕方が無かったのである。
翌日釣り糸をたれながら男はお夕に聞いた。
「俺が嫌いか?」
お夕は黙って頬を染め男の背中にしがみ付いて来たのである。
裏の竹林の中で二人は結ばれた。
さすがお定の娘である、やる事が早い。
だが母親お定には黙っている事にした。
それからのお夕は人前もはばからず男にしだれ掛かり誰の眼にも二人の関係が判る様になってしまった。
知らぬはお定だけ・・・周囲の人間はお定の性格から何を仕出かすかを想像し黙っていたのだった。
「お定の奴 どうするかな?」「娘相手じゃ仕様が無かろう」「でも一喧嘩するんじゃないか・・・」
次第に家の中でも大胆になってゆく娘にお定が気が付かぬはずが無い。
「この恥知らず!誰のお陰でここまで育ったと思ってるんだっ」「あの人に近ずくなって言っただろう」
お夕は澄まして「だって母ちゃんの子だもん、血筋よ血筋・・・」「あの人は私のものよ、でも母ちゃんが可哀想だから10日に一晩だけ貸してあげるよ」と・・・
「ちっ!」と舌打ちしてお定も諦める事にした。
それからはお夕が男の世話をする様になったのである。
だが10日に一度の夜も次第に男は応じてくれない。
すっかりお夕に前の晩攻められ続け 男の一物が言う事を効いてくれないのだ。
お定は諦めざるを得なかった。
久しぶりに姉の芸者 お葉が帰って来た。
「いい男だねー・・あれがお夕の旦那かい?」
お定は恨めしげに「あの泥棒猫にやられた」と言ったが、お葉は「さすが母さんの娘だよ」と笑っていただけであった。
帰り際に「それにしてもいい男だよねー、あんな男に抱かれてみたいもんだよ」と・・・
お葉は祇園の芸者置屋に売られ見受けされたものの その旦那が一年持たずにあの世に行ったものだから三味線、小唄を教え気楽な生活をしていた。
時々習いに来る男をくわえ込んで気ままに生きてきたのであった。
それから二三日後 一通の封書が届いた。
男は何事か考えている様子でお夕に「街道から川に入る道はあるのか」と尋ねたのである。
お夕は「有るよ、もう少し先の所、家がなくなった辺りに」と・・・
男はニヤリと笑い「ちょっと細工をしてみるか」鋸と杭を持って何事か始めたのである。
『これより西へ三里』墨跡も黒々とそう書いて釜戸の煤を振りかけた。
街道の通行人が間違えて川の方に導かれる様に細工をしたのだった。
男の顔は何時もの優しい顔が一変して厳しいものになっていた。
そして旅籠の二階から少し障子を空け外を伺いながらチビリチビリと酒を飲み始めたのだ。
長期戦になるかもしれない。
だからこうして待つのが一番得策だ・・・と考えての事だった。
そして一日二日・・・・
「今日も空振りか」呻く様につぶやき壁にもたれて眼を瞑り何事か考えている様子だった。
「俺が見ていない時 お夕、お前が見張っててくれ、あの道しるべの先の大杉の所に侍が来たら知らせてくれ」そう言ってごろりと横になった。
男は遠く古里 土佐の地を思い出していた。
赤い夕日が沈むまで遊び回った幼い日々を・・・
時は文久元年、各地を放浪して歩いたが何も良い話は聞かぬ。
対馬にはロシアの軍団が上陸し戦っていると云うのに幕府にはもう対抗する力は無い。
長州、薩摩、土佐、肥後の若い連中が尊皇攘夷を唱えているが何処も一枚板ではない。
又、戦国の世が来るのか・・・
しかし今の各藩にも幕府に刃向かう力は無かろう。
「今は模様眺めの時か・・・どちらに組しても碌な事はなかろう」
トントントン・・・階段を上がる音がしてお夕が部屋に入ってきた。
「もうお酒が切れる頃だから持ってきたよ」
「まだ待ち人来たらず・・ですか?」
「うん まあな・・・」
男の名は『岡田伊蔵』 後年人斬り伊蔵と恐れられた男である。
現在は勝海舟の客分兼用心棒、いわばはぐれ犬であった。
彼はある男、松蔭門下の伊藤作佐右ヱ門を待っていたのだ。
海舟の依頼で「どうしても京に入れては都合が悪い、場合によっては切り捨ててよし」
と・・・・
彼はひたすら待ち続けた。
それから三日後ついにかの人物は現れたのである。
脱兎の如く階段を駆け下り竹林を抜け川岸に向かった。
お夕も後から付いて走った。
「きっと斬り合いになる、面白い 伊蔵さんどの位強いのかな?」と・・・
「おぬし、ここから先には行かせぬ」「黙って来た道を帰れ」
伊藤は共の二人に守られ「おぬしこそ何者なんだ、切り捨てても拙者は行くぞ」
「拙者か・・・はっはっは」「無事通り抜けられるかな」
「親、兄弟が居るのだろう、命を粗末にするな」
共の二人が刀の鞘を祓った。
待っていたかの様に伊蔵の剣が唸ったのである。
三名共一瞬のうちに絶命したのだった。
『一人ぽっちのクリスマス』
№ 1
詩織は今日も行き付けのホテル最上階の喫茶店で ぼんやり遠くかすむレインボーブリッジを見てた。
グレードの高いこのホテルは誰にも邪魔されず、自分の時間を充分持つ事が出来るのだ。
客の全てとは言わないが企業経営者、今流行の起業家の多くが利用してる隠れた情報交換所である。
三年ほど前から詩織も此処の常連として疲れた身体と心をリフレッシュさせに来る様になっていた。
そしてテーブルの上の企画書を整理してファイルに入れ席を立った。
何時もの事ながら心が寒い。
「あの人が居なくなってもう6年か・・・何故私には運が無いのだろう」
もうすぐ32歳になろうとしてるのに・・・淋しくて泣きたくなった。
海に向かって夜の高速を走らせ薄い色のサングラスの奥の眼の潤みを吹き飛ばした。
大手精密機器会社の企画課長、美人で頭も良く よく気が付く。
なのに何故か言い寄って来る男性が一人も居ない。
素敵なマンションに住み何不自由なく暮らしている。
が しかし彼と呼べる人がいない。
何時も心に隙間風が吹いていた。
だが最初から彼女はそうでは無かった。
高校大学と詩織は男達の注目の的であった。
美人で聡明な彼女の一挙手一投足が男たちの心を揺さ振ったものだ。
有名大学の華 今中詩織は友人達からミスキャンバスに推薦された事も・・・
しかし『そんな事 恥ずかしい」と辞退し続け 一度も出た事はなかった。
だが皆 思っていた。
学園一の美人は詩織であると・・・
又 女性達もそう思っていたのである。
そして卒業後ごく普通の会社に就職したのだった。
いきなり社長付の秘書課に配属された。
そこでも遺憾なく能力を発揮して社長の絶対的な信頼を得たのであった。
元々上昇志向の強い女性である。
あらゆる資格は片っ端から取った。
ある日、取引先の社長から酒宴の席上こんな事を言われた。
「世の中には男が好む女性が三タイプある、、ひとつは所謂美人だが昔から美人は三日見たら飽きる、後二つはごく普通の女の子だが何か支えてあげないと駄目だな と思わせる可愛い子、最後は美しい人だ」「美人と美しい人とどう違うんですか?」
笑いながら「美人は顔 スタイルが良ければ馬鹿でもなれる、しかし美しい人は知識 教養 そして機転も利かなきゃいけないし常識が備わっていなければならない」「さて詩織君はどちらかな?」と・・・
顔を赤らめて「私は未だ勉強が足りませんから・・・それに特別美人でもありませんし」と答えたのであった。
「いやいや 謙遜しなくてもいいんだよ、全てをクリアした立派な美しい人だ」「でも若い人達は誰も声を掛けてくれません、ちょっと淋しいな」
「それはね、若い連中には近付き難い雰囲気があるのだろう、後は愛嬌だな」と彼の社長はそう言った。
それからの詩織は出来るだけ笑顔を絶やさぬ事を心掛けたのだった。
すると どうであろう あちらからも此方からも声を掛けられる様になったのである。
恋人候補は山程集まった。
選り取り見取りである。
元々詩織は体育系の逞しい男性が好きだった。
その中の一人山崎光世を選んだのである。
毎週の日曜日のデートが楽しみになった。
会社帰りの喫茶店でのお喋りも・・・
しかし彼の話も次第に鼻に衝くようになってきた。
何時も自分の自慢話をする、やたらと鍛えられた腕の筋肉を見せたがる。
彼女はそんなもの望んではいなかった。
将来どう生きたいか、どんな事を努力してるのか、それが知りたかったのだ。
だが彼女の望むものは全く出て来なかったのである。
そして ある夜、居酒屋を出た所で街の不良共に囲まれ因縁を付けられたのだ。
「何だ この野郎」 そこまでは威勢が良かった。
「おう、やってやろうじゃないか」 途端に彼は踵を返しスタコラサッサと逃げ出してしまったのである。
詩織ひとりを残し・・・
たまたま通り掛った警察官に助けられた訳だが、あまりにも不甲斐ない彼に失望し涙が溢れた。
それから会社でも彼は詩織の前には現れなかった。
№ 2
彼女は完全に男性に失望した。
たまに皆で飲みに行く事はあっても恋人を作る気持ちは失せた。
あくまで友達以上の関係にはなる意思はなかった。
やがて入社して一年が経とうとしている時レストランでアメリカ青年と話をする機会があった。
語学には自信があったものの時々分からない言い回しに戸惑ったのである。
英語検定一級の彼女だがどうもおかしい。
「もっとアバウトに考えれば」と思っても何か窮屈だ。
「これは本場で勉強しなきゃいけないな」
そう思ったら行動は早かった。すぐ退社届けを出し留学の準備に取り掛かった。
秋の入学を目指し猛勉強を始めたのである。
いろんな大学の願書を取り寄せ 自分がこれから先どう云う道に進みたいか、それも考え合わせ学校選びをしたのであった。
詩織はまず心配したのは銃社会のアメリカにあって最も安全でレベルの高い大学である事・・・
先生と生徒の垣根の無いフレンドリーな学校に入りたいと思った。
そこで経営学を学びこれからの人生に生かそうと・・・そして選んだのがウィスコンシン州の大学だった。
ここは成績次第では飛び級もある。
奨学金制度もしっかりしてる。
一応アルバイトは禁止してるが学園内の至る所に職員として働く事が出来る事など、彼女の理想に近かったのだ。
何とか第一関門は突破した。
晴れてS大学の門をくぐった訳であるがそれからが大変である。
授業内容が日本と全く違うのである。
例えば例を取ってみれば世界史の場合 この時代アメリカでは何が起きたかと云う時ヨーロッパではどうだったか、日本では?と全世界的に俯瞰して見て行くのである。
決して一国の事だけ学ぶのでは無い。
そして生徒から何か質問があれば徹底的にミーティングするのだ。
だからよく脱線する。
そして宿題も半端ではない。
楽しい学園生活が地獄と化したのである。
毎日パソコンに向かって夜遅くまでレポートを書き上げるのだ。
そんな中で生徒同士、又先生も交えて連帯感も生まれて来るのであった。
思ったより皆 紳士淑女だ。
休憩時間等は大声で歌い、騒いだのである。
そして学期末、思い掛けない知らせが待っていた。
飛び級である。
いきなり一年生から三年生になったのだ。
そして奨学金も受けられる事になった。
だが授業内容はより難しくなった。
必死に勉強した、が「もう駄目」と思う日も何度か経験したのである。
しかし そんな中にあっても友人達は多く出来た。
よく遊び よく学んだ。
詩織は華奢な身体だが元気一杯だった。
ボーイフレンド達がミラクルガールと呼ぶ程何にでもチャレンジしたのである。
そして卒業証書を携えて日本に帰って来たのであった。
まず以前世話になった会社に挨拶に出かけて行った。
№ 3
社長は非常に喜んで迎えてくれたが彼女の力量を発揮出来るところは無かったのである。
社長の紹介で 以前美しい女の条件を教えてくれた沢田精密機器株式会社の社長のところで働く事になったのだった。
「おう、少しは女を磨いて来たか」笑って迎えてくれた。
詩織はどんどん新しい企画書を提出した。
上司の星野明宏はかなり厳しい注文を付け、その企画書の大半を社長に提言してくれたのである。
星野は多いに彼女の企画力のユニークさを買ってくれたのだった。
そんな星野を尊敬はしたが男としての魅力を感じなかった。
まず華奢である、神経質そうだ。
カリフォルニアの大学を出、その後シリコンバレーで数年働いていたと云う。
頭は良いのだろうけど何処か頼り無さげな雰囲気の男である。
身長は然程低くはないが縁無しメガネを掛け面長で如何にもオタクと云う感じだ。
「室長は学生時代何かスポーツをされた事有りますか」「うん、特別に無いねー・・・テニスを少しかじった事位かな」
「では今度教えてくださいよ」わざと悪戯をしてみたくなった。
そして次の日曜日テニスクラブに行ったのである。
車の運転も下手だ。
何度も切り返して汗をかきながら駐車場に入れた。
そしてラケットを二三回振った時「おやっこれは意外に巧いかも」と詩織は思ったのである。
だが いざコートに立った時彼女は完全に失望した。
詩織のサーブが返ってこない。
足が縺れてスッテンコロリン・・・
「これは駄目だ」小学生と遊んでやる様にゆっくりと柔らかく打ってやらなきゃ付いて来れないのだ。
汗を拭きながら「詩織君、強いねー・・・もう歳だから身体が付いて行かないよ」と。
心の中で「運動音痴」と呟きクラブの喫茶室でコーヒーを飲んだ。
「まだ三十代なんでしょう、もう少し足腰を鍛えなきゃ駄目ですよ」「いや、もうすぐ四十だよ・・・今度から時々教えてくれないかなー」
詩織が特別に強い訳ではない、彼女も学生時代ちょっとかじった程度だ。
他ならぬ上司の頼みである「私が手の空いた時ならね」と 受け答えしたのであった。
「暇つぶしには丁度良いか」と軽く返事をしたのである。
だが彼は毎週の様に土曜には「明日頼むよ」と言ってくるのだ。
ちょっとうるさくも感じた「あー・・・あ 軽く約束しなきゃ良かった」
詩織はちょっと後悔した。
が しかし喫茶室での話は軽妙で面白かった。
実に物知りである。
何時かその話が聞きたさにコートに来る様になってしまったのである。
そこで仕事に付いてもいろんなアイデアの交換もした。
まさに仕事場の延長のような感じだ。
が 職場で話せない様な突飛な話も飛び出す。
室長は男としてでは無く同志として尊敬と信頼をした。
時々ボートにも乗った。
しかしやっぱり漕ぐのは詩織の方だ。
彼は水を飛ばすだけで前へは進まない。
でも「面白い人」と彼女も苦にならなくなった。
「会社では何時も難しい顔してるのに」 ちょっと可笑しくなったのである。
そして夏が過ぎ涼しい風が吹く様になった頃・・・ひとつの事件が起きたのだった。
№ 4
テニスコートから少し離れた所に公園がある。
二人で散歩してた時若者達がふざけながら歩いて来た。
中の一人が「おい あいつら不倫カップルじゃないか?ちょっとからかってやろうか」
そう言って詩織に「姉ちゃん いいケツしてるじゃないか、俺達と遊ぼうや」と彼女に近付いて来たのであった。
「君達 失礼じゃないか、謝りなさい」「何だと、おじんが気の利いた台詞を言うじゃないか」「お前は引っ込んでろ」と星野明宏を突き飛ばしたのである。
「詩織君 逃げなさい」彼等が詩織に向かって行こうとするのを阻止してそう叫んだのだ。
尚も殴り掛かろうとしている彼等の前に立ちはだかり詩織を逃がそうと必死だった。
詩織はテニスコートに着くなり「助けて!明宏さんが暴漢に・・・」息が弾んで声が出なかった。
皆が駆けつけた時には明宏は顔中血を流し完全にノックアウトされていたのであった。
すぐ地元警察が来たが彼等は逃げた後だった。
彼は「詩織君、無事だったか、よかったよかった」と言って気を失ったのである。
詩織は此処に男の本当の強さを見たのであった。
嬉しくて涙が止まらなかった。
怪我は大した事はなかった。
鼻血が顔中に散って後は額を少し切り、両手に擦り傷程度だったが「弱い癖に いい格好して」と口では言ったものの「私の為に必死で戦ってくれたんだ」と感謝の気持ちで一杯だった。
それからの彼女が唯の上司としてではなく 男として尊敬と思慕の情を持つのに時間は掛からなかった。
暫くは額の絆創膏を見る度心が痛んだ。
詩織にとって初めて本当の愛を知った瞬間だった。
今まで軽い恋なら何度もした。
しかし非力な彼が彼女を守る為自分の身をも省みず戦ってくれた事が心を打った。
それからは彼女の方から積極的に誘う様になったのである。
ある日「奥入瀬の紅葉が美しいよ、一緒に見に行こう」と彼から誘われた時 天にも上る気持ち一杯で嬉しかった。
何より社長が以前「君もそろそろ身を固めたらどうだ」と星野に言ってたのを聞いて、その時は「オタクじゃ誰も相手にしてくれないわよ」と思っていた事が思い出された事にある。
「社長 驚くだろうなー」とクスリと笑えてきた。
が しかし彼はとんでもない方向音痴だった。
距離感もまるで分かっていない。
朝早く出れば夜には帰って来られると思っていた様だ。
11月の三連休、詩織は二泊するつもりで用意してたのであるが彼は何の用意もない。
唯 何時ものデコボコに凹んだ車では無くセルシオの新車でやって来たのである。
この日の為に買い換えたのだそうだ。
東北道をひたすら北へ・・・
「まだ青森までは遠いのかなー」クスリと笑って「今日中に着けばいいわよ、インター下りたら洋品店を探して下着だけは買いましょうね」
彼は眼を丸くして驚いていた。
「そうか、そんなに遠いのか」「もう少し近場にしておけば良かったかな」「何言ってんのよ 此処まで来て、さあスピード出して」と促して夕方洋品店の前に車を停めた。
そしてその店の女将さんに近くのホテルを探して貰って入った時は陽も暮れようとしてた時間だった。
ちょっと遅めの夕食を取りシャワーで軽く汗を流しベッドに着いたのは午後10時を廻っていた。
しかし彼はなかなかベッドに入って来ない。
詩織はじれったくなって「早くいらっしゃいよ、こんな事は男がリードするものよ」「いやー心の準備が出来てなくてね」「実は私は経験ないんだ」「えっ・・・?」
彼女は信じられなかったのである。
「40近くまで童貞君だとは・・・」開いた口が閉がらなかった。
詩織は困った。
今まで付き合った(と言っても特別遊んでた訳ではないが)皆男性がリードしてくれた。
だが今回は詩織が全てを教えねばならない。
№ 5
優しく服を脱がせながら「あんなにアメリカ生活長いのに本当に初めてなの?」「うん、恥ずかしいけどね」「今までどうしてたの?」「雑誌を見て興奮してたんだ、全く可笑しいよね」笑いながら「今まで付き合った人はいるの?」「うーん、一度だけ」後は言葉を濁した。
