『一人ぽっちのクリスマス』
№ 1
詩織は今日も行き付けのホテル最上階の喫茶店で ぼんやり遠くかすむレインボーブリッジを見てた。
グレードの高いこのホテルは誰にも邪魔されず、自分の時間を充分持つ事が出来るのだ。
客の全てとは言わないが企業経営者、今流行の起業家の多くが利用してる隠れた情報交換所である。
三年ほど前から詩織も此処の常連として疲れた身体と心をリフレッシュさせに来る様になっていた。
そしてテーブルの上の企画書を整理してファイルに入れ席を立った。
何時もの事ながら心が寒い。
「あの人が居なくなってもう6年か・・・何故私には運が無いのだろう」
もうすぐ32歳になろうとしてるのに・・・淋しくて泣きたくなった。
海に向かって夜の高速を走らせ薄い色のサングラスの奥の眼の潤みを吹き飛ばした。
大手精密機器会社の企画課長、美人で頭も良く よく気が付く。
なのに何故か言い寄って来る男性が一人も居ない。
素敵なマンションに住み何不自由なく暮らしている。
が しかし彼と呼べる人がいない。
何時も心に隙間風が吹いていた。
だが最初から彼女はそうでは無かった。
高校大学と詩織は男達の注目の的であった。
美人で聡明な彼女の一挙手一投足が男たちの心を揺さ振ったものだ。
有名大学の華 今中詩織は友人達からミスキャンバスに推薦された事も・・・
しかし『そんな事 恥ずかしい」と辞退し続け 一度も出た事はなかった。
だが皆 思っていた。
学園一の美人は詩織であると・・・
又 女性達もそう思っていたのである。
そして卒業後ごく普通の会社に就職したのだった。
いきなり社長付の秘書課に配属された。
そこでも遺憾なく能力を発揮して社長の絶対的な信頼を得たのであった。
元々上昇志向の強い女性である。
あらゆる資格は片っ端から取った。
ある日、取引先の社長から酒宴の席上こんな事を言われた。
「世の中には男が好む女性が三タイプある、、ひとつは所謂美人だが昔から美人は三日見たら飽きる、後二つはごく普通の女の子だが何か支えてあげないと駄目だな と思わせる可愛い子、最後は美しい人だ」「美人と美しい人とどう違うんですか?」
笑いながら「美人は顔 スタイルが良ければ馬鹿でもなれる、しかし美しい人は知識 教養 そして機転も利かなきゃいけないし常識が備わっていなければならない」「さて詩織君はどちらかな?」と・・・
顔を赤らめて「私は未だ勉強が足りませんから・・・それに特別美人でもありませんし」と答えたのであった。
「いやいや 謙遜しなくてもいいんだよ、全てをクリアした立派な美しい人だ」「でも若い人達は誰も声を掛けてくれません、ちょっと淋しいな」
「それはね、若い連中には近付き難い雰囲気があるのだろう、後は愛嬌だな」と彼の社長はそう言った。
それからの詩織は出来るだけ笑顔を絶やさぬ事を心掛けたのだった。
すると どうであろう あちらからも此方からも声を掛けられる様になったのである。
恋人候補は山程集まった。
選り取り見取りである。
元々詩織は体育系の逞しい男性が好きだった。
その中の一人山崎光世を選んだのである。
毎週の日曜日のデートが楽しみになった。
会社帰りの喫茶店でのお喋りも・・・
しかし彼の話も次第に鼻に衝くようになってきた。
何時も自分の自慢話をする、やたらと鍛えられた腕の筋肉を見せたがる。
彼女はそんなもの望んではいなかった。
将来どう生きたいか、どんな事を努力してるのか、それが知りたかったのだ。
だが彼女の望むものは全く出て来なかったのである。
そして ある夜、居酒屋を出た所で街の不良共に囲まれ因縁を付けられたのだ。
「何だ この野郎」 そこまでは威勢が良かった。
「おう、やってやろうじゃないか」 途端に彼は踵を返しスタコラサッサと逃げ出してしまったのである。
詩織ひとりを残し・・・
たまたま通り掛った警察官に助けられた訳だが、あまりにも不甲斐ない彼に失望し涙が溢れた。
それから会社でも彼は詩織の前には現れなかった。
№ 2
彼女は完全に男性に失望した。
たまに皆で飲みに行く事はあっても恋人を作る気持ちは失せた。
あくまで友達以上の関係にはなる意思はなかった。
やがて入社して一年が経とうとしている時レストランでアメリカ青年と話をする機会があった。
語学には自信があったものの時々分からない言い回しに戸惑ったのである。
英語検定一級の彼女だがどうもおかしい。
「もっとアバウトに考えれば」と思っても何か窮屈だ。
「これは本場で勉強しなきゃいけないな」
そう思ったら行動は早かった。すぐ退社届けを出し留学の準備に取り掛かった。
秋の入学を目指し猛勉強を始めたのである。
いろんな大学の願書を取り寄せ 自分がこれから先どう云う道に進みたいか、それも考え合わせ学校選びをしたのであった。
詩織はまず心配したのは銃社会のアメリカにあって最も安全でレベルの高い大学である事・・・
先生と生徒の垣根の無いフレンドリーな学校に入りたいと思った。
そこで経営学を学びこれからの人生に生かそうと・・・そして選んだのがウィスコンシン州の大学だった。
ここは成績次第では飛び級もある。
奨学金制度もしっかりしてる。
