『幕末異聞』
「№ 1」
その男は深編み笠に着流しと云う奇妙な格好でぶらりとやって来た。
およそ旅人の風体ではない。
得体の知れない無口な男であった。
女将のお定は流行らないこの旅籠に客が来た事を不振に思ったが何はともあれ喜んだ。
「半年、いや一年か二年になるか・・・世話になるぞ」
何する訳でもなく娘お夕と竹薮でふざけたり近くの小川で釣りを楽しんだり、しかし金払いはいい。
時々江戸からの書簡が来た。
見るとも無く差出人の名を見て驚いたのである。
およそこの旅籠に泊まる様な方ではない「このお侍はきっと偉い人なんだ」と・・・
お定の勘違いからその武士への対応振りがガラリと変わった。
決して粗末には出来ない客だ、と・・・
何かと身の回りの世話まで甲斐甲斐しくする様になったのである。
お定に取って金払いが良く若くて いい男のこの客はたまらない上客であった。
何時かねんごろになり自分の男にしてみたい、と不埒な考えを持ったのである。
「うふふ・・・美味しそうな身体、男ぶりもいいし 何が何でも物にしてみせるわ」と・・・
お定には二人の娘がいた。
姉の方は祇園の芸者、妹の方もいずれ置屋に引き取って貰う腹で芸事だけは熱心に通わせていた。
そのどちらも父親の名も判らぬ娘であった。
要するにお定は尻軽女、泊り客とすぐねんごろになり出来てしまった子である。
だがそれが二人とも近所で評判の器量好しときてる。
子供の頃姉妹は近所の者達から「お前の母ちゃんすぐ転ぶ、擂粉木無ければ生きられぬ」と いじめれられ続けていた。
だが育って行くうちにあまりの器量の好さに誰もそんな事は言わなくなったのである。
「今度の客はきっと所司代に関係のある方に違いない、下の娘を差し出せばきっと良い事があるだろう」「しかしその前に私がたっぷり楽しんで味見をしてからだな」と、舌なめずりしてほくそ笑んだ。
案の定、お定の作戦は図に当たった。
風呂に入れば背中を流す、枕元には春画、四十八手の本を置いておく。
若い男にはこれは辛い・・・
さんざじらせて置いてある夜そっと布団の裾から身ったを滑らせて行ったのである。
「うん、これは娘にはもったいない、私が戴いてしまうか」
性悪女のお定には涼しげな目鼻立ちのその男を他の女に取られるのが惜しくなった。
勿論娘お夕にもだ。
そして娘を早く置屋に売り飛ばす事を考えた。
が 高値で売るにはもう少し芸事を仕込まなくてはならぬ。
そこでお夕に因果を含める様に「あのお侍は大事な仕事を抱えておいでの方なんだから邪魔になってはいけない」「あまり近ずくんじゃ無いよ」と言った。
しかしまだ十五歳のお夕にはそれが何を意味するものか解らなかったのだ。
毎日川遊びをしたり京の町を案内したり、竹林の中で追いかけっこをして楽しんでいた。
ある夜 江戸からの手紙を見た男は ある店の事を知りたくてお夕の部屋の障子戸を開けた。
お夕なら知ってると思ったのであるがそこで見てはならないものを見てしまった。
春画、色本を前にあられもない姿でマスターベーションをしていたのである。
無理も無い、年頃のそれもお定の血を引く娘である。
「あっ あら・・・恥ずかしい」とは言ったものの途中で止める訳にも行かず「ねえ、見てるだけではつまんないでしょう、ちょっと触ってみてよ」
十五歳と云えばもう大人なのだ。
その夜、男は一睡も出来なかった。
若いはちきれんばかりのお夕の身体を見て身体がうずいて仕方が無かったのである。
翌日釣り糸をたれながら男はお夕に聞いた。
「俺が嫌いか?」
お夕は黙って頬を染め男の背中にしがみ付いて来たのである。
裏の竹林の中で二人は結ばれた。
さすがお定の娘である、やる事が早い。
だが母親お定には黙っている事にした。
それからのお夕は人前もはばからず男にしだれ掛かり誰の眼にも二人の関係が判る様になってしまった。
知らぬはお定だけ・・・周囲の人間はお定の性格から何を仕出かすかを想像し黙っていたのだった。
「お定の奴 どうするかな?」「娘相手じゃ仕様が無かろう」「でも一喧嘩するんじゃないか・・・」