追い討ちを掛ける様に尚も聞いた。
「うん、訳が判らないうちに振られてしまったんだ」食事の途中で何か失礼な事を言ったらしい。
そして大勢の人の前で頬っぺたを叩かれた、そして車での別れ際にハグもキッスもしなかったと云う。
そうしたらパンチの嵐が飛んで来た・・・と言う訳だそうだ。
詩織は大笑いをした。
「それ、常識よ」「でも向こうの子は怖いねー、心の中の気持ちなんて考えてくれないんだから」「日本だって同じよ、愛を形で表さないと誰も振り向いてくれないわよ」
そして詩織も服を脱ぎ始めたのであった。
明宏は珍しそうに辺りを見回しバスにお湯を張っている。
予約なしで飛び込みで入った宿である。
女将はモーテルを紹介したのであった、どうせ不倫カップルと勘違いしたのであろう。
しかしそれは二人に取って好都合だった。
明宏の社会勉強?の為に、又詩織のムードを高めたい思いの為には・・・
服を脱ぎ捨てた詩織の身体は美しかった。
先に風呂に入っていた明宏の前に詩織が入ってきた途端 彼は「駄目だっ」と叫び爆発してしまったのである。
「まだキッスもしていないのに・・・」詩織は少々オカンムリであった。
詩織は身体を洗い、彼の身体中も綺麗に洗い上げベッドに向った訳である。
彼の身体はもう快復して元気一杯だった。
「優しくしてね そう そこ舐めて・・・」大きな波が襲ってくる、そして又引いて行く・・・
何度かその繰り返しが起きた後、彼女は彼の大切に閉まってあった童貞君を口に運んだのであった。
そして静かに自分の入口に入れた、途端 ドッと溢れてしまったのである。
詩織はがっかりした。
「まだ何もしていないのに、どうして・・・?」
しかし肩を落としてうなだれている明宏の姿を見て可哀想になったのだった。
「いいわよ、チャンスは幾らでもあるんだから」「めげないで、明日の観光を楽しみましょう」そうは言ったものの何故か寂しかった。
詩織は眠れない夜を酒で誤魔化して眠りについたのである。
だが明け方近く彼が彼女の上に乗っかって来たのであった。
大きな波が寄せたり引いたりする、激しい快感が襲う、頭が狂いそうになって思わず声を上げた。
彼のものが入って来た。
あえぎながら声にならない声を上げた。
「もう駄目、いっちゃう!」彼も「いくよっ!」と声を発し同時に果てたのだった。
長い長い夜だった。
深い眠りから覚めた時 外は雲ひとつ無い晴れであった。
絶好の観光日和である。
二人は13,5kmの渓流を腕を組み歩いて写真を撮ったり心に刻みながら廻った。
最高に幸せだった。
そして、その夜も・・・
車中では『グリンスリーブス、スリーベルズ』などをハモったりして楽しく帰路に着いたのである。
翌日、一緒の車で会社に着いた時、社長は「遂に一緒になったか」と一人笑ってた。
「仲人は私がやってやろう」と・・・
二人が社長の前に現れた「社長 私達結婚します、宜しくお願いします」と言った時、大きく頷き「で 式は何時するんだ?」と。
「12月24日 クリスマスの日にしようと思っています、全世界が祝ってくれますから」「そうか 仲人は私でいいか?」「是非お願いします」
その日から 二人は一緒に暮らした。
仕事にも余計意欲的に頑張ったのであった。
№ 6
「星野君ちょっとシリコンバレーの視察に行ってくれないか?突然で悪いんだけど、ちょっと気になる新製品の開発をしてる様だから」「その辺を調べてみてくれないか」「ええ いいですよ、向こうには友人も多く居ますから何かを掴んできますよ」
結婚を控えた12月初めの事だった。
「あなた 頑張ってね」そう笑顔で送り出したのであったが・・・
翌日のニュースで「アメリカ直行便 太平洋沖で行方を絶つ。現在米軍機が捜索中」と流れていた。
会社でそれを聞いた詩織は居ても立ってもいられなかった。
すぐ航空会社に駆け付けて事情を把握しようと試みた。
一緒に来た社長も苦渋の表情を浮かべ航空会社の職員と長く話していた。
「ハワイ沖東北東の海上に重油の跡発見、全員絶望か・・・」
詩織は社長の胸の中で泣いた。
帰ったら結婚式が待っているのに・・・当分放心状態が続いた。
会社に戻った彼女は 何もかも忘れる為に我武者羅に働いた。
企画立案から現場にまで出向き製品のチェックを行う事もしばしば・・・
しかしどうしても忘れる事は出来なかった。
それもそうだろう、幸せの絶頂から奈落の底に突き落とされたのだから。
次第に笑顔が消えて行った。
誰言うともなく『アイスドール』仕事に対する厳しさから『アイアンガール』とニュックネームまで頂戴してしまったのである。
社長は彼女の顔を見る度辛くなったのだった。
企画調査室には室長が居ない。
これはそれだけの適任者が見当たらなかったせいも有るが、何より彼女以外には考えられなかったのである。
彼女の立ち直りを期待したのであった。
そして彼女に相応しい未来の伴侶をと考えた。
が 今現在そんな男は何処にも居なかった。
「包容力が有り 仕事が出来 家庭を大事にする男が・・・この会社には居ないのか?」
彼女に相応しい男は皆結婚してる。
若い男では頼りない。
孤独な詩織は益々仕事人間になってゆく。
会社としては貴重な戦力だ。
だが運命はひとりの人生の生きる目標を失わせたのである。
それから 5年 詩織は社長に聞いた。
「綺麗でも 美しくても幸せはやって来ないんですね、ほって置けない可愛い人になるにはどうしたらいいんでしょうか?」
社長は返答に困った。
「笑顔を取り戻しなさい、きっといい人が現れるから」
しかし彼女の心の氷を解かすような人は未だに現れる気配はない。
余りにもアイスドールのイメージが強すぎるのと他の追随を許さぬ仕事振りには着いて行けないのだ。
もう直ぐ あの人の居ないクリスマスがやって来る。
そして ひとりぽっちのクリスマスの夜・・・
雪が舞って来た。
ひとり・・・湾岸道路を海に向かってフルスピードで走る詩織の姿が其処にはあった。
突然の出来事だった。
車のハンドルを取られたのである。
前輪のタイヤが何かを踏んだ。
パンクしたのだ。
必死に止めようとしたのだが蛇行して側壁に接触して止まった。
後ろの車が追い越して止まったのである。
「大丈夫ですか?」中年の精悍な顔付きの紳士が降りて来たのだった。
「すみません、大丈夫ですから・・・」朦朧とした頭の中でやっとそう言った。
「ああ、これは酷い、鋼材を踏みましたね」 タイヤがザックリと切れていた。
しかしすぐ彼の車からジャッキを持ってきて 彼女の車からスペアを取り出し手際よく取り替えてくれたのである。
「もう大丈夫、気を付けてね」「あの、お名前は?」「何時も 貴女がお茶を飲んでるホテルの喫茶の常連ですよ、又逢えますよ、きっと」
そう言って走り去って行った。
裾と袖に雪混じりの泥を着けたまま・・・
嬉しかった、とても嬉しく感じてたのだ。
そのときの詩織は少女のように可愛い笑顔を見せていたのだった。
忘れていた笑顔が戻っていた。
何かが始まる予感がする一瞬の出来事だった。
-完ー
№ 1
詩織は今日も行き付けのホテル最上階の喫茶店で ぼんやり遠くかすむレインボーブリッジを見てた。
グレードの高いこのホテルは誰にも邪魔されず、自分の時間を充分持つ事が出来るのだ。
客の全てとは言わないが企業経営者、今流行の起業家の多くが利用してる隠れた情報交換所である。
三年ほど前から詩織も此処の常連として疲れた身体と心をリフレッシュさせに来る様になっていた。
そしてテーブルの上の企画書を整理してファイルに入れ席を立った。
何時もの事ながら心が寒い。
「あの人が居なくなってもう6年か・・・何故私には運が無いのだろう」
もうすぐ32歳になろうとしてるのに・・・淋しくて泣きたくなった。
海に向かって夜の高速を走らせ薄い色のサングラスの奥の眼の潤みを吹き飛ばした。
大手精密機器会社の企画課長、美人で頭も良く よく気が付く。
なのに何故か言い寄って来る男性が一人も居ない。
素敵なマンションに住み何不自由なく暮らしている。
が しかし彼と呼べる人がいない。
何時も心に隙間風が吹いていた。
だが最初から彼女はそうでは無かった。
高校大学と詩織は男達の注目の的であった。
美人で聡明な彼女の一挙手一投足が男たちの心を揺さ振ったものだ。
有名大学の華 今中詩織は友人達からミスキャンバスに推薦された事も・・・
しかし『そんな事 恥ずかしい」と辞退し続け 一度も出た事はなかった。
だが皆 思っていた。
学園一の美人は詩織であると・・・
又 女性達もそう思っていたのである。
そして卒業後ごく普通の会社に就職したのだった。
いきなり社長付の秘書課に配属された。
そこでも遺憾なく能力を発揮して社長の絶対的な信頼を得たのであった。
元々上昇志向の強い女性である。
あらゆる資格は片っ端から取った。
ある日、取引先の社長から酒宴の席上こんな事を言われた。
「世の中には男が好む女性が三タイプある、、ひとつは所謂美人だが昔から美人は三日見たら飽きる、後二つはごく普通の女の子だが何か支えてあげないと駄目だな と思わせる可愛い子、最後は美しい人だ」「美人と美しい人とどう違うんですか?」
笑いながら「美人は顔 スタイルが良ければ馬鹿でもなれる、しかし美しい人は知識 教養 そして機転も利かなきゃいけないし常識が備わっていなければならない」「さて詩織君はどちらかな?」と・・・
顔を赤らめて「私は未だ勉強が足りませんから・・・それに特別美人でもありませんし」と答えたのであった。
「いやいや 謙遜しなくてもいいんだよ、全てをクリアした立派な美しい人だ」「でも若い人達は誰も声を掛けてくれません、ちょっと淋しいな」
「それはね、若い連中には近付き難い雰囲気があるのだろう、後は愛嬌だな」と彼の社長はそう言った。
それからの詩織は出来るだけ笑顔を絶やさぬ事を心掛けたのだった。
すると どうであろう あちらからも此方からも声を掛けられる様になったのである。
恋人候補は山程集まった。
選り取り見取りである。
元々詩織は体育系の逞しい男性が好きだった。
その中の一人山崎光世を選んだのである。
毎週の日曜日のデートが楽しみになった。
会社帰りの喫茶店でのお喋りも・・・
しかし彼の話も次第に鼻に衝くようになってきた。
何時も自分の自慢話をする、やたらと鍛えられた腕の筋肉を見せたがる。
彼女はそんなもの望んではいなかった。
将来どう生きたいか、どんな事を努力してるのか、それが知りたかったのだ。
だが彼女の望むものは全く出て来なかったのである。
そして ある夜、居酒屋を出た所で街の不良共に囲まれ因縁を付けられたのだ。
「何だ この野郎」 そこまでは威勢が良かった。
「おう、やってやろうじゃないか」 途端に彼は踵を返しスタコラサッサと逃げ出してしまったのである。
詩織ひとりを残し・・・
たまたま通り掛った警察官に助けられた訳だが、あまりにも不甲斐ない彼に失望し涙が溢れた。
それから会社でも彼は詩織の前には現れなかった。
№ 2
彼女は完全に男性に失望した。
たまに皆で飲みに行く事はあっても恋人を作る気持ちは失せた。
あくまで友達以上の関係にはなる意思はなかった。
やがて入社して一年が経とうとしている時レストランでアメリカ青年と話をする機会があった。
語学には自信があったものの時々分からない言い回しに戸惑ったのである。
英語検定一級の彼女だがどうもおかしい。
「もっとアバウトに考えれば」と思っても何か窮屈だ。
「これは本場で勉強しなきゃいけないな」
そう思ったら行動は早かった。すぐ退社届けを出し留学の準備に取り掛かった。
秋の入学を目指し猛勉強を始めたのである。
いろんな大学の願書を取り寄せ 自分がこれから先どう云う道に進みたいか、それも考え合わせ学校選びをしたのであった。
詩織はまず心配したのは銃社会のアメリカにあって最も安全でレベルの高い大学である事・・・
先生と生徒の垣根の無いフレンドリーな学校に入りたいと思った。
そこで経営学を学びこれからの人生に生かそうと・・・そして選んだのがウィスコンシン州の大学だった。
ここは成績次第では飛び級もある。
奨学金制度もしっかりしてる。
一応アルバイトは禁止してるが学園内の至る所に職員として働く事が出来る事など、彼女の理想に近かったのだ。
何とか第一関門は突破した。
晴れてS大学の門をくぐった訳であるがそれからが大変である。
授業内容が日本と全く違うのである。
例えば例を取ってみれば世界史の場合 この時代アメリカでは何が起きたかと云う時ヨーロッパではどうだったか、日本では?と全世界的に俯瞰して見て行くのである。
決して一国の事だけ学ぶのでは無い。
そして生徒から何か質問があれば徹底的にミーティングするのだ。
だからよく脱線する。
そして宿題も半端ではない。
楽しい学園生活が地獄と化したのである。
毎日パソコンに向かって夜遅くまでレポートを書き上げるのだ。
そんな中で生徒同士、又先生も交えて連帯感も生まれて来るのであった。
思ったより皆 紳士淑女だ。
休憩時間等は大声で歌い、騒いだのである。
そして学期末、思い掛けない知らせが待っていた。
飛び級である。
いきなり一年生から三年生になったのだ。
そして奨学金も受けられる事になった。
だが授業内容はより難しくなった。
必死に勉強した、が「もう駄目」と思う日も何度か経験したのである。
しかし そんな中にあっても友人達は多く出来た。
よく遊び よく学んだ。
詩織は華奢な身体だが元気一杯だった。
ボーイフレンド達がミラクルガールと呼ぶ程何にでもチャレンジしたのである。
そして卒業証書を携えて日本に帰って来たのであった。
まず以前世話になった会社に挨拶に出かけて行った。
№ 3
社長は非常に喜んで迎えてくれたが彼女の力量を発揮出来るところは無かったのである。
社長の紹介で 以前美しい女の条件を教えてくれた沢田精密機器株式会社の社長のところで働く事になったのだった。
「おう、少しは女を磨いて来たか」笑って迎えてくれた。
詩織はどんどん新しい企画書を提出した。
上司の星野明宏はかなり厳しい注文を付け、その企画書の大半を社長に提言してくれたのである。
星野は多いに彼女の企画力のユニークさを買ってくれたのだった。
そんな星野を尊敬はしたが男としての魅力を感じなかった。
まず華奢である、神経質そうだ。
カリフォルニアの大学を出、その後シリコンバレーで数年働いていたと云う。
頭は良いのだろうけど何処か頼り無さげな雰囲気の男である。
身長は然程低くはないが縁無しメガネを掛け面長で如何にもオタクと云う感じだ。
「室長は学生時代何かスポーツをされた事有りますか」「うん、特別に無いねー・・・テニスを少しかじった事位かな」
「では今度教えてくださいよ」わざと悪戯をしてみたくなった。
そして次の日曜日テニスクラブに行ったのである。
車の運転も下手だ。
何度も切り返して汗をかきながら駐車場に入れた。
そしてラケットを二三回振った時「おやっこれは意外に巧いかも」と詩織は思ったのである。
だが いざコートに立った時彼女は完全に失望した。
詩織のサーブが返ってこない。
足が縺れてスッテンコロリン・・・
「これは駄目だ」小学生と遊んでやる様にゆっくりと柔らかく打ってやらなきゃ付いて来れないのだ。
汗を拭きながら「詩織君、強いねー・・・もう歳だから身体が付いて行かないよ」と。
心の中で「運動音痴」と呟きクラブの喫茶室でコーヒーを飲んだ。
「まだ三十代なんでしょう、もう少し足腰を鍛えなきゃ駄目ですよ」「いや、もうすぐ四十だよ・・・今度から時々教えてくれないかなー」
詩織が特別に強い訳ではない、彼女も学生時代ちょっとかじった程度だ。
他ならぬ上司の頼みである「私が手の空いた時ならね」と 受け答えしたのであった。
「暇つぶしには丁度良いか」と軽く返事をしたのである。
だが彼は毎週の様に土曜には「明日頼むよ」と言ってくるのだ。
ちょっとうるさくも感じた「あー・・・あ 軽く約束しなきゃ良かった」
詩織はちょっと後悔した。
が しかし喫茶室での話は軽妙で面白かった。
実に物知りである。
何時かその話が聞きたさにコートに来る様になってしまったのである。
そこで仕事に付いてもいろんなアイデアの交換もした。
まさに仕事場の延長のような感じだ。
が 職場で話せない様な突飛な話も飛び出す。
室長は男としてでは無く同志として尊敬と信頼をした。
時々ボートにも乗った。
しかしやっぱり漕ぐのは詩織の方だ。
彼は水を飛ばすだけで前へは進まない。
でも「面白い人」と彼女も苦にならなくなった。
「会社では何時も難しい顔してるのに」 ちょっと可笑しくなったのである。
そして夏が過ぎ涼しい風が吹く様になった頃・・・ひとつの事件が起きたのだった。
№ 4
テニスコートから少し離れた所に公園がある。
二人で散歩してた時若者達がふざけながら歩いて来た。
中の一人が「おい あいつら不倫カップルじゃないか?ちょっとからかってやろうか」
そう言って詩織に「姉ちゃん いいケツしてるじゃないか、俺達と遊ぼうや」と彼女に近付いて来たのであった。
「君達 失礼じゃないか、謝りなさい」「何だと、おじんが気の利いた台詞を言うじゃないか」「お前は引っ込んでろ」と星野明宏を突き飛ばしたのである。
「詩織君 逃げなさい」彼等が詩織に向かって行こうとするのを阻止してそう叫んだのだ。
尚も殴り掛かろうとしている彼等の前に立ちはだかり詩織を逃がそうと必死だった。
詩織はテニスコートに着くなり「助けて!明宏さんが暴漢に・・・」息が弾んで声が出なかった。
皆が駆けつけた時には明宏は顔中血を流し完全にノックアウトされていたのであった。
すぐ地元警察が来たが彼等は逃げた後だった。
彼は「詩織君、無事だったか、よかったよかった」と言って気を失ったのである。
詩織は此処に男の本当の強さを見たのであった。
嬉しくて涙が止まらなかった。
怪我は大した事はなかった。
鼻血が顔中に散って後は額を少し切り、両手に擦り傷程度だったが「弱い癖に いい格好して」と口では言ったものの「私の為に必死で戦ってくれたんだ」と感謝の気持ちで一杯だった。
それからの彼女が唯の上司としてではなく 男として尊敬と思慕の情を持つのに時間は掛からなかった。
暫くは額の絆創膏を見る度心が痛んだ。
詩織にとって初めて本当の愛を知った瞬間だった。
今まで軽い恋なら何度もした。