一応アルバイトは禁止してるが学園内の至る所に職員として働く事が出来る事など、彼女の理想に近かったのだ。
何とか第一関門は突破した。
晴れてS大学の門をくぐった訳であるがそれからが大変である。
授業内容が日本と全く違うのである。
例えば例を取ってみれば世界史の場合 この時代アメリカでは何が起きたかと云う時ヨーロッパではどうだったか、日本では?と全世界的に俯瞰して見て行くのである。
決して一国の事だけ学ぶのでは無い。
そして生徒から何か質問があれば徹底的にミーティングするのだ。
だからよく脱線する。
そして宿題も半端ではない。
楽しい学園生活が地獄と化したのである。
毎日パソコンに向かって夜遅くまでレポートを書き上げるのだ。
そんな中で生徒同士、又先生も交えて連帯感も生まれて来るのであった。
思ったより皆 紳士淑女だ。
休憩時間等は大声で歌い、騒いだのである。
そして学期末、思い掛けない知らせが待っていた。
飛び級である。
いきなり一年生から三年生になったのだ。
そして奨学金も受けられる事になった。
だが授業内容はより難しくなった。
必死に勉強した、が「もう駄目」と思う日も何度か経験したのである。
しかし そんな中にあっても友人達は多く出来た。
よく遊び よく学んだ。
詩織は華奢な身体だが元気一杯だった。
ボーイフレンド達がミラクルガールと呼ぶ程何にでもチャレンジしたのである。
そして卒業証書を携えて日本に帰って来たのであった。
まず以前世話になった会社に挨拶に出かけて行った。
№ 3
社長は非常に喜んで迎えてくれたが彼女の力量を発揮出来るところは無かったのである。
社長の紹介で 以前美しい女の条件を教えてくれた沢田精密機器株式会社の社長のところで働く事になったのだった。
「おう、少しは女を磨いて来たか」笑って迎えてくれた。
詩織はどんどん新しい企画書を提出した。
上司の星野明宏はかなり厳しい注文を付け、その企画書の大半を社長に提言してくれたのである。
星野は多いに彼女の企画力のユニークさを買ってくれたのだった。
そんな星野を尊敬はしたが男としての魅力を感じなかった。
まず華奢である、神経質そうだ。
カリフォルニアの大学を出、その後シリコンバレーで数年働いていたと云う。
頭は良いのだろうけど何処か頼り無さげな雰囲気の男である。
身長は然程低くはないが縁無しメガネを掛け面長で如何にもオタクと云う感じだ。
「室長は学生時代何かスポーツをされた事有りますか」「うん、特別に無いねー・・・テニスを少しかじった事位かな」
「では今度教えてくださいよ」わざと悪戯をしてみたくなった。
そして次の日曜日テニスクラブに行ったのである。
車の運転も下手だ。
何度も切り返して汗をかきながら駐車場に入れた。
そしてラケットを二三回振った時「おやっこれは意外に巧いかも」と詩織は思ったのである。
だが いざコートに立った時彼女は完全に失望した。
詩織のサーブが返ってこない。
足が縺れてスッテンコロリン・・・
「これは駄目だ」小学生と遊んでやる様にゆっくりと柔らかく打ってやらなきゃ付いて来れないのだ。
汗を拭きながら「詩織君、強いねー・・・もう歳だから身体が付いて行かないよ」と。
心の中で「運動音痴」と呟きクラブの喫茶室でコーヒーを飲んだ。
「まだ三十代なんでしょう、もう少し足腰を鍛えなきゃ駄目ですよ」「いや、もうすぐ四十だよ・・・今度から時々教えてくれないかなー」
詩織が特別に強い訳ではない、彼女も学生時代ちょっとかじった程度だ。
他ならぬ上司の頼みである「私が手の空いた時ならね」と 受け答えしたのであった。
「暇つぶしには丁度良いか」と軽く返事をしたのである。
だが彼は毎週の様に土曜には「明日頼むよ」と言ってくるのだ。
ちょっとうるさくも感じた「あー・・・あ 軽く約束しなきゃ良かった」
詩織はちょっと後悔した。
が しかし喫茶室での話は軽妙で面白かった。
実に物知りである。
何時かその話が聞きたさにコートに来る様になってしまったのである。
そこで仕事に付いてもいろんなアイデアの交換もした。
まさに仕事場の延長のような感じだ。
が 職場で話せない様な突飛な話も飛び出す。
室長は男としてでは無く同志として尊敬と信頼をした。
時々ボートにも乗った。
しかしやっぱり漕ぐのは詩織の方だ。
彼は水を飛ばすだけで前へは進まない。
でも「面白い人」と彼女も苦にならなくなった。
「会社では何時も難しい顔してるのに」 ちょっと可笑しくなったのである。
そして夏が過ぎ涼しい風が吹く様になった頃・・・ひとつの事件が起きたのだった。
№ 4
テニスコートから少し離れた所に公園がある。
二人で散歩してた時若者達がふざけながら歩いて来た。
中の一人が「おい あいつら不倫カップルじゃないか?ちょっとからかってやろうか」
そう言って詩織に「姉ちゃん いいケツしてるじゃないか、俺達と遊ぼうや」と彼女に近付いて来たのであった。
「君達 失礼じゃないか、謝りなさい」「何だと、おじんが気の利いた台詞を言うじゃないか」「お前は引っ込んでろ」と星野明宏を突き飛ばしたのである。
「詩織君 逃げなさい」彼等が詩織に向かって行こうとするのを阻止してそう叫んだのだ。
尚も殴り掛かろうとしている彼等の前に立ちはだかり詩織を逃がそうと必死だった。
