1541年 ヴェネチア共和国領クレタ島の果樹園農家テオトコブーロス家に一人の男の赤ん坊が生まれた。
その事自体は何の変哲もない事であるが、その父親たるや大の女好きときている。
あだ名を『クレタの種馬』誰彼なしに口説いて廻る どうしようもない男であった。
威風堂々 体格もよく又震い付きたい程のいい男だったのだ。
クレタの住民は「それっテオがやって来る 女房を隠せ」と言ったものだった。
幼少の頃 テオの息子ドメニコスは「父ちゃん何故女の人の股の下に顔を突っ込むの?」と聞いた。
「うん 神様を探してるんだ、女のあそこには神様が住んでいるんでな、だがまだ出会ってはいないが・・・なかなか出会えないものだ」と、解ったような解らないような事を言った。
父親テオは非常に手先の器用な男だった。よく木のかけらで珍しい彫刻をしてブローチ、首飾り等を作って女達にプレゼントをしていた。
妻のアンナもテオに負けず劣らず男を引っ掛けて遊んでいたのである。
そうした環境の中で育ったドメニコスはもう5~6歳の頃から年頃の女性を追い掛け回す様になった。
「こらっこのガキが!」と追い掛け回されてもケロリとして物陰に隠れ又同じ事を繰り返す。
まあイタリーと云う国は元々性に関しては寛大な国でもあったのであるが・・・
この親子は桁外れの家族であったのだ。
ドメニコスには紙さえあれば女の肖像画を描いてプレゼントしていた。
父親譲りの器用さが幸いしたのだ。
父親は「こいつは絵の才能があるんじゃないか?」と思った。
そしてイコン(絵画技法のひとつ)を習わせる事にしたのだった。
だがドメニコスはそこに習いに来る女達の方に興味を持ち相変わらず口説いてばかり、ろくに勉強する事もなかったのである。
しかし描くものは結構巧く描く・・・
師匠は「本気で勉強すればいい絵描きになれるのに」と、才能を惜しんだ。
家では父親と「今日は何処の女を口説いた? 俺は何処そこの女をものにしたぞ」と他愛も無い話で明け暮れていた。
師匠は「環境が良くないな、父親と切り離さなければドメニコスの才能は花開かぬ」とヴェネチア行きを勧めたのである。
こうしてドメニコスはヴェネチアに渡った訳だが・・・
そこにはクレタの女達とは違って美しく着飾った華奢な女が多かった。
どちらを見てもよだれの出そうな女ばかりである。
下宿探しもそこそこに早速街に繰り出したのである。
それもそうだろう、クレタの女達はほとんど農家の娘達だ。
この街では農家の娘など居ない。
しかしドメニコスも又田舎者。
まず洗練された立ち居振る舞いから覚える必要があった。
彼は言葉使いから勉強する事にした。
一生懸命なまりを消しテーブルマナーを身につけた。
もう絵の勉強などそっちのけであった。
そして古くからある文学を読み漁ったのである。
女を口説くには気の利いた台詞のひとつも言えなくてはいけない、一生懸命であった。
しかしドメニコスにとってこれは楽しい勉強だったのである。
ヴェネチアの女達を抱く為の下心を隠し【洗練された男】になる為に真面目に学んだのだった。
その頃クレタ島はヴェネチア領からギリシャ領に代わった。
元々ギリシャ人の多く住む島である。
ヴェネチア共和国では統治の難しい所であったのだ。
テオの一家も代々ギリシャ人であったので非常に喜んだ。
さて そのテオは・・・
元来怠け者、女を追いかけるのが仕事の様な男である。
大きな果樹園、ブドウ畑を持ちながら畑は荒れ放題、果樹園の収穫時期にも力を入れない。
次第に切り売りして小さくなって行くばかりであった。
ついに妻アンナにも愛想を突かれ他の男の許に走ってしまったのだった。
そして無一文になったテオもいつの間にか姿を消したのである。
仕送りの途絶えたドメニコスはたちまち生活に困窮した。
それからの彼はもっぱらご婦人方の肖像画の注文を取ろうと考えたのである。
だが地理不案内の地、知人も居ない。
「これは女性に近ずく方法を考えなくては」それにはナンパしか無い。
「美人でなくても良い、金を持っていそうな女性であれば 歳も関係ない」
幸いな事に彼は類稀な美貌を誇っていた。