しかし非力な彼が彼女を守る為自分の身をも省みず戦ってくれた事が心を打った。
それからは彼女の方から積極的に誘う様になったのである。
ある日「奥入瀬の紅葉が美しいよ、一緒に見に行こう」と彼から誘われた時 天にも上る気持ち一杯で嬉しかった。
何より社長が以前「君もそろそろ身を固めたらどうだ」と星野に言ってたのを聞いて、その時は「オタクじゃ誰も相手にしてくれないわよ」と思っていた事が思い出された事にある。
「社長 驚くだろうなー」とクスリと笑えてきた。
が しかし彼はとんでもない方向音痴だった。
距離感もまるで分かっていない。
朝早く出れば夜には帰って来られると思っていた様だ。
11月の三連休、詩織は二泊するつもりで用意してたのであるが彼は何の用意もない。
唯 何時ものデコボコに凹んだ車では無くセルシオの新車でやって来たのである。
この日の為に買い換えたのだそうだ。
東北道をひたすら北へ・・・
「まだ青森までは遠いのかなー」クスリと笑って「今日中に着けばいいわよ、インター下りたら洋品店を探して下着だけは買いましょうね」
彼は眼を丸くして驚いていた。
「そうか、そんなに遠いのか」「もう少し近場にしておけば良かったかな」「何言ってんのよ 此処まで来て、さあスピード出して」と促して夕方洋品店の前に車を停めた。
そしてその店の女将さんに近くのホテルを探して貰って入った時は陽も暮れようとしてた時間だった。
ちょっと遅めの夕食を取りシャワーで軽く汗を流しベッドに着いたのは午後10時を廻っていた。
しかし彼はなかなかベッドに入って来ない。
詩織はじれったくなって「早くいらっしゃいよ、こんな事は男がリードするものよ」「いやー心の準備が出来てなくてね」「実は私は経験ないんだ」「えっ・・・?」
彼女は信じられなかったのである。
「40近くまで童貞君だとは・・・」開いた口が閉がらなかった。
詩織は困った。
今まで付き合った(と言っても特別遊んでた訳ではないが)皆男性がリードしてくれた。
だが今回は詩織が全てを教えねばならない。
№ 5
優しく服を脱がせながら「あんなにアメリカ生活長いのに本当に初めてなの?」「うん、恥ずかしいけどね」「今までどうしてたの?」「雑誌を見て興奮してたんだ、全く可笑しいよね」笑いながら「今まで付き合った人はいるの?」「うーん、一度だけ」後は言葉を濁した。
追い討ちを掛ける様に尚も聞いた。
「うん、訳が判らないうちに振られてしまったんだ」食事の途中で何か失礼な事を言ったらしい。
そして大勢の人の前で頬っぺたを叩かれた、そして車での別れ際にハグもキッスもしなかったと云う。
そうしたらパンチの嵐が飛んで来た・・・と言う訳だそうだ。
詩織は大笑いをした。
「それ、常識よ」「でも向こうの子は怖いねー、心の中の気持ちなんて考えてくれないんだから」「日本だって同じよ、愛を形で表さないと誰も振り向いてくれないわよ」
そして詩織も服を脱ぎ始めたのであった。
明宏は珍しそうに辺りを見回しバスにお湯を張っている。
予約なしで飛び込みで入った宿である。
女将はモーテルを紹介したのであった、どうせ不倫カップルと勘違いしたのであろう。
しかしそれは二人に取って好都合だった。
明宏の社会勉強?の為に、又詩織のムードを高めたい思いの為には・・・
服を脱ぎ捨てた詩織の身体は美しかった。
先に風呂に入っていた明宏の前に詩織が入ってきた途端 彼は「駄目だっ」と叫び爆発してしまったのである。
「まだキッスもしていないのに・・・」詩織は少々オカンムリであった。
詩織は身体を洗い、彼の身体中も綺麗に洗い上げベッドに向った訳である。
彼の身体はもう快復して元気一杯だった。
「優しくしてね そう そこ舐めて・・・」大きな波が襲ってくる、そして又引いて行く・・・
何度かその繰り返しが起きた後、彼女は彼の大切に閉まってあった童貞君を口に運んだのであった。
そして静かに自分の入口に入れた、途端 ドッと溢れてしまったのである。
詩織はがっかりした。
「まだ何もしていないのに、どうして・・・?」
しかし肩を落としてうなだれている明宏の姿を見て可哀想になったのだった。
「いいわよ、チャンスは幾らでもあるんだから」「めげないで、明日の観光を楽しみましょう」そうは言ったものの何故か寂しかった。
詩織は眠れない夜を酒で誤魔化して眠りについたのである。
だが明け方近く彼が彼女の上に乗っかって来たのであった。
大きな波が寄せたり引いたりする、激しい快感が襲う、頭が狂いそうになって思わず声を上げた。
彼のものが入って来た。
あえぎながら声にならない声を上げた。
「もう駄目、いっちゃう!」彼も「いくよっ!」と声を発し同時に果てたのだった。
長い長い夜だった。
深い眠りから覚めた時 外は雲ひとつ無い晴れであった。
絶好の観光日和である。
二人は13,5kmの渓流を腕を組み歩いて写真を撮ったり心に刻みながら廻った。
最高に幸せだった。
そして、その夜も・・・
車中では『グリンスリーブス、スリーベルズ』などをハモったりして楽しく帰路に着いたのである。
翌日、一緒の車で会社に着いた時、社長は「遂に一緒になったか」と一人笑ってた。
「仲人は私がやってやろう」と・・・
二人が社長の前に現れた「社長 私達結婚します、宜しくお願いします」と言った時、大きく頷き「で 式は何時するんだ?」と。
「12月24日 クリスマスの日にしようと思っています、全世界が祝ってくれますから」「そうか 仲人は私でいいか?」「是非お願いします」
その日から 二人は一緒に暮らした。
仕事にも余計意欲的に頑張ったのであった。
№ 6
「星野君ちょっとシリコンバレーの視察に行ってくれないか?突然で悪いんだけど、ちょっと気になる新製品の開発をしてる様だから」「その辺を調べてみてくれないか」「ええ いいですよ、向こうには友人も多く居ますから何かを掴んできますよ」
結婚を控えた12月初めの事だった。
「あなた 頑張ってね」そう笑顔で送り出したのであったが・・・
翌日のニュースで「アメリカ直行便 太平洋沖で行方を絶つ。現在米軍機が捜索中」と流れていた。
会社でそれを聞いた詩織は居ても立ってもいられなかった。
すぐ航空会社に駆け付けて事情を把握しようと試みた。
一緒に来た社長も苦渋の表情を浮かべ航空会社の職員と長く話していた。
「ハワイ沖東北東の海上に重油の跡発見、全員絶望か・・・」
詩織は社長の胸の中で泣いた。
帰ったら結婚式が待っているのに・・・当分放心状態が続いた。
会社に戻った彼女は 何もかも忘れる為に我武者羅に働いた。
企画立案から現場にまで出向き製品のチェックを行う事もしばしば・・・
しかしどうしても忘れる事は出来なかった。
それもそうだろう、幸せの絶頂から奈落の底に突き落とされたのだから。
次第に笑顔が消えて行った。
誰言うともなく『アイスドール』仕事に対する厳しさから『アイアンガール』とニュックネームまで頂戴してしまったのである。
社長は彼女の顔を見る度辛くなったのだった。
企画調査室には室長が居ない。
これはそれだけの適任者が見当たらなかったせいも有るが、何より彼女以外には考えられなかったのである。
彼女の立ち直りを期待したのであった。
そして彼女に相応しい未来の伴侶をと考えた。
が 今現在そんな男は何処にも居なかった。
「包容力が有り 仕事が出来 家庭を大事にする男が・・・この会社には居ないのか?」
彼女に相応しい男は皆結婚してる。
若い男では頼りない。
孤独な詩織は益々仕事人間になってゆく。
会社としては貴重な戦力だ。
だが運命はひとりの人生の生きる目標を失わせたのである。
それから 5年 詩織は社長に聞いた。
「綺麗でも 美しくても幸せはやって来ないんですね、ほって置けない可愛い人になるにはどうしたらいいんでしょうか?」
社長は返答に困った。
「笑顔を取り戻しなさい、きっといい人が現れるから」
しかし彼女の心の氷を解かすような人は未だに現れる気配はない。
余りにもアイスドールのイメージが強すぎるのと他の追随を許さぬ仕事振りには着いて行けないのだ。
もう直ぐ あの人の居ないクリスマスがやって来る。
そして ひとりぽっちのクリスマスの夜・・・
雪が舞って来た。
ひとり・・・湾岸道路を海に向かってフルスピードで走る詩織の姿が其処にはあった。
突然の出来事だった。
車のハンドルを取られたのである。
前輪のタイヤが何かを踏んだ。
パンクしたのだ。
必死に止めようとしたのだが蛇行して側壁に接触して止まった。
後ろの車が追い越して止まったのである。
「大丈夫ですか?」中年の精悍な顔付きの紳士が降りて来たのだった。
「すみません、大丈夫ですから・・・」朦朧とした頭の中でやっとそう言った。
「ああ、これは酷い、鋼材を踏みましたね」 タイヤがザックリと切れていた。
しかしすぐ彼の車からジャッキを持ってきて 彼女の車からスペアを取り出し手際よく取り替えてくれたのである。
「もう大丈夫、気を付けてね」「あの、お名前は?」「何時も 貴女がお茶を飲んでるホテルの喫茶の常連ですよ、又逢えますよ、きっと」
そう言って走り去って行った。
裾と袖に雪混じりの泥を着けたまま・・・
嬉しかった、とても嬉しく感じてたのだ。
そのときの詩織は少女のように可愛い笑顔を見せていたのだった。
忘れていた笑顔が戻っていた。
何かが始まる予感がする一瞬の出来事だった。
-完ー
『あじさいの雨』
№ 1
喫茶店を出た時 外は雨だった。
「あら 困ったわ、家を出る時あんなにいい天気だったのに」
コートの襟を立てに軒下で駆け出そうとしてた佐和子の頭の上に黒い大きな傘が被せられたのであった。
振り向くと初老の紳士が「どうぞ、これを差して行きなさい」・・・見ず知らずの男性だった。
「何時も此処でお見かけしてたんですよ、本が好きなんですね」
佐和子の楽しみは此処の美味しいコーヒーを飲みながらの読書だった。
「でもあなたが濡れるんじゃないですか?」「いや、私は近くの画廊に用が有って来たものですから 何とかなりますよ」「傘は差し上げましからお気使いなさらんでください」
そう言って彼の紳士は駆け出して行ってしまった。
「あの・・・お名前は?」そう叫んではみたが この雨の中 声は届いたか届かなかったのか見る見る姿は消えて行ってしまったのだった。
彼女の名は山下佐和子、夫剛は現在海外勤務の商社マン 二年に一度家に帰って来るものの又忙しく海外に赴く。
此処暫くは帰っていない。
もう三年も会っていない。
佐和子45歳の梅雨時の事であった。
名も告げず駆け去って行ってしまったあの方に傘を返さねば、と思って毎日喫茶店に来るもののなかなか逢えないでいたのである。
読書をしながら外を気にする。
最初は傘を返すのが目的だったものが何時か何と無く心ときめく楽しい時間に変わっていった。
「会ったらまずお礼を言って それから何を話そうか」「お住まいはどちら? お仕事は何をなさっているの?」
「おっと 忘れてた、先ず名前を聞かなくちゃ、それからお歳は幾つになられるのですか?」
まさに夢見る夢子さん状態になっていた。
思いなしか化粧にも気を使う様になってきた。
今までは薄く口紅を塗る程度で家を出たものが細かい所まで気を使うようになったのである。
着るものにも変化が見られた。
「お母さんこの頃ちょっと変よ、何かいい事でも在ったの?」
娘の佐代子がそう聞いた。
佐代子は社会人二年生、去年大学を卒業して会社勤めをしている。
母の変化に気付かぬ歳ではない。
「さては恋でもしたかな?」「お父さんの留守中に変な事しないでね」
「はいはい、解ってますよ・・・-だ」返事も上の空で本と傘を持ち家を飛び出して行く。
そっと跡を付けてみた。
特別変わった事もない。
だが変である。
何故 天気が良いのに傘を持って出掛けるんだ?それも男物の傘を・・・?
時々外を見てぼんやりしてる。
「やっぱり男の人を待ってるんだ・・・」「お父さんって者が在りながら何やってるのよ」
しかし決まった時間になると必ず帰ってくる。
佐代子が見張り始めて四日目・・・
素敵な中年の紳士がこの店に入って来た。
その紳士は窓際の佐和子に気が付かずカウンターの席に腰掛けマスターと笑って話をしてる。
佐和子の腰が落ち着かない。
立ったり座ったりもじもじしてる。
表の看板の陰に隠れて 笑えて来た佐代子だった。
「何だ 片思いか」・・・そんな母の姿を可愛いと思った。
突然、意を決して立ち上がった佐和子はカウンターの方に歩き出そうとして腰がヘナヘナット崩れてしまったのだ。
緊張のあまり貧血状態になってしまったのである。
佐代子は一瞬驚いたが大笑いをしてしまった。
そっと中に入って行き 他の席で様子を伺う。
ウエイトレスが「何にしましょう?」と聞いた時 つい「同じものを」と言ってしまったのだった。
「あ コーヒーね」と言い直し なにやってんだ私も と苦笑したのである。
まだ母は気が付いていない。
おずおずと進み寄り「あのう これを、先日はありがとう御座いました」そう言うのが精一杯の様である。
「あ、これはご丁寧な事で」そう言って彼の紳士は傘を受け取り「あの時は酷い降りでしたねー」と・・・
が しかし佐和子の後の言葉が続かない。
彼女自身自分に腹を立てていた。
あれ程楽しい会話をしたいと思っていたのに 何も口から出て来ない。
唯 立ち尽くしもじもじしてるだけである。
「何か?」紳士が聞いた。
「ええ あの そのう・・・」じれったくて見ていられない。
佐代子が後ろから軽くポカリと頭を叩き「母さん何やってんのよ」「しっかりしなさい」遂 口を出してしまったのである。
「えっあっ佐代子・・・」驚いて口をぽかんと開けたまま恥ずかしそうに俯いてしまった。
「娘の山下佐代子です、先日は大変お世話になりました、母がまだお話がしたい様で もしお時間が御座いましたら相手をしてやって戴けませんか?」
「これは失礼しました、私はこう云う者です、はっきりしたいいお嬢さんですねー 宜しく」と名刺を渡された。
『松岡博』・・・何処かで聞いた名前である。
マスターが「先生のお知り合いですか」と聞いた時思い出した。
画家の重鎮、主にヨーロッパの作品を多く手掛けている作家である事を・・・
「そうか 最近の母の行動を狂わせていたのはこの人だったのか」
「磯の鮑の片思い」佐代子は鼻歌を歌いながら先に店を出たのであった。
№ 2
いきなり最初から恥をかいたような思いをした佐和子だったが 娘のお蔭で少し話が出来た事が嬉しくて堪らなかった。
そして時々では有るが此処で話をする程度なら会える事が確認できた。
佐和子は少女の様に心弾んだ。
今度は恥をかかない様にしよう。
口の中でブツブツ言いながら一生懸命リハーサルを重ねてる。
佐代子は呆れてそれを見てるのだが そんな母が可愛いと思った。
「いい人で良かった、あの先生ならお父さんが帰って来ても何の問題にもならないだろう」
佐代子はこの交際に反対する理由がなくなった事が嬉しかった。
と 同時に「母には過ぎた人だなー」と思っても居たのである。
佐和子は ある地方都市の洋品店の長女として生まれた。
上には男兄弟二人と弟が居た。
たった一人の女の子である。
大事に大事に育てられたのであった。
だからかなり我侭な一面を持ち合わせている。
高校、大学と所謂 お嬢様学校(私立のところてんで進学出来る所)に通った。
特別裕福な家庭では無かったが さして貧乏でもない。
まあ 中流家庭だったが兄二人が高校を出てすぐ就職したものだから多少の贅沢は許された。
そして多くのボーイフレンドと遊び回ったのである。
だが 今の時代と違って余程の相手でなければキッスする事も無い。
そんな男性が現れたらもう大騒ぎ、結婚しなければ収まらない時代であった。
手を握り お互い眼と眼を見詰めあい「好きだよ」と言うのが精々であったのだ。
佐和子は何時も洒落た服を着てひときわ目立つ存在であった為 男性たちの注目を浴び多いに青春をエンジョイしてたのである。
「この世は私の為に有るのだわ」と思う程毎日が楽しくて堪らなかった。
そして学生時代に恋に落ちた。
相手は一流企業の若き商社マン、現在の夫である。
まだ若い二人は休日ごとによくドライブに行ったり映画を見に行ったり楽しい新婚生活をした。
恋愛の延長線上にあったのだった。
だが佐代子が生まれる頃から少しずつ歯車が狂ってきた。
有能な彼(剛)に役職が付き毎日の帰りが遅くなってきたのだった。
佐和子はそれが不満だった。
朝早くから出掛け 夜遅く帰ってくる。
剛にすればちょっとでも経済的に豊かな暮らしもしたいし出世もしたい、それが男の務めだと思っていた。
又 佐和子もそれは充分理解していたのだが・・・少し淋しくなったのである。
どんどん夫が遠く感じられる様になっていった。
次第に家庭でのいろんな話が出来なくなった。
疲れて帰って来る夫は夕食もそこそこに寝てしまう。
朝も佐和子が眼を覚ます頃 家を出て行く。
何と無く隙間風が吹き始めたのであった。
そんな時、夫の口から初めての海外出張の話が出たのである。
佐和子はそれでなくとも淋しい思いをしてるのに「嫌よ、行かないで」と涙で訴えたのであった。
「出世の為だ、お前だっていい暮らしをしたいだろう」 そう言われると何も言えなかった。
たった三ヶ月の事だが長く長く感じられたのである。
そう云えば佐代子が生まれてから夫婦の会話も娘の話が中心で 彼から「愛してるよ」と言って貰う事が無くなったのだった。
そして暫く夫婦の営みも無くなった。
現在海外支店の営業部長、バリバリと仕事をこなし会社に取っては絶対必要な戦力である。
だが佐和子に取っては 戸籍上の夫以外何者でもない、唯居るだけの存在でしか無かった。
「もう十年以上愛の営みは無いなー」淋しさが骨身に沁みる。
いろんなサークルに入ってみたが何をやっても面白くない。
娘佐代子が、中学の頃から 癒されぬ心を持て余し恋愛小説などを読んでみた。
がしかし余計に惨めになって行くばかり・・・
何時の間にか純文学から世界名作物語に変化して行った。
そして『おんな』を捨てたのである。
佐代子は溌剌として青春をエンジョイしてる。
私は45歳の・・・唯のおばさん・・・か・・・
時々娘にジェラシーを感じたが今ではそれも失せた。
№ 3
たまに帰って来ると 夫は「おい 新聞、飯はまだか?」 タバコを咥えれば「火」と言うだけの言葉しか発しない。