詩織はテニスコートに着くなり「助けて!明宏さんが暴漢に・・・」息が弾んで声が出なかった。
皆が駆けつけた時には明宏は顔中血を流し完全にノックアウトされていたのであった。
すぐ地元警察が来たが彼等は逃げた後だった。
彼は「詩織君、無事だったか、よかったよかった」と言って気を失ったのである。
詩織は此処に男の本当の強さを見たのであった。
嬉しくて涙が止まらなかった。
怪我は大した事はなかった。
鼻血が顔中に散って後は額を少し切り、両手に擦り傷程度だったが「弱い癖に いい格好して」と口では言ったものの「私の為に必死で戦ってくれたんだ」と感謝の気持ちで一杯だった。
それからの彼女が唯の上司としてではなく 男として尊敬と思慕の情を持つのに時間は掛からなかった。
暫くは額の絆創膏を見る度心が痛んだ。
詩織にとって初めて本当の愛を知った瞬間だった。
今まで軽い恋なら何度もした。
しかし非力な彼が彼女を守る為自分の身をも省みず戦ってくれた事が心を打った。
それからは彼女の方から積極的に誘う様になったのである。
ある日「奥入瀬の紅葉が美しいよ、一緒に見に行こう」と彼から誘われた時 天にも上る気持ち一杯で嬉しかった。
何より社長が以前「君もそろそろ身を固めたらどうだ」と星野に言ってたのを聞いて、その時は「オタクじゃ誰も相手にしてくれないわよ」と思っていた事が思い出された事にある。
「社長 驚くだろうなー」とクスリと笑えてきた。
が しかし彼はとんでもない方向音痴だった。
距離感もまるで分かっていない。
朝早く出れば夜には帰って来られると思っていた様だ。
11月の三連休、詩織は二泊するつもりで用意してたのであるが彼は何の用意もない。
唯 何時ものデコボコに凹んだ車では無くセルシオの新車でやって来たのである。
この日の為に買い換えたのだそうだ。
東北道をひたすら北へ・・・
「まだ青森までは遠いのかなー」クスリと笑って「今日中に着けばいいわよ、インター下りたら洋品店を探して下着だけは買いましょうね」
彼は眼を丸くして驚いていた。
「そうか、そんなに遠いのか」「もう少し近場にしておけば良かったかな」「何言ってんのよ 此処まで来て、さあスピード出して」と促して夕方洋品店の前に車を停めた。
そしてその店の女将さんに近くのホテルを探して貰って入った時は陽も暮れようとしてた時間だった。
ちょっと遅めの夕食を取りシャワーで軽く汗を流しベッドに着いたのは午後10時を廻っていた。
しかし彼はなかなかベッドに入って来ない。
詩織はじれったくなって「早くいらっしゃいよ、こんな事は男がリードするものよ」「いやー心の準備が出来てなくてね」「実は私は経験ないんだ」「えっ・・・?」
彼女は信じられなかったのである。
「40近くまで童貞君だとは・・・」開いた口が閉がらなかった。
詩織は困った。
今まで付き合った(と言っても特別遊んでた訳ではないが)皆男性がリードしてくれた。
だが今回は詩織が全てを教えねばならない。
№ 5
優しく服を脱がせながら「あんなにアメリカ生活長いのに本当に初めてなの?」「うん、恥ずかしいけどね」「今までどうしてたの?」「雑誌を見て興奮してたんだ、全く可笑しいよね」笑いながら「今まで付き合った人はいるの?」「うーん、一度だけ」後は言葉を濁した。
追い討ちを掛ける様に尚も聞いた。
「うん、訳が判らないうちに振られてしまったんだ」食事の途中で何か失礼な事を言ったらしい。
そして大勢の人の前で頬っぺたを叩かれた、そして車での別れ際にハグもキッスもしなかったと云う。
そうしたらパンチの嵐が飛んで来た・・・と言う訳だそうだ。
詩織は大笑いをした。
「それ、常識よ」「でも向こうの子は怖いねー、心の中の気持ちなんて考えてくれないんだから」「日本だって同じよ、愛を形で表さないと誰も振り向いてくれないわよ」
そして詩織も服を脱ぎ始めたのであった。
明宏は珍しそうに辺りを見回しバスにお湯を張っている。
予約なしで飛び込みで入った宿である。
女将はモーテルを紹介したのであった、どうせ不倫カップルと勘違いしたのであろう。
しかしそれは二人に取って好都合だった。
明宏の社会勉強?の為に、又詩織のムードを高めたい思いの為には・・・
服を脱ぎ捨てた詩織の身体は美しかった。
先に風呂に入っていた明宏の前に詩織が入ってきた途端 彼は「駄目だっ」と叫び爆発してしまったのである。
「まだキッスもしていないのに・・・」詩織は少々オカンムリであった。
詩織は身体を洗い、彼の身体中も綺麗に洗い上げベッドに向った訳である。
彼の身体はもう快復して元気一杯だった。
「優しくしてね そう そこ舐めて・・・」大きな波が襲ってくる、そして又引いて行く・・・
何度かその繰り返しが起きた後、彼女は彼の大切に閉まってあった童貞君を口に運んだのであった。
そして静かに自分の入口に入れた、途端 ドッと溢れてしまったのである。
詩織はがっかりした。
「まだ何もしていないのに、どうして・・・?」
しかし肩を落としてうなだれている明宏の姿を見て可哀想になったのだった。
「いいわよ、チャンスは幾らでもあるんだから」「めげないで、明日の観光を楽しみましょう」そうは言ったものの何故か寂しかった。