しかし父親の様な頑健な体躯では無い。
華奢で繊細な身体つきで 所謂母性本能をくすぐる軟弱者だったのだ。
彼は自分のセックスアピール度をよく心得ていた。
「君の瞳はエメラルドの輝き、エーゲ海の深い青・・・唇はバラの芳しさ」
キザ!! 私などはとても言えない台詞である。
兎に角、口説き上手であった。
ドメニコスは片っ端から女性に声を掛けたのだ。
女達は夢中になった。
そして前金を受け取り「君をもっと知りたい、良い作品は全てを知る事によって生まれるものなんだよ」と・・・デートを重ねたのである。
しかしデッサンは取ってもなかなか制作に入らない。
「それ絵の具が足りない、いい筆を買いたい」何だかんだと言って金をねだるのである。
そして酒場で飲み明かす。
終いには女性の方が根を上げる。
実にだらしの無い男であったが不思議と憎まれない、得な性格だったのだ。
十数人に声を掛けて描いたのは一人か二人・・・
只 身体の関係を持てばほとんどの女性は彼の虜になってしまったのである。
だが何時までもそんな生活が続く訳がない。
金銭トラブルが付いて回る。
ついにヴェネチアには居られなくなってしまったのである。
彼はローマを目指した。
「もっと大都会に行けば大きなスポンサーも着くだろう」「何かチャンスも生まれるかもしれない」
「そこで勉強すれば本物の絵描きにもなれるかも」・・・
彼は画家への夢も捨ててはいなかったのである。
「有名な画家になれば経済的に豊かになれる、そうすれば女も選り取り見取りだ」
さすがテオの息子である、発想が不純である。
その街のある酒場で大勢の取り巻きに囲まれ呑んでる男がいた。
店の者に聞いたところ「あの方が有名なティツィアーノ様だ」と・・・
周りにいる女達も美人ぞろいである。
彼は恐る恐る声を掛けた「弟子にしてください」と・・・
丁度 もう少し助手が欲しいと思ってたテッツィアーノは「デッサンを持って私のアトリエに来なさい」と言ったのである。
協会の壁画を手掛けていたテッツィアーノは優秀な助手を探していたのであった。
その事自体は何の変哲もない事であるが、その父親たるや大の女好きときている。
あだ名を『クレタの種馬』誰彼なしに口説いて廻る どうしようもない男であった。
威風堂々 体格もよく又震い付きたい程のいい男だったのだ。
クレタの住民は「それっテオがやって来る 女房を隠せ」と言ったものだった。
幼少の頃 テオの息子ドメニコスは「父ちゃん何故女の人の股の下に顔を突っ込むの?」と聞いた。
「うん 神様を探してるんだ、女のあそこには神様が住んでいるんでな、だがまだ出会ってはいないが・・・なかなか出会えないものだ」と、解ったような解らないような事を言った。
父親テオは非常に手先の器用な男だった。よく木のかけらで珍しい彫刻をしてブローチ、首飾り等を作って女達にプレゼントをしていた。
妻のアンナもテオに負けず劣らず男を引っ掛けて遊んでいたのである。
そうした環境の中で育ったドメニコスはもう5~6歳の頃から年頃の女性を追い掛け回す様になった。
「こらっこのガキが!」と追い掛け回されてもケロリとして物陰に隠れ又同じ事を繰り返す。
まあイタリーと云う国は元々性に関しては寛大な国でもあったのであるが・・・
この親子は桁外れの家族であったのだ。
ドメニコスには紙さえあれば女の肖像画を描いてプレゼントしていた。
父親譲りの器用さが幸いしたのだ。
父親は「こいつは絵の才能があるんじゃないか?」と思った。
そしてイコン(絵画技法のひとつ)を習わせる事にしたのだった。
だがドメニコスはそこに習いに来る女達の方に興味を持ち相変わらず口説いてばかり、ろくに勉強する事もなかったのである。
しかし描くものは結構巧く描く・・・
師匠は「本気で勉強すればいい絵描きになれるのに」と、才能を惜しんだ。
家では父親と「今日は何処の女を口説いた? 俺は何処そこの女をものにしたぞ」と他愛も無い話で明け暮れていた。
師匠は「環境が良くないな、父親と切り離さなければドメニコスの才能は花開かぬ」とヴェネチア行きを勧めたのである。
こうしてドメニコスはヴェネチアに渡った訳だが・・・