「一緒になった頃の彼は何処へ行ったのよ、私はお手伝いさんじゃ無いわよ」何度も口に出掛かったが止めた。
「一体私は何なのよ」と 言いたくとも生活を支えて貰っている以上何も言えない。
剛は典型的な日本人なのだ。
「あれだけ海外生活が長いのに何故女心を判ってくれないの?」愚痴を言いたくとも言えない。
娘佐代子が居なければ全く死んだような冷たい家庭である。
何時の間にか何時もの喫茶店の常連になってしまった。
コーヒー一杯で何時間でも本を読んでいる。
そんな時、松岡博と出会ったのだった。
佐和子は突然の雨に感謝したのであった。
紳士的な中にエネルギッシュな風貌を湛え、とても優しく接してくれる。
先年妻に先立たれ 歳は取ってるものの今は優雅な独身貴族・・・
まさに佐和子に取って理想的な人であった。
彼女は一生懸命お洒落して、共通の話題は無いかと考えていた。
彼女の心の中では「何とか気に入られたい」その事で一杯だった。
夫は遠く外国の地、娘佐代子は笑って相手にしてくれない。
何時も会社で楽しくやっている。
そんな時 松岡から優しい誘いがあったのだ。
「アトリエに遊びにきませんか、お嬢さんと一緒にね」「えっ!私だけじゃ無いんですか?」「それはそうでしょう 仮にも私は独身男ですよ、そこに来客となれば女性一人じゃ可笑しいですよ」
がっかりしたが何はともあれ招待された事は嬉しかった。
佐和子は娘佐代子に話すべきかどうか迷った。
出来れば先生のアトリエに一人で行きたかったのだ。
でも黙っている訳にはゆかない。
「あのね、先生がアトリエに遊びにいらっしゃいって、佐代子興味ないでしょう お断りしようかな・・・」「出来れば佐代子さんもって言われたんだけど」
「へー・・・佐代子さんもって?」「お母さん 本当は一人で行きたいんでしょう」笑いながら「お断りしたら?」佐代子はすぐに母の魂胆が解った。
「ま 私が保護者って訳ね、お邪魔にならない程度について行ってあげるよ」
「でも母さん変わったわね、最近生き生きしてるわ、少し若返った様な気もするし」
元々器量が悪い方ではない。
此処10年程化粧にも無頓着で積極性が無くなっていただけの話である。
そして佐代子が会社に出掛けると孤独な家庭生活、面白くない 寂しい、内向的な性格になりつつあった。
しかし最近は楽しくて仕方がない。
可愛くもなった。
佐代子は「これが恋する女なんだ」「恋の魔術って素晴しいな」と一人納得していたのである。
佐和子は確かに変わった。
誰の眼にもそれはよく判った。
「お父さんが帰るまで そっと見守ってやろう」佐代子はそう思ったのであった。
さて その日がやって来た。
佐和子は朝早くから衣装ケースの中を引っ掻き回し「これが良いかな?あれが良いかな」とやっている。
「そんなのジーンズで結構よ、アトリエでしょう、物置と一緒よ」佐代子が笑って言った。
化粧も念入りに・・・そして言ったのである。
「佐代子ちゃん、今から病気になってよ、そうしたら私一人で行けるから」「後で何か買ってあげるから、お願い・・・」「駄目っ!保護者同伴なんだから」
佐和子はがっくり肩を落として「そう?保護者なのね・・・」と。
松岡のアトリエは高台の見晴らしの良いところに建っていた。
家は特別広くはないが樹木に覆われた隠れ家の様な所だった。
成る程、汚い。
汚いと云うどころじゃない。
足の踏み場もない。
普通(男やもめにウジが湧く)と云うが まさにその通りである。
埃とゴミの間を避けながら奥のアトリエまで辿り着いた。
其処も又 ゴミの山である。
だが 素晴しい作品が所狭しと置いてある。
イーゼルには描きかけの作品が掛かっていた。
そこで松岡はとうとうと作品に付いての話を始めた、西洋絵画史、各ジャンルの絵画の話など・・・
佐和子はそんな松岡の顔を見詰めトロンとした眼をしていた。
佐代子には非常に勉強になった訳だが 佐和子の眼は作品など見てはいなかったのである。
「駄目だ これは・・・完全にいかれてしまっている」
帰り道 佐代子が「先生の作品 素晴しかったね、話も勉強になったし」「そう?私は顔しか見ていなかったから知らないわ、でも汚い所だったね」と・・・
それからの佐和子はよく家を空ける様になった。
毎日玄関からキッチン、トイレに至るまで掃除に通っていたのだった。
佐代子が半月後に訪れた時、別の家に入ったのかと驚いた程である。
元々造りのしっかりした家である。
床も磨かれ埃もない綺麗な佇まいには『流石芸術家の家』と思わせる風格が漂っていた。
そして時々佐和子と松岡の姿は喫茶店、レストラン等で見られる様になった。
佐和子も家に居る時は一日中クラシック音楽を聴き楽しく家事をこなしていた。
半月程したある日「ねえ、ドライブに行っていいかなー」と佐代子に聞いたのである。
「そう、行きたければ勝手に行ったら、何でも聞かないでよ 子供じゃないんだから」「何怒ってるのよ 母さん何か悪い事した?」「そうじゃないの 自分の事は自分で決められない様でないと駄目なの」「お母さんがそうしたいと思ったらそうすれば良いし いけない事と思ったら止めるべきなの、判った?」
結局朝からウキウキとして出て行ってしまったのであった。
№ 4
佐和子は嬉しかった。
こんな風にドライブが出来るのは何十年ぶりだろう。
それも憧れの先生と・・・
久しぶりに饒舌になっていた。
いろんな取り留めも無い話にも笑って耳を傾けてくれる。
そして先生の若い頃の苦労話も熱心に聴いた。
松岡も又嬉しかったのである。
日頃、先生先生と持て囃され 何の垣根も無く自分の話を聞いてくれる者は 何処にも居なかったからである。
佐和子にはバリア等無い。
屈託無く何でも話が出来た。
そして夕暮れの海を見ながらポツリと「これから誰も居ない所にでも行って静かに暮らしてみたいなー」と・・・
それは佐和子を指して言ったのでは無かったのだが 佐和子は嬉しかった。
「先生は私をそんな風に思ってくださっている」 大きな勘違いである。
が 松岡の肩にもたれて幸せ一杯であった。
夕食を海の見えるレストランで食べ 帰宅したのは12時過ぎだった。
小さくハミングしながら帰った佐和子に 佐代子は「門限10時! それを守れなかったら外出禁止」と厳しく注意したのである。
「ごめんなさい、渋滞に巻き込まれてしまってね」苦しい言い訳だった。
一方松岡は久しぶりに心の中の鬱積を吐き出した事で カウンターで旨い酒を飲んでいた。
「先生、何かいい事あったんですか?」「うん まあな」 バーテンに曖昧に答えて家路に着いたのである。
それからの松岡の作風は徐々に変わっていった。
豪快な作風の彼であったがその中に柔らかさが加わってきたのだ。
何でも愚痴を聞いてくれる佐和子の存在が彼の作品の力みを取り去ってくれているのである。
何時の間にか彼女の存在が松岡の心の支えとなり 心の奥底にまで入り込んでいたのだった。
彼女も又彼無しの生活が考えられないでいたのだ。
毎日の様に佐和子はやって来た。
そして「疲れたな」と思う頃 コーヒーとちょっとしたクッキーなどを焼いて出してくれる。
何時しか、お互い 無くてならぬ存在としてアトリエに居たのである。
夫に妻としての愛を受けられず10数年、佐和子は生き返った様に嬉々として松岡の家と佐代子の待つ我が家との暮らしを楽しんでいる。
又 松岡博も妻に先立たれ自分を失いかけていたのを救われ 制作意欲に燃え意欲的な仕事に明け暮れしてた。
まさに運命の悪戯と云う他は無い。
ある日「先生 今日から五日間此処に泊まってもいいでしょう?」佐和子が言った。
「えっ佐代子さんの許しは得たのかい?」「ええ まあ佐代子は友達とアメリカに旅行に行きました」「でも許しは得てないんだろう」「ボーイフレンドと一緒なんです、私も一人じゃ淋しいわ」
松岡は返事に困った。
「我々の時代には恋人と旅行しても後ろ指指される事が当たり前だったが・・・」「今は男友達と外国まで行っても誰も何も言わないのか」
少し考えて 「いいよ、私のベッドで良かったらね」松岡はアトリエのソファーで寝る事にした。
夕食後、二人は静かな ショパンの調 を聴きながら紅茶を飲んで楽しいお喋りをして時を過ごしたのである。
佐和子は「こんな楽しい時間を持つ事が出来たの 生まれて初めて・・・」としみじみ呟いた。
うっすらと涙が浮かんでいた。
松岡はそんな佐和子を可愛いと思った。
肩を寄せ合い「こんな日が来るとは・・・」と思いながら・・・
佐和子をベッドに案内して彼はソファーに横になった。
しかし何と無く落ち着かない。
この家の中に愛する人が居る、それもすぐ手の届きそうな所に・・・
何度も寝返りを打つ。
浅い眠りに付こうとした時 眼の前に佐和子が立っていた。
頬が濡れている。
「好きです、先生一緒に寝てください」
しかし佐和子には夫も子供も居る、松岡も一緒に居たい気持ちが有ったがかろうじて自制心が働いていたのである。
「嫌? 先生私が嫌いですか?」「でなかったら愛してください」
躊躇したが 結局佐和子のベッドに向かったのだった。
「添い寝をしてやれば落ち着くんではないか」と考えたが彼女は必死にしがみ付いてくる。
そして唇を求める、身体の隅々まで舐め回す。
「しまった、浅はかだった」そうは思ったが何と無くそうした期待も有った事に愕然とした。
全裸のシルエットが窓から差す月光に美しく照らし出された。
遂に松岡も理性を失って行ったのだった。
優しく愛撫しながら時間をかけて楽しんだのである。
二人とも暫くぶりの人肌に触れ ため息と愛の雫の中に溺れて行ったのである。
佐和子はこんな愛の営みを持ったのは初めての経験だった。
夫は前技もそこそこに自分だけ楽しんでさっさと寝てしまう。
佐和子は「夫婦なんだからこれが当たり前なんだ」と思って居た。
しかし松岡は優しく優しく佐和子を大切に扱ってくれた。
何度も気が遠くなるような喜びが襲ったのだった。
「嬉しい これが本当の愛なんだ」佐和子は喜びの嵐の中で涙が溢れたのである。
翌朝 気持ち好いけだるさの中で二人は又肌を合わせていた。
佐和子は松岡の腕の中でまだ眠っている。
そっと起き出しコーヒーを入れる。
後ろから恥ずかしそうに佐和子がしがみ付いて来た。
そんな佐和子が余計可愛いく思えた。
松岡は考えた。
「このままで良いのか?それともご主人に話し別れて貰うのが良いのか・・・」
もう佐和子無しの生活など考えたくも無かったのだ。
№ 5
秋の信州路を散策する。
そして気に入った風景に出逢うとスケッチブックを広げる。
傍らには何時も佐和子の姿があった。
佐和子はすっかり夫の事など忘れていたのだ。
いや、忘れようと努めていたのだった。
「この幸せが永久に続けばいいなー」と思いながら。
そんな佐和子を 娘佐代子は「可愛い」と思っていたが 何れ壊れるこの関係の行方を心配してたのである。
「お母さん 可哀想に・・・お父さんには あれだけの包容力が無いからなー」「いっそ帰って来なければいいのに」と・・・
佐代子も又母の幸せを願っていたが 現実的に結婚してると云う事実は消す事が出来ないだけに悩んでいたのだ。
絶対父は離婚に応じないであろう、と。
「母は父に逆らえないだろう」「あの性格からして一生泣きながら付いて行くだろう」と・・・
「私があの時助け舟を出さなければよかったのか・・・」と 傘を返した時の事を思い出していた。
しかし今の母の幸せそうな笑顔を見ると 何も言えなくなっていたのだ。
やがて雪の降る季節になった。
ジングルベルが町々に響く頃 三人は映画を見てホテルのラウンジで食事を取っていた。
「はい これは佐代子さんに」プレゼントの大きな箱を貰った。
「そう云えば父から何も貰った記憶は無いなー」嬉しかった。
母にはダイアモンドのネックレス・・・「開けて見ていい?」にっこり笑い「気に入ればいいけどね」
それはホワイトミンクのコートだった。
「若いから白にしたよ」サイズもぴったり 「To my Dughter」とのカードが入っていた。
「叔父様は本当に母を愛しているんだ、私を娘と見てくれている」余計嬉しさが込み上げてきた。
「こんな所を父が見たらどうするだろうか?」不安も又膨らんで来たのである。
白いものがちらついていた。
こうしてホワイトクリスマスの夜は更けていったのである。
「お母さん どうする?お父さんが帰って来たら?」
「そうね、正直に言うわ、私は博さんが好きですって」
「それで収まる話じゃないわよ、絶対離婚してくれないわよ」
「何とかなるわよ、佐代子と別れ別れの生活になっても仕方が無いわね」「そんなの嫌よ、私も母さんに着いて行くから」
佐和子はにっこり笑い「ありがとうね」と・・・うっすら涙が滲んでいた。
そして桜の花の咲く頃になった。
彼は家のリホームを始めていた。
元々洒落た天井の高い家である、壁のクロスを張替え少し増築して佐代子の部屋も作ったのだ。
彼の心の表れである。
どんな犠牲を払っても愛する人と佐代子を引き取る覚悟であった。
上野公園の桜が特に美しく見えた。
三人は食事を取りながらも その問題に触れようとしなかったのである。
楽しくも切ないひと時だった。
「お母さん、会って欲しい人が居るんだけど」「どんな人?」「うーん どう説明していいのかなー、クリエイティブな仕事をしてる人なんだけど・・・」
「一緒になりたいの」 佐和子はもうそんな年になったのか、と娘をしみじみ見詰めたのであった。
「お父さんなら絶対反対する人よ」「だって収入も不安定だし、兎に角貧乏なのよ、夢だけはでっかい人なのよ」「あなたはその人好きなんでしょう?」
「うん、どうなるか解らないけれど私もその夢に賭けてみたいのよ、それにすごく優しいの」
松岡は若い頃の自分の事を言われている様な気がした。
「佐代子さんがいいと思うんなら一緒にその夢を追い駆けてもいいと思うよ」
佐和子も「そうね 何時までも愛してくれる人ならね」「会ってあげるよ」と言ったのである。
なかなかの好青年である。
しっかりした将来のビジョンも持っている。
「このお付き合い 大事にしなさいね」佐和子はそう答えたのであった。
こうして青葉の季節を迎えたのである。
まるで松岡の家が我が家の様に佐代子は彼を連れてやって来る。
そして楽しいお喋りをして帰るのだった。
佐和子も何時も我が家に居るように落ち着いて暮らしている。
この頃は松岡の作品を素人ながら批評するようになっていた。
にこにこしながら「そんな見方も有ったのか」と驚かされる時もあるのだ。
本当に息の合った夫婦の様であった。
№ 6
やがて 鬱陶しい梅雨の季節がやって来た。
だが佐和子にとっては嬉しい季節だった。
初めて松岡と逢った季節だから・・・
そう 佐和子と松岡とが出会った季節となったのである。
だが彼女が深刻な顔で話していた。
横には佐代子、そして恋人の栄作も居た。
「お父さんが帰って来る」と言う。
何でもアムステルダムの病院で脳に腫瘍が見付かったとか・・・
急遽 帰国して日本の病院に入院すると云う話である。
「入院なら当分黙って様子を見た方がいいよ」佐代子がそう言った。
だが松岡は「何れにしてもけじめは付けなきゃいけないから私は会おうと思ってる」と・・・
恋人の栄作も「是非会って話をしたい、結婚を許して貰わなきゃ」と言ったのであった。
空港から自宅に戻った父(剛)は「やっぱり我が家がいいなー」と座敷で寛いでいた。
其処へ 先に着いた栄作が訪れたのである。
一通りの説明をして「是非お嬢さんをください、一生懸命努力して幸せな家庭を作りますから」途端に雷が落ちた。
「何がゲームソフトの会社を立ち上げるだっ!何が幸せをだ」「佐代子!許さんからな」「お父さんの会社で将来有望な男を紹介するからこんな男にたぶらかせられるな」
尚も話を聞いて貰おうとしたが いきなり栄作の頬を殴り付けたのであった。
「顔も見たくない、帰れっ!」
「酷い、お父さん 私この家出て行くから!」
「何っ貴様!泥棒野郎」「出て行け、もう親でも子でもない、お前も乞食にでもなるかっ」
そして「うっ・・・」と言ってよろめき柱にしがみ付いたのである。
「あなたっどうしたの?」「何でも無い 帰れ帰れ」声に力が無かった。
其処へ松岡博が現れた。
気配を察した松岡はすぐ救急車を呼んだ。
すぐ大学病院に搬送されたのだった。
早速精密検査が行われたのである・・・が・・・
診断の結果は脳梗塞、すぐ手術となったのである。
「頑張るんだよ、今の医学は発達してるんだ、さあ元気を出して」
松岡は先に栄作を帰し 二人を励まし続けた。
長い手術だった。
真っ白い頭の包帯に人工呼吸器を着けた姿が痛々しかった。
「ご家族の方ですね、ちょっとお話があるのですが」
そこで話された事は衝撃的な出来事だった。
助かっても半身不随になるであろう、勿論口がきける様になることはまず無理だろう、本人に余程の覚悟と努力があればリハビリである程度の快復の見込みはあるものの・・・後は医師も言葉を選びながらご主人は重度の性病に掛かっておいでだ。
これが脳まで届き かなり痛んでいる・・・と・・・
佐和子は松岡に支えられやっと立っている状態だった。
「だからお父さんは日本に帰って来なかったんだ」佐代子は吐き捨てる様にそう言って病院を後にしたのであった。
松岡はヨーロッパに住んでいる友人に長いメールを打った。
その辺りを調べて欲しい、と。
半月程で返事が届いた。
アムステルダムには奥さんも二人の子供も居る、尚 他にも何人かの愛人が居るようだ、と・・・
佐和子が余計 可哀想になった。
彼女は毎日看病に通った。
完全看護の大病院である。
必ず夜はこの家に帰って来た。
佐代子は松岡がヨーロッパの友人とメールのやり取りしてるのを知っていた。
そしていろいろ聞いてきた、が彼は「知らない方がいいよ」と答えていたが 知ってしまったのである。
彼の散歩中、悪い事とは思ったがパソコンを開けて偶然見てしまったのである。
彼女は彼がパソコンを開いていた時 見るとは無く見てしまいアドレスを知ってしまったのだった。
記憶力の良い佐代子はそれを覚えていたのだ。
余計父が憎くなったのである。
「お母さんはまだ知らないだろう」
母が可哀想に思えた。
毎日一生懸命看病に行ってる母に教えるべきか・・・何故叔父様(松岡をそう呼ぶ様になっていた)は母に話さないんだろう?