詩織は眠れない夜を酒で誤魔化して眠りについたのである。
だが明け方近く彼が彼女の上に乗っかって来たのであった。
大きな波が寄せたり引いたりする、激しい快感が襲う、頭が狂いそうになって思わず声を上げた。
彼のものが入って来た。
あえぎながら声にならない声を上げた。
「もう駄目、いっちゃう!」彼も「いくよっ!」と声を発し同時に果てたのだった。
長い長い夜だった。
深い眠りから覚めた時 外は雲ひとつ無い晴れであった。
絶好の観光日和である。
二人は13,5kmの渓流を腕を組み歩いて写真を撮ったり心に刻みながら廻った。
最高に幸せだった。
そして、その夜も・・・
車中では『グリンスリーブス、スリーベルズ』などをハモったりして楽しく帰路に着いたのである。
翌日、一緒の車で会社に着いた時、社長は「遂に一緒になったか」と一人笑ってた。
「仲人は私がやってやろう」と・・・
二人が社長の前に現れた「社長 私達結婚します、宜しくお願いします」と言った時、大きく頷き「で 式は何時するんだ?」と。
「12月24日 クリスマスの日にしようと思っています、全世界が祝ってくれますから」「そうか 仲人は私でいいか?」「是非お願いします」
その日から 二人は一緒に暮らした。
仕事にも余計意欲的に頑張ったのであった。
№ 6
「星野君ちょっとシリコンバレーの視察に行ってくれないか?突然で悪いんだけど、ちょっと気になる新製品の開発をしてる様だから」「その辺を調べてみてくれないか」「ええ いいですよ、向こうには友人も多く居ますから何かを掴んできますよ」
結婚を控えた12月初めの事だった。
「あなた 頑張ってね」そう笑顔で送り出したのであったが・・・
翌日のニュースで「アメリカ直行便 太平洋沖で行方を絶つ。現在米軍機が捜索中」と流れていた。
会社でそれを聞いた詩織は居ても立ってもいられなかった。
すぐ航空会社に駆け付けて事情を把握しようと試みた。
一緒に来た社長も苦渋の表情を浮かべ航空会社の職員と長く話していた。
「ハワイ沖東北東の海上に重油の跡発見、全員絶望か・・・」
詩織は社長の胸の中で泣いた。
帰ったら結婚式が待っているのに・・・当分放心状態が続いた。
会社に戻った彼女は 何もかも忘れる為に我武者羅に働いた。
企画立案から現場にまで出向き製品のチェックを行う事もしばしば・・・
しかしどうしても忘れる事は出来なかった。
それもそうだろう、幸せの絶頂から奈落の底に突き落とされたのだから。
次第に笑顔が消えて行った。
誰言うともなく『アイスドール』仕事に対する厳しさから『アイアンガール』とニュックネームまで頂戴してしまったのである。
社長は彼女の顔を見る度辛くなったのだった。
企画調査室には室長が居ない。
これはそれだけの適任者が見当たらなかったせいも有るが、何より彼女以外には考えられなかったのである。
彼女の立ち直りを期待したのであった。
そして彼女に相応しい未来の伴侶をと考えた。
が 今現在そんな男は何処にも居なかった。
「包容力が有り 仕事が出来 家庭を大事にする男が・・・この会社には居ないのか?」
彼女に相応しい男は皆結婚してる。
若い男では頼りない。
孤独な詩織は益々仕事人間になってゆく。
会社としては貴重な戦力だ。
だが運命はひとりの人生の生きる目標を失わせたのである。
それから 5年 詩織は社長に聞いた。
「綺麗でも 美しくても幸せはやって来ないんですね、ほって置けない可愛い人になるにはどうしたらいいんでしょうか?」
社長は返答に困った。
「笑顔を取り戻しなさい、きっといい人が現れるから」
しかし彼女の心の氷を解かすような人は未だに現れる気配はない。
余りにもアイスドールのイメージが強すぎるのと他の追随を許さぬ仕事振りには着いて行けないのだ。
もう直ぐ あの人の居ないクリスマスがやって来る。
そして ひとりぽっちのクリスマスの夜・・・
雪が舞って来た。
ひとり・・・湾岸道路を海に向かってフルスピードで走る詩織の姿が其処にはあった。
突然の出来事だった。
車のハンドルを取られたのである。
前輪のタイヤが何かを踏んだ。
パンクしたのだ。
必死に止めようとしたのだが蛇行して側壁に接触して止まった。
後ろの車が追い越して止まったのである。
「大丈夫ですか?」中年の精悍な顔付きの紳士が降りて来たのだった。
「すみません、大丈夫ですから・・・」朦朧とした頭の中でやっとそう言った。
「ああ、これは酷い、鋼材を踏みましたね」 タイヤがザックリと切れていた。
しかしすぐ彼の車からジャッキを持ってきて 彼女の車からスペアを取り出し手際よく取り替えてくれたのである。
「もう大丈夫、気を付けてね」「あの、お名前は?」「何時も 貴女がお茶を飲んでるホテルの喫茶の常連ですよ、又逢えますよ、きっと」
そう言って走り去って行った。
裾と袖に雪混じりの泥を着けたまま・・・
嬉しかった、とても嬉しく感じてたのだ。
そのときの詩織は少女のように可愛い笑顔を見せていたのだった。
忘れていた笑顔が戻っていた。
何かが始まる予感がする一瞬の出来事だった。
-完ー
№ 1