次第に家の中でも大胆になってゆく娘にお定が気が付かぬはずが無い。
「この恥知らず!誰のお陰でここまで育ったと思ってるんだっ」「あの人に近ずくなって言っただろう」
お夕は澄まして「だって母ちゃんの子だもん、血筋よ血筋・・・」「あの人は私のものよ、でも母ちゃんが可哀想だから10日に一晩だけ貸してあげるよ」と・・・
「ちっ!」と舌打ちしてお定も諦める事にした。
それからはお夕が男の世話をする様になったのである。
だが10日に一度の夜も次第に男は応じてくれない。
すっかりお夕に前の晩攻められ続け 男の一物が言う事を効いてくれないのだ。
お定は諦めざるを得なかった。
久しぶりに姉の芸者 お葉が帰って来た。
「いい男だねー・・あれがお夕の旦那かい?」
お定は恨めしげに「あの泥棒猫にやられた」と言ったが、お葉は「さすが母さんの娘だよ」と笑っていただけであった。
帰り際に「それにしてもいい男だよねー、あんな男に抱かれてみたいもんだよ」と・・・
お葉は祇園の芸者置屋に売られ見受けされたものの その旦那が一年持たずにあの世に行ったものだから三味線、小唄を教え気楽な生活をしていた。
時々習いに来る男をくわえ込んで気ままに生きてきたのであった。
それから二三日後 一通の封書が届いた。
男は何事か考えている様子でお夕に「街道から川に入る道はあるのか」と尋ねたのである。
お夕は「有るよ、もう少し先の所、家がなくなった辺りに」と・・・
男はニヤリと笑い「ちょっと細工をしてみるか」鋸と杭を持って何事か始めたのである。
『これより西へ三里』墨跡も黒々とそう書いて釜戸の煤を振りかけた。
街道の通行人が間違えて川の方に導かれる様に細工をしたのだった。
男の顔は何時もの優しい顔が一変して厳しいものになっていた。
そして旅籠の二階から少し障子を空け外を伺いながらチビリチビリと酒を飲み始めたのだ。
長期戦になるかもしれない。
だからこうして待つのが一番得策だ・・・と考えての事だった。
そして一日二日・・・・
「今日も空振りか」呻く様につぶやき壁にもたれて眼を瞑り何事か考えている様子だった。
「俺が見ていない時 お夕、お前が見張っててくれ、あの道しるべの先の大杉の所に侍が来たら知らせてくれ」そう言ってごろりと横になった。
男は遠く古里 土佐の地を思い出していた。
赤い夕日が沈むまで遊び回った幼い日々を・・・
時は文久元年、各地を放浪して歩いたが何も良い話は聞かぬ。
対馬にはロシアの軍団が上陸し戦っていると云うのに幕府にはもう対抗する力は無い。
長州、薩摩、土佐、肥後の若い連中が尊皇攘夷を唱えているが何処も一枚板ではない。
又、戦国の世が来るのか・・・
しかし今の各藩にも幕府に刃向かう力は無かろう。
「今は模様眺めの時か・・・どちらに組しても碌な事はなかろう」
トントントン・・・階段を上がる音がしてお夕が部屋に入ってきた。
「もうお酒が切れる頃だから持ってきたよ」
「まだ待ち人来たらず・・ですか?」
「うん まあな・・・」
男の名は『岡田伊蔵』 後年人斬り伊蔵と恐れられた男である。
現在は勝海舟の客分兼用心棒、いわばはぐれ犬であった。
彼はある男、松蔭門下の伊藤作佐右ヱ門を待っていたのだ。
海舟の依頼で「どうしても京に入れては都合が悪い、場合によっては切り捨ててよし」
と・・・・
彼はひたすら待ち続けた。
それから三日後ついにかの人物は現れたのである。
脱兎の如く階段を駆け下り竹林を抜け川岸に向かった。
お夕も後から付いて走った。
「きっと斬り合いになる、面白い 伊蔵さんどの位強いのかな?」と・・・
「おぬし、ここから先には行かせぬ」「黙って来た道を帰れ」
伊藤は共の二人に守られ「おぬしこそ何者なんだ、切り捨てても拙者は行くぞ」
「拙者か・・・はっはっは」「無事通り抜けられるかな」
「親、兄弟が居るのだろう、命を粗末にするな」
共の二人が刀の鞘を祓った。
待っていたかの様に伊蔵の剣が唸ったのである。
三名共一瞬のうちに絶命したのだった。
「№ 1」
その男は深編み笠に着流しと云う奇妙な格好でぶらりとやって来た。