ある日 病院に母が行ってる時その訳を聞いた。
「佐和子さんはナイーブな人だ、信じていた人がそうだったら どうするか判るか?」
「私と佐和子さんのケースとは訳が違う」「きっと人が信じられなくなるだろう、黙っていてやろうよ」「時が経てば自然に解る事なんだが今はその時期じゃない」
「献身的に看病してる佐和子さんが可哀想だ、責任は私が持つ」「私にはその責任と義務がある」
「元気になられたらその時は 私が頭を下げ別れて頂くよう努力する、どうしても駄目なら略奪婚でもするさ」
眼が笑ってた、しかしその眼は真剣だった。
「母さんは幸せだなー・・・私の彼も歳を取ってもこんなに愛してくれるといいな」と 佐代子は思った。
が しかし父の意識は戻る様子は見られない。
徒 時間だけが通り過ぎてゆく。
ある日 佐和子は涙を一杯溜めた眼で「ごめんなさい 私はやっぱり貴方と一緒になれないわ」「あの人がこのまま植物人間になってしまったら私は一生あの人の面倒見なければいけないのよ」「貴方にもっと素敵な人現れても今のままじゃ前へ踏み出せないでしょう、私の事 忘れてください」と・・・
辛そうに肩を落として必死に耐えている事がよく解った。
彼女はもう自分の運命を諦めている様子だった。
佐和子の心の中は楽しかった日々を思い返し この愛に終止符を打とうとしていたのだ。
言い終わった後一気に涙が溢れ出て 崩れる様に松岡の胸にしがみ付き慟哭したのであった。
彼は胸の中の佐和子の心が解るだけに余計辛かった、が・・・
「君はそれでいいのか?何時までも待つから安心して」「もう つまらない事考えないで自然に任せなさい」「愛してるよ・・・」と言ったのである。
最近 松岡邸には来客が多くなった。
佐和子は病院と此処を行き来してる、佐代子も恋人と逢う時と会社以外は此処にいる時が多い。
携帯の時代ではあるが会って話をした方が話がよく出来る。
佐和子の兄たちが此処に集まるのである。
最初は「何故自宅でなくて他人の家なんだ」と訝しがったが 佐代子の説明で此処が一番よかろうと言う事で 親戚一同此処に集まる様になってしまった。
兄弟達は「仕事の出来る 出世頭だな」 と尊敬もしてた様だが佐代子の説明でいかに傍若無人の人物か・・・がよく解り怒りを顕わにしたのである。
だが、そうは云っても相手は病人の事だ。
暫く様子を見てそれからの話である。
盆と正月以外には顔を合わせた事の無い親戚一同 は松岡が佐和子親子にどう関っているのか、それも知りたい事であった。
佐和子の兄恵一が言った「まだ他に腹違いの子供が居るのではないか?」「今まで勤務してた先を全部洗ってみる必要があるな」と・・・
「まず 何故其処までほって置いたのか」と佐和子は攻められた。
それは佐代子が説明した「ロサンゼルス勤務の時三歳の佐代子を連れてアメリカまで行った時、仕事場は戦場だ!女が来る所ではない」と叱られ帰りのチケットを渡され一日で帰って来た事・・・極端に来る事を拒んでいた事などを。
だから静かに待つだけの生活になってしまった事など、事細やかに話したのであった。
松岡の調べでフランクフルトにも男の子が居る事が判った。
兄弟達は「もうほって置け」とさじを投げたが、まだそうした事実は彼女には伝えられなかった。
あまりにも残酷な宣告で誰も言い出す事が出来なかったのである。
やがて夏も過ぎコスモスの咲く頃となった。
一向に病状は変わらない。
意識は戻ったり途切れたり、佐和子は必死に看病してた。
ある日 佐代子は二人の前で「こんな時言うのもなんだけど 私達結婚してもいいかなー」と言った。
「いいんじゃない、お父さんを待ってても治る見込みも無いし、どうせ又反対するに決まっているから」「うん、そうだな、彼も一日千秋の思いで待ってるんだから」
親戚筋にもきちっと挨拶を済ませ結婚式の日取りを決める事になった。
まあ 若い二人の事である。
全て自分達でどんどん決めて行く。
住まいは松岡の家と決まった。
「増築して置いてよかったな」と彼は思ったのだった。
家族が増えると云う事は嬉しい事である。
小さな教会で式だけ挙げて後は会費制のパーティで済ます事になった。
お互いの経済状況を考えて北海道まで車でドライブが新婚旅行である。
少し位ならお金を出してやって海外にでもと思ったが「叔父様、海外旅行は私達 お金を貯めて行くから楽しみに取って置くの」と佐代子は笑って言ったのである。
バジンロードは松岡が付き添う事になった。
皆 一様に驚いたのである。
絵画界の重鎮 松岡博の付き添いだ。
佐代子も心から喜び 又友達、会社の上司にも鼻が高かったのだった。
こうして二人は旅立って行ったのである。
母佐和子は涙を流して喜んだ。
二人の未来に幸あれと・・・そして父のアムステルダムに住んでいる佐代子の兄弟の事を知ったのである。
ショックで頭が真っ白になった。
№ 7
雪が降り、芽吹きの季節となった。
佐和子はこの一年ちょっと前の幸せを噛み締めていたのだった。
と 同時に剛にちょっとでも良くなって欲しかった。
それは佐和子に取っては重要な事だった。
「本当に愛していたかどうか?」彼の口から直に聞きたかった。
そうでないと納得出来ない。
「私の人生の選択が間違いだったかどうか?」それを知りたかったのだ。
しかし剛の容態は一向によくなる気配は無い。
医師からは延命措置を取るかどうかを皆で相談する様に言われた。
佐和子の親戚筋は皆「その必要は無い」と怒りを顕わにしてる。
だが 剛の血筋の者達は「植物状態からよみがえる事もあるかも知れない」と猛反対をした。
松岡は剛の家族達に自分の友人達から来たメールの数々をコピーして「これから起こるであろう財産相続の件と考え合わせて検討する様に」と促したのである。
まだ何が出て来るか 解らない、他から新しい子供が出てくる可能性もある。
「命は大切だ、だが残された家族の生活も又大事にしなければならない」「此処で徒に金を使うべきかどうか」
佐和子は渦中にあって何も知らされていなかった、が おおよその察しは付いていた。
「あの人に佐代子以外の子供が居る」 絶望の淵に立たされたような気がした。
「あなた、私どうしたらいいの?」佐和子は松岡に聞いた。
「大丈夫 君の事は生涯守り通してあげるから、もう今考えてる事も忘れなさい」「聞いても時計の針は戻ってくれないんだよ」そう言って抱き締めるのだった。
そして尊厳死を選んだのである。
6月の初めの事だった。
佐和子は大粒の涙を流し 夫剛を見送った訳である。
憎しみは無かった、と言えば嘘になる。
だがやっぱり悲しかった。
暫くは部屋の中に閉じこもり沈み込んでいたが 松岡も「無理も無い事だ」とそっとして置いたのであった。
殆ど財産らしいものは残らなかった。
多くの子供達の代理人(弁護士)の手によって分割され、又ヨーロッパ現地の借財も多く佐和子親子には殆ど無かったのである。
「お母さん、何時までウジウジしてるの!しっかりしなさい」佐代子に叱られ 励まされ徐々に笑顔を見せる様になった。
栄作の作ったゲームが大手企業の眼に留まった。
早速契約したと云う。
松岡は「著作権の問題はどうなるんだ」と聞いた。
彼は「全部会社に委譲して当分その会社の研究室で働く契約をした」と言う。
「そしていろんなノウハウを覚え、それから自分の会社を立ち上げるんだ」と・・・
「それもひとつの選択肢かな」と 松岡は思ったのである。
ある日 佐代子は神妙に正座して松岡に言った。
「こんな不束な母ですが是非貰ってやって頂けませんか」「叔父様お願いします」と・・・
彼は大笑いをした。
「もう夫婦だよ」「早く籍を入れないと駄目だね」と。
佐和子はそれを佐代子から聞きとても喜んだのであった。
「ねえ、こんな私でもいいの?」「本当にいいの?」と何度も聞き直したのである。
「そうだよ、私の妻は佐和子しか居ないんだよ」
佐和子はほっぺたを何度もつねって確かめていた。
「わーい」 天にも昇る心地がしたのであったのである。
「博さんなら死ぬまで愛し続けてくれる」そう思っただけで幸せ一杯であった。
佐和子の兄弟達も大喜びをしたのだった。
歳は離れていても本当に愛してくれる博の人柄は皆の心を打ったのである。
「私の妻になってくれるね」 佐和子は涙が出て仕方が無かった。
何度も「こんな私でいいの?」と聞く 笑って「佐和子が好きなんだよ」と 答えた松岡博だった。
庭のあじさいの雨が妙に懐かしく思えたのである。
出会いもあじさいの雨の日だった。
そして 今も・・・
-完ー
№ 1
喫茶店を出た時 外は雨だった。
「あら 困ったわ、家を出る時あんなにいい天気だったのに」
コートの襟を立てに軒下で駆け出そうとしてた佐和子の頭の上に黒い大きな傘が被せられたのであった。
振り向くと初老の紳士が「どうぞ、これを差して行きなさい」・・・見ず知らずの男性だった。
「何時も此処でお見かけしてたんですよ、本が好きなんですね」
佐和子の楽しみは此処の美味しいコーヒーを飲みながらの読書だった。
「でもあなたが濡れるんじゃないですか?」「いや、私は近くの画廊に用が有って来たものですから 何とかなりますよ」「傘は差し上げましからお気使いなさらんでください」
そう言って彼の紳士は駆け出して行ってしまった。
「あの・・・お名前は?」そう叫んではみたが この雨の中 声は届いたか届かなかったのか見る見る姿は消えて行ってしまったのだった。
彼女の名は山下佐和子、夫剛は現在海外勤務の商社マン 二年に一度家に帰って来るものの又忙しく海外に赴く。
此処暫くは帰っていない。
もう三年も会っていない。
佐和子45歳の梅雨時の事であった。
名も告げず駆け去って行ってしまったあの方に傘を返さねば、と思って毎日喫茶店に来るもののなかなか逢えないでいたのである。
読書をしながら外を気にする。
最初は傘を返すのが目的だったものが何時か何と無く心ときめく楽しい時間に変わっていった。
「会ったらまずお礼を言って それから何を話そうか」「お住まいはどちら? お仕事は何をなさっているの?」
「おっと 忘れてた、先ず名前を聞かなくちゃ、それからお歳は幾つになられるのですか?」
まさに夢見る夢子さん状態になっていた。
思いなしか化粧にも気を使う様になってきた。
今までは薄く口紅を塗る程度で家を出たものが細かい所まで気を使うようになったのである。
着るものにも変化が見られた。
「お母さんこの頃ちょっと変よ、何かいい事でも在ったの?」
娘の佐代子がそう聞いた。
佐代子は社会人二年生、去年大学を卒業して会社勤めをしている。
母の変化に気付かぬ歳ではない。
「さては恋でもしたかな?」「お父さんの留守中に変な事しないでね」
「はいはい、解ってますよ・・・-だ」返事も上の空で本と傘を持ち家を飛び出して行く。
そっと跡を付けてみた。
特別変わった事もない。
だが変である。
何故 天気が良いのに傘を持って出掛けるんだ?それも男物の傘を・・・?
時々外を見てぼんやりしてる。
「やっぱり男の人を待ってるんだ・・・」「お父さんって者が在りながら何やってるのよ」
しかし決まった時間になると必ず帰ってくる。
佐代子が見張り始めて四日目・・・
素敵な中年の紳士がこの店に入って来た。
その紳士は窓際の佐和子に気が付かずカウンターの席に腰掛けマスターと笑って話をしてる。
佐和子の腰が落ち着かない。
立ったり座ったりもじもじしてる。
表の看板の陰に隠れて 笑えて来た佐代子だった。
「何だ 片思いか」・・・そんな母の姿を可愛いと思った。
突然、意を決して立ち上がった佐和子はカウンターの方に歩き出そうとして腰がヘナヘナット崩れてしまったのだ。
緊張のあまり貧血状態になってしまったのである。
佐代子は一瞬驚いたが大笑いをしてしまった。
そっと中に入って行き 他の席で様子を伺う。
ウエイトレスが「何にしましょう?」と聞いた時 つい「同じものを」と言ってしまったのだった。
「あ コーヒーね」と言い直し なにやってんだ私も と苦笑したのである。
まだ母は気が付いていない。
おずおずと進み寄り「あのう これを、先日はありがとう御座いました」そう言うのが精一杯の様である。
「あ、これはご丁寧な事で」そう言って彼の紳士は傘を受け取り「あの時は酷い降りでしたねー」と・・・
が しかし佐和子の後の言葉が続かない。
彼女自身自分に腹を立てていた。
あれ程楽しい会話をしたいと思っていたのに 何も口から出て来ない。
唯 立ち尽くしもじもじしてるだけである。
「何か?」紳士が聞いた。
「ええ あの そのう・・・」じれったくて見ていられない。
佐代子が後ろから軽くポカリと頭を叩き「母さん何やってんのよ」「しっかりしなさい」遂 口を出してしまったのである。
「えっあっ佐代子・・・」驚いて口をぽかんと開けたまま恥ずかしそうに俯いてしまった。
「娘の山下佐代子です、先日は大変お世話になりました、母がまだお話がしたい様で もしお時間が御座いましたら相手をしてやって戴けませんか?」
「これは失礼しました、私はこう云う者です、はっきりしたいいお嬢さんですねー 宜しく」と名刺を渡された。
『松岡博』・・・何処かで聞いた名前である。
マスターが「先生のお知り合いですか」と聞いた時思い出した。
画家の重鎮、主にヨーロッパの作品を多く手掛けている作家である事を・・・
「そうか 最近の母の行動を狂わせていたのはこの人だったのか」
「磯の鮑の片思い」佐代子は鼻歌を歌いながら先に店を出たのであった。
№ 2
いきなり最初から恥をかいたような思いをした佐和子だったが 娘のお蔭で少し話が出来た事が嬉しくて堪らなかった。
そして時々では有るが此処で話をする程度なら会える事が確認できた。
佐和子は少女の様に心弾んだ。
今度は恥をかかない様にしよう。
口の中でブツブツ言いながら一生懸命リハーサルを重ねてる。
佐代子は呆れてそれを見てるのだが そんな母が可愛いと思った。
「いい人で良かった、あの先生ならお父さんが帰って来ても何の問題にもならないだろう」
佐代子はこの交際に反対する理由がなくなった事が嬉しかった。
と 同時に「母には過ぎた人だなー」と思っても居たのである。
佐和子は ある地方都市の洋品店の長女として生まれた。
上には男兄弟二人と弟が居た。
たった一人の女の子である。
大事に大事に育てられたのであった。
だからかなり我侭な一面を持ち合わせている。
高校、大学と所謂 お嬢様学校(私立のところてんで進学出来る所)に通った。
特別裕福な家庭では無かったが さして貧乏でもない。
まあ 中流家庭だったが兄二人が高校を出てすぐ就職したものだから多少の贅沢は許された。
そして多くのボーイフレンドと遊び回ったのである。
だが 今の時代と違って余程の相手でなければキッスする事も無い。
そんな男性が現れたらもう大騒ぎ、結婚しなければ収まらない時代であった。
手を握り お互い眼と眼を見詰めあい「好きだよ」と言うのが精々であったのだ。
佐和子は何時も洒落た服を着てひときわ目立つ存在であった為 男性たちの注目を浴び多いに青春をエンジョイしてたのである。
「この世は私の為に有るのだわ」と思う程毎日が楽しくて堪らなかった。
そして学生時代に恋に落ちた。
相手は一流企業の若き商社マン、現在の夫である。
まだ若い二人は休日ごとによくドライブに行ったり映画を見に行ったり楽しい新婚生活をした。
恋愛の延長線上にあったのだった。
だが佐代子が生まれる頃から少しずつ歯車が狂ってきた。
有能な彼(剛)に役職が付き毎日の帰りが遅くなってきたのだった。
佐和子はそれが不満だった。
朝早くから出掛け 夜遅く帰ってくる。
剛にすればちょっとでも経済的に豊かな暮らしもしたいし出世もしたい、それが男の務めだと思っていた。
又 佐和子もそれは充分理解していたのだが・・・少し淋しくなったのである。
どんどん夫が遠く感じられる様になっていった。
次第に家庭でのいろんな話が出来なくなった。
疲れて帰って来る夫は夕食もそこそこに寝てしまう。
朝も佐和子が眼を覚ます頃 家を出て行く。
何と無く隙間風が吹き始めたのであった。
そんな時、夫の口から初めての海外出張の話が出たのである。
佐和子はそれでなくとも淋しい思いをしてるのに「嫌よ、行かないで」と涙で訴えたのであった。
「出世の為だ、お前だっていい暮らしをしたいだろう」 そう言われると何も言えなかった。
たった三ヶ月の事だが長く長く感じられたのである。
そう云えば佐代子が生まれてから夫婦の会話も娘の話が中心で 彼から「愛してるよ」と言って貰う事が無くなったのだった。
そして暫く夫婦の営みも無くなった。
現在海外支店の営業部長、バリバリと仕事をこなし会社に取っては絶対必要な戦力である。
だが佐和子に取っては 戸籍上の夫以外何者でもない、唯居るだけの存在でしか無かった。
「もう十年以上愛の営みは無いなー」淋しさが骨身に沁みる。
いろんなサークルに入ってみたが何をやっても面白くない。
娘佐代子が、中学の頃から 癒されぬ心を持て余し恋愛小説などを読んでみた。
がしかし余計に惨めになって行くばかり・・・
何時の間にか純文学から世界名作物語に変化して行った。
そして『おんな』を捨てたのである。
佐代子は溌剌として青春をエンジョイしてる。
私は45歳の・・・唯のおばさん・・・か・・・
時々娘にジェラシーを感じたが今ではそれも失せた。
№ 3
たまに帰って来ると 夫は「おい 新聞、飯はまだか?」 タバコを咥えれば「火」と言うだけの言葉しか発しない。
「一緒になった頃の彼は何処へ行ったのよ、私はお手伝いさんじゃ無いわよ」何度も口に出掛かったが止めた。
「一体私は何なのよ」と 言いたくとも生活を支えて貰っている以上何も言えない。
剛は典型的な日本人なのだ。
「あれだけ海外生活が長いのに何故女心を判ってくれないの?」愚痴を言いたくとも言えない。
娘佐代子が居なければ全く死んだような冷たい家庭である。
何時の間にか何時もの喫茶店の常連になってしまった。
コーヒー一杯で何時間でも本を読んでいる。
そんな時、松岡博と出会ったのだった。
佐和子は突然の雨に感謝したのであった。
紳士的な中にエネルギッシュな風貌を湛え、とても優しく接してくれる。
先年妻に先立たれ 歳は取ってるものの今は優雅な独身貴族・・・
まさに佐和子に取って理想的な人であった。
彼女は一生懸命お洒落して、共通の話題は無いかと考えていた。
彼女の心の中では「何とか気に入られたい」その事で一杯だった。
夫は遠く外国の地、娘佐代子は笑って相手にしてくれない。
何時も会社で楽しくやっている。
そんな時 松岡から優しい誘いがあったのだ。
「アトリエに遊びにきませんか、お嬢さんと一緒にね」「えっ!私だけじゃ無いんですか?」「それはそうでしょう 仮にも私は独身男ですよ、そこに来客となれば女性一人じゃ可笑しいですよ」
がっかりしたが何はともあれ招待された事は嬉しかった。
佐和子は娘佐代子に話すべきかどうか迷った。
出来れば先生のアトリエに一人で行きたかったのだ。
でも黙っている訳にはゆかない。
「あのね、先生がアトリエに遊びにいらっしゃいって、佐代子興味ないでしょう お断りしようかな・・・」「出来れば佐代子さんもって言われたんだけど」
「へー・・・佐代子さんもって?」「お母さん 本当は一人で行きたいんでしょう」笑いながら「お断りしたら?」佐代子はすぐに母の魂胆が解った。
「ま 私が保護者って訳ね、お邪魔にならない程度について行ってあげるよ」
「でも母さん変わったわね、最近生き生きしてるわ、少し若返った様な気もするし」
元々器量が悪い方ではない。
此処10年程化粧にも無頓着で積極性が無くなっていただけの話である。
そして佐代子が会社に出掛けると孤独な家庭生活、面白くない 寂しい、内向的な性格になりつつあった。
しかし最近は楽しくて仕方がない。
可愛くもなった。
佐代子は「これが恋する女なんだ」「恋の魔術って素晴しいな」と一人納得していたのである。