詩織は今日も行き付けのホテル最上階の喫茶店で ぼんやり遠くかすむレインボーブリッジを見てた。
グレードの高いこのホテルは誰にも邪魔されず、自分の時間を充分持つ事が出来るのだ。
客の全てとは言わないが企業経営者、今流行の起業家の多くが利用してる隠れた情報交換所である。
三年ほど前から詩織も此処の常連として疲れた身体と心をリフレッシュさせに来る様になっていた。
そしてテーブルの上の企画書を整理してファイルに入れ席を立った。
何時もの事ながら心が寒い。
「あの人が居なくなってもう6年か・・・何故私には運が無いのだろう」
もうすぐ32歳になろうとしてるのに・・・淋しくて泣きたくなった。
海に向かって夜の高速を走らせ薄い色のサングラスの奥の眼の潤みを吹き飛ばした。
大手精密機器会社の企画課長、美人で頭も良く よく気が付く。
なのに何故か言い寄って来る男性が一人も居ない。
素敵なマンションに住み何不自由なく暮らしている。
が しかし彼と呼べる人がいない。
何時も心に隙間風が吹いていた。
だが最初から彼女はそうでは無かった。
高校大学と詩織は男達の注目の的であった。
美人で聡明な彼女の一挙手一投足が男たちの心を揺さ振ったものだ。
有名大学の華 今中詩織は友人達からミスキャンバスに推薦された事も・・・
しかし『そんな事 恥ずかしい」と辞退し続け 一度も出た事はなかった。
だが皆 思っていた。
学園一の美人は詩織であると・・・
又 女性達もそう思っていたのである。
そして卒業後ごく普通の会社に就職したのだった。
いきなり社長付の秘書課に配属された。
そこでも遺憾なく能力を発揮して社長の絶対的な信頼を得たのであった。
元々上昇志向の強い女性である。
あらゆる資格は片っ端から取った。
ある日、取引先の社長から酒宴の席上こんな事を言われた。
「世の中には男が好む女性が三タイプある、、ひとつは所謂美人だが昔から美人は三日見たら飽きる、後二つはごく普通の女の子だが何か支えてあげないと駄目だな と思わせる可愛い子、最後は美しい人だ」「美人と美しい人とどう違うんですか?」
笑いながら「美人は顔 スタイルが良ければ馬鹿でもなれる、しかし美しい人は知識 教養 そして機転も利かなきゃいけないし常識が備わっていなければならない」「さて詩織君はどちらかな?」と・・・
顔を赤らめて「私は未だ勉強が足りませんから・・・それに特別美人でもありませんし」と答えたのであった。
「いやいや 謙遜しなくてもいいんだよ、全てをクリアした立派な美しい人だ」「でも若い人達は誰も声を掛けてくれません、ちょっと淋しいな」
「それはね、若い連中には近付き難い雰囲気があるのだろう、後は愛嬌だな」と彼の社長はそう言った。
それからの詩織は出来るだけ笑顔を絶やさぬ事を心掛けたのだった。
すると どうであろう あちらからも此方からも声を掛けられる様になったのである。
恋人候補は山程集まった。
選り取り見取りである。
元々詩織は体育系の逞しい男性が好きだった。
その中の一人山崎光世を選んだのである。
毎週の日曜日のデートが楽しみになった。
会社帰りの喫茶店でのお喋りも・・・
しかし彼の話も次第に鼻に衝くようになってきた。
何時も自分の自慢話をする、やたらと鍛えられた腕の筋肉を見せたがる。
彼女はそんなもの望んではいなかった。
将来どう生きたいか、どんな事を努力してるのか、それが知りたかったのだ。
だが彼女の望むものは全く出て来なかったのである。
そして ある夜、居酒屋を出た所で街の不良共に囲まれ因縁を付けられたのだ。
「何だ この野郎」 そこまでは威勢が良かった。
「おう、やってやろうじゃないか」 途端に彼は踵を返しスタコラサッサと逃げ出してしまったのである。
詩織ひとりを残し・・・
たまたま通り掛った警察官に助けられた訳だが、あまりにも不甲斐ない彼に失望し涙が溢れた。
それから会社でも彼は詩織の前には現れなかった。
№ 2
彼女は完全に男性に失望した。
たまに皆で飲みに行く事はあっても恋人を作る気持ちは失せた。
あくまで友達以上の関係にはなる意思はなかった。
やがて入社して一年が経とうとしている時レストランでアメリカ青年と話をする機会があった。
語学には自信があったものの時々分からない言い回しに戸惑ったのである。
英語検定一級の彼女だがどうもおかしい。
「もっとアバウトに考えれば」と思っても何か窮屈だ。
「これは本場で勉強しなきゃいけないな」
そう思ったら行動は早かった。すぐ退社届けを出し留学の準備に取り掛かった。
秋の入学を目指し猛勉強を始めたのである。
いろんな大学の願書を取り寄せ 自分がこれから先どう云う道に進みたいか、それも考え合わせ学校選びをしたのであった。
詩織はまず心配したのは銃社会のアメリカにあって最も安全でレベルの高い大学である事・・・
先生と生徒の垣根の無いフレンドリーな学校に入りたいと思った。
そこで経営学を学びこれからの人生に生かそうと・・・そして選んだのがウィスコンシン州の大学だった。
ここは成績次第では飛び級もある。
奨学金制度もしっかりしてる。
一応アルバイトは禁止してるが学園内の至る所に職員として働く事が出来る事など、彼女の理想に近かったのだ。
何とか第一関門は突破した。