およそ旅人の風体ではない。
得体の知れない無口な男であった。
女将のお定は流行らないこの旅籠に客が来た事を不振に思ったが何はともあれ喜んだ。
「半年、いや一年か二年になるか・・・世話になるぞ」
何する訳でもなく娘お夕と竹薮でふざけたり近くの小川で釣りを楽しんだり、しかし金払いはいい。
時々江戸からの書簡が来た。
見るとも無く差出人の名を見て驚いたのである。
およそこの旅籠に泊まる様な方ではない「このお侍はきっと偉い人なんだ」と・・・
お定の勘違いからその武士への対応振りがガラリと変わった。
決して粗末には出来ない客だ、と・・・
何かと身の回りの世話まで甲斐甲斐しくする様になったのである。
お定に取って金払いが良く若くて いい男のこの客はたまらない上客であった。
何時かねんごろになり自分の男にしてみたい、と不埒な考えを持ったのである。
「うふふ・・・美味しそうな身体、男ぶりもいいし 何が何でも物にしてみせるわ」と・・・
お定には二人の娘がいた。
姉の方は祇園の芸者、妹の方もいずれ置屋に引き取って貰う腹で芸事だけは熱心に通わせていた。
そのどちらも父親の名も判らぬ娘であった。
要するにお定は尻軽女、泊り客とすぐねんごろになり出来てしまった子である。
だがそれが二人とも近所で評判の器量好しときてる。
子供の頃姉妹は近所の者達から「お前の母ちゃんすぐ転ぶ、擂粉木無ければ生きられぬ」と いじめれられ続けていた。
だが育って行くうちにあまりの器量の好さに誰もそんな事は言わなくなったのである。
「今度の客はきっと所司代に関係のある方に違いない、下の娘を差し出せばきっと良い事があるだろう」「しかしその前に私がたっぷり楽しんで味見をしてからだな」と、舌なめずりしてほくそ笑んだ。
案の定、お定の作戦は図に当たった。
風呂に入れば背中を流す、枕元には春画、四十八手の本を置いておく。
若い男にはこれは辛い・・・
さんざじらせて置いてある夜そっと布団の裾から身ったを滑らせて行ったのである。
「うん、これは娘にはもったいない、私が戴いてしまうか」
性悪女のお定には涼しげな目鼻立ちのその男を他の女に取られるのが惜しくなった。
勿論娘お夕にもだ。
そして娘を早く置屋に売り飛ばす事を考えた。
が 高値で売るにはもう少し芸事を仕込まなくてはならぬ。
そこでお夕に因果を含める様に「あのお侍は大事な仕事を抱えておいでの方なんだから邪魔になってはいけない」「あまり近ずくんじゃ無いよ」と言った。
しかしまだ十五歳のお夕にはそれが何を意味するものか解らなかったのだ。
毎日川遊びをしたり京の町を案内したり、竹林の中で追いかけっこをして楽しんでいた。
ある夜 江戸からの手紙を見た男は ある店の事を知りたくてお夕の部屋の障子戸を開けた。
お夕なら知ってると思ったのであるがそこで見てはならないものを見てしまった。
春画、色本を前にあられもない姿でマスターベーションをしていたのである。
無理も無い、年頃のそれもお定の血を引く娘である。
「あっ あら・・・恥ずかしい」とは言ったものの途中で止める訳にも行かず「ねえ、見てるだけではつまんないでしょう、ちょっと触ってみてよ」
十五歳と云えばもう大人なのだ。
その夜、男は一睡も出来なかった。
若いはちきれんばかりのお夕の身体を見て身体がうずいて仕方が無かったのである。
翌日釣り糸をたれながら男はお夕に聞いた。
「俺が嫌いか?」
お夕は黙って頬を染め男の背中にしがみ付いて来たのである。
裏の竹林の中で二人は結ばれた。
さすがお定の娘である、やる事が早い。
だが母親お定には黙っている事にした。
それからのお夕は人前もはばからず男にしだれ掛かり誰の眼にも二人の関係が判る様になってしまった。
知らぬはお定だけ・・・周囲の人間はお定の性格から何を仕出かすかを想像し黙っていたのだった。
「お定の奴 どうするかな?」「娘相手じゃ仕様が無かろう」「でも一喧嘩するんじゃないか・・・」
次第に家の中でも大胆になってゆく娘にお定が気が付かぬはずが無い。