佐和子は確かに変わった。
誰の眼にもそれはよく判った。
「お父さんが帰るまで そっと見守ってやろう」佐代子はそう思ったのであった。
さて その日がやって来た。
佐和子は朝早くから衣装ケースの中を引っ掻き回し「これが良いかな?あれが良いかな」とやっている。
「そんなのジーンズで結構よ、アトリエでしょう、物置と一緒よ」佐代子が笑って言った。
化粧も念入りに・・・そして言ったのである。
「佐代子ちゃん、今から病気になってよ、そうしたら私一人で行けるから」「後で何か買ってあげるから、お願い・・・」「駄目っ!保護者同伴なんだから」
佐和子はがっくり肩を落として「そう?保護者なのね・・・」と。
松岡のアトリエは高台の見晴らしの良いところに建っていた。
家は特別広くはないが樹木に覆われた隠れ家の様な所だった。
成る程、汚い。
汚いと云うどころじゃない。
足の踏み場もない。
普通(男やもめにウジが湧く)と云うが まさにその通りである。
埃とゴミの間を避けながら奥のアトリエまで辿り着いた。
其処も又 ゴミの山である。
だが 素晴しい作品が所狭しと置いてある。
イーゼルには描きかけの作品が掛かっていた。
そこで松岡はとうとうと作品に付いての話を始めた、西洋絵画史、各ジャンルの絵画の話など・・・
佐和子はそんな松岡の顔を見詰めトロンとした眼をしていた。
佐代子には非常に勉強になった訳だが 佐和子の眼は作品など見てはいなかったのである。
「駄目だ これは・・・完全にいかれてしまっている」
帰り道 佐代子が「先生の作品 素晴しかったね、話も勉強になったし」「そう?私は顔しか見ていなかったから知らないわ、でも汚い所だったね」と・・・
それからの佐和子はよく家を空ける様になった。
毎日玄関からキッチン、トイレに至るまで掃除に通っていたのだった。
佐代子が半月後に訪れた時、別の家に入ったのかと驚いた程である。
元々造りのしっかりした家である。
床も磨かれ埃もない綺麗な佇まいには『流石芸術家の家』と思わせる風格が漂っていた。
そして時々佐和子と松岡の姿は喫茶店、レストラン等で見られる様になった。
佐和子も家に居る時は一日中クラシック音楽を聴き楽しく家事をこなしていた。
半月程したある日「ねえ、ドライブに行っていいかなー」と佐代子に聞いたのである。
「そう、行きたければ勝手に行ったら、何でも聞かないでよ 子供じゃないんだから」「何怒ってるのよ 母さん何か悪い事した?」「そうじゃないの 自分の事は自分で決められない様でないと駄目なの」「お母さんがそうしたいと思ったらそうすれば良いし いけない事と思ったら止めるべきなの、判った?」
結局朝からウキウキとして出て行ってしまったのであった。
№ 4
佐和子は嬉しかった。
こんな風にドライブが出来るのは何十年ぶりだろう。
それも憧れの先生と・・・
久しぶりに饒舌になっていた。
いろんな取り留めも無い話にも笑って耳を傾けてくれる。
そして先生の若い頃の苦労話も熱心に聴いた。
松岡も又嬉しかったのである。
日頃、先生先生と持て囃され 何の垣根も無く自分の話を聞いてくれる者は 何処にも居なかったからである。
佐和子にはバリア等無い。
屈託無く何でも話が出来た。
そして夕暮れの海を見ながらポツリと「これから誰も居ない所にでも行って静かに暮らしてみたいなー」と・・・
それは佐和子を指して言ったのでは無かったのだが 佐和子は嬉しかった。
「先生は私をそんな風に思ってくださっている」 大きな勘違いである。
が 松岡の肩にもたれて幸せ一杯であった。
夕食を海の見えるレストランで食べ 帰宅したのは12時過ぎだった。
小さくハミングしながら帰った佐和子に 佐代子は「門限10時! それを守れなかったら外出禁止」と厳しく注意したのである。
「ごめんなさい、渋滞に巻き込まれてしまってね」苦しい言い訳だった。
一方松岡は久しぶりに心の中の鬱積を吐き出した事で カウンターで旨い酒を飲んでいた。
「先生、何かいい事あったんですか?」「うん まあな」 バーテンに曖昧に答えて家路に着いたのである。
それからの松岡の作風は徐々に変わっていった。
豪快な作風の彼であったがその中に柔らかさが加わってきたのだ。
何でも愚痴を聞いてくれる佐和子の存在が彼の作品の力みを取り去ってくれているのである。
何時の間にか彼女の存在が松岡の心の支えとなり 心の奥底にまで入り込んでいたのだった。
彼女も又彼無しの生活が考えられないでいたのだ。
毎日の様に佐和子はやって来た。
そして「疲れたな」と思う頃 コーヒーとちょっとしたクッキーなどを焼いて出してくれる。
何時しか、お互い 無くてならぬ存在としてアトリエに居たのである。
夫に妻としての愛を受けられず10数年、佐和子は生き返った様に嬉々として松岡の家と佐代子の待つ我が家との暮らしを楽しんでいる。
又 松岡博も妻に先立たれ自分を失いかけていたのを救われ 制作意欲に燃え意欲的な仕事に明け暮れしてた。
まさに運命の悪戯と云う他は無い。
ある日「先生 今日から五日間此処に泊まってもいいでしょう?」佐和子が言った。
「えっ佐代子さんの許しは得たのかい?」「ええ まあ佐代子は友達とアメリカに旅行に行きました」「でも許しは得てないんだろう」「ボーイフレンドと一緒なんです、私も一人じゃ淋しいわ」
松岡は返事に困った。
「我々の時代には恋人と旅行しても後ろ指指される事が当たり前だったが・・・」「今は男友達と外国まで行っても誰も何も言わないのか」
少し考えて 「いいよ、私のベッドで良かったらね」松岡はアトリエのソファーで寝る事にした。
夕食後、二人は静かな ショパンの調 を聴きながら紅茶を飲んで楽しいお喋りをして時を過ごしたのである。
佐和子は「こんな楽しい時間を持つ事が出来たの 生まれて初めて・・・」としみじみ呟いた。
うっすらと涙が浮かんでいた。
松岡はそんな佐和子を可愛いと思った。
肩を寄せ合い「こんな日が来るとは・・・」と思いながら・・・
佐和子をベッドに案内して彼はソファーに横になった。
しかし何と無く落ち着かない。
この家の中に愛する人が居る、それもすぐ手の届きそうな所に・・・
何度も寝返りを打つ。
浅い眠りに付こうとした時 眼の前に佐和子が立っていた。
頬が濡れている。
「好きです、先生一緒に寝てください」
しかし佐和子には夫も子供も居る、松岡も一緒に居たい気持ちが有ったがかろうじて自制心が働いていたのである。
「嫌? 先生私が嫌いですか?」「でなかったら愛してください」
躊躇したが 結局佐和子のベッドに向かったのだった。
「添い寝をしてやれば落ち着くんではないか」と考えたが彼女は必死にしがみ付いてくる。
そして唇を求める、身体の隅々まで舐め回す。
「しまった、浅はかだった」そうは思ったが何と無くそうした期待も有った事に愕然とした。
全裸のシルエットが窓から差す月光に美しく照らし出された。
遂に松岡も理性を失って行ったのだった。
優しく愛撫しながら時間をかけて楽しんだのである。
二人とも暫くぶりの人肌に触れ ため息と愛の雫の中に溺れて行ったのである。
佐和子はこんな愛の営みを持ったのは初めての経験だった。
夫は前技もそこそこに自分だけ楽しんでさっさと寝てしまう。
佐和子は「夫婦なんだからこれが当たり前なんだ」と思って居た。
しかし松岡は優しく優しく佐和子を大切に扱ってくれた。
何度も気が遠くなるような喜びが襲ったのだった。
「嬉しい これが本当の愛なんだ」佐和子は喜びの嵐の中で涙が溢れたのである。
翌朝 気持ち好いけだるさの中で二人は又肌を合わせていた。
佐和子は松岡の腕の中でまだ眠っている。
そっと起き出しコーヒーを入れる。
後ろから恥ずかしそうに佐和子がしがみ付いて来た。
そんな佐和子が余計可愛いく思えた。
松岡は考えた。
「このままで良いのか?それともご主人に話し別れて貰うのが良いのか・・・」
もう佐和子無しの生活など考えたくも無かったのだ。
№ 5
秋の信州路を散策する。
そして気に入った風景に出逢うとスケッチブックを広げる。
傍らには何時も佐和子の姿があった。
佐和子はすっかり夫の事など忘れていたのだ。
いや、忘れようと努めていたのだった。
「この幸せが永久に続けばいいなー」と思いながら。
そんな佐和子を 娘佐代子は「可愛い」と思っていたが 何れ壊れるこの関係の行方を心配してたのである。
「お母さん 可哀想に・・・お父さんには あれだけの包容力が無いからなー」「いっそ帰って来なければいいのに」と・・・
佐代子も又母の幸せを願っていたが 現実的に結婚してると云う事実は消す事が出来ないだけに悩んでいたのだ。
絶対父は離婚に応じないであろう、と。
「母は父に逆らえないだろう」「あの性格からして一生泣きながら付いて行くだろう」と・・・
「私があの時助け舟を出さなければよかったのか・・・」と 傘を返した時の事を思い出していた。
しかし今の母の幸せそうな笑顔を見ると 何も言えなくなっていたのだ。
やがて雪の降る季節になった。
ジングルベルが町々に響く頃 三人は映画を見てホテルのラウンジで食事を取っていた。
「はい これは佐代子さんに」プレゼントの大きな箱を貰った。
「そう云えば父から何も貰った記憶は無いなー」嬉しかった。
母にはダイアモンドのネックレス・・・「開けて見ていい?」にっこり笑い「気に入ればいいけどね」
それはホワイトミンクのコートだった。
「若いから白にしたよ」サイズもぴったり 「To my Dughter」とのカードが入っていた。
「叔父様は本当に母を愛しているんだ、私を娘と見てくれている」余計嬉しさが込み上げてきた。
「こんな所を父が見たらどうするだろうか?」不安も又膨らんで来たのである。
白いものがちらついていた。
こうしてホワイトクリスマスの夜は更けていったのである。
「お母さん どうする?お父さんが帰って来たら?」
「そうね、正直に言うわ、私は博さんが好きですって」
「それで収まる話じゃないわよ、絶対離婚してくれないわよ」
「何とかなるわよ、佐代子と別れ別れの生活になっても仕方が無いわね」「そんなの嫌よ、私も母さんに着いて行くから」
佐和子はにっこり笑い「ありがとうね」と・・・うっすら涙が滲んでいた。
そして桜の花の咲く頃になった。
彼は家のリホームを始めていた。
元々洒落た天井の高い家である、壁のクロスを張替え少し増築して佐代子の部屋も作ったのだ。
彼の心の表れである。
どんな犠牲を払っても愛する人と佐代子を引き取る覚悟であった。
上野公園の桜が特に美しく見えた。
三人は食事を取りながらも その問題に触れようとしなかったのである。
楽しくも切ないひと時だった。
「お母さん、会って欲しい人が居るんだけど」「どんな人?」「うーん どう説明していいのかなー、クリエイティブな仕事をしてる人なんだけど・・・」
「一緒になりたいの」 佐和子はもうそんな年になったのか、と娘をしみじみ見詰めたのであった。
「お父さんなら絶対反対する人よ」「だって収入も不安定だし、兎に角貧乏なのよ、夢だけはでっかい人なのよ」「あなたはその人好きなんでしょう?」
「うん、どうなるか解らないけれど私もその夢に賭けてみたいのよ、それにすごく優しいの」
松岡は若い頃の自分の事を言われている様な気がした。
「佐代子さんがいいと思うんなら一緒にその夢を追い駆けてもいいと思うよ」
佐和子も「そうね 何時までも愛してくれる人ならね」「会ってあげるよ」と言ったのである。
なかなかの好青年である。
しっかりした将来のビジョンも持っている。
「このお付き合い 大事にしなさいね」佐和子はそう答えたのであった。
こうして青葉の季節を迎えたのである。
まるで松岡の家が我が家の様に佐代子は彼を連れてやって来る。
そして楽しいお喋りをして帰るのだった。
佐和子も何時も我が家に居るように落ち着いて暮らしている。
この頃は松岡の作品を素人ながら批評するようになっていた。
にこにこしながら「そんな見方も有ったのか」と驚かされる時もあるのだ。
本当に息の合った夫婦の様であった。
№ 6
やがて 鬱陶しい梅雨の季節がやって来た。
だが佐和子にとっては嬉しい季節だった。
初めて松岡と逢った季節だから・・・
そう 佐和子と松岡とが出会った季節となったのである。
だが彼女が深刻な顔で話していた。
横には佐代子、そして恋人の栄作も居た。
「お父さんが帰って来る」と言う。
何でもアムステルダムの病院で脳に腫瘍が見付かったとか・・・
急遽 帰国して日本の病院に入院すると云う話である。
「入院なら当分黙って様子を見た方がいいよ」佐代子がそう言った。
だが松岡は「何れにしてもけじめは付けなきゃいけないから私は会おうと思ってる」と・・・
恋人の栄作も「是非会って話をしたい、結婚を許して貰わなきゃ」と言ったのであった。
空港から自宅に戻った父(剛)は「やっぱり我が家がいいなー」と座敷で寛いでいた。
其処へ 先に着いた栄作が訪れたのである。
一通りの説明をして「是非お嬢さんをください、一生懸命努力して幸せな家庭を作りますから」途端に雷が落ちた。
「何がゲームソフトの会社を立ち上げるだっ!何が幸せをだ」「佐代子!許さんからな」「お父さんの会社で将来有望な男を紹介するからこんな男にたぶらかせられるな」
尚も話を聞いて貰おうとしたが いきなり栄作の頬を殴り付けたのであった。
「顔も見たくない、帰れっ!」
「酷い、お父さん 私この家出て行くから!」
「何っ貴様!泥棒野郎」「出て行け、もう親でも子でもない、お前も乞食にでもなるかっ」
そして「うっ・・・」と言ってよろめき柱にしがみ付いたのである。
「あなたっどうしたの?」「何でも無い 帰れ帰れ」声に力が無かった。
其処へ松岡博が現れた。
気配を察した松岡はすぐ救急車を呼んだ。
すぐ大学病院に搬送されたのだった。
早速精密検査が行われたのである・・・が・・・
診断の結果は脳梗塞、すぐ手術となったのである。
「頑張るんだよ、今の医学は発達してるんだ、さあ元気を出して」
松岡は先に栄作を帰し 二人を励まし続けた。
長い手術だった。
真っ白い頭の包帯に人工呼吸器を着けた姿が痛々しかった。
「ご家族の方ですね、ちょっとお話があるのですが」
そこで話された事は衝撃的な出来事だった。
助かっても半身不随になるであろう、勿論口がきける様になることはまず無理だろう、本人に余程の覚悟と努力があればリハビリである程度の快復の見込みはあるものの・・・後は医師も言葉を選びながらご主人は重度の性病に掛かっておいでだ。
これが脳まで届き かなり痛んでいる・・・と・・・
佐和子は松岡に支えられやっと立っている状態だった。
「だからお父さんは日本に帰って来なかったんだ」佐代子は吐き捨てる様にそう言って病院を後にしたのであった。
松岡はヨーロッパに住んでいる友人に長いメールを打った。
その辺りを調べて欲しい、と。
半月程で返事が届いた。
アムステルダムには奥さんも二人の子供も居る、尚 他にも何人かの愛人が居るようだ、と・・・
佐和子が余計 可哀想になった。
彼女は毎日看病に通った。
完全看護の大病院である。
必ず夜はこの家に帰って来た。
佐代子は松岡がヨーロッパの友人とメールのやり取りしてるのを知っていた。
そしていろいろ聞いてきた、が彼は「知らない方がいいよ」と答えていたが 知ってしまったのである。
彼の散歩中、悪い事とは思ったがパソコンを開けて偶然見てしまったのである。
彼女は彼がパソコンを開いていた時 見るとは無く見てしまいアドレスを知ってしまったのだった。
記憶力の良い佐代子はそれを覚えていたのだ。
余計父が憎くなったのである。
「お母さんはまだ知らないだろう」
母が可哀想に思えた。
毎日一生懸命看病に行ってる母に教えるべきか・・・何故叔父様(松岡をそう呼ぶ様になっていた)は母に話さないんだろう?
ある日 病院に母が行ってる時その訳を聞いた。
「佐和子さんはナイーブな人だ、信じていた人がそうだったら どうするか判るか?」
「私と佐和子さんのケースとは訳が違う」「きっと人が信じられなくなるだろう、黙っていてやろうよ」「時が経てば自然に解る事なんだが今はその時期じゃない」
「献身的に看病してる佐和子さんが可哀想だ、責任は私が持つ」「私にはその責任と義務がある」
「元気になられたらその時は 私が頭を下げ別れて頂くよう努力する、どうしても駄目なら略奪婚でもするさ」
眼が笑ってた、しかしその眼は真剣だった。
「母さんは幸せだなー・・・私の彼も歳を取ってもこんなに愛してくれるといいな」と 佐代子は思った。
が しかし父の意識は戻る様子は見られない。
徒 時間だけが通り過ぎてゆく。
ある日 佐和子は涙を一杯溜めた眼で「ごめんなさい 私はやっぱり貴方と一緒になれないわ」「あの人がこのまま植物人間になってしまったら私は一生あの人の面倒見なければいけないのよ」「貴方にもっと素敵な人現れても今のままじゃ前へ踏み出せないでしょう、私の事 忘れてください」と・・・
辛そうに肩を落として必死に耐えている事がよく解った。
彼女はもう自分の運命を諦めている様子だった。
佐和子の心の中は楽しかった日々を思い返し この愛に終止符を打とうとしていたのだ。
言い終わった後一気に涙が溢れ出て 崩れる様に松岡の胸にしがみ付き慟哭したのであった。
彼は胸の中の佐和子の心が解るだけに余計辛かった、が・・・
「君はそれでいいのか?何時までも待つから安心して」「もう つまらない事考えないで自然に任せなさい」「愛してるよ・・・」と言ったのである。
最近 松岡邸には来客が多くなった。
佐和子は病院と此処を行き来してる、佐代子も恋人と逢う時と会社以外は此処にいる時が多い。
携帯の時代ではあるが会って話をした方が話がよく出来る。
佐和子の兄たちが此処に集まるのである。
最初は「何故自宅でなくて他人の家なんだ」と訝しがったが 佐代子の説明で此処が一番よかろうと言う事で 親戚一同此処に集まる様になってしまった。
兄弟達は「仕事の出来る 出世頭だな」 と尊敬もしてた様だが佐代子の説明でいかに傍若無人の人物か・・・がよく解り怒りを顕わにしたのである。
だが、そうは云っても相手は病人の事だ。
暫く様子を見てそれからの話である。
盆と正月以外には顔を合わせた事の無い親戚一同 は松岡が佐和子親子にどう関っているのか、それも知りたい事であった。
佐和子の兄恵一が言った「まだ他に腹違いの子供が居るのではないか?」「今まで勤務してた先を全部洗ってみる必要があるな」と・・・
「まず 何故其処までほって置いたのか」と佐和子は攻められた。
それは佐代子が説明した「ロサンゼルス勤務の時三歳の佐代子を連れてアメリカまで行った時、仕事場は戦場だ!女が来る所ではない」と叱られ帰りのチケットを渡され一日で帰って来た事・・・極端に来る事を拒んでいた事などを。
だから静かに待つだけの生活になってしまった事など、事細やかに話したのであった。
松岡の調べでフランクフルトにも男の子が居る事が判った。
兄弟達は「もうほって置け」とさじを投げたが、まだそうした事実は彼女には伝えられなかった。
あまりにも残酷な宣告で誰も言い出す事が出来なかったのである。
やがて夏も過ぎコスモスの咲く頃となった。
一向に病状は変わらない。
意識は戻ったり途切れたり、佐和子は必死に看病してた。
ある日 佐代子は二人の前で「こんな時言うのもなんだけど 私達結婚してもいいかなー」と言った。
「いいんじゃない、お父さんを待ってても治る見込みも無いし、どうせ又反対するに決まっているから」「うん、そうだな、彼も一日千秋の思いで待ってるんだから」
親戚筋にもきちっと挨拶を済ませ結婚式の日取りを決める事になった。
まあ 若い二人の事である。
全て自分達でどんどん決めて行く。
住まいは松岡の家と決まった。
「増築して置いてよかったな」と彼は思ったのだった。