晴れてS大学の門をくぐった訳であるがそれからが大変である。
授業内容が日本と全く違うのである。
例えば例を取ってみれば世界史の場合 この時代アメリカでは何が起きたかと云う時ヨーロッパではどうだったか、日本では?と全世界的に俯瞰して見て行くのである。
決して一国の事だけ学ぶのでは無い。
そして生徒から何か質問があれば徹底的にミーティングするのだ。
だからよく脱線する。
そして宿題も半端ではない。
楽しい学園生活が地獄と化したのである。
毎日パソコンに向かって夜遅くまでレポートを書き上げるのだ。
そんな中で生徒同士、又先生も交えて連帯感も生まれて来るのであった。
思ったより皆 紳士淑女だ。
休憩時間等は大声で歌い、騒いだのである。
そして学期末、思い掛けない知らせが待っていた。
飛び級である。
いきなり一年生から三年生になったのだ。
そして奨学金も受けられる事になった。
だが授業内容はより難しくなった。
必死に勉強した、が「もう駄目」と思う日も何度か経験したのである。
しかし そんな中にあっても友人達は多く出来た。
よく遊び よく学んだ。
詩織は華奢な身体だが元気一杯だった。
ボーイフレンド達がミラクルガールと呼ぶ程何にでもチャレンジしたのである。
そして卒業証書を携えて日本に帰って来たのであった。
まず以前世話になった会社に挨拶に出かけて行った。
№ 3
社長は非常に喜んで迎えてくれたが彼女の力量を発揮出来るところは無かったのである。
社長の紹介で 以前美しい女の条件を教えてくれた沢田精密機器株式会社の社長のところで働く事になったのだった。
「おう、少しは女を磨いて来たか」笑って迎えてくれた。
詩織はどんどん新しい企画書を提出した。
上司の星野明宏はかなり厳しい注文を付け、その企画書の大半を社長に提言してくれたのである。
星野は多いに彼女の企画力のユニークさを買ってくれたのだった。
そんな星野を尊敬はしたが男としての魅力を感じなかった。
まず華奢である、神経質そうだ。
カリフォルニアの大学を出、その後シリコンバレーで数年働いていたと云う。
頭は良いのだろうけど何処か頼り無さげな雰囲気の男である。
身長は然程低くはないが縁無しメガネを掛け面長で如何にもオタクと云う感じだ。
「室長は学生時代何かスポーツをされた事有りますか」「うん、特別に無いねー・・・テニスを少しかじった事位かな」
「では今度教えてくださいよ」わざと悪戯をしてみたくなった。
そして次の日曜日テニスクラブに行ったのである。
車の運転も下手だ。
何度も切り返して汗をかきながら駐車場に入れた。
そしてラケットを二三回振った時「おやっこれは意外に巧いかも」と詩織は思ったのである。
だが いざコートに立った時彼女は完全に失望した。
詩織のサーブが返ってこない。
足が縺れてスッテンコロリン・・・
「これは駄目だ」小学生と遊んでやる様にゆっくりと柔らかく打ってやらなきゃ付いて来れないのだ。
汗を拭きながら「詩織君、強いねー・・・もう歳だから身体が付いて行かないよ」と。
心の中で「運動音痴」と呟きクラブの喫茶室でコーヒーを飲んだ。
「まだ三十代なんでしょう、もう少し足腰を鍛えなきゃ駄目ですよ」「いや、もうすぐ四十だよ・・・今度から時々教えてくれないかなー」
詩織が特別に強い訳ではない、彼女も学生時代ちょっとかじった程度だ。
他ならぬ上司の頼みである「私が手の空いた時ならね」と 受け答えしたのであった。
「暇つぶしには丁度良いか」と軽く返事をしたのである。
だが彼は毎週の様に土曜には「明日頼むよ」と言ってくるのだ。
ちょっとうるさくも感じた「あー・・・あ 軽く約束しなきゃ良かった」
詩織はちょっと後悔した。
が しかし喫茶室での話は軽妙で面白かった。
実に物知りである。
何時かその話が聞きたさにコートに来る様になってしまったのである。
そこで仕事に付いてもいろんなアイデアの交換もした。
まさに仕事場の延長のような感じだ。
が 職場で話せない様な突飛な話も飛び出す。
室長は男としてでは無く同志として尊敬と信頼をした。
時々ボートにも乗った。
しかしやっぱり漕ぐのは詩織の方だ。
彼は水を飛ばすだけで前へは進まない。
でも「面白い人」と彼女も苦にならなくなった。
「会社では何時も難しい顔してるのに」 ちょっと可笑しくなったのである。
そして夏が過ぎ涼しい風が吹く様になった頃・・・ひとつの事件が起きたのだった。
№ 4
テニスコートから少し離れた所に公園がある。
二人で散歩してた時若者達がふざけながら歩いて来た。
中の一人が「おい あいつら不倫カップルじゃないか?ちょっとからかってやろうか」
そう言って詩織に「姉ちゃん いいケツしてるじゃないか、俺達と遊ぼうや」と彼女に近付いて来たのであった。
「君達 失礼じゃないか、謝りなさい」「何だと、おじんが気の利いた台詞を言うじゃないか」「お前は引っ込んでろ」と星野明宏を突き飛ばしたのである。
「詩織君 逃げなさい」彼等が詩織に向かって行こうとするのを阻止してそう叫んだのだ。
尚も殴り掛かろうとしている彼等の前に立ちはだかり詩織を逃がそうと必死だった。