「この恥知らず!誰のお陰でここまで育ったと思ってるんだっ」「あの人に近ずくなって言っただろう」
お夕は澄まして「だって母ちゃんの子だもん、血筋よ血筋・・・」「あの人は私のものよ、でも母ちゃんが可哀想だから10日に一晩だけ貸してあげるよ」と・・・
「ちっ!」と舌打ちしてお定も諦める事にした。
それからはお夕が男の世話をする様になったのである。
だが10日に一度の夜も次第に男は応じてくれない。
すっかりお夕に前の晩攻められ続け 男の一物が言う事を効いてくれないのだ。
お定は諦めざるを得なかった。
久しぶりに姉の芸者 お葉が帰って来た。
「いい男だねー・・あれがお夕の旦那かい?」
お定は恨めしげに「あの泥棒猫にやられた」と言ったが、お葉は「さすが母さんの娘だよ」と笑っていただけであった。
帰り際に「それにしてもいい男だよねー、あんな男に抱かれてみたいもんだよ」と・・・
お葉は祇園の芸者置屋に売られ見受けされたものの その旦那が一年持たずにあの世に行ったものだから三味線、小唄を教え気楽な生活をしていた。
時々習いに来る男をくわえ込んで気ままに生きてきたのであった。
それから二三日後 一通の封書が届いた。
男は何事か考えている様子でお夕に「街道から川に入る道はあるのか」と尋ねたのである。
お夕は「有るよ、もう少し先の所、家がなくなった辺りに」と・・・
男はニヤリと笑い「ちょっと細工をしてみるか」鋸と杭を持って何事か始めたのである。
『これより西へ三里』墨跡も黒々とそう書いて釜戸の煤を振りかけた。
街道の通行人が間違えて川の方に導かれる様に細工をしたのだった。
男の顔は何時もの優しい顔が一変して厳しいものになっていた。
そして旅籠の二階から少し障子を空け外を伺いながらチビリチビリと酒を飲み始めたのだ。
長期戦になるかもしれない。
だからこうして待つのが一番得策だ・・・と考えての事だった。
そして一日二日・・・・
「今日も空振りか」呻く様につぶやき壁にもたれて眼を瞑り何事か考えている様子だった。
「俺が見ていない時 お夕、お前が見張っててくれ、あの道しるべの先の大杉の所に侍が来たら知らせてくれ」そう言ってごろりと横になった。
男は遠く古里 土佐の地を思い出していた。
赤い夕日が沈むまで遊び回った幼い日々を・・・
時は文久元年、各地を放浪して歩いたが何も良い話は聞かぬ。
対馬にはロシアの軍団が上陸し戦っていると云うのに幕府にはもう対抗する力は無い。
長州、薩摩、土佐、肥後の若い連中が尊皇攘夷を唱えているが何処も一枚板ではない。
又、戦国の世が来るのか・・・
しかし今の各藩にも幕府に刃向かう力は無かろう。
「今は模様眺めの時か・・・どちらに組しても碌な事はなかろう」
トントントン・・・階段を上がる音がしてお夕が部屋に入ってきた。
「もうお酒が切れる頃だから持ってきたよ」
「まだ待ち人来たらず・・ですか?」
「うん まあな・・・」
男の名は『岡田伊蔵』 後年人斬り伊蔵と恐れられた男である。
現在は勝海舟の客分兼用心棒、いわばはぐれ犬であった。
彼はある男、松蔭門下の伊藤作佐右ヱ門を待っていたのだ。
海舟の依頼で「どうしても京に入れては都合が悪い、場合によっては切り捨ててよし」
と・・・・
彼はひたすら待ち続けた。
それから三日後ついにかの人物は現れたのである。
脱兎の如く階段を駆け下り竹林を抜け川岸に向かった。
お夕も後から付いて走った。
「きっと斬り合いになる、面白い 伊蔵さんどの位強いのかな?」と・・・
「おぬし、ここから先には行かせぬ」「黙って来た道を帰れ」
伊藤は共の二人に守られ「おぬしこそ何者なんだ、切り捨てても拙者は行くぞ」
「拙者か・・・はっはっは」「無事通り抜けられるかな」
「親、兄弟が居るのだろう、命を粗末にするな」
共の二人が刀の鞘を祓った。
待っていたかの様に伊蔵の剣が唸ったのである。
三名共一瞬のうちに絶命したのだった。
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