家族が増えると云う事は嬉しい事である。
小さな教会で式だけ挙げて後は会費制のパーティで済ます事になった。
お互いの経済状況を考えて北海道まで車でドライブが新婚旅行である。
少し位ならお金を出してやって海外にでもと思ったが「叔父様、海外旅行は私達 お金を貯めて行くから楽しみに取って置くの」と佐代子は笑って言ったのである。
バジンロードは松岡が付き添う事になった。
皆 一様に驚いたのである。
絵画界の重鎮 松岡博の付き添いだ。
佐代子も心から喜び 又友達、会社の上司にも鼻が高かったのだった。
こうして二人は旅立って行ったのである。
母佐和子は涙を流して喜んだ。
二人の未来に幸あれと・・・そして父のアムステルダムに住んでいる佐代子の兄弟の事を知ったのである。
ショックで頭が真っ白になった。
№ 7
雪が降り、芽吹きの季節となった。
佐和子はこの一年ちょっと前の幸せを噛み締めていたのだった。
と 同時に剛にちょっとでも良くなって欲しかった。
それは佐和子に取っては重要な事だった。
「本当に愛していたかどうか?」彼の口から直に聞きたかった。
そうでないと納得出来ない。
「私の人生の選択が間違いだったかどうか?」それを知りたかったのだ。
しかし剛の容態は一向によくなる気配は無い。
医師からは延命措置を取るかどうかを皆で相談する様に言われた。
佐和子の親戚筋は皆「その必要は無い」と怒りを顕わにしてる。
だが 剛の血筋の者達は「植物状態からよみがえる事もあるかも知れない」と猛反対をした。
松岡は剛の家族達に自分の友人達から来たメールの数々をコピーして「これから起こるであろう財産相続の件と考え合わせて検討する様に」と促したのである。
まだ何が出て来るか 解らない、他から新しい子供が出てくる可能性もある。
「命は大切だ、だが残された家族の生活も又大事にしなければならない」「此処で徒に金を使うべきかどうか」
佐和子は渦中にあって何も知らされていなかった、が おおよその察しは付いていた。
「あの人に佐代子以外の子供が居る」 絶望の淵に立たされたような気がした。
「あなた、私どうしたらいいの?」佐和子は松岡に聞いた。
「大丈夫 君の事は生涯守り通してあげるから、もう今考えてる事も忘れなさい」「聞いても時計の針は戻ってくれないんだよ」そう言って抱き締めるのだった。
そして尊厳死を選んだのである。
6月の初めの事だった。
佐和子は大粒の涙を流し 夫剛を見送った訳である。
憎しみは無かった、と言えば嘘になる。
だがやっぱり悲しかった。
暫くは部屋の中に閉じこもり沈み込んでいたが 松岡も「無理も無い事だ」とそっとして置いたのであった。
殆ど財産らしいものは残らなかった。
多くの子供達の代理人(弁護士)の手によって分割され、又ヨーロッパ現地の借財も多く佐和子親子には殆ど無かったのである。
「お母さん、何時までウジウジしてるの!しっかりしなさい」佐代子に叱られ 励まされ徐々に笑顔を見せる様になった。
栄作の作ったゲームが大手企業の眼に留まった。
早速契約したと云う。
松岡は「著作権の問題はどうなるんだ」と聞いた。
彼は「全部会社に委譲して当分その会社の研究室で働く契約をした」と言う。
「そしていろんなノウハウを覚え、それから自分の会社を立ち上げるんだ」と・・・
「それもひとつの選択肢かな」と 松岡は思ったのである。
ある日 佐代子は神妙に正座して松岡に言った。
「こんな不束な母ですが是非貰ってやって頂けませんか」「叔父様お願いします」と・・・
彼は大笑いをした。
「もう夫婦だよ」「早く籍を入れないと駄目だね」と。
佐和子はそれを佐代子から聞きとても喜んだのであった。
「ねえ、こんな私でもいいの?」「本当にいいの?」と何度も聞き直したのである。
「そうだよ、私の妻は佐和子しか居ないんだよ」
佐和子はほっぺたを何度もつねって確かめていた。
「わーい」 天にも昇る心地がしたのであったのである。
「博さんなら死ぬまで愛し続けてくれる」そう思っただけで幸せ一杯であった。
佐和子の兄弟達も大喜びをしたのだった。
歳は離れていても本当に愛してくれる博の人柄は皆の心を打ったのである。
「私の妻になってくれるね」 佐和子は涙が出て仕方が無かった。
何度も「こんな私でいいの?」と聞く 笑って「佐和子が好きなんだよ」と 答えた松岡博だった。
庭のあじさいの雨が妙に懐かしく思えたのである。
出会いもあじさいの雨の日だった。
そして 今も・・・
-完ー
銀狼』
明治初期の事である。
この小さな村里に仙造と云うマタギが住んでいた。
彼は山住族(マタギ)の末裔である。
彼は熊撃ちの名人として近隣の村々に知られた男だった。
毎日 山深く入って行って大きな獲物を取り生活をしていた。
沢を上り熊の足跡を見付けると執拗に追い駆け最後には絶対に仕留めて里まで引きずって下りて来たのである。
彼は村人にとって最も頼りになる男だった。
当時は村人にとって熊、狼、猪は天敵であったのだ。
作物は食い荒らされる、一年の収穫が一晩で水泡に帰すのである。
彼はその守り神の様に信頼と尊敬を得ていたのだった。
二頭の猟犬を連れ今日も山の中に入ってゆく。
沢を渡り山を駆け回る。
その姿は隼の様であった。
ある時 隣村に大きな熊が現れたとの知らせを受けた仙造はすぐ走ったのである。
「おかしい、これはこの辺りに住む熊では無いな」足跡の大きさから云って明らかに違う。
『魔王』だ、噂には聞いていたが山ふたつ隔てた村で大暴れをして人を食い殺した大熊に違いない。
「遂にこの近くまで現れたか」流石の仙造も身震いを覚えた。
出来れば出会いたくない相手だった。
人を喰った熊程始末が悪いものはない。
その味をしめ何度でも里に降りて来て人を襲う。
仙造はまだ見ぬ相手にどう戦うか考えあぐねたのであった。
仙造は孫娘と二人暮しだ。
流行病で息子夫婦を亡くし この山里で皆に親しまれ暮らしていた。
猟を生業としていたが決して荒々しい性格では無かったのである。
ある日 沢伝いの崖下で「キャイーン」と泣き声を聞いた。
猟犬のテツとタロウが激しく泣いた。
急いで駆け付けると銀色に輝く生後三ヶ月程の狼が崖の上から落ちたのであろう、苦しそうにもがいている。
前足を骨折していた。
狼は人間の敵である。
だが仙造は殺す事が出来なかった。
「おう よしよし、痛かろうのう」足に手をかけようとした時ガブリと噛み付かれた。
構わず「今治してやるから静かにしておれ」自分の怪我などほって置いて 真っ直ぐに引っ張り添え木を当て手拭いで固く縛って番小屋に抱いて行ったのである。
彼にはこうした番小屋が幾つも有った。
獲物を追い掛けて野宿しなければならない場合もある。
その為にはこうした小屋は必要だったのだ。
家に取って帰り薬箱を持ち出しその小屋に行こうとした時、孫娘の染子が「爺ちゃん血が出てるよ、どうしたの?」と聞いた。
「どうだ、付いて来るか?」「うん いくいく」
番小屋では二頭の犬が待っていた。
「あー 可愛い」「狼の子だぞ、気を付けろよ」「銀色の狼なんて初めて見た」
不思議と染子には「クーン」と言って擦り寄ってくる。
「これは当分番小屋暮らしだな」と 食料を一杯里から持って上がったのであった。
一ヵ月後 狼『銀』は元気に染子の後を付いて歩く様になったのである。
そして野山を駆け回っていた。
染子の傍らには何時も銀が付いてい居たのだった。
銀はとても美しい狼だった。
額に縦に黒い十字の星を付け走る姿も凛々しい男の子であった。
だが怪我も癒え 三ヶ月も過ぎる頃、何処となく去って行ってしまったのである。
「何処に行ったのかなー・・・元気で生きているのかなー」染子は淋しがった。
「狼の子はやっぱり狼なんだよ、山の奥できっと立派に生きてるさ」仙造もちょっぴり淋しかったのだった。
猟師仲間の権三がやって来た。
魔王が下の村で暴れたそうだ。
子供と母親が殺され父親が腕を噛み切られたと言う。
皆で集まって相談する事になった。
三人一組で各村を巡回する事にしたのだ。
だが 夜は・・・各村ごとに鉄砲の撃てる者を置き 山刀を使える様訓練しよう、と言う事になったのであるが・・・
そうそう一日二日で覚えられるものでは無い。
中には維新の戦争で武器を扱った者もいたが 大抵は江戸幕府から明治新政府に変わった事も分からない者も居たのも事実である。
何しろ東北の山中に点在する小さな村の事である。
大きな町に出るのも一日仕事だ。
質素な暮らしながら自給自足が出来る。
沢にはヤマメ、岩魚、アマゴ等、そっと手を入れて捕る事が出来た。
冬 雪の間は村は眠っているが春になれば山菜もふんだんに取れる。
時々、町から足りない物を大八車で売りに来る行商人に頼めば事足りるのだ。
そんな隠れ里の様なところだが四季の食べ物は豊富にあった。
又 手付かずの美しい自然の懐に抱かれて幸せに暮らしていたのである。
唯 野生動物には手を焼かされて居たのだが・・・
魔王には不思議な能力が備わっているようだ。
必ず手薄な所を狙って襲って来る。
そして大きな爪跡を残して行く。
まるで人間の行動を見透かすように・・・
が 不思議と仙造の村には現れたためしが無い。
それを皆 不思議に思った。
その日は仙造の前には獲物らしいものが何も見付からなかった。
山深く分け入って今まで入った事のない北の山に踏み入ったのである。
「居た」沢山の鹿の群れが木の葉を食べているのに遭遇したのであった。
「しめた、今日は大物の鹿が獲れるぞ」
銃に弾込めをして足場を固める。
突然「ウーッ」とした唸り声がすると同時に鹿の群れは沢伝いに走り始めたのであった。
狼だった。
狼の群れが鹿を追詰めて行く。
仙造は「ちっ!」と舌打ちをして見送ったのである。
だが鹿の群れは突然向きを変え山伝いに逃げ始めたのであった。
そこで見たものは 銀色に輝くひときわ逞しい固まりが大鹿の首筋に飛び掛る姿であったのである。
「銀だ!」・・・銀が首を激しく振る。
大鹿は声を上げる事もなく絶命したのであった。
其処へ仲間の狼たちが群がる。
瞬く間もなく僅かの肉片を残し骨の姿だけが残った。
仙造と銀との眼が合った。
銀は近付いて来て「うーっ」と一声上げて去って行ったのである。
「此処は俺のテリトリーだ、入ってくるな」とでも言ってる様であった。
「そうか、ここは銀の縄張りなのか・・・」
帰り道の途中で野兎を二匹獲っただけの収穫だった。
染子に「銀に会ったぞ」と話したら「私も逢いたかったなー」と答えた。
銀は小さな群れの頭になっていたのだ。
毎日が何時魔王がやって来るか、来たらどう仕留めるか、緊張の日々だった。
ある夕刻、番小屋の扉が少し開いているのを仙造は気付き覗いてみた。
銀が蹲っている。
「どうした?」と近付いたところ「クーン」と泣いて首を上げた。
白く輝く毛並みには相当出血が見られたのである。
他の群れと喧嘩した様だ。
早速又治療にかかったのだった。
又 染子の出番である。
染子は喜んで番小屋に来たのであった。
今度の傷は明らかに噛み傷である。
それも相当深い。
全治するのにかなりの日数を要した。
外には三頭の若い狼が見守っていたのだ。
そのうちの一頭は明らかに雌である。
きっと銀の妻であろう。怪我の癒えた銀は 又何処となく去って行ってしまったのである。
ある夏の夜 染子の蚊帳の裾が捲れた。
夜目にも鮮やかな銀の姿があった。
そして染子の傍らで並んで横になったのだ。
「銀、来たのか?」染子は喜んで抱き締めて寝たのである。
翌朝 隣のトメばあさんが来て腰を抜かした。
なすとトマトを持って来た訳だが大きな狼が染子の横に寝てる、庭にも隠れる様に三頭の狼が居る。
仙造は皆に言った「染子と銀は友達なのさ」と・・・
一時村中に広まった噂はそれで収まったのだった。
村人は納得した。
「だからこの村には魔王が近付かないのか」と・・・
何時も魔王の影に怯えて暮らしていた村人に取って大きな安心感を与えたのは確かであった。
ある日 「沢の近くに猪が集まっているぞ」と猟師仲間の一人が知らせて来た。
仲間を集め、仙造はその沢に向った。
一斉に銃口が火を噴いた。
大猟である。
山の中腹から「ウオーン」と声が響いた。
銀の姿がちらりと見えた。
皆は思った。
銀が追い込んでくれたのだと・・・
人里放れた所に住む狼が何故この近くに居るのが不思議であった。
が しかし雪の頃ともなれば仙造の家は狼達が干し肉を求めてやって来る。
「おう 来たか来たか」と彼らに肉を与えるのだ。
だから秋の収穫時期にはうんと猟に励まねばならなかったが・・・村人もそれを承知してた。
又 隣村に魔王が現れた。
大きな爪跡を残し・・・
もう被害に遭っていないのは町に近い村と仙蔵達の住む村だけとなってしまった。
魔王を見たと云う人々からの証言によれば天を突くような大きな灰色の熊だという。
「これは内地の熊じゃないぞ、きっと蝦夷地に生息するヒグマではないだろうか」「はぐれ熊か・・・始末が悪いぞ」「一発では倒せないだろうな」
この地方では月の輪熊がほとんどである。
羆に出合った猟師は居なかったのだ。
三人一組で狙うは喉元と心臓、そして今まで襲われた村々を地図の上で線で引いてみた。
すると、ある事が判った。
周期的に廻って歩く道筋がある。
今度はこの村が危ない。
皆でその村に向ったのであった。
が 見事に裏をかかれた、先日襲われた村を再び襲ったのである。
読めなくなった。
「奴には霊能力があるのか?」
それから暫く静かな日が続いた。
染子は毎日山を駆け回って楽しんでいた。
その周りには7~8頭の銀の群れが付いて走る。
まだ義務教育も徹底されていない時代である。
読み書き算盤が出来れば上等の時代だった。
そんなものは家で教わる事が出来る。
隣のトメばあさんの息子夫婦が教えてくれたのだった。
半年もしたら魔王の噂も聞かなくなった。
「何処かで死んだのではないか」そう皆が思っていた矢先、又 下の村が襲われたのである。
今度は三所帯 無残な殺され方であった。
村人は皆この村に越して来た。
早速萱を集め木を切り家を新築したのである。
と 言っても今の家とは違う、雨露がしのげればそれで良いのである。
そして畑を開墾して作物を作る準備を始めた。
猟師達は魔王に翻弄され続けたのだった。
そして ある日 猟師たち皆の集まって相談して居る所に・・・この村に突然現れたのだ。
皆 弾込めもそこそこに表に飛び出した。
大きい 噂には聞いていたが日頃相手にしている月の輪熊とは訳が違う。
実際に見たら足がすくむ。
予定通り三人一組で十数名の猟師達が周りを取り囲む。
狙いを付け一斉に銃口から火を噴いた。
「ウガーッ」叫ぶや否や仙造達に突進してくる。次の弾込めが間に合わない。
猟犬達が飛び掛るが 一撃で大きな爪の一撃で跳ね飛ばされ瀕死の状態になってゆく。
次の銃弾が撃ち込まれた、が ひるむ様子は無い。
大きく立ち上がり腕を高く持ち上げた。
と その時横合いから灰色の一団がわき腹から腰に噛み付いて行ったのである。
そして首筋には銀が喉仏深く噛み付き 首を左右に振っているではないか。
跳ね飛ばされたその時を狙って第三弾が撃ち込まれた。
その上に尚も銀の一団が飛び掛る。
流石の魔王も堪らずドッと倒れ込んだのであった。
山刀が喉を掻っ切る。まさに一時間余りの死闘であった。
「ウオーン」・・・一声大きく泣いて山の中に消えて行った。
それから暫くは銀の姿を見る事はなかった。
山里は静かな生活を楽しんでいた。
が 時々狼の遠吠えを聞いたのである。
時々 里に下りて来る事はあったが誰も恐れる事もなく平和に暮らしていた。
数年の後、町に狼が出た、人を襲ったと云う噂を聞いた。
だが誰もが銀の仲間では無いと信じて疑わなかったのである。
染子は山の中に入り「ぎーん」と叫んだ。
すると何処からともなく銀は現れて擦り寄ってくる。
「お前じゃないよね、町には近寄らないよね」「クーン」と言って 甘えて来るのだった。
それは他の群れの一団が襲った事であるが、近隣の村人以外信じてくれる者はいない。
「絶対町には行って駄目だよ」染子はそう言って銀に話し掛けていた。
銀には北の山がテリトリーである。
其処には沢山の野ウサギ、狐、狸、鹿の群れが豊富にいるのである。
それを仙造達と巧く折り合いを付けて生きていたのであった。
だが、町の人には判らぬ事である。
町に住む猟師たちには理解出来ぬ事でもあった。
猟師達は狼狩りの一団を結成した。
そして仙造にも協力を求めて来たのだ。
勿論断る理由は何処にもない。人家を襲う野獣をそのままにしては置けぬ。
まず襲われた家族から特徴などを聞いた。
何でも頭の狼は片目であるという。
「もしかしたら銀が怪我をして番小屋で治療した時の相手ではないか?」ふと、そう想ったのだった。
「だとしたら銀も動くのではないか・・・」と。
染子に「銀を里に下ろすなよ」と言い含めて山を降りた。
染子は銀に首輪を付け「絶対ここに居るんだよ」と何度も言って聞かせた。
片目の狼はすばやい、そして頭も良かった。
人間の動きをすばやくキャッチして裏をかいて全く違う所に姿を見せるのである。
町の至る所に罠を仕掛ける。
しかし其処には絶対近付かない。
あざ笑うが如く海に近い方から突然現れて消える。
人の肉を食べた野獣はもう野生動物は襲わない。
遥かに人間の方が楽に襲う事が出来るからだ。
そして肉も又美味しい。
猟師達も後手後手に廻り焦っていた。
既にこの町では20名以上が片目の犠牲になっていた。
皆 見るも無残に内臓を食い荒らされ腕や手足をもぎ取られていたのだった。
憎しみは広がるばかりである。
そして恐怖も又増すばかり、不甲斐ない猟師までも攻められた。
ある時 「丘の上から片目らしきものが見下ろして居る」との情報が入った。
早速猟師達は丘に向って走り出したのであった。
「居た、確かに片目だ」急いで丘の中腹まで駆け上がった集団の背後から一斉に仲間の狼たちが襲い掛かったのである。
不意を突かれた猟師達は大混乱に陥れられたのだった。
半数以上の者が死んだ。
命からがら逃げ帰った彼らの戦意は完全に失われたのである。
残った者は山の猟師と僅かに町で出遅れた者達だけになった。
そんな時染子が息せき切ってやって来た。
「銀が鎖を噛み切って姿を消した」と言うのだ。
「何処へ行ったんだろう?」と・・・
仙造は思った「きっとこちらに来るに違いない」
山の猟師達もそう感じていた。
「銀が来れば百人力だ、彼は狼の習性を一番よく知っている」失いかけた戦意が戻って来た。
だが町の猟師たちは信じていなかった。
「狼は所詮狼だ」と・・・
「いや、違う、銀は特別の狼なんだ、山の村里の守り神なんだ」「何時も村を見守ってくれている」
しかし町の人間の理解を得る事は難しかった。
やっぱり来た。
反対側の丘の上に銀色の鬣をなびかせ額に黒い星の付いた姿が じっとこの町を見下ろしている。
そして何処かに消えて行ったのである。
それから三日後 決戦の火蓋は切られたのだった。
明け方 太陽が姿を現す頃、片目は動いた。
丘の近くの住民は皆避難していたが 怖いもの見たさで隠れて見ている者も居たのである。
片目の集団は次々と町に入って来る。
その後ろからゆっくりと片目は歩いてくる。
ジロリと周囲を見回し又歩き始めた。
かねての作戦通り 戸板で道を塞ぎその先で銃口を構えて待っていたのだった。
「よしっ今だ」充分引き付けて銃口が火を噴いた。
バタバタと前を歩いていた集団が倒れたのである。
片目は一瞬退いたが暫くするとすぐ反撃に移った。
二三頭が屋根から猟師の上に飛び掛ったのであった。
たちまち大混乱に陥った。
山刀で応戦するも狼の牙は鋭い
仙造も覚悟を決めた。
後ろの染子を庇いながら山刀を振るったのである。
染子は必死に弾込めをしてる。
その時染子の横にピタリとくっ付いて他の狼を見張ってる雌狼が居たのだ。
「銀のお嫁さんだ」と感じた途端勇気が湧いてきた。