詩織はテニスコートに着くなり「助けて!明宏さんが暴漢に・・・」息が弾んで声が出なかった。
皆が駆けつけた時には明宏は顔中血を流し完全にノックアウトされていたのであった。
すぐ地元警察が来たが彼等は逃げた後だった。
彼は「詩織君、無事だったか、よかったよかった」と言って気を失ったのである。
詩織は此処に男の本当の強さを見たのであった。
嬉しくて涙が止まらなかった。
怪我は大した事はなかった。
鼻血が顔中に散って後は額を少し切り、両手に擦り傷程度だったが「弱い癖に いい格好して」と口では言ったものの「私の為に必死で戦ってくれたんだ」と感謝の気持ちで一杯だった。
それからの彼女が唯の上司としてではなく 男として尊敬と思慕の情を持つのに時間は掛からなかった。
暫くは額の絆創膏を見る度心が痛んだ。
詩織にとって初めて本当の愛を知った瞬間だった。
今まで軽い恋なら何度もした。
しかし非力な彼が彼女を守る為自分の身をも省みず戦ってくれた事が心を打った。
それからは彼女の方から積極的に誘う様になったのである。
ある日「奥入瀬の紅葉が美しいよ、一緒に見に行こう」と彼から誘われた時 天にも上る気持ち一杯で嬉しかった。
何より社長が以前「君もそろそろ身を固めたらどうだ」と星野に言ってたのを聞いて、その時は「オタクじゃ誰も相手にしてくれないわよ」と思っていた事が思い出された事にある。
「社長 驚くだろうなー」とクスリと笑えてきた。
が しかし彼はとんでもない方向音痴だった。
距離感もまるで分かっていない。
朝早く出れば夜には帰って来られると思っていた様だ。
11月の三連休、詩織は二泊するつもりで用意してたのであるが彼は何の用意もない。
唯 何時ものデコボコに凹んだ車では無くセルシオの新車でやって来たのである。
この日の為に買い換えたのだそうだ。
東北道をひたすら北へ・・・
「まだ青森までは遠いのかなー」クスリと笑って「今日中に着けばいいわよ、インター下りたら洋品店を探して下着だけは買いましょうね」
彼は眼を丸くして驚いていた。
「そうか、そんなに遠いのか」「もう少し近場にしておけば良かったかな」「何言ってんのよ 此処まで来て、さあスピード出して」と促して夕方洋品店の前に車を停めた。
そしてその店の女将さんに近くのホテルを探して貰って入った時は陽も暮れようとしてた時間だった。
ちょっと遅めの夕食を取りシャワーで軽く汗を流しベッドに着いたのは午後10時を廻っていた。
しかし彼はなかなかベッドに入って来ない。
詩織はじれったくなって「早くいらっしゃいよ、こんな事は男がリードするものよ」「いやー心の準備が出来てなくてね」「実は私は経験ないんだ」「えっ・・・?」
彼女は信じられなかったのである。
「40近くまで童貞君だとは・・・」開いた口が閉がらなかった。
詩織は困った。
今まで付き合った(と言っても特別遊んでた訳ではないが)皆男性がリードしてくれた。
だが今回は詩織が全てを教えねばならない。
№ 5
優しく服を脱がせながら「あんなにアメリカ生活長いのに本当に初めてなの?」「うん、恥ずかしいけどね」「今までどうしてたの?」「雑誌を見て興奮してたんだ、全く可笑しいよね」笑いながら「今まで付き合った人はいるの?」「うーん、一度だけ」後は言葉を濁した。
追い討ちを掛ける様に尚も聞いた。
「うん、訳が判らないうちに振られてしまったんだ」食事の途中で何か失礼な事を言ったらしい。
そして大勢の人の前で頬っぺたを叩かれた、そして車での別れ際にハグもキッスもしなかったと云う。
そうしたらパンチの嵐が飛んで来た・・・と言う訳だそうだ。
詩織は大笑いをした。
「それ、常識よ」「でも向こうの子は怖いねー、心の中の気持ちなんて考えてくれないんだから」「日本だって同じよ、愛を形で表さないと誰も振り向いてくれないわよ」
そして詩織も服を脱ぎ始めたのであった。
明宏は珍しそうに辺りを見回しバスにお湯を張っている。
予約なしで飛び込みで入った宿である。
女将はモーテルを紹介したのであった、どうせ不倫カップルと勘違いしたのであろう。
しかしそれは二人に取って好都合だった。
明宏の社会勉強?の為に、又詩織のムードを高めたい思いの為には・・・
服を脱ぎ捨てた詩織の身体は美しかった。
先に風呂に入っていた明宏の前に詩織が入ってきた途端 彼は「駄目だっ」と叫び爆発してしまったのである。
「まだキッスもしていないのに・・・」詩織は少々オカンムリであった。
詩織は身体を洗い、彼の身体中も綺麗に洗い上げベッドに向った訳である。
彼の身体はもう快復して元気一杯だった。
「優しくしてね そう そこ舐めて・・・」大きな波が襲ってくる、そして又引いて行く・・・
何度かその繰り返しが起きた後、彼女は彼の大切に閉まってあった童貞君を口に運んだのであった。
そして静かに自分の入口に入れた、途端 ドッと溢れてしまったのである。
詩織はがっかりした。
「まだ何もしていないのに、どうして・・・?」
しかし肩を落としてうなだれている明宏の姿を見て可哀想になったのだった。
「いいわよ、チャンスは幾らでもあるんだから」「めげないで、明日の観光を楽しみましょう」そうは言ったものの何故か寂しかった。
詩織は眠れない夜を酒で誤魔化して眠りについたのである。