そこにはクレタの女達とは違って美しく着飾った華奢な女が多かった。
どちらを見てもよだれの出そうな女ばかりである。
下宿探しもそこそこに早速街に繰り出したのである。
それもそうだろう、クレタの女達はほとんど農家の娘達だ。
この街では農家の娘など居ない。
しかしドメニコスも又田舎者。
まず洗練された立ち居振る舞いから覚える必要があった。
彼は言葉使いから勉強する事にした。
一生懸命なまりを消しテーブルマナーを身につけた。
もう絵の勉強などそっちのけであった。
そして古くからある文学を読み漁ったのである。
女を口説くには気の利いた台詞のひとつも言えなくてはいけない、一生懸命であった。
しかしドメニコスにとってこれは楽しい勉強だったのである。
ヴェネチアの女達を抱く為の下心を隠し【洗練された男】になる為に真面目に学んだのだった。
その頃クレタ島はヴェネチア領からギリシャ領に代わった。
元々ギリシャ人の多く住む島である。
ヴェネチア共和国では統治の難しい所であったのだ。
テオの一家も代々ギリシャ人であったので非常に喜んだ。
さて そのテオは・・・
元来怠け者、女を追いかけるのが仕事の様な男である。
大きな果樹園、ブドウ畑を持ちながら畑は荒れ放題、果樹園の収穫時期にも力を入れない。
次第に切り売りして小さくなって行くばかりであった。
ついに妻アンナにも愛想を突かれ他の男の許に走ってしまったのだった。
そして無一文になったテオもいつの間にか姿を消したのである。
仕送りの途絶えたドメニコスはたちまち生活に困窮した。
それからの彼はもっぱらご婦人方の肖像画の注文を取ろうと考えたのである。
だが地理不案内の地、知人も居ない。
「これは女性に近ずく方法を考えなくては」それにはナンパしか無い。
「美人でなくても良い、金を持っていそうな女性であれば 歳も関係ない」
幸いな事に彼は類稀な美貌を誇っていた。
しかし父親の様な頑健な体躯では無い。
華奢で繊細な身体つきで 所謂母性本能をくすぐる軟弱者だったのだ。
彼は自分のセックスアピール度をよく心得ていた。
「君の瞳はエメラルドの輝き、エーゲ海の深い青・・・唇はバラの芳しさ」
キザ!! 私などはとても言えない台詞である。
兎に角、口説き上手であった。
ドメニコスは片っ端から女性に声を掛けたのだ。
女達は夢中になった。
そして前金を受け取り「君をもっと知りたい、良い作品は全てを知る事によって生まれるものなんだよ」と・・・デートを重ねたのである。
しかしデッサンは取ってもなかなか制作に入らない。
「それ絵の具が足りない、いい筆を買いたい」何だかんだと言って金をねだるのである。
そして酒場で飲み明かす。
終いには女性の方が根を上げる。
実にだらしの無い男であったが不思議と憎まれない、得な性格だったのだ。
十数人に声を掛けて描いたのは一人か二人・・・
只 身体の関係を持てばほとんどの女性は彼の虜になってしまったのである。
だが何時までもそんな生活が続く訳がない。
金銭トラブルが付いて回る。
ついにヴェネチアには居られなくなってしまったのである。
彼はローマを目指した。
「もっと大都会に行けば大きなスポンサーも着くだろう」「何かチャンスも生まれるかもしれない」
「そこで勉強すれば本物の絵描きにもなれるかも」・・・
彼は画家への夢も捨ててはいなかったのである。
「有名な画家になれば経済的に豊かになれる、そうすれば女も選り取り見取りだ」
さすがテオの息子である、発想が不純である。
その街のある酒場で大勢の取り巻きに囲まれ呑んでる男がいた。
店の者に聞いたところ「あの方が有名なティツィアーノ様だ」と・・・
周りにいる女達も美人ぞろいである。
彼は恐る恐る声を掛けた「弟子にしてください」と・・・
丁度 もう少し助手が欲しいと思ってたテッツィアーノは「デッサンを持って私のアトリエに来なさい」と言ったのである。
協会の壁画を手掛けていたテッツィアーノは優秀な助手を探していたのであった。
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