他の場所でも狼同士血みどろの戦いを繰り広げていた。
猟師達も体制を建て直し山刀から銃に持ち替えて乱射を始めた。
仙造は「間違えるなっ味方を撃つな」と大声を上げたのだった。
だが多くの喧騒と銃声で声が届いたかどうか・・・
悠然と立っている片目に銀が飛び掛って行った。
お互い一歩も譲らぬ戦いだった。
銀の身体が真っ赤に染まった時 銀の牙が片目の首に食い込んでいた。
「ギャーッ」断末魔の叫びが響いた。
首を左右に振る、その度に血飛沫が飛ぶ。
そして片目は息絶えたのである。
銀は片目の上に乗り大きく雄叫びを挙げた。
その時一発の銃弾が銀の眉間を撃ち抜いた。
町の猟師が撃ったのだ。
「銀・・・」染子は急いで走り寄った。
「馬鹿やろうっ!撃つなと言ってるだろう」「しかし狼だろう」
途端に仙造の銃の台座が彼の顔面を殴り飛ばした。
「首輪をつけた狼が居るかっ」山の猟師たちの眼が冷ややかだった。
「俺達の仲間をよくも撃ったな」山の男達も涙を流し「銀、死ぬなよ」と口々に声を掛けていた。
「銀・・・生きていて・・・」染子の顔は涙でくしゃくしゃだった。
「クーン」銀は染子の膝の中で一声泣いて亡くなったのだった。
銀の眼は優しく染子を見詰めていた、彼女はその眼を静かに閉じてやったのである。
長い長い戦いだった。
夕陽が銀の死を悲しんでいる様に見えた。
山の猟師たちは銀を大八車に乗せて山里に連れて帰ったのであった。
間もなく銀の子供達が生まれた。
だが彼女は銀の事が忘れられないでいた、時々思い出し泣いた。
今では子供たちは猟犬として立派に働いている。
生き残った銀の仲間たちは北の山深く入り めったに姿を現す事はなかった。
が 銀の子供たちと染子が走り回って楽しんでいる時、遠くからそっと見守っているのを感じたのである。
それから数年後日本最後の狼が和歌山で発見されたと言われている。
庭の片隅に銀は眠っている、毎日花を取り替え手を合わせる。
染子は「まだ銀の子供達がここに居るのに」と思ったがやはり最後の狼は銀なのだと信じていたのだった。
今マタギの一族は里の中に同化して竹細工・一刀彫をして暮らしている。
もしかしたらあなたの隣にいるのかも・・・
-完ー
明治初期の事である。
この小さな村里に仙造と云うマタギが住んでいた。
彼は山住族(マタギ)の末裔である。
彼は熊撃ちの名人として近隣の村々に知られた男だった。
毎日 山深く入って行って大きな獲物を取り生活をしていた。
沢を上り熊の足跡を見付けると執拗に追い駆け最後には絶対に仕留めて里まで引きずって下りて来たのである。
彼は村人にとって最も頼りになる男だった。
当時は村人にとって熊、狼、猪は天敵であったのだ。
作物は食い荒らされる、一年の収穫が一晩で水泡に帰すのである。
彼はその守り神の様に信頼と尊敬を得ていたのだった。
二頭の猟犬を連れ今日も山の中に入ってゆく。
沢を渡り山を駆け回る。
その姿は隼の様であった。
ある時 隣村に大きな熊が現れたとの知らせを受けた仙造はすぐ走ったのである。
「おかしい、これはこの辺りに住む熊では無いな」足跡の大きさから云って明らかに違う。
『魔王』だ、噂には聞いていたが山ふたつ隔てた村で大暴れをして人を食い殺した大熊に違いない。
「遂にこの近くまで現れたか」流石の仙造も身震いを覚えた。
出来れば出会いたくない相手だった。
人を喰った熊程始末が悪いものはない。
その味をしめ何度でも里に降りて来て人を襲う。
仙造はまだ見ぬ相手にどう戦うか考えあぐねたのであった。
仙造は孫娘と二人暮しだ。
流行病で息子夫婦を亡くし この山里で皆に親しまれ暮らしていた。
猟を生業としていたが決して荒々しい性格では無かったのである。
ある日 沢伝いの崖下で「キャイーン」と泣き声を聞いた。
猟犬のテツとタロウが激しく泣いた。
急いで駆け付けると銀色に輝く生後三ヶ月程の狼が崖の上から落ちたのであろう、苦しそうにもがいている。
前足を骨折していた。
狼は人間の敵である。
だが仙造は殺す事が出来なかった。
「おう よしよし、痛かろうのう」足に手をかけようとした時ガブリと噛み付かれた。
構わず「今治してやるから静かにしておれ」自分の怪我などほって置いて 真っ直ぐに引っ張り添え木を当て手拭いで固く縛って番小屋に抱いて行ったのである。
彼にはこうした番小屋が幾つも有った。
獲物を追い掛けて野宿しなければならない場合もある。
その為にはこうした小屋は必要だったのだ。
家に取って帰り薬箱を持ち出しその小屋に行こうとした時、孫娘の染子が「爺ちゃん血が出てるよ、どうしたの?」と聞いた。
「どうだ、付いて来るか?」「うん いくいく」
番小屋では二頭の犬が待っていた。
「あー 可愛い」「狼の子だぞ、気を付けろよ」「銀色の狼なんて初めて見た」
不思議と染子には「クーン」と言って擦り寄ってくる。
「これは当分番小屋暮らしだな」と 食料を一杯里から持って上がったのであった。
一ヵ月後 狼『銀』は元気に染子の後を付いて歩く様になったのである。
そして野山を駆け回っていた。
染子の傍らには何時も銀が付いてい居たのだった。
銀はとても美しい狼だった。
額に縦に黒い十字の星を付け走る姿も凛々しい男の子であった。
だが怪我も癒え 三ヶ月も過ぎる頃、何処となく去って行ってしまったのである。
「何処に行ったのかなー・・・元気で生きているのかなー」染子は淋しがった。
「狼の子はやっぱり狼なんだよ、山の奥できっと立派に生きてるさ」仙造もちょっぴり淋しかったのだった。
猟師仲間の権三がやって来た。
魔王が下の村で暴れたそうだ。
子供と母親が殺され父親が腕を噛み切られたと言う。
皆で集まって相談する事になった。
三人一組で各村を巡回する事にしたのだ。
だが 夜は・・・各村ごとに鉄砲の撃てる者を置き 山刀を使える様訓練しよう、と言う事になったのであるが・・・
そうそう一日二日で覚えられるものでは無い。
中には維新の戦争で武器を扱った者もいたが 大抵は江戸幕府から明治新政府に変わった事も分からない者も居たのも事実である。
何しろ東北の山中に点在する小さな村の事である。
大きな町に出るのも一日仕事だ。
質素な暮らしながら自給自足が出来る。
沢にはヤマメ、岩魚、アマゴ等、そっと手を入れて捕る事が出来た。
冬 雪の間は村は眠っているが春になれば山菜もふんだんに取れる。
時々、町から足りない物を大八車で売りに来る行商人に頼めば事足りるのだ。
そんな隠れ里の様なところだが四季の食べ物は豊富にあった。
又 手付かずの美しい自然の懐に抱かれて幸せに暮らしていたのである。
唯 野生動物には手を焼かされて居たのだが・・・
魔王には不思議な能力が備わっているようだ。
必ず手薄な所を狙って襲って来る。
そして大きな爪跡を残して行く。
まるで人間の行動を見透かすように・・・
が 不思議と仙造の村には現れたためしが無い。
それを皆 不思議に思った。
その日は仙造の前には獲物らしいものが何も見付からなかった。
山深く分け入って今まで入った事のない北の山に踏み入ったのである。
「居た」沢山の鹿の群れが木の葉を食べているのに遭遇したのであった。
「しめた、今日は大物の鹿が獲れるぞ」
銃に弾込めをして足場を固める。
突然「ウーッ」とした唸り声がすると同時に鹿の群れは沢伝いに走り始めたのであった。
狼だった。
狼の群れが鹿を追詰めて行く。
仙造は「ちっ!」と舌打ちをして見送ったのである。
だが鹿の群れは突然向きを変え山伝いに逃げ始めたのであった。
そこで見たものは 銀色に輝くひときわ逞しい固まりが大鹿の首筋に飛び掛る姿であったのである。
「銀だ!」・・・銀が首を激しく振る。
大鹿は声を上げる事もなく絶命したのであった。
其処へ仲間の狼たちが群がる。
瞬く間もなく僅かの肉片を残し骨の姿だけが残った。
仙造と銀との眼が合った。
銀は近付いて来て「うーっ」と一声上げて去って行ったのである。
「此処は俺のテリトリーだ、入ってくるな」とでも言ってる様であった。
「そうか、ここは銀の縄張りなのか・・・」
帰り道の途中で野兎を二匹獲っただけの収穫だった。
染子に「銀に会ったぞ」と話したら「私も逢いたかったなー」と答えた。
銀は小さな群れの頭になっていたのだ。
毎日が何時魔王がやって来るか、来たらどう仕留めるか、緊張の日々だった。
ある夕刻、番小屋の扉が少し開いているのを仙造は気付き覗いてみた。
銀が蹲っている。
「どうした?」と近付いたところ「クーン」と泣いて首を上げた。
白く輝く毛並みには相当出血が見られたのである。
他の群れと喧嘩した様だ。
早速又治療にかかったのだった。
又 染子の出番である。
染子は喜んで番小屋に来たのであった。
今度の傷は明らかに噛み傷である。
それも相当深い。
全治するのにかなりの日数を要した。
外には三頭の若い狼が見守っていたのだ。
そのうちの一頭は明らかに雌である。
きっと銀の妻であろう。怪我の癒えた銀は 又何処となく去って行ってしまったのである。
ある夏の夜 染子の蚊帳の裾が捲れた。
夜目にも鮮やかな銀の姿があった。
そして染子の傍らで並んで横になったのだ。
「銀、来たのか?」染子は喜んで抱き締めて寝たのである。
翌朝 隣のトメばあさんが来て腰を抜かした。
なすとトマトを持って来た訳だが大きな狼が染子の横に寝てる、庭にも隠れる様に三頭の狼が居る。
仙造は皆に言った「染子と銀は友達なのさ」と・・・
一時村中に広まった噂はそれで収まったのだった。
村人は納得した。
「だからこの村には魔王が近付かないのか」と・・・
何時も魔王の影に怯えて暮らしていた村人に取って大きな安心感を与えたのは確かであった。
ある日 「沢の近くに猪が集まっているぞ」と猟師仲間の一人が知らせて来た。
仲間を集め、仙造はその沢に向った。
一斉に銃口が火を噴いた。
大猟である。
山の中腹から「ウオーン」と声が響いた。
銀の姿がちらりと見えた。
皆は思った。
銀が追い込んでくれたのだと・・・
人里放れた所に住む狼が何故この近くに居るのが不思議であった。
が しかし雪の頃ともなれば仙造の家は狼達が干し肉を求めてやって来る。
「おう 来たか来たか」と彼らに肉を与えるのだ。
だから秋の収穫時期にはうんと猟に励まねばならなかったが・・・村人もそれを承知してた。
又 隣村に魔王が現れた。
大きな爪跡を残し・・・
もう被害に遭っていないのは町に近い村と仙蔵達の住む村だけとなってしまった。
魔王を見たと云う人々からの証言によれば天を突くような大きな灰色の熊だという。
「これは内地の熊じゃないぞ、きっと蝦夷地に生息するヒグマではないだろうか」「はぐれ熊か・・・始末が悪いぞ」「一発では倒せないだろうな」
この地方では月の輪熊がほとんどである。
羆に出合った猟師は居なかったのだ。
三人一組で狙うは喉元と心臓、そして今まで襲われた村々を地図の上で線で引いてみた。
すると、ある事が判った。
周期的に廻って歩く道筋がある。
今度はこの村が危ない。
皆でその村に向ったのであった。
が 見事に裏をかかれた、先日襲われた村を再び襲ったのである。
読めなくなった。
「奴には霊能力があるのか?」
それから暫く静かな日が続いた。
染子は毎日山を駆け回って楽しんでいた。
その周りには7~8頭の銀の群れが付いて走る。
まだ義務教育も徹底されていない時代である。
読み書き算盤が出来れば上等の時代だった。
そんなものは家で教わる事が出来る。
隣のトメばあさんの息子夫婦が教えてくれたのだった。
半年もしたら魔王の噂も聞かなくなった。
「何処かで死んだのではないか」そう皆が思っていた矢先、又 下の村が襲われたのである。
今度は三所帯 無残な殺され方であった。
村人は皆この村に越して来た。
早速萱を集め木を切り家を新築したのである。
と 言っても今の家とは違う、雨露がしのげればそれで良いのである。
そして畑を開墾して作物を作る準備を始めた。
猟師達は魔王に翻弄され続けたのだった。
そして ある日 猟師たち皆の集まって相談して居る所に・・・この村に突然現れたのだ。
皆 弾込めもそこそこに表に飛び出した。
大きい 噂には聞いていたが日頃相手にしている月の輪熊とは訳が違う。
実際に見たら足がすくむ。
予定通り三人一組で十数名の猟師達が周りを取り囲む。
狙いを付け一斉に銃口から火を噴いた。
「ウガーッ」叫ぶや否や仙造達に突進してくる。次の弾込めが間に合わない。
猟犬達が飛び掛るが 一撃で大きな爪の一撃で跳ね飛ばされ瀕死の状態になってゆく。
次の銃弾が撃ち込まれた、が ひるむ様子は無い。
大きく立ち上がり腕を高く持ち上げた。
と その時横合いから灰色の一団がわき腹から腰に噛み付いて行ったのである。
そして首筋には銀が喉仏深く噛み付き 首を左右に振っているではないか。
跳ね飛ばされたその時を狙って第三弾が撃ち込まれた。
その上に尚も銀の一団が飛び掛る。
流石の魔王も堪らずドッと倒れ込んだのであった。
山刀が喉を掻っ切る。まさに一時間余りの死闘であった。
「ウオーン」・・・一声大きく泣いて山の中に消えて行った。
それから暫くは銀の姿を見る事はなかった。
山里は静かな生活を楽しんでいた。
が 時々狼の遠吠えを聞いたのである。
時々 里に下りて来る事はあったが誰も恐れる事もなく平和に暮らしていた。
数年の後、町に狼が出た、人を襲ったと云う噂を聞いた。
だが誰もが銀の仲間では無いと信じて疑わなかったのである。
染子は山の中に入り「ぎーん」と叫んだ。
すると何処からともなく銀は現れて擦り寄ってくる。
「お前じゃないよね、町には近寄らないよね」「クーン」と言って 甘えて来るのだった。
それは他の群れの一団が襲った事であるが、近隣の村人以外信じてくれる者はいない。
「絶対町には行って駄目だよ」染子はそう言って銀に話し掛けていた。
銀には北の山がテリトリーである。
其処には沢山の野ウサギ、狐、狸、鹿の群れが豊富にいるのである。
それを仙造達と巧く折り合いを付けて生きていたのであった。
だが、町の人には判らぬ事である。
町に住む猟師たちには理解出来ぬ事でもあった。
猟師達は狼狩りの一団を結成した。
そして仙造にも協力を求めて来たのだ。
勿論断る理由は何処にもない。人家を襲う野獣をそのままにしては置けぬ。
まず襲われた家族から特徴などを聞いた。
何でも頭の狼は片目であるという。
「もしかしたら銀が怪我をして番小屋で治療した時の相手ではないか?」ふと、そう想ったのだった。
「だとしたら銀も動くのではないか・・・」と。
染子に「銀を里に下ろすなよ」と言い含めて山を降りた。
染子は銀に首輪を付け「絶対ここに居るんだよ」と何度も言って聞かせた。
片目の狼はすばやい、そして頭も良かった。
人間の動きをすばやくキャッチして裏をかいて全く違う所に姿を見せるのである。
町の至る所に罠を仕掛ける。
しかし其処には絶対近付かない。
あざ笑うが如く海に近い方から突然現れて消える。
人の肉を食べた野獣はもう野生動物は襲わない。
遥かに人間の方が楽に襲う事が出来るからだ。
そして肉も又美味しい。
猟師達も後手後手に廻り焦っていた。
既にこの町では20名以上が片目の犠牲になっていた。
皆 見るも無残に内臓を食い荒らされ腕や手足をもぎ取られていたのだった。
憎しみは広がるばかりである。
そして恐怖も又増すばかり、不甲斐ない猟師までも攻められた。
ある時 「丘の上から片目らしきものが見下ろして居る」との情報が入った。
早速猟師達は丘に向って走り出したのであった。
「居た、確かに片目だ」急いで丘の中腹まで駆け上がった集団の背後から一斉に仲間の狼たちが襲い掛かったのである。
不意を突かれた猟師達は大混乱に陥れられたのだった。
半数以上の者が死んだ。
命からがら逃げ帰った彼らの戦意は完全に失われたのである。
残った者は山の猟師と僅かに町で出遅れた者達だけになった。
そんな時染子が息せき切ってやって来た。
「銀が鎖を噛み切って姿を消した」と言うのだ。
「何処へ行ったんだろう?」と・・・
仙造は思った「きっとこちらに来るに違いない」
山の猟師達もそう感じていた。
「銀が来れば百人力だ、彼は狼の習性を一番よく知っている」失いかけた戦意が戻って来た。
だが町の猟師たちは信じていなかった。
「狼は所詮狼だ」と・・・
「いや、違う、銀は特別の狼なんだ、山の村里の守り神なんだ」「何時も村を見守ってくれている」
しかし町の人間の理解を得る事は難しかった。
やっぱり来た。
反対側の丘の上に銀色の鬣をなびかせ額に黒い星の付いた姿が じっとこの町を見下ろしている。
そして何処かに消えて行ったのである。
それから三日後 決戦の火蓋は切られたのだった。
明け方 太陽が姿を現す頃、片目は動いた。
丘の近くの住民は皆避難していたが 怖いもの見たさで隠れて見ている者も居たのである。
片目の集団は次々と町に入って来る。
その後ろからゆっくりと片目は歩いてくる。
ジロリと周囲を見回し又歩き始めた。
かねての作戦通り 戸板で道を塞ぎその先で銃口を構えて待っていたのだった。
「よしっ今だ」充分引き付けて銃口が火を噴いた。
バタバタと前を歩いていた集団が倒れたのである。
片目は一瞬退いたが暫くするとすぐ反撃に移った。
二三頭が屋根から猟師の上に飛び掛ったのであった。
たちまち大混乱に陥った。
山刀で応戦するも狼の牙は鋭い
仙造も覚悟を決めた。
後ろの染子を庇いながら山刀を振るったのである。
染子は必死に弾込めをしてる。
その時染子の横にピタリとくっ付いて他の狼を見張ってる雌狼が居たのだ。
「銀のお嫁さんだ」と感じた途端勇気が湧いてきた。
他の場所でも狼同士血みどろの戦いを繰り広げていた。
猟師達も体制を建て直し山刀から銃に持ち替えて乱射を始めた。
仙造は「間違えるなっ味方を撃つな」と大声を上げたのだった。
だが多くの喧騒と銃声で声が届いたかどうか・・・
悠然と立っている片目に銀が飛び掛って行った。
お互い一歩も譲らぬ戦いだった。
銀の身体が真っ赤に染まった時 銀の牙が片目の首に食い込んでいた。
「ギャーッ」断末魔の叫びが響いた。
首を左右に振る、その度に血飛沫が飛ぶ。
そして片目は息絶えたのである。
銀は片目の上に乗り大きく雄叫びを挙げた。
その時一発の銃弾が銀の眉間を撃ち抜いた。
町の猟師が撃ったのだ。
「銀・・・」染子は急いで走り寄った。
「馬鹿やろうっ!撃つなと言ってるだろう」「しかし狼だろう」
途端に仙造の銃の台座が彼の顔面を殴り飛ばした。
「首輪をつけた狼が居るかっ」山の猟師たちの眼が冷ややかだった。
「俺達の仲間をよくも撃ったな」山の男達も涙を流し「銀、死ぬなよ」と口々に声を掛けていた。
「銀・・・生きていて・・・」染子の顔は涙でくしゃくしゃだった。
「クーン」銀は染子の膝の中で一声泣いて亡くなったのだった。
銀の眼は優しく染子を見詰めていた、彼女はその眼を静かに閉じてやったのである。
長い長い戦いだった。
夕陽が銀の死を悲しんでいる様に見えた。
山の猟師たちは銀を大八車に乗せて山里に連れて帰ったのであった。
間もなく銀の子供達が生まれた。
だが彼女は銀の事が忘れられないでいた、時々思い出し泣いた。
今では子供たちは猟犬として立派に働いている。
生き残った銀の仲間たちは北の山深く入り めったに姿を現す事はなかった。
が 銀の子供たちと染子が走り回って楽しんでいる時、遠くからそっと見守っているのを感じたのである。
それから数年後日本最後の狼が和歌山で発見されたと言われている。
庭の片隅に銀は眠っている、毎日花を取り替え手を合わせる。
染子は「まだ銀の子供達がここに居るのに」と思ったがやはり最後の狼は銀なのだと信じていたのだった。
今マタギの一族は里の中に同化して竹細工・一刀彫をして暮らしている。
もしかしたらあなたの隣にいるのかも・・・
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