だが明け方近く彼が彼女の上に乗っかって来たのであった。
大きな波が寄せたり引いたりする、激しい快感が襲う、頭が狂いそうになって思わず声を上げた。
彼のものが入って来た。
あえぎながら声にならない声を上げた。
「もう駄目、いっちゃう!」彼も「いくよっ!」と声を発し同時に果てたのだった。
長い長い夜だった。
深い眠りから覚めた時 外は雲ひとつ無い晴れであった。
絶好の観光日和である。
二人は13,5kmの渓流を腕を組み歩いて写真を撮ったり心に刻みながら廻った。
最高に幸せだった。
そして、その夜も・・・
車中では『グリンスリーブス、スリーベルズ』などをハモったりして楽しく帰路に着いたのである。
翌日、一緒の車で会社に着いた時、社長は「遂に一緒になったか」と一人笑ってた。
「仲人は私がやってやろう」と・・・
二人が社長の前に現れた「社長 私達結婚します、宜しくお願いします」と言った時、大きく頷き「で 式は何時するんだ?」と。
「12月24日 クリスマスの日にしようと思っています、全世界が祝ってくれますから」「そうか 仲人は私でいいか?」「是非お願いします」
その日から 二人は一緒に暮らした。
仕事にも余計意欲的に頑張ったのであった。
№ 6
「星野君ちょっとシリコンバレーの視察に行ってくれないか?突然で悪いんだけど、ちょっと気になる新製品の開発をしてる様だから」「その辺を調べてみてくれないか」「ええ いいですよ、向こうには友人も多く居ますから何かを掴んできますよ」
結婚を控えた12月初めの事だった。
「あなた 頑張ってね」そう笑顔で送り出したのであったが・・・
翌日のニュースで「アメリカ直行便 太平洋沖で行方を絶つ。現在米軍機が捜索中」と流れていた。
会社でそれを聞いた詩織は居ても立ってもいられなかった。
すぐ航空会社に駆け付けて事情を把握しようと試みた。
一緒に来た社長も苦渋の表情を浮かべ航空会社の職員と長く話していた。
「ハワイ沖東北東の海上に重油の跡発見、全員絶望か・・・」
詩織は社長の胸の中で泣いた。
帰ったら結婚式が待っているのに・・・当分放心状態が続いた。
会社に戻った彼女は 何もかも忘れる為に我武者羅に働いた。
企画立案から現場にまで出向き製品のチェックを行う事もしばしば・・・
しかしどうしても忘れる事は出来なかった。
それもそうだろう、幸せの絶頂から奈落の底に突き落とされたのだから。
次第に笑顔が消えて行った。
誰言うともなく『アイスドール』仕事に対する厳しさから『アイアンガール』とニュックネームまで頂戴してしまったのである。
社長は彼女の顔を見る度辛くなったのだった。
企画調査室には室長が居ない。
これはそれだけの適任者が見当たらなかったせいも有るが、何より彼女以外には考えられなかったのである。
彼女の立ち直りを期待したのであった。
そして彼女に相応しい未来の伴侶をと考えた。
が 今現在そんな男は何処にも居なかった。
「包容力が有り 仕事が出来 家庭を大事にする男が・・・この会社には居ないのか?」
彼女に相応しい男は皆結婚してる。
若い男では頼りない。
孤独な詩織は益々仕事人間になってゆく。
会社としては貴重な戦力だ。
だが運命はひとりの人生の生きる目標を失わせたのである。
それから 5年 詩織は社長に聞いた。
「綺麗でも 美しくても幸せはやって来ないんですね、ほって置けない可愛い人になるにはどうしたらいいんでしょうか?」
社長は返答に困った。
「笑顔を取り戻しなさい、きっといい人が現れるから」
しかし彼女の心の氷を解かすような人は未だに現れる気配はない。
余りにもアイスドールのイメージが強すぎるのと他の追随を許さぬ仕事振りには着いて行けないのだ。
もう直ぐ あの人の居ないクリスマスがやって来る。
そして ひとりぽっちのクリスマスの夜・・・
雪が舞って来た。
ひとり・・・湾岸道路を海に向かってフルスピードで走る詩織の姿が其処にはあった。
突然の出来事だった。
車のハンドルを取られたのである。
前輪のタイヤが何かを踏んだ。
パンクしたのだ。
必死に止めようとしたのだが蛇行して側壁に接触して止まった。
後ろの車が追い越して止まったのである。
「大丈夫ですか?」中年の精悍な顔付きの紳士が降りて来たのだった。
「すみません、大丈夫ですから・・・」朦朧とした頭の中でやっとそう言った。
「ああ、これは酷い、鋼材を踏みましたね」 タイヤがザックリと切れていた。
しかしすぐ彼の車からジャッキを持ってきて 彼女の車からスペアを取り出し手際よく取り替えてくれたのである。
「もう大丈夫、気を付けてね」「あの、お名前は?」「何時も 貴女がお茶を飲んでるホテルの喫茶の常連ですよ、又逢えますよ、きっと」
そう言って走り去って行った。
裾と袖に雪混じりの泥を着けたまま・・・
嬉しかった、とても嬉しく感じてたのだ。
そのときの詩織は少女のように可愛い笑顔を見せていたのだった。
忘れていた笑顔が戻っていた。
何かが始まる予感がする一瞬の出来事だった。
-完ー
| 19:27
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